神座桜縁起 後編

第8話:彼方の枝の英雄たち

 

 絶望が、空を舞う。

 人と樹木と鉱物の間に産み落とされたかのような悍ましい造形を得た徒寄花は、古鷹領は古鷹邸の奥に構えられた精製所を飛び立ち、進路を南に、既に都上空を抜けていた。

 

 徒寄花が通り過ぎた地上には、何も知らない人々の悲鳴が響き渡る。だがそれは、未知なる怪物が突如現れたからだけではない。

巨体の脚に相当する部位から、時折ぱらぱらと何かが落ちていく。引き抜いた植物の根から土がふるい落とされるかのようだったが、そんな生易しいものではなかった。

 

 それが大地へと振りまくのは、種。

 見た目には一塊の鉱石にしか見えないそれは、瞬く間に発芽し、骸晶質の蔦を周囲へと伸ばしていく。ただでさえ種の単純な質量が破壊をもたらしているのに、地を這う蔦はあらゆるものを呑み込み、不気味な輝きで大地を蝕んでいく。

 

 半刻もしないうちに、古鷹の都は既に半壊状態。

 果たして一夜のうちに、どれほどの破滅が広がるだろうか。

 果たしてひと月のさばった後、この地は生き永らえているだろうか。

 しかし、終焉を阻止せんと地上から徒寄花を追う鉄塊が一つ。

 

「おいおいおいおい、勘弁してくれ! 俺はそんなに運転得意じゃあないんだぞ!?」

 

 ギャギャッ! と車体と車輪が軋みを上げて、進路を塞いでいた種と蔦を四輪車がすれすれで迂回する。

 冷や汗を流して操縦桿を回す銭金に、後部座席のメグミから抗議の声が飛ぶ。

 

「ち、ちょっと! 振り落とされちゃうって!」

「うるせえ、文句はあのデカブツに言え! こちとら軍用規格なんだ、乗り心地を求め――ってオイ! 刀をぶっ刺す馬鹿がいるかよ!」

「ごめんなさい、つい!」

 

 謝るユリナは、しかし車の床に刺した斬華一閃を引き抜くことはない。メグミと並んで座席に膝立ちになり、背後を向いている。その手から噴き出す威風が、その杖から放たれる烈風が、少しでも車体を前に押し進めていた。

 桜に煌めく煙を棚引かせながら走る車は、メガミの手助けもあって相当な速度で荒れた街道を駆け抜ける。馬車すら比肩しうるものではなく、かつてサリヤが人間だった頃のヴィーナにも決して引けを取るまい。

 

 しかし、三人の見上げる空に、葉を揺らす怪物の背中が常に浮かび続ける。

 怪物の侵攻は確かに速い。けれど、ただでさえ不利な陸路で種の妨害を受けている。

 追い縋れているが、追いつけない。

 速度が、足りない。

 

「あのデカブツ、このままだと本当に鞍橋に突っ込んじまう! 頼む二人とも、もっと押してくれぇ!」

 

 些か情けない悲鳴を上げる銭金と共に、限界を超えた速度に機体が悲鳴を上げる。

 けれど、返ってくるのは同じく悲鳴だった。

 

「これ以上は、ちょっとっ……!」

「無理、かも……!」

 

 限界を訴えるメガミたちに、銭金が頭を掻きむしった。どちらも風や推力は権能の副産物に過ぎず、絞り出したとて根本的に状況を変えるには至らない。

 ゆっくりと、しかし確実に徒寄花の姿は遠ざかっていく。

 そもそも追いついたところで、空の巨影にどう立ち向かうというのか。

 絶望の芽が、確実に、彼らの心に頭を出し始めている。

 

 だが、そのときだ。

 失意に見上げた天に、風を切る別の影が閃いた。

 それは、翼を戴いた四肢ある人の形。怪物に勝るとも劣らない遥かなる威容。

 桜色の血潮流るる、天駆ける黒鉄の巨人――否、巨神。

 

『I AM THE SERPENT. I CURSE YOU. AND I AM THE SONG. I IMPRESS YOU』

 

 妙な響きを伴ったサリヤの声が、巨神と化したヴィーナより大音量で発される。呼応して巨神の両脇で桜色の扉が生まれ、そこから新たな機影が二つ、現界する。

 一つは蛇の如き尾を揺らし、一つは美声を奏でる対なる大口を開く。どちらもサリヤの愛機ヴィーナの姿が一つ。

 そして、飛翔する二機は変形、分離し、合一を果たす。

 

『TRANSFORM, FORM:NAGA AND KINNARI!!』

 

 鋼の蛇が、風を切って空を泳ぐ。ヒトの胸のように胸の左右に取り込まれた大口は、両脇に抱えた大鼓かのよう。

 蛇は凄まじい速さで徒寄花との距離を詰めると、その双眸が赤く光り、光条となって巨体の背中に突き刺さった。

 

 破壊はない。だが、翼の動きにぎこちなさが混じる。

 追撃とばかりに蛇が高く飛び上がり、両の大口を激しく打ち震わせた。周辺の木々が風を無視して揺れ動き、音波の直撃を浴びた怪物の翼が耐えかねたように破片を零した。

 追いつくことも叶わなかった徒寄花が、巨躯を揺らしている。

 

『待ちなさいっ!』

 

 その隙に追いついた巨神が、右腕を突き出す。だが、まず放たれたのは鉄拳ではなく、装甲の合間から飛び出した無数の針だった。

 畳針程度の、人には大きすぎ、巨体には小さすぎる得物。

 けれど、硬質な肌に突き刺さった瞬間、激痛を覚えたかのように怪物の体表が蠢いた。

 

 打ち込まれたのは、猛毒。

 存在そのものの死を内包した滅灯毒が、徒寄花を蝕み始める。

 患部ごと取り除こうとしているのか、ボロボロと崩れ始めた着弾地点めがけ、巨神の左拳が突き刺さる。

 

『させないッ!』

 

 徒寄花の身体が少しくぼみ、毒針が改めて深々と打ち込まれた。四方八方で生まれては消えていた木のうろのような空洞が、目まぐるしく移り変わる。頭頂に咲く黄緑の花の輝きが、悲鳴を上げるように明滅する。

 パキパキ、バキバキ、と怪物から骸晶の蔦が大量に生え、巨神の腕が引き戻すところを蔦に掴まれた。

 これまで大地に種を振りまいてきたように、蝕もうとしているわけではない。

 徒寄花が、巨神ヴィーナを討ち滅ぼすべき障壁と認識したのだ。

 

 巨神を宙に縫い留める蔦とは別に、数多の蔦が螺旋を描き、瞬く間に一本に織られていく。

 誕生せしは、巨大なる槍。傾いていく太陽の光を歪な七色に反射する、現実味のない螺鈿細工のような鋭い刃。

 巨神の図体こそ的だと言わんばかりに、徒寄花の肩越しに切っ先が狙いを定める。

 だが、

 

『I AM THE SPIRIT. I THWART YOU. TRANSFORM, FORM: MAHORAGA!!』

 

 現界した機構が巨神の首に巻き付き、うなじから這い上がって蛇の上顎を模した冠と化す。さらに肢体を葉脈の如く細い部品が這い、新たに取り込んだその部品が、翡翠色の輝きを解き放った。

 腕を掴んでいた蔦が、小さな石粒に分解されていく。

 戒めを解かれた巨神は、しかし退くことはない。

 

『I AM THE DEMON. I DESTROY YOU. AND I AM THE WAR. I DEFEAT YOU』

 

 両肩と胸より出でて敵を睨む、鬼の形相。

 右の拳が一度手首の中へ収まり、高速回転する白銀の刃となって現れる。さらに腕の側面からも長大な刃が現れ、猛烈な回転を得て敵を切り刻まんとする。

 

『TRANSFORM, FORM:YAKSHA AND ASURA!!』

 

 度重なる変形合体の果て、巨神と巨魁の一撃が正面からぶつかり合う。

 ガガガガッ! と。

 ヴィーナの刃が槍の尖端を迎え撃ち、辺りに耳をつんざくような摩擦音が鳴り響く。両椀の回転刃が怪物の胴や迫る蔦を削り落とし、砕けた破片と共に街道へと降り注ぐ。大量の火花と閃光が衝撃の余波で吹き散らされ、その眩さはまともに目にすることも難しい。

 

 拮抗は、僅かに槍側が有利。少しだけ打ち下ろしたその角度が、膨大な質量と共にヴィーナを貫かんと徐々に押している。

 だが一方で、ヴィーナの両椀の刃が怪物の葉のような翼を少しずつ削り取る。

 悶える徒寄花の蔦がさらに槍へと収束し、切っ先がヴィーナの心臓を向く。

 ヴィーナが――否、サリヤが、吠えた。

 

『おおぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!』

 

 彼女の気迫が響き渡ると同時、ヴィーナの戴いた翼が、さらに猛烈な勢いで桜の光を吐き散らす。ぎしぎしとその鋼の身体が軋み、加速と衝突の狭間で悲鳴を上げ続ける。 

 さらに、先行していた二機一身の機体が尻尾のように腰に装着され、全身に巡る桜の光をもう一段強く輝かせる。

 完全なる巨神ヴィーナの姿が、この瞬間、顕現する。

 

 けれど、それでも押し込まれる刃に、巨神の胸に現れていた鬼の顎が光り始める。

 桜の輝きが収束し、臨界を迎えて憤怒を思わせる赤みすら帯びた。

 直後、

 

『OMNIS-Blaster…SHOOOOOOOOOT!!!』

 

 

 切り刻まれた怪物の左翼を光の奔流が引きちぎったのと、巨大な槍がヴィーナの右肩を打ち砕いたのは同時だった。

 巨神は光条の反動と翼の出力を止めたことで後ろに傾いでおり、真っ向から貫かれて損害を増やすのを嫌ったようだった。押し返せないという判断から、痛み分けを狙ったのだろう。

 

 ヴィーナの破損した部位が大量の桜の光へと還り、合体を維持できなくなったのか、巨躯のあちこちで部品となっていた機体がそのまま散っていく。

 衝撃に体勢を崩した巨神が、地上へと引き落とされる。翼は努めて引き止めているのか、勢いを殺すように幾度も噴射し、軟着陸の姿勢へ移っていく。

 

 サリヤ渾身の兵器への傷は痛手だ。

 だが、片翼をもがれた怪物は、もはや自由に空を闊歩することは叶わない。

 空からふらふらと落下し始めた徒寄花に向かって、一台の車が猛然と走る。

 

「わあぁぁぁぁ! ふざけるな、潰されちまうぅぅぅ!」

「魔女の杖よッ!」

 

 銭金の情けない悲鳴を無視して、メグミの杖から凄まじい速度で風の刃が放たれた。ユリナに身体を掴んでもらってなお、車上の不安定さでは全力とは程遠いものの、反動で前輪が浮き上がったほどである。

 メグミの追撃が怪物の右翼に炸裂し、姿勢を容易には取り戻させない。骸晶の擦れ合う音が絶叫の如く響き渡る。

 

 サリヤたちの作り出した好機が、絶望の行進を止めようとしている。集った四柱のメガミが、徒寄花の放埒を許さない。

 否、集いしメガミは、彼女たちだけではない。

 

 彼方より空に走った蒼穹の軌跡。

 巨体を軽々とくり抜いた矢が宙に溶けた瞬間、一拍遅れて徒寄花の蔦が起きたことを理解できなかったかのように暴れ出した。

 射手は東より。空色の翼纏いし、自由と空の体現者。

 

「まったく……良いように使ってくれるよね。ほら、この僕が来たよ!」

 

 猛禽が如く咲ヶ原を囲む山々を越えて現れたミソラが、得意げに両手を広げて見せる。

 しかし、空飛ぶ彼女の足元から抗議の声が。

 

「当たり前や、勝手に暴れよったくせに! アホなんやからアホらしく炉に収まっとけこのアホ!」

「は!? 自由の象徴たるこの僕が、心臓だなんて役目に縛られるわけないだろう! そう、何物にも囚われない僕こそが、炉から外れた監視者として相応しいのだから――って、痛いじゃないか!」

 

 ミソラの下半身にしがみついていたアキナが、容赦なくミソラの脚を叩いた。

 

「何も分からんと、それっぽいこと言うてるだけやろアホ! もう騙されへんで! アンタを偉大なメガミとして深読みしとったあの日の自分を、どんだけはっ倒したい思うとるか!」

「僕の知らない話をするのは止めてくれるかな!?」

「うっさいボケ! いいからはよ降ろさんかい!」

 

 騒然とやってきた援軍に、車を止めたユリナたちが苦笑いを浮かべる。蟹河からの東西横断を実現した最高峰の進軍速度を誇る空の象徴も、これでは形無しである。

 喧嘩する二柱をよそに、遅れてもう一対の空の翼が地上へ降り立つ。

 

「あの鉄の巨人は、サリヤさんのでいいんですよね……?」

 

 ミソラの羽を模倣していたレンリが、抱えていた藤峰古妙を解放する。泣きそうな顔の古妙は着地に失敗して顔から地面に激突していた。

 話題に挙げられたヴィーナはというと、ユリナたちを避けるように街道脇に着地した。

 見上げんばかりのその威容から、人間大の影が飛び出した。

 チカゲと、彼女に抱えられた闇昏千冬である。

 

「さっきほどは動けないようですけど、もう、手は届きますから」

 

 メガミたちの眼差しが、徒寄花の巨体に注がれる。

 ずず、と街道の行く先にて大地を揺らし、四本の脚のようになった蔦の束が土煙を巻き上げる。腕の部分とで胴体を支えてはいるようだが、再びの空は当分望めまい。

 

 構えられた七つの象徴武器が、敵を捉える。

 メガミたちが堰を切って立ち向い、対する徒寄花は種を撒き散らして抵抗を始める。

 その背中を、三つの双眸が見送っている。

 命運に導かれた、三人の人間が。

 

 

 

 

 

「あ……えっと、ども……」

 

 どう言葉を作っていいか分からないなりに、まず口を開いたのは古妙だった。一応、指示を無視して蟹河に向かったことも脳裏をよぎっているかもしれない。

 次の出立を待つ車の小さな唸りを背景に、顔を突き合わせることになった三者。本来この早さではありえない再会に驚きを隠せておらず、あまりに複雑であろう互いの事情を前にして、疑問すら喉に詰まっているようだった。

 

 彼らは、混沌たるこの事態に翻弄されたと言っていいだろう。三者三様の経緯で以て、ただ一つに定まった戦場にたまたま、あるいは必然、同時に辿り着いただけだ。

 その経緯を詳らかに語るには、時間が足りない。

 しかし、それぞれが胸の内に燻らせていたものに火をつけられているのも確かだ。それこそが、この場に導かれたきっかけであったはずなのだから。

 

 この破滅をある種の断罪だと受け入れ、それでも未来を拓く手を模索せんとする男も。

 抱いた不信に甘んじた停滞から這い上がり、受け継いだ責務を今一度全うせんとする女も。

 その火を原動力に、前を向いている。けれど、その火を打ち明ける相手として、この今、互いを選ぶ必要があるのかと言われれば否だった。

 だが、少なくとも、少女にはその必要があった。

 

「千冬さん、銭金さん……」

 

 名を呼び、それから少しだけ迷いを残して、古妙は二人を見た。

 そこに、風に吹かれるような軽薄な態度はない。幼い頃よりずっと被り続けていたであろう仮面を、脱ぎ捨てようとしている。

 かつて見出した己の命運を果たすために。

 自分から築いていた壁を、取り払う。

 

「あーしは、二人を尊敬してる。……でも、正直失望してるし、軽蔑もしてる」

 

 だけど、と古妙は継いだ。いくらも言葉足らずな彼女の言葉を、二人は黙って聞いていた。

 

「それを全部しまっちゃったのは、あーしだから。だから……だから、今は……」

 

 古妙が、頭を下げた。

 腰を折って、手を揃えて、勢い余って大きなおさげから髪飾りが一つ外れても、一切取り繕うことなく。

 彼女は、真摯に、真っ直ぐに、告げた。

 

「力を貸してください。オボロ様に託された命運を一つ、果たすために」

 

 それは、何かを願うには毒を含んでいた。交渉も何もない、自分の想いを一方的に伝えるだけの、歯に衣着せぬ願いだった。

 しかし、銭金と千冬が怒りを見せることはなかった。

 ここにいる誰もが、至らなかった。ここにいる誰もが、悔やんでいた。

 今日という日に、三人は、その毒を呑み下していた。いや、あるいは、既に身体の奥で息づいていたことに気づいただけだったかもしれない。

 

 だから、願いに滲んだ毒に、誰も唾を吐くことはない。

 それを受け入れて、皆、ここにいる。

 

「ふん……下っ端がしゃしゃり出て、何だよお前って、思ってはいるけどさ」

 

 銭金が口を開き、古妙が顔を上げた。

 彼は腕を組み、古妙を睨んでいた。微かに、古妙の瞳が陰る。

 けれど、

 

「全部説明させんのは後回しにしてやるよ。で、お前は何がしたいわけ?」

「銭金さん……」

 

 ぶっきらぼうながらすぐに願いを呑んだことに、古妙は一瞬呆気にとられた。

 そして、彼だけではない。

 千冬もまた、その想いに応える。

 

「あの怪物への解答を持っている……そう捉えていいのですね?」

「そ、そう、そうなの! メガミの皆さんだけじゃ、きっと倒しきれない……式を込めて、こいつを叩き込みたいんだ」

 

 言い終わるかどうか、古妙の手が虚空から無を抜き払った。

 その瞬間、彼女の周囲の空気が一気にひりついた。三人共息を呑み、あまりに雄弁な説得材料を目の当たりにする。

 刃の本質。断ち切るという概念を結実させた、不可視の刃。

 もはや顕現武器すらろくに拝めなくなった彼らだろうと、古妙の出した得物がどれほど凄まじい存在なのかは分かったようだった。本能が恐れる切れ味に、銭金も千冬も一歩後ずさっていた。

 自身も僅かに苦笑いしながら、古妙が続ける。

 

「怪物までの足と櫻力……いや、できれば櫻力機関が欲しいかな。打ち込む直前まで計算が要るから」

「足と櫻力機関って……」

 

 ちら、と千冬と古妙の視線が一点に注がれる。

 銭金はげんなりとしながら、

 

「うちの車かよ。そりゃ制御用に算術回路は積んでるが、あのデカいやつ借りたほうがいいんじゃないのか?」

「いえ、見たところ技術体系が違いすぎます。出力は期待できますが、この限られた時間で転用するのは厳しいかと」

「……まあいいか、もう床に穴も開いてるしな。使い潰すつもりで行こう」

 

 近寄った銭金が、車体を叩く。既に苛烈な追走劇を繰り広げた後とあって土埃に塗れ、傷だらけだった。

 決意を浮かべる古妙が彼を追おうとしたところで、千冬が小走りに並ぶ。

 その手には、手のひら大の小箱めいた部品が二つ。

 

「計算というと、これも役に立ちますか? 櫻電式ですが、修理用に持ってきた算術核です」

「いやいや、さっすが総監督サマ! それがあるのとないのとじゃダンチっしょ!」

 

 目を輝かせた古妙の顔に、力強い笑みが現れる。つられてか、千冬にも微笑みが浮かぶ。

 それから三人は、ほど近くで激戦の続きが行われている中、土壇場の開発を進めた。車を部分的に分解し、装置を取り付け、計算機同士の難解な回路を巧妙に繋ぎ合わせていく。もちろん、正念場を走れるように車両としての整備も忘れない。

 

 作業中、何か語らうかと言えば言葉少なく、共同で実務などしたことはないだろうに、それでも連携に瑕疵はなかった。

 粛々と、為すべきことを為しただけ。

 未来のために。

 責務のために。

 使命のために。

 

「まったく、都合が良すぎるってもんだ。こいつを突貫でどうにかできる技師がちょうどいるんだもんな」

 

 作業を終え、全員が乗り込んだところで運転席の銭金がぼやいた。

 それに、後部座席の二人が応える。

 

「これが、命運というものなのかもしれません」

「だから、成し遂げるんだ。あーしたちが」

 

 警笛を一つ鳴らし、車は再び走り出した。

 徒寄花の顕現に向かって。

 

 

 

 

 

 メガミたちは、戦い続けていた。

 この歴史に、きっとヤツハはいない。脅威の具現たる巨大な怪物を前に、言葉を尽くす余裕などありはしない。既に都市が一つ壊滅した今、ただ全力で退ける以外、彼女たちに選択肢はなかった。

 

 怪物の巨躯は、地に落ちてなお前進を止めない。残った僅かな浮力と脚代わりの蔦の束を使って、少しずつ這うように街道を南下し続けている。

 決して、メガミたちを無視しているわけではない。四方八方から生み出された蔦や撒き散らす種は、明らかに彼女らを退けようとはしている。だが、それはあくまで侵攻を続けるためのものであって、正面から向き合う気配はあまり感じられない。

 

 どれほど断ち切っても、どれほど叩いても、どれほど射抜いても。

 進路上に咲き誇った花々の弾幕で押し返し、黒鉄の巨神が数多の蔦を翻弄しようとも、徒寄花が撃退に全力を傾けることはなかった。せいぜいが、チカゲの滅灯毒にやや反応を強めている程度である。

 

 これくらいでは滅びないと確信しているとしか思えない。

 メガミたちはそれでも手を止めることはなかった。たとえ倒しきれずとも、あるいは倒したところでいつか蘇ろうとも、この侵攻を食い止めることから降りるわけにはいかなかった。

 何故ならば、

 

「来ました!」

 

 ヒミカに変化したレンリが叫び上げる。

 彼女たちは傍目に見ていた。そして、ある者は知っていた。

 古妙たち三人が、手を尽くそうとしているところを。

 あらゆる人間が抗えなかった凶華を、打倒せんとしているところを。

 苦難を切り開かんとする彼女らにかつての自分を重ねるように、英雄の行く末たるメガミたちは、戦いの渦中でその時を待ち侘びていたのである。

 

 無論、失敗はいくらでも脳裏をよぎるだろう。数多の歴史が、絶対はないと証明している。

 けれど、車は希望を乗せて、荒れ果てた街道をひた走る。

 運命を切り拓くために。

 

「道を作りますッ!」

 

 応えたのは、ユリナだった。

 地上から追走していた彼女は、叩きつけられた蔦に飛び乗った。そこから蠢く蔦に次々と飛び移って、最後に強烈な跳躍で空を背に抱く。

 眼下に広がるは、今まさに編まれようとしている幾本もの巨大な槍。

 それらめがけ、神速にて天より落ちるユリナが刃と化す。

 

「つき、かげ……おとぉぉぉぉぉし!!」

 

 

 着地から一拍遅れ、彼女の頭上で数多の蔦が断面を曝す。その豪快な斬撃は、刃渡りよりも太い蔦であろうと音もなく断ち切り、崩れ行くところでようやく崖崩れのような轟音を立て始める。

 突如重みを失った徒寄花が前に傾ぎ、進行がほんの僅かに緩まる。

 それが、合図となった。

 

「よっしゃ、待っとったで!」

 

 徒寄花の進行方向より右方、街道を見渡す小高い丘の上に、狙撃手たちは構える。

 アキナが算盤を弾く傍ら、ミソラの長弓が限界まで引き絞られる。全霊を込めた一矢が、太陽の如く輝きを放つ。

 

「パチパチパチーって、計算完了! こいつでいてこましたってや!」

「まったく、君はいつも――ん? これが初めてか……?」

「ええからはよ!」

「言われなくとも! 僕の矢が、千里の果てまで貫こう!」

 

 蒼天の矢が、瞬く間に平原を駆け抜けた。

 それは、樹も、草も、風も、彼方に聳える岩肌をも無視して、怪物の前方下半身だけを捉える。軌道上の標的だけを削り取り、膨大な体重を支えていた脚の二本が、付け根から千切れ落ちた。

 

 後方に構えていた槍のみならず脚まで失い、均衡を保とうとしていた怪物が今度こそ耐えきれずに前に倒れ始める。

 動きが、止まった。すぐさま脚を修復しようとしているが、大きな間隙であった。

 土煙舞う中、伏した怪物めがけ車輪が唸る。

 

「ひえぇぇぇぇぇ! ど、どこまで行けばいいんだあぁぁぁ!?」

「胴体まで! 蔦は切り離されたらヤバいっしょ!」

 

 散乱する蔦の残骸や今なおばら撒かれる種の真っ只中を、銭金の半ば自棄な操縦で突っ切っていく。

 後部座席では、刃の本質を構える古妙。その隣では千冬が、古妙に持ってもらった数字塗れの紙片を片目に、猛烈な勢いで計算機の小さな操作盤を叩き続けている。本来想定されていない使われ方のためなのか、計算機が繋がる機関が甲高い悲鳴と桜の光を零している。

 

 決意と希望を抱く者たちが、命を賭して走り続ける。

 その覚悟に応えるべく、メガミたちはさらに道を繋いでいく。

 

「侏儒の杖よ!」

 

 メグミが杖を振るうと、怪物の周囲の地面から大量の蔦が顔を出す。意趣返しとばかりに巨体に巻き付き、深緑の戒めが体勢を立て直す余裕を与えない。

 抗うように生み出される骸晶の蔦は、巨神の一瞥が咎めていく。

 

『Gamma-Ray!!!』

 

 残った兵装からヴィーナが光線を吐き出し、体表で蠢いていた蔦の萌芽が照射された端から再び眠りにつく。

 そして、既に伸びて凶悪な得物と化している蔦の動きも、緩慢になっていく。

 赤い霧が、怪物を包む。

 

「吸わないでくださいねぇ!」

 

 巨体に駆け上ったチカゲが、ありったけの毒を振りまく。口も鼻も見当たらないながら、毒が作用していることが、この鉱物の山じみた徒寄花もまた生き物なのだと告げている。

 七柱のメガミが舗装した道を、三人の英雄がまさに踏破し、首魁に迫らんとする。

 だが、

 

「お、おい、蔦が……!」

 

 車の行く手を阻むように、一本の太い蔦が怪物の手前で道に横たわった。動きが鈍くなったなりに、今最も効果的な倒れ方を徒寄花が選んだのだ。

 迂回するにもかなりの遠回りな上、いつ暴れだすか分からない。察知したユリナが走り出しているものの、今の車速では蔦にぶつかる方が早い。さりとて道が開けるのを止まって待つには、降り注ぐ全てが危険すぎる。

 

 絶妙な判断を強いられた銭金が、加速用の操作桿から足を浮かそうとした。

 けれど、響いた少女の声が前を求める。

 レンリ扮するハガネだ。

 

「そのまま走って!」

「っ……! 知らねえぞもう!」

 

 壁のような蔦に向かってさらに踏み込んだ直後、彼らの進路上で地面が隆起する。蔦を飛び越えてそのまま怪物に激突してしまいそうな、即席の崖である。

 腹をくくった銭金が真っ直ぐ崖に車体を乗せ、そして一切の減速なく宙へ飛び出した。

 

 その瞬間、空からレンリが助手席めがけて飛び降りてくる。説明する暇もなく、レンリの身体が輝く衣が纏っていく。

 彼女が成す姿は、かつての主神。

 戦国の時代、彼女が幾度の交流を経て、心の片鱗を通わせたメガミ――ヲウカ。

 

「身に余る大役ですが、これもまた!」

 

 

 巨大な桜色の翅が、変化した彼女の背に広がった。

 食いしばりながら車体を掴み、空を舞う車の向きをさらに上へ。正面から追突する軌道から、倒れた徒寄花の背中に向かう軌道に乗せて、車体の姿勢を安定させる。

 

 放物線の頂点を迎えた一行の眼下に、骸晶の海原が広がる。

 刃突き立てるべきその背を見据え、古妙が立ち上がった。

 

「電子神渉、起動全開っ!」

 

 彼女の周囲に、蟹河で見せた青い光が無数に展開される。おびただしい量の文字や数字が乱舞しており、あまりの密度に陽光の中ではもはや砕けた波模様にしか見えない。

 そして、古妙の眼前に現れた一本の巻物の幻影。

 手のひらには到底収まらない、一抱え以上もある、巨大な巻物。解かれた巻紐が千冬の手元の計算機にくくりつけられ、何かを吸い上げるように青い光が紙面へ伝っていく。

 

 レンリが目を見張る中、古妙の背後に結実した像は、過日よりも鮮明だった。

 巻物の元の主であると主張するかのように、現れた青き人の形。

 メガミ・オボロ。

 風に靡かぬ一つ括りの髪が、これが実像ではないと告げている。

 

 だが、たとえ幽居していようとも、たとえ帰らぬ存在となっていようとも。

 その意思を、力を、藤峰古妙という一人の少女が確実に受け継いだのだと、彼女の眼差しが雄弁に物語っていた。

 

「てやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 古妙が、未だ宙に舞う車から飛び降りた。

 一端を車内に残した巻物が、古妙の落下に連動して中身を広げていく。まるで空から伸びた架け橋のようで、オボロの幻影と共に最後の道を刻んでいく。

 

 古妙を阻止しようとした蔦が、空色の矢に貫かれる。

 体重と勢いを全て乗せて、不可視の刃を下へと押し付ける。オボロの手振りで全ての紙面を曝け出した巻物の端が、その切っ先の下へと潜り込む。

 刃が巻物を貫き、青い光が至極簡素な飾り気のない刀身を露わにする。

 

 そして、本質の刃が巻物ごと怪物を突き刺した。

 巨体が、跳ねる。

 

「くぅっ……!」

 

 突き刺さった刃を支えに、古妙が傾いた怪物の背にしがみつく。一応忍の身なれど、岩肌と呼んで差し支えない体表に着地したせいで、彼女の四肢からは血が流れていた。

 だが、楔は確かに打ち込まれた。

 

「今っ! 朧文書――逆方程式ッ!」

 

 全身から、紺碧の輝きが迸る。巻物を伝う光も強さを増し、徒寄花の背で蒼天が生まれた。

 古妙は、自由した左手を文字の流れる光板に素早く這わせていく。一つ操作するたびに光が鼓動し、本質の刃へと注がれていく。

 

 身を捩る徒寄花に何重にも深緑の蔦が巻き直され、巨神が花咲く頭部を押さえつける。

 レンリが限界を迎え、辛うじて水平を取り戻した怪物の背に車が落ちる。何度も跳ね、車輪が吹き飛ぼうとも、千冬は計算機から離れなかった。

 銭金が、悲壮な顔つきで叫ぶ。

 

「まずい、櫻力が持たねえぞ!」

 

 だが、彼の心配を跳ね除けるが如く、輝きが最高潮に達する。

 古妙が、興奮を笑みに乗せた。

 気迫を込めて、最後の一指が振り下ろされる。

 オボロと共に。

 

「大丈夫……これで、解ありだよ!」

 

 

 青き光が、桜の輝きへと一気に転ずる。

 本質の刃に注がれていた力と式が、溢れんばかりの桜色の光となって、堰を切ったように徒寄花の体内へと流れ込んでいく。

 骸晶の不気味な七色が、桜に塗り潰されていく。

 怪物の身体に、手足に、蔦の先まで、血潮の如く駆け巡る。

 

 そして巨大な黄緑色の花に、罅が入るように桜の輝きが走った瞬間だ。

 ぴしり、と。

 巨体の全身から、石が割れる音が立て続けに響く。

 支えられなくなった蔦が根本から切り離され、地面に落ちた衝撃でさらに割れる。

 もはや、徒寄花に動きはなかった。

 

「成功、した……? ってうわぁっ!?」

 

 崩壊が連鎖する。背に乗り移っていた者たちが、慌てて避難していく。

 見上げんばかりだった巨体が、桜の光で蒸発していくように分解されていく。

 周囲に撒き散らされた種も、そこから芽生えた蔦さえも、皆等しく終わりの時を迎え、桜の交じる黄緑の輝きとなって消えていく。

 

 この地に顕現した脅威が、滅んでいく。

 人の手によって、退けられていく。

 絶望の芽が積まれたその光景に、偉業を為した人間たちに次第に歓喜が浮かび上がる。

 それを見て、ユリナは小さく呟いた。

 

「これって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………

 

 ………………

 

 

 

 

 …………これはきっと、望ましい結末だ。

 

 昔日の懐疑も、過ごした日々も

 真理の片鱗と、皮肉な帰結も、

 

 そして、それでも絶えなかった囁きと

 お主らへの想いも――

 

 

 残滓には、望外であろうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、未だ半分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸元で握りしめていた手が、ようやく少し緩んだ。

 鏡の向こうで徒寄花の巨躯が崩れ落ちるその光景を前に、ヤツハは息を吐いた。

 メガミたちの笑顔、古妙たち三人の達成感に満ちた顔。そして何より、彼方の枝の向かう先で、暗雲が微かに晴れていくように見える。

 

 これは、ある意味初めての勝利だった。

 もちろん空を覆い尽くす暗雲その全てが消え失せるには到底至らないし、周囲に蔓延る骸晶の蔦は未だ健在だ。

 けれど、歴史が一つの救いに至ったことだけは間違いないだろう。

 もしもユリナたちが赴いていなければ、きっと枝は枯れていたはずなのだから。

 

 ――カナヱさん……!

 ――あぁ。一つの決着だね。

 

 湧き上がる笑みに、カナヱもまた微笑んでくれる。これほど遠い歴史を渡らせた大業の結実よりも、ヤツハには、皆が徒寄花という滅びに負けなかったことがただただ嬉しかった。

 

 ――本当にどうなることかと思いました……。古妙さんの技? もぶっつけ本番だったはずですし……。

 ――だけど、初めて道を歩むからこそ英雄でもあるわけさ。

 ――なるほど……。直接お祝いを言えないのが残念で――

 

 だが、カナヱに向けた言葉は、異音に遮られた。

 

 ――邪魔、退いて。

 

 

 カナヱの脇腹が、砕けた。

 背中から前に何かが貫通し、小さな賽の目状にバラバラになった顕現体が、木の葉のように吹き流される。

 

 ――え……。

 

 その声は、果たしてヤツハのものか、カナヱのものか。

 予期せぬ現象にカナヱが体勢を崩したと思ったのも束の間、抉るだけでは満足しなかった衝撃が、カナヱの全身を弾き飛ばす。受け身すらろくに取れずに太い枝に激突し、小揺るぎもしない枝に背中から打ち付けられ、ずるずると力なくずり落ちていく。

 

 この可能性の大樹という空間は、通常とは別の感覚で成り立っている。だから、カナヱの傷は脚についているかもしれないし、叩きつけられたのは違う方向かもしれない。慣れてきたとはいえ、まだヤツハは自分の認識に十分な自信が持ててはいなかった。

 けれど、カナヱが負傷したという事実そのものは変わらない。

 儚く、それでいて敵意に満ちた声が聞こえたことも。

 

 引き締まった表情で、ヤツハは辺りを探る。

 向き合う覚悟そのままに、彼女は、見た。

 そこには、少女がいた。

 

 ――あなたが……。

 

 長く真っ直ぐな髪を垂らす、見た目にはヤツハより少し下――ユリナあたりの年嵩。装いの各所に散らされた気味の悪い虹色が、彼方で打倒されたばかりの怪物を思わせる。

 その眼差しは冷たい。しかしそれは冷淡などではなく硬いと表現すべきもので、永い時の中で固まってしまった敵意の現れだった。それでいて標的が目の前にいるのに、目を忙しなく動かす、文字通りの生きた化石じみた瞳である。

 

 彼女の周囲には、光を透かす大ぶりの結晶が三つ。

 そしてその手には、骸晶の蔦で織られた、黄緑の輝きを刃に宿す槍が握られていた。

 少女は、倒れたカナヱを眺めながら問うた。

 

 ――あなた……ヤツハ?

 

 今まで、ヤツハに語りかけてきた声だった。

 なのに少女は、ヤツハを今初めてきちんと認識したかのようで、その態度はいっそ、ヤツハという個をろくに見ていないかのようですらあった。

 

 ――はい。

 

 それでも、ヤツハは応える。

 はっきりと、少女を見て。しっかりと、少女の姿形を心に焼き付けて。

 今度は、自分たちの番なのだと。

 

 対して少女は、儚げに己の胸に手を当てた。

 脆く手折られゆく運命にある花のように。

 忌むべき毒を抱えた花の如く、滲む悪意を隠さずに。

 

 ――あなたたちが気に入らない。それだけは、はっきり分かったわ。

 

 ぎょろりとその瞳だけが動き、見下ろすようにヤツハを捉えた。

 だから、と少女は宣言する。

 憎悪を噛み締めながら。

 

 ――あたしは戦う。■■のために……!