神座桜縁起 前編

第6話:斬舞乱武祭(前篇)

 

 斬華大社の境内は、今にも破裂しそうな祭の前の高揚感で満たされていた。

 山を背に構えられた社殿は、質素を越えて無骨と呼ぶのが相応しい佇まいであり、あまりの彩度のなさに周囲に広がる森の緑のほうが眩しいほどだ。しかし、柱や欄間に刻まれた大量の迫力ある彫刻は見る者を圧倒し、その全てが武を示していると知れば、これ以上華美な装飾など必要ないと参拝者は悟るのである。

 

 そう、この大社を彩るのは、武神に誓いを立てた者たちの武。

 そして斬舞乱武祭の当日を迎えた今、詰めかけた観衆は、数多の強者たちによって照らされた最も美しい大社の姿を目の当たりにしているのである。

 

「まさかまさか、ここまでの規模とは……」

 

 その強者の一人として名乗りを上げさせられた恋離は、人目を気にするように苦笑いを零していた。

 彼女たちが集められたのは、いくつかの社殿で囲まれた、拝殿の正面に設けられた大広場である。これほど大きい社の場合、大抵は石材で参道が整備されているものだが、ここだけ綺麗に土が剥き出しになっている。石畳の道で囲まれた、固く踏みしめられたこの地面が奉納の舞台であり、同時にこの祭の戦場となるのである。

 

 ただ、大広場と言っても、集結した数多のミコトが戦うにはかなり狭い場所だった。恋離が衣を少し伸ばせば、別のところでたむろしている参加者に簡単に届きそうなほどである。

 元々大きな祭と伝承されていたが、恋離の印象以上の盛り上がりを見せている。戦のせいで参加者は減っているだろう、と彼女は高をくくっていたが実際は逆で、天音が勢いある桑畑の傘下に収まって以来、足を伸ばしやすくなったというのが実情のようだった。

 

 それを物語るように、戦いの時を前にして、仲間と気楽そうに歓談しているミコトすらちらほらと窺える。

 恋離は、そんな彼らがいっそ羨ましかった。参加者の大半は、腕試しの機会とあって気炎を上げているような強者ばかりである。死線をくぐった経験があるとはいえ、武を競う場にあまり縁のなかった彼女は、自覚できる程度には気後れしてしまっていた。

 

「大丈夫よ、恋ちゃん。しぃが全員やっつけてやるわ!」

 

 そんな様子を見られたようで、志水が得意げに鞘に収められた斬華一閃を掲げて見せる。まだ年若い彼女の大言に、近くのミコトが微笑ましげにしていた。

 

「それで、誰が一番強いの? そいつからにするわ」

「なんかえらいやる気やん、ええことやけど」

 

 隣の安岐那が、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。何故か行商用の箪笥を背負っているが、もしかしたら中に戦闘用の道具でも入っているのかもしれない。

 安岐那は辺りを見回しつつ、指折り数えながら、

 

「そやなあ。あっちの髭もじゃのハゲのおっちゃんが、葛西流刀術の師範・ 葛西岩斎 かさいがんさい 。そっから左行ったところの姉ちゃんたちは、芦原の女傑・ 瑠璃谷 るりだに 姉妹やろ。んで、あの七尺ありそなデカいのが、怪力無双の剛腕・ 山岸武雄 やまぎしたけお

「山岸……?」

「なんや、アンタ知っとったんか」

「あっ、いえ。知人に似ていただけでした」

 

 取り繕った恋離に、安岐那は小首だけ傾げて視線を戻した。

 それから彼女はしばらく、手でひさしを作って誰かを探していたようだったが、やがて指さした先には年季の入った外套を纏った青年がいた。

 

無雁奇涯 むかりきがい 。ホロビ様のミコトとして、五本の指に入る使い手や。戦を転々とする根無し草の傭兵なんやけど、宿のおっちゃんに聞いた通りほんまにおったわ。こん中だけど、あいつが一番強いんちゃう? しらんけど」

「ふぅーん……」

 

 にやりと不敵な笑みを浮かべる志水。ただそれは、強敵と死合える歓喜というよりは、ちょうどいい踏み台を見つけたとでも言うようなものだった。

 ただ、無雁なる彼はそのような扱いをされる男ではないと恋離は知っていた。演目『滅刀』に登場する、敵役の老人の元となったと提唱されている男と、彼は同じ名をしている。舞台での不気味さとは違う刺々しさは、今の彼がまだ若いからだろうか。

 

 ごくり、と恋離が息を呑み、ふるふると頭を振って緊張を払った。

 今日の主役は志水であり、恋離にできるのは露払いが精々だろう。歴史に名を刻んだ者たちが参戦していようとも、隣で鼻息を荒くしている志水は尽く打ち破っていく気がしていた。合戦での恐ろしさを思えば、志水こそ有数の実力者であることは疑いようもない。

 だから、恋離がこの場に立っているのは、個人的な理由のほうが大きい。

 そのきっかけとなった相手は、右方にいた恋離たちの反対側で、一人静かに待っていた。こちらに気づいていないのか、あるいは後で会えると思っているのか、やや控えめな化粧で縁取られた小手毬こまりの眼差しは、ずっと社の観察に向けられているようだった。

 

「おっ、来るで」

 

 安岐那が告げた直後、太鼓が数度鳴らされた。人々の注目は拝殿に集められ、宮司たちが恭しく戸を引いた。

 現れたのは、女の人の形。その事実に、一瞬漏れたざわめきも、瞬く間に静寂へ消えた。

 烏の濡羽よりもなお深い、腰まで伸びた黒の長髪が揺れる。連れ立った宮司の男よりなお上背は高いものの、重ね着した衣の上からでも分かるすらりとした体躯だ。しかし、時折裾から見える脚は武芸者のそれで、歩く姿一つとっても強かさを印象付けられる。

 

 そして彼女が手にした刀こそ、その名を冠した業物・斬華一閃。ミコトが顕現武器として持つものよりもさらに大きく、もはや大太刀と呼んで過言ではない、人の手には余る得物。

 武神ザンカの登場に、祭の空気が切り替わる。

 いよいよ彼女に捧げる武が繰り広げられるのだと、誰もが肌で感じ、それに抗うことなんて考えられなくなるようだった。

 

「武の極みに至らんと欲す同胞よ」

 

 芯の通った声は、決して張り上げてはいないのに、境内の隅々まで行き渡る。

 ザンカは鞘から刃を抜き、天に向けて掲げて見せた。

 戦いの火蓋を切るのに、多くの言葉は要らない。決闘を嗜む者たちに幾度か聞かされたその言葉を、恋離は噛み締めていた。

 

 そしてザンカは、鬨の声を発するでもなく、厳然と宣言する。

 振り下ろした切っ先を、ミコトたちに向けて。

 

「いざ、究竟を示せ」

 

 数多踏み出された武人たちの一歩が、地鳴りとなって、開会に応えた。

 祭という名の戦いが、ここに幕を開けた。

 

 

 

 

 

 唸る闘志に、迫る巨躯。

 開始と同時に恋離たちを襲ったのは、付近にいた参加者の大半だった。

 

「ちょっ――」

 

 殺到したミコトたちは、別に示し合わせていたわけではないのだろう。三人の女子供に対して過剰でしかない人数が踏み切っており、この後の余計な衝突を想像して顔が強張っている。

 しかし、手頃に拾えそうな戦果に飛びついた愚か者たちが、矛を収められるはずもない。

 同士討ちは結構だったが、それでも三人で捌き切るなんて到底不可能な物量に、恋離は慌ててこの場からの離脱を選んだ。

 

「もうっ!」

 

 衣を伸ばし、輪の外で様子見をしていたミコトの脚に巻きつける。それを支柱とし、包囲網の隙間を滑るようにして突破、すれ違った者たちの脚も縛って時間稼ぎとする。

 一瞬だけ振り返れば、志水も安岐那も圧殺されずには済んだようだ。けれどそれは、襲ってきた連中が二手に分かれて誰かを追っている様子から推測したことで、あっという間に離れ離れになってしまったようだった。

 

 恋離は内心、憤慨やるかたなかった。大規模な奉納演武だと自分を納得させていたが、喧嘩祭りに名前を変えたほうがいいのではないかと、伝統へのか細い憧れが吹き飛んでいた。

 祭の形式からして、こういった混沌たる乱戦は必然だったのだ。個人の戦いである以上、本物の戦場のように戦線が生まれることもない。目が合った相手とやり合うような野蛮さは、人との戦いに慣れていない恋離にはなおさら毒だった。

 

「おーっと、こういうのをなんとかの利って言うんだよなぁ」

「……!?」

 

 ひとまず安全圏を探そうとしていた恋離に、大きな影と下卑た声が落ちる。

 咄嗟に飛び退いて相手を確認すると、巨鎚を肩にかけた大男が余裕たっぷりに恋離のことを見下していた。

 

「グエッヘッヘッヘ、どうだビビって声も出ねえってか? ガキが上がっていい舞台じゃねえぜ。ましてやこの俺様こそが、天下の怪力無双、今回の褒賞をいただく男・山岸様なん――」

 

 長々とした挑発を、彼が言い終えることはなかった。

 横合いから飛び込んでくる女ミコトが見えていたが、恋離に忠告してやる義理はなかった。

 彼女が得物としていた長身長柄の刀・長巻が、巨漢の横っ腹に叩き込まれた。

 

 

「邪魔だよ」

「がはぁっ! ……て、てめぇ!」

 

 不意打ちを食らった男は、顔を真っ赤にして鉄槌を振りかぶる。斬撃はいっそ殴打とすら呼べる勢いを持っていたが、流石の巨大で多少たたらを踏む程度で済んでいた。

 しかし、振り回した鉄槌は腕力まかせのがむしゃらな打撃で、この程度であれば恋離も十分に避けられそうだった。

 ただ、対する乱入してきた女の動きは流麗で、長巻という扱いの難しい得物を軽々操り、男が隙だらけの一打為す間に最低でも二撃は繰り出している。その様はまさしく剣舞のようで、連撃の描く軌跡が幾重にも木偶を刻んでいく。

 

「ま、待て! 待ってください! こ、降参しますから!」

「よろしい」

 

 瞬く間に桜吹雪に包まれた大男が、泣きながら土下座する決着に、観衆からどっと笑いが起きた。

 女は簡素な袴姿であり、紫苑の滲んだ長い髪を途中で絞るように結んでいるだけの、あまり飾り気のない武芸者といった出で立ちだ。年嵩はかつての恋離と重なるように思える一方、泰然と構える雰囲気はどこか年経たようでもある。

 

 理解できるのは、迂闊に目を離せない程度にはできる相手だということ。

 その直感が正しいと分かったのは、何も言わずに叩き込まれた彼女の刃を、重ねた衣で受け止めた瞬間だった。

 

「ぐっ!」

「ふぅん……」

 

 興味深そうに細められた眼差しが、硬い盾となった衣を捉えていた。

 そのまま女は、舞い踊るようなあの連撃を為してくる。打ち払っても勢いを利用して迅速なる次撃が放たれ、刀身を絡め取ろうとしても柄で打ち付けてくる。長柄ならではの威力に彼女が振り回されていないのは、巧みな足捌きは元より、支えとしている持ち手の安定性によるものだろう。

 

 衣という初対面であろう得物に対峙してなお、女の動きに淀みはない。

 彼女は決して、奇抜な動きで対応してきているわけではなかった。動きの部分部分は演武で見たことがあるようなものでしかなく、その基本を実践の領域まで高めて組み合わせた結果生まれた剣舞に他ならない。

 ある意味、この祭にまだ期待していた類の相手の猛攻に、恋離は感心している自分の存在を否めなかった。

 

 だが恋離には、舞手との演武に先約がある。

 切っ先を突き出すように飛び込んできた女が、がくん、と動きを止めた。

 

「おや」

 

 彼我の間に入った横槍は、宙を切り裂き進む扇だった。

 長巻の女は鼻先でそれを見送り、脚に溜め込んでいた勢いで後方に宙返り、彼女から見て右手側から現れた新手へと切っ先を向けた。好機とばかりに、恋離もすかさず距離を取る。

 

「もう、イヤだわ。コンナノに浮気だなんて」

「う、浮気って……」

 

 乱入してきたのはこまりだ。微笑みの影に嫌味たらしさを隠そうともしていない。

 少なからず図星を指された恋離としては苦笑いするしかなかったが、『こんなの』呼ばわりされた長巻の女はと言えば、瞳に宿していた興味が鋭利な輝きに変わっていた。多少、眉間に皺も寄っているように思える。

 女は、攻撃的な上段に構えながらほくそ笑み、

 

「芸人風情が小賢しい、ねぇッ!」

 

 強烈な踏み切りと共に身体を斜めに一回転させ、飛び込んだ女がこまりへ先制攻撃を叩きつけた。

 

「ホンっ……トッ! 無粋ねッ!」

 

 初撃はこまりが手にしていた閉じた扇で綺麗に地面へ受け流され、意趣返しのようにくるりと回り、隙を晒した女を打ち付けんとする。

 しかし、女はそれを跳ね上げた柄で防御、与えられた勢いを殺さずに手中で長巻を旋回させる。強かな回転は多少弾いたところで小揺るぎもせず、刃の嵐となってこまりを襲う。

 

 常に剣閃の流れを絶やさない女に対し、僅かに軌道を逸らすことで回避し続けるこまり。

 攻めと受け、対照的な二つの演武を前にした恋離は、纏っていた衣を確と掴んだ。

 幾条の布の槍が狙うのは、長巻の女だ。

 

「……!」

 

 扇と布槍、それぞれを同時に刀身と柄で防ぐ女。得物だけで捌き切れると思っていなかったのか、出番のなかった結晶が柄の向こうに浮かんでいた。

 そこから相手の決断は早かった。わざとらしい横薙ぎでこまりに距離を取らせると、迷いなく恋離に向かって力強く踏み切った。

 もちろん恋離も迎撃するが、槍衾になるのすら覚悟しているかのような突撃に、あれよあれよと長巻の間合いまで入られてしまう。彼女の技術や感覚もそうだが、何より己の動きを必ず完遂せんとする意思と度胸の為せる技だ。

 

「しつこいと嫌われるわヨ!」

 

 追いついたこまりも加わり、互いが互いの間合いで技を出し合う、攻防入り乱れる不可侵の舞台が生まれる。恋離も近接戦となった以上、得意な舞の動きを中心に衣を展開する立ち回りを強いられる。

 得物が響き合う最中、観客からの歓声がはっきりと自分たちに向けられているのを恋離は感じていた。三人の舞手による戦場は、まさしく三つの花が咲き乱れる円舞の舞台。汗臭い戦いよりも衆目を集めるのは道理と言える。

 

 けれど、それは三者の均衡あってこその美しさ。

 長巻の女が歯を剥いて笑みを深めた直後、倍増した手数は恋離たちを圧倒し始める。

 

「はっ、あぁっ……!」

 

 持てる結晶を総動員してなお、次々と襲いかかる長巻が幾度も恋離の身体を穿つ。長柄武器としては考えられない手の速さで、それでなお、依然として重みがまだまだ十分に残っているのだから舌を巻くしかない。その上で彼女は、同時に二人を相手にしているのだ。

 反撃の糸口を探そうにも、今の恋離では守りに衣を充てがうので精一杯。押し潰すかのような激しい攻勢に、自分の衣の所在すらあやふやになっていく。

 

「ぁがっ……!」

 

 やがてそれは、通った痛打という形で破局を迎える。守りの間隙をすり抜けた突きが恋離の左肩に突き刺さり、舞台から弾き出された。

 

「っ……」

 

 片膝をついた恋離は、一瞬、顔を上げるまで間があった。それは決して、脳裏をよぎる凄まじい剣舞に怖気づいたからではなかった。

 漠然とした直感が、後ろ髪を引いている。

 こうして一呼吸置いてしまうと、あの剣閃には純粋過ぎる強さしかなかった、と感じる自分がいた……恋離はそこに、言い知れぬ違和感を覚えていたのである。

 

 だが、一際高鳴る剣戟の音が、恋離にそれ以上の思索を許さなかった。幸い、女は恋離への追撃を選ばず、こまりへの肉薄を選んでいた。

 刹那に生まれる、選択の好機。

 花散る舞台へ、奇襲と共に舞い戻ることはできる。

 しかし、逡巡の後に恋離に眼差しはより大きな舞台、この境内全体に油断なく向けられていた。内心でこまりに詫びながら、元々共演していた者たちの姿を、小さな瞳が探していく。

 

 一人は、相変わらず箪笥を背負っていたのですぐに見つかった。しかし、観客にへこへこ頭を下げる傷一つない姿は、どう考えても戦いとは無縁。満面の笑みで銭を受け取る商売人から、恋離はすぐに視線を外した。

 そしてもう一人――志水は、戦場の中央付近で刀を振るっていた。

 だが、

 

「これは……」

 

 人垣に、志水が埋もれている。目立ったためなのかどうなのか、大勢のミコトたちに彼女は囲まれて乱戦を強いられていた。

 あの状況では、流石に思うようには立ち回れないのだろう。もどかしさが顔にありありと浮かんでおり、次々と襲い来る連中と実に鬱陶しそうにしている。開始前の威勢の良さとは裏腹に、これでは快進撃とはいかないだろう。

 

 志水の狙いは、あんな雑魚どもの相手ではなかったはずだ。それを裏付けるように、彼女の意識は自身を取り囲むミコトにはほとんど向けられていない。

 彼女がちらちらと窺う視線の先にあるもの。

 その意を解して、恋離は駆け出した。

 

「チョット加恋ちゃん!?」

 

 半ば悲鳴のようなこまりの糾弾を聞き流し、人垣めがけ衣を伸ばす。それは男ミコトを背中から貫き、驚いて振り向こうとしたところで絡め取った腕を地面に引っ張った。

 まず一人、大きく体勢を崩せはした。だが、未だ志水の周りは大盛況だ。

 そして恋離もまた、長巻の女とこまりに追われる身。出だしの遅れた二人は、器用に刃を交えながら恋離の背中を目指してくる。

 

「待っておくれよ!」

「間に合ってますからっ!」

 

 迫る彼女たちに向け、恋離は大きく広げた一枚の衣を翻した。お互いの姿が菫色の幕に覆い隠され、視界を奪う。

 無論、この程度で留められる相手だとは恋離も思っていなかった。

 案の定、鋭利な刃は衣を切り裂き、不愉快そうな顔が現れる。

 けれど、女が目にするのは恋離ではない。

 

「うおぉっ!?」

「……!」

 

 近くの男を引っ張って、恋離がいるはずだった位置にたたらを踏んだ彼を差し出していた。彼に少しぶら下がるような形で、地面を滑るように入れ替われば、後続は小柄な恋離を見失うという寸法である。

 彼は突然目の前に現れた長巻女と舞踊家に目を丸くしていたが、地力はあったのか初撃はどうにか受け止めてみせた。けれど、間断なく叩き込まれる連撃までは、流石に彼にも荷が重いだろう。

 

 彼の退路は、一人目の男がうずくまっている右にも、恋離のいる後ろにもない。

 歯噛みしながら左方へ後退る彼によって、囲みを構成していた左隣のミコトが、脅威の襲来に気づいて距離を取った。

 その瞬間、

 

「ありがと、恋ちゃん」

 

 耳元で、小さく声が響いた。囲みの中心にいたはずの志水の声だった。

 刹那の内に包囲網の僅かな穴へ達した志水の姿は、灰を被ったようにくすんでいた。あるいは彼女だけに影が落ちているかのようで、目の錯覚ではなく色彩が少し欠けていた。

 

 志水が疾駆する様は、戦場に広がる塵の渚を滑空するが如く。

 余波で波打つ影は茨のようで、肌から削れ落ちる破片は軌跡と傷みを描く。

 その疾きこと、黄昏刻にどこまでも伸びゆく影法師。

 まるでそれは、生き急ぐ桑畑志水の暗い茨道かのようだった。

 

 おそらくこれが、先の合戦で遭遇した、気配なき斬首のからくりに違いないと恋離は確信する。会食の場で例の術と呼ばれていたこの技は、委細こそ知らないものの、密集されていては満足に使えないのだろう。僅かに包囲を綻ばせた瞬間を、志水はきっちり見逃さなかった。

 そして、猛禽の影のように移動していった志水は、術を解いて目的の人物へと駆け込んだ。

 

「さあ、しぃに倒されてちょうだい!」

 

 刀を向けられた男は、足元で倒れるミコトたちから、じろりと目線だけ上げた。

 強者と名高い無雁奇涯が、針のような細長い小刀を握り直した。

 

 

 

 

 

「野暮用は終わったカシラ?」

 

 声をかけられるのを、恋離は分かっていたような気がした。

 下手に絡まれないように包囲網からさっと離脱した恋離に、扇で口元を隠したこまりが楚々とした歩みで寄ってきた。

 

「これはこれは、お待たせしてしまいました」

「お邪魔虫はいなくなったし、今度こそ、ネ」

 

 しなを作るこまりは、一回り以上歳を重ねた女が誘惑する様にすら見える。後回しにされた不服を恋慕する女に見立てているのだろう。その演技を見ただけで、彼我の空気が変わったようですらあった。

 彼女の言う通り、いつの間にか長巻の女の姿はなかった。充てがったミコトに破れるなど到底考えられなかったが、視界のどこにも見当たらない。

 

 彼女はどこに消えたのか――それを考えるだけの余裕は、恋離にはなかった。

 こまりが構えているというのに、余計なことに気を取られるわけにはいかない。

 最終的に参戦を決めたのは志水であっても、彼女の誘いを受け入れたのは恋離自身。

 こまりと舞える機会を望んで、恋離はここに立っている。

 邪魔が入ってなおさら、この二人だけの舞台に集中したいという気持ちが、恋離も少し驚くくらいに湧き上がっていた。

 

「さ、行くわヨ」

 

 こまりの足が、履いたぽっくり下駄同士を打ち合わせて、小気味よい拍子を刻む。

 そして四拍鳴らし終えた直後、こまりの前進によって舞踊とも決闘ともつかぬ戦いが幕を開ける。

 

 ひらひらと風に遊ぶ蝶のように距離を詰めてくるこまりに、挨拶代わりの蜂のような衣のひと刺しを見舞う恋離。それは逸らすまでもなく躱され、互いに手の届くような間合いに入るが、今の恋離にとってはそれでよかった。

 鋭く差し込まれる扇を、衣で絡め取るように旋回して捌き、返す刀で至近距離から衣を鞭のようにしならせる。対し、すくい上げたこまりの扇が衣を絡め取り、威力を失ったそれはただ軌跡を彩る装飾と化す。

 

 戦いにおける舞に、力は要らない。相手を制し屈させるのではなく、動きの流れを操り、いなすことで作った隙を刺す。舞手の打撃を弱々しいと誤認する者も多いが、舞の肝である緊張と脱力を通じて重みを完全に伝えることで、芯に響く鞭のような痛打を生んでいる。

 すなわち、武における舞は、流麗な動きだからこそ強かとなる。

 ゆえに、舞芸の極みへ至る者の地力は、それだけで数々の技を凌駕する。

 

「やッ!」

「……!」

 

 扇を弾いたはずなのに、恋離が攻め手を出すよりも前に次の打撃がやってくる。僅かに受け流しきれずに染みた重みに驚いて、思わず姿勢を崩しそうになる。

 現代の舞技という、いわばイカサマで先を行っている恋離だからこそ、こまりの研ぎ澄まされた動きが痛いほどに理解できる。彼女は技を知らないはずなのに、動きのどれもに技の源流を見出してならない。

 

 さらにこまりは、少しずつ動きを洗練させていっている。

 砂に水を注いだように、恋離から技を次々と吸収していっている。

 真なる芸能の境地へと一歩でも向かうという意思が、出会って間もない、互いの出自もろくに知らない相手から貪欲に学ばせているのだ。もはや、技を技として身に着けている優位なんて、あってないようなものだった。

 

 この時代に存在するこれほどの傑物が何者かなんて、恋離はとうに察している。

 だからこそ、ここで気圧されたくはなかった。

 こまりの才気も、芸能への献身も至らなさへの苦心も……尋常ではない姿勢で向き合う彼女の前では、それはただの意地でしかないと分かっていても、だ。

 

「はぁーあッ……!」

 

 一合打つたびに、技でごまかしただけの化けの皮が剥がれていく。羽衣の舞も技にはあるのに、衣に慣れていないなんて言い訳は許されない。それでも苦境を表には出すまいと、見えぬように歯を食いしばって食らいつこうとする。

 非才であっても、凡骨であっても。

 認めてくれたこまりを失望させないように。

 今回くらいは、袖から憧れるだけで諦めてしまわないように。

 

 だが、それは純粋な技量の差に喘ぐ今、雑念でしかなかった。

 旋回から鞭の如く繰り出そうとした衣が、一拍分だけ恋離の身体に追いついていない。強引に振り抜けば最後、狂った重心のままではあっという間に転ばされてしまうだろう。

 対応を考える暇もなく、腕は動き続ける。

 しかし、その瞬間だった。

 

「うおおおおおおおおっ、やりやがったァ!」

「……!」

 

 一際大きな歓声が、やや遠くから恋離の耳に飛び込んできた。潮目が変わったのだと嗅覚が訴える。

 恋離は咄嗟に、たわんだ衣を掴んだまま身を屈め、こまりの視界を刹那の間奪った。その隙に大きく一歩下がってから、大仰な動きで目眩ましの衣を巻き取っていく。

 

「ふゥン……」

 

 開けた視界の先で、こまりは逡巡していたようだが、恋離を緩やかに追うにとどめ、近しい動きで応じてみせた。

 ここで一旦の幕引き、続きはアチラへ――歓声の震源を二人で黙して示せば、恋離たちの舞に注目していた観客たちの目も引かれていく。

 

 観衆と参加者の視線を一手に集めるのは、志水だった。

 満足気に刀を掲げる彼女の足元では、外套で半ば隠された男が息も絶え絶えに横たわっている。あの歴戦の傭兵・無雁だ。

 強豪を撃破してみせた実力に、気づけば少なくなっていた生き残りの武人たちも彼女をただ眺めるばかり。

 

 けれど、彼らが様子を窺っている理由はそれだけではない。

 志水の視線はもはや無雁には向いてはおらず、大広場の正面、拝殿にて斬華一閃を杖に観戦していたザンカを射抜いていた。

 武の奉納という祭の目的からして、そこまで珍しくはないはずの志水の態度。

 だが、勝ち気な笑みは、それ以上に何かを企んでいそうに見えてならなかった。

 

「武神ザンカよ!」

 

 皆の予感に応えるように、志水が高らかに告げる。

 誰もが見守る中、彼女は自分の斬華一閃をザンカに向けて、堂々と言い放った。

 

「あなたに、ここで『挑戦』するわ!」