八葉鏡の徒桜

エピソード10−2:彼女を映す鏡

 

 瞼越しに目を焼いていた輝きが、優しく、仄かに落ち着いていった。

 凶刃を目の前にしながら目をつむっていたヤツハは、死闘の最中らしからぬ己の愚行に気づいて慌てて視界を取り戻した。

 しかし、彼女の前に広がっていたのは、戦場ではなかった。

 

「あ、れ……」

 

 淡い金色の光が、天から降り注ぐ。薄明というには明るすぎ、月光などであるはずもない。しかし南天の太陽に照らされたというには優しい明るさで、まるで人の手で誂えられたかのようだ。

 薄靄の漂うこの場所に地平はなく、元より彼方まで続く大地が存在しなかった。ヤツハが今足を着けている荒削りな石畳が、真ん中から十歩もしないうちの距離で途切れているのだ。猫の額ほどの地面が、水中に漂っているかのようにこの空間に浮かんでいるのである。

 

 そして、ヤツハのいる陸地は、数多あるそれの一つでしかなかった。

 どれもこれもが古めかしく、苔むしているものすらある。形を保っていられなかった建物の欠片もまた揺蕩っており、自分の時代での役目を終えたものたちが時の狭間で静かに眠りについているかのようである。

 

「えっと……」

 

 ぱちくりと、突如移り変わった風景に目を丸くする。

 ただ、ヤツハは理解の及んでいない状況に困惑しているものの、不安を掻き立てられることはなかった。

 

 一つは、今まで浴びせられていた敵意から解放されたこと。

 相対していた鎖鎌のメガミと簪のメガミの姿はない。メグミやカムヰ、レンリといった、特にヤツハを敵視してきた者たちもまた、影も形もなかった。

 一方で、他の陸地に見えるのは共に抗うメガミたち。

 

「おーい、ヤツハぁーっ!」

 

 少し下のほうから、ハツミが安堵した様子でこちらに手を振っていた。その近くでは、クルルが何かを測るように空を見つめていた。

 助太刀してくれたユリナとウツロもまた共に連れてこられたようで、構えこそ解いているものの変化した状況を注意深く観察している。彼女たちより警戒の色が強いのは、屋敷にて攻防を繰り広げていたであろうトコヨとサイネ、ミズキである。

 

 最も落ち着いていそうなのは、カナヱの協力者であったシンラだろう。しかし、顎に指を当てて微笑みながら黙考するその内心は、ヤツハには量りきれない。

 皆、自分たちが戦場から切り離されたところまでは理解しているようだ。そして誰にとっても未知の場所であることもまた確からしい。警戒する者がいて当然だ。レンリたちが常識外れの人海戦術を展開してきた後で、もはや何を仕掛けられても不思議ではない。

 

 けれどヤツハは、理性より先に、直感の訴えに納得していた。

 もう一つ、この場を受け入れられる理由。

 満ちる力にも、歴史を感じさせる風景にも、面影を見出してならない。

 そう、不思議なことに、この空間からはカナヱに抱いたものと同じ印象を受けるのだ。

 

「ここって……」

 

 これは、カナヱが生み出した空間。顕現体を砕いてまで招いた、舞台の幕間。

 ここから元の戦場のことまでは分からないし、外に出たらどうなるのかも分からない。カナヱがヤツハたちをただ別の場所へ逃したようには思えなかったが、だとしても敵から身を隠して一息つけるだけでも慈雨のようである。

 カナヱの献身は、犠牲と言えば胸が痛む。だが、そうするだけの価値があるから、カナヱは決断し、実行に移したのだ。まるで、希望を繋ぐように。

 

 ヤツハは、全身に咲かせていた花を身体に取り込むように散らせた。肌に走った罅から溢れ出していた、星空色の怪物も一度引っ込める。

 呆然と辺りを眺め、託されたものの意味を探る。

 そんなときだ。

 キンッ! と甲高い剣戟の音が耳を打った。

 

「……!」

 

 すわ敵が乗り込んできたのかと背筋が粟立つ。

 しかし、音の源を辿ったヤツハは、それが杞憂だと理解した。

 戦っていたのは人の虚像だ。金色の光が絡み合い、色を生み、結ばれた鮮やかな幻像が二人で刃を交わし合っていた。実体はそこにないと頭では分かっているのに、ふとしたきっかけで鍔迫り合いのままこちらになだれ込んできそうな臨場感がある。

気づけば、戦う幻影はそれだけではなくなっていた。

 両手で数え切れないほどの熱戦が、色とりどりに咲き乱れる。

 

 ある戦いの中では、扇を構えたミコトが舞い踊り、大胆不敵に間合いを詰めていた。しかしその流麗な動きは周囲に風を生み、整然と細かい桜花結晶が弄ばれることで無数の細い糸を幻視させる。その中には鋭利な鋼鉄の糸が紛れ込んでおり、綺羅びやかな所作が罠を巡らせる忍の技巧を覆い隠した。

 一方、隣の幻影たちが繰り広げるのは鮮烈な焔の弾幕だ。急速に間合いを詰めてきた相手をいなし、爆発の勢いでもって距離を離したミコトの手には二丁の銃。次々と繰り出す銃撃の最後は、もはや砲撃と見紛う特大の炎弾であり、その飛跡と相手を激しく燃え上がらせる。

 

 別の舞台からは、身体の芯に響く音が一つ。風に遊びミコトの盾となった水晶は、連撃への道標だ。八相の構えより続けざまに振るわれる薙刀は、雷を纏い、相手を疾く穿つ。反撃させじと前を望んだ道筋に風雷が暴れ、千千と散らせた相手の結晶が弄ばれる。

 だが、そのミコトが風雷の使徒とすれば、相手のミコトは桜吹雪かせる導き手だ。桜に染まった旗を振るい、失われた結晶を己の周囲に招いたかと思えば、遮った視界の裏から飛び出すのは桜花の光条と鎖で柄の伸びる番傘だ。その番傘を引き戻す最中に開かせ、結晶の流れを望むがままに操り、瞬く間に堅固なる守りを取り戻した。

 

「決闘……」

 

 普段ミコトを見守る神座桜がないだけで、これはまさしく桜花決闘の情景に他ならない。それも、幻影の誰もが達人と呼ぶべき腕前を誇っていた。

 彼らの強さは、嗜み程度には決闘に取り組んできたと自負するヤツハにも理解できる。師たちが強者であり、メガミですらあったのだから尚の事だ。磨き上げられた立ち回りは十手先をも見通すが如く、決闘への真摯な想いと信念もまた幻像とて強かに伝わってくる。

 

 今自分が置かれている状況も忘れ、ヤツハは感じ入るようにそれらの戦いを見つめていた。

 一手繰り出されれば、胸が高鳴る。

 応手が成されれば、手に汗握る。

 熱気が、奥底から湧き上がってくる。

 

「これ、桜花決闘の大会だ……」

 

 ぽつりと、観客から声が漏れる。背後の陸にいたユリナの声だ。

 彼女の声は、やがて理解が実感に置き換わっていったように跳ねていった。

 

「す、凄いっ! わたしの知らないところで、こんな大会が開かれてたなんて……ずるい! ずるいです!」

 

 きっと、目を爛々と輝かせているのだろう。見なくてもありありと分かる。

 ユリナはそれから、時折抑えきれなかったかのように決闘の光景に声を上げていたが、ヤツハの耳からは半分も通り抜けていった。

 今、自分の目の前でこの景色が広がっている理由。

 カナヱがこれを用意したのは間違いない。しかし、それは在りし日の光景を映し出すだけではなく、この大会そのものをカナヱが主導していたのではないかという、胸にすとんと落ちてくるような予感があった。

 

 手間をかけ、犠牲を払ってでも、カナヱはこの光景を届けた。

 その先にあるものが何なのか、ヤツハは数々の熱戦に感じ入っている自分の中に……あるいはすぐ傍に答えがあるような気がしてならなかった。

 次々と戦況の移り変わる決闘を、背中を押されたように眺めて回った。

 

 そして、見つけた。

 自分だ。

 自分ではない自分が、そこにはいた。

 

「あ……」

 

 鍔迫り合いを演じていた金色の爪を引き剥がす、薙刀使いのミコト。追いすがる相手にはけれど今までの身体が幻影と化し、意表を突かれたその姿が鏡に映し出される。鏡面から這い出した怪物がミコトを喰らい、間合いをさらに変幻自在とすべく、巧みに取り回した薙刀の石突きが逆襲に踏み出す相手へ選択を迫る。

 反対側へと振り返れば、番傘を手にしたミコトが舞台を駆け抜ける。踏み込んだ間合いを確かに己のものとするように苦無を放ち、夜に溶けるような外套を翻す。相手を覆い隠すように肉薄した傍らで鏡が煌めき、相手の隙を今か今かと待ちわびる怪物の触腕が鏡面に蠢いていた。

 

 聞いて、知ってはいた。けれど、今まで会ったことはなかった。見たことさえなかった。

 だが、実感を纏った幻像が、我ここにありと叫んでいる。

 自分の力が桜花決闘で振るわれているという、単純な事実を超えた何かがそこにはあった。

 それを意識したとき、脳裏に一片の言葉が過ぎる。

 

『君はメガミじゃなくても、メガミだ』

 

 答えは、もう貰っていた。ここに送り出したカナヱは、とうに伝えていた。

 ヤツハという名の少女は何者であるのか、と。

 

 昔、北限の番人に告げられた。貴様はメガミではないのか、と。

 探究の輩に結論を下された。あなたはメガミではありえない、と。

 決闘の師たる宮司に諭された。君はメガミであってもよいのだ、と。

 母なる寄花は叫んでいた。我々はメガミに滅ぼされるのだ、と。

 そして、追われ、殺されようとしている。お前はメガミに仇成す存在なのだから、と。

 

 そのどれもが、ヤツハに向けられたもの。

 しかし、ヤツハの力を使うミコトたちは、信念を燃す背中で語っていた。

 己は、これでこそ最高の一戦を演じられるのだと。

 自分の信じた、メガミの力と共に。

 メガミ・ヤツハと共に。

 

「私は……メガミ……?」

 

 いつしか名乗れなくなった肩書を、自分自身に問いかけ直す。

 後ろめたさはまだある。けれど、自分から呑み込んでしまうほどではない。

 

「メガミ・ヤツハ」

 

 ちょっとの冒険心で、口にしてみる。

 その言葉は当たり前のように羽ばたいていって、メガミたちが見入る桜花決闘の光景に、するりと溶けていった。

 そうしたら、ヤツハの目に映るものが変わった気がした。

 世界が、色づいて見える。

 

「あ……」

 

 もしかしたら元々こんな色だったのかもしれない。

 自分が、色を見ようとしなかっただけ。

 灰色なのだと、目を逸らしていただけ。

 達人たちの決闘は、ますます鮮やかに。惜しげもなく染料を使ったかのように、華やかに。一つ一つの動きが、焼き付くほどの克明さで目に映る。

 

 気づけばその色彩が、水を落としたように滲んでいる。

 けれど、ヤツハにはそんなことはどうでもよかった。

 もっとよく見たい。

 もっと見ていたい。

 

「っ……!」

 

 万感を噛み締め、瞬き一つ、鮮明さが蘇る。

 灰色の景色は、もうどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 鯉口を切ったままの斬華一閃が、ユリナの腰で揺れていた。

 次々と起こる不可解な現象に対し、巻き込まれたメガミたちは気を張っている者が大半だった。熱い決闘を見せられて思わず色々と口走ったユリナであったが、傍らのウツロに苦笑いされずとも、警戒心までは忘れていない。

 

 しかし、ユリナを始め、メガミたちは結果として静観を選んだ。

 感極まった様子のヤツハだけが、現れた幻影の意味を受け止めている。

 そんな彼女を今は見守るべきだと、ユリナは努めて沈黙を保っていた。他のメガミも同じ結論に至ったのか、話すべきことは色々あるはずなのに、未知の空間には鎬を削る響きだけがこだましていた。

 

「あっ……」

 

 やがて、幻影は光に解け、色と形を失い、消えていった。思わず手を伸ばしかける。

 どの戦いにも決着はついておらず、勝敗を分かつ息苦しいほどの攻防がこれから描かれるはずだった。

 だが、視界の端に陰りが生まれたことに気づき、ユリナは納得する。塗りつぶされたような黒ではなく、夜闇の紺が空間の端から少しずつ迫ってきている。無限にも思えたこの場所が、早くも崩れかかっているのだ。

 

 食い入るように決闘を見つめていたヤツハは、突然の閉幕に呆然としている。

 どうしたものか逡巡したユリナは、感情に従うことに決めた。

 

「……桜花決闘って……すごいですよね!」

「えっ――」

 

 一瞬、自分に向けられた声だと気づかなかったようで、はっと我に返るヤツハ。

 ぱちくりと目を瞬かせていた彼女は、遅れて何を問われたのか理解し、淀みなく答えた。

 

「……はいっ!」

 

 日向に楚々と咲く花のような笑顔。

 瑞泉で出会ったときのヤツハが戻ってきたのだと、ユリナもつられて微笑んだ。久々の再会は死闘の最中だったということもあって、ヤツハは今にも消え入りそうな表情をしていたけれど、桜花決闘を好きだと言ってくれた彼女にそんな顔は似合わない。

 ヤツハが涙の跡を拭っていると、一段落したと見たか、足場が近づいたところを見計らってクルルが飛び移っていった。

 

「やっつはーん!」

「わっ……」

 

 勢い余ったクルルをヤツハが受け止める。

 それからクルルは、感無量と言った様子で、ヤツハの名前を連呼しながら手を取ってぶんぶんと振っていた。

 

「やっつはん! やっつはん!」

「ちょっとクルル! ヤツハが困っちゃうでしょうが」

 

 遅れて乗り移ってきたハツミが、仕方なさそうに苦笑いしている。その口元は、抑えきれずに緩んでいた。

 一緒に旅をしてきた友達。壁を超えてなお共にある親友。

 苦境の中、ようやく友ときちんと触れ合えたヤツハは、この景色を確かめるように二柱の姿を何度も代わる代わる見た。

 こみ上げるものをこらえながら、彼女は告げる。

 

「私も……居たいです。くるるんさんとハツミさんと一緒に、ここに居たいですっ!」

 

 それはきっと、ここにはない願いへの答え。

 この三柱だけが分かり合える、友の望み。

 ふと、ユリナが袖を引かれた気がして見てみると、ウツロが端のほうを小さく摘んでいた。口を挟まず、今もヤツハたちを見守り続けるウツロの肩に、ユリナはそっと手を置いた。

 

 ただ、ユリナとてこの光景が諸手を挙げて歓迎されるものではないと理解している。

 ヤツハたちを挟んで反対側で漂っていた陸で、シンラが隣にいたトコヨに、口火を切れとばかりに目で促していた。しかし、眉を顰めたトコヨに肘で小突かれ、仕方なさそうに苦笑いしていた。

 そもそも何故このような状況に陥ったのか。

 シンラが改めて、その問題を問い直す。

 

「即ち……徒寄花のために戦い、神座桜を滅ぼすということでしょうか」

 

 糾弾というほどの鋭さはなく、ある程度答えが分かっているような声色だった。

 それでも、問われたヤツハの表情が真剣さを帯びる。自分と、友と、愛する大地の運命を定める問いに、正しく向き合わなければならないとでも言うように。

 クルルから手を離し、ヤツハはシンラを確かに見返した。

 そして、はっきりと答えた。

 

「いいえ」

 

 と。

 明確な意思を持った、確固たる否定だった。追及を逃れるために誤魔化しているなどと、一体誰が思えるのか……それほどに明瞭な答えだった。

 彼女は続けて、本意を説いていく。

 世界の終わりなんて望まないのだと。

 

「私が居たいのは、今の桜降る代です。私が好きになった、この桜降る代なんです」

「…………」

「許されるかは分かりません。それでも、自分のココロに従うなら……私はここで、メガミでいたい。素敵な世界をもっと見てみたい! ……ううん、もっと色んなことを、たっくさんやってみたいっ!」

 

 発露した感情が、金色の空に響き渡った。

 彼女自身でも、今まで心の奥底に無理やりしまい込んでいたのだろう。重い重い蓋をこじ開け、抑圧されていたそれを解き放った彼女からは、ありもしない童心すらも窺わせる。

 ヤツハは真剣に、本音を叫んだのだ。

 彼女のことを誰が何と言おうと消えることのなかった、その想いを。

 

「あんたがそうあってくれるのは、有り難くはあるわ」

 

 どこか呆れたように肩を竦めたトコヨは、それでも満足げな微笑みを浮かべていた。

 

「あたしも、細音やコダマも、あんたや徒寄花が滅んだらどうなるか分からないもの。そこの二人はなおさらね。あたしたちよりももっと、あんたらに近づいていそうだし。一蓮托生の相手に悪意がないことは何よりだわ」

「そんなの、当たり前じゃあないですか……」

 

 閉じた扇で指されていたハツミは、しかし擁護に力がない。聡明な彼女は、意思の問題だけでは話は終わらないと既に理解しているようだった。

 現実は、無責任な願いだけでは変わらない。

 はっきりと意思と告げてくれたヤツハに、シンラは飾ることのない反論を投げかける。

 

「ええ……それは、我儘でしかありません」

 

 だが、ヤツハが怯むことはなかった。

 胸に想いを、瞳に覚悟を。

 零れた涙は儚さではなく、ゆっくりと舞い散る雫は華々しくさえある。

 もはやヤツハは、自分を探していたあの頃の彼女ではない。

 全てを受け入れ、それでもなお自ら前に進むことを選んだ者は、強い。

 

「……はい。だから――」

 

 一度区切り、思い馳せるように目を閉じる。

 脳裏に浮べた数々の言葉に、もう一度後押しをしてもらっているように。

 やがて開いたヤツハの眼差しには、一切の迷いも曇りもなく。

 最後の決意を込めた宣言が、彼女の口から放たれた。

 

「私が、徒寄花を止めます」

 

 

 

 

 

 数多の視線が突き刺さる。古鷹に来てからヤツハはずっとこんな調子だ。

 けれど、覚悟を告げた自分を見る双眸に二つ、温かいものがある。それだけで、前より頑張れる気がした。

 

「具体的には?」

 

 刹那の沈黙の後、反芻するように訊ねたのはシンラだ。

 微笑みを湛え、考えの読めない彼女を前に、うまく議論を進められる自信はヤツハにはなかった。徐々に迫っている宵闇に、それこそ時間の猶予がないことも分かっていた。

 少し考えを整理したヤツハは、最初に語りかける相手に目を配った。

 すなわち、トコヨを始めとした、隠れ家で共に過ごしたメガミたちである。

 

「……ごめんなさい。隠していたことがありました」

 

 糾弾の眼差しもなければ、驚きさえなかった。トコヨたちは静かに、先を促している。

 かつては、シンラの力に抗ってでも秘した事実。だが、もはや取り繕う必要などない。

 

「この歴史の徒寄花は、とても弱っています。ここにいる皆さんが力を尽くせば、滅ぼせてしまえそうなほどに……」

「……なるほど、そういうことか。いいわ、続けて」

 

 トコヨが得心したしように頷く。この場で驚きを露わにしているのはユリナとウツロくらいなもので、冷静に受け止めてくれた皆がありがたかった。

 

「徒寄花の世界では、蔦が鏡に絡みついて、その鏡の力で怪物を呼び寄せていました。おそらくは、向こう側の歴史から」

「私たちが戦った怪物がそれですか」

 

 サイネが半ば独り言のように追認する。

 ヤツハはそれを受けて、

 

「……だけどそれは、縋っているようでもありました。苦境に立たされたこちらの徒寄花が、神座桜に勝った向こう側の徒寄花に。それを叶えるこの鏡が、最後の希望なんです。異なる歴史を繋ぐ、カナヱさんのこの鏡……」

 

 顕現させた鏡を、抱きしめるように引き寄せる。

 己の核であったこの鏡は、自分たちのものではなかった。

 それに思うところはもちろんある。だが、そのせいで立ち止まることをカナヱ自身が望んでいないこともまた、彼女のぬくもりとこの空間を通じて教えられてしまった。

 

 カナヱは鏡を取り返そうとするどころか、ヤツハに託しさえした。

 だからこそ、繋がるヤツハ自身の希望がある。

 

「私は、徒寄花が鏡から生み出した存在……だけど、それだけじゃない。徒寄花もまた、私が必要なんです。必要とされたから、鏡のメガミとして生まれたんです」

 

 徒寄花自身がただ鏡を使って終わりなのだとしたら、ヤツハの存在理由は実に乏しくなる。桜降る代侵略の斥候が欲しいだけだったら、わざわざ大事な鏡を元にする必要もないし、メガミを模す必要すら疑問だ。

 しかし、ヤツハはその必要性に思い至っていた。

 この鏡の力は、最古に数えられるほどのメガミが持っていた強大な力なのだから。

 

「なるほど……貴方は御者であったと」

 

 ヤツハの言わんとしていることに納得したのか、シンラが考えを口にしていく。

 

「鏡の強大な力を部分的に逃して、暴走を防ぐ。安全に制御するため、担い手に意思を持たせる。元々は桜の力の一端だったわけですから、メガミをお手本にしたもの頷ける……通る理屈ではありますね」

「はい、推測ではありますが」

「あとは御者として、慌てて手綱を振り回す商人を嗜められればそれでよし、といったところでしょうか。そのまま進んでも良いことは何もない、と」

 

 ただ、話の筋道を確認したシンラに、疑問が一つ割り込む。

 小さく手を掲げるのはミズキだ。

 

「理屈は分かりましたが、実際にはヤツハの意思にかかわらず、徒寄花は鏡の力を振り回しているわけでございましょう? 本当に権能の要足り得るのか、まだ疑問が残りますの」

「その辺りは……そうですね、徒寄花が模倣したであろう、我々と桜の間に好例があると考えています」

 

 そう言うとシンラは、目線でウツロを示した。

 突然話題に上げられて動揺するウツロをよそに、ミズキは納得の声を上げていた。

 

「あぁ、ウツロさんの封印……!」

「そうです。塵化という神座桜の存続にすら関わる権能であっても、ウツロに強力な封印が施されていた間、桜が自ら発揮することはありませんでした」

「分化したとはいえ、最古の権能ですもの、強大さはカナヱさんの鏡と同等……そうか、それがカムヰにも当てはまるのなら非常に納得がいきますの。メガミの誕生にまつわる権能だなんて、それこそカムヰ本人を生んだであろう桜自身が持ち続けていればいいわけですし」

 

 ミズキが唱えた説に、シンラが笑みを深めた。

 

「確かに、妥当な推測です。そうなっただけの要因と意思の介在を感じますね」

「それだけではありませんの。権能が使えなくなる状況と言えば、二十年前にそこのお馬鹿のせいで、ミコトがメガミの力を宿せなくなっていたはずですの」

 

 非難めいてはいなかったが、ミズキの眼差しはクルルを指している。

 ミズキは組み上がっていく論理を続けて口にする。

 

「メガミ側に不備があれば、権能の行使には支障が出る……桜花決闘の仕組みも、役者は違えど、似たような話ではございません?」

「なるほど……メガミの方に許しを与える権限がある点こそ違いますが、実に興味深い」」

「ヤツハの意思で権能を取り上げられたら、話は簡単でしたのにね」

「しかしこれで、ヤツハが権能の要だという説は確かに補強されたように思います」

 

 自分の疑問から生まれた議論の終着点に、ミズキは手応えを得たように頷いた。

 意見を交わし終えたシンラは、

 

「あとは……大本である、徒寄花衰弱の真偽ですが――」

 

 次の論点に移ろうとしたところで、クルルが噛みつかんばかりに反論してきた。

 

「それは本当ですぅ! くるるんが徒寄花に神渉したときの力の流れから、ぜっっっったい明らかですぅ!」

「ふふ……ええ、いまさらそれは無粋でしたね」

 

 それはヤツハとクルルへの信頼か、それとも自説への確信か。

 ただ、シンラが全てを理屈で考えていたとしても、ヤツハたちの想いとその結果の行動も勘定に入っているに違いなかった。きっと、彼女の中ではもう線が繋がっていたのだろう。でなければ、シンラは権能を使って嘘を暴こうとしたはずなのだから。

 

 シンラがヤツハに向き直り、つられて皆の視線が集まってくる。

 衆目の中、ヤツハは求められているものを理解し、心のままに吐き出していく。

 その想いの向かう先は何なのか。

 

「だから……私が直接、徒寄花に語りかけます。私が、桜降る代に居るために! 私は、桜降る代に居たいからっ……!」

 

 我儘なのは分かっている。

 困難なことも分かっている。

 誰かにとっての願いが、既に道を閉ざそうとしていることも、痛いほどに。

 それでも、不確かな選択肢を掴み取るだけの想いが、彼女を立ち上がらせた。

 ヤツハ一人のものだけではない、想いが。

 

「そのためには、もう一度北限に行かないといけません。この戦いを、乗り越えないといけません」

 

 確固たる決意と覚悟を胸に、集った皆を真っ直ぐに見渡す。

 そして、胸に手を当て、じっくりと噛みしめるように告げた。

 

「……だから、お願いです。私に、力を貸してください」

 

 頭は、下げなかった。顔を伏せ、目を背けるほうが不誠実な気がした。

 助けてとも言わなかったし、各々の事情に言及もしなかった。

 理屈はあっても、これは交渉などではない。

 ただ自分がそうしてほしいだけ。それがいいと思っただけ。ともすれば身勝手や無責任と謗られる願望であっても、それを貫く姿勢を見せただけ。ヤツハからの見返りなんて、徒寄花がおとなしくなるかもしれないという不確実な結末しかない。

 

 それでも、背中を押してくれませんか、と。

 闇に呑まれた道を照らしてくれませんか、と。

 この想いの灯火が少しでも燃え移ってくれたのなら、必ず見つけられるはずなのだから。

 一色たりとも欠けることのない、鮮やかな未来を。

 

「もちろんですよ! 騙り手がなんだ、やったろうじゃないですか!」

 

 真っ先に声を挙げてくれたのはハツミだった。

 櫂を打ち付け、鼓舞するように力強い笑みを作る。

 

「ヤツハには、いつだってあたしがついてますから」

「おぅおぅ、くるるんもとーぜん、一緒に戦いますよぉ! とりあえず殺すだなんて、野蛮なヒトにはお仕置きしなくちゃです」

 

 窮地に駆けつけてくれた二柱は、わざわざお願いされるまでもないと息巻いている。

 ただ、彼女たちは友情の名の下に轡を並べてくれる友だ。

 そうでない者たちが多数派であるこの場で、次に手を挙げたのはミズキだった。

 

「わたくしも加勢致しますの」

「ミズキさん……!」

「コダマのため、という道理こそありますが……それよりもヤツハ、貴女がかつてのような純心を抱き続けてくれていたことが、わたくしには何より喜ばしいですの。一度、わたくしの力は貴女を守ったんですもの、この窮状で力と成らずなんとしましょう」

 

 桜花決闘で力を貸してくれた、旅の道中を思い出す。ヤツハが自分の力と本格的に向き合うきっかけになった決闘だ。

 あれがなければ、今のヤツハはなかった。遅かれ早かれ徒神として命を狙われただろうが、自分が自分で在り続けることはきっとできなかっただろう。

 

「それで、同じく徒神の問題を抱えるお二人は?」

 

 ミズキが水を向ける先は、苦笑いを漏らすトコヨとサイネだ。

 

「あー、はいはい、分かってるわよ。さっきも言ったけど、あたしたちはヤツハと徒寄花にまだ死なれちゃ困るもの。向こうはそもそも対話する気なさそうだし、まずこの場は生きて切り抜けないとね。その後で色々試せばいいわ」

「最悪、顕現体の破壊で済ませられれば、存在を繋ぐことはできます。この先に希望があるというのなら、やりようがあるというものです」

 

 元より覚悟を決めていたらしき二柱が、揃って肩をすくめていた。滅びを知ることしかできなかった彼女たちにとって、ヤツハの想いはたとえ夜空の輝きの一粒でしかなくても、寄る辺足り得たに違いなかった。

 そして残るは、徒神以外のメガミたち。

 めいめいに視線が集まる中、

 

「……あなたが徒神なのは、変わらない」

 

 ぽつりと、ウツロが零した。それは、ヤツハが直接口にしなかった懸念だ。

 ウツロは感情の見えない眼差しをヤツハに向ける。

 

「ずっと、メグミたちは受け入れないかも」

「それは――」

「でも」

 

 反駁を遮ったウツロの口端が、微かに緩んだ。儚げで、翳りのある、小さな小さな微笑みだった。

 直接の利害関係にない彼女には、むしろ桜降る代を危険に晒す不確実な選択を糾弾する権利があるはずだ。それこそ、彼女と同じように、ヤツハを封印して鏡の力を徒寄花から取り上げる選択肢を突きつけることだってできるはずだ。

 けれど、続いた言葉にヤツハは虚を突かれた。

 

「いいよ。寂しいの、分かるから……」

「え……」

 

 返答に詰まった。憐れまれているわけではないのが、余計に言葉を忘れさせた。

 ヤツハは、ウツロが封印された詳しい経緯までは知らない。だが、それを根掘り葉掘り訊ねる気にはならなかった。

 そこにあったのは、誰かに受け入れられなかった者同士の共感。それを今はありがたく受け取るのが、ヤツハの務めだった。

 そしてウツロの主張が終わったと見るや、それに即座に続いたのはシンラである。

 

「では私も、道を作るお手伝いをするとしましょう」

「……!」

 

 ウツロが先程までの表情を崩し、ややぎょっとしたようにシンラを見やった。

 シンラは心外だとでも言うように、

 

「これでも友達思いで有名なんですよ?」

「どこで有名になってんのよ、どこで……」

 

 やれやれと呆れるトコヨ。

 これで、残るは一柱のみとなった。

 最後まで沈黙を貫いていた者の名はユリナ。レンリの化けの皮を剥がした議場からこちら、ヤツハのことを信用し、手を貸してくれたメガミ。

 

 視線が集まる中、ユリナはずっとヤツハを真っ直ぐに見つめていた。

 彼女の瞳に、反感の色は窺えない。今までヤツハに持ってくれていた好意のようなものが陰ったようにも思えないし、ヤツハの意見に燻っているわけでもなさそうだった。

 

「…………」

 

 ヤツハには、その真意は掴めない。ただ胸中で何かを反芻しているかのようなユリナの答えを、黙って待つことしかできない。

 時折、空いた手を握り、放ち、彼女にしか分からないものの所在を確かめている。

 そして刀を見つめ、ヤツハと見比べたユリナは、じっくりと瞼を閉じ、

 

「はい」

 

 解き放たれたその瞳は、迷いなき確かな意思を宿す。

 鋭くヤツハを射抜いた武神の眼差しを、負けないように真っ向から見返した。

 その意図に気づいたのか、逆に笑いかけてきたユリナは納めていた愛刀を抜き払い、彼方へとその切っ先を突きつけた。

 

「行きましょう、想いを示しに」

 

 その最後の宣言は、時間切れをも告げる。

 刀の向かう先は急速に近づいてくる宵色の果て。限界を迎えたこの空間が、外側へと溶けて消えようとしている。黄金色の天光は黄昏れて、やがて白銀の月光へと移りゆく。その中に、刃物と思しき閃きも数多紛れていたが、役割を終えたかのように収まっていった。

 ばらばらに浮かんでいた陸が蠢き、同じ高さで隙間なく広がった。元々散り散りになっていたメガミたちが、ヤツハのいた位置を中心に纏まった形だ。石畳はやがて霞のように消え去り、硬い土ばかりの地面が姿を現す。

 

 決意のための時間が過ぎたのなら、再び向かい合うは道を阻む者たち。

 強固に下ろされた舞台の幕を、己の信じる平和な世のためにこじ開けたメガミたちが、そこに待っている。

 

「夢からは醒めましたかぁ?」

 

 

 迷いを払ったヤツハたちを、気に喰わなそうに見下ろすレンリがいた。

 微睡むように薄く開いた眼差しを彷徨わせ、宙に漂うカムヰがいた。

 杖と化した得物に身を預け、当惑を抱きながらも瞳に桜の光を燃やすメグミがいた。

 歴史を超えてなお続く自らの役割を果たさんと、傍らで構えるハガネがいた。

 俯きながら、それでも獣性と敵意を燃やし続けるライラがいた。

 

 そして、感情に欠け、戦意に満ちる新生せし十二柱のメガミたち。

 意思を固め、態勢を立て直せたとしても、苦境までもは変わらない。それでも、カナヱが気づかせてくれた多くの想いが、見出した終幕へ向かう活力となる。

 次の幕は上がった。舞台裏に逃げ込むのは良しとしなかった。

 ならば、自分の信じた物語を、心を燃やして叶えるだけ。

 

「私は、メガミ・ヤツハだから……!」

 

 降り注ぐ拒絶の眼差しを、ヤツハたちは覚悟と共に見返した。