八葉鏡の徒桜

エピソード7−7:桜花150年の桜花拝

 

 桜花150年。桜降る代では翌年に第一回天音杯を控えた、三盟17年のことである。

 決闘が行き着くところまで廃れてしまった向こう側の世界では、そんな一大催事など影も形もない。その代わりに人々は、日々の暮らしを高める時代の始まりに奮起していた。

 それとは裏腹に、桜花拝宮司連合と碩星楼の静かな闘争は、始まりから優に十五年以上経った今でも続いており、大家でも安易に紐解けない確執は無視しきれない停滞をこの地に生み始めていた。

 

 それでも、人々は眩い夏の空のような明るい未来に向かって、ゆっくりと歩んでいた。

 そう……ゆっくりと、輝ける明日を見据えて。

 

 

 

 

 

 歴史ある街、と言えば多くの者は西の都・古鷹の名を挙げるが、ちょうど天音を挟んで反対側に位置する蟹河にも多く時間が積み重なっている。

 東部の食糧庫とも呼ばれるこの蟹河は、優れた用水技術を用いた農耕と海の幸によって、古くからこの地の食を支えてきた。必然、商流の要でもあり、北から戻ってきた多くの商人が、南に下る前に鮮魚との別れを惜しむことから海鮮丼が名物となっている。

 

 

 こうして発展を遂げた蟹河ではあるが、近年に至るまでその勢いが続いているとは言い難い。それを象徴するように、街に居並ぶ家々には古めかしいものが多く、それを伝統的と称える者もいれば、時代遅れと冷笑する者もいるだろう。

 さらに、龍ノ宮大連合の発足と南部の発展に伴い、その見方は加速している。歴史的に、かつて龍ノ宮一志を僻地だった荒野へと追い出すような形となってしまったことも、この地方が過去に置き去りにされている一因となっている。

 

 そんな暗い栄華を誇り続ける蟹河の街に寄り添う、一つの湖がある。この街の歴史の一翼を担う、御劔湖だ。

 中央の孤島では、かつての伝承に謳われる乙女がその姿を変えたとされる、七大名桜が一本・桐子桜が、その剣舞が如き美しい姿を湖面に映している。時折、本当にその乙女が舞っていると見紛う者が現れるほどで、謂れの深い観光名所となっている。

 

 そしてその湖の畔に広がる大屋敷こそが、長きに亘って桜と決闘に付随する権威を守ってきた、桜花拝宮司連合――その本部である桜花大社だ。

 同じく蟹河にある大書庫と合わせ、旧き桜花拝の歴史と権威を象徴するその大社が、この街に積もった時間を現代にまで繋げている。過去に起こった事件の影響から、街の人々の信仰はヲウカに集中する形で偏っており、それが桜花拝の権威をさらに高めていた。

 

「…………」

 

 その大社の最奥、御簾で外界と仕切られたさらにその中で、一人の黒髪の少女が座していた。

 少女が心ここにあらずといった様子で向き合うのは、無駄に豪勢でありながらここに運ばれるまでに冷え切った料理たち。権威を誇示するかのように誂えられた室内で他に食事を共にする者はおらず、御簾の外で黙して侍る侍女たちは置物のように動かない。

 

 彼女はヲウカ――否、ヲウカの名を受け継いだメガミの少女である。その名が持つ歴史を担ったことを示すように、白と桜色を基調とした装いを纏い、古き文様の刻まれた大きな腕輪を身に着けている。

 あの冷たい石の揺り籠で目覚めた日から十七年。こうして大仰にも思える扱いをされている今があるのは、恐ろしい外へ歩き出すことを選んだからだ。

 

 当時、見知らぬ洞窟の中で身体を手に入れたヲウカは、森や山を延々と彷徨った末、天音という町へ辿り着いた。ここ蟹河の西にある、寂れた地方である。

 町では、人の気配がしなかったり作りかけで放置されている家が散見され、決して良い雰囲気とは言えなかった。過去の発展から急速な衰退を迎え、耐えきれず疲弊した証だろう。そんな中でヲウカの名から聞き出せたのは、蟹河の桜花大社という目的地であった。

 

『あの……私が何者か、こちらの方に確かめていただきたく参りました』

 

 辿り着いた桜花大社の門前で、中に入っていく宮司にそう訊ねたときの相手の困惑した顔を、ヲウカは今でも覚えている。宮司が少女のことを人に非ざる者であるとすぐに察してくれなければ、不審者としてつまみ出されていたかもしれない。

 それでも最初、丁重なもてなしの裏で宮司たちは胡乱なものを見る目つきをしていた。しかし、経緯を語るほどに態度は様変わりし、最後には平伏せんがばかりの勢いとなった。

 

 それからあれよあれよと言う間に、桜花拝の中でも権威ある者たちと顔を合わせることとなり、しばらくの後に少女がヲウカの生まれ変わりであると判断されることとなる。滞在している間も大社ではその話題で持ち切りで、結論が出る前からすれ違うたびに頭を深々と下げられる始末であった。

 そんな調子でヲウカを崇める桜花拝とそこでさようならというわけにはいかず、彼らは少女にヲウカとしての導きを求め、この地におわして欲しいと懇願してきた。その頃はまだ何も知らず、頼る先もなかった彼女に断れる道理はなく、以来ずっとこの桜花大社の最奥に腰を落ち着けている。

 

 ただ、それが長きに亘る人の組織同士の泥沼の政争の引き金になるとは、当時のヲウカが想像できたはずもない。

 彼女の証言を聞いた桜花拝の面々は、ヲウカに再び導いてもらえる喜びと共に、激しい憤りを宿していた。生まれ変わりは剣呑な闘争の果てに起きたことであり、身体も持たないときに訪ねてきた者たちこそ、ヲウカを害した敵なのであった。

 

『碩星楼――それが、不遜にも御身に仇為した者たちの名でございます』

 

 シンラという弁論のメガミを戴くその組織の名を、彼らは苦々しく口にしていた。それもそうだろう、近年ヲウカによる導きがなかったのは、碩星楼による謀略があったからなのだから。誅殺と謗るに足るその行為が、許されるものであるはずもない。

かくして碩星楼との聖戦――あるいは政戦が幕を開けることになる。

 

 方や権威と影響力に勝る桜花拝、方や政治的戦略に勝る碩星楼。桜花決闘とは対極に位置するような戦いは、今ではもはや手の打ちどころも見失っている有様だ。

 その中でヲウカに求められていたのは、偉大なるヲウカとして在ること。

 この地における様々な歴史を学ぶために、桜花拝の大書庫のみならず、隠匿された文献まで読み漁った。先代のヲウカが何を考え、何を為し、どうあろうとしてきたのか――真っ白だった自分に桜色を塗りたくるように、求められるがままに学び続けてきた。

 

 そうして彼女は、聖戦の旗印として桜花拝に戴かれ、現在に至る。

 彼女が求められる限り、『あのヲウカ』が帰還したかのように少女は振る舞い続ける。

 斯様な争いもあり、飛び出してきた外はやはり恐ろしかった。

 それでも、あの孤独な日々に戻りたいとは、思えなかった。

 

 

 

 

 

「はぁ……。もう満足しました」

 

 かちり、と箸を置く。短く承諾を告げた侍女たちが、恭しく頭を垂れてから御簾を上げ、半分も残った膳を下げていく。

 過去を省みたところで、特に楽しくなるような思い出などなかった。ただ、石の中で一人過ごしてきた時間に比べれば色鮮やかであることには変わりなく、ふとした拍子に過去に思いを馳せてしまう。

 

 部屋から出ていこうとする侍女をぼうっと目で追っていると、まるで食事の終わりを見計らったかのように、閉じた襖の向こうから声がかかった。

 

「失礼いたします、ヲウカ様」

 

 ヲウカは侍女たちが対処を問うてくる前に、こくりと頷いた。彼女たちは座礼する声の主の脇を抜けて去っていく。

 その老体の男は入れ替わるように部屋へと足を踏み入れ、そのまま襖を閉めた。下りた御簾を隔てて相対する彼を、小上がりになった位置からヲウカは僅かに見下ろす形となる。

 

 彼は正村正吾。桜花拝の中でも最高の権威を持つ者の一人である。ヲウカが十七年前にここを訪れたときから既に有力者として数えられていたが、現体制となってからは彼の一派が最大勢力となって久しい。

 ヲウカは、彼から対談の申し入れがあったことを思い出し、

 

「大家会合の件でしたか」

「はい。ひと月後の開会に備え、ここでヲウカ様のご意向を賜りたく……しかし、時を改めたほうがよろしいでしょうか? ご気分が優れないご様子ですが」

「構いません。美味な料理よりも、懐かしき昔日に心奪われていただけですので」

 

 何度言っても大仰な毒味をやめてくれないのもこの正村のせいだった。嫌味など言い飽きているし、彼も曖昧に笑うだけでまともに取り合わない。

 

「承知しました。では、議題と目される諸問題に関して整理させていただき、深大なるお考えをお聞かせ願えればと存じます」

「いいでしょう」

 

 畳に額をつける正村。

 桜花拝に戴かれた当初はもっと様々な人間から意見を求められていたが、近年は彼を通せばあらかた解決するので楽になっていた。聡明で影響力があり、よく動く信徒の存在は、大所帯を導くのに大変重宝する。

 面を上げた彼は、それから少し思案して、

 

「それでは、軽微な問題から参りましょう。まず、龍ノ宮大連合より新たな社の創建を請願されている件についてです。こちらは引き続き、拒む理由はありませんので、許しを出そうかと存じます」

「私も同感です。しかし、最近多いですね」

「赤東の開拓がそれほど進んでいるという証左でしょう。しかし、懸念されます通り、無闇矢鱈に建てられてはメガミ様への信仰にもいずれ傷がつきましょう。今後は我々が創建に際しより精査し、規則と伝統に基づいて勧請いただくことが肝要かと」

 

 先代ヲウカが自身の権威を重んじていたのは、残された資料からも読み解ける。他のメガミについてはそれほどでもなかったようだが、農作業に利用するための社なのだ、越えてはならない一線は意識しなければならない。

 当の連合側にしてみれば、立て付けのために七面倒臭い手順を踏まされることになるだろうが、権威を守るためにはこれも必要なことである。

 

「次に、碩星楼の動向についてですが、こちらは依然情勢に変化はありません」

 

 ですが、と正村は継いだ。

 

「彼奴めらは龍ノ宮大連合や西部三都へ対話を求めるべく、働きかけているとの情報がございます。大家会合に先んじて、布石を打つつもりなのでしょう」

「まあ。龍ノ宮はともかく、西が与されては困りますね」

「左様でございます。これは間違いなく、我らの権威を削ぎ落とそうとする行為であります故、強い警戒をもって、これを阻止する所存であります」

 

 この報告は、最近では一番変化のあるものだった。冷戦と呼ぶに相応しいこの闘争は、互いの忍耐を試すかのようにじりじりと一進一退を繰り返している。今回の動きも桜花拝の対応によって頓挫し、また睨み合いが始まるに違いなかった。

 ただ、そうしていつも通り任せておけばよい、と思っていたところ、正村は気になることを進言してきた。

 

「気になるのは、碩星楼が接触を図ったうちの一つ――古鷹の当主が、奇妙な動向を見せていることです」

「既に呼びかけに応じていると?」

「その線が考えられます。当初は奴の本分たる芸能活動が活発になったのかと考えられておりましたが、むしろ稽古に顔を出す機会も減っているようで、度々都を離れているようです」

 

 口元に手を当て、僅かに黙考する。

 同じ伝統を重んじる者として、古鷹はよき理解者だと捉えていた。それがこの時節に動いたとなると、決して無視できない変化が訪れる可能性がある。龍ノ宮一強となった今でも、古鷹という大家は強い影響力を持ち続けている。

 

「さらなる調査が必要なようですが……古鷹となると、忍の存在が厄介でしょうか」

「はい。諜報の分野で彼らに敵う者はおりませんで、なかなか踏み込んだ調査までこぎつけられておりません。しかし、碩星楼に明確に与したとなれば、厳正なる対応は必定。必ずや動向を掴んでまいりますので、続報をお待ちいただければと存じます」

 

 赦しを与えるように、ええ、と小さく応じる。

 ここまでで一息を入れるように、下げさせなかった湯呑に口をつける。当然のように冷めきっていた緑茶に、ぬくもりが恋しくなる。

 正村はそんなヲウカの所作を御簾越しに窺ってから、次の話題へと移った。

 

「続いて、先日お耳に入れさせていただきました、千洲波からの侵略に関しての詳報が届きましたので、ご意見賜りたく」

「メガミが対応に打って出たという、例の騒乱でしたか」

 

 はい、と正村は認めてから、

 

「出陣なさったのは、ライラ様、ミズキ様、及びコダマ様の三柱で、いずれのお方も顕現体が損じるほどの大事には至っておられないようです。相手陣営にはメガミ様がいらっしゃらなかったようですので、当然ではありますが」

「人死は出たのですか?」

「双方、傷の深い者こそ多いようでしたが、死者はほとんどおりません。以来、千洲波の民は稲鳴の海岸近辺に臨時の拠点を構えておりますが、接触を図っても目的は杳として知れず、近隣の大家との協力の下、動向を見守っているところでございます」

 

 泥沼の政争を長年繰り広げる余地がある程度には、この地は表面上は平和そのものだ。戦なんてしばらく忘れていた人々にとって、この不気味な侵略者の存在は頭の痛い問題だった。

 ヲウカとしても、桜花決闘でない戦いは歴史のものとしてしか知らない。万が一にもありえないとは思うが、戦の御旗にさせられたときのことを考えると、決して小さくない不安が湧き上がる。

 

 とはいえ、今の正村の言葉を聞いて、ヲウカはその不安を少し解消していた。メガミ同士の争いに発展してしまうと、かのヲウカとの差に気づかれてしまうかもしれないが、相手が人だけであれば人が解決してくれる。自分は彼らを導いてやればいいだけなのだ。

 

「それ以上侵攻しないようなら、そのまま見守り続けるだけでよいのではないでしょうか。悪戯に刺激するよりも、まずは対話を成したいですね」

「会合でも、その旨提案させていただきたく存じます。本来はここで、忍による古鷹の調査力に期待したいところではあったのですが……」

「先の動向、ですね。同じこの地に根ざす者として、聡明な判断に期待したいところです」

 

 碩星楼が全面的に非を認めていれば、穏便に各地に協力を求められるというのに、たまの有事になるとこうも話が複雑になる。けれど、いかに政争が不毛だと感じることがあったとて、相手の手の者に名を呼ばれたときに覚えた恐怖が、打ち勝って安寧を得よと叫んでくるのだ。

 

 だから、ヲウカは空っぽだった自分を恨みで動かしているわけではない。

 人に、そして未だ残る恐れに求められ、民を導くヲウカであり続ける。

 その先に、洞窟の天窓から見た、眩い世界がきっと待っているかもしれないから。

 

「それでは、次に東部発展に伴う銭金商会の動静ですが――」

 

 続く会談の中、ヲウカは主神として裁可を下していった。

 

 

 

 

 

「これは目下最大級の懸案事項でございますが、瑞泉より内密にウツロ様との対話が進言されてきました」

 

 碩星楼との政争が始まってからというもの、大家会合は会期中よりその前のほうが忙しくなったという。事前に根回しする案件の量がさらに膨れたということだが、正村は多くの宮司の上に立つ者として、その全てを把握している傑物であった。

 人の尺度であれば随分長い付き合いになった今でも、ヲウカは目の前の老人の器量に感心する他ない。先代ヲウカはさらに聡明で機知に富んでいたというのだから、努力の必要性を感じ入ってしまう。

 

「あまりに危険な提言に耳を疑いましたが、当主たる瑞泉驟雨は碩星楼との繋がりも確認されております。復讐にかこつけた罠、という可能性は決して無視できないものかと」

 

 正村の口から出たウツロというメガミを、ヲウカは文献の中で知っている。かつて敵対した、己と対になる権能を持つ存在であり、先代が長きに亘って封印していた。近年その封印から解放されたらしいのだが、狭く冷たい場所に押し込められていた身からすると、どう考えてもヲウカにいい感情を抱いているわけがない。

 

「そうですね……単に仲を取り持つためだなんて、そんな能天気な理由だったら一笑に付すしかありませんが」

「明らかに裏があると見ております。会合にて手薄になった折、さらに調査を――」

 

 正村が今後についてまとめようとしたときだった。

 彼の言葉を遮るように、襖がスパン! と開け放たれた。

 

「……!?」

「こ、こちらにおられましたか……!」

 

 許可なくいきなり立ち入ってきたのは、たまに顔を見るだけで名前も覚えていない一介の宮司であった。

 彼は蒼白になった顔面に汗を垂らし、息を切らして倒れ込むように膝をついた。部屋までの道を守っていた守衛も、困惑した顔で遠巻きに様子を窺っている。

 対し、泰然と構えながらも眉をひそめる正村は、

 

「ヲウカ様の御前であるぞ。弁えよ」

「申し訳ございません……! しかし、それどころではないのです!」

「……なんだ」

 

 さらなる苦言を呑み込んだ正村が、不承不承といった様子で先を促す。

 そして、飛び込んできた宮司は、戦慄く口に言うことを聞かせながら、こう告げた。

 

「み、三日前、千洲波より未知のメガミが飛来し、碩星楼が保有していると目されていた鞍橋郊外の館へ強襲。当地に潜伏していたシンラ様が……討たれました!」

 

 最後の言葉を声にするのが恐ろしい、そういった声色だった。

 突然告げられた内容をヲウカはうまく呑み込めず、思わず正村へと視線を向けてしまった。

 その彼は、怪訝な顔つきになって宮司に訊ねる。

 

「討たれただと? シンラ様も顕現なさっているとは思っていたが……顕現体が破壊されたのであれば、当分碩星楼の動きも――」

「違うのです、そうではありません!」

「……?」

 

 意図がいよいよ分からなくなったのか、正村も素直に次の言葉を待った。

 ……だが、その意味を告げられたヲウカは、彼と共に絶句することになる。

 いかに敵の首魁とて、それだけはすぐさま真っ直ぐに受け止められるわけもない、事実。

 

「シンラ様は、薨去なさいました……。文字通りに『討たれ』、メガミとして消失なされたのです……!」

 

 ヲウカの背筋を、知らないはずの恐れが、つぅ、と撫でていった。