八葉鏡の徒桜

エピソード7−10:桜花151年の閑話

 

 あれから、さらに数ヶ月の時が流れ――

 

 

 

 

 十尺を優に超える紅き剣が、少女を潰し斬らんとひとりでに振り下ろされる。

 その容赦のない斬撃にあてがわれたのは、青白く染まった一枚の扇だ。

 

「っ……!」

 

 トコヨは重すぎる一撃を受け流そうと試みるも、刃のあまりの強靭さに体勢を崩す。そのまま地面にこすりつけられるように押し込まれ、普段より随分と青ざめた衣が土に塗れていく。

 けれど、彼女は地面に食い込み始めた刃を辛うじて見切り、すんでのところで切り裂かれる結末を回避した。軽やかに飛び退いてどうにか間合いを離し、扇を弄びながら僅かな時間で息を整える。

 

 全身傷だらけになったトコヨの前に立ちはだかるのは、四振りの紅き大剣を携えたメガミ。

 あどけないその顔に無表情を張り付かせ、見下ろすかのように剣ごと宙を揺蕩う彼女には、未だ傷らしき傷が見当たらない。それが、この戦況をありありと示すようだった。

 ただ、周囲の地面に無数に刻まれた刃の爪痕は、トコヨが致命の一撃から逃れ続けている証左でもある。戦場となった街道は、もはや耕地かと見紛うほどに荒れ果てていた。

 

「ふっ――」

 

 四振りの剣が動きを見せた次の瞬間、トコヨは目の前の空間を扇で掬い上げた。一番槍として胸を薙ぎ払うように迫ってきた大剣を跳ね上げて、下へ潜り込んで回避する。

 だが、やはり斬撃の重さは耐え難く、無理のある姿勢となった彼女が次に選択できたのは結晶での護りだけ。それも、腹を突き刺そうと向かってきた二撃目に紙くずのように切り裂かれ、掠めた脇腹が削り取られていく。

 

 そこへ突きつけられる三撃目に、トコヨは思わず目を剥き、心中で舌打ちする。

 三本目と四本目の巨剣が螺旋を描いて一体となった刃が、寸分違わず狙いを定めている。

 この戦いで幾度か振るわれ、その都度紙一重で躱してきた螺旋の刃が、体勢を崩したトコヨに向かって次こそはと滑り込んできた。

 惨劇を想起させる血色の刀身だからというだけでは終わらない、なにかもっと悪い結末を想起させてくる、本能的な戦慄を呼び起こすその気配が、彼女の表情に恐れを滲ませる。

 けれど、その恐れは彼女にとって力でもあった。

 

「あぁ……」

 

 体勢を急激に戻しながらではありえない、柔らかく繊細な悲嘆の吐息がトコヨの口からこぼれ出る。

 恐れにただ支配されるのではなく、演じ手としてその恐れを伝播させる――取り込んだ恐怖を舞へと昇華させる彼女は、決定的な一撃を相手が放った今にこそ唯一無二の好機を見出し、迫る螺旋の刃へと相対した。

 

 淑やかな手の運びは、まるで扇を寄り添わせるように。

 それでいて、隣り合った死と辛くも別れを告げるように。

 恐れと畏れを演じる決死の舞は致命の一太刀を優美に逸し、トコヨの背後の地面に刃は深々と突き刺さる。返す刀で投じた扇が、演者の持つ鮮烈な恐れを届けるように疾く宙を駆け、刃の担い手の頬を切り裂いた。

 

 

「……!」

 

 この戦いにおいて初めて、剣のメガミの表情が揺らぐ。感情を持たないかのような少女であろうとも、畏れは正しく伝播したようだった。

 その感情に突き動かされたのか、先に放った二本の刃が再びトコヨを追い打つ。

 込められた力の強さを示すように、刃は強すぎるほどの光を孕んでいた。

 

 あまりにも全力で、ただ力んだというには過剰になってしまったようにしか見えないその一撃。

 トコヨが、それに動じることはなかった。

 それどころか、舞い終えたその身を正面から晒し、ただただ受け入れる。

 右の口端を歪めて、微かに微笑みながら。

 

「――――」

 

 ドォッ! と大地が悲鳴を上げる。その衝撃音に呑まれ、声は一つも聞こえなかった。

 剣のメガミが帰還させた大剣が土煙を払うと、そこに人の形は存在していなかった。もはや力の奔流と化していた最後の斬撃は、トコヨを跡形もなく消し飛ばしていた。

 

「…………」

 

 表情を無に戻した剣のメガミが、じろ、と瞳だけを動かす。

 立ち上った土煙に交じるのは、黄緑色の花弁たち。

 はらはらと舞い落ちるそれらを浴びながら、螺旋の刃は再び振るわれることもなく、彼女の傍で所在なく浮かんでいた。

 

 

 

 

「それで、彼女は何者なんだ?」

 

 老齢の男の問いが、戸の隙間から漏れ聞こえてくる。張り上げているわけでもないのに腹にまで響いてくるような、不思議な抑揚を持った声だ。この古めかしい社のように、長く積み重ねてきた時間を感じさせてくれる。

 ここからでは、ぴんと伸びた背筋が見えるだけで、座す彼の面差しは窺えない。そもそも、彼は薄い石版のような仮面で顔を覆っているようであり、表情を読むことは誰にも叶わない。

 

 そしてそれは、彼に丸めた背中を向ける少女もまた同様だった。彼女は宙に浮いた石版に腰掛けて、組んだ両手に顎を乗せながら、考え込むように男の言葉を聞いている。仮面は元より、長い髪が邪魔をして、男以上にその顔色は覗い知れない。

 男は再度、問いを重ねた。声へと微かに滲んだ不満の色だけが、彼の心情を示していた。

 

「あの紅き剣のメガミの正体だ。知っているのだろう?」

「…………」

「何も私は、他のメガミを害する敵だ、などと言うつもりはない。むしろその逆だ。千洲波の民と共に、龍ノ宮の桜や北限から現れた奇怪な化け物たちと戦っている現状を、私は知っている。この地への加害を目論む輩と謗るのは筋違いだろう」

 

 そして、と男は継いだ。

 

「変容したメガミを襲撃していることにも、おそらく相応の理由があるはずだ。ヒミカの乱心と、そこから生じた現象を踏まえれば、彼女が我々より先を見ているのは想像に難くない」

 

 そこで男は、一つ間を置いた。音もなく深く吐いた息は、落ち着き払った言葉運びが乱れないように努めたものか否か。

 けれど、その静かな語りを続ける中に、感情は徐々に滲んでいった。

 

「だが、私は見た。不変を本質とするメガミにすら変質は訪れ……だからこそ、彼女は恐れていた。見ていられないほどにひどく……恐れていたんだ」

「…………」

「あのメガミたちは、この地に、桜に、仇成す神なのかもしれない。それでも……彼女が辛うじて逃れ得たことに、徒と散らずに済んだことに、安堵を覚えている自分がいた。それに、気づいてしまった。だからこそ、私は今、こうして貴女の前にいるんだ……」

 

 感じたままに告げられる恐れが、少女の背中を打つ。今までは枯木でありながらも凛と屹立する様であったものが、汲み上げたその感情の重みに枝先が項垂れてきていた。

 苦渋も露わに、男は改めて少女に訊ねる。

 

「せめて、剣のメガミが何者なのか、そして何のために行動しているのか……貴女の口から聞かなければ、私は到底納得できそうにない……!」

 

 悲痛な訴えは、厳しい推測と理不尽な現実に板挟みにされた彼が、ようやく絞り出した叫びのようだった。自制の隙間から漏れ出す苦しみの裏に、一体どれほどの苦悩が渦巻いているというのだろうか。

 

 少女はその嘆願にすぐに答えることはなかった。ただ、組んでいた手を解いて、僅かに天を仰ぐ様を見るに、考えをまとめているようだった。

 やがて、彼女は結論を確かめるように呟いた。

 

「……元来、それを語っていいのは彼女自身だけなんだけど、この状況じゃあやむを得ない……か。それに、こういった諍いで仮面の預言者を失うなんて、カナヱとしても望むところじゃあない」

 

 そして少女は、腰掛けた石版ごとくるりと振り返り、観念したように男と正対した。

 見上げる彼の求めに応じ、彼女は告げる。

 紅き剣のメガミの、その名を。

 

「彼女はカムヰ。カナヱと同じ、最古の三柱が一人」

 

 少女はさらに続けようとするが、

 

「そして、その権能は――」

「……!」

 

 言葉は、唐突に途切れた。

 そして、ずれた仮面の陰に、少女が持つ吸い込まれるような瞳を見た。

 その眼差しはこちらを捉えていないはずなのに、その意識は、はっきりとこちらへ向けられていた。

 

 

「ぁ――」

 

 直後、自身の意識が急速に黒く塗りつぶされていく。自分は今眠りについているべきだ、という脅迫じみた感覚が、自我を侵していった。

 最後に見たのは、何故かこちらに迫ってくる床の板。

 思わず目を瞑って――――……