後悔は、一瞬で飲み下した。吐き出す前に、駆け出していた。
崩れ行くユリナの執念を無駄にすることはできない。かつての決闘で知った彼女なら、ただ黙ってやられるわけがない。
この窮地を、ヤツハは好機にしなければならないのだ。
「どいて……くださいっ!」
立ち塞がっていたレンリに飛び込む勢いで突っ込み、直前でその場に鏡像を残し、ヤツハ自身はレンリの背後へと瞬時に移動する。迎撃のために反射的に帯を繰り出していたレンリは、後ろへ通してしまったヤツハへの対応が一手遅れる。
接近に気づいたメグミが、僅かな迷いと共に選んだのは回避。
ヤツハの予感が正しかったと証明するように、ユリナの放った莫大な気は、猛攻の対価としてメグミの守りを吹き散らしていたのだ。
「やあぁぁッ!」
怪物の大爪を振りかぶり、致命に足る一撃を放つべくヤツハは飛び込む。
だが、十全な回避は不可能だと踏んだのか、自分から倒れ込んだメグミの鼻先を、鋭利な爪先が掠めていった。
あと一瞬でも速ければ届いていた。本当なら、間に合っていたはずだった。
振り遅れた怪物の腕に、戒めのように巻き付く布が、答えを告げている。
ぬるり、と柔軟に形を変えた怪物がその布に逆に絡みつき、思い切り引っ張った。
「うわぁぁっ!?」
鏡像が、役目を終える。ヤツハの視界が、目の前で体勢を崩すレンリを捉える。いかにメガミとて、その小柄さに見合うように、怪物の腕力には抗し得ない。
無理に助けた代償を、ヤツハは確実に取り立てる。
地面から脚が離れたレンリに、大きな影が落ちる。
「待っ――」
ドッ、と大地が揺れる。怪物が大口を広げ、無防備なレンリに地面ごと喰らいついた。
芯を捉えた重厚な一撃に、このままレンリを食い尽くせるという感触すらあった。むしろユリナへの決定打の対価なのだとしたら、彼女の代わりに一柱を脱落させるくらいしなければ、割が合わなかった。
だが、悠長にとどめを刺すだけの猶予はない。
数多の意識が、ヤツハを狙う。
ユリナに向けられていた花々、杖に新たに咲いた紫紺の花。
そして、メグミの身体に咲き乱れる、桜の花びら。
「うっ……」
メグミの身体から迸る光が、痛烈にヤツハを刺す。その眩さはもはや南天に昇る太陽のようで、触れ得ぬ光条がその身を遍く圧する。
この脚は確固たる想いを帯びているはずなのに、後退ってしまう。
全てを受け入れてなお前に進むと誓ったはずなのに、後戻りしてしまう。
夜空を煌々と照らす様はかつて見た絶望の再現。
ヤツハが胸に秘め、思い巡らせ、もう一度と願ったあの色づく世界が褪せていくよう。
力を漲らせる花々が、何度だって彼女の願いを打ち砕く。
「あ――ぐッ……!」
始まる掃射に、あらん限りの結晶を身代わりに差し出す。顕現していた怪物たちが、袋叩きにあったかのように身を捩り、消し飛ばされていく。
余力が削り取られていく中、メグミは無慈悲にも畳み掛けようと飛び込んでくる。
光を帯びる唐竿が、強烈な打撃力を孕む。
「はぁぁぁッッ!」
それはまるで、ヤツハの失楽。怪物が打ち倒されて終わる物語を再演するかの如く。
この場にもう友はいない。駆けつけてくれることもない。
しかし、だからこそ、ヤツハの脳裏にあの二柱の顔が浮かぶ。
友情が呼んだ信頼がここまでヤツハを送り出してきた。
その想いを受け取ったヤツハ自身の自我と決意が、到来する終わりを拒絶する。
「諦めないッ!」
「……!?」
ヤツハの身体に走った罅から、星空色に煌めく霞が勢いよく溢れ出す。それは痛打を叩き込もうとしていたメグミの腕に絡みつき、下ろされようとしていた幕に待ったをかける。
メグミの動きを抑え込んでも、まだ花の弾幕は残っている。けれど、決着を望んで前に出たメグミの身体は、この瞬間だけは射撃の死角となっている。
ヤツハの胸元から顔を出す怪物が、反撃の狼煙となる。
何度打ち砕かれようとも、何度だって立ち上がる。ヤツハが今まで出会い、見て、聞いて、感じてきた胸いっぱいの思い出がある限り、決して自ら膝をつくことはない。
ユリナが最後まで勝利を求めたように、ヤツハも最後まで求め続ける。
彼女にとっての桜降る代に在るために。
もう、迫る桜の煌きに怯えることはない。
「これで――」
後の先を取った確信に、拳に力が入る。
しかし、怪物の顎が飛び出そうとしたそのとき、ヤツハの右脚が巻き付いた糸で前に引かれるような感触を得た。
焦れる心は、些事に囚われたくないとその場に留まるべく脚に力を込めさせた。
その瞬間、くんっ、と重心が前に引きずり出される。
メグミの放つ桜光に照る黒糸が、足元から伸びていた。
刹那の内に辿る先に、三日月のように狂い咲く笑顔。
「《――ユルサナイ――》」

倒れ伏していたレンリの口がそう象られた直後、ぶわっ、と糸から黒墨が溢れ出す。
まるでそれは呪いのように、茨や文字、文様から果ては羽衣となって、無秩序に湧き出してはヤツハの脚から全身を蝕んでいく。
「やめ――」
害意ある何かが身体を這う感覚に怖気が走る。盾とする結晶どころか、限られた力すら無惨に啄まれていく。
けれどそれ以上に、ヤツハの顔から血の気が失せた。
重心がずれ、呪いに悶えた彼女の反撃が、空を切る。
勝利が、手のひらからこぼれ落ちていく。
左脚が満足に動かない。腹に力が入らず、身体もろくに起こせない。
それでも、ユリナの目から光が消えることはない。
「う……、くっ……」
這いつくばり、腕の力だけでどうにかうずくまり、そこから右の膝で立つだけで精一杯。いくら戦意が未だ衰えていないと言っても、この身体では戦いに割って入ったところで、盾にすらなれないのだと彼女は理解していた。
ユリナの作り出した好機を巡って、ヤツハが奮戦する様が瞳に映る。けれど、レンリの献身があと一歩のところで決着を先送りにし、煮え滾るほどの悔しさが湧き上がってくる。
ヤツハは、それでも諦めていなかった。
恐ろしいほどの光輝に圧倒されながらも踏み留まり、打ち克つための道筋を探していた。
だが、その道すらも、執念に足を引かれ、光に呑まれて消えていく。再び危機を乗り越えたメグミの瞳から、そして砕けた身体中から、桜の光が満ちていく。
それはかつてユリナを――ウツロを救い、ホノカと三柱で、自らの道を行くことを望んだユリナを祝福した光でもあった。
だからこそ、
「ま、だっ……」
だからこそ、ユリナは諦められない。この身を尽くしてでも、一滴の勝機を生み出せないものかと探し続ける。
しかし、残った僅かな力で立ち上がろうと身を捩るその姿は、諦めが悪いと評するにも見苦しい有様だった。およそ武神らしくない、与えられた敗北をがむしゃらに否定するかのような、無秩序ささえ垣間見える。
足を踏み外し、地面に手をついて倒れまいとする。
土に汚れる袂が、いやに力なく見える。
けれど、泥のような執着の末に、その手が触れる。
「――ぁ……」
転がり出てきた、小さな書。預けられた力。
ユリナはそこに宿る権能を想起して、一つの問いが無意識の内に生まれ、心は一つの答えを出した。
自分が望むのは、英雄の如く、敵を打ち破ることか――否。
自分が――メガミ・ユリナが、今ここで成し遂げたいことは何か。
自分は何故、ヤツハの求めに応じたのか。
「あな、たに……」
書が、光へと解けていく。
ユリナの中に、溶け込んでいく。
枯れ果てた身体に水が巡るように。
今のユリナに相応しき力が、応えるように。
もう朽ちるだけだった身体を潤すひとしずく。これがきっと、ユリナに残された最後の力。
けれど、答えが出たのなら。
為すべきことが、分かっているのなら。
「あなたに、伝えたい……言葉が、あるからっ……!」
書が、新たにユリナの手の中に生まれ出る。言葉の力の顕現たるそれは、もはや借り物などではない。
身体の内から湧き出る力にして、胸の奥から生まれる言霊。
ここにあってここにない者に訴えかけるための、心の形。
そしてユリナは立ち上がり、その身を賭して全霊を呼び起こす。広げられた書面が、桜色に煌めいていく。
彼女の主張を遮る者はいない。
煙に巻くのが得意な大嘘つきは、もう口すらろくに回らない。
それでも地を這い、手を伸ばしてくるレンリの顔が、ありありと青ざめている。
「だ、め……やだっ……! 私の――」
もがき、あがき、首を横に振る彼女の弁舌は軽く、それでいて重い。
だが、ユリナがそれに耳を貸している暇はない。
嘘に踊らされず、偽りに惑わされなかった心を。
自分の、ありったけを――
「届けぇぇぇぇぇぇっ!」

桜花の極光が、奔流となって書から放たれた。メグミから放たれる輝きと相まって、終局の戦場が目を焼かんばかりの眩さに包まれる。
それは大いなる道を渡すかのように、ヤツハとメグミを呑み込む。
言葉と想いを載せて、その先へと届けるために。
計算通り……だなんて、口が裂けても言えませんね。
むしろ想定外、そして望外とすら言えます。
本当ですよ。私はあれと違って正直者で通っていますから。
あれ、と言えば、ようやっと素顔が垣間見えたように感じます。
しかし……あの力の源泉が、仮にあるとすれば……、
……いえ、それを考えるべき時ではありませんね。
今は然るべき態度にて、宿敵を称えるとしましょう。
ふふ……、これからの戦いが容易くなるか、苦しくなるか全く読めません。
根ではなく、枝葉が似通ってくれれば有難かったのですけれどねぇ。

突如として光に塗りつぶされていく視界に、膝をついていたヤツハは最初死を覚悟したものだったが、それはすぐに困惑へと変わっていった。
冷静になってみれば、この光に害意はなく、むしろヤツハを助けるような意思をありありと感じられる。ただ、目の前で彼女にとどめを刺そうとしているメグミも、同様に光に呑まれていながら無傷のようで、分かりやすい起死回生の一手でないことも明らかだ。
けれど、最後の一撃に水を注されてなお、メグミの顔に抵抗の色は見られない。
彼女が何を想っているかまでは分からない。しかし、自分と近い感覚を覚えているのかもしれないと、ヤツハは直感した。
「あぁ……」
この光の奔流は、誰かを傷つけるための輝きではない。どちらかが倒れることを望む煌めきでもない。
想いを載せ、声の届かないどこかへと言葉を伝える、意思の眩さに満ちた風のよう。
この戦いを直接終わらせるものではないだろうと思っているのに、どうしてかこれが、より良い結末への道標のような気がしてならなかった。
やがて、メグミの身体の奥から、想いの光に応えるようにさらなる煌きが湧き出してくる。感化されたかのように、そこに刺々しいほどの害意はなかった。
光が、二柱を包む。想いと共に、どこかへ吹き抜けようとしている。
儚い夜陰が消え失せていく視界の端で、今にも朽ちようとしているレンリが、亡者のように手を伸ばしていた。絶望に彩られ、執着に蝕まれ、それでも諦観により生気が奪い去られたような、筆舌に尽くしがたい顔を晒していた。
「私、の……えい……ゆ――」
呪いじみた悲嘆を最後まで聞くことはなかった。
ひときわ激しくなった白光が目を焼く。思わず目を瞑り、音までもが霞んでいく。
すぐに光に押し流されるような浮遊感がやってきて、夜の冷ややかな空気も遠くなり、土の匂いも、あるいは戦場の嫌な静けさすらも、手の届かないところへ行ってしまった。
少しの間そうして身を委ねていると、仄かな暖かさが意識に呼びかけてきた。瞼の向こうには、淡い灯が待っているようだった。
恐る恐る開いた目に飛び込んでくるのは、桜の色彩。立ち並ぶ巨樹が、自分が小さくなってしまったのかと錯覚させる。
空間に満たされた霞は、砕けた桜花結晶の輝きが大気に散りばめられたかのようで、見通せぬ果てまでずっと続いている。ヤツハが立っているのはどうやら巨大な枝のようであり、傍にはひときわ立派な幹たちが天まで伸びていた。
不思議な場所は、カナヱの空間をどこか想起させながら、もっと根源的な気配に包まれている。
対極的な光景なのに、神秘的な雰囲気はどこか徒寄花の世界に重なるところがある。
つまり、ここは、
「桜の……」
クルルたちの前で拒絶された、神座桜の世界。メガミのおわす地。
あのとき辿り着けなかった場所に今、ヤツハは足を踏み入れている。
けれど、突然桜のほうから胸襟を開いてくれただなんて思わなかった。辺りに漂う仄かな光が、ヤツハを蝕むように包み続けている。徒寄花の世界で感じたような、極度の威圧感こそ潜められているものの、自分が望まれぬ来訪者であるかのような居心地の悪さは否めない。
元より敵意を向けられていたのだから、それくらいで折れることはない。
いわば勝手にメガミを名乗ったのだから、不快感を示されても当然だ。
しかし、神座桜は拒絶しなかった。誰かの訴えを受け入れたからだとしても、耳を傾けることくらいは許してくれた。
だからこそ、今ここで、意思を示さなければならない。
徒寄花を鎮めたところで、神座桜が認めなければ、結局未来はないのだから。
そのための相手は分かっている。
大自然の奉仕者が問い、生死を司る刃が命運を接ぎ、桜の代弁者に選ばれた少女。
メガミ・メグミ。
「…………」
じ、と同じ枝の上で、当たり前のように対峙していた彼女と遠く視線を交わす。
彼女が発する輝きは、周囲の光と同調するように鼓動している。全身に咲き誇る桜の花弁は留まるところを知らず、携えた唐竿には青々しい蔦が巻き付き、神聖なる儀式へと臨むための豊穣の杖となる。
静かに構えるメグミに、息を整え、相向かう。互いに絞り出せる余力もあと僅か、気力が前へと向かわせる。
メグミの瞳は桜光に染まりながら、彼女自身の確固たる意思もまた強かに花咲いていた。
その双肩に役割や立場を背負ってなお、彼女は自らの意思で相対を望んでいる。
果たし合いを超えた、最後の交錯を。
命運を、果たすために。
「――行きます」
「うん――」
踏み出したヤツハに、メグミの足元で緑が繁茂する。瞬く間に育った大輪の花が、圧縮された空気の弾丸をすぐさま放つ。
対し、間合いを駆け抜けるヤツハの意思に内なる力が呼応し、迎撃は彼女の背後へ抜けていく。メグミはそれに小手先を捨て去ったのか、一歩踏むごとに新緑の足跡を刻みながら、痛烈な打擲を叩き込もうと前を望む。
右腕が罅割れ、左脚が砕け、ヤツハの胴に見えるは深淵なる星空。
彼女の内側から桜の世界を垣間見た者たちが、鉤爪となり、大顎となり、ヤツハの身体の至るところから顔を出す。溢れ出る星空は四肢の在り処をも覆い隠し、メグミとは対照的な、暴虐の園の依代となる。
こんな姿、怪物以外に一体何と呼べばいいのか。
これは真実、怪物の物語であり、ヤツハという存在は間違いなく奇怪な怪物だった。
しかし、だからといって、世界の敵である必要なんてなかった。
かつて彼女が恐れた、鏡に映る自分なんて――鏡の悪魔なんて、どこにもいなかった。本当の怪物の心の裏はうらもなし。英雄に挑む怪物が、破滅を望んでいるだなんて限らない。
だからヤツハは、怪物の力を全霊で発揮する。
メガミ・ヤツハの全てを見せて、伝えるために。
メグミへ。
そして、その奥にある、より大きな存在へ。
「あなたに、伝えたい……想いが、あるからっ!」
全身を……ヤツハの周囲を、湧き出た星空が包んでいく。大地を覆い隠す広大な夜空の権化となって、小さな願いへと手を伸ばす。
暗闇に眠る怪物だって、一粒の星だって、陽の下に出たい。
愛する大地を、大切な友と歩きたい。
一人の、民として。
何も飾らない最後の一撃を携え、地を蹴った。
メグミもまたそれに応え、太陽のように輝く豊穣の顕現を振りかぶる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

直後、ドッ! と。
衝撃が腹を打ち据える。
眩い桜の光と、鮮やかなる星空の光が、桜一色の景色に明暗の衝突を作り出す。それぞれたった一つの人の形から、果てなき空間を染め上げんばかりの色彩が迸る。
奔流を押し上げるように、咆哮は続く。あらん限りの力を注ぎ、それでもなお己と通さんとする魂が、気力の一片でも上回ろうともがいている。
境界を生む二つの彩度は、昼夜のあわいのよう。
しかしそれは徐々に宵の如く星空が押し、メグミの唐竿が暴れ出す。
「くぅぅおぉぉぉぉぉッッ!」
食いしばった彼女の叫びが僅かに押し返すが、それはほんの一瞬の出来事。
押し負けて芯のずれた衝突が、限界を迎えて破裂する。
世界を塗りつぶさんとしていた膨大な力が、ヤツハとメグミに襲いかかる。
「がっ――かぁっ……!」
猛烈な勢いで弾かれたヤツハが、背後の幹に打ち付けられた。飛びそうになる意識をどうにか保った彼女は、ずるりと落ちながら、反対側の幹にメグミの姿を認めた。
最後の一滴まで出し切った直後で、首を動かすことすら億劫だ。
けれどもう、立ち上がる必要はなかった。
「あ……」
ぐったりと力なく幹に背を預けたメグミの胸元から、鮮やかな光が迸る。
とても悔しそうなのに、安堵したようでいて、どこか遠く彼方を見つめる彼女の身体が、次第に光へと解けていく。足跡に芽生えた草木も、咲き誇っていた花弁もさらさらと砕け、胸から立ち上る光へと還っていく。
やがて彼女の胴のほとんどが崩れると、そこにあったのは輝ける小さな枝だった。まるで、メグミという存在と、彼女が背負った数多の想いが、神座桜へと接ぎ木されていくかのようだった。
最後に、ひときわ強い輝きが根を下ろし、少女の形が失われていく。
向こう側からやってきた彼女が、真なる意味でこの地へと辿り着いたかのように。
そして光はゆっくりと納まり、若々しい枝だけが、力強く天を指す。
ヤツハはこの場所に一柱、大樹に背中を預けたまま残された。
数刻ぶりの静寂が、いっそ心地よい。
「あぁ……」
小さな小さな微笑みが、疲れ切った顔に浮かんだ。
ここが居心地が悪いだなんてとんでもない。
燻った仄明かりが、どこか温かい。春の陽気とまではいかないけれど、冷え冷えとしたあの害意を思えば、雪解けをもたらしてくれるようなぬくもりがそこにはあった。
震える手を胸に当てる。
想起してきた時間は――ヤツハの辿った歩みは、そして今へと結ばれる。
彼女にとっての、桜降る代へ。


――そして物語の結びに、これからのことを語ろう
