八葉鏡の徒桜

エピソード7−13:桜花歴の終わり

 

 さらさらと、夜風に弄ばれる花弁の声が耳をくすぐる。以前までなら津々浦々で楽しめたその音色も、もはやごく一部でうら寂しく囁かれるのみだ。ましてやこの翁玄桜のような大桜のものともなれば、望むべくもない。

 瑞泉城天守の最上階、城主のおわす間は、そんな貴重となった名桜を肩を並べたような視点で眺められる、この地で唯一の場所である。許しなく立ち入ることができない以上、その絶景を拝める者は非常に限られている。

 

 その数少ない一人であるのが、英雄となった桜降る代の天音揺波だ。とはいえ、彼女にとってここは数少ない敗北を喫した場所。英雄譚において、敵首魁との一対一の決戦に挑み、決着には至らないまでも一度膝をつかされた地として知られている。

 城主たる瑞泉驟雨は、そんな分かたれた道の先で英雄を挫いたことなどつゆ知らず、一人廻縁で高欄に身体を預けていた。

 

「…………」

 

 煌々たる桜の光の中、佇む彼の表情は伺えない。夜風になびく長髪は、世を守る重責が如何なものか物語るように荒れていた。

 その背中にかけられたのは、色の少ない少女の声。

 

「準備、できた」

 

 緩慢に振り返った瑞泉は、己を呼んだウツロの顔色を眺め、並んだヲウカと希の姿を認めてから、その場で少しだけ逡巡するように動かなかった。ややあって、そのまま最奥の座につくかと思われたものの、小上がりの手前に無言で腰を落ち着けた。

 希は彼がここに至ってなお、焼け爛れたその顔を負の感情に歪めていないことが、かえって自分がいたたまれない気持ちになって仕方がなかった。

 

 これから行われること、その主役たるウツロは相変わらず無表情に見えるが、それは違う。

 そこに恐れが滲んでいることは、少なくともこの場にいる面々には明らかだった。ましてや長く彼女と付き合ってきた瑞泉であればなおさらである。

 

「ごめんなさい……別の道もあったかもしれないのに、あたしは……」

「希さん、それは――」

「ううん、これはあたしがお願いしたこと。責めるなら、あたしを責めてもらって、構いませんから……」

 

 ヲウカの言葉を遮って、断罪を促す希。

 しかし、瑞泉は「よしてくれ」と提案を受け流した。

 

「私にも恨み言はある。だが、それを吐き出すべき相手はわきまえているさ」

 

 それに、と彼は継いだ。

 

「この地の桜を受け継ぎ、残す――この道を選んだからには、他に方法などあるまい? かの最古の三柱・カナヱ以上の妙案を君がひらめくとでも?」

「それは……」

「桜を残すには、種に還す必要がある。種に還すためには、桜の循環を逆巻かせる必要がある。それには、桜の循環そのものを司る旧きヲウカの権能が必要になる……。なるほど、実に確からしい。そしてカナヱが語る以上、真実なのだろう。……ウツロとヲウカが、元は一柱のメガミであったという歴史も、それを戻すやり方も」

 

 とうに議論され尽くした内容を、淡々と並べていく。声色にほんの僅かに含まれていた棘は、希こそこの期に及んで蒸し返すな、と暗に告げているようだった。その結論に最も苦悩し、そして人間の中で最も熟慮を重ねていたのが彼なのだから。

 理屈に押され、希は自分が耐えきれないあまりに無粋なことを口走ったと後悔した。

 

 そうやって彼女が引き下がったのを見て、瑞泉は改めてウツロへ向けて居直った。

 そして、深々と頭を下げた。

 

「すまなかった、ウツロ」

 

 畳と触れ合っていた額はすぐに戻され、謝罪というには蛋白な所作だ。けれど、それで必要十分なのだと、小さく頷いたウツロが物語っていた。

 瑞泉は続けて、

 

「おまえを呼び起こし、実ることのなかった野望に付き合わせ、最後にはこうして終わりへと誘ってしまった。結局、私がおまえに求めただけで、何も返せてやれなかったことを心苦しく思う。本当にすまなかった」

「……ん」

 

 言葉を受け止めるウツロは、こころなしか表情を緩ませているように希には見えた。

 ウツロが辿る結末は、決して瑞泉がもたらしたものではない。そしてウツロが今そうであることにも、彼女自身の責はない。どちらにも落ち度はなく、これは終わりに向かうための確認のようなものなのだと、両者は理解しているようだった。

 

 この精算を終え、二人の心に残る執着を断ち切る。

 そのための儀式を執り行えることへの喜びを、瑞泉は口にする。

 

「この場に立ち会わせていただけたこと、誠に感謝する。そして……今までありがとう、ウツロ」

 

 もう一度、深々と。今度は少しだけ、長く。

 悲しむわけでも、晴れやかになるわけでもない。自分の番を終えた瑞泉はただ静かに、寡黙なメガミを見据えていた。

 希もヲウカもまた、ウツロの反応を黙して待つ。

 彼女は、ずっと緩く掴んでいた裾から手を離して、はっきりと答えた。

 

「だいじょぶ」

 

 確と瑞泉を見返す瞳は揺るがない。

 それが決して強がりな嘘ではないと示すように、滲んでいた恐れを潜めさせて、ウツロは告げる。

 

「ずっと一人のままだったより、きっとよかった」

「お前……」

「はっきりと覚えてないけど、何もないところずっと一人。怖かった。だから、ヲウカに会うのも怖かった」

 

 隣にいたヲウカへちらりと視線を移す。

 けれど、それは自身を封印した恐ろしい者へと向ける眼差しではなかった。

 

「でも、あなたは怖くなかった。私と一緒だった」

「……!」

 

 謗られると思っていたのか、意外な評にヲウカは驚いているようだった。それからすぐに、隠しきれなかった安堵が見え隠れする。

 ウツロはさらに、希にもこくりと頷き、

 

「だから……だいじょぶ。みんなのためなら、私をあげる。めぐみなら、ヲウカなら、だいじょぶ」

 

 これがただの終わりなどではないと、それが瑞泉が自身を責めるような悲惨な結末ではないのだと、彼女には随分と言葉を尽くして、それでもどこかたどたどしく語る。

 そして最後に、ウツロはもう一度瑞泉へと顔を向け直す。

 二人の儀式を締めくくるには、あとはもう、一言だけで十分だった。

 

 

「長い間、ありがと」

「ああ」

 

 ほんの小さなえくぼを作ったウツロに、彼女のミコトだった男が口端を歪めて応じた。

 新たな始まりを受け入れるための確認は、ここに終わった。

 ならば、

 

「では、始めましょう」

 

 部屋の中央に立つヲウカとウツロ。希は部屋の入り口まで引いて、その儀式を見届ける。

 

 その身に宿る力を揃え。

 その身に宿る心を揃え。

 右手と右手を、左手を左手を、合わせて形作るは循環の円。

 陰と陽が彼女たちの中で巡り、果ては互いの存在を渦巻かせる。

 

 やがて、差し込んでいた翁玄桜の明かりよりも強く、それでいて溶け込んでいくような淡さを持つ桜色の光が、この一室を満たしていく。

 それが収まっていった一点には、影が一つだけ。

 

「あぁ……」

 

 ただ一柱だけ残ったメガミの姿に、男の感嘆が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 そして、決行の日は訪れた。

 晴れ渡った空の下、ひねくれた老人のように曲がりくねった翁玄桜の前では、ヲウカが汗を滲ませながら集中力を研ぎ澄ませていた。その隣では希が、ただ桜を見据えて結果を待っている。

 ハガネは、龍ノ宮ら指導者や天詞たちと一緒に、少し離れたところからそれを見守っていた。さらに彼女たちの後ろには、また一回り距離を取った多くの人々が、一様に固唾を呑んで成り行きを注視し続けている。

 

 今日ここに集った民衆は、覚悟のできた者たちだ。

 生き延びた旧龍ノ宮の者たちや難民を受け入れた瑞泉の者たち、それ以外の土地から生き延びてきた者たち……境遇は実に様々で、この地の縮図が出来上がったと思うほどである。

 彼らは皆、命運を受け入れ、抗えなかった終わりの節目をその目に焼き付けようと来た、覚悟ある人々であった。

 

 希たちが敗北を受け入れ、旅立ちに向けた行動を始めたとき、それを民に伝えるかどうかで最初意見が割れた。けれど、最後には龍ノ宮の熱い想いによって、余すことなく生き残った人々に伝えることとなった。

 無論、少なくない者たちから「逃げるのか」「見捨てるのか」といった反発は起きた。当然だ、この世界の人々に座して死を待てと言っているのと変わらないのだから。

 

「よかったね、こんなたくさん」

「違いねえ」

 

 隣の龍ノ宮は、どこか遠くを眺めるような面持ちを崩さずに応えた。

 民の反発を覚悟していた龍ノ宮は、真摯に頭を下げて回り、娘の選んだ道の成就を願った。そして希もまた、涙と共にその想いを語った。全員を納得させることは叶わなかったものの、結果として、瑞泉に留まっている人々のほとんどがこの場に居合わせている。

 

 自分たちの存在した証がきちんと遺されるのか、見届けるために。

 その身に彼らの想いを詰め込んだ希が、無事に旅立てるように。

 前代未聞の試みを前に、人々はただ祈る。

 

「っ……!」

 

 ヲウカの横顔から苦悶の色が見て取れる。彼女は今、この翁玄桜という大桜を通じて力の流れを感じ、その循環を手中に掴み取ろうとしている。その困難さが如何ほどのものかという問いに、山の清水から海に注いだ水までを、川べりから全て汲み上げるようなもの、とヲウカは答えていた。

 侵攻により扱うべき流れが細く緩やかになっているとはいえ、偉大なる旧きメガミが死力を尽くさなければ叶わない。それを聞かされていたからこそ、人々は彼女の孤独で静かな戦いを胸の中で応援し、ただ成功を祈るのだ。

 

 そうして息苦しくなるような時間が流れ、しばし。

 ヲウカに応えるように、翁玄桜が幹から根に至るまで光を孕み始めた。

 

「おおっ……!」

 

 抑えきれなかった民衆のどよめきにも彼女は動じない。

 やがて翁玄桜は、光の残響を虚像の如く残しながら、時を戻すかのように縮んでいった。それは、枯れていった数多の神座桜とは決して違う、溢れんばかりの生命力が凝縮されていく様であった。

 

 見上げるほどだった大桜は城に見下されるばかりとなり、人と肩を並べるほどとなり、最後には根を地中から吸い上げて、一つの形へと還っていった。

 輝かしい新緑の色をした、小さな種。

 ヲウカによって練り上げられた、次世代への希望。

 

「希、さん……」

「はい」

 

 集中力を保ち続けたまま、ヲウカがその担い手たる希へと視線を向ける。

 宙を漂う種は希の下へと向かい、彼女の手に取られることなく、その胸の中へと吸い込まれていった。

 瞬間、

 

「っ――」

 

 希の身体が、強い光に包まれる。

 この世界を受け継ぐために相応しい存在へと、昇華するために。

 新天地にて皆の想いを萌芽させる、希望の担い手となるために。

 この世界の滅びを加速させられていた、悲しきメガミたちとは違う存在の変質が、最後の大桜の前で相為される。

 

 英雄・瀧河希は、メガミ・メグミへ。

 その装いの新緑は、手の届かない未来のように、眩かった。

 

 

「必ず、届けるよ」

 

 自身の変容を認めたメグミは、胸に手を当て、ぽっかりと空いた空間を見上げて呟く。

 翁玄桜のあった場所には、桜の残響とでも呼ぶべき、光の影が残されていた。

 それは、桜という外面を失った力そのものであり、神座桜が最後に振り絞った、想いそのもののよう。

 

 最後に現れた見送りに、人々は静かに祈りを捧げる。

 どうかまた、誰かの隣で咲き誇ってくれますように、と。

 

 

 

 

「さて、最終確認といこう」

 

 気を引き締めるような古鷹の声に、メグミは顔を上げた。

 桜の還元という障害を乗り越えた一同は、メガミとなったメグミの様子に問題がないか確認した後、いよいよ旅立ちの時を迎えていた。距離を取っていた人々も、間近で見送ろうと人垣を作っている。

 メグミ、ヲウカ、ハガネ。並び立つ三柱へ、念を押すように古鷹は計画の内容を告げる。

 

「君たちには、この翁玄桜の残響を通じてメガミの世へと向かい、まずはファラ・ファルードを目指してもらう。この地の桜はほぼ全てが徒寄花に侵され、枯れ果てているが、海の向こうではまだ健在のはずだ」

 

 異国は、船に乗って海を何日もかけて行かないと辿り着けない距離にある。電光石火の勢いでこの地の桜が枯らされたのは、徒神が直接的に徒寄花を植え付けて版図を拡大したからであり、その手の及んでいないファラ・ファルードは依然安泰のはずだった。

 はず、というのは、それを証言してくれたこの世界を眺める『目』が、既に失われているからだ。

 

「カナヱは既に存在を捧げ、桜へと鏡の権能を還している。望めば、向こうの世界への経路を生み出せるだろう。そして、メグミ君とヲウカ様には、権能を用いて双方の世界のファラ・ファルードの桜を育み、扉として十分な大きさにまで広げてもらう。そして――」

「向こう側へ、渡る」

「…………」

 

 メグミが最後に言葉を引き取り、それで説明は終わりだと古鷹は頷いた。

 後に残された沈黙は、決して重責に口が重くなっているからではない。いっそ夢物語かのようなこの計画のことも、もう何度も反芻して受け止めている。

 この旅立ちの場に携えてきた決意と覚悟は、きちんとメグミたちの背中を押している。

 それでも、振り切れない想いが足を止めさせてやまないのだ。

 

 もちろん、彼女たちに未練がないわけではない。それが後ろ髪を引いているのは確かだ。

 けれどそれ以上に、彼女たちを見送る者たちにも未練があるからこそ、この地に根付いてしまった心が離れられないでいる。何度別れを告げたところで、互いに未練をなくしてここに臨むことはできなかったのである。

 

 そんなしんみりとしてしまった場の空気に、龍ノ宮がメグミの前に立った。

 そして、わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でる。

 

「わっぷ、ちょっと!」

「最後くれぇ親の面させてくれたっていいだろ」

 

 一通り撫でた彼は、不器用な手付きで自ら荒らしたメグミの髪を整えてやる。それも済むと、力強く両の手で彼女の肩を掴んだ。

 幼い頃、遥か高くに見上げていた父親の顔は、随分と近くなっていた。

 

「お前はもう一人前だ。俺の娘って肩書から、巣立つ時が来たんだよ」

「うん……」

「まだ至らねえことがあると思うかもしれねえが、どんな奴にだって至ったと思える日は来やしねえもんだ。一人前だから完璧でいなきゃいけねえ道理はねえ。何から何まで完璧な奴なんてどこにも居ねえんだ、肩肘張らずに前を向いてりゃいい」

 

 理想の現実の狭間に、今メグミたちが歩もうとしている道がある。挫かれた理想を忘れられる日はきっと来ないけれど、夢だけを語っても作物が育たないことをメグミは知っている。この地を育ててきた龍ノ宮は、なおさら。

 

「だからよ、一人前になったからって、人を頼るのは辞めるんじゃねえぞ。今までみてえに、頼れる奴らと一緒に前を向いていけ。お前はそれができるからこそ――武の達人でも、決闘の達人でもなくても――今ここにいる俺よりも、誰よりも英雄だ」

「うん……うん……!」

「だから、頼んだぜ。メグミ」

 

 突き出された彼の拳に、己の拳を合わせた。彼から、残った想いを受け取るように。

 それから龍ノ宮は、隣のハガネに目を移した。

 

「世話になったな。メグミのこと、頼んだぜ」

「うん、もちろん!」

 

 承るハガネは、微笑みながら龍ノ宮へ歩み寄る。

 彼女は龍ノ宮が腕に巻いていたサラシを一枚、するすると解くと、まるでメグミが種を受け継いだように、自らの胸の中に取り込んだ。

「前と同じように、大地のメガミ・ハガネはその役目を承るよ。でも――」

 

 

 ハガネの右腕が光に包まれる。それはやがて肌に巻き付く帯の形となり、今取り込んだばかりの包帯となって現れた。

 驚き顔の龍ノ宮に、にかり、と歯を見せて笑う。

 

「今度は一緒に見守ろう?」

「……ははっ、ありがてえ話だ」

 

 そう返した彼は、わざとらしく参ったとばかりに頭を掻きながら下がっていった。

 そして、機会を伺っていたかのように、彼と入れ替わりで姿を見せたのは天詞である。

 彼女は袖で目端を抑えながら、

 

「希ちゃん……私、いつまでも希ちゃんのことを見守っていますから……!」

「そうだね、天詞ちゃんがいてくれたらとっても心強いや」

 

 メグミは、皆の想いの結晶となった種を感じて、胸元を撫でた。その身に宿しているだけで温かくなるそれが、向こう側で芽生えていったらどんな景色になるのだろう、と不安と希望の合間から楽しみにする気持ちが湧いてくる。

 

「もし向こうでこの桜を根付かせられたら、みんなと一緒にお花見だね!」

「はいっ……! 姿かたちが変わっても、絶対に……!」

「俺様も忘れるんじゃねえぞ!」

 

 天詞のその言葉に追従するように、人々の間から声が上がる。

 それを皮切りに、堰を切ったように別れの言葉がメグミたちへと次々と降り注いだ。

 

「ボクも、稲鳴のみんなもいるから――!」

「私どもが誇る絡繰技術の叡智も忘れてはなりませんぞぉ!」

「ウツロに、希望ある世界を見せてやってくれ」

「向こうでも腹いっぱい食って飲んで、元気にしてくれりゃそれでいいさ!」

 

 折り重なり、もはや誰が何を言ったのかも定かではなくなっていた。最後の最後でここまで賑やかなのは初めてだったようで、ヲウカが目を丸くしている。

 ただ、メグミも、おそらくハガネも、この空気を知っていた。

 

 祭の主役が舞台へと押し出されたときの無法さ。

 きっと何かをやってくれると信じて疑わない熱さ。

 永遠の別れとは思えないその荒削りな熱量を背中に受けて、いつまで後ろ髪を引かれていようか。

 

「みんな……ありがとう! 行ってくる!」

 

 誰からも見えるよう、拳を高く掲げ、ヲウカとハガネと共に歩みだす。

 彼女たちを見送る祭り囃子のような別れの言葉はやがて鳴り止み、全ての未練が断ち切られた足取りは、重々しくも止まることはない。

 

 そして想いを受け継ぎし三柱は、桜の残響の中へ光となって消えていく。

 人々の目に、その背中は、いつまでも焼き付いて消えることはなかった。

 

 

 

 

 瑞泉の街、その北部の外れ。

 ここから咲ヶ原にかけて人家はほとんどなく、わざわざ通る者もいない。龍ノ宮にだって山城にだって、整備された街道が存在している。故に誰も気に留めていなかった場所は今、戦略上の要所となって久しいが、まともな築城など望むべくもない。

 

 彼方では、樹海の中から吐き出されたように、徒寄花の軍勢が迫って来ていた。

 守るべき背後には未だ翁玄桜の残した光が見える。それがいつ消えるかは分からないけれど、来るその時がこの地における神座桜の終焉を意味していることだけははっきりとしていた。

 しかし未だ時を迎えていないということは、即ち旅立ったメガミたちの奮闘が途上にある証左だと思われた。

 

 いつ、それが達せられるかは分からない。

 前例のない試みに、絶対もない。

 海の向こうへと向かい、二つの世界の桜を育み、歴史を渡る――そんな大業を前に、予測すらろくに口にする者はいなかった。歴史の継承が、成るか、成らないか、ただそれだけでしかないのだから。

 

 故に、運命を定められていたとて、残された者たちは戦い続ける。

 ひと月だろうと、季節が変わろうとも、一年を巡ろうとも、叶うその時まで。

 彼女たちの旅路を、守るために。

 自分たちの歴史を、遺すために。

 戦場に立つ彼らの先頭を往くのは、三人の雄。

 

「…………」

 

 黙々と、無慈悲なほどの陽光にじりじりと照らされながら歩いていく彼ら。

 携えるは、銃と鉄槌。

 纏うのは、扇と仮面。

 翻すのは、旗と大鎌。

 その表情に宿るのは決して絶望などではなく、諦観でもなく、むしろ初老の域に入ってなお歳を重ねながらも、どこか若々しさすら感じさせる情念であった。

 

「不思議なものだな……」

 

 その一人、左を行く瑞泉が独りごちた。両手の輝きを失った後、偉大なるメガミから直々に力を得た事実を、手中に納めたその武器にて実感するように。

 彼の呟きに、残る二人が問うように視線を向けた。

 それに応じるように、

 

「いやなに……こんな野望を抱いた日も、あったかもしれないと思ってね」

「ははっ」

 

 過去を思い返す瑞泉の様子に、隣の龍ノ宮が思わずにやりと笑った。

 

「昔のお前は危なっかしかったからな」

「貴様に言われるのは心外だ」

「そうだな」

 

 割り込むように追従したのは古鷹である。

 意図を量りかねた二人の眼差しに、彼は飄々と答えた。

 

「私も今や、かの旧き歴史に謳われた仮面の予言者だ。夢見た日はあったとも」

「……そうか、そうかそうか」

「何か可笑しいことでも言ったか?」

 

 いや、と龍ノ宮は否定して、銃を握った手で頭を押さえながら苦笑した。

 彼は肩を竦めながら言う。

 

「皮肉なもんだな。俺たち三人は、夢を叶えたって訳かい?」

 

 男はかつて、荒野を切り拓こうとし、長い時間をかけてそれを皆と実らせた。

 さらに隣人と肩を組んでの大連合、そして立派になった愛する娘。

 家を飛び出してきた三男坊には得難かっただろうものたちを、彼は手にしていた。

 そんな夢を叶えた男に、古鷹も瑞泉も同意する。

 

「ああ。かつて望んだ最期ではないだろうが」

「確かに、悪い死に様ではなさそうだ」

 

 彼らの答えに、龍ノ宮が担いでいた鉄槌を地面に下ろした。ドン、と重い衝撃音に、彼らを始め抵抗軍の歩みが止まる。

 

「はっ、なるほどな」

 

 二人の意見に納得を見せた龍ノ宮が、獰猛に笑う。

 皆に残った望みを阻もうとする、人でなしどもを一匹でも多く斃すために。

 

「最後のひと暴れだ。楽しむとしようじゃねぇか!」

 

 

 

 最前線での戦いが始まった。激しい銃声と轟音は、笛や太鼓を鳴らすよりも分かりやすい開戦の合図であった。

 天詞はその前線から少し離れた後方にて、趨勢に応じて動くために待機をしていた。簡単に陣地は作っているものの、指導者たちは最前線にいるため、申し訳程度に武具の予備が置いてあるくらいのものでしかない。目印として役に立てばまだいいほうだろう。

 

 陽光注ぐ空を見上げて佇んでいると、ふと風が揺れる気配を感じた。

 前線のほうからではない、遠く別の場所から風を切る音がする。

 

「あっ……」

 

 視界の端に、こちらへ飛来する影が映る。

 それは、四本の大きな剣を翼の如く携えて飛翔する人の形。まさしくそれは、最古の三柱が一柱・カムヰに他ならない。

 

 彼女もまた、神座桜の意を体現するかのように、徒寄花の軍勢へ向かっていく。噂に伝え聞いていた一騎当千の力が、この防衛線を死守するために今から振るわれようとしている。

 それは、祝福だった。

 人が、メガミが、桜が……誰もが、旅立ったメグミたちを祝福している証のようだった。

 

「ふふっ」

 

 その力強い飛翔を見届け、天詞は静かに微笑んだ。

 桜花歴151年の、暑い夏の日がまた一つ、過ぎて行く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 徒なす神の記憶を辿った二柱の語りは終わった。そこに残されていたのは、驚愕とそれゆえの沈黙であった。

 トコヨが、話の終わりを告げるように静かに瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 異なる歴史から来たという三柱の語りは終わった。そこに残されていたのは、驚愕とそれゆえの沈黙であった。

 メグミたちは、不安を胸に聴衆へと目を配った。

 

 

 

 

 

 一拍置き、トコヨが話を先に進めるために扇をぱちりと閉じた。

 

「問題は、あたしたちがこれからどうするか、よ」

 

 ゆっくりと一同を見渡し、これからが本題なのだと訴えるように。

 巡るその視線が、微かに見咎めるようなものとなって止まった。

 

「天詞、どうしたの。ぼーっとして」

 

 その言葉に、彼女は慌てて答えようとする。

 

「い、いえ。あまりのお話に絶句していたのと……。それと……、思い当たったことがありまして――」

 

 

 

 

 

 一拍置き、ヲウカが話を先に進めるために言葉を発する。

 

「この経緯を踏まえて、我々を受け入れていただけるかどうか、話し合いたいと考えています」

 

 ゆっくりと一同を見渡し、これこそが本題なのだと示すように。

 彼女の発議に、最初に反応したのは桜花拝宮司連合の正村である。

 

「勿論ですとも」

 

 しかし、彼は声を上げたところで、いくらか人々の視線が他所を向いていることに気づいたようだった。また当て擦ろうとしていたらしいホノカの一団だけではないその流れに、彼の眉が顰められる。

 視線の先に何があるのか、確かめる彼の動きに呼応して、皆の視線が一点に集まる。

 それは、恐る恐る挙げられた手であった。

 

「どうぞ?」

 

 怪訝な空気の中、議長としてユキヒが発言を促した。

 その催促に、衆目に晒された参加者が慌てて語ろうとする。

 

「ご、ご無礼をお許しください。え、ええっと、こちら側の歴史……ですかね? つまり、桜降る代でも……その事件が起こりつつある可能性はないでしょうか。つ、つまりですね――」

 

 

 

 

 

『お話にあったような怪物を操る、鏡のメガミが現れている……そう、聞いた覚えはございませんか?』