八葉鏡の徒桜

エピソード10−8:彼女にとっての桜降る代

 

 後悔は、一瞬で飲み下した。吐き出す前に、駆け出していた。

 崩れ行くユリナの執念を無駄にすることはできない。かつての決闘で知った彼女なら、ただ黙ってやられるわけがない。

 この窮地を、ヤツハは好機にしなければならないのだ。

 

「どいて……くださいっ!」

 

 立ち塞がっていたレンリに飛び込む勢いで突っ込み、直前でその場に鏡像を残し、ヤツハ自身はレンリの背後へと瞬時に移動する。迎撃のために反射的に帯を繰り出していたレンリは、後ろへ通してしまったヤツハへの対応が一手遅れる。

 接近に気づいたメグミが、僅かな迷いと共に選んだのは回避。

 ヤツハの予感が正しかったと証明するように、ユリナの放った莫大な気は、猛攻の対価としてメグミの守りを吹き散らしていたのだ。

 

「やあぁぁッ!」

 

 怪物の大爪を振りかぶり、致命に足る一撃を放つべくヤツハは飛び込む。

 だが、十全な回避は不可能だと踏んだのか、自分から倒れ込んだメグミの鼻先を、鋭利な爪先が掠めていった。

 あと一瞬でも速ければ届いていた。本当なら、間に合っていたはずだった。

 

 振り遅れた怪物の腕に、戒めのように巻き付く布が、答えを告げている。

 ぬるり、と柔軟に形を変えた怪物がその布に逆に絡みつき、思い切り引っ張った。

 

「うわぁぁっ!?」

 

 鏡像が、役目を終える。ヤツハの視界が、目の前で体勢を崩すレンリを捉える。いかにメガミとて、その小柄さに見合うように、怪物の腕力には抗し得ない。

 無理に助けた代償を、ヤツハは確実に取り立てる。

 地面から脚が離れたレンリに、大きな影が落ちる。

 

「待っ――」

 

 ドッ、と大地が揺れる。怪物が大口を広げ、無防備なレンリに地面ごと喰らいついた。

 芯を捉えた重厚な一撃に、このままレンリを食い尽くせるという感触すらあった。むしろユリナへの決定打の対価なのだとしたら、彼女の代わりに一柱を脱落させるくらいしなければ、割が合わなかった。

 

 だが、悠長にとどめを刺すだけの猶予はない。

 数多の意識が、ヤツハを狙う。

 ユリナに向けられていた花々、杖に新たに咲いた紫紺の花。

 そして、メグミの身体に咲き乱れる、桜の花びら。

 

「うっ……」

 

 メグミの身体から迸る光が、痛烈にヤツハを刺す。その眩さはもはや南天に昇る太陽のようで、触れ得ぬ光条がその身を遍く圧する。

 この脚は確固たる想いを帯びているはずなのに、後退ってしまう。

 全てを受け入れてなお前に進むと誓ったはずなのに、後戻りしてしまう。

 

 夜空を煌々と照らす様はかつて見た絶望の再現。

 ヤツハが胸に秘め、思い巡らせ、もう一度と願ったあの色づく世界が褪せていくよう。

 力を漲らせる花々が、何度だって彼女の願いを打ち砕く。

 

「あ――ぐッ……!」

 

 始まる掃射に、あらん限りの結晶を身代わりに差し出す。顕現していた怪物たちが、袋叩きにあったかのように身を捩り、消し飛ばされていく。

 余力が削り取られていく中、メグミは無慈悲にも畳み掛けようと飛び込んでくる。

 光を帯びる唐竿が、強烈な打撃力を孕む。

 

「はぁぁぁッッ!」

 

 それはまるで、ヤツハの失楽。怪物が打ち倒されて終わる物語を再演するかの如く。

 この場にもう友はいない。駆けつけてくれることもない。

 しかし、だからこそ、ヤツハの脳裏にあの二柱の顔が浮かぶ。

 友情が呼んだ信頼がここまでヤツハを送り出してきた。

 その想いを受け取ったヤツハ自身の自我と決意が、到来する終わりを拒絶する。

 

「諦めないッ!」

「……!?」

 

 ヤツハの身体に走った罅から、星空色に煌めく霞が勢いよく溢れ出す。それは痛打を叩き込もうとしていたメグミの腕に絡みつき、下ろされようとしていた幕に待ったをかける。

 メグミの動きを抑え込んでも、まだ花の弾幕は残っている。けれど、決着を望んで前に出たメグミの身体は、この瞬間だけは射撃の死角となっている。

 

 ヤツハの胸元から顔を出す怪物が、反撃の狼煙となる。

 何度打ち砕かれようとも、何度だって立ち上がる。ヤツハが今まで出会い、見て、聞いて、感じてきた胸いっぱいの思い出がある限り、決して自ら膝をつくことはない。

 ユリナが最後まで勝利を求めたように、ヤツハも最後まで求め続ける。

 彼女にとっての桜降る代に在るために。

 もう、迫る桜の煌きに怯えることはない。

 

「これで――」

 

 後の先を取った確信に、拳に力が入る。

 しかし、怪物の顎が飛び出そうとしたそのとき、ヤツハの右脚が巻き付いた糸で前に引かれるような感触を得た。

 焦れる心は、些事に囚われたくないとその場に留まるべく脚に力を込めさせた。

 

 その瞬間、くんっ、と重心が前に引きずり出される。

 メグミの放つ桜光に照る黒糸が、足元から伸びていた。

 刹那の内に辿る先に、三日月のように狂い咲く笑顔。

 

「《――ユルサナイ――》」

 

 

 倒れ伏していたレンリの口がそう象られた直後、ぶわっ、と糸から黒墨が溢れ出す。

 まるでそれは呪いのように、茨や文字、文様から果ては羽衣となって、無秩序に湧き出してはヤツハの脚から全身を蝕んでいく。

 

「やめ――」

 

 害意ある何かが身体を這う感覚に怖気が走る。盾とする結晶どころか、限られた力すら無惨に啄まれていく。

けれどそれ以上に、ヤツハの顔から血の気が失せた。

 

 重心がずれ、呪いに悶えた彼女の反撃が、空を切る。

 勝利が、手のひらからこぼれ落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 左脚が満足に動かない。腹に力が入らず、身体もろくに起こせない。

 それでも、ユリナの目から光が消えることはない。

 

「う……、くっ……」

 

 這いつくばり、腕の力だけでどうにかうずくまり、そこから右の膝で立つだけで精一杯。いくら戦意が未だ衰えていないと言っても、この身体では戦いに割って入ったところで、盾にすらなれないのだと彼女は理解していた。

 ユリナの作り出した好機を巡って、ヤツハが奮戦する様が瞳に映る。けれど、レンリの献身があと一歩のところで決着を先送りにし、煮え滾るほどの悔しさが湧き上がってくる。

 

 ヤツハは、それでも諦めていなかった。

 恐ろしいほどの光輝に圧倒されながらも踏み留まり、打ち克つための道筋を探していた。

 だが、その道すらも、執念に足を引かれ、光に呑まれて消えていく。再び危機を乗り越えたメグミの瞳から、そして砕けた身体中から、桜の光が満ちていく。

 

 それはかつてユリナを――ウツロを救い、ホノカと三柱で、自らの道を行くことを望んだユリナを祝福した光でもあった。

 だからこそ、

 

「ま、だっ……」

 

 だからこそ、ユリナは諦められない。この身を尽くしてでも、一滴の勝機を生み出せないものかと探し続ける。

 しかし、残った僅かな力で立ち上がろうと身を捩るその姿は、諦めが悪いと評するにも見苦しい有様だった。およそ武神らしくない、与えられた敗北をがむしゃらに否定するかのような、無秩序ささえ垣間見える。

 

 足を踏み外し、地面に手をついて倒れまいとする。

 土に汚れる袂が、いやに力なく見える。

 けれど、泥のような執着の末に、その手が触れる。

 

「――ぁ……」

 

 転がり出てきた、小さな書。預けられた力。

 ユリナはそこに宿る権能を想起して、一つの問いが無意識の内に生まれ、心は一つの答えを出した。

 

 自分が望むのは、英雄の如く、敵を打ち破ることか――否。

 自分が――メガミ・ユリナが、今ここで成し遂げたいことは何か。

 自分は何故、ヤツハの求めに応じたのか。

 

「あな、たに……」

 

 書が、光へと解けていく。

 ユリナの中に、溶け込んでいく。

 枯れ果てた身体に水が巡るように。

 今のユリナに相応しき力が、応えるように。

 

 もう朽ちるだけだった身体を潤すひとしずく。これがきっと、ユリナに残された最後の力。

 けれど、答えが出たのなら。

 為すべきことが、分かっているのなら。

 

「あなたに、伝えたい……言葉が、あるからっ……!」

 

 書が、新たにユリナの手の中に生まれ出る。言葉の力の顕現たるそれは、もはや借り物などではない。

 身体の内から湧き出る力にして、胸の奥から生まれる言霊。

 ここにあってここにない者に訴えかけるための、心の形。

 そしてユリナは立ち上がり、その身を賭して全霊を呼び起こす。広げられた書面が、桜色に煌めいていく。

 

 彼女の主張を遮る者はいない。

 煙に巻くのが得意な大嘘つきは、もう口すらろくに回らない。

 それでも地を這い、手を伸ばしてくるレンリの顔が、ありありと青ざめている。

 

「だ、め……やだっ……! 私の――」

 

 もがき、あがき、首を横に振る彼女の弁舌は軽く、それでいて重い。

 だが、ユリナがそれに耳を貸している暇はない。

 嘘に踊らされず、偽りに惑わされなかった心を。

 自分の、ありったけを――

 

「届けぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 桜花の極光が、奔流となって書から放たれた。メグミから放たれる輝きと相まって、終局の戦場が目を焼かんばかりの眩さに包まれる。

 それは大いなる道を渡すかのように、ヤツハとメグミを呑み込む。

 言葉と想いを載せて、その先へと届けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 計算通り……だなんて、口が裂けても言えませんね。

 むしろ想定外、そして望外とすら言えます。

 本当ですよ。私はあれと違って正直者で通っていますから。

 

 あれ、と言えば、ようやっと素顔が垣間見えたように感じます。

 しかし……あの力の源泉が、仮にあるとすれば……、

 

 ……いえ、それを考えるべき時ではありませんね。

 今は然るべき態度にて、宿敵を称えるとしましょう。

 ふふ……、これからの戦いが容易くなるか、苦しくなるか全く読めません。

 根ではなく、枝葉が似通ってくれれば有難かったのですけれどねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として光に塗りつぶされていく視界に、膝をついていたヤツハは最初死を覚悟したものだったが、それはすぐに困惑へと変わっていった。

 冷静になってみれば、この光に害意はなく、むしろヤツハを助けるような意思をありありと感じられる。ただ、目の前で彼女にとどめを刺そうとしているメグミも、同様に光に呑まれていながら無傷のようで、分かりやすい起死回生の一手でないことも明らかだ。

 

 けれど、最後の一撃に水を注されてなお、メグミの顔に抵抗の色は見られない。

 彼女が何を想っているかまでは分からない。しかし、自分と近い感覚を覚えているのかもしれないと、ヤツハは直感した。

 

「あぁ……」

 

 この光の奔流は、誰かを傷つけるための輝きではない。どちらかが倒れることを望む煌めきでもない。

 想いを載せ、声の届かないどこかへと言葉を伝える、意思の眩さに満ちた風のよう。

 この戦いを直接終わらせるものではないだろうと思っているのに、どうしてかこれが、より良い結末への道標のような気がしてならなかった。

 

 やがて、メグミの身体の奥から、想いの光に応えるようにさらなる煌きが湧き出してくる。感化されたかのように、そこに刺々しいほどの害意はなかった。

 光が、二柱を包む。想いと共に、どこかへ吹き抜けようとしている。

 儚い夜陰が消え失せていく視界の端で、今にも朽ちようとしているレンリが、亡者のように手を伸ばしていた。絶望に彩られ、執着に蝕まれ、それでも諦観により生気が奪い去られたような、筆舌に尽くしがたい顔を晒していた。

 

「私、の……えい……ゆ――」

 

 呪いじみた悲嘆を最後まで聞くことはなかった。

 ひときわ激しくなった白光が目を焼く。思わず目を瞑り、音までもが霞んでいく。

 すぐに光に押し流されるような浮遊感がやってきて、夜の冷ややかな空気も遠くなり、土の匂いも、あるいは戦場の嫌な静けさすらも、手の届かないところへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 少しの間そうして身を委ねていると、仄かな暖かさが意識に呼びかけてきた。瞼の向こうには、淡い灯が待っているようだった。

 恐る恐る開いた目に飛び込んでくるのは、桜の色彩。立ち並ぶ巨樹が、自分が小さくなってしまったのかと錯覚させる。

 空間に満たされた霞は、砕けた桜花結晶の輝きが大気に散りばめられたかのようで、見通せぬ果てまでずっと続いている。ヤツハが立っているのはどうやら巨大な枝のようであり、傍にはひときわ立派な幹たちが天まで伸びていた。

 

 不思議な場所は、カナヱの空間をどこか想起させながら、もっと根源的な気配に包まれている。

 対極的な光景なのに、神秘的な雰囲気はどこか徒寄花の世界に重なるところがある。

 つまり、ここは、

 

「桜の……」

 

 クルルたちの前で拒絶された、神座桜の世界。メガミのおわす地。

 あのとき辿り着けなかった場所に今、ヤツハは足を踏み入れている。

 けれど、突然桜のほうから胸襟を開いてくれただなんて思わなかった。辺りに漂う仄かな光が、ヤツハを蝕むように包み続けている。徒寄花の世界で感じたような、極度の威圧感こそ潜められているものの、自分が望まれぬ来訪者であるかのような居心地の悪さは否めない。

 

 元より敵意を向けられていたのだから、それくらいで折れることはない。

 いわば勝手にメガミを名乗ったのだから、不快感を示されても当然だ。

 しかし、神座桜は拒絶しなかった。誰かの訴えを受け入れたからだとしても、耳を傾けることくらいは許してくれた。

 だからこそ、今ここで、意思を示さなければならない。

 徒寄花を鎮めたところで、神座桜が認めなければ、結局未来はないのだから。

 

 そのための相手は分かっている。

 大自然の奉仕者が問い、生死を司る刃が命運を接ぎ、桜の代弁者に選ばれた少女。

 メガミ・メグミ。

 

「…………」

 

 じ、と同じ枝の上で、当たり前のように対峙していた彼女と遠く視線を交わす。

 彼女が発する輝きは、周囲の光と同調するように鼓動している。全身に咲き誇る桜の花弁は留まるところを知らず、携えた唐竿には青々しい蔦が巻き付き、神聖なる儀式へと臨むための豊穣の杖となる。

 

 静かに構えるメグミに、息を整え、相向かう。互いに絞り出せる余力もあと僅か、気力が前へと向かわせる。

 メグミの瞳は桜光に染まりながら、彼女自身の確固たる意思もまた強かに花咲いていた。

 その双肩に役割や立場を背負ってなお、彼女は自らの意思で相対を望んでいる。

 果たし合いを超えた、最後の交錯を。

 命運を、果たすために。

 

「――行きます」

「うん――」

 

 踏み出したヤツハに、メグミの足元で緑が繁茂する。瞬く間に育った大輪の花が、圧縮された空気の弾丸をすぐさま放つ。

 対し、間合いを駆け抜けるヤツハの意思に内なる力が呼応し、迎撃は彼女の背後へ抜けていく。メグミはそれに小手先を捨て去ったのか、一歩踏むごとに新緑の足跡を刻みながら、痛烈な打擲を叩き込もうと前を望む。

 

 右腕が罅割れ、左脚が砕け、ヤツハの胴に見えるは深淵なる星空。

 彼女の内側から桜の世界を垣間見た者たちが、鉤爪となり、大顎となり、ヤツハの身体の至るところから顔を出す。溢れ出る星空は四肢の在り処をも覆い隠し、メグミとは対照的な、暴虐の園の依代となる。

 

 こんな姿、怪物以外に一体何と呼べばいいのか。

 これは真実、怪物の物語であり、ヤツハという存在は間違いなく奇怪な怪物だった。

 しかし、だからといって、世界の敵である必要なんてなかった。

 かつて彼女が恐れた、鏡に映る自分なんて――鏡の悪魔なんて、どこにもいなかった。本当の怪物の心の裏はうらもなし。英雄に挑む怪物が、破滅を望んでいるだなんて限らない。

 

 だからヤツハは、怪物の力を全霊で発揮する。

 メガミ・ヤツハの全てを見せて、伝えるために。

 メグミへ。

 そして、その奥にある、より大きな存在へ。

 

「あなたに、伝えたい……想いが、あるからっ!」

 

 全身を……ヤツハの周囲を、湧き出た星空が包んでいく。大地を覆い隠す広大な夜空の権化となって、小さな願いへと手を伸ばす。

 暗闇に眠る怪物だって、一粒の星だって、陽の下に出たい。

 愛する大地を、大切な友と歩きたい。

 一人の、民として。

 

 何も飾らない最後の一撃を携え、地を蹴った。

 メグミもまたそれに応え、太陽のように輝く豊穣の顕現を振りかぶる。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

「おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 直後、ドッ! と。

 衝撃が腹を打ち据える。

 眩い桜の光と、鮮やかなる星空の光が、桜一色の景色に明暗の衝突を作り出す。それぞれたった一つの人の形から、果てなき空間を染め上げんばかりの色彩が迸る。

 

 奔流を押し上げるように、咆哮は続く。あらん限りの力を注ぎ、それでもなお己と通さんとする魂が、気力の一片でも上回ろうともがいている。

 境界を生む二つの彩度は、昼夜のあわいのよう。

 しかしそれは徐々に宵の如く星空が押し、メグミの唐竿が暴れ出す。

 

「くぅぅおぉぉぉぉぉッッ!」

 

 食いしばった彼女の叫びが僅かに押し返すが、それはほんの一瞬の出来事。

 押し負けて芯のずれた衝突が、限界を迎えて破裂する。

 世界を塗りつぶさんとしていた膨大な力が、ヤツハとメグミに襲いかかる。

 

「がっ――かぁっ……!」

 

 猛烈な勢いで弾かれたヤツハが、背後の幹に打ち付けられた。飛びそうになる意識をどうにか保った彼女は、ずるりと落ちながら、反対側の幹にメグミの姿を認めた。

 最後の一滴まで出し切った直後で、首を動かすことすら億劫だ。

 けれどもう、立ち上がる必要はなかった。

 

「あ……」

 

 ぐったりと力なく幹に背を預けたメグミの胸元から、鮮やかな光が迸る。

 とても悔しそうなのに、安堵したようでいて、どこか遠く彼方を見つめる彼女の身体が、次第に光へと解けていく。足跡に芽生えた草木も、咲き誇っていた花弁もさらさらと砕け、胸から立ち上る光へと還っていく。

 

 やがて彼女の胴のほとんどが崩れると、そこにあったのは輝ける小さな枝だった。まるで、メグミという存在と、彼女が背負った数多の想いが、神座桜へと接ぎ木されていくかのようだった。

 最後に、ひときわ強い輝きが根を下ろし、少女の形が失われていく。

 向こう側からやってきた彼女が、真なる意味でこの地へと辿り着いたかのように。

 

 そして光はゆっくりと納まり、若々しい枝だけが、力強く天を指す。

 ヤツハはこの場所に一柱、大樹に背中を預けたまま残された。

 数刻ぶりの静寂が、いっそ心地よい。

 

「あぁ……」

 

 小さな小さな微笑みが、疲れ切った顔に浮かんだ。

 ここが居心地が悪いだなんてとんでもない。

 燻った仄明かりが、どこか温かい。春の陽気とまではいかないけれど、冷え冷えとしたあの害意を思えば、雪解けをもたらしてくれるようなぬくもりがそこにはあった。

 

 震える手を胸に当てる。

 想起してきた時間は――ヤツハの辿った歩みは、そして今へと結ばれる。

 

 彼女にとっての、桜降る代へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして物語の結びに、これからのことを語ろう