神座桜縁起 後編

第2話:彼方の枝

 

 そこは、仄暗く風のない場所だった。

 桜降る代から旅立った六柱のメガミ。彼方の枝に降り立った彼女たちは、目を開いてまず辺りの奇妙な景色に戸惑った。

 

「建物の中……でしょうか」

 

 

 ユリナの問いに、積極的に頷く者はいない。

 天井の高い広大な空間は、月の出た夜のような手元が辛うじて見える程度の明るさが滲んでいる。当然ながら光源は天にはなく、ましてや月光の色でもない。中を不気味に照らすのは、壁や天井でまばらに灯る、温かみを感じない桜色の光たちだった。

 

 光る何かには、文字として判読可能な形を成しているものもある。中でもひときわ主張が大きいのは、『御冬』という地名を想起させる文字だ。その下には『壱號路』『弐號路』『三號路』という札と計器が並んでおり、さらに『正常』という形で緑の明が灯っている。

 ぬくもりのないそれらの明かりによって浮かび上がるのは、壁面や鉄板の床を縦横無尽に走る数多の金属の管。大小様々なそれらを仲介するように、一抱えもありそうな装置めいたものが生えており、絡繰の駆動音じみた低く唸るような音が響き続けている。

 

 誰にとっても見慣れない光景だが、どれもが明らかに人工物。それも昨日今日造られたものではなく、相応の歳月を感じられる。

幸いなのは、いきなり怪物に囲まれるという最悪の事態にはなっていないこと。

 アキナは帯に差した算盤から手を離して、釈然としない様子で言った。

 

「誰もおらんようでよかったわ。けど、北限ちゃうんかったんか? ぬくいくらいやん」

「うーん、おかしいなあ」

 

 首をひねるメグミは、

 

「歴史を渡ったんなら、近い桜から出てくると思ってたんだけど……。ほら、あたしたちはファラ・ファルードに出てきたわけだし」

「じゃあ何か? コレが桜や言うんか?」

 

 問いかけるアキナは、しかし怪訝そうに背後を指した。

 一同が現れた室内の中央。そこには、大きな絡繰の塊が床から天井まで伸びていた。

 どう見ても神座桜ではないし、樹木とも呼べない。あるいは桜を徹底的に絡繰で覆い尽くしてしまえばそうなるのかもしれないものの、かの神渉装置だとしてもとりわけ巨大で大仰なことを意味している。

 

 一方で、部屋はその絡繰のために存在してるのは明らかである。管という管が中心へと集約されており、怪しい光も群れている。この施設の心臓部と言われても不思議ではない。

 しかもその上部、桜であれば結晶の咲く位置に、ひときわ力強い灯りで描かれた文字は『サイハテ』。北限という地と、そこに伸びる神座桜・果桜を想起させるに足る名である。

 そして、機器の光に紛れるように、親しみある桜色の輝きが絡繰から漏れ出している。

 その異様なる威容に当てられたように、チカゲが呟いた。

 

「あ、あの狂人の仕業としても、これは……」

「でも、この光……あたしが歴史を渡るのに使った、神座桜の残響にどこか似てる気もするんだよね。中身は、やっぱり桜なんじゃないかなあ」

 

 メグミの証言によって、皆の表情に驚きと納得が混ざり合う。実際に渡って来られたという現実と、取り巻く不可解な状況との乖離も相まって、誰もが混乱しているようだった。

 その中でサリヤは、こめかみに手を添えて絡繰を眺めつつ、

 

「この歴史、私たちよりも技術水準が上だとすると、専門家が誰も来られなかったのは痛いかもしれないわね。ジュリア様をお手伝いしてただけの私が、一番分かりそうなくらいだもの。まぁ、クルルが居たらそれはそれで大変だったでしょうけど……」

「十分やろ。ウチも枢式まで齧ったことあるし、ちゃんと見てみよか」

「あたしも少しだけなら!」

 

 名乗りを上げたアキナとメグミを伴い、サリヤが謎の装置を詳しく観察し始める。

 桜降る代における絡繰は、近年の技術発展と比較すると、普及は亀の歩みのようにゆるやかだ。技師の数やクルルの気まぐれな下賜も要因だが、動力としての桜花結晶の利用――特に日用的な道具に用いることへ畏れが、未だ根強い点が特に大きい。

 照明はその最たるもので、行灯の中の火を代替するような簡単な仕組みのものが、祭事などで限定的に用いられるのみ。ともすれば、桜花結晶を光源としてただ封じただけのものも少なくない。

 

「すごいすごーい! この明かり、全部硝子管みたいですよ」

 

 サリヤたちが分析する間、レンリが計器と並んだ緑の明かりをつついて、大げさに目を丸くしていた。渡航の覚悟を決めたときの顔つきが嘘のようだったが、最初に姿を現したときを考えれば、戻ったというべきか。

 手持ち無沙汰だったユリナも確かめて、

 

「ほんとだ……。火もないし、桜式なんでしょうか。舶来品でも、こんな綺麗な造りのは見たことありません」

「一体、どれだけのお金を注ぎ込んだんでしょーね。ここが北限にあるとしたら、作るのそーとー大変だったと思いますし、すっごい目的がないと割に合いませんよねぇ」

「歴史を渡るためにしては、見た目から全然違いますもんね」

 

 感嘆の息を漏らすユリナ。

 そこへ、顔を上げたサリヤが追随した。

 

「そうね……桜の奥へ道を通すような意図を感じるのだけど、どちらかというとこちら側に引き寄せてるような感じがするわ。第一印象の通り、神渉装置に通じる何かかもしれない……目的までは、もっと追ってみないと分からないけど」

「ま、まさかクルルがあのままのさばった歴史なんて言いませんよね」

「それは想像したくもないわね」

 

 チカゲの懸念に、サリヤが肩をすくめた。ユリナも苦笑いを浮かべている。

 

「いずれにせよ、こんな歴史の違いをいきなり目の当たりにできたのは、幸運と思うしかないわ。この先どうなるか分からないし、情報は多いに越したことはない……もう少し深掘りするだけの価値はあると思う」

「せやったら、ぐるっと回って見とこか」

 

 そう言ってアキナが腰を上げたときだった。

 チカゲの眼差しが、突然鋭利さを帯びる。手首を返して前からは見えないようにはしているものの、既に苦無も抜いている。

 臨戦態勢というほどではないが、明らかに誰かの気配に警戒している。

 他のメガミも遅れてそれに倣い、六つの視線は壁沿いの暗がり、出入り口の一つと思しき場所へと注がれた。

 

「どなたですか」

 

 機先を制するように、チカゲが誰何を投げかける。

 すると、暗闇の中から現れたのは、眉間にしわを寄せた一人の少女だった。

 

「……い、いや、こっちの台詞だし。あんたら、何してんの?」

 

 出入り口の縁にしがみつきながら、彼女はじろりとメガミたちを眺めている。

 少女の容姿は、まず派手な髪が目につく。不自然なまでの黄金色に染めたたっぷりの髪を、両側で太く編み込んで後ろから肩に垂らしており、毛先は腹まで届くほどだ。さらにはそのおさげは花や図形を象った無数の小さな髪飾りで彩られており、目に眩しくさえある。

 背丈はユリナと近しく、膝上まで切り詰められた袴も似ているが、少女のそれは亜麻色だ。翡翠色の鱗文様の上に大きな花柄を入れた着物も、街を歩けばすぐに人目を引くだろう。ミコトの証たるその手の結晶すら、自身を飾る一つに過ぎないように思えてくる。

 

 ただ、彼女が紐で首から下げているものは、装身具の中で一つだけ浮いていた。硬質そうな白い板に、無表情な彼女の鮮明な肖像と『 藤峰古妙 ふじみねこたえ 』という名前が記されている。その上等な名札の下の長辺は、くすんだ金の点々とした縁取りが鈍くきらめいてもいた。

 古妙は予想外の先客に動揺しているようだが、警戒心を露わにしながらも、話は聞いてくれるようだった。

 

 今は、顔を出さずに立ち去られていても不思議ではない状況だ。幸運と呼ぶしかない。

 突如現れたメガミたちは、客観的にはただの不審者でしかないのだから。

 

「すまんな、ウチらは――」

「……っ!? うわ、あんたらやばっ!」

 

 矢面に立とうとしたアキナの言葉を、狼狽する古妙が遮った。信じられないものを見るような眼差しには、敵を見つけてしまった類の混乱と焦燥が色濃く浮かんでいる。

 想定以上の過剰な反応に緊張が走る中、まず先に動いたのはサリヤだった。彼女は、相手を刺激しないようにゆっくりと、調べていた装置から手を離し、装置からも古妙からも距離を取った。ぎこちない笑顔が、困惑を物語っている。

 

 メグミが半歩出て、サリヤの盾となる。途端に、視線を遮られた古妙が敵意をメガミ全員へと振りまいた。

 とはいえ、彼女が即座に武器を構えるとまではいかなかった。その場に留まったのは見過ごせないという意思表示だろうか、沈黙を選んだメガミたちと同じく、口を固く結んでせめて睨みつけている。ただ、強張った顔に内心の恐れが漏れ出ていた。

 

 チカゲが眉を顰めながら警戒を続けているが、少女以外が乱入する気配はない。

 このまま膠着しかねない空気をかき混ぜるように、アキナは頭を掻きながら詫びた。

 

「いやー、驚かせてもうてほんまに悪かった。せやけど、そんなビビらんでくれると嬉しいわ。これでもウチら、メガミなんよ」

 

 その弁明に追従するように、レンリがしなを作りながらアキナに並ぶ。

 

「そうですそうなんですぅ! クルルさんが、どーもこの装置で気になることが、って言うもんですから、仕方なくみんなで様子を見に来たんですよ。聞いてませんかぁ?」

「は? クルル……? てか、メガミ……?」

 

 古妙はより一層疑いの目を向けてくるが、話を呑み込み切れないといった反応でもあった。状況が状況なら、首を傾げていたかもしれない。ましてや相手の一人が、年端も行かない女の子の見た目をしているのだから、無理もない話だ。

 対してレンリは、苦笑いと共に頬を掻きながら、

 

「あー、混乱させちゃいましたかね? とりあえず、この人たちはお姉さんに危害を加えるつもりはないってことだけ、まずは信じてもらえませんか? 何事も平和が一番……でしょ?」

「…………」

 

 うそぶくように訊ねられ、古妙は反射的に開きかけていた口を一度閉じた。綺羅びやかに彩られた爪の先でおさげの毛先をいじりながら、改めてメガミたちを推し量っている。

 徒寄花の撃退まで考えるのであれば、現地の者たちとの協力は必要不可欠だろう。この施設の関係者然とした少女との遭遇が穏便に終わるかどうかで、最初にして今後のメガミたちの活動の方向性が大きく歪むことすらありえる。

 

 力づくで黙ってもらうなど、レンリの言う通り誰も望まない。手を取り合おうとしている相手を害するのは、本末転倒もいいところだ。

 歯車の蠢く音だけが間に横たわる。

 そのうち古妙が少し俯き、メガミたちの緊張がいや増す。

 しかし、

 

「あぁー、そなんだー!」

 

 少女は、へらへらと気の抜けた苦笑を浮かべていた。

 今までの警戒心を丸ごと忘れたかのように。

 あるいは、呑み込んだかのように。

 

「なるほどねー、クルルの命令で来たんだー。ごめごめ、こんな夜更けだからびっくりしちゃって。あーし、下っ端だから聞いてなかったんだよね。めっちゃ困るー」

「そうでしたか。もしかしたら、こっちの連絡がちゃんと届いてなかったのかも……だとしたらごめんなさぁい」

「ううん、いいのいいの、全然! どーせ主任が忙しくて忘れてたとかっしょ」

 

 謝り合う二人。先程の緊張感を拭い去ろうとする軽々さがわざとらしく、その応酬はいっそ予定調和的でもあった。その落差にユリナは小首を傾げてすらいる。

 とつ、とつ、と古妙の長い革靴の底が部屋の床を叩く。

 彼女は両手を申し訳無さそうに合わせて、

 

「悪いんだけど、もう炉の定時点検の時間なんだー。だいじょぶ?」

「なるほどなるほど、だいぶ長居しちゃいました。こっちの用事は終わったんで、自分たちはそろそろお暇しますね。ところで、この時間だと通用口はどこのを使えばいいですか?」

「あっ、うんうん! 正面は閉まってるから、一番ラクなのはそっからかなー」

 

 古妙が指さしたのは、メガミたちの背後で口を開けていた出入り口ではなく、横合いに設けられたほうだった。

 にっこりと、レンリは貼り付けた笑みをちらりとメガミたちに向ける。既に意図を汲んでいたらしいアキナはそそくさと頭を下げながら、皆を出口へ誘導し始めている。

 

 少女の胸の内は分からない。けれど、見逃されたのは間違いない。

 一つはっきりしているのは、この場で詮索するのは毒になるということ。

 帰り道を示された客は、大人しく辞去する他ない。

 胡乱な事情や違和感が、幾らでも垣間見えたとしても。

 レンリが追いかけて来たのを見て、アキナが手を掲げた。

 

「ほなまた、おおきに!」

「おつおつー、そんじゃねー」

 

 古妙が両手を振り、張りぼてを構え合う邂逅が終わりを告げられる。

 だが、その瞬間だった。

 

 ヒュォッ、と。

 刹那の風切り音とほぼ同時、木や金属を抉る音が一瞬の間に連続した。

 着弾の衝撃が部屋を僅かに揺らす。

 

「……!?」

 

 鉄の床を深く穿ったのは、一条の空色の光。

 見上げれば、鎮座する装置に細い風穴が開け放たれていた。

 

 

 

 

 

 ぎぎ、と奏でられる不協和音。己の負傷を遅れて悟った装置が、悲鳴を上げ始める。

 室内には六柱のメガミと古妙以外に人影はない。誰の仕業でもないことは互いに明白な上、上空から撃ち下ろすような角度のついた射線が、なお他者の介入を訴えている。

 けれど、この部屋の壁や天井に破壊の痕跡はない。

 こんな芸当を為せる存在は、彼女ないしは彼女の秀でたミコトに限られている。

 

「屋根の上にはどこからッ!?」

「そ、そこの梯子から、整備用の天窓が……」

 

 気迫を纏ったユリナの問いに、顔を真っ青にした古妙が思わず答えた。

 走り出したユリナは、金属製の手すりを歪ませながら梯子を豪快に飛ばし、瞬く間に駆け上げる。サリヤとメグミもすぐに倣って後を追った。

 壊れる勢いで天窓が開かれ、さらに狭い屋根裏らしき場所からもう一段、分厚い扉のような天窓を引き下ろせば、途端にユリナたちを冷たい空気が包んだ。

 

 屋根の上から見渡せるのは、夜闇の底に落ちた一面の白。出立した地と同じ銀世界。

 星月は雲に覆い隠されているが、吹雪はまだ穏やかで北限にしては随分と機嫌が良い。屋根の端々に煌々と光が灯っており、この陸の孤島の在り処を灯台のように主張している。施設は足元の部屋を中心にもういくらか広がっており、立派な邸宅と呼べる大きさをしていた。

 

 飛び出したユリナたちが、狙撃手を探す手間は皆無に等しかった。

 見上げた空で、闇を切り裂く空色の翼が輝いている。地上で慌てふためく獲物たちを意に介さず、悠々と狩りの余韻に浸る猛禽が如く天を漂っている。吹雪に靡く若草色の髪は、極寒を忘れたかのような鮮明さだった。

 空と自由を象徴する者。メガミ・ミソラ。

 大弓を手で弄ぶ彼女めがけて、ユリナは叫んだ。

 

「今の、ミソラさんがやったんですか!?」

「あれ、君たち……」

 

 ひくり、とミソラの長く尖った耳が動く。アキナとレンリも追いつき、ぞろぞろと見上げてくるメガミたちの姿を見て、少し驚いたようだった。

 だが、ミソラはやれやれと言った様子で肩を竦めて、あっけらかんと言い放つ。

 

「僕は桜を蝕むカラクリを壊しただけ。つまり、メガミを救い出しただけさ」

「それってどういう……って、あっ! 待って――」

 

 ユリナが追及しようとした瞬間には、ミソラはもうその大きな翼を羽ばたかせ、背を向けて飛び去るところだった。

 呼び止めに応えたのか、くるりと泳ぐようにメガミたちを向く。

 両手を広げ、歌い上げるかのようにミソラは告げる。

 

「これは、人間たちの過ちだよ」

 

 最後に嘲るように鼻で笑って、今度こそ彼女は吹雪の中へ消えてしまう。

 取り残された者たちに追う術はなく、元より北限での闇雲な捜索は危険。気ままな風のように騒ぎを運んでは去っていったミソラを、ただただぽかんと見送る他になかった。

 例外は一人。アキナの地団駄で、屋根の雪が踏み固められる。

 

「かーっ! あの阿呆鳥が、賢そうなフリしくさりよって! どうせまたなんも考えずに勝手しとるくせに、イキり倒しとんのほんま腹立つ!」

「えっ、ミソラ様ってそんな方だったの……?」

 

 メグミが訊ねると、アキナはふざけた苦々しい顔を突き出した。

 一応同じ岩切が拠点のはずのユリナも、曖昧に笑って、

 

「なんというか、その、自由を象徴してるだけあるって言うか……」

「皆初めは騙されんのや。ヨイショされてくれとるうちもええけど、それも三歩歩けば忘れてまうし、聞こえの良いこと言って有耶無耶にしよる。もし、この世にウチが金取り立てられん奴がおるとしたら、あいつくらいなもんや」

「はは……」

 

 経験者たちの反応に、メグミは夢を壊された子供のようになる。一人そっぽを向いていたレンリも、唇を噛んで無表情になっていた。

 屋根の上にはろくに隠れられるところもなく、足跡も彼女たちのものだけ。破壊の痕跡どころか雪が乱れた跡すら嘘のように残されておらず、今しがた見た光景が幻のようですらある。

 しかし、屋根の下で起きた破滅は現実なのだ。

 

「皆さん、来てください!」

 

 チカゲの深刻さを帯びた声に、外にいた五柱は呼び戻される。

 彼女たちが急いで降りると、チカゲは一人、軋む装置の前で見上げていた。ちょうど梯子からチカゲの顔が見える位置だ。部品がいくつも床に零れ落ちており、特にチカゲのいる側は山が崩れるような有様であった。

 

 チカゲは、全員が駆け寄ってきたのを見て少しだけ瞠目した。けれど、見るべきものがあると訴えるように、顎で崩壊を始めた装置を示した。

 一同が目にしたのは、眩い光を放つ装置の内面。

 否、そこに浮かぶ姿。

 

「え……」

 

 言葉を失ったサリヤが、口元に手を当てた。

 光を背景に、そこには瞳を閉じて眠るメガミの姿があった。

 この場の誰もが知っている、その者の名はコルヌ。確かにここが北限であれば全く相応しいメガミがおわしている。

 

 だが、一行の知るコルヌとは明らかに容姿が違う。

 衣服に刻まれた文様に、肩まで伸びた氷の毛先。靴橇の氷刃はさらに鋭利さを増し、後ろへ伸びた刃の先は、かかとで折りたたまれてもなお膝のあたりで天を指している。

 このコルヌを誰も見たことはない。けれど、このコルヌを何と呼ぶかは皆分かっている。

 

「どうして、徒神が……!?」

 

 

 忌々しげにレンリが呟く中、コルヌの手首から先は既に光へと崩れていた。足先や頭頂からもはらはらと、彼女の顕現体を形作る力が、光になって還っていく。

 その光の色は、黄緑。還る先は、徒寄花。

 これは、脅威が去る安堵の光景ではない。いずれまたコルヌが、徒寄花の従僕として神座桜に牙を剥く日を予期させる、破滅の宣告である。

 例外は唯一つ。カムヰにより討たれることだけだ。

 

「っ……」

 

 メグミの拳が、肌が白むほど握られる。

 徒神との対峙自体は、予測されていたことだ。どのような経緯かはさておき、徒寄花の侵略が見えている状態で飛び込んだのだから、彼女たちは相応の覚悟を持って臨んでいる。侵攻の度合いに戦慄しても、尻込みするような者たちではない。

 

 だが、瀕死の徒神が収まっていたのは、人間の管理下に置かれた装置の中だ。

 これは希望の封印なのか、絶望の萌芽なのか――不可解な現実を誰一人説明できぬまま、異貌のコルヌは塵一つ残さずに消えた。

 彼女の奥は、装置のさらに中枢から背に光を浴びる、部品の壁があるだけだった。

 六柱のメガミが、光のいや増した薄闇に取り残される。

 

「……そういえば、あの派手な子は?」

 

 一度考えるのをやめたのか、辺りを見渡したサリヤが誰に言うともなく呟いた。

 それに反応したのはアキナだ。彼女はチカゲを睨んで、

 

「自分、見てる言うたやんけ。どうしたんや」

「泳がせました。その方が、情報を抜けると思ったので」

「あん?」

 

 はっきりと答えたチカゲが足早に歩き出し、皆がその背を追う。彼女は崩落した側からちょうど四半周したところへ導き、装置の一部を示した。

 その一角は、ミソラが撃ち下ろした側なこともあってか、見た目には装置のほとんどが無事なままだった。高い位置に空いた狙撃の痕周辺はかたかたと揺れているが、操作用と思しき部品の連なる根元などは、サリヤたちが調べ始めたときそのままであった。

 

 けれど、そこには一箇所だけ、蓋が綺麗に外れたようになっている場所があった。

 剥き出しにされたのは、装置のさらに内部に続く顔くらいの大きさの穴だ。内側ではどう組み合わさっているのかも分からない部品が蠢いており、迂闊に手を入れようものなら袖が巻き取られてしまいそうである。暗がり故に奥まで見通すことは叶わない。

 チカゲは、床に転がっていた金属板をつま先で小突いて、

 

「どうやら彼女は、ここから何かを回収したようです。執拗に隙を窺ってましたから、修理のためとも思えません」

「何かって……何や」

「知りません」

 

 ばっさりと切り捨てたチカゲは、懐から小さな煙幕玉を取り出し、導火線を服にこすりつけて着火した。もうもうと、白い煙が勢いよく床を這う。

 ぎょっとする一同に、口元で人差し指を立てるチカゲ。

 束の間の静寂が装置の悲鳴に塗りつぶされるが、そこに遠くから足音と怒号が滲んでくる。

 壁で光っていた『正常』の文字が、赤い『警告』に移り変わっていた。

 

「脱出を。見つかると、たぶん面倒です」

 

 彼女が指し示したのは、屋根の上に続く梯子。まともな出口を使える状況ではないと、メガミたちは一目散に駆け上がる。

 異史からの痛烈な歓迎を受けた彼女たちは、謎を背負って銀世界へと消えていった。