神座桜縁起 前編

第13話:源上安岐那

 

 そこには、脇息にもたれかかる少女の姿があった。

 源上安岐那  みなかみあきな 。後に商才によりメガミとなる運命を抱く者。

 彼女は入室した恋離を目だけで認めると、眺めていた書をするすると巻いて、傍らに積まれた巻物の山に戻した。小ぶりな眼鏡を泰然と外し置くその姿には、若さを感じさせない女主人じみた風格があり、旅の道中とは別の一面を覗かせている。

 

「まあ、座り」

 

 安岐那は、対面に既に置かれていた座布団を示した。眼光に宿す怜悧さは、茶飲み話に誘うものとは程遠い。

 何せ鞍橋の郊外に位置するこの屋敷は、源上の商家でも本邸でもない。案内人を始め、邸内で見かけた者が漂わせていたピリピリとした気配は、普通の商人が漂わせていいものではないだろう。

 

 ここは安岐那の拠点である以上に、隠れ家だ。

 公には告発されていない彼女が隠すものはただ一つ。

 そして、安岐那が恋離に求めるものも、限られている。

 

「久しぶりやな。ひと月くらいか?」

「ええ。少し道に迷っていたら、間が空いてしまいました」

「ほーん、さよか」

 

 話を深掘りする気のまるでない相槌を打たれたところで、小間使いが茶を運んできた。

 恋離同様、安岐那も話の腰を折られたというふうではなかった。堅苦しい挨拶も機を窺うような前置きも、二人の間には不要だ。あの沈痛な別れからこの瞬間まで、安岐那が見ているものが変わっていない何よりの証だった。

 

 恋離とて、接触することで危険を持ち込む可能性を考えてなお、ここに来たのだ。

 決して、友達に会うためなどではない。

 この場こそ、次に繋げるための正念場だという意気込みが恋離にはあった。

 

「そんで……何か分かったんか?」

 

 小間使いが去るなり、安岐那は頬杖に乗せた顔を少し突き出して、直截に問うてきた。

 対して恋離は、ゆっくりと茶を啜った後、安岐那に見せるようにぴんと人差し指を立てた。

 

「一つ。使えるかもしれないものが」

「…………」

 

 安岐那の瞳が、ありありと恋離を見定めようとし始める。

 恋離の持って回った言い方は、許されるように協力を約束した者の物言いではない。しかし切り出そうとしている内容は、喝采と共に披露するような類でもない。

 安岐那は、もったいぶられて不快や不信を抱くでもなく、恋離の態度の意味に思い巡らせているのだろう。そうしてくれるだけの信用はまだ残っているということだ。

 

 あるいは、恋離が怒涛の一ヶ月を過ごしたように、安岐那もまた何かを成したのか。

 前に進んだことは、温かい光に照らされる未来を意味しない。お互いが泥の中から掴み取った何かを手にして見合っているのが、この会談に違いなかった。

 だから安岐那は、その暗黙の現状を理解したように軽く頷き、

 

「なる、ほどなぁ。いや助かるわ、ほんま。使えるかもっちゅうんは、まだ手に入れてへんいう話とかか?」

「いえ……手間取らせないためにも、まずは状況を踏まえて、実際に使えるかどうか判断するところからだと思ってます」

「賭けるにしても、外堀は埋めんといかん、と?」

「大体、そう思って貰えれば」

 

 片や具体的な話を求め、片や本題に踏み込まない。

 前置きを抜いたはずにもかかわらず、いきなり平行線が生まれたがために、部屋の空気が微かに冷えた。

 けれど、恋離とて不信を根付かせようというつもりはない。前置きはなくとも段階を踏みたかったものの、安岐那の眼差しは「議論の壇上にくらい上がってこい」と訴えている。

 

 故に恋離は、懐に手を伸ばした。

 安心させるように小さな微笑みと共に見せたのは、飾りのついた綺羅びやかな鈴。

 ヲウカに押し付けられたこれをどう概説しようか考える恋離だったが、眉を動かした安岐那を見て、口を閉ざした。

 

「ほう……これまたけったいなもんが出てきたなあ。よう見してや」

 

 頭の中で何かが繋がっているのか、安岐那の口元は少し楽しげだ。

 貸した桜鈴をためつすがめつ眺めながら、彼女は考えを呟いていく。

 

「ええ作りしてはるけど、むしろ人間味なくて恐ろしいくらいやな。ほんで、いかにも桜サマ、って感じのこの造形、権威の匂いがぷんぷんするなあ。桜花拝の連中とかは好きそやわ。そういや、あいつら最近随分元気やったっけか。なあ?」

「……別に、宮司に転職したわけではありませんよ」

「そらそやろ。それやったらこの屋敷はとっくに木端微塵や」

 

 鼻で笑った安岐那に、恋離は内心息を呑んでいた。

 何も説明していないのに、安岐那はこれがヲウカに絡む代物だと既に看破している。怒りに駆られない冷静さもさることながら、小さな鈴一つの背景に至る観察眼と、情勢とかけ合わせて紐解いた慧眼は、恋離が想像していた以上だった。

 

 彼女は以前、自分のことを駆け出し商人と名乗っていた。東部支部を預かっているというのも、現時点では縁故によるものが大きいと当時の恋離は思っていたが、改めてそれは大きな間違いだったと確信していた。

 安岐那は、大商人の器だ。その才覚は、既に十全に発揮されている。

 志水という英雄に並び立つのに、十分なほどに。

 やがてメガミの座に手を伸ばすほどに。

 

「まあええわ。見せてくれてありがとさん」

 

 返された桜鈴をしまう間に、安岐那は口を湿らせるように茶を一口含む。

 それから躊躇いを吐き出すように長い溜息をつくと、どこでもない宙を見上げて、ぼんやりと口火を切った。

 

「こっちはな、桑畑のこと調べてん。しーやんに、結局何してくれたんかをな」

 

 煙管でも持っていたら、ふかしていそうな雰囲気だった。

 しかし安岐那は、友人への所業を努めてただの情報に落とし込んで、語ってくれた。

 

「連中が、正体もよう分からんメガミの遺骸を手に入れたんは、ほんまに偶然だったらしい。崩れかけの身体で、存在が行き場をなくしたみたいに揺らめくだけの、黒い影。せやけど、そこにごっつ大きな力があんのは明らかだったわけや」

「…………」

「当時から桑畑じゃ、勢力拡大のためには将来的に根っこからの兵力の増強が要る言われとったもんで、渡りに船やったんやろな。持ち帰ったソレをうまいこと活用できんか、あれこれ模索したわけや。その目的が、ミコトの強化や」

 

 ほぼ生まれつきで決まるミコトに命を取り合いをさせる時代にあって、兵力の問題はどの家も課題だった。恋離の生きた時代よりもミコトの割合は多いように感じられたが、それでも残酷な浪費に追いつくほどではないだろう。

 一騎当千の兵という夢を前に、倫理観は屑籠に放り込まれた。

 野望に心を焼かれていなければ、到底手を出せない行いである。

 

「んで、結果的に行き着いた術っちゅうのが――」

「……ミソラの矢」

 

 ぽつり、と恋離が続きを引き取った。

 このひと月ばかり、本来の目的に向けて動いていた傍ら、考察を続けて辿り着いた答えがそれだった。

 もちろん、ある程度の自信はあれど証拠を揃える暇はなかった。けれど、自分は答え合わせに来たのだと、信頼を積み重ねるためにも臆す余裕もまたなかった。解決策は、原因を正しく思い描く必要があるのだから。

 

 果たして安岐那は、にぃ、と笑った。

 そうして反応を見せてくれたのは、友人だからだと恋離は思いたかった。

 

「せや。眠らされてたしーやんは、実際何されたかまでは分かってへんかった……けど、実験がいつやったか聞ければ、後は御用商人の立場の最後の使い時や。ちょうど似た時期に、ミソラ様がすっぱり隠れはったらしいって調べついたときは、これや! 思うたわ」

 

 拳を握って見せる安岐那は、どことなくやるせなかった。

 戦国時代が下ってからは請願を拒否し始めていたメガミ・ミソラだが、元々関係の深かった桑畑家とは、縮小しつつも最後まで縁が続いていたはずだ。それは、ミソラのミコトが減る一方の戦国で、未だに桑畑が弓兵隊を組織していられるという事実が証明している。

 

 恋離を始めとした後世の歴史家は、人殺しのために持て囃された憂いの延長として、最終的に桑畑もミソラから縁を切られたと思いこんでいた。

 だが、もっと別の縁の切れ目があったとしたら?

 ミソラが見限るに足る行いに、桑畑が手を染めていたのだとしたら?

 

 その仮説は、恋離がなかなか答えを出せずにいた『どのようにして志水にウツロの遺骸を埋め込んだのか』という疑問と結びつき、一つの答えに昇華した。

 肝は、空と……そして自由の象徴たるミソラの権能にあった。

 

「ミソラ様のお力の本質は、万象から自由になった矢を射ることに集約される。桑畑が研究しとったんは、遺骸を埋め込んだ矢で、人にメガミの力を縫い付けることだったわけやな。ちょうど、壁に刺さった矢文みたいにな」

「肉体に、なんて生易しい話ではないはずですよね」

「それやったら簡単だったんやろうけどなあ。もっとしーやんの本質的なとこに縫い留められてんねやろ。……ほんま、死なへんかったからまだええけど、おっそろしいわ。射ったアホの面見てみたいわ」

 

 毒づく安岐那に、恋離は頷いた。

 権能を鑑みれば可能とはいえ、人の身でこれを為せるのは相当な達人に限られる。並のミコトがやろうものなら、狙いを誤っていたずらに死体を積み重ねるだけだろう。あるいは、と人知れず死んでいったかもしれない名も知らぬ被験者の末路が、恋離の脳裏をよぎる。

 

 けれど、桑畑が使えそうな手はこれくらいしかない。生体に詳しいオボロ率いる忍は対抗勢力に手を貸していたし、奇天烈な絡繰を創造するクルルが世に現れるのはまだ先の話だ。

 射られた志水の本質が心のようなものだとしたら、声に蝕まれる苦痛は想像を絶する。

 自分が自分であるうちに――そう言った志水という存在は、射られた木板の標的のように、もう割れかかっているのかもしれなかった。

 

「この説に則るなら、早々に矢をなんとかしないといけないわけです。抜くのか、壊すのか、我々ではまだ想像の域を出ませんが」

「それな。同じミソラのミコトに出張ってもらうしかないんちゃうか、とは考えとる」

 

 顎をさすり、眉間にしわを寄せる安岐那。

 せやけど、と彼女は続けて、

 

「仮に矢をどうにかしたっても、解放されたウツロの本質がどうなるか分からん。変に暴れるいう心配より、しーやんから追い出されたらほんまに消えてまうかもしれんわけやろ? しーやん助けるため言うても、メガミにトドメ刺すんは流石に、な。一応、あれは助けてくれたんや思てるし……」

 

 ヲウカの襲撃から逃れる決定的な一手となった影渡り。志水の意志ではなかったあれのおかげで、三人とも幽邃渓谷に沈むことなく生きていられる。

 そもそもウツロの遺骸が埋め込まれなければ、というもしもはあるものの、ウツロ本人とて今の形を望んだわけではあるまい。それらの心情まで一緒に天秤に載ってしまうと、さしもの安岐那も複雑な気分のようだった。

 しかし恋離は、正直な安岐那の考えまでを聞いて、表情を緩めた。

 

「想像から大きく外れていなくて安心しました。その点は、自分が力になれるでしょう」

「……そらええ知らせやな。で?」

 

 語気を強く、改めて安岐那が睨む。だったら本題に移れ、と。

 友人としてこの場に臨んでいるのか、ただの協力者としてなのか、恋離はのらりくらりと態度の先送りを続けてきたが、安岐那はその意図をある程度理解していそうだった。

 これまでは、前提の擦り合わせ。

 ここからは、その上での交渉。

 安岐那の鋭い眼差しは、天秤の皿に正しく品が載せられるか、見咎めるようなものだ。段取りそのものが不穏であることまでは、彼女には隠せるはずもない。

 

「ええ、ええ、もちろんそのつもりです。ですが――」

 

 ちらちらと周りを確認し、腰を上げて安岐那の隣に移った。

 そして、耳打ちすべく顔を近づけた恋離は、同時に今の己の力の拠り所たる衣も意識した。

 

 

 動き始めた恋離の口元に、突然異様に濃い霧が立ち込めた。

 会談が行われているこの部屋そのものは、先程までと変わらないごく普通の屋内だ。

 けれど、たとえ見る角度を変えたところで、恋離がどう囁いているか詳しく判ずることはできない。

 その声もまた、霧に吸われたように定かではなかった。

 

 

 すると、そのうち安岐那の表情がみるみる変わっていった。

 それは救いを見出した喜びでも、絶望を知った悲しみでもない。

 怒りだ。

 じゃれ合う中で見たものとは天地ほども違う、凄まじい怒りの形相を安岐那は浮かべ、やがて堰を切ったように歯ぎしりを鳴らした。

 

「ええ加減にせぇや、ボケェ! いてまうぞ!」

 

 脇息を激しく叩き、感情が噴き上がるのに身を委ねるように彼女は立ち上がった。勢い余って脇息が弾き倒され、側に積まれていた巻物の山が盆の上で小さな雪崩を起こす。

 それでも恋離は、驚かなかった。

 けれど、怒らせるに足る提言をしても、悪びれる様子もまた、ない。

 

「そのお怒り、ご尤もかと拝察致します」

 

 言葉遣いを変え、姿勢を正す恋離の眼差しは、真摯だった。

 もちろん、敬っているのは煽り立てているからではない。未来では、必要以上に畏まった態度をあまり好まないのも知っている。

 それでも、安岐那はそうすべき相手だった。

 その才覚に立脚した願いならば、そうするのが人としてのけじめなのだ。

 

「故にこれは、私からの請願であり、貴女への挑戦なのです」

「な、にを……何をほざいてんねや! メガミでもないウチに請願なんてどういう了見や、気ぃでも狂ったんとちゃうか!?」

「二言は、ありません」

「っ……!」

 

 真剣な瞳は正気を宿し、安岐那は気圧されたかのように一歩足を引いた。

 恋離にはそれが、希に歴史を渡る選択を切り出されたときの自分に少し重なって見えた。泣き腫らした目元に乗っけた希の真っ直ぐな眼差しに、湧き上がってきた胸を掻きむしりたくなるような感情も押し込められて、しばらく何も言えなかった。

 

 大いなる命運を宿す者は、誰が見ても明らかである。

 言葉を見つけられないでいる安岐那は、恋離が持つその片鱗を察してくれたようだった。間違いなく論理を超えた先にあるそれに、すぐには考えがまとまらないのだ。

 あのときの古鷹天詞とは違い、安岐那はただ見送るだけではない。

 彼女はそれを理解して、冷静さを引き戻し、思考を止めていない。

 

 ここは、ただ友を救うために知恵を出し合うだけの場ではない。

 恋離は確かな手札を持っていると宣言し、明かせるだけの目的も明確に告げた。

 故にこれは、請願であり、交渉という挑戦だ。

 どんなに荒唐無稽に聞こえる話であっても、果てに待つ損益のために現実を紐解き、画図を描き、道を拓くのが商人という生き物。

 安岐那には、その道を進んでもらわなければならなかった。

 

「話、聞かせてもらおか?」

 

 

 どかり、と忙しなく座り直した安岐那が、顎で席に戻るよう示してくる。

 怜悧なる瞳が、本当の交渉の始まりを告げていた。

 

 

 

 

 

 人の海が、割れる。その波を作るのが、いつも口うるさく形式張る宮司たちとあれば、胸がすく思いを恋離とて禁じ得なかった。

桜花大社――その中ほどに広がる回廊を、恋離は安岐那と共に堂々と歩んでいた。

 生まれて初めて立ち入った大社は、建造物に偉大なる権威を纏わせる手本のような造りをしていた。豪華さと上品さをかけ合わせた雰囲気は、古鷹邸とはやや趣を異にする。これでいて港町たる蟹河は実に質素な街並みなのだから、落差に目眩がしたほどである。

 

 宮司たちもよもや、主神の最賓客がひと月のうちに実際来訪するとまでは思っていなかったのだろう。それも一見してただの小娘二人だったのだ、権威を尊ぶ大きな組織に生きる人々が騒然とするのも無理はない。ましてや、案内する宮司はヲウカの右腕を名乗る重鎮だった。

 だが、今の恋離にとって彼らは全て些事だ。

 本人に貰った通行手形を掲げるのに、躊躇いがあろうはずもない。

 だから堂々と、安岐那と二人で行軍しているのである。

 

「……やはり貴様か」

 

 やがて大社の中を進んでいった先で、最奥に備えられた綺羅びやかな襖に行き当たった。そこでは宮司が一人、険しい視線と共に番人のように恋離たちを迎えた。斬華大社でも会った、左沼だった。

 恋離は彼に目礼を返して、

 

「お久しぶりです」

「貴様が何を考えているかは知らぬが、分かっているだろうな? ヲウカ様に仇為すようなら、吾輩がすぐに駆けつけ、直ちに始末してくれる」

 

 彼から過日同様に敵意を向けられる。ヲウカの臣下として恋離たちを真剣に見定めてくる一方で、恨みがましい苛立ちを当てつけのように滲ませている。

 そんな左沼を、先導の宮司が目で制する。

 

「先走るな、我らはヲウカ様の意志に従うのみなのだから」

「言うな正村、弁えているとも……」

 

 睨み返した左沼は、それきり沈黙を選んだ。

 老宮司の正村は感情を表に出さず、厳かに恋離たちに一礼し、

 

「左沼が失礼しました。奥で、御前がお待ちです」

 

 そうして開かれた先に広がっていたのは、御簾が左右に渡された部屋だった。手前側はほとんど何もなく、御簾で隔絶された向こう側に広がっているであろう高貴な世界との差を否応なく感じさせる装いだ。

 ある程度広々とした空間のはずなのに、圧迫感がある。御簾のこちらには、恋離たちの他には誰もいないのに。

 正村に案内され、中央は正面に安岐那と並んで座す。

 

「お連れしました」

 

 そして彼は、予めそう言いつけられていたのか、返事を待たずに恋離たちの正面の御簾をするすると巻き上げていった。

 露わになる、この部屋の――否、この大社の主。その名をヲウカ。

 優雅に、それでいて傲慢に、最奥にて待ち受けていた女傑は、脇息にしなだれかかっていった身体をややも起こし、訪問者を流し見た。

 

「下がりなさい、正村」

「はっ」

 

 丁寧にヲウカと恋離たちに代わる代わる頭を下げた正村が、衣擦れの音だけを残して部屋を辞した。

 左沼の警告を鑑みずとも、こうして宮司抜きで、しかも直にヲウカに謁見できるのが異例中の異例というのは明らかだろう。思ったより活動的だったのも、こうして己を秘匿していたからこそなのだと頷ける。長巻使い以外にも、彼女は歴史に潜んでいるかもしれない。

 

 ある程度本音で話してくれるという、ヲウカからの意思表示。

 それは、恋離への期待に対するものだとも理解はしていた。

 

「こうして来たということは、我々の助けとなる決断をした、と考えてよろしいですか?」

 

 単刀直入に訊ねてきたヲウカに、恋離はある意味での肯定を返した。

 

「そうですね、自分に手伝えることもあるかと思いまして」

「そう……それは良かった」

 

 やや迂遠な答えに、それでもヲウカはひとまず満足したようだった。腹に一物を抱えていると知ってなお重用するのか、あるいはそれすら呑み込む自信があるのか、そこまでは恋離には分からなかった。

 むしろ今、彼女の興味は別にあるだろう。

 桜の光が滲んだ瞳が、安岐那を射抜いた。

 

「それで、隣のお友達は一緒に遊びに来たのですか?」

 

 冗談が、圧力になる。恋離に倣い、頭を垂れない彼女は何様なのか、と。

 しかし恋離とて、同席を訝しまれることは想定済みだった。

 恋離は、簡潔に安岐那を紹介する。

 

「こちらは、源上安岐那さん。鞍橋商店会東部支部の統括であり、桑畑家の御用聞きでもあり……その娘、桑畑志水の朋友でいらっしゃいます」

「桑畑志水の……ああ、そういえば」

 

 記憶を掘り返していたであろうヲウカは、あの惨劇の夜のことに思い至ったらしい。この様子だと、志水と恋離に気を取られて、三人目の罪人のことを取るに足らない存在だと忘れかけていたようだった。

 ただ、思い出せばそれはそれで不思議を生む。反逆者の仲間を伴って来た意味を。

 一見して、ヲウカにとっては一度殺し損ねた存在を差し出されたようなものだった。恋離が立場を安泰なものとするための手土産と取れなくもない。

 

 けれど、当の安岐那は堂々と、恐れることなくヲウカと対峙している。あのとき命乞いをしていた少女とはまるで雰囲気が違う。

ヲウカは、面白そうに笑みを浮かべた。

 

「いいでしょう、拝謁の栄誉に浴することを許します。しかしまさか、儲け話を持ってきたとは言いませんよね?」

 

 第一関門を突破し、恋離は安岐那と目を合わせて頷いた。

 じり、と安岐那が座布団ごと前ににじり寄り、恋離は黙ってそれを見送る。

 安岐那こそが、この場の主役だと宣言するように。

 

「改めまして、源上安岐那言います。なんやえらい仰々しい肩書で紹介されましたけども、桑畑さんと仲良うさせてもろうてたくらいのもんで。誰かさんのお金を右に左に、人よりちぃとばかしええ感じに流すだけが取り柄の、若輩の商人にございます」

 

 淀みなくすらすらと、以前殺されかけた相手を前にしているとはまるで思わせない。緊張しているから言葉数が多いのではなく、これが彼女の流儀なのだろう。

 それはいっそ、今まさに桜花決闘に臨むミコトのよう。

 メガミの力を宿すように、安岐那は千千に咲く刃を抜こうとしている。

 

「ヲウカ様の心配はごもっともですけど、今日は金勘定しに来たわけやありまへん。ウチも、東部支部統括の名前は今は置いてきてるつもりです。まあ、何かご用命があれば、商会としては大歓迎なんですけども」

「残念ながら間に合っています」

「っかー、こら厳しい。商人としてはもっとお近づきになりたいんですけどね、桜花拝さんこの先勢いづいていくわけやし。……目の上のたんこぶ、このままうまいこと引っ込んだら、のびのびできますやんか」

 

 笑顔の中で、瞳が鋭利に閃いた。

 この桜花大社がある蟹河に、北西からのしかかるように広がる桑畑の勢力圏。信仰上の要所たる咲ヶ原は陰陽本殿にまで手を出されるのは、桜花拝として面白いわけがない。

 その対立に打ち込んだ楔が桑畑の惨劇であり、志水を介した家への糾弾である。

 恋離が未来の歴史を開示するまでもなく、桜と共に生きるこの地の人々全てを敵に回すことになった桑畑家は、間違いなく勢いを落とし、やがて没落するだろう。

 

 だが、それはつまり、仕組まれた惨劇は既に十分な効果を生んだということ。ヲウカは、目的をほぼ果たしているはずなのだ。

しかし、幕はまだ降りてはいない。

 舞台の上では、役者が未だに踊っている。

 

「ウチらにとっては、まだ終わりやない。この状況の着地点はどこか、この先の未来をどうするか……お話、させてもらいに来ましたよ」

 

 じっくりと、安岐那が微笑みを浮かべる。落ち着き払った彼女からは、静かに確固たる気迫が振りまかれている。

 許しを請いに来たのではなく、これは交渉の始まり。

 切った張ったの戦闘だけが戦いではない。大商人という彼我の利益を釣り合わせる達人は、人の命運を決める交渉にこそ相応しい。

 ならばここは、安岐那の戦場。怜悧の炎を瞳に宿し、臨む様もまた気炎万丈。

 

 

 恋離はただ、彼女をあてがい、送り届けるだけでよかった。ひよっこ為政者としての自身の経験などよりも、類まれなる商売人としてメガミに至る者の才覚をこそ、恋離は信じた。

 もっと言えば、英雄の背中を押した。

 自覚のない安岐那にどうにか納得してもらって、試練の場に導いた。

 後世には遺されていないこの一席を、最上の形で終えてくれるだろうという確信を持って。

 

「あぁ……」

 

 泰然と立ち向かう安岐那の姿に、人知れず息をつく。

 選択は間違っていないという自信はあった。けれど、主神に物怖じせず口火を切った安岐那の気勢に、それ以上のものを恋離は感じていた。

 

 安岐那がメガミに至った逸話の真実、その片鱗。

 もしかしたらヲウカとの戦いは今日この時だけではないのではないか。これから永きに亘り、メガミへと至った後も続いたのではないか。それこそ、桜花歴が始まる百年以上先まで。

 この秘匿された刃なき戦いに、歴史家としての恋離が脳裏に名を浮かべた。

 之即ち、天秤の戦い、と。

 

「そういうことでしたか。しかし着地点も何も、こちらの態度はあの夜から変わっておりませんが」

 

 安岐那が告げた戦いの内容に、ヲウカはわざとらしく困ったように返した。恋離を懐柔しようとした下りを飛ばしているが、安岐那の出方を窺おうとしているのかもしれない。

 だが、その安岐那は勝ち気に口端を歪めた。

 受けに回るのであれば攻める用意があるとでも言いたげに、彼女は少し前のめりになってヲウカに向かって手を差し出す。

 

 そして安岐那は、早々に核心を放った。

 一見無謀でしかない、その提案を。

 

「そんなら、やりたいわけですよね? あの夜の続きを」