神座桜縁起 後編

第3話:自我と産業の歴史

 

 地平線に沈み行く夕日が、大海原に揺らめく。街道の狭い路地を通してふと見える光景は、たとえ歴史が違っていても変わらない。それは町並みも同様で、確かにここもかの海の町であると感じられる風景が広がっている。

 けれど、これから眠りゆくはずの芦原は、未だ活気に満ちていた。

 煌々と、店の軒先で闇が払われる。

 硝子灯の輝きが、人々の時間は続くと告げている。

 

「漁師町とは思えない光景ですね……」

 

 物珍しげに見渡すユリナに、嫌そうな顔をしたチカゲが応える。

 

「こ、困ります。夜の町が、こんなに照らされるだなんて」

「いいじゃないですか、これはこれで。宿場に着くのが夜になっちゃったときって、あてもない感じがしてすっごく寂しいんですよ。漏れた灯りだけを頼りに宿を探さなくて済む……そう思えば大助かりです」

「チ、チカゲは、野宿で十分なので……」

 

 そう言いながらチカゲは、髪を必死で前に寄せて明るさから身を守っていた。

 

 北限の施設から脱出したメガミ一行は、そのまま逃げるように南下を続け、当座の目的地としていたここ芦原へと辿り着いていた。

 あの施設の謎を知ることが重要とはいえ、ほとぼりが冷めるまで再訪は叶うまい。故に御冬の里を素通りし、この北部最大の都に白羽の矢が立った。施設が果桜という名桜に関連している可能性から、名桜が一つ・水鏡桜でもあるいは、という考えも多分にあった。

 

 また、古妙という少女とは結局あれきりだ。行方を追うにも手がかりが少なく、チカゲの提言で古鷹方面との関連性が示唆されたくらいである。いずれにせよ、より情報を集めるために南下する方針が変わることはなかった。

 そして、少なくとも表面上は徒寄花の魔手の気配を特に感じられないまま、メガミたちは今朝方芦原へと到着。今はその足で、町中と郊外の二手に分かれて情報収集にあたっている。

 ユリナ、チカゲ、サリヤの一行は、郊外の偵察を終えて町中へ戻ってきたところだった。

 

「はい退いた退いた、轢いちまうよー!」

「きゃっ!?」

 

 道の真ん中を、荷車が颯爽と駆け抜けた。桜色をした大きな金属の筒を大量に積んでおり、揺れてカンカンと鳴っていた。引く馬も牛もおらず、上裸の御者が駆るのは、車輪つきの装甲に覆われた妙な椅子である。絡繰も息をするのか、桜の輝き混じりの塵を吐き出していた。

 可愛らしい悲鳴は、まごうことなきサリヤの声だった。しかし、ユリナとチカゲの後ろで恥ずかしげにしているのは、サリヤとは似ても似つかない色白で黒髪の女だ。

 

「まだ慣れてなさそうですね。大丈夫ですか、サリヤさん?」

 

 だが、ユリナが声をかけると、その女は身体の調子を確かめるように軽く足踏みし、

 

「全然感覚が違うから、咄嗟のときはまだちょっと……。歩幅も違えば重心も変で、身体が軽すぎて言う事聞かないのよ。もう、変な声出ちゃった」

「靴底の厚みでも違いが出るのに、背丈もってなると大変そうですねえ」

 

 心配するユリナだったが、隣のチカゲは呆れ顔で嘆息した。

 すらりとした身体に化けたサリヤを横目で見ながら。

 

「いやいや……どう考えても、背丈以外の差のせいでしょう。あの道化、こっちの人間に合わせたとか言ってましたけど、絶対ふざけてますよねそう思いますよね?」

「あはは、まあ……足元はよく見える、かな」

 

 苦笑いするサリヤ。装備を一切顕現させていない状態の彼女は、少し背が高いだけの、桜降る代のどこにでもいそうな女性にしか確かに見えなかった。

 もちろんそれは、この彼方の地にとっても同じではあったが、ここでは人々の身なりが洒落ているようにも見える。古妙ほどでは当然ないし、ミコトの一張羅のような気合の入ったものばかりでもないが、高価なはずの繊細な柄の入った服を皆当たり前のように纏っていた。梅鼠の衣に身を包んでいるサリヤすら、無地であるが故に地味に見えるほどである。

 

「さっきの車といい、ここまで工業が発達してるのは驚きだわ。道すがら見た感じ、ここが港町だから特別に、というわけでもなさそうだし……」

 

 呟いたサリヤが、考えを口にしながら再び歩き出す。

 

「昔のヴィーナが使っていた造花結晶や蒸気機関も、ここではきっと旧式ね。Mk-�兇�Mk-�靴納存鈎罎痢▲┘優襯�ー変換機構みたいな技術が実現されていてもおかしくないわ」

「そ、それほど絡繰の発展が進んでいる、ということですね。ここまで生活に浸透しているわけですから、確かにだいぶ昔に追い抜かれていそうです。例えば――あれとか」

 

 チカゲが指さしたのは、二軒先の店先で、ちょうど今ちかちかと光を孕んだ硝子管だ。

 桜色の丸、白の丸、緑色の丸、そしてそれらを貫くように伸びた、一本の茶色い線。壁に取り付けられたそれらは、夜闇の中でも立派に看板の役目を果たすことだろう。

 ここに一人、目を輝かせる者が現れたのだから。

 

「お団子! お団子ですよね、あれ!」

 

 はしゃぐユリナの声に、看板を操作していたらしい妙齢の女が暖かく微笑みかけてきた。ぱあっと、ユリナの顔も綻んだ。

 しかし、連れを振り返った彼女が見たのは、呆れた顔と愛想笑いだった。

 小恥ずかしげに、ユリナは言った。

 

「そのぉ……こっちの茶店がどういう感じか、とか……」

「両替してもらってるの忘れたんですか。さっさと合流しますよ」

「はい……」

 

 後ろ髪引かれるユリナを連れて、一行は昼下がりの芦原を行く。

 変装したサリヤやあまり表に出てこなかったチカゲはともかく、広く知られたメガミであるユリナであっても、その存在に気づかれることは、やはり一度もなかった。

 

 

 

 

 

「うっへっへ〜、おかわり買ってきたよぉ。あとこれもオススメだって〜」

 

 一抱えもある巨大な徳利を、メグミが畳の上にドンと置いた。中の酒が飛び散ってチカゲがむっとするが、へらへらしながら謝るメグミを見てすぐにげんなりした。

 酒房の座敷の片隅に陣取ったメガミたちの輪に戻って、腰を落ち着けたメグミが器を差し出すと、アキナの箸が真っ先に伸ばされる。

 

「ほー、この塩辛ええな。漬けとらんのかな、あっさりやけどこれはこれでイケるわ」

「今朝獲ってきたので作ったんだって〜。あたし、生のイカって初めてだよぉ。あ、みんなも食べて食べてー」

 

 勧められて口にしたレンリが仰々しく顔を綻ばせる。その一方で、小魚の佃煮を摘んでいたユリナは、小さいお猪口に遠慮がちに口をつけて、物憂げにしていた。

 その様子に、メグミが首を傾げる。

 

「どうしたのー? そっちで何かあったー?」

「いえ……やっぱりお酒はあんまり分からないなあ、って。気になるお茶屋さんをさっき見つけてたので、お店そっちにしようって言っておけば――」

「やだぁ!」「アホぉ!」

 

 

 一転して言葉を遮ったメグミ。同時にアキナも、あり得ないという顔をしていた。

 重い徳利を守るように鷲掴みにしたメグミは、

 

「みんなが集まるって言ったら、やっぱりお酒がないとだめでしょー! お酒がない寄り合いなんて、水を引けない田んぼと一緒だよぉ」

「せやせや。それに、酒も土地を知るのに重要なんやで。この澄んだ味、お手頃価格でぽんと出てくるにしては上等なもんや。ええ水ええ米使うとる以上に、作りも流通も洗練されとるに違いない――ってなコトを調べるためにも、やっぱし飲まんとな!」

「あっ、それならまた注がないとだぁ〜。どうぞどうぞ〜」

 

 それらしいことを言ってユリナを封殺した二人が、枡から溢れる溢れないでやいのやいのと酒飲みの茶番を繰り広げる。あまり強く主張するつもりもなかったらしいユリナも、それには苦笑いするしかなかった。

 この場で唯一、ありありと嫌悪感を示すのはチカゲだけだ。

 

「……酒精なんて、所詮毒ですよ、毒。気の長い自殺の何が楽しいんですか?」

「またまたそんなこと言ってぇ〜。これくらいで寿命なんて縮まないよぉ、あたしたちメガミなんだしさぁ。ほら、チカゲさんもどーお?」

「……!? さ、酒くさっ――ち、ちょっとサリヤさん、隣変わってください」

「えぇ、私……?」

 

 チカゲは正座のまま器用に退いて、困ったように笑う化けたサリヤを生け贄に差し出した。挨拶代わりにメグミから注がれたお猪口を、サリヤはゆっくりと時間をかけて傾けていた。

 気を取り直すように、チカゲが告げる。

 

「早く本題に入りますよ。チカゲたちは、例の施設と周辺の下調べをしてきました」

 

 彼女が懐から取り出して広げた紙には、簡易的な地図が描かれていた。郊外の海岸線の一部から海に向かって道が一本に続いており、その先に簡略化された建物の絵が待っている。

 本来その建物の位置では、この芦原が誇る名桜・水鏡桜が輝いているはずだった。水底で咲く珍しい神座桜は、昼間でも海岸からその輝きを見られるということで、海辺で祈りを捧げる旅人も多い。

 しかし、

 

「やはり、海岸から水鏡桜を確認することはできませんでした。海を埋め立ててまで拵える大仰さですが、北限の施設と同等のものと考えて良さそうです。また、どうやら名札が扉の鍵になっているらしく、秘密裏の潜入の場合、海から上がる必要がありそうです」

「重要施設のようだし、そう簡単には調べさせてはくれないでしょうね。誰も私たちを知らないのなら、特にね」

 

 サリヤは肩を竦める。安全のために選ばれた六柱だが、権威を使えないという副作用に早くも悩まされた形だ。北限で出会った古妙然り、そもそも常識の外れからやってきた彼女たちは信用を勝ち取るところから始めなければならない。

 ただ、サリヤの言に頷いたレンリは、難しい顔をして手を挙げた。

 

「んー、それなんですけど、逆にサリヤさんはわるーい意味で知られちゃってるっぽいんですよね。正確には、サリヤさん個人じゃなくて、ファラ・ファルード人が、ですけど」

「……どういうこと?」

「いやはや、あの派手な子に驚かれたのも当然でした。どうもこっちは、ファラ・ファルードとの戦の真っ最中だったらしいのです」

「い、戦ですか!?」

 

 ユリナが、サリヤの代わりに驚愕する。

 レンリはため息一つ、

 

「幸いなことに、ここ数年は停戦状態だそーです。今から二十年くらい前に開戦、それから定期的にあちらが攻め込んできては、こちらが追い返す構図みたいです。海を渡って来ないといけないので、準備に時間がかかっちゃうんでしょうね」

「はー……規模が大きすぎて全然想像できません。海の向こうにはミコトがいないはずだし、どういう戦いになるんでしょう」

「さあ……。自分に言えるのは、戦場のど真ん中に放り出されなかっただけ良かった、ってことくらいです。サリヤさんに変装させたの、ほんとーに正解正解大正解でした」

 

 そう言ってサリヤに視線で反応を求めると、サリヤは自分の中で納得し終えたのか、じっくりと頷いて顔を上げた。

 

「戦争に発展したのは……理解できるわ」

「心当たりがあるんですか?」

 

 ユリナの質問を、サリヤは一層納得を深めたように呑み込んだ。

 その温度差こそが原因の一端なのだと言わんばかりに、サリヤは告げる。

 

「この町を見て。コールブロッサムよりも豊かな、神座桜の恩恵を当たり前のように手にしているのよ。それも、ミコトだけじゃなくて普通の人間も。桜花結晶のエネルギーをあそこまで技術的に運用するには、一朝一夕じゃいかないわ」

「…………」

「私たちの陛下は、利益を考えて共存共栄をお選びになった。でも、こっちの陛下は、脅威として扱うことをお選びになった。資源の差で圧倒される前に、滅ぼすべし……そうお考えになられたからだとしても、何も不思議ではないわ」

 

 見慣れぬ化けたサリヤの顔であっても、深刻に捉えているのは明らかだった。しかし、彼女以外のメガミたちには実感が伴っていないようでもあり、ただ情報として呑み込むしかないようだった。

 言い出したレンリさえ、実態を掴みきれてないといったところ。

 ただ、次に手を挙げたアキナには、徐々に真剣味が増していった。

 

「先にいやーなこと聞いてもうたかもしれんが……ウチからは、あの施設と装置についてや」

 

 枡を置いて、アキナは言う。

 

「あの装置は『桜花炉』言われとるらしい。北限にあった『サイハテ』、そんでこの芦原にある『ミカガミ』と、全土に八基あるそうや。施設のほうはほんまは精製所言うらしいけど、みんな単に桜花炉とか炉とか呼んどったな」

「炉、ですか」

 

 呟いたチカゲに、アキナは頷いて、

 

「桜花炉の役割は、動力の供給。町ん中で、桜色したデカい筒見た奴もおるやろ。ウチらが油や炭買うのと一緒で、炉で取り出されたもんは主にあの中に詰められて、店やご家庭で絡繰動かすんに使われとるわけや」

「あっ、確かに運ばれてた気がします」

「せやろ? ありゃウチらでいうお手軽な神代枝みたいなもんで、中には神座桜の力が詰まっとる。ここでは『櫻力』呼ばれとるそれこそが、こないに元気な産業と……そんでもって、軍事の礎に利用されとるんよ」

「軍事……」

 

 ユリナが言葉尻を繰り返した。その不穏さに、皆息を呑む。

 だが、それ以上に聞き捨てならない言葉があるとばかりに、顔を強張らせたサリヤが口を挟んだ。

 

「ち、ちょっと待って。炉で取り出す、ってまさかコルヌは……」

「ええとこに気づいたな。櫻力は桜花結晶を燃料にするなんてチャチなもんやのうて、神座桜から直接引き出したピチピチの力や」

「そんなこと……実現できる絡繰が、当時に造れたはずがないわ……」

 

 やや青ざめたサリヤは、

 

「だって、少なくとも戦争の始まった二十年前にはもう、桜花炉はあったはず。いいえ、陛下が最初の報告を受けてから、ご意思を固められるまでの時間を考えると……」

 

 頭の中で何かを組み立てて、持論を確かめているらしいサリヤ。

 その意図を汲み取ったのか、こめかみに指を当てたレンリが、サリヤが思い浮かべているはずの情報を言葉で補った。

 

「史実が変わってないなら、探検家マウロがここを発見したのは、だいたい四十年近く前のことになります。その頃には桜花炉があったはず、ということですね?」

「もっと言えば、その時点でそれなりに普及もしていたはずなのよ。でなければ、脅威として奏上されることもない。禁じ手でも使わなければ、成り立たない歴史だわ」

 

 解答は示したと、サリヤが恐る恐るアキナに視線を送った。

 そして、その答案が否定されることはなかった。

 

「せやな、絡繰だけやとできひん。ハナから桜の力を引き出せる部品でも組み込まんと、あかんかったわけやな。んなもんで、炉の心臓部に使われとるわけ。……コルヌみたいに、メガミがな」

「……!」

 

 皆の表情が、険しさを帯びる。

 確かに、桜の力を直接扱う方法は人間には限られる。その唯一が、桜花結晶を始めとした、形を持って漂う力を取り込む方法である。形を介さない術は未発見と言われており、桜降る代での絡繰への利用も、結晶から如何に効率よく動力を取り出すかに焦点が当てられている。

 

 故に現状、桜から直接力を引き出せるのはメガミに限られている。クルルの複製装置も権能こそ吸い出すことができるが、生の力を扱うまでには至らない。ましてや誰でも扱えるように恒常的に抽出するなど、ホノカであっても難しいだろう。

 神代枝ですら、気軽に量産できるようなものではなく、軍事的な乱用を恐れて厳格に数を管理されている。

 その歯止めが必要だと考えたのは人間だけではない。メガミも、同様だった。

 

「無理やり、そんなことをさせられてるってことなんです……?」

 

 しかし、疑問を口にしたレンリは、素直に憤慨していいものか迷っているようだった。

 その内心を代弁するように、ユリナが言う。

 

「あのコルヌさんがそうなるとはとても……。それに、無理やりやっても、桜が力を貸し続けてくれるとは思えないんですよね」

「炉が開発されてから結構経ってるってことですし、ごもっともです。八基あるってことは、八柱のメガミが装置に使われているわけで」

「それを叶えてくれるすごい発明があって、徒神になった皆を捕まえたとか……? ミソラさんは救ったって言ってますけど……」

 

 どうなんだ、とユリナとレンリは、アキナに目で先を促した。

 アキナは話が返ってくるのを待っていたようだったが、よくぞ聞いてくれたというような態度ではなかった。判断に困っているが故に、予断をなくそうと決めた類の、割り切った冷静さを表に出している。

 

「残念やけど、徒寄花関連の収穫はナシや。ボケナスのことも一旦忘れとき。ただ、アンタらの直感への答えはある」

 

 そしてアキナは、意を決したように告げた。

 

「メガミが炉に身を捧げたんは、最後のメガミ・シスイとメガミたちの意思に基づく――すまんが、そこら辺じゃあこれより詳しい奴は見つからへんかった。深掘りするにはちぃと時間が足りんかったわ」

「志水さんが!?」

 

 思わず声を上げたレンリを、アキナが手で制して首を横に振った。訊かれても分からないという意思表示をされて、浮かせた腰を落ち着けて俯いた。

 皆、『最後のメガミ』という言葉を一人口にして、反芻している。納得を見せた者、理解が及ばない者、受け入れがたい者……全員に共通していたのは、竹を割ったような説明は望めないということだった。

 その中で、チカゲがぽつりと、

 

「あの派手女の反応は、少し気になってはいましたが……まさか、こちらにはクルルもいないとでも?」

「そう思うて訊いてみたんやけど……クルルとか、後はシンラか。ウチより若い連中の名前適当に出してみても、同じくさっぱりやって。あ、念のため確認しといたけど、ウチらは誰もおらんようやで。安岐納幣も当然あらへんかったし」

「そうですか。そうなると、そのシスイとやらも調べる必要がありますが……今はどこまで言えますか?」

 

 チカゲは一度レンリをちらりと見て、標的を変えてアキナに水を向けた。

 アキナは肩を竦めて答える。

 

「悪いことになったわけちゃうんやないかなー、ってトコか。とはいえ、想像通りの相手なら百年単位で歴史が変わっとるわけやし、もう何も分からんのと同じや。そこに最後のメガミとか言われてもちんぷんかんぷんやもん、そっちまで混乱させてまうわ」

「……まあ、事情は察しました。下手な憶測で動くべきではないと、チカゲも思います。情報の共有だけはお願いしますよ」

 

 釘を刺して追及を控えたチカゲに、レンリがぶんぶんと強く頷いた。

 分からないことが分かっただけでも前進だ。けれど、謎が謎を呼ぶ構図に混迷の気配を感じざるを得ない。それでも彼女たちの目的は、出向いて敵を打倒すれば終わりにはならないのだから、ここに集まった疑問はいつかは解消されなければならないはずだった。

 

 桜花炉にメガミが身を捧げたのは何故か。

 シスイとはいかなるメガミで、どうして最後になったのか。

 徒寄花との戦いはどうなっているのか。

 そして、ミソラは何故炉を破壊したのか。気ままな彼女でも、彼女なりの意思があるはずだ。

 

「これは……」

 

 考えに取り留めがなくなってきたのか、サリヤが苦笑いしながら声を漏らす。沈黙せざるを得ない一同に、報告したアキナが共感するように困り顔で口端を歪めた。

 しかし、一人だけ悩むことなどないように浮かれている者がいた。

 まだ報告をしていないメグミが、大きな徳利に直接口をつけていた。

 

「なんちゅう飲み方しとんねん、アホ。話聞いてたんかちゃんと」

 

 アキナがメグミの腿を叩いて気づかせる。今までの報告の最中、止めどなく飲み続けていたメグミはもう顔がだらけきっていた。生来のものかメガミだからか、それでも顔がほとんど赤くなっていない。

 メグミは酒精だらけの息を上に吐き捨てて、

 

「えぇ〜、ちゃんと聞いれらよぉ」

「ほんまかいな……まあええわ。アンタの喋る番やで、昼間何してたん?」

「あらしは〜、うーん……ずぅーっと、呑み歩いてましたぁ!」

「ほんまに酒調べる奴がおるか! どーりでハナから酒臭かったわけや!」

 

 アキナの張り手が、今度はメグミの頭に炸裂する。

 そして間髪入れずにチカゲが蔑視を向ける。

 酒飲み二人へ。

 

「作りも流通も洗練されてるんでしたっけ? 他には?」

「う、ウチはちゃうやろ! ぎょうさん調べてきた上に、こっちにない通貨まで全部まるっと両替したんやから――って、あっ! 道理で先に両替頼んできたわけや! ウチが交渉しとる間に酒浸りやったんか、このデカ乳娘は! 調査はどした、調査は!?」

 

 唾を飛ばしながら捲し立てるアキナ。対し、メグミはえへらえへらと受け流し、仕方ないとばかりに手元の枡に手を伸ばしていた。

 滑りすぎている口をさらに湿らせて、メグミは告げた。

 

「そのぉ、なんだっけ? おーかろ? の人と仲良くらってぇ、あしたみんなでお話ししに行くことになったから〜」

「……は?」

 

 メグミ以外、彼女の言葉を疑っていると綺麗に顔に書いてある。

 ふらふらと身体を揺らすメグミに、アキナは思わず、

 

「いや、嘘やろそんな……まず信用できるんか?」

「うそじゃないしぃ、信じるとか気にしてなかったやー。らって、あたしたちは助けにきたんだよぉ? だからー、ここの人たちはぜーいん味方! ちから、合わせよー、おー」

 

 枡を掲げ、呆気に取られる皆の前で飲み干していく。

 謎が渦巻く中告げられた元来の理念に、メガミたちはぱちくりと瞬いた。レンリだけがどこか誇らしげで、楽しそうにお猪口を傾けた。

 それから、アキナがくつくつと笑った。

 

「歴史一個背負って来よっただけはあるな。詳しい話は、宿で酔いが覚めたら聞こか」

「なら、明日までは一休みですか?」

 

 ユリナの言に、しかし反論したのはチカゲとレンリだった。

 

「い、いえ、ここで手を止める必要はありません。チカゲたちの調査は、潜入を見据えてのものでしたよね? 状況の変化は好ましくありませんし、元々夜を待って出向くつもりでした」

「そうですそうです! それに、北限の件で警戒が強まっちゃったら、後のお祭りですよ? どーせ炉をべたべた触らせてもらえるわけないですし、どこかで必要なことなんです。自分の力はこういうときのためにもあるんですよ?」

「でも、せっかく招いてもらったのに……」

 

 ユリナは口ごもり、説得する材料をうまく集められなかったのか、ただ漠然とした不安を表情に残す。サリヤを窺うものの、彼女も迷っているようで苦笑いを返されていた。

 枡片手のアキナが、にやにやと笑っている。

 

「なーに、表も裏も使い分けてこそや。当たり引いてくれたら、一足飛びに色々分かるかもしれんのやで? 大船に乗った気持ちで、ウチらは明日のことだけ考えときゃええ」

「そーだそーだ! 明日なに飲めるか楽しみだねぇ」

「アンタは酒から離れーや! もう没収!」

 

 徳利を奪い合うアキナとメグミ。その騒ぎを他所に、潜入の相談を始めるチカゲとレンリ。

 議論が尽くされたわけではないものの、結局ユリナはそれから潜入班の二人を見送るときまで口を挟むことはなかった。彼女たちの力は、あの決戦に身を投じていたユリナの知るところである。

 

 欺くのはあくまで人間たちとその施設。

 メガミ二柱がまさか苦戦はすまいと、再び夜の芦原で一行は別れた。

 

 

 

 

 

 埃のざらつきが、遠い潮騒に紛れる。屈んでようやく歩ける程度の狭所は闇に塗られ、床の隙間から漏れるか細い光条だけが道標となっている。

 芦原精製所――沿岸の海上に構えられた、櫻力を取り出すための施設である。桜花炉のある海面下に注力しているためか、あるいは金物を蝕む潮風を意識してか、北限の施設と比べて地上部分は木や石造りの部分が多い。石材で有名な山城の屋敷の雰囲気を感じさせる。

 

 その屋根裏を進む二人の女は、顔から背格好まで変えたチカゲとレンリ。海を泳いで侵入した彼女たちは今、昼間見た所員を真似た白衣姿に身をやつしていた。

 潜入の痕跡を一切残してはならない都合上、何者かを偽ること自体に危険が伴う。だから、二人の容姿も名札の名前もありふれた適当なもの。正面から入るなど以ての外で、後ろ姿でも見られた際の安全を買う程度の意味合いしかない。

 

 二人は当初、予定通り桜花炉への接触を目指していたが、炉があるはずの地階への入口は固く閉ざされていた。その仕掛け扉を穏便に通るには、鍵として本物の名札が必要と判断され、別の侵入経路を探しながら地上階での情報収集に切り替えていた。

 名札は、『サイハテ』で出会った古妙のものと同じ意匠だ。彼女が桜花炉の関係者である確証は得られたが、彼女が抱えるものは未だ不明。徒寄花に与することも考えづらく、炉から抜き出した何かの手がかりを、足元の『ミカガミ』に求める他なかった。

 

 そうして探索を続けていると、先を行くチカゲがレンリを手で制した。

 口の前に人差し指を立ててから、漏れる光条を指差す。いっそう慎重にそろりそろりとそこへ近づいて、床に耳を当てた。

 

「だーから討伐だよ討伐! 分かんねえかなぁ!?」

 

 喚き立てる男の声だ。

 二人は互いに頷き、チカゲはそのまま隙間から階下を眺め、レンリは周囲を窺いながら音を拾う。小さく、みし、と床板が悲鳴を上げたが、バンバンと何かを叩く音にまぎれて消えた。

 

 下の部屋は、明かりに満ちた開放的な空間だった。侵入したてのチカゲたちが人の気配を恐れて避けた、施設後方にある領域のようだ。

 基本は他と同様の石床だが、中心は地階を見通すためか大きな硝子張りになっている。その窓の向こう側、下も下には、やはり北限の炉と似た装置が鎮座していた。おそらくハツミが心臓となっているであろう『ミカガミ』と思われた。

 

 喚いていた男は、その硝子窓を囲う鉄柵に身体を預け、紙束の積まれた隣の木の作業台に平手打ちをしていた。二十代も半ばあたりの、寸胴めいた体格の青年である。

 彼も名札を下げているが、裏返っていて名は見えない。ただ、彼の周りには困った様子の所員たちが集っており、熱くなる青年をどうやって諌めたものか迷っているようだった。

 青年は、所員の一人を強く指差し、

 

「じゃあお前! ここもおめおめとミソラにやられたら、芦原以北の供給止まるわけだけどさあ、お客様になんてお詫びするつもりなんだ?」

「それとこれとは話が――」

「違わねえだろ! 邪魔な鳥一羽撃ち落とすだけでごめんなさいせずに済むんだぞ!? 新しい火砲がちょうど回ってきたんだから、試し打ちだと思えば一石二鳥だろ! 燃料はそれこそ売るほどあるんだ!」

 

 理解に苦しむように頭を掻きむしる青年だが、それは所員たちも同じ気持ちだろう。

 別の所員が、努めて冷静な声で告げる。

 

「二代目、そう言われましても、その……本当にメガミが襲撃してきたのですか? にわかには信じられず……」

「はぁー!? お、おま……俺の言う事が信じられねえってのか!」

「い、いえ……それに、火砲なんて預けられても、我々は戦えないので……」

「炉の調整だけがお前らの仕事じゃあないだろ! クソッ、話にならねえ、最初から所長んとこ行っときゃよかった!」

「わ、若! 落ち着いてください!」

 

 所員たちが、肩を怒らせて立ち去ろうとする青年を宥めようと取り囲む。とはいえ身体を張ってまで阻止する気概のある所員はいないようで、解放されたとばかりに見送る者もいた。

 ただ、青年がその場から消えることはなかった。

 代わりに響く、甲高く鋭い足音。

 

「銭金さん、もう夜も遅い時間ですよ?」

 

 こちらは壮年も暮れた女の声だった。

 銭金と呼ばれた青年を押し戻すように現れた女は、チカゲたちや所員同様白衣を身に纏っている。すらりと伸びた四肢を伸ばし、かかとの嫌に高い靴で歩く姿の後ろで、紫紺の長髪が揺れていた。

 

 新たな登場人物に、屋根裏のチカゲがためつすがめつ穴を覗く。うまく見たいものが視界に入らないのか、やや熱の入った様子だった。姿勢を少し変えるだけでも床板が軋んでおり、訝しむレンリは手を伸ばして制止するかどうか迷っているようだった。

 銭金は纏わりつく所員を突き放して、

 

「もたもたしてるお前らに言われる筋合いはない。こちとら第一報を貰ってから必死で調査して、ようやく掴んだ真相を元に進言しているんだ!」

 

 そもそも、と再び銭金が台を叩く。

 

「お前ら忍が炉の活用に及び腰なくせに、保全までしなかったら一体何がしたいんだ、ってなるだろ! ガンガン桜を使って、産業も軍事も発展させて、来るべきファラ・ファルードとの再戦に備える――これが俺たちのやるべきことだろ!」

「いえ……シスイ様のご意思は、そこにはないはずです。これは、『眠る脅威』に抗うための力……ですから」

 

 女は反論するも、どうも自信なさげだった。言葉と意思の熱量が乖離しているかのようで、勢いに任せて話している銭金の前では弱々しい壁だった。

 実際、銭金は意に介さずに鼻を鳴らして、

 

「脅威だってんなら、海の向こうからの侵略者に抗うほうが先だろうよ。まあ、まずもって、黴の生えた予言のほうこそ信じがたいね。結局、ファラ・ファルードのことでした、ってことにしておいたほうがまだいいんじゃないのか?」

「それは……」

 

 だが、女が言葉を選んでいるときだった。

 バキィ、と。

 屋根裏からしたら床の――階下からしたら天井の板が、突如として割れた。

 

「おわっ、なんだ!?」

 

 砂埃と共に、割れた木板がからんと転がる。

 そしてもう一つ、大きな塊が人々の前に尻から落ちた。

 所員に化けたチカゲである。

 

「え……」

 

 普段ならばあり得ない失態に、彼女は茫然とした表情を浮かべていた。銭金を始めとした人々も、突然上から人が降ってきた状況を前に、全く身動きが取れずにいた。

 気まずい沈黙の中、見上げるチカゲの視線の先にあるのは、銭金と口論していた女。

 より詳しくは、女が下げていた名札。

 チカゲは、さらに茫然と呟いた。

 

「……母様」

 

 そこには、『 闇昏千冬 やみくらちふゆ 』の四文字が刻まれていた。