静止した時の中で、炎だけが揺らめいている。青ざめたその色合いは、ここ龍ノ宮の人々の多くが奉じ、胸に宿してきた情熱の赤とは程遠い。
「…………」
誰もが息を呑み、唖然とし、戦慄を禁じ得ていなかった。この場に集った者たちがいかに人の世を代表するような傑物であったとしても、この現実離れした光景を前に、直ちに理性を働かせられた者はいなかった。
大いなるメガミの力の恐ろしさは万人が知る。
その矛先を向けてきたメガミの正気を疑う日が来ようなど、一体誰が想像しただろうか。
至って普段通りのヒミカの声色が生んだ一筋の希望も、だからこそ刹那の後に刈り取られていた。破壊と殺意がもたらした絶望的な空気は、つい先程まで行われていた大家会合を既に過去に追いやっていた。
「お、おまえ、なに言って……じ、冗談が、過ぎる、だろ……ありゃ……」
愕然としていた一同の中から、どうにか言葉を紡いだのは龍ノ宮だった。けれど、今やこの地の立派な大黒柱として称えられる豪傑も、しどろもどろに疑問を垂れ流すことしかできなかった。
それに対し、ヒミカは足元の火力を僅かに弱め、玉砂利の庭に足をつけた。
口をすぼめ、肩を竦めるその様は、不貞腐れる子供のよう。そこに異様な姿と肌を刺すような害意がなければ、どれほど平和的であっただろうか。
「なんだよ、おまえが呼んでくれて嬉しかったんだぜ」
「ち、ちが――」
「それに、おまえほどじゃないにしても、ここには面白そうな奴が揃ってるじゃないか。だからさ、もっと楽しくいこうぜ、なあ」
彼女は目の前にある情景を抱きかかえるように、ゆったりと両手を広げる。
胸がいっぱいになる饗しを前にしたように。
長い間求めていたものに辿り着いたように。
そして、望みが叶う予感に満たされたように、ヒミカは天を仰ぎ、朗々と囁いた。
「――もっと、おまえらを感じてみたかったんだ」
瞬間、かつてないほどの熱量が空間に迸った。
蒼き炎は城の大気を焼き、膨大な火炎となって人々を呑み込まんとした。ヒミカを中心として広がるそれは、どれだけ青く、ともすれば津波のようであっても、全てを灰燼に帰す業火であるのは間違いなかった。
死が、覆い被さろうとしてくる。まるで、全てを抱きしめるように。
人々は――龍ノ宮一志を含め――、そのとき悟った。
少なくとも今この時、ヒミカというメガミのことを見誤っていたのだ、と。
人間に友好的で、世の中心たる龍ノ宮と懇意なメガミが、この場で直接的に死をもたらしてくる――そんな情景を、誰一人として想像などしていなかった。
そして、備えもない今、迫りくる死は覆せない。英傑と謳われる龍ノ宮がいようとも、この地を動かす有力者たちがいようとも、振るわれた大いなる力に抗する術はない。
何故ならここは、神座桜の膝元ではないのだから。
ミコトが権能を引き出すために必要な桜は、庭の奥、蒼き炎に舐め尽くされた空間のさらに向こうにあるはずだった。あまりに近く、あまりに遠いその距離が、この場の人間全員の命運をはっきりと分けてしまっていた。
……だが、実際にその命運が尽きることはなかった。
豪炎に駆け込む、小柄な影が一つ。
「だいっ、てんっ――」
腰を抜かした人たちの頭上を、巨大な鉄槌の頭が通る。その担い手・ハガネは、大広間に侵食していた炎もいとわず、それらから人々を庇うように前に出る。彼女の所在は瞬く間に蒼に呑まれ、炎を食い破る得物の軌跡だけが存在を示していた。
そして、部屋の天井まで届きそうなほどの鉄槌を、彼女は凄まじい膂力で振り切った。
「――くうッ!」
「ごっ……」
蒼炎の壁ごとヒミカを打ち据えた一撃は、人の形に対して生じてはならない音と、鉄槌についた鐘の音を鳴らした。纏っていた炎も消し飛ばされたヒミカは、目にも止まらない速さで打ち上げられ、城外の彼方へと弾き飛ばされていた。
時間にしてみれば一瞬の出来事に、死を覚悟していた者たちが固く瞑っていた目を開く。
彼らに襲いかかろうとしていた炎は、縁側や部屋の隅を舐めただけで済んでいた。真正面から大質量で断ち割られた業火は、奇跡的にも会合の参加者たちへの直撃を避けるように逸らされていたのである。
「助かっ……たのか?」
呆然と呟く声に、理解が追いついていない者たちが戸惑いながら辺りを見渡す。彼らの肌は距離を経てもなお伝わっていた熱によって赤く染まっていた。
ただ、どうして自身が救われたのか知る者は、皆一様に青ざめながら庭先を見つめていた。
「なんという……」
その一人である瑞泉驟雨が、思わず零していた。
何かを焼き尽くすように庭で燻っている蒼き炎。
その業火の中で、動かない少女の形がぼろぼろと崩れ落ちる。手にしていた鉄槌は桜の光になって解けていき、やがてそこには何もなかったかのように、彼女の身体は跡形も残らず朽ち果てていった。
迫る死を退けるために、ハガネは文字通り己が身を盾とした。その結果が、これだった。
メガミに殺されかけ、メガミに捨て身で救われたという異常な出来事に、火の手がじわじわと回り始めているにもかかわらず、聡明な為政者たちでさえも立ち尽くす他なかった。
そこへ、
「逃げてッ! ハガねぇが皆を守ってるうちに!」
廊下側から顔を出した少女が、風通しのよくなった空間にも響き渡るように叫んだ。身を包む正装を鬱陶しそうに着崩している。
この場の大半の人間は見知らぬ彼女にさらに疑問を重ねることになったが、例外であった天詞が少女の名を呼ぶ。
「希ちゃん!」
「……! 天詞ちゃんも早く!」
険しい表情で手招きする希に、天詞が裾を持ち上げて駆け出した。
その様子に、龍ノ宮や瑞泉はいち早く我を取り戻し、避難を先導していく。
「皆さん、まずはこの離れから出ましょう! 落ち着いて、一度表の庭へ!」
「手隙のミコトは負傷者や御老体に手を貸していただきたい! 荷は捨て置け、ハガネ様の献身を無駄にしないためにも!」
彼らに率いられた人々は、我先にと出口に殺到することもなく、黙々と大広間を後にする。それが龍ノ宮らの求心力の賜物なのか、殺意ある炎が目の前から消えたためなのか、そうする余力も残されていないのか、答えられる者はいない。
はっきりしているのは一つだけ。
この場にいる者たちは、人智の及ばない災厄の目撃者になってしまっていた。
ざわざわと、眼下の喧騒がいや増していく。人々が建物から出てきては、誰もが判を捺したように城の方角を眺めていた。突然の爆発、そして明らかに火の手を思わせる煙が城内から発生しているとなれば、騒然とするのも無理はない。
「…………」
そんな龍ノ宮城下の上空に、蒼き炎を纏ったヒミカが揺蕩っていた。見た目に負傷は見られず、地上の人々に目をつけられても意に介さず、ただじいっと、先程吹き飛ばされた城のほうを眺めていた。
と、彼女は不意に宙空でふらつき、城とは明後日の方向を向いた。
だが、
「ッち……!」
気まぐれのように動いてしまった自身の揺らぎを吹き散らすように、ヒミカはその場で灼熱の炎を撒き散らした。炎は質量を持ったように落下し、取り付いた家屋たちを瞬く間に焼いていく。喧騒は、悲鳴に置き換わっていった。
己を戒めたヒミカは、再び龍ノ宮城へと向き直っていた。
そして彼女は、誰に聞かせるでもなく、か細く吠える。
「アタシのココロに、従わせろよ……!」
足元と背中から炎を噴き出して、ヒミカは己の求める場所へと飛んでいった。
天守と離れの間に横たわる庭の芝に、各家のお歴々が見てくれも気にせずに腰を落としていた。惨劇の現場から逃れられた安堵が、かえって彼らから余裕を失わせている。一部の文官や老人はもとより、今になって緊張が押し寄せてきた者も息を荒くしていた。
会場であった離れには、徐々に火の手が回っているようだった。ただ、龍ノ宮が消火にやってきた家臣たちを止めてからこちら、勢いを増しつつある煙を皆で眺めるばかりである。
「ハガネ様は、大丈夫なんだろうか……」
そんな中で天詞は、一人の男が漏らした言葉を拾う。彼は地べたに膝をつき、蒼白な顔で視線を落としている。つい先程、シンラの死について議論されていたところにこれだ、衝撃的な末路であると受け取ってしまうのも無理はない。
その呟きを耳にした希が、彼に歩み寄る。
彼女は男の肩に手を置くと、その懸念に否と返した。
「ううん、ハガねぇとの繋がりは、きちんと残ってるよ。顕現体が壊されただけで済んでると思う。だから安心して」
置いた手に煌めく結晶を認めて、男は希の言わんとしていることを悟ったようだった。
顔を上げた彼は、
「君は、さっきの……。一体何者なんだい……?」
「あたしは――」
その問いに、希は逡巡する。今このときにどう名乗るべきか、迷っているようであった。
だが、彼女が答えを出す前に、安堵し始めていた空気が切り裂かれる。
「う、うわぁぁ! 見ろ、ヒミカ様が戻ってきたぞ!」
「……!」
悲鳴の主に従い、指差された空に視線を移す。
いつの間にか城下から立ち上っていた黒煙を背にしているために、はっきりと所在の分かる蒼き炎、そしてそれが作る人の形。
じわりじわりと、ヒミカは着実に城と距離を詰めてきていた。人の身で駆けるには随分と余裕のある距離ではあるが、獲物に狙いを定めた猛禽であれば幾ばくも猶予はない。たとえ付け狙われる理由が不明であろうと、悲劇が繰り返されるのは想像に難くなかった。
しかし、明らかにこちら側を視界に収めているはずのヒミカの接近に、天詞は言い知れぬ違和感を覚えていた。周りを見れば、恐れをなす者たちとは別に、奇妙な感覚に怪訝な顔つきとなる者がちらほらと現れている。
城には確かに向かってきている。方角も、おおよそ天詞たちのいる離れの一帯だ。
けれど、ヒミカが近づいてくるほどその違和感は強くなる。
「私たちを、見ていない……?」
その可能性を口にしたところで、先程の襲撃が脳裏をよぎる。自分たちは、狩りをする猛禽に正しく怯えていればいいのではないか……そんな当然の帰結に囁かれながら、曖昧な違和感の源泉を天詞は探る。
素早い行動が求められる中、それに最初に行き着いたのは龍ノ宮であった。
「まさか……!」
弾かれたように顔を上げた彼は、二度三度確かめるように周囲に視点を彷徨わせる。そして、この場にいる全員の耳を打つように声を張り上げた。
「あいつを止める覚悟がある奴だけ、俺に着いてこい!」
「……!」
「他の皆は、戦えない連中の避難を手伝ってやってくれ。特に赤東の奴ら、頼んだぞ! 城郭ん中は危ねえと思え!」
そして質問を挟む余地もなく、彼は号令を残して駆け出していった。こちら側からヒミカに近づく方向――最初にヒミカが降り立った庭へ、離れを大きく回り込む形だ。
言うに及ばず、それは自ら死地へ飛び込む行為に他ならない。
メガミすら焼いた炎に対峙して、骨を残すことすら希望に過ぎる。
しかし、そんな絶対的な力に立ち向かわんとする龍ノ宮に、誰よりも早く肩を並べた者がいた。
希だ。
「おまえ……」
それ以上、龍ノ宮は何も言わず、再び目指すべき場所を見据える。
そして次に駆け出していたのは瑞泉だ。さらに、忍の里から上忍と思しき者に、何処かの大家の用心棒たち、加えて先程シンラについての報告をした佐伯も続いた。少し遅れて、龍ノ宮家付きのミコトたちも後を追う。
そして――
「天詞!? 君は下がれ!」
列に加わった彼女に気づいた瑞泉が、思わず声を上げる。彼女の病弱さを改善した立役者だけあって、その決断がいかに無謀か最もよく理解しているだろう。
ただ、そんな瑞泉のことを、天詞は見ていなかった。無視したのではなく、最初から視界に入っていないように、ひたすら前を見ていた。
だが、その視線の先にあるのは、皆を率いる龍ノ宮の背中ではない。
ならば、その瞳が映すものは――
「くっ……」
瑞泉もまた、それ以上言葉を重ねることはなく、奥歯を噛み締めてひた走った。
やがて隊は本格的に燃え上がってきた離れの大広間を遠巻きに望むようにして、舞台となる庭へと戻ってきた。決闘ができるよう、地面は土が均されているが、熱を帯びた風が細かい砂を緩く巻き上げていた。
そこには、この龍ノ宮が戴く神座桜が一本。七大名桜には及ばないものの、当主の勇猛さを示すような力強い立派な桜だ。龍ノ宮大連合の名声が世に遍く轟いた後年には、ともすれば八大名桜に変わり、その仲間入りをするのかもしれない。
その桜の下に辿り着いたのは、ほぼ同時であった。
龍ノ宮たち。そして、ヒミカ。
両者が、桜を挟んで対峙する。
「……よう、さっきぶりだな」
緊張を隠すように声をかける龍ノ宮が、己が手に武器を――鉄槌と銃を顕現させる。それに続いて、瑞泉もまた影で編まれた大鎌を現し、空いた手の上で歯車を弄ぶ。右の手に爪を備えた佐伯は、覚悟の面持ちで眼鏡をかけ直した。
技量により武器を顕現させられない者たちも、持ち込んだ自前の得物をヒミカへと向ける。およそ半数がそうして戦意を示したが、その数が多少増えたところで荒ぶるメガミに立ち向かうにはあまりに心もとない。
そして、この場に臨んだ彼女たちもまた、意思と共に得物を手にする。
すなわち、希はその手に、鉄槌と櫂を。
すなわち、天詞はその手に、扇と大鎌を。
握ったそれを、ゆっくりと、殺意溢れる炎の化身へと向けた。
「ははっ、ははははッ!」
対し、刃を向けられたヒミカは、笑っていた。
実に愉快そうに。歓喜を抑えきれないとでも言うように。
あまりにも純粋で偽りを感じさせないその興奮が、激しい敵意との落差を生む。
「いいねえ……いいねェッ!」
「……!」
そして、その狂喜に乗せて、蒼き炎が龍ノ宮たち目掛けて迸る。
対話の余地を焼き払う、それが開戦の合図だった。
「撃てぇッ!」
地面を走る炎を避けながら、龍ノ宮の号令が飛ぶ。そこに躊躇や憂慮はなく、自身が先頭に立っていると示すように、彼もまたヒミカへ向けて銃の引き金を引いた。
ババッ! と一瞬の間に折り重なった銃声が響く。龍ノ宮配下のミコトたちを始め、複数の銃口が本来の武器の持ち主を狙っていた。放たれる凝縮された炎弾は変わらず赤く、ヒミカに本来の色を取り戻させようとしているようだった。
だが、その銃弾の雨をヒミカは避けようともしなかった。
むしろ、焦がれる心を抑えきれないように、龍ノ宮たち目掛けて一目散に飛び込んできた。
「な――」
存在の格の違いすら思い知らされるような対応に、何人ものミコトが反応を遅らせた。
蒼き炎の爆発と化したヒミカの一撃が、桜花結晶の上からミコトたちを焼き払う。
「が、あぁッ……!」
圧倒的な火力が、一瞬にして三人ものミコトを戦闘不能へと追いやる。結晶の護りがあるからと言って苦痛を一切なかったことにはできず、猛者に数えられるミコトすらも、吹き飛ばされた先で命を燃やす爆撃の余波に苦悶していた。
龍ノ宮はヒミカの爆炎の間合いを巧みに推し量り、どうにかそれを回避していた。
しかし、彼こそが最上の相手だと言わんばかりに、ヒミカは間合いを離す龍ノ宮へと追いすがる。
「ちぃッ!」
舌打ち一つ、仕方なくといった様子で鉄槌を振るう。けれど、遠心力を糧に打撃力を稼ぐ得物は、距離を詰められようとしている今、万全の状態で振るわれたとは言えない。
「よっ」
「ぐっ……!?」
それを理解しているかどうか、ヒミカは左の手元から小さく炎を爆ぜさせた。それが鉄槌の軌道をかち上げるように逸らし、龍ノ宮に致命の隙を与える。
めら、と右手に纏う蒼炎が唸りを上げ、彼を亡き者とする一撃が構えられた。
その刹那、
「あん……?」
腕に力を込めていたヒミカを、力強い水流が襲った。僅かに生まれた水蒸気ごと彼女を押し流そうとし、強引に突破しようとヒミカが試みている間に、龍ノ宮は至近距離からの離脱を叶えていた。
無論、文字通り冷水を浴びせられたヒミカは、さらに熱量を上げるように憤怒の表情を露わにする。
しかし、彼女が下手人を求めて睨むと、怒りの炎は時を止めたかのように静かに揺らいだ。
そこには、真っ直ぐに櫂を構える希の姿があった。
二人の目と目が合った瞬間、ヒミカの動きが僅かに止まった。
生まれたその隙を、死地に集った達人たちは見逃さない。
「おぉッ!」
「がッ……、あがッ……」
背後から接近した忍が、叩き下ろすように薙刀で切りつける。その衝撃によって若干のけぞった腹部へ、用心棒の重い鉄拳がめり込んだ。
さらには佐伯が決死の表情で三叉の鉄爪を叩き込み、直後には遠方から放たれた電撃がヒミカの身を焼いていた。
矢継ぎ早に放たれる連撃が、ヒミカを風に弄ばれる枯れ草のように振り回す。
だが、それがメガミが余裕を失って一方的に窮地に追い込まる光景かと言えば、否である。
ヒミカが浮かべていたのは、獰猛な笑み。
がくがくと視界も縦横無尽に振り回されているだろうに、人々をはっきりと情念の燃える瞳で射抜いて、確かに彼女は笑っていたのである。
そしてついに、その感情が炎となって乱舞した。

「はっはァ!」
「な……!」
崩れていた態勢を軽い爆発によって元に戻しながら、集う羽虫を散らすかのように手足から放たれた炎の衣で周囲を薙いだ。
いきなり繰り出された単純でいて恐ろしい焔の舞に、接近しての連撃を敢行していたミコトたちの多くが見切ることができなかった。特に最至近の間合いを持つ爪を振るっていた佐伯は、同様の立ち位置にいた鉄拳使いのミコトと共に、全身を炙られていた。
「がぁぁぁッ……!」
「一旦離れろッ!」
そのまま舞い続けようとするヒミカの勢いを、龍ノ宮の指示より早く届いた銃撃や希の水球が押し殺そうと試みる。さらにそこへ、一段外側に構えていた忍が、負傷した佐伯たちからヒミカを遠ざけるように無理やり割り込んだ。
その援護が功を奏したのか、炎舞に焼かれたミコトたちは辛うじて後退を叶える。しかし、護りを焼き尽くされた事実が覆ることはなく、苦痛と悔恨に顔を歪める佐伯は自ら戦線を退く姿勢を見せた。
そんな犠牲を以てならば、大きくヒミカの体力を削ることはできているはずだった。相手がメガミであることを考えるならば、この短いながらも濃密なやり取りにおいて、残存戦力は互角と言えるかもしれない。
だが、消耗戦が続いていくならば、龍ノ宮たちには徐々に不利がついていく。
連携が必須となる人間にとって、一度に何人も脱落させられるただの一振りは、次第に全体にとっての致命の一撃となってしまう。
「これでは……」
後方から戦況を窺っていた天詞が、焦りを声に滲ませる。大立ち回りを演じていた龍ノ宮は、皆が体制を立て直すため、牽制の銃弾を放ち続けている。希もまたそれに同調しているが、どちらもこの苦境に表情を歪めていた。
彼らを凝視しながら、天詞はますます心に焦りを降り積もらせていく。
業火の演舞を少しでも押し留め、攻勢を再び得るために奮戦する人々。
その熱気に吐息が零れ、天詞は思わず腕を振るっていた。
「あ……?」
蒼炎の羽衣を暴れさせていたヒミカの下に、一つの扇が飛来した。するりするりと炎に巻き上げられることなく、彼女の頬に浅い切り傷を刻む。
ヒミカは扇の射手を探し、あたりをつけると目を細めて、残身を保っていた天詞をじろりと睨めつけた。
行為にそぐわず不気味ですらあった歓喜の笑みは鳴りを潜め、なんともつまらないものと見たと言わんばかりに表情を落としていた。
「…………」
そして、ヒミカは無言で手元に現した火炎弾を、天詞に向かって鋭く放つ。
炎の静かな青白さは、骨をも焦がす熱さと殺意の証。
高速で迫りくる、死。
「あ――」
大きな予備動作のなかったその熱く冷酷な返答に、天詞が反応できた頃にはもう、機敏とは言えない彼女に避ける余地は残されていなかった。
どうにか動かせた結晶一つでは、到底受けきれない。
その身に宿した結晶で足りるかどうかも、誰も保証してくれやしない。
たった一手の牽制攻撃に対して、不釣り合いな結果にもほどがあった。
だが、反射的に目を瞑りそうになった天詞を、大きな影が覆った。
無理に動かした歯車を軋ませ、甲高い駆動音を鳴らしながら、男が彼女の前に割り込んでいた。
「驟雨様っ!?」
「ぐ、ぅッ……!」
持てる全ての結晶で火炎弾を受け止めようとした瑞泉であったが、粉々に砕けた結晶はもはやその身を守ることはできず、背に庇われた天詞に向かって吹き飛ばされてくる。宙に放り出されたその身は燃え盛っており、それがまだ戦える様相であるはずがなかった。
一撃を成したヒミカは、戦線から離脱させた彼を冷淡な眼差しで眺めていた。
だが、脇をすれ違うように吹き飛ばされていく瑞泉の表情に、天詞は瞠目する。
嗤う彼の目は、死んではいない。
戦意も、そして好機も。
「っ……!」
首を動かす余力もなく、その右の手のひらだけをヒミカへと向ける。直後、刹那のうちに戦場へ変化が生じた。
今まさに、彼が吹き散らせた桜花結晶の塵。
これまでの死闘で積もり続け、あるいは炎に巻き上げられていた大量のそれ。
故に瑞泉は――結晶の塵化の力を宿した彼は、告げる。
「灰よ、塵よッ……!」
「……!?」
この空間を満たしていた塵が渦巻き、ヒミカという一点に集う。あまりの濃さに、這い出した影が彼女に纏わりついていくかのよう。
散らそうともがくヒミカを他所に、瞬く間に彼女の足元が暗い闇に染まった。
そして、主が地面を跳ねたと同時、命のままに塵は存在を侵食する。
相手がメガミであろうとも。
「ぅ……あぁぁッ!」
がくり、と崩れそうになる膝を、彼女は叫びと共に堪えていた。身に纏っていた蒼炎は、力を奪い去られた証左だと言うように、先程よりも勢いを失っていた。
誰の目にも明らかな、強烈な一撃。
それは、さらなる一撃への足がかりとなる。
龍ノ宮一志。瀧河希。
その身を回転させ、鉄槌に吹き込んでいく力は、この父と娘が荒ぶメガミに引導を渡すためのもの。
英雄の雄叫びが、戦場に木霊する。
『おおぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!』

どちらも、ヒミカを前から打つように、ぐるりぐるりと接近する。
彼女が確固たる二人の一撃を目の当たりにしたときには、もう回避を選べる段階にはなかった。ヒミカだからこそ、彼らの手にしたハガネの鉄槌が、相手をどこまでも捉え続けることができるのだと理解しているのだろう。
だからか、戦いの終わりを悟ったヒミカは、晴れやかに笑った。
今ならまだ、多少は二人に傷を負わせることができるだろうに、消えないままの殺意とは裏腹に、両手を開いてその刻を待っていた。
清々しく、彼女は言う。
「アタシが……アタシのままで感じられる最期は、おまえたちと一緒に……居たかったんだ」
異様な気配はそのままなのに、まるで憑き物が落ちたような。
まるで本当の終わりを悟ったようなヒミカが、希と目を合わせる。
そして、
「ありがとう、頼んだぜ――」
鐘の音が、二つ、高らかに鳴り響いた。
腹の底を打つような衝撃が戦場に走り、二重の痛打がヒミカを城壁へと目にも止まらない速さで吹き飛ばす。打撃の瞬間、彼女からあらゆる炎という炎が消し飛んですらいた。
戦いが、終わる。この襲撃が何であったのかは分からずとも、決着は成った。
地に倒れ伏す物たちも、必死に食らいついた者たちも、終わりの一撃を放った者たちも。
そう、直感した。
……だから、それ故に、その心に間隙が生まれていた。
その刹那、ヒミカはくの字に曲がった姿勢のまま、勢いに抗うように膨大な蒼炎を噴き出した。
「なん――」
肉体のことなんて少したりとも考えていない、無理が過ぎる急制動――否、それを超えて、彼女はまだ前に進もうとしている。
全身をも包むようになった炎に、もはやヒミカの表情は窺えない。肌という肌から、自らを燃やすように、存在ごと焼き尽くすように、この期に及んでもまだ足りないと蒼き炎を放ち続ける。
やがて推進力が勝り始めたが、ぼろり、ぼろり、と維持しきれなくなった顕現体の手足が爆炎の中から転がり出てくる。
それでもなお、前へ前へと向かうヒミカは、やがて目的の物へと取り付いた。
龍ノ宮たち、ではない。
この城に咲き、死闘を見届けた一本の神座桜に――
「ああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
そして、断末魔の叫びを上げ、ヒミカから再び炎がかき消えた。
その身体は幹と衝突した衝撃にすら耐えられず、直ちに崩壊し、力の破片となって分解していく。
しかし、
「え……」
その破片の色は、黄緑。
桜色の霞となってかき消えるはずのメガミが、黄緑に輝く花弁を散らして散っていく。
ヒミカの行動に身構えていたミコトたちの視線が、今まで見たこともないその花の色に釘付けとなる。
さらに、衆目の中で『本当の終わり』はあっという間に成された。
ヒミカが散った幹のあたりから、青白い結晶質の蔦のようなものが、桜へと広がった。
「…………」
蔦とも鉱物ともつかない不気味な何かが取り付いていく光景に、誰も声が出なかった。
それは尋常ではない速度で成長をし、それなりの樹高を誇るこの桜ですら瞬く間に全体に這っていく。
侵食が進むほどに、神座桜からはみるみるうちに色と輝きが失われていった。
ぽとり、と風に流された結晶が、地面に落ちる。
自然と塵に還るはずのその花弁は、ゆらゆらと揺れていた。
それが、何十も、何百も、何千も。
滝のような音の洪水がざあぁ、と生まれ、地面が輝きを失った結晶に埋め尽くされてなお、それは大地へと還る気配が一切しなかった。
そして、『終わり』は完成する。
至るところに血管のように青白い蔦の這った神座桜は、奪われるものを全て奪われたかのように細っていき、
「は……?」
自重に耐えられず、中ほどから、折れた。
嘘のように軽い音を立てて、大地に伏した。
ありえるはずのなかった光景が、目の前に広がっている。
神座桜は、間違いなく、枯れ果てていた。