号令に蜂起したかのように、歴史を蝕む蔦が一斉に蠢いた。
桜降る代という逞しい枝の傍流であった朽ちかけの歴史が、みるみるうちに崩れていく。骸晶の蔦が息の根を止めるかのように巻き付き、そして何もなかったかのようにまだ形を保っている枝へと食指を伸ばす。
――そんな……!
目の前で、歴史があっけなく失われた。
未来が閉ざされた程度ではない。一つの系譜が完全な消滅を迎えてしまったのだ。
少女の宣言を皮切りに激変した事態に、ヤツハを悍ましさが襲う。
これまでの腐海のような、不穏さを覚える侵食ではない。
徒寄花が、これまで紡がれてきた歴史を圧倒しようとしている。
まさしくそれは、侵略に他ならなかった。それも、相手を根絶やしにするまで止まらない、絶滅のための侵略だった。
残された歴史を、余さず喰う。
全ての可能性を摘み取るかのように。
無論、彼方の枝は元より、桜降る代とそこに至る歴史も例外ではない。
ヤツハの足元にまで、絶望の蔦が迫っている。
――っ……!
湧き上がる戦慄を噛み殺し、ヤツハは力強く少女を睨む。
少女は、繰り広げられる非道を見下ろして、笑みを浮かべていた。そこには今までの語り口を思わせる儚さを滲ませているものの、彼女の顔立ちは造形だけ見れば快活さを感じさせるそれだ。あらゆる印象が揺らぐ、掴みどころのない相手だった。
その態度に、ヤツハの眉根を寄せる。
鏡との繋がりを確認したヤツハだったが、行動に移す前に制止がかかった。
――少し……待ちたまえよ。
――か、カナヱさん!? 大丈夫で――
慌てて確認して、ヤツハは絶句した。カナヱの腹部にかけての左半身が、腕を巻き込んで崩れ落ちていた。
まさしく風穴が空いたと言うべき容態は、顕現体にとって致命傷に等しかった。削れた断面からは大量の桜飛沫が散っており、今なおぼろぼろと端から崩れ落ちている。不意打ちとはいえ、少女の一撃はあまりに重すぎる爪痕を刻んでいた。
しかし、カナヱの制止はヤツハだけ向けられたものではなかった。カナヱの眼差しは、どちらかと言えば少女に対している。
強がりかどうか、不敵な笑みと共にカナヱは言った。
――ここで顕現体が傷つくのって、こんな感覚なんだね……。もう分かったから、また直接来れないか今度ヤツハと試しておくよ。この顕現体、作るのもそんな簡単じゃあないんだ。
――私がもっと、上手に鏡を使えていれば……。
――ヤツハが気に病む必要はないさ。なあ、そこの君。
水を向けられた少女。その瞳がカナヱを注視する回数は如実に増え、あらかさまに眉を顰めていた。
ヤツハに対するよりも色濃い、カナヱへの悪意。相手が既に満身創痍であろうとも、臓腑を鷲掴みにしてくるような不快なその悪意を、少女が収めることはない。
しかし、対するカナヱの態度は悠然そのもの。死に体なことなどもう気にも留めていないと言わんばかりに、枝を離れふわふわと浮かんでいる。
その視線だけを、研ぎ澄ませて。
飄々と受け流すでもなく、真正面から受け止めるばかりか、少女の瞳の裏に隠された悪意の根源に立ち入らんとするように。
それがなお気に入らないのか、少女が槍を握る手に力を込める。
それでもなお、カナヱは踏み入るのをやめなかった。
――ヤツハのことを見て、予感を覚えてはいたけれど……。
ついに現実となってしまった――そう痛ましい表情で、カナヱは言った。
――やはり、君と徒寄花は同じものだった。旧き預言者たちが悲しむよ。可能性の影、その再来というわけだ。
――ッッ……!
ギリ、と空間の曖昧さを突き破って、少女の歯が軋む。
カナヱは構わずに続ける。
――姿や人格を持っていたとはね。最古の徒神……いや、むしろ取り入れたのかな?
――やめ、ろ……。
――それだけ本気というわけだ。かつては茫洋なる星空として、未来に――
――やめろって言ってるのよッ!
激昂した少女が、空いた左手の指先を跳ね上げた。
直後、カナヱが二つに分かたれた。下で繁茂していた骸晶の蔦が織られ、槍となってカナヱの腰を貫き、初撃のようにバラバラに崩壊させていた。
顕現体が、限界の上をさらに超えた。
――カナヱさんッ!?
反射的に名を叫ぶ中で、ヤツハが覚えたのは動揺だった。
残ったカナヱの顔には『ここまでされるとは』と言いたげな小さな驚きが浮かんでいる。何かしらの確執に触れたつもりではいたのだろうが、彼女にとってすら相手は計り知れないという証拠だった。
けれどそれ以上に、両断されたカナヱに苦痛も怒りも悔しさもなく、仕方なさげに宙を舞っていた。もう消える定めだったとはいえ、せめて一矢報ようといった様子もなかった。
どこか、この結果を受け入れている。
自分から動かないメガミとはいえ、首魁らしき敵への態度ではない。それなのに、相手に敵わぬ諦めの類も全く感じられないものだから、ヤツハは混乱しかけていた。
そんな内心を見透かしたように、カナヱが微笑みかけてくる。
凄まじい桜飛沫に包まれた彼女は、
――大丈夫。カナヱはただ、退場を求められただけさ。
――で、でもっ!
――そうだね。せめて最後に……道を創るよ。
急速に光へとほつれていくカナヱの身体。それら輝きが、ヤツハの傍にある大鏡へと集っていく。
カナヱが砕け、還るほどに、鏡は輝きに満たされていく。
その鏡から、やがて二条の光が伸びた。
一つは、遠く彼方へ。
徒寄花打倒を成し遂げた歴史の彼方へ、言葉通りに道となるように。
そして、この光景を見聞きし、感じる意識が一瞬眩む。
もう一つは、『こちら』側へと伸びてきた。
――あぁ……。
やがて得心したように、ヤツハが息をつく。その頃にはもう、カナヱの姿はこの空間から消え去っていた。
後に残されたのは二条の道とヤツハ、そして敵意滲む少女。
少女はカナヱの撃破に特に満足するでもなく、憮然とした様子だった。ぶら下げた槍の穂先を、落ち着かなげに足で弄んでいる。
それから彼女は、余分な苛立たしさを吐き捨てるように、
――別に……いいわ。
そう言い残すと、揺らめく不気味な虹の光となって、制止する間もなく消えてしまった。
一人になったヤツハの耳に、パキパキ、という不吉な音が輪唱する。脅威の化身が去ったとて、桜降る代を取り囲まんとする蔦はなおも蠢いていた。
歓喜から一転、真の脅威が運んできた絶望。
あの少女を眠る脅威の顕現と呼ばずしてなんと呼ぶ。
カナヱの意図然り、ここで折れるヤツハではなかったが、すぐには行動に移せない程度には敵が強大であったのも確かだ。邂逅と別れは、その重みからすると僅かな時間で、ヤツハには少なからず整理が必要だった。
だが、その余裕すら相手は用意してくれなかった。
『や、やつはんやつはん! 聞こえてたら、急いで戻ってきてくださぁい!』
――わっ! くるるんさ、ん……。
鏡から突然、慌てた様子の友の声がして、ヤツハは湧き上がった予感に表情を硬くした。桜降る代側の装置と鏡を介した、一方通行の緊急連絡だ。
ヤツハは彼方との繋がりを再確認すると、鏡の見た目を二回りほど大きくして、光で白んだ鏡面に駆け込んだ。広漠で明るい領域から桜降る代の徒寄花の世界に戻ってくると、その狭く広大な星空の中で、徒神に変質したクルルが落ち着きのない様子で待っていた。
久しぶりのはっきりした身体の感覚に喘ぎながら合流すると、
「ど、どうし――」
「とにかく出ますよ!」
説明もなしに手を引かれ、出てきた鏡と反対側に開いた青白い光の扉へ共に飛び込む。
帰り着いたのは、ユリナたちを見送ったいつもの北限の洞窟。所狭しと絡繰が立ち並ぶところもヤツハの記憶と同じで、刺すような寒さがいっそ懐かしくさえあった。
けれど、ヤツハをまず出迎えたのは、あの日にはなかった警戒を喚起させる甲高い鐘の音。歴史渡りで問題が起きたときのために、各地の桜の異常を知らせるものだ。
そしてジュリアは、その警告を無視してヤツハに急いで駆け寄った。
「や、ヤツハサン! タタ大変デス、外で、コルヌサマが!」
「……! ここに居てください!」
予感は、的中した。苦虫を噛み潰したようなクルルが、その口を開く必要はなかった。
洞窟を抜けた二人の前に広がっていたのは、悪夢だった。
銀世界を我が物顔で闊歩する、徒寄花の怪物たち。
出来損ないの人の形をした星空色の木偶の坊が、武具を形だけ曖昧に取り込んだ四肢を調子を確かめるように振り回し、得物を向けるべき獲物を探し彷徨い歩く。
いつもは強烈な吹雪も彼らに気圧されたように遠慮がちなこともあって、その体躯は白銀に墨汁を落としたように嫌でも目についた。
何より、今なお増え続けるその数たるや、数えるのも馬鹿らしい。
原因は明白。雪煙に覆われた陽光の下、ぽつぽつと空に浮かぶ大鏡が星の海を吐き出し、淡々と怪物を産み落としていた。
そのどれもが今顕現させた自身の鏡とは異なると、ヤツハの感覚が告げている。
この歴史の徒寄花がカナヱから奪ったように、元は全てカナヱのものだったのだろう。星の数ほどある異史において、カナヱたちから簒奪した可能性を見通す鏡が、侵攻の門として再び悪用されているのだ。
「やっと来よったかッ!」
コルヌがかち上げた右脚が、眼前の甲殻に覆われた怪物を縦に引き裂いた。振り下ろす勢いでその場で旋回し、蹴り飛ばした雪が氷の刃と化して周辺の敵を貫いていく。
凍てつく風で数体の足止めを図ったコルヌは、遅参した二人を刹那睨める。
だが、凍りついた怪物の陰から、彼女の背めがけ別の怪物が四体飛び出した。
「危ないっ!」
ヤツハは鏡像を生み出して瞬時に移動し、大鏡より喚び出した巨腕が怪物たちをまとめて薙ぎ払う。圧殺せんと迫っていた彼らは、凍りついた仲間もろとも深い雪に埋没する。
悪意に満ちた星の海に抗する、ヤツハの星の海。
かつて怪物の証であったそれを行使する表情に、もはや惑いはない。
並び立つそんなヤツハを見て、コルヌの口元が微かに緩んだ。
「さて、鏡によるこの攻勢……『始まった』と見てよいのだな?」
「間違いないかと。カナヱさんが敵にやられました」
「かかっ! 隠居しすぎて遅れを取りおったか。ならば我らは、一層奮闘せねばなるまいて。なあ!」
にやり、と獰猛に笑いかけてきたコルヌへ、ヤツハも力強く笑みを浮かべる。
如何に視界が悪いとは言え、人気のない大雪原では戦いの震源地は隠せるものではない。方々で生まれた怪物が、手近な敵の気配に惹かれて軍団の影を雪煙に映し出す。
徒寄花の怪物の主な狙いは神座桜。ヤツハたちに気づいていない怪物が何割か、果桜のあるさらに北を目指そうとしていることからもそれは確かだ。
もしも怪物が果桜を討ち取れば、彼らは次の標的を探し求めるだろう。この大群が南下を始めれば、必然として人の営みは尽く蹂躙される。その連鎖が終わった先には、荒涼とした大地がただ残るばかり。
ヤツハの脳裏に、可能性の大樹の出来事が蘇る。
戦いは、ただ目の前の神座桜を守るためだけではない。
桜降る代という歴史を巡る戦が、幕を切って落とされたのだ。
「おおっとぉ、くるるんを忘れてもらっちゃあ困りますよぉ!」
声と共に、ヤツハたちの背後から数条の光線が打ち出され、立ち込める雪煙と共に怪物たちを撃ち抜いた。
射手たるクルルは洞窟の前に陣取り、周囲に大量の絡繰を展開している。その道もまた守らねばならない、希望への道だった。
短銃を持った手を振り、クルルは軽快に笑う。
「じゅりあんには近づかせないんで、ぱぱっとやっちゃってください!」
「ハッ、言われずとも!」
号令を受け、ヤツハとコルヌが権能を解き放つ。
極寒の地に、花々が咲き乱れる。

この時、遍く大地に星の影は落ちていた。
北限のみならず、大鏡は各地の大きな神座桜を中心として、侵攻の扉を開いていた。
広がる重い曇天の下、怪物が群がる神座桜の輝きはいやに眩く見える。かの終焉の影に呑まれたあの日よりも、目の前で蝕まれようとしている分、各地では悲惨な光景が繰り広げられていた。
人間も、ミコトも、メガミも、現れた脅威を前にただ悟る。
敗北の先に未来はない、と。
薙刀の刃が、星空の体躯を水面ごと切り裂いた。
「はッ!」
海上をミズスマシの如く泳いでいた怪物が、腕を一本切り落とされて浮力の均衡を崩す。
サイネは、死なば諸共と突進してくるそれに対し、神速の二連撃を追撃として叩き込む。残る前腕を一本、背を覆う亀のような骸晶の甲殻の継ぎ目を一箇所、的確に断ち切るや否や、大きく跳躍して怪物の頭上を飛び越した。
顕現させた水晶を足場とすることで、サイネはまるでトビウオの如く水上を縦横無尽に飛び跳ねる。
跳躍の勢いを乗せて、空を行く鳥じみた怪物を両断。さらに一抱えほどもある衝音晶を生み出すと、足場として使った直後に破砕する。破片に何重にも共鳴して生まれた振動は海を波立たせ、浴びせられた怪物たちはもがいて動きを止めた。
その隙を狙い、海中から押し寄せた強烈な水流が、怪物を沖へと押し流す。
そして沖に散在する水球が敵の接近を感知して爆ぜ、硬質な外殻ごと肉体を砕いては吹き飛ばす。
「ふぃー、キリがありませんね」
浮かぶサイネの足元に、人の形が顔を出した。ハツミである。
徒神の姿に変じるハツミは、じわじわと岸や海原から押し寄せてくる怪物たちを眺め、水球を次々と周囲へ流していく。
手を動かす間、ハツミは訊ねた。
「北は大丈夫なんです?」
「ええ。コルヌ様たちも、信頼できる皆もいますから。……クルルは、少し信頼しがたいですが」
「あはは……」
苦笑いするハツミ。
サイネは、それに、と続けて、
「今為すべきは、皆が帰る場所を守りきること。だからこそ、私は私にできることをただ為すだけです」
薙刀を構え直し、威圧するように侵略者たちへ切っ先を向ける。
ハツミはその姿を見て、拳を握り込んだ。
「……そう、ですね。あたしももう一度、七つの標を。それを……正しき命運にするために!」
差し出された石突に、ハツミがその拳を合わせる。再び二手に分かれた両者は、芦原の海で怪物たちを翻弄する。
彼女たちの舞い踊るその水底には、水鏡桜が滔々と煌めいている。

大樹を杭にしたような巨大な槍が、トコヨの鼻先一寸を掠めていく。
質量に任せた刺突を優美にいなされ、体勢を崩した怪物を、閉じた扇の尖端が受け止める。それは加速で膨らんだ自らの重量を一点に受けることを意味し、上半身を支える脇腹が砂礫のように崩れ去った。
そのままくるりくるりと、粗野な暴力になど侵されぬばかりに美しく舞う。その様は、まさしく完全性の体現である。
そこに織り交ぜるのは、恐怖の情感。かつて徒神として身につけた破滅を想起させる舞が、怪物たちの衆目を集め、その矛先を一身に集める。
そこに疾駆する、一つの影。
目にも留まらぬ速さで怪物たちの合間を駆け抜けたかと思えば、軌跡にぬらりと煌めくのは鋼の糸。
トコヨの傍に現れたオボロが手を引くと、雪崩のように転倒した怪物の軍勢が、互いの重みや勢いに引かれ、見えない糸に引き裂かれていく。
「あんたと力を合わせてこんなのと戦ってると、どうしても思い出しちゃうわね」
背中合わせに立ち位置を変えたトコヨが、言葉に仄かな毒を込めた。
オボロはそれに苦笑して、
「背中を合わせる相手が不満か?」
「なっ――」
顔を赤らめたトコヨは、敵を視界から外さないよう、限界まで目を寄せて背後のオボロを睨もうとした。
ただ、結局相手の顔すら視界に入れられないことに歯噛みして、扇でオボロの脚を叩いた。
「今回は何も企んでないわよね!?」
「拙者の性分では否定しきれんが……少なくとも『この拙者』は何も企んではおらんよ」
「はあ……自分も信じられないなんて難儀なことで」
呆れるトコヨに、オボロは困った顔で肩を竦めた。直後、余談は終いと真剣な顔つきに戻った二人は、誘引と殲滅の罠を再び張り巡らせる。
彼女たちの優美なる舞台を観劇するように、白金滝桜はしずしずと煌めいている。

光輝耀き、影が渦巻く。
相反する二色の力で抗戦するのは、勾玉を携えたヲウカだ。
「寄るなっ……!」
桜の光は星空を晴らすが如く怪物を打ち据え、桜の塵はさらなる闇で覆うが如く怪物を呑み込んでいく。
しかし、死角から抜け出してきた怪物の大爪による斬撃が、ヲウカの衣の端を引き裂く。息の詰まった彼女は、反射的に腕を振るって桜の力ありのままを怪物へぶつけ、強引に距離を取る。
脚は竦み、硬く結んだ口に恐怖が滲む。
力ある者として戦場に立つ一方で、歯を食いしばりながら戦うその姿は、寄る辺を失ったようにどこか弱々しい。恐れが視野を狭め、判断を鈍らせ、手元を狂わせてはさらに際どい交錯に恐怖する悪循環は、主神の立ち居振る舞いとは程遠く、危うい。
次々と迫る怪物の群れに、ヲウカがじりじりと押される。
だが、
「『あの糞婆が、こんなところでこの地を、人間たちを、諦めるものでしょうか』」
ギリッ、とヲウカの奥歯が鳴った。
同時に勾玉から放たれた光と影が、余波でヲウカの髪を激しく弄ぶ。先程とは比べ物にならない怒涛は、ヲウカを取り囲まんとしていた怪物たちを尽く打ち払った。
戦果を前に、ヲウカはしばし呆気にとられる。
そしてはっと気づいたように声がした方向に目を向けると、そこには書を開いたシンラが真意の伺えない微笑みを顔に貼り付けていた。
眉を寄せて、ヲウカは問う。
「どういうことでしょうか」
「何、この地を守る意志は、私の胸にも確と満ちていますから。巡り合わせとはいえ、せっかく肩を並べるのです。互いに鼓舞は大いにすべきでしょう?」
あからさまな建前にヲウカが目で続きを求めると、シンラは薄目でくすりと笑った。
「一つ、恩を売っておこうかと。天秤の石は、もう少し強かなほうが望ましいですから」
「……結構。命賭して尽くしていただきましょう」
シンラの嫌味に、ヲウカはせいぜいそう告げるしかなかった。
隠しきれない怒りを怪物たちに向け、勾玉のみならず桜で編んだ小刀を構える。己が源流より続く宿敵、そして仇へと背を預けた。
御名を騙る者と暴く者を見守るように、桐子桜は凛と煌めいている。

「ていやぁーっ!」
巨大な鉄槌が、空を支配せんとしていた怪物たちを片っ端から打ち砕く。振り抜かれた豪快な一撃の威力を喧伝するように、ゴォン、と盛大な鐘の音が街に響き渡る。
ハガネは縮小する大槌と共に、くるくると戦場を落下していく。見下ろす地面には、迎え撃つ多数の怪物たちの影が広がっている。
柄を握る手に力を込めた直後、その腕が力強く握られ、身体が宙に留め置かれた。
「ヒミカっち!」
笑顔咲かせるハガネに、ヒミカがにやりと笑いかけた。足裏から噴き出す火の勢いで飛ぶヒミカが、ハガネをぶら下げる形だ。
ヒミカはそのまま空いた肩を竦めると、
「危なっかしくて、つい手ぇ貸しちまった」
「むーっ、下のもまとめて吹っ飛ばすつもりだったもん! 一人で大丈夫っ!」
頬を膨らませるハガネが鉄槌を少し大きくすると、増した重みをヒミカが慌てて支える。
抗議じみたそれに、けれどヒミカが文句をつけることはなかった。
戦場に似合わない温和な笑みを浮かべ、ヒミカは小さく呟く。
「そうか……。ああ、そうだな」
「え、何?」
「――いや、なんでもねぇッ!」
そう言うと、ヒミカの手から特大の火球が放たれた。待ち受けていた怪物ごと直下の地面を焼き払い、着地するヒミカとハガネを避けるように周辺だけを燃え上がらせる。
二丁の銃を顕現させたヒミカは、火に悶える怪物の軍勢へ景気づけとばかりに連射する。
歯を見せ笑うヒミカが、高らかに告げる。
「さあ、ここからはいっちょヒミカ様の大活躍と行こうか! どっかのアタシのケツ拭く訳じゃねえけど、今回ばかりは守りに回らせてもらおうじゃねえか!」
銃声と同時、炎の壁が外周側へと津波のように広がり、地を這う怪物が脚部を焼き焦がされて転倒していく。
それを見たハガネは、今一度大槌を膨らませた。
「うん! めぐめぐたちが頑張ってる間、この桜はあたしたちが守らないと。絶対にっ!」
大地との斥力によって、ハガネが宙へ舞い戻る。注ぎ込まれる遠心力が、侵攻の歩みを打ち砕く力となる。
その戦場に咲くは、かつて栄華の証として八大名桜の末席に加わるはずだった神座桜。
数奇なる因果の果て、名を得たばかりのそれが、花弁を揺らす。
彼女らと共に戦う意志を訴えるかのように、希龍桜は力強く煌めいている。

幽玄なる鎧武者たちが、幽世の門より続々と馳せ参じる。
多様な武器を模した体躯を有する様々な怪物の進軍に対し、補充の兵員へと号令が次々と飛んでいく。
「右翼、誘引後の前線の守りを補強! 追加の遊撃部隊は中央進出を支援、右方への展開にて寸断し、挟撃しますの! 騎兵部隊は残敵掃討、深追いは厳禁でしてよ!」
軍配を片手に駒を動かし続けるのは、瑞泉城渡り廊下の屋根の上に陣取ったミズキだ。
例に漏れずさほど防衛を重視していない城郭と立地だけあって、この北城壁には右から左からわらわらと怪物たちが迫っていた。だが、戦域がどれだけ広かろうと、ミズキが全霊を賭して招集し続ける兵の数が困難な防衛を叶えている。
強引な突撃を試みる怪物は分厚い盾の壁に阻まれ、背後から繰り出される槍の餌食に。
巨体を引きずる敵は孤立させられ、縦横無尽に馬を駆る騎兵によって切り刻まれる。
ただ防御を固めるだけではなく、怪物同士の連携が戦術の領域までは達していないことを突いた、即興の機動防御。指揮するミズキもさることながら、阿吽の呼吸で叶える兵も一人ひとりが猛者揃いである。
そして、城壁の上より戦場を睥睨する闘神が一人。
腰だめに構えた桜色の人影が正拳を放つと、足止めされていた大きな怪物の腹に風穴が空いた。
「コダマ! 左翼から飛行型複数!」
端的な伝達だけで、幽体が向き直る。かの決戦にて出陣したときより僅かにはっきりとした長身の体躯は、兵だけでは為し得ない必殺の一撃を将にもたらす。
しかし、引き絞ったコダマの拳が止まる。
ミズキが視認した空からの侵略者たちが、空色の光にまとめて貫かれたのだ。
計算外の撃墜に、けれどミズキは半ば予想していたようにため息をついた。
「はぁ……困りものですの」
こめかみに指先を当てていると、彼女の頭上に人の形をした猛禽が舞った。
呆れ顔を空に向けると、現れたミソラはさも不思議そうに言う。
「なんだい、僕が来たっていうのに」
「いえいえ。些か消去法とはいえ、どうにも快諾し難い縁に導かれたものですわね」
ようやく姿を見せた共闘相手に、わざとらしく肩を竦めて見せるミズキ。足並みを揃えるという概念をまるで知らないような自然の化身を見る眼差しは、これまでに溜まった疲労よりもなお疲れていた。
ミソラはそれに首を傾げながら、
「んー? 僕はよく覚えてないけど、そうかもね。なんだか腹が立つ相手がいたような気もするよ」
「……えー、私は存じ上げませんが、この怪物共を退けていれば、その素敵なお相手のこともそのうち思い出せるかもしれませんのー」
「そうかそうか、久々の狩りの楽しみが増えたね!」
上機嫌で戦場へと飛んでいったミソラに、もう一度ミズキは溜息をついた。
悠久を越えて受け継がれた意志は、どんな形であれ縁を紡ぐ。そんな摂理を語るように、翁玄桜は厳かに煌めいている。

降り注いだ雷が、怪物を上半身を粉々に破壊する。鋭く駆け巡る暴風は四肢を引き千切り、大きな図体の歩みを戒める。
動きを止めた怪物の足元に現れたライラの爪が、体躯の星空を深々と切り裂いた。
「つぎ!」
一呼吸だけして、彼女は再び獲物へと向かう。
メガミでも随一の機動力と、迅速かつ広範囲に打ち付ける風雷。広大な戦場でこそ輝くのは間違いなく、現にライラはたった一柱で己が定めた防衛線を敵に一歩たりとも踏ませていなかった。大きな円形という、全周から攻勢を受ける防衛線であっても、だ。
しかし、物量を前にしてじわりじわりと押されているのもまた事実。ライラが、壮大なる大自然の如く敵の前に立ちはだかろうとも、雲の合間に陽が射すようにいずれ綻びが生まれるのは間違いなかった。
敵は鏡から際限なく湧き出してくる。自然の摂理を踏みにじるような侵攻には耐え続ける他なく、ライラは身体の動くままに相手を屠り続ける。
しかし、怪物の喉元を貫いたところで、ライラの耳がぴくりと動いた。
崩れる巨体を蹴って宙を駆ける彼女は、誰かに聞こえるように言った。
「やっと、きた」
ライラの向かう先よりも少し外れた位置。柱のような脚で足元の湯を盛大に蹴り上げながらのし歩く、ひときわ巨大な怪物のその足元。
ゆらり、と影が滑るように肉薄する。
そして怪物の脚に細い切っ先を軽く一突き打ち込むと、怪物は一瞬震え、前のめりに倒れながら光へと散っていく。
「悪かったわね」
暗く不気味な笑みを湛え、長い黒髪を翻す致死の為し手。その名はユキヒ。
彼女は辺りの状況を把握すると、怪物を仕留めた簪で髪を手早く纏める。それから手にした番傘を思い切り振り回し、鎖で柄の伸びたそれが寄ってくる小型の怪物たちをまとめて打ち据える。
ライラは現れた援軍に大声で訊ねる。
「おおしごと、だった?」
対してユキヒは苦笑いを浮かべ、ちらりと空を見上げる。
そこに広がるのは、煌めく縁の糸。赤が、黄が、翠が、蒼が、藍が、紫が――質感も太さも様々な七色の糸が、桜降る代の全土にそれぞれ繋がっていくように、目の届かぬ彼方まで伸びている。
健在なその繋がりを確かめて、ユキヒはにっこりと笑った。
「大変だったわ。でも、怪物たちは桜を狙うんでしょう? だから、より深く結んでおいたのよ。みんなと桜の縁を」
笑いかけた先のライラにも、獣の皮のような胡桃色の縁の糸が伸びている。
ユキヒは怪物を仕掛け番傘の鎖で転ばせると、
「あとは私自身が、ちょっと手薄な桜を守るだけね!」
縁を引き寄せ怪物を誘導する彼女に、電光を纏ったライラが反対側へ嵐のように走り出す。
在りし穏やかな日々と、その中で結ばれた数多の縁を振り返るように、湯気の中で湯煙桜が鷹揚に煌めいている。

そして、桜降る代の中心、咲ヶ原。
聖域たる陰陽本殿では、桜染めの旗が翻っては数多の精が舞い踊り、影編みの大鎌が引き裂いては数多の塵が万象を喰らう。
最も巨大な神座桜――無明桜を守護するために配されたのは、遺構に強い縁を持つ陰陽の体現者たる二柱・ホノカとウツロ。
山のように空へと吹き抜ける本殿は、本来この時間であれば、徐々に夕日の橙が混じり始めた陽光が混じり、得も言われぬ色彩に満たされているはずだった。
だが今、聖域は忌々しき星空に蝕まれている。
外から中から、押し寄せる怪物の数は膨大。至る所で鏡が星空を吐き出し、果てなき侵攻は他のどこよりも激しく、無慈悲だった。
「徒寄花もっ、分かってっ、攻めてますよねっ?!」
「関係、ないっ!」

ホノカの愚痴に付き合わなかったウツロも、顔には既に疲れが滲む。
だが、見た目に小さなこの二柱に対し、怪物の大軍は物量以外に勝る要素が一つとしてありはしなかった。本殿の中央に鎮座する無明桜の、大きく広がった枝花の影すら立ち入ることができていない。
ホノカもウツロも、ユリナに救われた頃のままではない。
各々が強かなる意志を持ち、しかし心は一つに重なった。解き放つ原始の権能は絶大で、大桜の下という最高の戦場も相まって、絶望的な数の差を覆し続けている。桜の精によって鏡の破壊が叶うことも戦況に大きく寄与していた。
果てはない。しかし、二柱もまた心折れぬ限り、無尽の奮戦に挑み続ける。
だが、
「ウツロちゃんッ!」
ホノカが名を叫び終えるよりも前に、ウツロは上に手を翳していた。
無明桜を目指す、一筋の閃き。
その異様さを感じ取った二柱によって、桜と影が寄り集まり、陰陽の盾となる。
飛来するのは、一本の槍。骸晶の蔦で編まれた、歪で奇怪で、悍ましさを覚える、鋭い槍。
槍は盾に激突すると、少しばかりの衝撃を周囲に撒き散らし、一瞬だけ静止した。
しかし、次の瞬間には守り手たちが目を剥いた。
槍が冷たい黄緑の光を放つと、桜も、影も、ふいに掻き消えた。まるで、どちらも本来在るべきではなかったと告げられたかのようだった。
そのまま速度を思い出したかのように、槍が再び無明桜を貫かんと迫る。
その刹那、
「ハカミチ」

大地より生じた数多の巨大な紅刃が、四方から槍を逆に貫いた。
槍の推力を奪うには一枚でも足りず、二枚でも足りず、けれども山脈の如く連なった刃が身を挺して食い止め、ついには宙に縫い留められた。
ひとりでに横薙ぎする大剣が、槍を弾き飛ばす。
桜の頭上に揺蕩うは、桜への脅威を排する原始の力の顕現・カムヰ。
最古の力を有する三輪の花が、天より舞い降りし不遜なる存在を睨みつける。
降臨するは、たった一人の少女。移ろう太陽の如くして冷めた玉虫色の長髪を揺らし、大きくはためく衣が不穏なる影を花々に落とす。
メガミたちは理解する。この少女こそが、眠る脅威の顕現であろうと。
同じ人の形にして異質なる力を中に詰め込んだその気配は、今までこの地に現れた徒神の誰もと比較にならないほど、世界から浮いていた。
別の歴史の影響で変化したわけでもない。
力を引き出し、取り込んだわけでもない。
支配され変容したわけでもなく、苦肉の策で産み落とされた落とし子ですらない。
本物――
あまりの違いに本当にそう呼ぶべきか分からずとも、それでもホノカは、こう呼ぶしかなかった。
「徒神……!」
「ふぅん……ここじゃそういう名前だったわね」

大して興味もなさそうに少女は呟く。
ヤツハの前から姿を消したあの少女は今、己の前に立ち塞がる三柱のメガミを睥睨する。その眼差しには一撃を防がれた憤りなどありはせず、敵を真っ直ぐ見ているようでいながら、まるで捉えていない、そんな胡乱な目線であった。
少女はしばし迷うにしては忙しなく、メガミたちの間で視線を彷徨わせると、やがて努めてカムヰを見据えた。
現れた脅威にとっての最も大きな脅威、それがカムヰなのは間違いないだろう。それはメグミの歴史を含め、これまでの徒神との戦いで証明されている。ホノカとウツロもそれが分かっていて、怪物たちの処理に少しずつ意識を戻していく。
四振りの大剣を纏って漂うカムヰは、感情の見えない瞳を眠たげに瞼で半分隠し、気怠げに敵を視界に収めている。
その様子に、少女は目を細め、
「……似てるわね」
「……?」
ほんの僅かに首を傾げたカムヰに、少女はほくそ笑む。
「あなたもずっと、眠っていたいんでしょ?」
「…………」
「なら――幸せにしてあげるわ」
少女の手に、徒寄花の蔦が絡み合う。
繁茂した破滅の鎖から新たな槍が生まれ、刃がカムヰを映し出した。