見上げる威容が重低音を奏で、ガタガタと噛み合わなくなった歯車が時折床を揺らす。
桜花炉『ミツルギ』。
蟹河精製所に鎮座するその巨大な装置は、今までの炉と比べても随分と古めかしく、表面に見える部品も継ぎ接ぎしたように斑になっている箇所が多い。精製所自体も老朽化が激しく、遥か昔から人々を支え続けてきた苦労が随所に染み付いている。
所員曰く、これでも一度は建て替えられたのだという。
けれど、長く稼働を止めるわけにはいかない桜花炉は、誕生したときからずっと、応急処置を度々施されながらもこのままで在り続けた。
もちろん、核である神座桜も、そしてメガミも。
アキナとレンリの眼差しは、中で眠っているはずの相手を眺めているかのようだった。
「『ミツルギ』やて。何考えてたんか知らんけど、偶然にしちゃあドンピシャな名前つけよってからに」
ほくそ笑むアキナに、隣のレンリもつられて微笑んだ。
「まあ、突飛な発想をする人でしたから。もしかしたら直感なのかもしれませんよ」
「歴史を跨いで、ウチらの命名を悟りでもしたんか? ちゃうかったら、ミツルギなんて名前出てこーへんやろ。こっちは桐子桜ですらあらへんのやし」
「あっ、ザンカ様に由来するという線もありますね。こちらでは、後を託してお隠れになられたって話ですし」
「なるほど、名誉回復のつもりもありそやなぁ。いずれにせよ、本人由来にせーへんかったんはほんま、らしいわ」
言葉を交わす二柱は、まるで旧交を温めているかのようで、実際戦国に縁起を持つ彼女たちにとってはそうなのだろう。力の抜けたその肩は、使命を帯びたメガミのものではなく、友と語らい合う人のそれだった。
炉の据えられているこの制御室には、今は二人の姿だけ。所員たちは今朝から会議室に籠もっていて、たまに休憩がてら様子を見に来る以外、顔を見せていない。ガタの来ている炉を久方ぶりに入念に点検するとあって、突貫で計画を作っているようだった。
メガミたちにとっては、桜花炉の警備を最重要として依頼された身である以上、戦場になるかもしれない炉の周りに人間がいないのは好都合だった。屈強なミコトならばいざしらず、メガミと縁遠いこの地の人々に、メガミ同士の戦いを生き残る術はない。
しかし、二人にとってはもっと大切な時間だった。
彼女たちが真っ先にここの警備に立候補したのは、炉の心臓となったメガミの名が出た直後のことだった。
「なあ、しーやん。どないしてん」
アキナが切なげに、炉に手を触れた。
アキナとレンリがよく知る少女であり、何も知らないメガミの名。それはシスイ。かの戦国における大罪人・桑畑志水の行く末と思しき者。
この地には、ヲウカの影がなかった。
桜花拝は消滅し、桜花大社があったはずの場所にはこの精製所が広がっている。桜花決闘はないし、桜花歴で時間が刻まれたこともない。神座桜の奪い合いも、櫻力が領地関係なく提供されるために無用なものとなり、昔ながらの土地を各家は守り続けている。
この歴史における、かの決戦の勝者が導いた未来に、アキナとレンリは立っている。
だが、どちらもメガミとなり、永き時を生きるようになったというのに、顔を合わせることは叶わない。
言葉を交わすことも、その意思を問うことも。
「そこにおるんやろ。寝坊助も大概にせえよ」
装置は何も答えない。『サイハテ』よりも多く溢れてしまう桜の光が、どれだけ長い間身を捧げているのかの証になっていた。
それでもアキナは問い続けた。
「一体何を見たんや。メガミになって、何があったんや。なんで、ただ黙って閉じこもっとんのや。なあ……」
それはもう、ただ呟いているのと変わらなかった。たとえ分厚い絡繰の壁がなかったとしても、答えが返ってくることはないのだと理解しているようだった。ただ、コルヌの末路を目の当たりにした諦めではなく、ある種の信頼に裏打ちされているようにも見える。
アキナの撫でる手が拳を作り、力なく押し付ける。
それにレンリは目を伏せがちに、
「きっと、自分と同じものと見たんだと思います。あの決闘に勝った志水さんは、改めて桜に挑んだはずです。……自分と同じく、刃の本質を通して向き合ったはずです」
「…………」
「自分程度の命運であっても辿り着いたわけですから、あの志水さんなら、可能性の大樹を垣間見ても何もおかしくありません。それで、覗いてしまったんでしょう。あの禍々しきを」
自身の腕を掴むレンリの手が、小さく震える。
アキナから即座の反論はなかった。細く息を吐いて、咀嚼するように小さく何度か頷いている。
だが、彼女の拳が力を漲らせた。
キッとレンリを睨みつける。
「じゃあなんでこないなところでぐーすか眠っとんのや! しーやんやぞ!? 眠る脅威がなんや、己でぶつかって行って解決すればええやんけ! あのヲウカに歯向かって、終いには勝ちよったくせに、何大人しくしとるんやって話になるやろが!」
「それは……」
叩きつけられた感情に、レンリは言い淀む。
脅威に立ち向かうためとはいえ、自ら炉心となったその選択は、悪く言ってしまえば諦めである。誰かに託すこともまた希望かもしれないが、果たしてそれがかつての英雄の行いかと言えば否だった。
ましてや、当時の背中を知る者にしてみれば、この現実は信じがたいに違いない。
過去との乖離が、アキナを高ぶらせている。
三百年余りの断絶の中で失われてしまった、シスイが炉に至った道程や覚悟。ましてやシスイ自身がその旗振り役のようにすら伝わっているのだから、その謎は友であるアキナには酷く重いものに感じられていたはずだった。
しかし、炉に手をついたアキナは、絞り出すように言った。
「ウチは……しーやんと、ただもういっぺん、話がしたいだけなんや……。こんなくんだりまで来て、それすら許されんのか」

ぱたっ、と雫が装置を濡らした。時間よりももっと理不尽な断絶が、アキナに理屈すら捨てさせていた。
レンリは目の前で吐き出された感情を噛みしめるように口を噤み、アキナの肩にそっと手を伸ばして、すぐに思い留まった。その手を胸に当て、悲しげな瞳で想いを反芻すると、同情めいた眼差しだけをそこに残した。
未練がましく桜花炉を見上げるアキナ。レンリはその横顔を見せられて、やがて居た堪れなくなったように目を逸らした。
それでも無言では居続けられなかったのか、とつとつと口にする。
「なんとなく、分かりそうな気はするんですけど……でも、うまく言葉にできなくて」
共感をあえて述べることはしなかった。すぐに答えられなかった質問に、どうにかしてレンリは答えようとする。
「志水さんは自分とは違う……だからこその意思があって、それがぼんやりと、垣間見えてる気はするんですけど……」
「あ? なんやそれ、考えてからモノ喋れや」
「……ごめんなさい」
棘のあるアキナの物言いは八つ当たりにも近かったが、レンリは道化の仮面を置き忘れたようにしゅんと頭を下げた。
居た堪れなさが上塗りされ、桜花炉のうめき声が一層大きく耳朶を叩く。
アキナは深く深呼吸すると、涙を指で拭ってレンリに向き合った。
「いや、すまん。今のは悪かった」
「いえ……」
互いにばつが悪くなったところで、アキナはぐっと伸びをした。それから少し強めに自分の頬をパンパンと叩いたものだから、レンリは少し驚いた。
歯を見せて苦笑いするアキナは、
「分からんもんは分からんわな。なんもかんも、しーやんが勿体ぶったままおねんねしたせいや。はー、鉄の臭いばっかで息が詰まるわ。ちっと外でも見回ってくるか」
「あ……夕方には設営を始めるそうなので――」
「わーっとる。ついでに飯のアテ探しとくわ。しばらく泊まり込みやしな」
そう言うと、ひらひらと手を振って行ってしまった。
一人取り残されたレンリの前で、桜花炉はやはり何も答えなかった。
肩を落とし、レンリのため息が駆動音に紛れて消える。悩ましげにこめかみを揉みしだき、炉を一度見上げてゆるりと首を振った。
そこで、レンリが纏った衣が一条、ふわりと翻る。淡い桜色の室内灯の下で、それは藤色に煌めいた。
すると、天井から一つの影が落ちてくる。
「助かり〜」
小石を転がした程度の音と共に、現れたのは藤峰古妙だった。屈んで着地したせいで、野暮ったいおさげ髪が床に着いて、珍妙な顔つきで埃を払っていた。
彼女はそれ以上何を言うでもなく、レンリをよそに桜花炉に駆け寄った。軽薄な態度でこそあるものの、あの会談中に居眠りをしていた者とは思えない確かな足取りだ。『サイハテ』で出会った古妙が、ここにも目的を果たしに来たのだろう。
古妙は迷いなく炉の側面に回り込むと、一抱えほどもある木箱がまるごと埋め込まれたようになっている部分で立ち止まった。
そして彼女が手を触れた途端、身体から青い光の群れが飛び出した。
光は限りなく薄い板状で、ややあってから、遠目では判別できない白い文字のような模様が縦横無尽に躍り始めた。大小合わせて六枚の光板は、身じろぎするたび位置が追従しており、古妙が手で触れることで宙の好きな位置に動かせるようだ。
青い光と言えば徒寄花の怪物を想起させるが、かの冷たい青白さとはやや趣を異にする。古妙のそれは、そもそも温かさや冷たさといった状態とは無縁に見えた。
しかし、彼女が作業に取り掛かろうと、腕まくりをした瞬間だった。
展開された輝きが、急速に弱まる。
「……どしたん?」
余計な動きはしないと誓うように、炉から手を離す古妙。
ちらりと彼女が窺った背後には、布でできた無数の槍が揺蕩っていた。背後に忍び寄ったレンリが、笑みを貼り付けたまま、あからさまな威嚇の姿勢を見せていた。
古妙は口を窄めて、
「レンリちゃん様、手伝ってくれるんじゃなかったの? 煙家行きほっぽりだして、頑張って間に合わせたんだよ? それはないっしょー」
「おやおや、あなたが蟹河行きに潜り込めなかったせいで困ったのは、こちらも同じですが」
「分かってるけど、バレたらクビまであるんだから、ね? 点検まで時間もないっしょ?」
「どーしよっかなー。路頭に迷う女の子なんて見たくなかったけど、残念だなー」
「なんかあーし八つ当たりされてない!? さっきピリピリしてたやつ!?」
嘘泣きする古妙が振り返ると、にへらとした顔つきのまま固まった。
対面したレンリからは、表情がごっそりと抜け落ちていた。今まで愉快に踊っていた絡繰人形が、突然ぴくりとも動かず、じっと見つめてきているかのようだった。
ただ事実を告げるように、レンリの口が動く。
「確かに、あなたの要請には応えました。ですが、あなたの手足になったと勘違いしてもらっては困ります」
「…………」
「チカゲさんにこちらを任された以上、一線を越えるようなら容赦しませんよ。ここには、大切な友人が眠っているんですから」
人を小馬鹿にしたような態度はどこにもなく、幼い体躯に大の大人が乗り移ったような語り口だ。怒りを感じられればまだしも、感情を廃しているのがかえって恐ろしくなる。
流石の古妙もこれには息を呑み、一歩後退れば踵が炉に当たる。
彼女はどうにか苦笑いを浮かべた。
「あー……、ごめごめ。説明、足りなかったよね。ゆーて大したことはしないしない。必要な記録を取り出すだけ。たぶんそれは、メガミ様たちの力にもなるっしょ?」
弁明する古妙。しかし返答は、一寸さらに彼女へ迫る切っ先だった。
無表情のままのレンリが無言の圧力を放ち続け、不足を訴える。メガミとてもはや不滅とは程遠い存在、万が一が通ってしまえば取り返しがつかない。それがこの歴史を紐解く鍵の一つであるシスイであればなおさらであり、レンリたちにとって奇跡のような再会が潰えることも意味する。
だから、
「シスイ様に、危ないことはしないからさ」
「なら何を? それに、その力――」
間髪入れずにレンリは問う。恐る恐る宣言した古妙は、反して何かを目で訴えかけていた。
さわさわと、衣擦れが耳をくすぐる。元気をなくした青い光板は沈黙を保っている。
内心で様々なものを天秤にかけているだろう古妙は、あまり焦りを隠すつもりはなさそうだった。もちろんそれは急かすつもりでもあるのだろうが、分かっているだろうとでもいうような期待が眼差しに見え隠れしている。
刃を向けるメガミに対して危うい態度だ。しかしそれは、ここがもはやメガミとの距離が遠い地であることの証左でもある。ただ、例えば銭金のようにメガミを蔑ろにしているわけではないのは間違いない。
レンリは古妙が言わんとしていることに心当たりがあるようで、少し迷ったように口を結んだ。このまま追及を続けることはできるが、手引きしたレンリにとっても時間が限られているのは同じだ。
だからなのか、一度何かを呑み込んだようにして、レンリは告げた。
「命運がそこにあると、自分は認めます。その遺志を継ぐ者よ」
「じゃ、あ……?」
ほんの一瞬だけ古妙が浮かべた喜びは、瞬く間に尻すぼみになっていく。
レンリの表情に、対話を終えた緩みはない。
むしろ、その眼差しをより鋭くして、彼女は続けた。
「ならばあなたは、何を求めるのですか?」
その瞳に多少の失望を宿して、レンリは問い直す。
古妙は、もがくように口を動かした。
「な、にって……みんなを助けたいに決まってんじゃん。皆さんが言うところの、歴史を救うってやつ? だから、あーしはメガミ様たちの力になりたいんすよ。そこんとこマジのマジなんで」
「違いますよね」
「え……」
真っ向の否定に、古妙は言葉に詰まる。
反論の力が拳を握らせて、しかし解き放たれることはなかった。
機先を制するように、レンリが告げた。
「嘘じゃない。でも、本当でもない。確かに、遺志と密命に奮戦する英雄にはお似合いでしょう。英雄譚の種には十分でしょう。しかし――」
右手を掲げ、朗々と詠うように、
「自分の見てきた彼女は、ただ笑い合いたかったゆえに」
左手を掲げ、かの日を想うように、
「自分の知ってる彼女は、ただ疑問の影を落とすために」
そこで間を置いたレンリの顔を見て、古妙は目を丸くした。
そこには、失意だけが滲む硬い表情も、悪戯めいた表情も、あるいは舞台の袖から語りかけるような表情もありはしない。
どこか仕方ないとでも言いたげな、レンリらしくない困ったような微笑み。
古妙だけを見ているとは思えない深い眼差しと共に、レンリは告げる。
「あなたもそうなら、その仮面は似合いませんよ。道化方は道化の仕事。飾り立てた意思じゃ、誰の手も掴めませんよ」
「道化……」
「もう一度訊きます。あなたは命運に、何を求めるのですか?」
再度問う。今度は間違えるな、と。
古妙は目を伏せた。それから人の目を気にするように目を動かし、誰の気配も近づいていないことを悟ると、深く息を吐いた。
そして、切っ先を前にしておきながら、肩の力を抜いて装置に後ろ手で寄りかかった。
罪を認めるようで、傲慢なようで、惑うような七色の眼差しが、レンリに向けられた。
「証明したいんだ……あの方の定理を。あーしの補題ならきっと、届くから……!」
一言で表せない感情が古妙には渦巻いているのだろう。けれど、そこには昼行灯めいた浮いた虚飾がないことだけは確かだった。
確認するようにレンリが問を重ねる。
「世界を救うことで……?」
「もち!」
「……ふっ、ふふっ。なるほどなるほど、実に立派な『手段』です」
一瞬呆気にとられていたレンリは、姿と乖離した大人びた微笑みを浮かべた。
レンリはそれから、考えを深めるようにじっくりと目を閉じた。ややあってから今度はじっと古妙を見つめ、それでも足りないとばかりに左手に肘を置いて、口元に手を寄せた。もちろん時間を浪費するつもりはないのか、もどかしさもそこに滲んでいた。
やがてレンリは、次の疑問を投げかけた。
「では、手段の手段の話に戻りましょう。ここへは何をしに?」
ぐるりと回り道をしたせいか、古妙が安堵のため息をつく。そんな彼女をせっつくように、まだ首をもたげていた衣の槍が身動ぎをして、古妙がやんわりと両手を盾にする。
古妙は観念したように、しかしそっと様子を窺うように答えた。
「……眠る脅威に、届くかもしれない術を取り出す」
慎重に言葉を選んだ物言いは、この期に及んでもまだ全ては語れないという意思表示のようでもあった。
ただ、どちらにせよ、ここで古妙に洗いざらい吐かせる余裕は最初からありはしない。レンリはそれに今更目くじらを立てることはなかった。
その様子を見てか、古妙は少し迷ってから言葉を続けた。
「刃の本質が必要だから、ここが一番良かったんだ」
「……刃の本質だけじゃ足りないのは、分かってますよね?」
「うん。刃に式を乗せて、影響を相殺する。そのために、あーしは式を解明して、補題を導いてきたんだから。……でも――」
古妙の逡巡を呑み込ませないように、レンリはすぐさま疑問を挟む。
「何か問題が?」
「うぅん、計算上は完璧。気になるのは――」
毛先を弄び始めた古妙は、自分の中で考えを掘り進めているらしい。
しかし、そのぼんやりとした眼差しがレンリのそれと交錯したときだった。
「『花は語るべからず、ただ結実の標であらん』……」
「……え?」
それは返答のつもりか、ただ考えが口から漏れただけなのか、相手の反応をまるで気にしていないあたりどうも後者のようだった。
レンリはと言えば、脈絡なく詩の一節のような言葉が出てきたためか、耳を疑っていた。
「今、何と?」
「はっ! ごめごめ! 長くなるから置いとかせて。今は――」
我に返ってパンと頬をひと叩き。その真剣な視線の先には、古妙の求めるものが眠る桜花炉が鎮座している。
仔細はさておき、もしも古妙の言っていることが真実だとすれば、あまりにも重大な事実だった。徒寄花の脅威すら正しく伝わっていないこの地で、対抗策を練っていたのだとしたら、彼女とメガミたちとの邂逅はまさしく互いに渡りに船だった。
だが、当然今のレンリに全てを確かめる術も時間もない。櫻力公社との信頼が十分にあれば、表立って古妙の策を実証することもできようが、レンリはまさにその信頼を得るための警備の任についている。
これはレンリにとって賭けだった。
友を傷つけるかもしれない、賭け。
歴史が存続するかどうかの、賭け。
目の前の英雄の卵に対する、賭け。
もう一度、彼女が何度見たか分からない古妙の目と向き合い、ややあってからレンリは小さく頷いた。
「……分かりました。いいでしょう、やってください」
衣の刃が、するりと元に収まっていく。
レンリは至って冷静だった。目の前で泳がせた魚が宝を咥えてきたのに、歓喜に浸る様子はまるでない。むしろ、これから明らかになる結果への焦燥すらなく、どこか腑に落ちない点を一旦忘れようとしたかのようだった。
対し、古妙はぱあっと笑みを咲かせた。
「ホント!?」
「でも、妙な兆候があればグサリですからね」
「分かってる分かってる! レンリちゃん様は心配性だなぁ」
緊張感をどこかに放り投げたように、うきうきで装置に向き直る古妙。
作業に向かうその背中を、レンリはやや疲れた笑みで見守っていた。ぴんと伸びた古妙の背筋は、レンリの小言という檻から放たれて自由になった獣のそれだった。
垣間見えた本心が道を作ると、レンリは賭けたのだろう。
レンリはその姿に、ひとりごちた。
「仮面は、自分みたいなのが被ればいいんです。あなたは――いえ、あなたたちは、最後にはきっと、誰よりも人々を――」

だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
レンリたちの耳を、鋭い声が襲った。
「狙撃や、敵襲ッ!」
「……!」
アキナの叫びが届いた直後、ガンッ! と破砕音が響く。
桜花炉の数間先で、空色の矢が床を穿っている。『サイハテ』の時と同様、壁や天井に傷一つつけない自由なる一矢だったが、今回は桜花炉を直撃するはずだった軌道が途中で不可思議に曲がったために、炉もまた無事であった。
レンリと古妙が戦慄する中、アキナが部屋に駆け戻ってくる。彼女は居るはずのなかった古妙を見つけると舌打ちしたが、芽生えた感情を噛み殺して、手に持っていた大きな算盤を宙に構えた。
横目でレンリをひと睨みし、
「そう何遍も再計算は効かへん、逸らすにも限界がある! せやけど、とにかくウチら二人で何とかするっきゃないで!」
「は、はい!」
冗談の一つもない警告に、レンリも慌てて射線を遮るように立ちはだかる。
空と自由の象徴・ミソラ。彼女は決して、メガミという枠組みにおいて殊更武力に長けているわけではない。空という舞台で見ても、例えばヒミカが手を伸ばしているし、カムヰなど言うに及ばない。
けれど今、炉を巡る戦場は彼女の狩り場と化していた。
拠点の守りをあざ笑う、物理的障壁を無視する矢。
正確無比な、超遠距離からの一方的な射撃。
どんな名将も羨む狙撃手となったミソラは、この状況において、間違いなく最強のメガミであった。