同年、およそ一ヶ月後。
有力者たちはこの世の舵取りを話し合うべく、大家会合の開かれる龍ノ宮へ出向いていた。いまや栄華の中心として名高い彼の地に集う人々は、水面下での憂いこそあれど、本来であれば豊かな未来のための議論や交渉を目的としていたはずだった。
しかし、皆の頭を占めていたのは、事前にもたらされた耳を疑うような凶報だった。

衣擦れの音が、小さな歩調に合わせて奏でられる。彼女の行く広い廊下の左右には、雄々しく雄大な山々を描いた襖が立ち並び、欄間には勇ましき龍の姿が一つ一つ精緻に彫られている。華美と言うにはあまりに力強い装飾の数々に、思わず城主の姿を思い浮かべてしまう。
龍ノ宮城。数年前の大改築を経て、今やこの地一番となった堂々たる居城である。天をも掴むようなこの城の威容に、人々は龍ノ宮大連合の拡大と赤東の華々しい開拓の成果を否応なしに見て取ってしまう。
ただ、今の城内には重苦しい静けさが漂っており、未来を切り拓いた者たちの勢いを肌身で感じることはできない。それは、今歩いているここが会場のある離れだからなのか、あるいは城全体がそうなのか、判断はつかない。
いかに大家会合前に人払いをしていたとて、これほど息が詰まることもないだろう。案内してくれている使用人も、議題を何も知らされていないであろうにもかかわらず、緊張の色を隠せずにいる様子だ。
「こちらです」
す、と微かな音を立て、会場となる大広間が視界に広がる。その瞬間、押し込められていた重圧が身体に叩きつけるように溢れ出した。
威風たるこの城の中でもいっとう広い、家すらも呑み込んでしまいそうなその部屋の向こうには、はらはらと龍ノ宮の神座桜が庭で花弁を散らしている。しかしその景色を塗り潰すほどの圧を、既に居並んでいたこの地の重鎮たちが生み出していた。
龍ノ宮大連合の英傑、龍ノ宮一志。
大連合と同盟を結びつつ、確固たる己の歩みを感じさせる瑞泉家の当主、瑞泉驟雨。
この地で最も権威ある桜花拝を表向き率いる宮司、正村正吾。
彼らを始め、龍ノ宮大連合の盟主たちから、煙家、菰珠、山城、鞍橋といった大家の面々、果ては忍の里の上忍までもがずらりと並ぶ。奥の上座に位置する龍ノ宮を含め、席次に序列こそ見て取れるものの、皆で顔を突き合わせるように囲んだ席になっているところに主催の息を感じてならない。
「…………」
そんな強者たちから注がれる厳しい視線に、密かに息を呑む。強い疑問を孕んだそれに、顔色を変えなかっただけでも褒められるべきだろう。
ちらほらと見受けられる空席の中、主催にほど近い位置に己が座すべき場所を見出す。
そして彼女は、深々と一礼し、名を告げた。
「古鷹家当主代理・古鷹天詞、参りました」
列席者が怪訝な顔を浮かべたのを見て、天詞は間を開けずに続ける。
「この度は、当主・京詞がよんどころない事情により出席が叶わなくなったため、その代理として参じました」
「なんや、えらいことになっとるっちゅうこの時期に……」
独特の訛りで不満を顕にするのは、古鷹と同じ西の大家、鞍橋の面々からであった。
「京詞殿も、最近はようお国におらんようやし、たまの顔見せもしてくれへんなんて、わしら寂しゅうてしゃあないわ」
「……父からは、後日改めてご挨拶に伺う、と。故に、本日はどうかご寛恕のほどを」
「ほっほ! そら楽しみや。そのよんどころない用事の後で、どんな土産もん持ってきてくれはるんやろなあ」
嫌味に耐える天詞であるが、鞍橋だけではなく不信感は会場中に広がっている。言葉に出さないまでも、桜花拝の一行から警戒心をも伺わせる鋭い視線が飛んで来ていた。
どう収めてもらおうか……そう天詞が思案していると、主催である龍ノ宮の声が流れを断ち切った。
「それくらいにしといてやってくださいよ、こうして代理は寄越してくれたんだ」
「……せやな。よろしゅう頼んますわ、次期当主殿」
置き土産のように言い捨て、彼らの口撃は一応そこで収まった。ちらり、と龍ノ宮を見れば小さく肩をすくめて苦笑いを見せていた。
穏やかではないにしろ、場に認められた天詞は席につく。いずれこの席には、鞍橋の人間から言われた通り、当然のように自分が座ることになるのだと思うと気が重くなる。しかし今、まさに誉れ高き道を歩んでいる親しき者たちはどうなっているのだろうかと考えれば、幾ばくかの熱が自らを支えてくれた。
そんな光景を思い描きながら、天詞は一人、古鷹の席にて開会の時を待った。
昔、天詞は大家会合に連れてこられたことがある。ちょうど会場が瑞泉城で、当時まだそこで療養していた彼女は、父親に手を引かれて将来の戦場を見学させられた。既に十代も半ばに差し掛かっていた頃の話である。
そのときの会合は、桜花拝周りのあれこれを除いて至って平和で、天詞は次々に挨拶してくる人々の顔と名前を覚えるのに大わらわであった。
しかし、天詞が代表として席につく今回の大家会合の空気は、当時とは打って変わって重く張りつめている。空き席が一つ、二つ、と埋まっていくたび、参加者が持ち寄った緊張感が会場全体を圧迫していくようだった。
「皆さんお揃いのようで。では、今年も大家会合を始めさせていただきます」
身の縮まるような型にはめた龍ノ宮の挨拶で、そんな会合は始まりを迎えた。いよいよ、とさらに顔を引き締める者もいれば、開会前の無言の空間から解放されて僅かな安堵を見せる者もいる。
龍ノ宮の傍で進行を司る老人は、後者のようだった。
「まずは、龍ノ宮一志殿から、皆様に向けて発表があるということでしたな」
「ええ」
空気に耐えきれなかったか、即座に話題を振られた龍ノ宮。
彼もまた普段と異なり、険しい表情を浮かべていたが、このときだけは、微かに頬を緩ませたように見えた。
「俺にとっちゃあ一大事で、どちらかといやぁめでたい話だ。今日この日を迎えられたことが嬉しくて仕方ありません」
ですが、と龍ノ宮は目つきに鋭さを再び宿し、
「それより先に話すことがありそうだ」
「…………」
その目が射抜いたのは、天詞に真っ先に嫌味を垂れた鞍橋の一団。
彼らはそれに息を詰まらせていたが、それは決して糾弾に怯えているなどといった様子ではなく、覚悟していた時がついに来てしまったのだ、という苦境の現れであった。
そもそも例年の大家会合は、会期の初日に各家々がそれぞれ個別に対談し、翌日の本会合にて全体の議論を行うのが通例となっている。
けれど、今年は到着早々に本会合への案内を出され、全員が一つ所で顔を突き合わせている。
誰しもが真っ先に聞かなければならないと思っている話題が、存在する。
そしてそれを最もよく知るはずなのが鞍橋であると、全員の眼差しが物語っていた。
「どうでしょう。最優先の議題として、まず彼らの話を聞くというのは」
龍ノ宮の問いかけに、異議を唱える者は一人もいなかった。天詞もまた、これから語られるであろう仔細を聞きに来た身である。
方針の決まった議場で、鞍橋の者たちは沈痛な面持ちを浮かべる。
ただ、前面に座していた当主が語り始めるかと思いきや、口火を切ったのは、その隣にいた見知らぬ壮年の男だ。態度こそ辛うじて取り繕っているが、目元に拵えた酷いくまは、嫌でも不幸を想起させてしまう。
さらに彼の名乗りは、人々の間にどよめきを生んだ。
「鞍橋の当主より、本件について委任された佐伯識典と申します。碩星楼の一員として、鞍橋の皆さんとはご縁があり、この場に召喚されて参りました」
「なんと! やはり……」
「ではシンラ様の薨去は……」
会場に、納得と驚愕が広がっていく。碩星楼という世の裏側で叡智を振るう存在が、この場面で出てきたことそのものが、幾人かにとっては十分すぎる説明になったようだ。
ひそひそとした話し声がさざなみのように広がり、事前に出回っていた噂話を各々が勝手に肉付けし始める。先程までの息詰まるほどの静けさに、本来ならまだ不十分に過ぎる確証によって罅が入っていた。
そこへ、
「ご説明、よろしいでしょうかッ!」
「……!」
佐伯が一括するように声を上げ、周囲は一様に押し黙る。
それから咳払いを一つし、彼はこの広い会場に染み入るような声色で語り始めた。
「事の始まりは、およそひと月半前。我々碩星楼が崇敬するシンラ様より、各地の大家へ会合を取り付けよとの命を授かりました。およそ今まで耳にしたことのないような深刻な声でおっしゃられたものですから、何よりも先に対応に当たりました」
「…………」
「この中にも、書状を受け取られた方がおられるでしょう。シンラ様直筆の書状など、滅多にあるものではありません。内容もさることながら、この時点で事の重大さは碩星楼の歴史に類を見ないものでした」
ですが、と佐伯は歯噛みするように続けた。
「事態は誰も想像だにしない方向へと悪化したのです。それは今から三週間前のこと……私が偶然、鞍橋の拠点であのお方に謁見している最中のことでした。突然、シンラ様が青白い光に包まれ、今まで見たこともないお姿へと変貌なされたのです……。そして――」
「例の襲撃か?」
冷静に、端的な事実だけを語り続けるには悲痛に過ぎたのか、若干言葉に詰まった佐伯に対し、龍ノ宮が先を促した。
佐伯はこくり、と頷くと、
「その翌日のことです。突然外から強い光が差し込めた瞬間、拠点は凄まじい衝撃によって大破、その後に立っていたのは、紅き大剣を四振り携えたメガミでした」
「…………」
「私を含め、碩星楼のミコトとシンラ様が必死に応戦するも敵わず……シンラ様は、凶刃に斃れられたのです」
滅多にあることではないが、人の世に顕現しているメガミが争いの末に倒れ伏す事例がないわけではない。しかしそれは基本的に、仮初の肉体である顕現体の破壊を意味し、桜へいっときお帰りになる、ということでしかない。
だが、言ってしまえばその程度であれば、これほどの大事にはならない。
今開示されているのは、歴史書をさらに丹念に紐解いてなお片手で数えられるほどしか事例のない、最悪の結末である。
「その後待ち受けていたのは、シンラ様より与えられていたお力の一切が失われているという事実でした。力が弱まるなどといったものでは収まりません。シンラ様との繋がりそのものが、我々から完全に失われたのです」
天詞は、自分が持つメガミへの信仰心は人並み程度だろうと考えていたが、それでも繋がりが失われることを想像することすら厭うていた。何故ならそれは、自身に不合格の烙印を押されたか、永遠の別れを意味するのだから。
佐伯は、それが後者であることを、己の身を裂くようにして伝え続ける。
「シンラ様は、ご自身の権能でご自身を書に封じるなど、身を隠す術をお持ちです。しかし、そうしたところで桜からミコトへと伝わる力の流れが失われることは決してありません。無論、我々碩星楼の幹部は、シンラ様から厚き信を置かれていたと自負しております」
「じゃあ……」
「どこかに逃れたのでも、皆の目を欺いているわけでもありません。本当に、シンラ様は……殺されたのです」
どうにか語り終えたと言うように、佐伯は目を閉じてほんの僅かにうなだれた。いかに賢人たちであれど、現実を受け入れるまでに時間を要したことだろう。その過程における心労はさぞ筆舌に尽くしがたいに違いなかった。
参加者たちは佐伯の言葉を受け、再び身内であれやこれやと小声で議論を交わしている。表面上とは言っても、平和な時代を維持し続けてきた人々にとって、開示された内容はあまりに不穏で過激なものであった。
そんな乱立する会話に天詞が耳を傾けていると、鞍橋の反対側に座していた桜花拝の正村が、眼光鋭く場へ問いを投げかける。
「ならば、シンラ様は何をお伝えしようとしていたのですかな。この中に、実際に会合の席に着いた家は?」
存分に含みをもたせているのは、相手たる碩星楼と係争中だからだろう。何もこんなときに、と誰もが思っただろうが、実際に声にする者はいない。
やがて、正村の目が天詞に辿り着き、思わず息を呑む。
「古鷹家はどうだろうか」
「い、いえ……そのような事実はゆめゆめございません」
「ふむ」
疑いの目は晴れていないようだが、父・京詞の動向にかこつけて、痛くもない腹を探られているだけだと天詞は知っている。
そうして正村が次の標的を探していると、一人の男が自ずと手を挙げた。
瑞泉家当主、瑞泉驟雨である。
彼は佐伯へと目配せをし、頷きで許可を得ると、
「瑞泉は、シンラ様のお誘いを受け、会合にまで至りました。私自身が、直接ご本人とお話しさせていただきました」
「して、あのお方のご存念は?」
「神座桜の力が弱まっている……シンラ様は、単刀直入にそう切り出されました」
「……!?」
思っても見なかった内容に、参加者たちは顔に驚きを浮かべた。けれど、どういうわけか、そのうちの極少数は思い当たる節があるような顔つきで、瑞泉の言葉の先を待っていた。
衆目を集めた彼は続ける。
「桜の力が弱まることで、緩やかな滅びへ向かっている……その危惧の共有と、対応策についての議論が主題でした。私も昔はミコトとして鳴らしたものですが、その程度でははっきりと感知できない差だという話です」
「な、なんだってそんなことに……?」
「シンラ様はその現象を、陰陽の巡りが弱まったためだと推測しておられました。ここで言う陰陽とは、桜の力を地表に咲かせ、散った花弁の塵を大地へと還元する、その対極の働きのことです。本来、ヲウカ様とウツロがそれぞれの権能にて担い、池の水を清浄に保つかのように務められていました」
しかし、と瑞泉は手振りを交えながら、
「シンラ様曰く、陽を担うヲウカ様の力自体が弱まっているそうです。一方、当家の客人たる今のウツロもまた、あくまで本質より零れた存在でしかなく、謳われしかの終焉の影には遠く及びません。加えて、巡りを補っていた桜花決闘の衰退が拍車をかけていたようです」
「桜花決闘が……? なら、また決闘を再開すればいい話じゃないのか」
龍ノ宮が合いの手を入れるように、当然の疑問を投げかけた。
瑞泉はそれに大きく頷いて、
「シンラ様から提示された当座の策も、桜花決闘の復興でした。どうやらシンラ様は桜花決闘という行いを大変好ましくないと思われていたようですが、それに折り合いをつけなければならないほど、現状は逼迫していたということなのでしょう」
「…………」
「ただ、今現在どのような問題が起こっているのかについては、シンラ様にも詳細は分からないとのことでした。そもそもシンラ様の見通しによれば、陰陽の弱まりが致命的な問題を引き起こすのは実に数百年後のことだそうで、人間にとっては随分気の長い話です。それまでに決着をつければいい……元々はそうお考えのようでした」
ですが、と瑞泉の視線は先程悲劇を物語った佐伯へ注がれた。
それほど悠長な話なのであれば、急ぎ行動する必要もない。叡智の象徴とも言える存在にとっても計算外のことが起きてしまったのだ。
「事を急いだ理由に、シンラ様は自らの変質を挙げられていました。今思えば、それが変貌とやらの予兆だったのやもしれません。まさかこれほどまでの急落に繋がるとは、ご本人も想像だにしなかったでしょうが……」
「いえ、もしかしたら命運尽きるのを悟っておられたのかもしれません……」
まるでお悔やみを告げる葬儀の場のようで、誰も言葉を挟めなかった。神の死を前にかける言葉など、誰も持ち合わせてはいなかった。
だが、未だ現実を生きるこの二人は、遺志を継ぐようにさらに語ることを選ぶ。
「佐伯殿。あの方のためにも、今が精算の時ではありませんか? これを措いて、シンラ様の大望を詳らかにする機会はそうありますまい」
「……おっしゃる通りです」
そう答えると、佐伯は胸中で言葉を選ぶように間を置き、深く息を吐く。
やがて彼はその瞳に決意を宿し、揺るぎなき声でその大望を告げる。その内容は、今日一番の動揺を皆にもたらした。
「シンラ様の最大の目的……それは、主神ヲウカを滅ぼし、権能をその手中に収め、自らが主神となることでした」
「なんだと!?」
桜花拝の面々が、いの一番にいきり立つ。片膝を立てて、今すぐにでも佐伯に食ってかかろうとする輩すら見受けられる。代表として前に立つ正村は、その皺の刻まれた肌を真っ赤に染めていった。
「主神に仇をなすとはなんと恐れ多い! やはりあの一件は真実だったのであろう、この状況で何をおめおめと!」
「あまりに不敬極まりない! その過ぎた愚考、邪神と呼ぶが似つかわしかろう!」
「き、貴様なんて戯言を!? 碩星楼としての立場が……!」
しかし、佐伯の告白を謗るのは桜花拝だけではなかった。他の大家の中から、泡を食ったように非難する者たちがいる。どうやら碩星楼も一枚岩ではないようで、組織の名を地の底に貶めるこの声明をよしとしない勢力が、自らの所属を宣言するかのように彼を糾弾する。
だが、佐伯は怒りの嵐を、悲痛な叫びで吹き飛ばした。
「お怒りはごもっとも……だがそのシンラ様は、もうこの世に存在しないのだッ!」
「……!」
「そして御神のご意思を知らぬ同輩たちよ。これはこの地を襲う異変に呑まれたシンラ様の仇討ちの第一歩である。あの方の愛したこの世界を、自ら考え、救う――それこそが、我々に遺された最後の託宣であると知れ……!」
「だが――」
さらに反駁を重ねようとした碩星楼の構成員を、佐伯がその眼差しで黙らせた。仕える家の者にも諭され、言葉を呑み込みながら腰を落ち着ける。
それを見送る前に、佐伯は告白を再開した。
「身内が失礼した。……二十年ほど前、シンラ様はその大望を叶えるため、ヲウカの顕現体を滅し、存在を封じようとしました。しかし、権能を含め、その存在そのものを捕えることはできず、逃してしまったのです」
「…………」
「シンラ様の計画では、手にしたヲウカの権能を元に、桜花決闘に代わる新しい循環の仕組みを生み出し、ヲウカとウツロの役割を補う想定でした。こうして廃れたように、桜花決闘という解決は長期的に見て不都合も多く、その代替はあのお方の悲願でした」
大家会合に集った面々は、思わず視線を畳に落とした。彼らがこうして寄り合っていることそのものが、決闘という旧来の問題解決手段の否定に繋がる。伝統というだけでは受け継ぐことが難しいというのは、それを苦労して伝承する古鷹の子として天詞もよく知っている。
「しかし現実では、ヲウカの力を手にすることができずにいるまま、桜花拝にてヲウカを名乗る存在が再び現れました。そして、シンラ様がヲウカを討とうとしたという理由で、長きに亘る冷戦が始まりを迎えたのです」
「では、碩星楼は全面的に非を認めるとでも?」
正村が揶揄するような声色で訊ねる。どうせ開き直ったように言い逃れするのだろう、とでも言いたげであった。事実、そうでなければ十五年以上も世界の裏側で争ってはいない。
対し、佐伯はにじり出て、桜花拝の一団へと膝を向けた。
そして、一つの歴史に終止符を打つべく、明快に是と応えた。
「結果として我々が桜花拝へと弓を引いたことは事実であり、弁解の余地はありません。この場で最大限の謝罪をさせていただきたい」
「な……」
正村たちが絶句している中、佐伯は両の手を膝の前についた。
しかし、その頭を下げる前に、彼はその故を告げる。
「だが、どうかその断罪へと至る前に、この地の悲鳴へ耳を傾けていただきたい。我々が――否、それこそ人間とメガミが共に立ち向かわなくてはならない問題が、今まさに起こっているかもしれないのです。どうか、この通り」
成されたのは、淀みのない土下座。
言葉を弄して攻撃を躱し続けてきた人間が、首を差し出すことの意味を分からぬ者はいない。例えば護衛のミコトが携えている刀を抜いて振り落とせば、彼はすぐにでも果て、主の遺志を叶える日は二度と来ないだろう。
佐伯が告白した今までの行いは、そうされたところで擁護しきれないほどのもの。
何より彼が差し出したのは、己一人の首ではなく、碩星楼というこの地の根に食い込んでいた賢人たち全員の首。
「…………」
その罪に重すぎ、断つにも重すぎる首をいきなり前にして、動く者は誰もいなかった。
しばらく、会場の大広間は沈黙に包まれていた。激昂していた桜花拝の者たちも僅かに毒気を抜かれたようで、これからどういう態度でいればよいか決めかねたように矛を収めていた。一方、喚いていた碩星楼の者は寄る辺を失ったように顔を青く染めている。
議長である龍ノ宮も次にどう話を進めればいいか迷っているようで、冷戦終結の白旗を前に誰もが別の誰かの発言を待っていた。
そこへ、桜花拝の一団でも後方に座していた男が、意を決したように顔を上げた。
ぽつり、と彼は言う。
「桜が弱まっているという話……やはり噂は本当だったんだ」
「噂ってのは?」
龍ノ宮が発言を促すと、彼は突き刺さった数多の目にうろたえながらも、
「み、御冬の里から流れてきたんだ。北限で、何本か神座桜が枯れた、って噂話が……。そのときは眉唾ものだと一蹴していたんだが、さっきまでの話からすると……」
「それなら、私も心当たりが」
先陣を切ってくれたのなら、とまた別の桜花拝の宮司が手を挙げる。その立場から桜の衰弱を積極的には肯定しづらいだけに、まるで赦しを得たかのようだった。
「どうしても、と陳情されて取り仕切った桜花決闘でのことだ。どちらも腕の立つミコトだと聞いていたものの、一方のミコトがそうとは思えないほど無様に負けたんだ。コルヌ様の力を十全に宿せず、放ったのは鋭い氷柱と言うには歪で脆すぎるものだった。不調ゆえに、本人も決闘の結果に納得していなかったが……」
二つ、立て続けに異変を肯定する話が飛び出し、会場はまた沈黙の底に沈んだ。
今起こりつつある出来事は、自分たちの常識を塗り潰すものではないか。
その出来事は、人やメガミの想像を遥かに超えているのではないか。
いかに凶報を知らされていたとて、ここまでの事態の渦中にいきなり放り込まれることなど皆予想していなかった。この沈黙は、自分の手に余るのでは、という降参の伺いを互いが互いに立てた末に生まれた停滞の産物であった。
そのような音のない感情のさざめきの中、立ち上がれる者を人は英傑と呼ぶ。
確固たる存在感と共にその静寂を破ったのは、今代の柱・龍ノ宮一志その人である。
「どうやら、かつてない事態になりつつあるってのは、認めざるを得ねえようだ」
けど、と拳を握りしめ、彼は参加者を見渡すように告げる。
「ここにいる皆が力を合わせりゃ、必ず打開できるはずだ……違いますか? そのための協調、そのための俺たち、そのための大家会合だ。だから、全部水に流せたぁ言いませんが、いがみあってるうちに全部おじゃん、ってのは本末転倒でしょう」
「それは……その通りだが」
水を向けられた正村も、この後に及んで蒸し返すことは選ばなかった。異変の目撃者であるとこの公的な場で証言してしまったこともあり、戦後処理はきちんと後に回されそうだ、と天詞は内心胸をなでおろす。
龍ノ宮は桜花拝の意思に、にかり、と笑い、
「それに、お誂え向きなことに、ここにはちょうどメガミが来てるんですよ。本当は俺の要件のためだったんですが、意見を聞いて、他のメガミとも話し合えるような場を作っていこうじゃありませんか」
「おぉ……それは心強い」
「メガミ様とも協調できれば、あるいは、か……」
英傑の言葉に、沈んでいた人々がぽつぽつと顔を上げていく。ここまで時代を牽引してきたのは伊達ではないと、この場にいる誰もが知っている。もちろん、手放しに希望を見出すほど、集った参加者たちは愚昧ではないが、この状況で与えられる安心感は何物にも代えがたい。
「よし、ちょっくら呼んでくるか。予定とは違うが、こいつにさっさとケリつけねえと、めでたい話もできないんでね」
そう言うと龍ノ宮は、後ろの従者に言付ける。
暗い話ばかり続いたが、彼によって先を見ることができる。不毛の荒野から不可能と思われていた実りをもたらしたこの男がいる限り、想像できないような困難があってもどうにか前を向くことができる。そんな安堵が、会場に染み出していった。
……だが、人々は窮状を正しく認識できていなかった。
自分たちに残された時間は、もうないのだと。
無情な現実の牙は、既に首元に食い込んでいるのだと。
どォッ! と。
龍ノ宮の従者が立ち上がった瞬間、身体を打ち据えるほどの破壊音が轟いた。
「……!?」
彼らの希望の小さな希望の声を踏みにじるかのようなその轟音から刹那の後、城をまるごと揺らすような振動に襲われ、天詞は思わず手をついた。あまりの衝撃に、大広間を囲う障子戸や襖ががたがたと暴れている。
「な、何ごと――」
収まった揺れに、人々が震源と思しき外を見やる。
もうもうと、桜のある庭の彼方にそびえていた城壁の一部から、破壊を物語る土煙が立ち上っていた。その衝撃の凄まじさたるや、瓦礫が庭にまで届いているほどだ。
そして、立ち上る煙は巻き上げられた砂埃だけではなく、燃える炎の煤けた煙も混じっている。破壊痕は、まるで爆発したかのような有様であった。
だが、人々が絶句していたのは、その破壊に、ではない。
それを成した、異様な存在。
宙に浮かぶ、形ある炎。
人の形をした、燃え盛る意思。
「ヒミ……カ……?」
震える龍ノ宮の声を、天詞は初めて耳にした。
ヒミカ。火と感情を象徴するメガミ。彼女が龍ノ宮懇意のメガミであることは誰もが知るところであり、人の世で最も姿を見ることのできるメガミのうちの一柱に数えられる。
だが、天詞は目の前の存在を、ヒミカであると断定できなかった。
いや、脳が、それを拒否していた。
頭に被っていた冠を始めとして、金色に輝いていた装具は青白く染め上げられ、所々に玉虫色に光る鉱物めいた質感の何かが隆起している。
燃え盛る炎は普段よりも静かに研ぎ澄まされ、まるで冷たく、それでいて純然たる熱を湛えていた。全身に纏うそれは、まるで本来の体躯であると主張するように大きく四肢を覆っている。
そして何より、その炎の色は、蒼。
情熱的な彼女からは到底想像できない、蒼――
「おいおい、なに豆鉄砲食ったみたいな顔してるんだ、一志? 祝いの席だって、お前がアタシを呼んだんだろ」
ふわりふわりと近づいてきた彼女は、実に気楽そうに告げた。天詞が会ったことのあるヒミカであれば、確かにそう言いそうな、彼女らしい台詞だった。
けれど、言葉以外の――いや、だからこそ何もかもが、その異様さを示している。
その害意溢れる行動も、殺気立った気配も。
ちぐはぐな意思も、全部が全部。
友好的な言葉に寒気を覚えてしまうほどに、その身は不穏さを垂れ流す。
そして彼女は、敵意を振りまきながら、満面の笑みでこう言った。
「だからほら、来たぜ!」
