神座桜縁起 後編

第4話:異史会談

 

「まずは、わたしたちの仲間がご迷惑をおかけしたこと、お詫びさせてください。すみませんでした」

「すんませんでした」「ごめんなさい」

 

 重い空気の中、用意したような第一声と共にユリナが頭を下げた。両隣のメグミとアキナも追従し、端に座るサリヤが遅れてそれに倣う。

 謝罪する相手は、机を挟んで向こうで顔を並べる桜花炉の代表者二名。

 彼らの背後には、手足を縄で縛られた状態で床に座らされる所員――否、妙齢の所員に化けたチカゲとレンリの姿があった。

 

 昨日メグミが取り付けた、桜花炉関係者との懇談。責任者に取り次ぐという約束から進展を予感していたユリナたちだったが、定刻になっても潜入班が戻らず、暗雲が立ち込めていた。そして、出迎えた所員の複雑そうな態度が、悪い予感の的中を告げていた。

 メガミたちが通されたのは、書類塗れの机が立ち並ぶ事務所と思しき一室。その最奥に据えられた長机が懇談の舞台であり、奥側で対面する代表者以外にも所員が計七名、机から溢れた者は適当に椅子を持ち出して周囲で臨席していた。

 

 彼らの中にはミコトが数名混ざっており、一人には見覚えがあった。『サイハテ』で出会った藤峰古妙だ。

 しかし、派手な容姿も眠そうな顔も浮いている彼女は例外としても、状況に反して殺伐と言うほど険しい雰囲気ではない。確かに不穏な客人を訝しんでこそいるが、身構えている者はいなかった。そもそも彼らは、武器の類を一切携帯していないように見えた。

 その程度の警戒で済んでいるのは、チカゲとレンリが無抵抗なためかもしれない。協力すべき味方である桜花炉の面々と、争わずに済むのであればそれに越したことはない。

 

 だが、話の流れ次第では最悪の事態に発展することも有り得る。

 悪印象から始まった懇談は、そうして謝罪から幕を開けた。

 

「ほな、改めまして、ウチはアキナ。皆さんと仲良うさせてもらいたい思いまして、遠いところから来させてもらいました。よろしゅう」

 

 商売用の笑みを浮かべたアキナは、一行に目配せして追従を促す。

 

「メグミです。今日は会ってくれてありがとうございます」

「わたしはユリナ。えーと……よろしくお願いします!」

「サリヤと言います」

 

 最後にサリヤが、変化した姿で楚々と目礼した。

 そうして一通り名乗ったのを見て、アキナが後を引き取った。

 

「もしかしたら聞いとられるかもしれませんが、ウチらはそこの二人含め、全員メガミやらせてもらってます。今日はちょこっと桜花炉の話を聞かせて――」

「信じられるかッ!」

 

 バンッ! と机が強打された。正面に座す、大柄な青年からだった。

 彼はきつくアキナを睨みつけ、

 

「こんなぞろぞろと揃ってメガミだって? そんな馬鹿な話があるかよ! 変装してまで精製所に忍びこむなんて、旅芸人の営業にしちゃあ度が過ぎてんぞ」

「銭金さん」

 

 窘めるように名を呼ぶ、もう一人の責任者の女性。青年と合わせ、昨夜チカゲたちの前で口論していた者たちだ。

 青年は鼻を鳴らし、腕を組んでふんぞり返った。

 

銭金幣爾 ぜにかねへいじ 。桜花炉事業の後援をしてる、銭金商会の副会長だ」

「私は、櫻力公社所属の上忍・闇昏千冬と申します。この『ミカガミ』の責任者であり、全桜花炉の運用・開発を監督する総監督を拝命しています。本日は……面白いお話を期待、しています」

 

 肩書きを告げる滑らかさとは打って変わって、社交辞令の歯切れは悪かった。それは立場がもたらす冷静さの揺らぎのようであったが、その内心までは窺えない。一つ言えるのは、迷いを抱えた慎重さが、銭金とはまた違った拒否感を思わせることだった。

 千冬は、取り囲むように列席する所員たちを示し、

 

「一応、手の空いている技師を含め、所員も同席させていただきます。煩わしいかもしれませんが、ご容赦ください。……古妙、戻ったばかりで申し訳ないけれど、議事録を取ってもらえる?」

「うぅーい」

 

 気怠げに応じた古妙は、長机の端で紙を広げ、渡来の筆に似た筆記用具でカリカリと記し始める。

 もちろん、彼女にも用があるメガミたちは、必然と意識してしまっている。だが、古妙の緩い態度からは、『サイハテ』で出会ったときのような秘められた熱量を感じられない。ただ風にはためいているだけの、絵だけは豪華な凧のような雰囲気であった。

 誰もその不真面目な態度を全く咎めないということは、これが古妙の常なのだろう。古妙と千冬――あるいは櫻力公社なる組織との間には、冷たい隔絶があるのかもしれなかった。

 

 ただ、この場の本題は古妙についてではない。

 そもそもメガミたちは、地に落ちた評価を覆すところから始めねばならなかった。

 

「メガミ、メガミねえ……」

 

 天を仰ぐ銭金が、じろりとメガミたちを見下ろした。

 

「ファラ・ファルードの連中、間諜にそう名乗らせてるんだとしたら、随分と趣味がいいこった。あるいはさぁ、ミソラの一味が次の獲物の下見に来たとかも考えられるよなぁ」

「ち、違うよ! あたしたちも、なんでミソラ様が炉を壊したのか、詳しく知らないの!」

 

 メグミの反駁に、銭金がにやりと笑った。

 

「なんだ、耳が早いな。『サイハテ』がやられたとは一言も言ってねえのに」

「それは……!」

「いずれにせよ、お前らは最初から嘘つき確定だ。誰も知らないメガミが、あろうことか六体も見つかったら大発見だよ。シスイを最後にメガミは生まれてないって、先生から習わなかったのか? そうだろ、闇昏さん?」

 

 同意を求める銭金に、千冬は「ええ」と端的に返した。当たり前のこと過ぎて、戸惑ってさえいるようだ。周囲の所員の反応も、判で押したように同じだった。

 『最後のメガミ』が何を示すのか、図らずも知るところになったメガミたちだが、そこに大きな驚きはない。可能性の一つが実際に提示されただけに過ぎないからだ。

 問題は、何故を知るために言葉を尽くさねばならないことである。

 

「合点がいきました。ここでは、そないなことになっとるわけですね」

 

 あくまで冷静に、アキナは笑みを貼り付けたまま説明を続ける。

 

「誰もウチらをご存知ないのも、無理ないことです。ウチらは、こことは全く別の歴史を生きてきたメガミ。三百年も昔に、あなた方と枝分かれした後にメガミに成ったもんですから、むしろ知っとったらおかしいわけです。メグミなんて、成ったの二年前とかやったっけ?」

「うん、もうそれくらい。あたしは、皆とはさらに別の歴史の出身なんだけど……その歴史はもう、滅んだ。ここにもその脅威が迫ってるから、助け合うために、あたしたちは歴史を渡ってきたの」

 

 真っ直ぐ真摯に、メグミは告げた。桜降る代に警句を運んだ彼女の言葉は、異なる地でも実感に溢れているはずだった。

 だが、しばし訪れたのは沈黙。

 そして、銭金が気怠げに立ち上がると、ため息一つついて歩き出した。

 所員が問う。

 

「若、どちらへ……?」

 

 それに彼は、鬱陶しそうに手で払う素振りを見せて、

 

「決まってんだろ、奉行所に連絡しに行くんだよ。騙りでも間諜でもいいけど、与太話に付き合わされるほど俺は暇じゃあねえんだ。続きはお奉行サマの前でやってくれ」

「い、一応お客さんなんで、もうちょっと話を聞いてあげても……」

「あぁ、こいつら呼び込んだのお前だっけ? お前のことも伝えておくから安心しろ」

「……! ま、待ってくださいよ若ぁ!」

 

 立ち去ろうとする銭金を一人の所員が追いかける。ただ、必死なのはその所員だけで、彼以外の桜花炉の面々は皆、銭金の反応も仕方ないといった空気だった。この場の顔でもある千冬も、荒唐無稽な話を前にしてどう収めたものかと曖昧に笑うばかりだ。

 顔を動かさずに深呼吸するアキナと、銭金の背中を見て小さく歯噛みするメグミ。対話の先頭に立っていた二柱が、それぞれ次の矢を放とうとしている。

 

 と、そのときだ。

 銭金の足を止めたのは、アキナでもメグミでもなかった。

 

「ちょっといいですかぁ?」

 

 甘く、蠱惑的なのに、幼い少女の声だった。

 その異質さに銭金が思わず振り返る。桜花炉の者たちも、この場にそぐわないその声の出処を探っていた。

 あての外れ続ける彼らの視線を集めるよう、声は再び告げる。

 囚われていた侵入者の片割れたるレンリの、声とはかけ離れた妙齢の女性の口から、確かにその言葉は発されていた。

 

「自分ですよ、じ・ぶ・ん。証拠をお見せすれば、納得してくれると思いましてー」

「なっ……」

 

 違和感に塗れた光景に、銭金が言葉に詰まる。

 それからレンリは、アキナに何か伺うように小さく首を傾げてみせた。アキナはレンリの目線を読み、少々渋い顔になりながらも、顎を動かして許しを出した。

 

「ではでは、ここに人に非ざる証を立ててご覧に入れましょう。皆々様、そちらにおります我らの仲間サリヤにご注目ぅ。どこからどう見ても黒髪の美しい清楚な彼女ですが、なんとなんとその正体はー?」

 

 レンリが口上を終えた直後、化けていたサリヤの身体が淡い光を発した。やがて彼女の皮を剥くように光の帯の形となり、するすると地に引かれて椅子と床に落ちていった。

 中から現れたのは、メガミたちには馴染みの褐色銀髪をした元のサリヤ。虚像などではないと示すべく、少し恥ずかしげに、桜へ還る帯をわざとらしく払ってみせる。

 

 背格好すら変わる変装が人の業であるはずもなく、十分な実演であった。

 否、それはあまりにも、十分過ぎた。

 

 

「ふ、ファラ・ファルード人!?」

「どどどどどうやって!? さっきまでは、確かに……」

 

 狼狽する所員たち。長きにわたる戦の相手がいきなり目の前に現れたのだから、彼らの反応も当然のことだった。壁際で聞いていた者たちは、距離を取ろうにも逃げ場がなくて壁に背を貼り付けていた。

 全く身構えていないのは、流石は上忍と言うべきか、静かに刮目する千冬ただ一人。

 そして、後退った銭金からは、激昂が怒声となって飛ぶ。

 

「てめぇふざけるな! 『ミカガミ』までは絶対やらせねえぞ!」

 

 握りしめた彼の拳にはミコトの証が輝いていたが、威嚇こそすれ今すぐ飛び込んで取り押さえようという気概は感じられない。むしろ、彼の重心は事務所を出る方向へ向いており、事態が動けば助けを求めようという腹なのは明らかだった。

 だが、本来ならば出口に一番近い彼は、一目散に逃げて増援を呼ぶべきだった。自称メガミとファラ・ファルード人の出方を窺う必要はありはしないはずである。

 未だそこに留まり続けるだけの判断を、彼は植え付けられているのだ。

 

「さあさあ、如何でしたか? こんな変装、人にはできませんよねぇ?」

 

 彼の内心を擽るように、レンリが場に問いかける。戒められているはずの彼女を、人間の誰もが遠巻きに窺っていた。

 

「姿を偽るこの御業は、まさしくメガミの力の証明! そして皆々様もお分かりの通り、サリヤはなんとなんとファラ・ファルード人なのです」

「…………」

「さてさて、こんな完璧な変装をどうしてバラすんでしょーか? そして、メガミである自分が、どうしてファラ・ファルード人と一緒にいるんでしょーか? はい、答えをどーぞ!」

 

 にたにたと笑顔を向けた先には、銭金の苦々しげな顔がある。衆目を集めてもなお彼から威勢のいい糾弾が出てくることはない。

五つ数えたところで、レンリから表情が消えた。

 お道化た調子を引っ込めて、彼女は突きつける。

 

「時間切れ。もちろん、自分たちに敵意がないと示すためであり、異なる歴史が存在する根拠だからですよ」

 

 翻って、くすくすと顔に似合わない笑いをレンリは零す。今までの空気とは全く異なる語り口に人間たちは呑まれ、半端な反論を挟めないでいる。異質なだけでは拒絶を生むが、その質が格上の存在のそれであるために、人々の目に正しく畏れが滲み始めていた。

 どうにか反論を絞り出そうとする銭金だが、

 

「……そんなの、お前らが――」

「自分たちメガミが、ただのファラ・ファルード人に協力してるだけじゃないかって? ではでは第二弾、サリヤさんお願いしまーす!」

「え、ええ」

 

 サリヤは少し迷ってから、銭金の背後、机と机の間の手狭な通路に狙いをつけるように手をかざした。

 起きた現象に、今度こそ疑いの眼差しが消える。

 桜の光が結実して現れたのは、サリヤの象徴武器たる乗騎ヴィーナ。もしかしたら技術の発達したこの歴史であれば似た乗り物は造れるかもしれないが、顕現まではできまい。

 

「ご覧の通り、サリヤさんも立派なメガミなわけです。この乗り物、自分たちにとってはどう見てもファラ・ファルードの絡繰なわけなんですけど……銭金さーん、どうですぅ?」

「……こっちで見たことは、ない」

「ですよねですよねぇ! ファラ・ファルード由来の象徴武器、これもまた異なる歴史の証拠ということで。さて――」

 

 そう言うとレンリと隣のチカゲの身体もまた、先程のサリヤのように光となって剥がれていった。

 元の道化師じみた格好の童女へと戻ったレンリは、手足を戒めていた縄など最初からなかったかのように立ち上がり、どよめく皆へと両腕を広げて見せた。

 にっこりと、屈託のない笑みで告げる。

 

「もっとお話、しませんか?」

「…………」

 

 流れを全て掌握してしまったレンリに対して、即座に異を唱えられる者もいなければ、同意する者もいない。無意味だった拘束が、レンリは御せる相手ではないと示している。下手なことを言えない状況になってしまって、桜花炉側の人間は誰も動けない。

しかし、目的は理解を求めることであって脅しではない。

 恐怖に色づくその前に、割って入ったのはメグミだった。

 

「皆さん、驚かせてごめんなさい! だけど、レンリちゃんが言ったことは全部真実です」

 

 彼女は立ち上がり、一人ずつ見回した。

 この地に生きる、対話すべき相手のことを。

 小さな小さな咳払い一つして、メグミは胸に手を当てた。

 

「あたしたちは、この歴史の皆と手を取り合うために来ました。桜を蝕む脅威に、共に打ち勝つために。お互いの歴史を、この先もずっと続けていくために。だからどうか、あたしたちに時間をください。まずは、お互いのことを知るところから、始めてみませんか?」

 

 はにかむメグミが、席を離れた銭金に笑いかけた。激しく反発していた激情はなりを潜めており、逡巡する中で元いた席に目線が幾度か向かう。

 そんな彼を後押しするように、千冬がその席を手で示した。大きく狼狽えることのなかった彼女だが、顔には急な理解を押し付けられた疲れが滲んでいる。覚悟を決めて居座っていたというより考えるのに必死だったと言うべきか、銭金を引き戻す様子からは、この奇想天外な邂逅から逃れるのを認めない魂胆が透けて見える。

 

 やがて、舌打ち一つ鳴らして銭金が踵を返した。

 乱れた席が整えられる中、ユリナは告げた。

 

「少し長い話になると思いますが、最後まで聞いてくれると嬉しいです。わたしたちがどんな歴史を辿り、何と戦っているのかを」

 

 

 

 

 

 苦々しい顔が並び始めてから、はや半刻。

 メガミたちにとっては、先日の臨時大家会合などで既に人間に語っている内容こそが主題であった。突飛な内容ではあるものの、メグミらの来訪や徒神騒動の下地があった桜降る代の人々は、毒を食らわばといった雰囲気で早々に呑み込んでくれていた。

 

 しかし、この場に居合わせた彼方の枝の人々は違う。彼らはまず、多くメガミが当たり前のように人の営みの中に居るところから理解を求められた。

 もちろん最初は、皆半信半疑だった。メガミの証明があっても、お伽噺のように聞こえていただろう。けれど、差し挟む疑問へ淀みなく答えるメガミたちに瑕疵はなく、開示されているのが決してただの物語ではないことを認めざるを得なくなっていった。

 そして、徒寄花と徒神によりもたらされた惨状に顔を強張らせ、眠る脅威に話が追いついたときにはもう、あるはずもない否定材料を誰もが必死に探していた。

 

 認めなければ、滅亡の前であぐらをかいた愚者との烙印を押されてしまう。

 だが、平穏な日常の只中に持ち込まれた暗い未来予想を、今すぐ呑み下せる者がいるはずもないのだった。

 

「クソッ、ふざけるなよ……」

 

 銭金の足が、貧乏ゆすりの音を刻む。途中で所員に何度も注がせた茶も、底を尽いて久しかった。

 解放されたチカゲとレンリが席につき、語り終えた六柱のメガミの前には、彼のように苦渋を浮かべた顔ばかり。思わず感情的に拒絶しても不思議ではない内容だったが、技師が多いこともあってか、理屈との間で板挟みになっているようだった。

 口元を指先で隠した千冬が、恐る恐る訊ねる。

 

「本当に、あなた方と私たち――いえ、二つの歴史以外に、生き残りはいないのですか? それほど危機的な状況に、既に陥っていると……?」

「せやで。みーんな船底に穴開けられてもうて、ウチらも時間の問題や」

 

 無慈悲に答えるアキナ。千冬は冷や汗を流しながら、再び机に視線を落とす。

 他の所員たちも不条理な現実に唸っていたが、一見して例外なのが、うつらうつらと舟を漕いでいる古妙だ。隣の所員が、信じられないものを見る目つきで書記を代わっている。

 しかしメガミたちは、瞼の半分落ちた瞳に宿る意思に気づいていた。発言も相槌すらもなかったが、耳はずっとメガミたちのほうへと向いている。意図は定かならずとも、何か訴えるべきことを秘めている様子だった。

 

 ただ、そんな古妙を咎める余裕のある人間は一人もいない。

 どれほど理解に苦しみ、受け入れがたい内容であっても、彼らは差し伸べられた手に対して是でも否でも応じなければならなかった。現れたメガミたちという変化する現実の象徴に、無言でいることは許されなかったのである。

 

「……一つ、分かったことはあります」

 

 千冬が迷いをどうにか呑み込んで、それでも勇気に後押しされたように切り出した。

 その眼差しは、メガミへと向けられる。

 彼女を母と呼んだ、チカゲへと。

 

「お恥ずかしながら、私はこの歳にして未だ独り身。母と呼ばれる理由はありません。ですが、その面差しを見て感じたのです。チカゲ……さんは、私に連なる者ではないかと。それが異なる歴史で私が子を成したというのなら、少し納得できる気がするのです」

「す、すみません、混乱させてしまって。死んだ母様と瓜二つで……」

 

 謝るチカゲに、千冬は首を横に振った。チカゲと似た色合いの長い髪が揺れる。

 

「そう、でしたか。とは言っても、話を聞くにこの私とチカゲさんはさほど歳が変わらないようですから、まだまだ現実味はありませんが……」

「歴史の違いで、生きた年代もずれたのでしょう。メガミになったチカゲと頭領になった愚弟がそもそも生まれなかったのですから、これからさらに差が生じるわけです」

「頭領……それは、確かに……」

 

 容易く投げられた大きな規模の話に、千冬が返答に詰まった。

 しかし、そのまま話を膨らませるを良しとしなかった者がいる。

 銭金だ。

 

「ちょっと待とうや闇昏さん。いくらなんでも鵜呑みにし過ぎだろうがよ」

 

 頭を掻きむしる彼の目は、半ば千冬を睨む形だ。

 

「い、いえ、まだ全て納得したわけでは……」

「別の歴史だなんつー、一番突拍子もねえところをあっさり受け入れてんじゃねえか。確かにメガミなのはもう疑いようもない。だが、眠る脅威を警告しに来たのに、肝心のファラ・ファルードと仲良しこよしだって言いやがる。筋が通らんだろ、筋が」

 

 指で机を叩きながら反駁する銭金。

 そこへユリナが小さく手を挙げて、

 

「あの、もしかしてこっちにも『眠る脅威』って伝わってるんですか? なんだか馴染みがありそうなので」

 

 彼女の問いに、千冬が頷いた。

 

「その言葉が記録に残るだけで、詳しい内容までは分かっていません。最後のメガミ・シスイが提唱したとされ、それ故にメガミたちは桜花炉の心臓になったとされています」

「じゃあ皆、自分から装置に入ったってことですか?」

「はい、眠る脅威に立ち向かうためとは言われています。ただ真相はと言うと、当時の製炉関係者も知らないようでしたし、御本人方に確認もできず……。そのため近年では、ファラ・ファルードからの侵攻の予言だったと見る向きが強かったのです」

 

 千冬がやんわりと銭金に目線を向ける。

 彼は不愉快そうに毒づいた。

 

「ケッ、現実的に考えた結果だよ。知らねえぞ、そっちでも侵攻が起きたら。俺たちのことを心配する前に、そっちの人間に櫻力を供給してやったほうがいいんじゃないのか? 兵器もそうだが、櫻力灯すらねえなんて可哀想にすら思えてくるね」

「そうしたら確かに起きるでしょうね、戦争は」

 

 サリヤの反論に、銭金は鼻を鳴らした。痛いところを突かれたといった様子ではなく、最初からそう言い返されると理解していたような態度だった。

 けれど、席を囲む所員たちの少し呆れたような反応に、彼は顔をしかめる。まだ不信は解消されきっていないとはいえ、千冬が態度を軟化させたことを皮切りに、建設的な議論を求める空気が漂い始めている。自分の主張を強弁し続ける銭金は、少しずつこの場から浮き始めていたのだった。

 

 咳払い一つ、銭金は話題を打ち切った。

 身体を仰け反らせ、彼は問う。

 

「協力するつもりだってのは分かった。なら、疑いは晴らしておこう。『サイハテ』の襲撃、たまったま居合わせたんだろう? その件について詳しく聞こうじゃないか」

 

 猜疑半分、出方を窺うのが半分という物言いだった。未だ現れぬ脅威よりも実害に目が行くのは当然のことで、芦原精製所侵入が黒である以上、同様に黒と判じられても仕方がない。

 対し、再びアキナが矢面に立つ。

 

「確かに、炉が襲撃されたんは重要な事実です。炉がどういうもんか知った今なら、ウチかてそのヤバさは分かるさかい、もちろん情報提供はさせてもらいます」

 

 せやけど、と継いで、

 

「ウチらにとって――そんで、そちらさんにとっても、もっと大事な点があるんです。あんとき、壊れた炉の中に眠ったコルヌがおったわけですけど、そのコルヌ、徒神になってもうてたんですよ」

「さっき言ってた、変質したメガミとやらか。そんな情報は上がってきてないぞ」

 

 銭金がぶっきらぼうに跳ね除ける。彼はちら、と千冬を窺うが、彼女もまた遠慮がちに頷いて同意した。

 アキナはその反感を受け止め、

 

「ウチらも見るまで分かりませんでしたからね。しかしまあ、仮にそれは頭の片隅でええとしても、炉が危ない状況なんはよろしくないわけですよね? 壊れてもうたら、銭出しはってるおたくは当然おもろいわけがない。それが、中のメガミが駄目になったからでも……ミソラにやられたからでも」

「む……」

 

 一拍、銭金は反論の間を置いた。

 眉間にしわを寄せながら、彼は言う。

 

「出資者として、櫻力販売の利益を得ているのは事実だ。だが、その程度の儲けにしがみつく守銭奴と思われるのは心外だな。『サイハテ』の――」

「『サイハテ』の停止で血が通わんくなった、製造に流通に生活に……北のほうやと、採鉱もですか? 当然、大打撃やろなあ。波及したらえらいこっちゃ。……ところで、間違うてたら申し訳ないんやけど、兵器作るんにも櫻力要りますやろ?」

「……! 分かって、る、じゃねえか。どんだけ軍に迷惑かかると……」

 

 アキナの言いたいことを理解したのか、歯噛みする銭金だが、流れを止める理屈を見つけられないようだった。

 アキナは畳み掛けるように告げる。

 

「情報は提供しますし、メガミなんやから当然メガミにも対抗できます。せやから、ついで! ついででいいんです! 炉が末永く動くよう手伝わせてもらいますから、ウチらの調べ物、ちょこっと気にしてはもらえんやろか?」

「ぐぅ……」

 

 要するに銭金は、傭兵の雇用を迫られていた。経済損失によって大きく傾いた秤の上に、メガミへの信用を如何に載せるかとアキナは問うたのである。

 損失と同じ皿の上に載せれば悪化はするが、別の皿に載せれば悲鳴は止む。

 ミソラ撃退だけでも短期的な利益を得られるが、メガミたちの言葉を信じるならば、徒神化という中長期的な問題も解決できる可能性がある。

 故に、裏切られたときの傷は深いが、メガミを信じるほどに利得は大きくなる。

 

 だが、脅威と判断したミソラと彼女たちが同じメガミであることを認めた以上、話に乗らなければ銭金はその脅威を退ける用意をする責任がある。

 彼らは、生のメガミを知らない世代。当然、その本来の力を知る者もいまい。

 経済と軍事への影響を賭け金に、ろくに見積もりもできない戦力の相手に挑むには、彼の商会副会長という肩書はあまりに重かった。

 

「あー、分かった分かった。これでも桜花炉の発展を支えた銭金商会を継ぐ男だ。相手を無下にしたせいで炉が潰れた日には、親父の隠居話がまたパァになる。そんなの御免だね」

 

 銭金はそう言うと、所員をどやして茶を淹れに行かせた。長丁場でよれた羽織を直して居住まいを正し、懐から眼鏡を取り出す。そして、盛大な溜息と共に机に両肘をついた。

 損得が絡めば、商人は肩を組んで夢物語だって唄ってみせる人種である。アキナが用意した着地点にただ甘んじるか否か――そこを争点にされた銭金は、交渉の席に座り続けざるを得なかった。

 対面でにこにこと手揉みするアキナに、銭金は腹をくくったように告げた。

 

「話を詰めよう。異邦のメガミ相手に意味があるかは分からんが、念書は認めてもらうぞ」

「そらもちろん! 商売のメガミ直筆の証文、ご利益ありますよ♪」

 

 

 

 

 

 最後にサリヤが親指を離すと、紙面に拇印が六つ縦に並んだ。その隣の列には二つ、銭金と千冬のものが並んでいる。

 念書を受け取った千冬が席を立ち、軽く頭を下げる。

 

「ありがとうございます。これにて、桜花炉総点検中の警備に係る契約の成立とします」

 

 ただ、話がまとまったというのに、彼女はあまり浮かない顔だった。不安しかない成り行きに疲れているようでもあったが、本当にこれでいいのかとまだ悩んでいるようで、責任者としての立場が強引に彼女を動かしているようだった。

 しかし、メガミたちの目的は、その暗い未来をこそ取り除くこと。用心棒という名目であるにせよ、協力関係を結べたのは間違いなく前進だった。

 同じく礼をしたメガミたちに、千冬は告げる。

 

「それでは、何卒よろしくお願いします。襲撃のこともありますので、『ミツルギ』『シロカネ』担当の方々は、このあとすぐにでも出発しましょう。足を用意させますので、支度を済ませて下さい。『ミカガミ』組のサリヤさんとチカゲさんには、その後で中をご案内します」

「それなら、ひとまず宿を引き払ってきますね」

 

 そう言って去ろうとしたユリナの背中を、アキナとメグミが追っていく。

 ただ、遠征組に入っているはずのレンリは、椅子に座り直してぐったりと机に上体を投げ出していた。

 サリヤが疑問を口にする。

 

「あなたは?」

「いえいえ、荷物は特にありませんし、まだ手の届く範囲に居ておくのが、オイタをした悪い子のせめてもの態度だと思いましてー」

「律儀なのね。お目付け役と組まされたんだから、もう気にしなくてもいいと思うけど」

「んー、まあそういう見方もありますけど……」

 

 答えるレンリはどこか生返事で、サリヤのことも見ていない。

 所員たちも三々五々散っていく事務所の中、不満そうに議事録をまとめ直していた古妙が置いていかれそうになっていた。

 慌てて駆け出す彼女が、机に一人浅く腰掛けていたチカゲの前を横切っていく。

 

 そのとき、目を閉じていたチカゲが、不規則に何度も瞬いた。目にゴミでも入ったのかと気にも留めない、一瞬の出来事だった。

 けれど、古妙の視線が僅かにチカゲを捉える。

 古妙の表情が怜悧さを帯びた。

 だが、

 

「ちょ待ってぇ〜! あーしもこの後出張なんだからさぁ!」

 

 気の抜けた悲鳴を上げて、古妙はそのまま打ち合わせに向かった所員たちを追っていく。

 その背中を、サリヤが微笑ましく見送った。

 チカゲとレンリは一度視線を交わし、それ以降、出発まで言葉を交わすことはなかった。

 

 

 

 

 

 解散の様子が映った鏡に、ヤツハは胸を撫で下ろした。

 

 ――どうなることかと……。

 ――対話のできる相手で本当によかったね、実に運がいい。

 

 苦笑いするカナヱに、ヤツハも苦笑いを返した。

 可能性の大樹、その桜降る代の枝の縁。ヤツハたちは彼方の枝との道を繋ぎ続けるべく、大樹の世界に設置した鏡に直接力を注ぎ続けていた。流石に干渉までは不可能だったが、こうして鏡を通して現地の様子を窺うことはできる。

 

 見るのに集中していたヤツハは、首筋に滲む冷や汗の感覚を思い出す。

 彼女はずっと気づいていた。周囲で海のように蠢く蔦が、より活発になっていることを。それはまるで、ヤツハたちが何を為そうとしているのか理解しているようで、ぱきぱきと骸晶めいたその身をくねらせて食指を伸ばそうとしている。

 

 焦燥はある。恐怖もある。しかし、ヤツハの心は挫けない。

 かつて一人きりだった自分はもういない。この桜降る代を守るための意思も力もある。

 これが今のヤツハにできること。下を向く暇なんてありはしない。

 だからヤツハは、成功を祈ってただ道を支え続けるのだ。

 

 安堵に緩んだかと、ヤツハが鏡に意識を集中し直す。

 けれどそのとき、また、声がした。

 

『ふぅん……』

 

 あのとき語りかけてきた儚く揺らめく声色が、軽やかなはずの音色を歪にしていた。

 声は問う。

 

『だから、あなたは戦うんだ?』

 

 ヤツハはそれに、かつての自分を想起した。自分こそが、愛した世界にとっての敵であったと理解した、彷徨える怪物であったときの自分を。

 けれど、その絶望を乗り越えられたからこそ、彼女は今ここにいる。

 だからこそ、今の確固たる自分をヤツハは告げる。

 

 ――はい。

 

 傍らのカナヱが、不思議そうにヤツハへ意識を向けてくる。

 それでも、どこに居るのかも分からない相手に向かってヤツハは訴える。

 今なお育まれる枝を、背に抱いて。

 

 ――私は、そのために戦います。