季節はさらに移ろい、あの大家会合から約半年。
向こう側の情景は、季節がまた終わりと始まりを迎えたというには、あまりにも様変わりしていた。
ひどく凄惨で、甚だ恐ろしく。
かの世界へと訪れていたのは、終わりなき戦いの時であった。
人が住まなくなった家というのは、あっという間に寂れてしまう。たとえ見てすぐ分かるような荒廃の痕がなかったとしても、そこにわだかまっていた生の気配が失われれば、もはやそれはただの物と変わらない。
そして、その家々がある町だった場所が、厳しい戦の舞台となるのであれば尚更だ。
瑞泉と山城の間に渡された街道、その道中にある宿場町。
放棄され、廃墟と化した町の外れにあるのは、神座桜を遠巻きに眺めることのできる茶屋であった建物だ。往時には花見をしながら商人や旅人が羽を休めたであろうその軒先では今、ミコトたちとメガミ・ハガネが、皆一様に険しい表情を浮かべながら来たるべき時を待っていた。
ひりついた空気が漂う中、誰かの声がその到来を告げる。
「来た」

彼らの視線が向けられたのは、神座桜を挟んで反対側のさらなる遠方、咲ヶ原より続く森である。
そこから続々と姿を現すモノは、風景に穴を開けたかのように見た目に異質な怪物たちだ。星空を練って焼き上げた人形のような硬質さを窺わせ、青白く刻まれた角々しい文様は誰も意味を解することはできない。
武具のようになった肢体を蠢かせ、大小様々な怪物たちが神座桜を目標に進軍していることを、ここに集う人間とメガミは嫌というほど知っていた。
その内の一人、希は敵軍を観察しながら、人々より前に踏み出す。
彼女は相手を目で捉えたまま、追従してきたハガネに対し、
「木偶の坊は、三体で打ち止めかな?」
「そいつらは先に叩いてくるよ」
「じゃ、こっちはうじゃうじゃした連中のほうで」
言葉短に相談を終え、くるりと振り返る希。
そこでは、この前線に集った強かなミコトたちが、めいめいに意思を灯して顔を並べていた。彼らは皆、これから行われるのが桜花決闘という決まりに守られた勝負ではなく、純粋な命のやり取りであることを承知の上でこの場に立っている。
すなわち、彼女たちは今まさに、本物の戦に挑もうとしている。
それも、瑞泉領という最終防衛線をすぐ後ろに感じながら。
二十名にすら満たない戦力で。
これほどの窮地にまで追い込んできた怪物たちと殺し合わねばならない現実を前に、けれど皆の前に立つ希は自信ありげな笑顔を浮かべていた。
「木偶の坊はハガねぇがやるから、山ちゃんたちで右翼のちっこい連中をお願い。ゆらちゃんたちは左翼の中くらいのやつから」
「なんだァ? そんな楽なのでいいのかよ、秒で片付けてやるぜ!」
彼女の指示に大口を叩く大男・
希はさらに残りの二班に向けて、
「あたしたちは、正面から突っ込んでくる連中をまず相手にするからね。で、五条さんたちは後ろにいて。まずい事態になったらよろしく!」
「承りましたぞ! 我々の心に受け継がれた絡繰の技にかけて、桜と皆さんを必ずやお守りいたしましょう!」
応える初老の男・
希に同調するようにして大仰に応じる二人の様子に、集った者たちの瞳に確かな意思の炎が灯し直されていく。絶望的な状況の中で少しでも士気を上げていられるように、彼らは努めて明るく振る舞うのだ。
ただ、その流れの中でも、夕羅はまだ思い詰めるように表情に険を残したままだった。
そんな彼女の様子に気づいた希は、にしし、とわざとらしく笑みを作った。
「ゆらちゃーん、そんな固くならないでって。お顔がしわしわかちかちの干し肉みたいになっちゃうよー。自然体自然体……でしょ?」
「……うん、そうだね。ボクは、あいつらをちゃんとぶっ潰してやらなきゃいけないんだから」
己がここに立つ理由を再確認し、夕羅の肩から余計な力が少し抜けていく。希は若干それに苦笑いを滲ませていたが、気を取り直したように再び正面を見据えた。
それから彼女は――彼女たちミコトは一斉に、懐から淡い桜色をした石の欠片のようなものを取り出した。
それを、天に掲げ、砕くと同時、迫りくる脅威に向けて走り出す。
桜色の霞に包まれた彼女たちの手には、敵を屠るために握られる顕現武器。共に発つハガネの手にも、その大地の力を示す象徴武器たる大槌が。
そして響く、鬨の声――
「みんな、行くぞぉぉぉぉッ!」
『応!!!』
開戦の狼煙をくぐり抜けた彼女たちは大地を蹴る力を強め、接敵を目指して戦場を駆ける。守るべき神座桜を瞬く間に背にし、ひたすら己たちを鼓舞するように叫びながら、迎撃に打って出た。
希は一番槍として、正面突破を試みてくる怪物に手をかざして狙いを定める。図体は偉丈夫のように大きいものの、これでもまだ小ぶりなほうで、腕をすらりとした刃に変えた、よく見る姿をしていた。
突出していたその怪物へ、希は虚空から煮えたぎった激しい水流を放つ。敵はそれを胴らしき箇所にまともに喰らい、思ったよりも大きな衝撃に体勢を崩しそうになってたたらを踏む。
その間に、既に希は敵めがけて飛び込んでいた。
両の手で確と握るは、山を砕く鉄槌。
踏み込んだ前足を軸に旋回を成し、前進の勢いと合わせた遠心力が得物に吹き込まれる。
「い――ぃよッ、とぉ!」
鉄槌に激しく打ち付けられた怪物の下半身が、粉々に砕け散る。血潮の代わりに浴びるのは奇妙な黄緑色の輝き。打面の反対側に据えられた鐘が、戦果を叫ぶように鳴り響いた。
希はそれに満足することなく、鋭く次の標的を見据える。淡々と迫ってくる怪物たちに、味方の被害による動揺は一切なく、ミコトたちは流れ作業のように延々と死闘を強いられる。
「亮くん、追撃よろしく!」
「あいよ!」
傍らに並び立った年若き少年のミコトに指示を出しつつ、次の獲物に集中するために、離れた敵たちの前に爆発する水球の罠を浮かべていく。
それから彼女は、二体の怪物が真っ直ぐ進撃してくるのを改めて確認し、軽く跳躍する。そして前へと振り下ろさんとしていた鉄槌を倍の大きさまで膨らませ、大質量で以て大地を大きく揺らした。
ただ、敵の足元に伝わるのはその衝撃だけではない。叩き込まれた大地の力と合わせて、彼らの踏み入れようとしていた地面が脆く崩れ落ちる。
相手の怪物は四肢が鋭い槍のような形になっており、不安定になった足場にその細い足を取られて倒れそうになる。手でどうにか踏ん張っている間に、追撃を託された少年が、鋭利な刃先を持った薙刀で、弱い関節を次々と穿っていった。
「次は――」
希に続いた班員の奮戦を感じつつ、一呼吸の合間に戦況を整理しようとする。
だが、そんな彼女の耳に、腹の底から響いてくるような雄叫びが届いた。
「おぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……!?」
ちら、と右翼を見やれば、怪物たちと文字通り組み合う大男の姿が一つ。山岸だ。
彼は顕現させた鉄拳と持ち前の腕力で、素早く動く厄介な小型の怪物を強引に抑え込んでいた。常でも米俵を何俵も担ぎ上げるその怪力は、生き物かどうかも分からない怪物相手であっても存分に作用する。
しかし、山岸の策は大いなる代償を伴っていた。組み合った二体の怪物は、それぞれ手足を鋭利な刃としているのだ。
隆起した太ももに敵の手の刃が食い込み、脇腹は既にかなりの深さを抉られている。結晶の護りを示す淡い光は早くも陰りを見せ始めており、もう腹の中が傷ついていてもおかしくはない状態だ。
そんな無茶が過ぎる山岸へ、三体目の敵が迫っていた。
誰も対応にあたっていない相手のその凶刃が、彼の首を落とそうと振り下ろされる。
けれど、
「させん!」
致命の一撃は、山岸の周囲に現れた桜の光で編まれた城壁によって阻まれる。
その護りを成した主である五条は、身につけた絡繰兵装を慌ただしく操作し、さらに他方を支援すべく別の戦域に目を向ける。
「はな、れろッ!」
護りによって生まれた猶予に、分断されていた山岸の仲間たちが駆けつける。一撃を弾かれた怪物が瞬く間に取り囲まれて崩れ落ち、山岸が最後まで離さなかった二体は容易く打ち砕かれていった。
「無理しすぎだ、山岸さん!」
「こ、これくれぇ……朝飯前……」
ようやく刃から解放された山岸から、はっきりと血が流れていた。量からして、放っておけば死にかねない傷である。
彼は鉄拳を桜へと還し、代わりにハガネの鉄槌を手にした。それを支えとするように地面に突き立てると、身体に染み渡っていくような優しい鐘の音が響き渡った。大地が抱く癒やしの権能が、流れ出る血を押し留めていく。
どうにか一命をとりとめた山岸は、そのまま戦場に大の字になって倒れ伏す。
「五条さん、負傷1だ!」
「ええい、早々に無茶をするな! おい、あのデカブツを回収だ!」
支援を担うミコトが走り回る様を、この地に生きる誰もが想像し得なかっただろう。痛みはあっても重い傷を残すことのなかった彼らは、窮地に置かれているからこそ、否が応でも『その先』を見据えて動かなければならない。
この戦場に、桜花結晶が尽きたら決着という決まりはない。
だからこそ、決闘が廃れていてもなお決闘での戦い方を忘れられないミコトたちは、大きな戦力でありながら、慣れない多対多の状況でさらに弱点を背負って戦わざるを得ないのである。
そしてそれは、攻勢を尊ぶ者にはなお枷となる。
戦場の左翼、大柄な怪物を素早い身のこなしで翻弄するのは、三叉の爪を手に備えた夕羅である。
「どうした、来ないのか!?」
怪物は体躯に似つかわしい鈍重さで、手先に行くほど太くなった鈍器のような腕を、いつ振り下ろしていいか困惑しているようだった。周囲にできた破壊の痕は、一撃でももらえば死が過る威力を物語っている。
獣の如く好機を窺っていた彼女であったが、合流したミコト二人が猛加速と共に、わざとらしく敵の足元に飛び込んでいった。
「今ッ!」
同郷たる彼らの意図を汲み取り、夕羅は瞬時に前へ踏み出す。囮となった二人は敵の直前で急激に左右を入れ替えた。
怪物は彼らを薙ぎ払おうとしていたようだったが、腕を動かし始めたところで狙いがずれ、無理やり軌道を変えたことで僅かに体勢が崩れる。その隙を、彼女は見逃さなかった。
「おぉッ!」
夕羅は身体のバネを活かして距離を一瞬のうちに無とし、怪物の体重が歪に乗った脚に連撃を叩き込む。無数の斬撃を刻み込まれたその脚は荷重に耐えきれず、その巨体を大地に横たえた。
得られた成果に、夕羅の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。
しかし、それは小さいようでいて、この戦場では致命に足る油断であった。
巨体の足元をくぐり抜けた夕羅の視界に映ったもの。
それは、隙を生むべく飛び込んでいった二人へ、別の怪物が巨刃を振るっていた姿であった。
「……!」
彼らは後詰のために急制動をかけていたのか、刃の行く手から身を動かせないでいる。少なくとも夕羅が即座に動いていれば、斬撃をそらすなり二人を軌道上からどかすなりなんなりできたはずだった。
慌てて再度踏み切る彼女の前で、巨刃を受け止めるような光の城壁が現れる。けれど、刃の質量に押されたのか、その護りは瞬き一つ程度の時間を稼いだだけで砕け散った。
その猶予によって、刃から遠い位置にいたミコトは辛うじて地面に倒れ込み、刃の下に潜り込むようにして回避を成した。
けれど、残る一方は、
「が、ぁ――」
盛大に桜飛沫を吹き散らすだけでは足らず、余剰の衝撃で宙に打ち上げられる。
そして怪物は、別の腕の鋭利な先端を彼女に向け――
「っ……!」
目の前で百舌鳥の早贄と化した同胞の血が一滴、夕羅の頬に張り付いた。
歯を食いしばって援護に走る彼女だが、先行したもう一人のミコトもまた、無理な回避によって体勢を立て直すのに時間を要している。怪物の間合いから逃れるのは到底不可能な上、さらに次なる敵もまた迫っていることを考えると、夕羅の命も危うくなる。
決断を迫られる中、彼女の脚はそれでも動き続ける。
顔のない怪物たちの意識が夕羅に集まり、浴びた害意に息を呑む。
思わず、立ち上がりかけていた仲間に手を伸ばした夕羅へ、怪物の凶器が構えられた。
しかし、彼女が次に目にしたものは、迫りくる切っ先などではなかった。
「え……」
攻撃動作に入ろうとしていた怪物たちの周囲で、何色ともつかない、奇妙な光が瞬いた。決して強くはないけれど、目にしたことで視界が一瞬ぼやけるような、そんな輝きである。
怪物たちに目らしい器官は見当たらないけれど、それでもその光を間近に受けて、構えようとしていた腕の動きが途端に鈍る。
その腕の根本を、青い軌跡が断ち切った。
戦場の外側から飛来したそれは、扇。
軌跡を手繰った先にいたのは、夕羅の知らない、古めかしい石版のような仮面を眼前に漂わせた一人の男であった。
「まだだ!」
「……!」
張り上げていないのに不思議と届く彼の声にはっと視線を戻すと、再び投じられた扇が迫っていたもう一方の怪物の斬撃を弾いていた。
咄嗟に反撃を狙おうと脚に力を込めた夕羅だが、怪物が大きな影に覆われたのを見てやめた。巨大な鉄槌が、ばきり、と硬質な音を立てて怪物を叩き潰していた。
中央から駆けつけた希は、唇を噛みながら戦況を一瞥した後、突如現れた仮面の男へ目を向ける。激しい旅程をこなしてきたかのように身なりはぼろぼろで、装いにはところどころ戦を思わせる切り傷がつけられていた。
一瞬驚きを顔に出した彼女だったが、言葉を選ぶ時間すら惜しいというように告げた。
「話は後、今は手伝って」
「無論だ」
仮面の陰に隠れた頬が微かに緩む。
そこに、遊撃的に大物の撃破を成していたハガネが、大跳躍の末に落ちてくる。
「めぐめぐ、こっちは終わったよ。こっちが押してそうだけど、まだまだ残ってるね」
「そっか……でも、こっちも力強い味方が来たもんね」
落ちてしまいそうになる口角を手で持ち上げて、表面上でも明るい表情を取り繕う。もう動かない仲間に寄り添う夕羅たちから目をそらすのではなく、それを受けたからこそ、覚悟と共に希は戦場を見渡す。
この戦線にはもう、桜に召し上げられたかの軍師の姿だってない。
果てしない戦の最前線に立つ者として、希は号令を響かせる。
「みんな、援軍が来たよ! 桜花の底力を見せてやろう!」
呼応した軍勢の気迫が、血に濡れる戦場に轟いた。