桜花141年。向こう側にしか存在しないその年は、桜降る代における三盟8年に相当する。
龍ノ宮希が瀧河希と名を変えてから時が流れ、早四年。人々は龍ノ宮大連合の名の下に結束を深め、この地は表向き、太平の世へと向かい続けていた。その裏側では、桜花拝宮司連合と碩星楼の静かで根深い諍いが絶えなかったものの、多くの民はそれを知る由もない。
このとき人々は、訪れた平和と発展をただ謳歌していた。
顔を洗う小さな少女・希の背後で、二番鶏が鳴いた。簡素な小屋の中から、急かすような羽音がばたばたと聞こえてくる。
「うぅー、分かってるよぉ」
軒下の瓶に溜めた雨水は中途半端な冷たさで、朝日もようやく山の稜線を染め始めたばかりである。はっきりと目を覚ますにはどちらも心もとなく、育ち盛りの彼女にとっては空腹のほうがよりよき目覚ましである。
そしてもう一つは、こんな朝から威勢のよい声。
「おっ、希ぃ! おはようさん!」
手ぬぐいを顔からどかすと、めいめいがつるはしを担いだ筋骨隆々とした男たちが、からっとした笑顔を見せていた。
希はそれに、負けず劣らずの笑顔を返しながら、
「おはよーっ! 気をつけて行ってきてねー!」
「おい、気をつけて、だってよ……」
「あぁ……嫁に蹴り出された尻が痛くてたまらねえなぁ……」
一転、何故か目元を覆い始めた彼ら鉱夫たちに疑問を抱きつつも、希はぶんぶんと手を振って彼らを山へと送り出した。
この大地における東部地域・赤東。沿岸部にまで荒野が続くこの一帯は今、盟主・龍ノ宮一志の名の下に、人々のさらなる礎とするべく開拓が続けられていた。
赤東は、龍ノ宮本人が成り上がるきっかけとして拓いた土地だと知られているが、城下周辺以外の大半は手つかずのままである。稲鳴平野よりもさらに広大で厳しい環境ではあるものの、世の情勢が安定して以来、より本格化しつつあるこの一大事業の展望は明るい。

故に、開拓団として入植した人々の空気は、決して楽とは言えない暮らしであってもかなり前向きだ。元々、龍ノ宮一志の開拓精神を受け継いで手を挙げた者たちばかりだということも相まって、つるはしや開拓鍬を振り下ろす腕はいつでも力強く荒々しい。
そんな人々が身を寄せる開拓村が、希の第二の故郷となって久しかった。
「ごっはんー、ごっはんー♪」
鼻歌混じりに屋敷へと戻り、つっかけていた草履もほっぽりだして居間へと上がる。
食いしん坊の彼女の目に止まったのは、既に炉端に用意されていた朝餉。お漬物に加えて焼いた目刺しが二尾もいるので上等なほうだった。
ただ、てんこ盛りにされた飯を見て、希の顔からすっと喜色が失せた。
「あぁ……まっ黄っ黄……。お米、終わっちゃったんだ……」
膝から崩れ落ちるようにして、粟だらけの飯の前に座す。最近飯の色からどんどん白が消えていたことから彼女は半ば覚悟はしていたが、寂しさに嘘はつけない。こうなると、久々の目刺しすらも詫びのように見えてくる。
しょんぼりとしたまま両手を合わせた希の様子に、囲炉裏の反対側から苦笑が漏れた。
「すまねえなあ。何もばあさんも、混ぜものなしにするこたぁなかろうに。芋でも混ぜてやりゃあいいんだ」
「ううん。いただきます」
燻したように焼けた肌へ皺を刻んだその男は、名を野田為吉という。過去の開拓時代でのよしみで龍ノ宮から希を預かった家の長であり、この村の顔役として開拓を取り仕切る立場にある。
顔役といっても、元々野田は奉土の一つも持たないような、地元の人々に少し知られていた程度の小さな家である。開拓村の中でも統治者という体ではないし、龍ノ宮から特段厚遇されているわけでもない。勘定が少しできるだけで苦労させられている、とは彼の言だ。
野田は既に朝餉を食べ終えたようで、顔を出し始めた陽光と囲炉裏の明かりを頼りに何枚もの文を改めていた。
そのまま彼は顔を上げることなく、
「相変わらず、米まで作るにゃ水が全然足りんでなあ。今年はもう期待しないでくれ、って前回言われちまったし、龍ノ宮本家の収穫までお預けかもしれん。そん代わりに瑞泉からもっと魚を寄越すっつっとったが、あと四月は長いよなあ」
「結構あるねー。でも、じっちゃと作った粟もおいしーからだいじょぶだよ」
「んじゃ、もっと美味しいお米をここで作れるように、じいちゃんもっと頑張んなくちゃ、なッ!」
威勢と共に腕に現した力こぶは、老齢に差し掛かっていることを感じさせない。それに希はどこで覚えたのか「よっ、男前ー!」と声を投げかける。
彼女はそうしたかと思えば、あっという間に空っぽになった茶碗に、お櫃からさらに粟の山を築いていった。摘んだ大根漬けが快音を奏で、染み出した旨味と一緒にさらにかきこんでいく。
微笑ましくそれを見ていた野田は、
「そうやって白い米を腹いっぱい食える日も、そう遠くないかもしれんなあ。用水計画も順調に進んどるみてえだし、あと何年もしないうちに、きっとここまで水を引いてくださるだろうよ」
「ほんとに!? そしたら、じっちゃの大好きなお酒も作れるね! まいにちが宴会!」
「おめえは肴目当てだろうに。この調子じゃ、でっかくなった頃には蟒蛇になってそうでこええな。じっちゃんの分も残しといておくれよ」
肩をすくめて苦笑いを漏らした彼に、希は目刺しを齧りながら首を傾げる。
「とはいえ、話がうまくいけばミコトのおめえさんも活躍するんだ。それくれぇのご褒美はあってもバチはあたるめえ」
「なにかお手伝い?」
ああ、と野田は頷いてから、箸と茶碗を持つ希の手に視線を注いだ。明け方の薄闇に、一対の桜花結晶が鈍く煌めいてる。
「なんでも、メガミ様のお力を暮らしのためにもっとお借りできるようになるんだとよ。瑞泉や煙家の連中と、海の向こうから来た学者さんたちが一生懸命頭捻って絡繰作っとるらしい」
「ふぇー……あっ、お水を引くお手伝いってことは、ハツミさまかな?」
「おぉ、よく分かったなあ。でも、ハガネ様にもお願いしとかんといかんぞ。なんせ井戸掘りでも有名だからな。そのうち、ここいらまでの桜にお社を建てるそうだから、美味しいお米が作れますように、って希もちゃんとお願いしに行くんだよ」
「うんっ! じゃあもっといっぱいご飯食べなきゃ……!」
元気な返事を皮切りに、栗鼠もかくやという様子で粟飯を口の中に詰めていく。この幼さにして宿したハツミから『よく食べよく遊び、元気な子になりなさい』と言われたこともあって、これも立派な希の仕事である。
野田は目を通し終わった書類をひとまとめにすると、湯呑の残りを一息に煽り、億劫そうに立ち上がる。
そして、台所に向かって、
「そいじゃばあさんや、出かけてくるよ。昼に客が来るだろうからよろしく頼む。――希もやんちゃせんようにな。えらーい人だかんな」
「ふぁーい」
口に物が詰まったままの気の抜けた返事に、野田はやれやれといった様子で丸めた背中を夜明けの荒野に紛れさせていった。
希は一人きりになった炉端で、最後に残った目刺しのしっぽを口の中に放り込むと、片付けも早々に自らもまた家を後にする。
手伝いのない日の希の仕事とは、それすなわち遊ぶこと。
ただの小さな瀧河の子として、希はお気に入りの遊び場へと駆け出していった。
ぽっ、ぽっ、ぽーと弾むような音色。どこかおかしく聞こえるけれど、なんだか少し楽しくなってくるような、そんな音が希の口元から響いていた。
「めぐみちゃんすごーい!」
「なんでそんな簡単に鳴らせるんだよ……」
「……あっ、葉っぱ破けちまった」
丸めた粟の葉で綺麗な笛の音を出す希の周りでは、開拓村に住まう子供たちが微笑ましい演奏会を催していた。道沿いで緩い崖のようになっている場所に腰掛ける彼女たちに、時折通り掛かる大人たちに笑顔が浮かぶ。
子供たちは齢も体つきも、ミコトがどうかもばらばらで、中にはまだ母親におんぶされ足りていないような幼子もいる。唯一、がたいの良い男の子はどこにもいなかったが、そういう少年は鍬を振るうのに忙しいのだと希は知っていた。
「えーっと、そんな乱暴に吹いちゃだめだってばー。あともっとちゃんと丸めよ?」
隣で、べん、べん、ぶぅ、と芳しくない音色を奏でる男の子に、自分の笛を一度開いて見せてやる。自分よりいくつか歳が上の子ではあるが、遊び仲間の中に別け隔てはない。
「こう。んで、こう」
「えぇ……なんでそれで鳴るんだ?」
「こっちこそ、えぇ、だよぉ。ちょっと貸してー」
彼から草笛を渡された希は、それを少しの間弄ってから、なんの問題もないとばかりに愉快な音を鳴らしてみせる。うまくできた他の子がそれに追従する中、返した草笛に男の子は首を捻りながら口をつけた。
すると、ぽこん、ぽこ、と間の抜けた、少し不器用な音が合奏に混じる。
「……! えっ、すげえ!」
「えへへー、でっしょー? それもうへたってきてるし、新しいの採ってきてまた作ってみれば? もっと簡単にきれいな音出るかも」
それを聞いた男の子は、居ても立っても居られないというように畑のほうへと駆けていった。他にも何人もぞろぞろと、渡り鳥の群れのような大移動だ。
希は残った子たちとはにかみ合うと、続けて曲にもなっていないような旋律を交わし合う。
そうしていると、
「君、ちょっといいかな」
ふとかけられたその声が、自分に向けられたものだと希は悟った。
眼下には、妙に身なりの良い男がこちらに薄く微笑みかけていた。常に活動的な開拓村の民にはない、落ち着き払った切れ者といった雰囲気を纏っており、一見してとても場違いである。まるで、どういうわけか都からこの辺境の地へ迷い込んでしまったかのようだ。
彼の背後には荷を背負った従者らしき大人が二人続いていた他、彼の陰に隠れるようにして一人の少女がこちらのことを遠慮がちに見上げていた。やや小柄ではあるが、年かさは希よりもいくらか上と見える。荒野には似合わない上等そうな着物に一枚羽織った装いが、不慣れさを示すかのように砂でところどころくすんでいた。
ひとまず希は、草笛を口から離して、
「おじさん、こんにちは!」
「こんにちは。野田為吉殿のお宅がどちらか、知っているかな?」
彼から告げられた問いに、希は少々意表を突かれた。ただ、今朝方のことを思い出してすぐに納得する。彼らが『偉い人』なのであれば、場違いさも当然のことだ。
他の子たちも当然野田のことは知っているが、来訪者の見慣れない人相に微かな警戒心が滲んでいた。
故に希は、事情を知る者として己の推測を返した。
「もしかして、じっちゃのお客さん?」
「ほう、これは話が早そうだ。――私は瑞泉驟雨という。今日は為吉殿と少しお話しをしたくてね」
「あたし、瀧河希! 野田のじっちゃと住んでるよ!」
「それは運がいい」
鷹揚に頷いて見せる瑞泉。たまたま尋ね人の知り合いに出会えたというにはやけに機嫌がよさそうだったけれど、少なくとも悪い人ではなさそうだ、と希は崖から滑り降りる。
そして彼女の視線は、もう一人の客人へと注がれる。村の子供たちも、瑞泉とは違って可憐で儚げなその少女のことは気になるようで、隠しきれない好奇の眼差しが一つ所に集められた。
瑞泉の促しもあって、少女はたおやかに腰を折る。
浮かべたその笑みは、荒涼とした地に訪れた春風のように柔らかかった。
「古鷹天詞と申します。皆々様、何卒お見知り置きくださいね」
屋敷とはいっても、単に野田邸が村で一番大きいからそう呼ばれているだけであって、無駄に広い居間の他には、傷んだ畳の敷かれた部屋がこぢんまりと二つある程度の家である。あとの敷地は備蓄用の倉庫代わりに使われていたりと、見てくれよりも随分と窮屈だ。
それでも、村人の集会場として使えるのも、こうして客人を持てなせるのも、この家ただ一軒に限られている。建材にできるほどの材木なんて、赤東においては大変貴重なのである。
「はい、ミズキ様やアキナ様、お隠れになられてしまったキリコ様……、そしてつい四年ほど前に人からメガミになられた方こそが、サイネ様なのです」
客を案内した希は、その後からこちら、屋敷の一室で天詞と歓談に勤しんでいた。大人同士が話をしている間、子供は子供で、という具合である。
最初、天詞に村のことを案内しようと考えていた希だったが、後で瑞泉と一緒に見て回るというので、こうして潰れた座布団にあぐらをかいている。大人しそうで話が合うか不安に思っていたものの、歳の差も身の上も越えて随分と話に花が咲いている。
希のいちいち大袈裟な身振り手振りに、くすくすと笑いながら天詞が言葉を返す。そのやり取りに、希は不思議と心地よさを感じていた。
今は、お互いがミコトであるという旨の話から始まって、紆余曲折の果てにとあるメガミの話題に辿り着いていた。
初めて耳にする話に、希は目を丸くしていた。
「へぇー! メガミになるのって、本当にあるんだ。それで、サイネさまってどんなメガミなの?」
「新たな武神……戦を第一とするザンカ様に対し、武芸そのものを象徴するメガミ様です。人をお辞めになる二年前までは、桜花決闘の代行者として有名だったのですが、今は決闘は全然行われていませんでしょう? だから決闘の舞台から身を引き、故郷の御冬の里にてたったひとり……こつこつと孤独な鍛錬を始められたのです」
今日一番の上調子で、天詞は語る。おしとやかに喋る様は見た目を裏切らなかったけれど、逸話に思い入れがあるのか、武勇を吟ずる楽師のように熱が籠もっている。
「誰も立ち入らない冷え冷えとした山の中、洞窟の奥で共にするのは愛用の薙刀ただ一本。そこで、寝食すら忘れて淡々と己の技を磨いたのです。そして、全てを切り捨て、己をも究極の技のために切り離したその果てに、自身こそ技の体現であるという境地に至り……いよいよ人としての器をも手放して、とうとうメガミの座に迎えられたのですよ」
「じゃあ二年間、ずっと一人で修行してたってこと? すごいなあ。坑道でも三日行ったら外で遊びたくなるもん」
「いえいえ、サイネ様は目がお見えにならないのです。光すらも切り捨てているんですよ」
何故か我がことのように得意げではあるが、別に天詞はサイネを宿しているわけではないらしかった。それ以前に、あまり身体が強くないようなので、メガミに認めてもらう以前の問題なのかもしれないと希はそっと胸にしまう。
メガミの武勇譚なんて貴重な話を聞いた希は、けれど感心しながらも、苦笑いを零す。
「でも、そのサイネさまってなんだか話しづらそうだなあ。ここの村にも、毎日木刀で素振りしてるじっちゃんがいるんだけど、ちょっと堅苦しくてさあ。それよりもっとすごい人なんでしょ?」
「当然ですよ。メガミ様に成られるほど自身を磨き上げたお方なのです、己にも他人にも厳しいと、そう伺っております。つまらない用でお話しするなんて、あぁ、なんとなんと恐れ多いのでしょう……」
袂で口元を覆う様子が可笑しいほど大げさに見えて、希は声を上げて笑う。
仕草もそうだったが、希にとってメガミとはそんな仰々しい存在ではなかったからだ。
「だってハガねぇなんて、たまにみんなと混ざって遊んでると、ほんとにただの村の子にしか見えないしー」
「ハガねぇ……?」
「えっと、ハガネだよ。知ってる? 大地のメガミなんだけど」
「存じ上げてはいますが……」
小首を傾げ、困惑した様子の天詞。言われたことを受け入れるのに時間がかかっているのか、「ハガネ様……ハガねぇ……」と口の中で反芻している。
やがてそれが自分の常識にないものだと理解したのか、好奇の色を瞳に滲ませて、天詞は訊ねてきた。
「ハガネ様とはどういうご関係なのですか? 宿されているメガミ様……にしては、その、姉呼ばわりというのは少々解せないのですが……」
「あたしがちっちゃいときから、色々面倒見てもらってるんだー。宿させてもらってはいるけど、土とか石とかのことを直接教えてもらうことのほうがずっと多いかな。この間も、鉱床に連れてってもらって、みんなの役に立つ石のこといっぱい勉強したんだ!」
「なるほど……開拓にお力を貸していただいている、ということですか?」
それに希は、首を横に振った。
「そんな感じじゃないよ。後でお手伝いするときに、教えてもらったことが役に立つことはあるけど、ハガねぇが大人のお手伝いすることもあんまりないし。危ないときに教えてくれるくらいかな、坑道が崩れちゃいそうなときとか」
「ハガネ様は、あなたのことがお好きなのですね」
「うん、あたしもハガねぇのこと好き。ハガねぇがいなきゃ知らなかったことがたっくさんあるし、何より一緒に遊んでてたのしいから! 雨降ったときに、どろんこになってみんなでばっちゃに怒られたこともあったなあ」
「なんとまあ……」
もちろん毎日のように居てくれるわけではないけれど、ハガネに会えた日はそれだけで嬉しくなる。本当には姉がいないどころか、両親とすら離れて暮らしているけれど、野田たちと同じくハガネを家族のように感じているからこそ、希が寂しさに泣くことはない。
だから彼女は、そんな家族とはかけ離れていそうなサイネに、少々苦手意識を芽生えさせてしまったのである。寝食も忘れて打ち込むような堅物の姉なんて、想像するだけでげんなりしてしまう。
一息ついた希の前で、天詞は我慢できなかったというように小さく笑った。
それに希が不思議な顔を浮かべていると、
「ごめんなさい、知っているメガミ様で想像してみたらおかしくって。メガミの皆様のこと、今までずっと近寄りがたい、お話ししづらいと思っていたので……。私も、一度ハガネ様にお会いしてみたくなってきました」
「もちろん! 天詞ちゃんならハガねぇとも仲良くなれるって!」
ふと、気になった天詞の言葉に、希は喜色を高めて問うた。
「天詞ちゃんも、メガミと知り合いなんだ。どんな人?」
「えぇ、お二方ほどおりまして。クルル様とウツロ様とおっしゃるのですが――」
と、答え始めた天詞の声を遮るように、居間に通じる戸がつっかえながらも開かれた。
どうやら大人たちの話は終わったようで、野田と瑞泉が微笑ましく希たちのことを見下ろしていた。盛り上がっていたときの声はきっと筒抜けだっただろう。
野田は白髪交じりの頭を申し訳無さそうに掻きながら、
「わりぃなあ。瑞泉殿は、ここいらを一回りしてお帰りになるそうだ。お嬢さんも一緒に行くって言ってな」
「あっ……はい。参ります」
す、と微かな衣擦れをたてて立ち上がる天詞。
彼女が脱いでいた羽織を着る間、瑞泉もまた希に楽しいひと時の終わりを謝罪する。
「すまないね。これでもおじさんは忙しい身なんだ」
「いやー、古鷹のお嬢さんも来たって言われたときゃ、えらいたまげちまって。若えのにこんなところまでおいでになって、偉いことだよ」
「お姫様は、龍ノ宮の開拓地を見てみたいとの仰せでね。将来、大家を継ぐとあらば、今のうちから見聞を広めておくのは大切だ。とても楽しみですよ」
そんな大人たちの言葉に、希はあからさまにがっくりと項垂れた。
珍しい客人であったという以上に、できたばかりの友との別れがもう訪れてしまったことが残念でならなかった。いつだって大人たちの言うことは、関係ないと思っていたはずの立場の違いが、やはり立ちふさがるものなのだと突きつけてくるようだ。
故に彼女は勢いよく立ち上がり、身なりを整え終わった天詞の手を取った。
驚く天詞に、希は告げる。
「ねえ、今度またもっとお話しよう? みんなとお外でも遊ぼう?」
その無邪気な惜別に、小さく繊細な手が、小さく硬い手を包み返した。
満面の笑みが、天詞に咲く。
「はいっ! こちらこそ、喜んで!」
交わされた微笑ましい約束に、大人たちも表情を和らげる。
可愛らしい友情が、この乾いた大地に芽生えた瞬間であった。