神座桜縁起 後編

第1話:桜降る代のメガミたち

 

 その日、天音神社は歴史の舞台に選ばれた。

 一般の参拝客は立ち入れない敷地の奥に構えられた離れ、その大広間。普段は決闘大会の招待参加者らが会する一室には今、人間の姿は一つたりとも存在していない。

 代わりに並ぶのは、この地に咲くメガミたちの錚々たる顔ぶれ。

 だが、華々しい光景も過ぎれば毒となる。ましてやそれが、波乱のあったこの二十年余りの中でも――否、有史以来類を見ない人数ともなれば、不安を抱かぬ者はいないだろう。

 

 まず、現代の旗振り役の一翼たるユリナ、ホノカ、ウツロがいた。肩を並べるのは、向こう側のヲウカ、及びアキナ。桜花大社より駆けつけた一行である。

 ほど近い龍ノ宮からはハガネとメグミが集い、西方は古鷹よりトコヨが、忍の里からオボロが、山城からはミズキが参集した。さらには北方よりサイネと、何よりコルヌもが険しい顔を見せている。

 

 それだけではない。人の世に一定の拠点を持たぬ根無し草や、メガミの世界を居所とするメガミたちも、呼びかけに応じている。ヒミカやクルル、ハツミが前者に属し、後者はユキヒやチカゲ、サリヤにライラといった面々である。

 さらに席の一角には、碩星楼より参じたシンラが座しており、隣には飄々とした態度で耳を傾けるレンリがいた。足を投げ出した姿勢とは裏腹に、その眼差しは誰よりも真摯にこの場に臨んでいるようだった。

 

「……そのとき私は、確かに誰かから訊ねられました」

 

 そして、一同の前で語るのはヤツハであり、側にはカナヱが控えている。

 総勢、二十三柱。

 カムヰやコダマといった自由に動けない者や、誰も所在を掴めなかった者たちを除いて、人知れたメガミたちのほとんどが一処に集っていた。

 あるいは歴史家は、この一大事を後世に残すべく筆を駆り立てるかもしれない。

 問題は、その『後世』が訪れない可能性こそが、彼女たちの議題ということだ。

 

 ……本来はこの会合も、いつかも分からない未来に行われるはずだった。

 先日開かれた大家会合の場で、シンラたちから人々にも共有された眠る脅威への懸念。しかしそれは、悪戯に不安を煽らないよう、そしてヤツハが桜降る代に受け入れられる大事な時期を迎える今、一部の有力者たちの間で秘されるに留められた。

 ましてやそれは、ヤツハに三百年前見た邪悪を重ね、徒寄花打倒に動いたレンリの動機の根源として理解された趣のほうが強かったほどである。シンラやユリナらの後押しもあり、死者のない結果を前に、脅威の警告者・レンリを強く糾弾できる者はいなかった。

 

 しかし現実では、燻るレンリへの感情論を押し広げる暇などありはしなかった。

 ヤツハ・カナヱ連名での召集――それは、一番の被害者からの追認を意味した。

 徒寄花の鎮静化に胸をなでおろしている場合ではなく、因縁を棚上げしてでも取り組まなければならない時が、早くもやってきたのだと。

 

「『どうして戦うの』――と」

 

 だから、ヤツハは語った。

 鏡を通して見たものを。

 茫洋なる光景と、破滅的な予感を。

 蝕まれる彼方の枝と、儚く危うい少女の声を。

 

 メガミたちの目に、確信が宿る。

 これは眠る脅威への懸念、その具現化そのものである、と。

 

 

 

 

 

 沈黙を破って、ユリナが言った。

 

「つまり……まだ終わってない、ってことですよね」

 

 一同の顔が改めて引き締まる。特にメグミとヲウカは、感情を噛み殺しているのがヤツハからよく見えた。

 理屈で呑み込む者も、感覚で判断する者もいただろう。けれど、供された証言を疑う者はここにはいなかった。真の敵はそんな余裕を与えてはくれないかもしれないと、誰もが危機感を持っていた。

 

 この地の徒寄花だけでも、あれだけの騒ぎになった。

 相手の疑問がそれを指しているのだとしたら、その無垢さは、冬を迎えてもなお枝にしがみつく枯れ葉を眺めるのと同じものだ。

メガミたちとすら、あまりに視座が違いすぎる。

 あるいは、存在の格すらも。

 

「これからどうしますか」

 

 周囲を見渡すユリナ。信頼の眼差しで見解を求める彼女だが、このような事態に的確に応えられる者はいるはずもない。

互いに意見を求め合う中、メガミたちの視線を多く集めた者がいた。

 軍師たるミズキである。

 

「そうですわね……敵の存在と動向を知れたのは幸いですの。今までの経緯から察するに、徒寄花の活発化による各歴史の破滅を敵は眺めていた、しかし例外が現れたので自ら出向いた、というところでしょう。侮られていそうなのはある意味好材料ですの」

 

 彼女は口元に手をあて、鋭い目線で考察を述べる。

 

「あの徒寄花すら末端というのは恐ろしい話ですけど、動きを察知できたのならば、何としてでも先手を打ちたいところですの。しかし――」

「手段がないか」

 

 ミズキの言葉を、オボロが引き取った。

 それにミズキは頷くが、

 

「ええ……それもありますが、敵の所在や本丸がどこにあるか、定かではありませんの。つまり、攻撃的な作戦は立てられず、戦略すら曖昧……。話を聞くに、可能性の大樹とやらも自由に動けるような場所ではないのでしょう、カナヱさん?」

「少なくとも、切った張ったをするような領域とは思っていなかったね。これまでは、他のカナヱと話すだけだったんだからさ」

 

 わざとらしく肩をすくめて答えるカナヱ。彼女は戦国時代の認識を先日までレンリに上塗りされていた上、元凶も鏡が失われるずっと前から存在していたとも判明した。今できることに邁進してこそいるものの、ヤツハはカナヱが滲ませるやるせなさを何度か目にしている。

 渋面を作るミズキは、脅威に対峙したもう一人・レンリへ漫然と目を向ける。

 だが、その視線を引き寄せるように、傍らのシンラが手を挙げた。

 

「敵も気になるところですが……私としては、ヤツハが見たという彼方の枝に関心を持っています。それはきっと、遥か遠くで育まれた、徒寄花に侵略されなかったもう一つの歴史と考えることができます」

 

 そして、とシンラは続けた。

 

「彼方の枝もまた、危機に瀕しているのでしょう」

 

 意見を表するシンラに、メガミたちが耳を傾ける。中でも、すぐ隣のレンリの瞳はこれまでにないほど真っ直ぐで、既に何かを見据えているようだった。

 ヤツハが見た枝は、例外なく蔦に這い寄られていた。彼方の枝も、だ。

 ならば彼方の歴史とて、徒寄花からの攻撃から無縁とはいかなかったはずである。

 それでも、築かれた歴史は抗っている。

 

「彼方の枝が何故存続できているのか、調査すること。そしてその危機を、可能ならば振り払うこと。やや遠回りかもしれませんが、これらは桜降る代の救済に繋がる可能性があると、私は睨んでいます。如何でしょう?」

「ふむふむ……まずは味方を、ということですか」

 

 そう呟いたハツミを皮切りに、幾人か思索に潜る。それは、シンラの提案が一考に値するものであると同時に、曖昧さを多く含んでいる証だった。

 意外そうな表情を浮かべたユリナが言う。

 

「シンラさんのことだから、もっと割り切ったことを言うものだと思ってました」

「あまり買い被られると困ってしまいます。……しかし、らしくないという自覚はありますが――この目撃も邂逅も、どこか必然だと思えてしまいます。俗っぽく言えば、彼方とは運命を共にしているのですから、情報収集だけでは済まない予感がするというのが本音です」

 

 シンラの苦笑いは、現状では十二分に力を発揮できないこともまた認めるものだった。ヤツハにとっては短い付き合いながら、そういった弱みはなるべく隠す人物だと思っていたが、それだけに事態へ真っ向から向き合っているのだと窺える。

 シンラから最初に脅威に纏わる話をもらったとき、メガミ同士手を取り合う必要があると言っていた。

 

 拳をずっと握ったままでは、誰も手のひらを握れない。

 互いに手を握り合って、激流に抗う未来をシンラは望んでいる。

 そして、相容れぬ好敵手と手を取り合い、真実を看破した武神も。

 

「いいじゃないですか、助け合いましょうよ! 見てきて終わりより、その方がわたしの性にも合ってますし。皆さんも、ね?」

 

 見渡すユリナに、メガミたちの顔色は様々ではあったが、反駁する者はいなかった。

 満足そうに微笑みを深めるシンラ。しかし、それはすぐに困った顔へと移り変わる。

 

「もっとも、具体的な手段には思い至ってはいないのですけどね。まず、彼方の枝にどう干渉すればいいものやら」

「それなら、あたしみたいに歴史を渡るのは?」

 

 メグミの意見に、すぐさま反応した者がいた。

 カナヱだ。

 

「そうだね、考えるべきはまずそれだろう。ただ、彼方の枝は、元々カナヱが持っていた眼ではとてもじゃないが届かないほど遠い歴史だった。メグミの知っているカナヱは、存在を賭してここへ橋をかけたけれど、それでもなお叶わないだろうね」

「そんなに遠く……」

「――ですが」

 

 ヤツハはそう言って、続きを引き取った。

 向こう側にはなかったヤツハという存在は、彼方の観測という形で既に新たな可能性を広げている。母たるこの地の徒寄花も、鏡の真価を理解しないままでも、別の歴史から怪物を呼び込んで見せていた。

 今ならば、その先だって望めるはず。

 

「私とカナヱさんの力を合わせれば、彼方の枝までの扉を開ける……と、思います。行って帰ってくるためには、扉を開き続けなければなりませんから、私たちだけで維持できるかというと厳しそうですけど……」

「はいはぁーい! そゆことでしたら、くるるんにどんとお任せあーれぃ! 絡繰のさぽーとで、快適な可能性の旅をお約束しまぁす!」

 

 ヤツハの懸念に、クルルが両手を交互に挙げて協力を主張する。

 そうなれば、追随しそうな人員も知れていた。

 

「贖いというわけではないが、拙者も手を貸そう。サリヤ殿もどうかな?」

「ええ、ジュリア様にもお伝えしておきます」

 

 オボロとサリヤが名乗りを上げ、桜降る代における技術の体現者たちが集う。当分、北限のあの洞窟が賑やかになりそうだと、ヤツハは小さく微笑んだ。

 クルルたちがいれば、遠からず道は整うだろう。

 ならば次は、人の問題だ。

 

「んで、結局ダレが行くんだ?」

 

 そう問いかけたのはヒミカである。

 細かい話を端折って理解していたらしい彼女は、手のひらに拳を打ち付けながら、

 

「さっさと向こうの敵ブッ飛ばすんなら、全員で乗り込むのが手っ取り早いか?」

「お馬鹿、そういう話じゃありませんの! こちらの防衛はどうしますの!」

「じゃあミズキ、留守番はオマエに任せた。カムヰって奴もいるんだし、まあなんとかなんだろ」

「なりませんの! そもそもこれは斥候を送る話なのですから、当然人数は絞る……無事に帰ってこれるかも、分からないのですから」

 

 采配を司る者として、誰かが言わなければならないことをミズキははっきりとさせた。

 彼方の枝の存在が確認されたとて、無論その歴史の現在まで知っているわけではない。生き残っているからには最低限の安全は確保されているはずなのだが、出向いたら既に怪物たちに囲まれている可能性をこの場の誰も否定できない。

 

 異なる歴史に、それもかけ離れた歴史に飛び込めば、何が起きていても不思議ではない。

 危険を伴う使命が提示され、僅かな沈黙が広間に落ちた。

 しかしそれは、挙げられた手によって再び破られる。

 その手の意外な主が、ハガネだという驚きによって。

 

「違うよ、あたしが行くんじゃない。むしろ、あたしは行けない」

「……そういうことですか」

 

 納得を見せるヲウカに、ヒミカが首を傾げる。

 儚げに苦笑するハガネは理由を告げた。

 

「向こうにも同じメガミがいるメガミは、避けたほうがいいってこと。根が等しいメガミが同じところにいると、よくないことになるってあたしで分かっちゃったからさ。だからたぶん、ヒミカっちも行っちゃダメだね」

「おぉ、アタシも留守番か……」

「らい、同じ。ここ守る」

 

 肩を落とすヒミカに、ライラが力強く頷いて見せていた。

 彼女たちの反応を流すように、ユキヒが「つまり」と引き取って、

 

「メガミとして誕生したメガミは、避けたほうがいいってことよね。そうなると……彼方の枝っていうのが異なる歴史なんだったら、メガミ成りした子たちから募ったほうがいいのかも。歴史が違えば、英雄譚も違うって話だったじゃない? 同じメガミが居る可能性は、私たちよりは低いんじゃないかしら」

 

 ユキヒは持論を語りながら、ユリナとメグミを意識してしまうのを抑えられていないようだった。名指しを避けたところで、この説の象徴のような二人に白羽の矢が立ってしまうのは仕方のないことだった。

 だが、彼女たちの反応を待つよりも先に、真っ直ぐと二人分、手が挙げられた。

 レンリと、そしてアキナである。

 

「行きます。ハガネさんの言った問題は起きません。いいですね?」

「ウチも行く。止めても無駄やで、メガミ成りなんやからな」

 

 献身などという言葉からは程遠そうな二人の立候補に、場がどよめく。

 二組の双眸は、決して未来を救うといった崇高な精神にだけ染まっているわけではなさそうだった。譲れない目的があり、そのために這ってでも行くという気迫をヤツハは感じた。

 意外な声に、半ば指名されたようなものだった二柱も、決意を顔に浮かべた。

 

「行くよ。今度こそ、打ち勝つために」

「わたしも、桜降る代を守るために」

 

 メグミとユリナの宣誓が連なる。少し申し訳無さそうな顔をするユキヒに、ユリナは力強い笑みと共に首を横に振った。

 一方、ユリナの傍にいたホノカは、不安と悔しさを滲ませながら、ユリナの袖の端を小さく摘んでいた。彼女も彼女で特殊な事例ではあるが、強力な権能を有しているとて、同行には危険のほうが多く伴うだろう。

 その想いを汲んでか、代わりにウツロが問うた。

 

「他には? ミズキもだよね」

「残念ながら、私は未だ幽世にコダマを抱える身……私自身が無事でも、コダマに問題が起きる可能性は否めません。大人しく守護に徹しますの」

「では、私が行きましょう」

 

 ミズキの代わりに名乗りを上げたのはサイネである。

 だが、直後にそれを嗜めるように、扇が鋭く開かれる音が割り込んだ。

 反論の機会を得て、トコヨは言う。

 

「よしなさい、細音。あんたは、何が起こってもメガミになりそうなんだもの」

「し、しかし、この地の危機にあって、座して待つというのは……」

「殊勝なことだけど、待ってる間は何するの? まず修行でしょ? それでメガミになったって、あんたが向こうを『視た』んでしょうに」

「それは、その……」

 

 上げたサイネの手が、ついには力なく引っ込められていった。

 その様子を、隣のコルヌが笑い飛ばす。

 

「かっかっ! 秀でた気質であるが故、使命を宿さぬというのも可笑しな話よ。難儀な星の下に生まれた此奴の想い、誰ぞ汲んでやってはくれぬか」

 

 そう訊ねると、サリヤがくすくすと笑いながら挙手する。

 

「それなら私が。ユリナちゃんがいなければ、きっと私もここにはいなかったと思うから」

「後は、メガミ成りの方で言うと……」

 

 ホノカが呟いたのを皮切りに、ヤツハも視線を彷徨わせる。すると、やがて必然的に一箇所に注目が集まった。

 隅のほうで膝を抱えて座っていたチカゲが、心底嫌そうに小さく手を挙げた。

 

「行きます、行きますよ。引き籠もっても、桜降る代が滅んだら意味ないんですから」

 

 そうしてここに改めて集う、影に日向に英雄と呼ばれた者たち。

 かつて彼女たちが救ったもの、作り出したものの先に、この桜降る代がある。

 メガミになった今、やはり因果か、未来は彼女たちの手に託された。

 行動の時を告げるユリナが、会合に幕を下ろした。

 

「じゃあ、行きましょう。この六人で!」

 

 

 

 

 

 それから大急ぎで準備は進められ、およそひと月。

 ヤツハが拠点としていた北限の洞窟は、所狭しと計器と物資が並んでいた。徒寄花に覆われていた神座桜の根も、今や溢れんばかりの絡繰ですっかり隠れてしまっている。

 

 その前に立ち並ぶは、彼方の枝に向かうメガミたち六柱。

 仰々しい見送りはない。技師たるクルルとジュリア、鏡の使い手たるカナヱと、そしてヤツハという、最低限の人員だけが詰めている。

 いつ破滅の刻が訪れるか分からない中で、悠長に別れを告げる余裕はない。

 だからヤツハは、カナヱと組んだ手に力を込めて告げた。

 

「始めます」

「あいあいさー!」

 

 絡繰に安置された鏡へ、二人で力を籠める。クルルとジュリアの操作によって、きぃきぃと装置が音を立てて動き始める。

 やがて絡繰の胎動が甲高く安定したところで、桜の根を覆う絡繰から光が満ちる。

 生まれたのは、輝ける亀裂。桜の中への道標のような、光の扉。

 

 唯一、歴史を渡る道に覚えのあるメグミが、皆に向けて頷いた。

 後は、躊躇はなかった。

 開いた扉へ、めいめい飛び込んでいく。その力強い後ろ姿を目に焼き付けるように、ヤツハは祈りを込めて見送った。