神座桜縁起 後編

第6話:徒寄想起

 

 外れた矢が還り始めたと同時、空色の鏃が再び壁から顔を出した。

 襲いかかるのは第二射――否、間髪入れずにさらにもう二本の矢が少しずつ角度を変えて後を追い、容赦のない三連射が狙いを過たず飛来する。初撃ほどの威力ではないにせよ、一本足りとも通してはならない必殺の一撃たちだ。

 

「こんのっ……!」

 

 厄介極まりない追撃にアキナが毒づき、目にも止まらぬ指捌きで算盤珠を弾く。さらに彼女は苦笑いを浮かべ、炉と矢の間に陣取った。

 第一矢が不自然に曲がって横に逸れ、炉を掠めて何処へと消えていく。

 そして次に来る第二矢めがけ、アキナは炉の土台を足場にして飛び上がった。

 

「とりゃああ――ぁがっ……!」

 

 盾にしたアキナの顕現体から桜飛沫が舞う。不格好に落ちていく彼女の左肩には矢が中程まで突き刺さっており、炉には僅かたりとも触れていない。障害を無視する射撃とはいえ、同じ桜の力で編まれた肉体を無視するほどには、ミソラは権能を込めていなかったのだろう。

 けれど、身を挺して防げたのはその一本だけ。

 歯噛みするアキナが見上げる中、第三矢が牙を剥く。

 

 だが、その一本は炉の横を素通りしていく。アキナの権能による操作ではなく、最初から射線を間違えていたような軌道だった。

 その結果に、目を閉じて微動だにしていなかったレンリが苦々しく告げた。

 

「本分ではないんですけどね、ちょっと目隠しを」

「視界狂わせたんか!」

「期待ほど誤魔化せてはいないみたいですけどね」

 

 敵を見据えようにも、レンリたちにとっては物言わぬ壁が広がるばかり。そもそもミソラが標的を定めることができている段階で、戦況はあまりに一方的だ。防衛に徹するにしても、早々に限界を迎えるだろう。

 だからレンリは、古妙に向かって叫んだ。

 

「敵が見えないのは論外です! そこの壁、ぶっ壊しても大丈夫ですか!?」

「ええっ!? た、たぶんあっこの梁が無事ならギリへーきだろうけど、マジ!?」

 

 炉の陰に隠れていた古妙が、目を丸くして指を指す。ちょうど矢が飛び込んできた壁一帯を含め、天井の一角まで取り払える範囲である。

 駆け出したレンリが、光を帯びた衣を纏う。

 

「大マジです!」

 

 現れた姿は、大地の象徴・ハガネ。

 その手に握った背丈程度の大鎚の感触を確かめると、化けたレンリがアキナに吠える。

 

「瓦礫、お願いします!」

「便利使いすなやボケ! 任せとき!」

 

 声に後押しされ、レンリは助走をつけて大鎚を掬い上げるように振り上げる。勢いを吹き込まれた大鎚の頭はぐんぐんと大きくなっていき、飴のように伸びる柄によって壁と天井の境を見事打ち据えた。

 石を穿つ音、木を砕く音、鉄を割る音……数多の破壊音が瞬時に響き、打ち抜かれた部分が外へ弾き出される。立ち込める土埃の雲から雨あられと降り注ぐ瓦礫は、炉は元より壁際の計器類を傷つけない位置に狙いすましたかのように積み上がっていく。

 

 焦燥を冷やす外気が入り込み、アキナとレンリを縛っていた視界という枷が外されたのだと知れる。

 しかし、強引な解決を冷静に咎めるように、白煙を揺るがさずに次の矢が迫った。

 

「ぐっ……!」

 

 篭手を嵌めた手をかざした姿勢のまま、レンリの身体がぐんッと炉へと引っ張られ、その背に矢が突き立った。

 やがて煙が晴れたとき、見上げた彼方に浮かぶのは緑の色彩。

 ミソラはその空色の翼を広げ、聞く耳など持たぬとばかりに悠々と次の矢を番えている。普通、狙撃手は所在が割れた時点で一転して追い詰められるものだが、あくまでそれは地上での話。距離を横に置いても、彼女の高みには誰も追いつけない。

 

 もちろんそれは、満足に空を飛ぶ術を持たないアキナとレンリにとっては、依然として絶対的な差であり続ける。

 そして、射程もまた抗いがたき差であった。

 敵を目視できるようになったアキナが、降り注ぐ射撃を次々と逸しながら叫ぶ。

 

「マシにはなったけど、やっぱアカンでこれ! どついたらんと!」

「分かって、ますがっ……!」

 

 レンリが纏い直したヒミカの姿でもって、構えた二丁の銃が続々と火を噴く。だが、空を切り裂く炎弾のどれもがひらりと躱されてしまう。当たれば十分に傷を負う速度ではあるものの、何町も離れたミソラに辿り着く頃には既に失速している。かといって弾幕と呼べる数を放てるわけでもなく、レンリの模倣では射撃戦にほとんど対抗できていなかった。

 せいぜいが時間稼ぎ。元より自分の領空から離れるつもりのないミソラに対して、満足な反攻が望めるはずもない。

 

 果たしてこれをいつまで続けられるのか。誰もその答えは知らずとも、一矢も通してはならない守り側の重責ははっきりしている。

 苦渋に満ちたレンリが、背後へと叫んだ。

 頭を抱えてしゃがむ、古妙へと。

 

「古妙さん! 早く、あなたの為すべきことを!」

「……!」

 

 びくり、といきなり水を向けられた古妙が震えた。これまでは、近くに落ちてくる流矢を前に忸怩たる顔つきで息を殺しているだけだった。

 諦めとも賭けとも言えるレンリの言葉に、アキナも声を大にする。

 

「は!? 何を勝手に――」

「きっと、必要なことです! ここが命運の分水嶺……そのはずですから!」

「こんのボケチビはまた……しーやんはどないなるんや!?」

「万一があれば腹を切って詫てくれるはずです!」

「いや、だからへーきだってばぁ!」

 

 思わず反論した古妙に、レンリがヒミカの顔で力強い笑みを向ける。そのままレンリは、襲撃前に古妙が触れた箇所を背にするように位置取りを変えた。

 

「アキナさん!」

「あーもう! 分かったからはよせえ!」

 

 催促へ怒鳴り返したアキナが、どっしりと構え直した。

 桜花炉と中に眠るシスイのついでとはいえ、メガミ二柱が直にその身を賭して守った人間がどれほど居ただろうか。それも、長らくメガミが眠り続けてきたこの歴史において。

 何より、秘密裏に動いてきた古妙にとっては、間違いなく初めてのことだろう。

 古妙は、意を決したように告げた。

 

「ありがとっ! そっこで終わらせるから!」

 

 感謝の言葉と同時、装置の前に立った古妙の周囲で、青い光が再び迸る。

 彼女の周囲の光板が輝きを取り戻すところまでは、先程と同じだった。しかし、その胸の前にひときわ強く収束した光に、レンリとアキナが目を剥いた。

 

 青い光で編まれたのは、手のひらには少し余る幅の巻物。

 そして、その巻物から溢れ出した光が古妙の身体を通り抜け、彼女の背後に青くぼんやりとした人の形となって結実した。

 

「起動確認、与式異常なし、準備上々!」

 

 高らかに告げる古妙が両腕を広げると、背後の幻影もそれに倣い、巻物が腕の動きに合わせて紙面を横に広げて見せる。

 一拍の後、紙面から装置へと伸びる正方形の光は、秩序と無秩序の境界を揺蕩う緻密な格子模様を判子のように描いていた。もちろん手を伸ばす先は、用があると先程言っていた埋め込まれた箱のようになっている部品だ。

 架け橋が繋がるのを見届けて、古妙が宣言する。

 

「――電子神渉……接続開始っ!」

 

 古妙を取り巻く光が、巻物から伸びた光が、一層強く輝いた。

 傍から見て、彼女が今実際に何をしているのかは全く分からない。だが、息を呑むメガミたちは、それが尋常ならざる行為であることは肌で感じているようだった。

 間違いなく、この歴史においても特異を極めた行為。

 眠る脅威へ届き得るという言葉の証として申し分ない光景。

 成し遂げた先に大きな変化が待っているという確信が、じわじわとレンリの口元に現れていく。

 

 しかし、それはレンリが古妙の意思を知っているからでしかなかった。

 変化は正にも負にも起こり得る。

 ましてや、今まさに桜花炉を射抜かんとする者にとっては、最大限の警戒を呼び起こす光景だろう。

 

「っ……!?」

 

 風が、止んだ。

 瓦礫の破片が舞い、土埃が漂うこの戦場に外から流れ込んでいた空気の流れが、その一切を無としていた。粉塵がその場にわだかまり続ける様が、刻一刻と異様さを醸し出す。

 鋭い気配が、獲物との間を先んじて貫く。

 風なき空に舞う狩人に、力が結実していく。

 

「ミハテヌハテ――終の矢」

 

 それは宣告だった。

 追い立てた獲物、逃げ惑った狩り場、その全てを掌握し、次なる一撃で仕留めるという最後通牒だった。

 空よりもなお濃い空の色が、ミソラの姿を覆い隠すほどに輝きを増す。

 たった一本の矢に凝縮されていく膨大な力が、無慈悲な終わりをもたらさんとしている。

 

 アキナが肩を鳴らし、レンリが元の姿に戻って構え直す。

 装置と向き合う古妙が冷や汗を流し苦笑いを浮かべていたが、それでも地に足を着け、逃げる素振りはまるで見られない。装置へ意識を注ぎ続けるその様は、ともすれば殺されかねないメガミの逆鱗さえも邪魔だとでも言うようだった。

 

 古妙の奮闘を見て、アキナとレンリが頷き合う。

 出し惜しみなく力を解き放ち、現実を歪める二つの権能に一帯が奇怪な気配に包まれる。

 そして、

 

「来るでッ!」

 

 極光が、蒼天に嘶いた。

 絶大なる一矢を迎え撃つは、欺瞞の霧と算術によって視覚と著しく実態の乖離する空間。風より速い矢が、勢いを減じた気配はないのに途端に半分以下も進まない。

 

 その刹那の拮抗の背後で、古妙の巻物が出力を上げるようにさらなる輝きを孕む。

 蒼穹から下された鉄槌に抗するように、固く決意を秘めたる青が膨れ上がっていく。

 やがて光棚引く矢が屋内に飛び込まんとしたそのとき、臨界を迎えた光が屋内を輝きで塗りつぶしていく。

 溶け合うことのない二つの青が、全てを呑み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 ――うっ……。

 

 鏡の向こうで炸裂した光が、ヤツハの意識を焼いた。太陽を目で見てしまったときよりもなお、心が眩むような鮮やかさだった。こうした身体を飛び越えてくる感覚は可能性の大樹という領域ならではで、まだまだ慣れることはなさそうだった。

 しかし、その激しい光の中に、ヤツハは気配を感じていた。

 彼方で戦うメガミたちでも、ましてや古妙でもない。

 

 ――だれ……?

 

 逆光に佇む人型の影。実際にそこにいるかどうかも定かではなく、慣れない知覚が気の所為だとも囁いてくる。

 けれど、ヤツハがそれから意識を逸らさなかった。

 意識を絞り、ぼやける像を手繰り寄せ、鏡越しの邂逅に手を伸ばす。

 やがて影が形を成してきたとヤツハが思ったとき、声なき声が彼女の脳裏に響いた。

 

「ごめんね。安岐ちゃん、恋ちゃん……」

 

 儚さを滲ませた、少女の声。けれど、今までヤツハに挑戦的に語りかけてきたあの声とはまるで違う。

 力強く芯の通った意思。泥に塗れても先へ進む覚悟。

 それはまるで、一振りの鋼。見目麗しき刃紋などなく、鋭くあることさえあるいは捨てた、然るべき目的のために確固たる鍛造を経た一つの刃の形だった。

 

 しかし今、その無骨な刀身が震わせた声の寂しさにヤツハは予感した。

 この声の主こそが――

 

「しぃが目覚めちゃ、ダメなの」

 

 

 上辺の伝承だけでは一切辿り着けなかっただろう。アキナたちが断片的にでも語ってくれた人となりが、桑畑志水の名をヤツハに呼び起こさせる。

 鏡の向こう側、彼方の枝にいる彼女へヤツハは思わず問うた。

 

 ――あなたがシスイさんですか!? そっちで、一体何があったんですか!?

 

 だが、呼びかけが人影に届いている気配はなかった。元々、ヤツハが一方的に覗いているだけなのだから当然のことだった。それでも、これが桜降る代からの初めての接触だという認識が、ヤツハに声を上げさせていた。

 術はないものか訊ねるべく、目がカナヱを探す。

 しかし、代わりに降ってきた声が、ヤツハの望みを断ち切った。

 

『ふぅーん……』

 

 あの姿なき声だった。移ろい揺らめくその声色には、今は確かな不快の意図が滲んでいた。

 果たして声の主が手を下したのか否か、鏡に映し出されていたシスイの人影も、気配すらも失われていった。青い眩さに塗りつぶされ、もうただの虚像のようにしか思えない。

 

『そうやって、起こそうとするんだ』

 

 水を差されたばかりに、ヤツハは再びその声に向き合った。

 どこか自分と重なるところはある。だから敵意や悪意を剥き出しにはしない。けれど、ヤツハ自らの意思と、魂と、言い知れぬ予感故に、対立は避けられないだろうという覚悟を持っている。

 

 ――どういうことですか。

 

 ヤツハの問いに、声は何も反応しなかった。耳に届いていないかのように、息遣いの一つも聞こえてきやしなかった。

 だが、声の主は続きを紡ぐ。

 ふわふわと漂う中、眉間にしわを寄せたかのように。

 

『ちょっと……うぅん、かなり、不愉快よ』

 

 その真意を問う前に、ヤツハははっと鏡へ意識を戻した。

 何か、向こう側で大きな気配が膨らんだ。

 

 

 

 

 

 桜花炉『シロカネ』を有する古鷹精製所は、広大な古鷹家の敷地の一角に鎮座していた。元来、白金滝桜を戴く白金舞台があるはずの場所だった。

 歴史と伝統を尊ぶ古鷹の町並みは、芦原と同じく桜降る代と重なる部分が大きい。碁盤の目状に整備された区画は相変わらず整然と分かりやすい一方、七色に輝く櫻力灯看板のような装飾の類は極力控えられている印象だ。

 

 しかし、時折行き交う車や闇を払う灯りは元より、商品の代金を数えるのは計算機だし、煙家産の鮮魚すら店頭に並ぶ。神座桜を活用した産業発展がいっそう推し進められているのは間違いなかった。

 そんな古鷹の発展を支える大黒柱の緊急点検とあらば、やはり巣を突いたような騒ぎになるのは避けられない。炉室では休む暇もなく所員がずっと行き交い、都度議論を戦わせている。今朝どころか、昨日到着したその夜からずっとこの調子だ。

 ユリナとメグミは、それぞれ得物を杖代わりにして彼らを見守っていた。

 

「ふぁ……もうおやつの時間なのに、みんなすごいなぁ」

「みんなというか、忍っぽい人たちがずっと働き詰めなだけな気も……」

 

 苦笑いのメグミが手を振る先では、へろへろになって食堂に向かう所員の一団が、少しマシな疲労を滲ませる他の所員たちに送り出されていた。古鷹近郊にあるという櫻力公社の拠点からの増員も叶い、準備は昼夜問わず進められている。

 ただ、メガミたちには、飛び交う会話の一端でしか進捗を窺い知れない。昼頃に、一部の計測が始まったと思しき報告が聞こえた程度だ。ユリナはもちろん、メグミも聞きかじりの知識ではお手上げのようで、門外漢は順調であることを祈るしかない。

 

 守り手としての立場に忠実に、ただ炉と人々を守る。早々に手伝いを諦めた二人は、働きを示さんとばかりに昨日からこの巨大な炉の前に在り続けていた。

 長期戦が予想されたため、屋根の上にメグミの植物を監視用として配置し、外敵を察知すれば知らせが届くようにはなっている。迎撃までは期待できないが、そもそもミソラ相手に防戦一方になるのはユリナの想定内。即応できるギリギリの集中力を維持し続けるのが肝要だと、ユリナはメグミに説いていた。

 

「大丈夫じゃないですかね。忍って体力すごいんですよ」

 

 呑気に返したユリナだったが、彼女の適当な言葉をじろりと見咎めてきた者がいる。

 銭金幣爾だ。

 

「ふん、大丈夫なわけないだろ。あんたらと一緒にしてやるな」

 

 わざわざ振り返って憮然とした顔を見せつけてきた彼に、メガミたちは苦笑い。

 芦原から同道してきた彼の役目の一つは、ここ『シロカネ』に派遣された二柱のお目付け役である。どちらも精製所侵入に加担こそしていないものの、彼女たちの仕事ぶりをこの目で見てやると言って聞かなかった。

 そしてもう一つは、櫻力公社の特別技術顧問としての顔である。

 

「こら、乙班の忍ども! お前ら一体何時間作業してると思ってんだ!」

 

 叱責を飛ばす銭金に、手近な所員が申し訳無さそうに、

 

「いやぁしかし、補充が来るまではと……」

「限度があるって言っただろ! ここまで進められたのはデカいしやる気は買うが、本題は計測後の深掘りだ。そこで議論できねえようじゃ困るんだよ、お前らの本分はそっちだろうが」

 

 はぁ、と大きなため息をついた彼は、別の所員を手招きした。忍ではない、今朝やってきた所員だ。

 

「おまえ、乙班の忍の連中を仮眠室にぶち込んでこい。ついでに、交代要員も起きてるだろうから、作業の引き継ぎさせんのも忘れずにな」

「分かりました。一時的に人員が減りますし、分解調査は一旦止めますか?」

「いや、遅くとも夕方には追加が来るから、進められるところは進めてくれ。駆動系に手を出さなけりゃ問題ないだろう。あぁ、丙班には炉心までの無停止解体計画を任せてたが、行けそうか? どうも必要になりそうでな」

「ええ、様子を窺いながらになりますが、計測までなら目処はついています」

「最高だ。けど、停止が必須になったら遠慮なく言ってくれ、古鷹と話をつける」

 

 そう言うと銭金は、所員の腕を叩いて彼らを送り出した。渋々と言った様子でぞろぞろとまた所員たちが去っていき、半分ほどになった人影のせいか、戦のような慌ただしさが少し落ち着きを見せた。

 それを見計らって、メグミが銭金の背中に声をかけた。

 

「ちょっと意外だなー。所員さんも大事にしてるし、桜花炉もてっきり絶対止めないものかと思ってた。利益が一番じゃないんだね」

 

 歯を見せて笑いかけるメグミに、銭金は反応に困ったようにまた背中を見せた。

 彼は後ろ手を組んで、また鼻を鳴らしてから応えた。

 

「桜花炉は産業の発展に必要だ。止まるのは痛手だが、目先の損失に気を取られて、未来に基盤を残せねえようじゃ本末転倒だろ」

「やっぱり、皆が栄えていくことが大事?」

「勘違いすんな、産業発展は金儲けのためだ。けど、人の幸せって副産物も必要だ」

 

 言い訳や話を合わせたようでもない、はっきりとした物言いだった。

 メグミはそこに、少し寂しそうに訊ねる。

 

「戦に使われてるけど?」

「したいわきゃねえだろ。戦争なんて邪魔だよ邪魔、どんだけ工場の稼働取られてっと思ってんだ。……とはいえ、軍需のおかげで今の立場があるのも間違いない。皮肉な話だ」

「そっか」

 

 はにかんだメグミは、少し丸まった銭金の背中に告げた。

 

「そういうのが得意なあなたが、人の幸せを二の次に考えたほうが、みんなが幸せになるもんね」

「……はっ、どうだかな」

 

 天を仰ぐ銭金。その声色は、少しだけ嬉しそうだった。

 だが、両者の間の空気が和らいだ直後、

 

「うわぁッ! な、なななんだコレ!?」

 

 炉を取り囲むように配置された計器の一つの前で、所員が悲鳴に近い叫びを上げた。

 一同に緊張が走る中、その所員が記録用紙を片手に銭金の下まで駆け寄ってくる。

 その記録には数値を示すと思しき横線が引かれていたが、ある瞬間を境に紙をはみ出すほどの乱高下を見せていた。

 

「お、櫻力密度に爆発的な異常を観測! 通常の十倍から、ゼロ値も発現しています!」

「計器の異常の可能性は!?」

「ないとは言い切れませんが、先程の軽微異常を検出してから、まだ経路上に他の機器の接続は行っていません!」

 

 報告を受け、歯ぎしりしながら思案する銭金。

 彼は一度辺りを見渡して、

 

「ともかく、他の項目にも異常がないか確かめろ! 疑わしい計器があれば一度外しても構わねえ、まずは供給への支障の有無から切り分けだ。どんな些細なもんでもいい、今測れてる中で怪しいやつはとりあえず持って来い!」

 

 しかし、実際の状況は銭金の予想より悪かった。

 彼の言葉を受け、あちこちからおかしな記録を片手に所員が同時に駆け込んできたのだ。

 

「若、こちらに瞬断の傾向が」

「何か不純物が紛れている可能性があります! 計算が合いません!」

「外殻圧力が上昇中、破損の危険が――」

「ま、待て! 一度落ち着け、順番にだ!」

 

 銭金が報告の津波に押し流されそうになる中、動いたのはメグミだった。

 彼女は銭金の背中を手で支えると、

 

「手伝うよ!」

「……っ、任せた。――こいつに一度情報を集約しろ! 丙班は俺と炉心周りの再計測だ、緊急停止もありえるぞ!」

 

 銭金と入れ替わるようにメグミが矢面に立ち、一身に報告の山を受け止める。メグミとて理解できていることのほうが少ないだろうが、真に大事を為す者の手を空けることこそが、有事においては重要である。

 それに、彼女自身が情報の精査まで望めずとも、周囲に整理を促すことはできる。

 

「はいはーい! じゃあ『すぐにでも炉が壊れる!』ってくらい危ない結果を持ってきた人はこっち! 次に、『放っといたらダメかも』って人! それから、『誰かの助けになる情報がある』って人はこっちらへんに集まって!」

 

 メグミの催促に、詰めかけた所員たちの大半は僅かに立ち止まった。それが適切かどうかはさておき、彼らが改めて考えさせられている間だけでも、初動の混乱を吸収できたと言える。

 突発の対応としては上々。一刻を争うかもしれないこの状況下、対応すべき者が動けない事態を回避できたのは幸いと言えた。

 

 だが、銭金たちが炉に近い計器に向かおうとした直後だった。

 桜花炉が、爆発的な光を孕む。

 臨界が、顕現しようとしている。

 

「……! 伏せてッ!」

 

 咄嗟にユリナが踏み出し、銭金らの前に立つ。

 瞬間溢れ出す、暴力的で白く極まった光。

 ユリナの威風が、轟と押し寄せる力の奔流を吹き散らさんとする。背後で誰かが押し流されるのも計算の内。加えて、衝撃を真っ向から叩き割ろうと振り下ろした斬撃は、まるで鍔迫り合いでもするかのように押し留められた。

 

 ほぼ塗り潰された視界の中、爆発の中心からばらばらと破片が飛び散っていく。散在していた計器類は部屋の四方に追いやられ、硝子の割れる音や金属同士が激しく衝突する音が幾重にもなって飛び込んでくる。

 もはやそれは、破壊の嵐。

 人には悲鳴を上げることしかできない、神々しき破滅だった。

 

「おッ――おおぉぉぉぉぉッッ!」

 

 気迫を込め、ユリナは立ち続ける。身体の端々が桜の光に還っても、守るべき者たちに傷ひとつつけぬという覚悟が、彼女を盾で在り続けさせた。

 光は、桜花炉の影が失われた瞬間を境に、やがて収束を迎える。

 炉の天辺を受け止めていた天井は、空から大岩でも降ってきたかのように大きな風穴が空いていた。ユリナの威風のおかげか、炉の中心から彼女の正面方向に広がっており、所員たちの頭上は辛うじて無事なままだった。

 

「お、おい、何が起きたって――」

 

 伏せていた銭金が恐る恐る顔を上げる。けれど、彼はその先の言葉を呑み込んだ。

 方々で降り注ぐ瓦礫を恐れたからなどでは断じてない。

 桜花炉に内包されていた白金滝桜が、日の目を見たからなどでもない。

 いや、あるいはその桜は、自慢であった鈴生りの桜花結晶もない寂しい姿になっていることに衝撃を覚えたかもしれないが、それでも彼の目はそこにはなかった。

 

 彼は、見上げていた。

 彼らは、見上げていた。

 そして彼女らもまた、歯噛みして、炉の代わりに現れた威容を見上げていた。

 

 骸晶の蔦が数多絡み合って編まれた、巨大な体躯。

 人を真似たのか筋肉の繊維一本一本のように蔦を束ねて、腕を、脚を伸ばそうとする、今はまだ胴長にして頭らしき部位のない、奇怪な存在。

 命の有無の狭間に位置するような歪な印象に追い打つように、黄緑色の硝子細工めいた花がその身体のあちらこちらで咲き誇っている。

 

 その全てが物語る。これは徒寄花の怪物であると。

 だが、白金滝桜にさえやがて届いてしまいそうなこの巨躯は、桜降る代でも、ましてやメグミの歴史においても確認されたことはない。一兵卒の如き存在と言うには、あまりに規格外過ぎる。

 

「まさか、この歴史の本体……!?」

 

 混乱を努めて抑えながら、ユリナが刃を構え直す。

 怪物はそこで何を言うでもなく、人ひとりがすっぽり収まるほどの大きな花を、自らの腹の辺りに四輪咲かせた。

 一度咲いた花はやがて窄まり、淡い光を帯びて、花弁は別の形へと変化した。

 

 顕現せしは、人の形。

 怪物の傍らで揺蕩う一人の少女は、様変わりした世界を憐れむように目を開く。

 少女の名はトコヨ。メガミの座を戴く者。

 そして、彼女に並んで咲き誇るは、ハガネ、コルヌ、ヒミカというメガミたち。

 けれど、メグミが宿したのはやるせない悲しみだった。

 

「そんな……」

 

 知っているようで知らない相手。なのに、別物なのだと分かってしまう。

 彼女たちが普段とかけ離れた姿で現れた意味を、誰もが噛み締めてこの歴史に渡ってきている。

 徒寄花の怪物に寄り添うは、徒神たち。

 救うべき相手であり、そして、退けるべき強敵である。

 敵視と敵視が、否応なく交錯する。

 

「メグミさん、行けますよね」

 

 ユリナは、敵の様子から目を離さないままに、そう確認した。

 対し、答えの先駆けとして、メグミは象徴武器たる唐棹を構えた。

 

 一度目は敗れた。

 二度目は、異なる命運の最中にあった。

 だが、メグミが相まみえたこの三度目こそ、本当に立ち向かうとき。

 鼻息一つ、得物を握る手に力が籠もった。

 

「もちろん、そのために来たんだから!」

 

 だからこそ、彼女は戦う。

 今度こそ勝利するために。