八葉鏡の徒桜

エピソード10−7:最後の試練

 

 螺旋の刃に貫かれたはずのメグミが、毅然と戦場に立っている。

 傷跡はどこにもなく、目の前で起きた衝撃的な出来事が嘘だったかのようですらある。しかし、彼女の瞳には桜の光が煌々と輝き、自身の権能を押さえつけられないような震えや苦しみは見受けられない。歴然たる変化は、カムヰが死ではない何かを与えたことを証明していた。

 

 一方それは、溢れんばかりの力からの解放でないことは明白だ。メグミという器に収まった猛烈な力に、ヤツハはどこか、暴虐的な権能を制御できなかった頃の自分を重ねてしまう。

 きっとまだ、メグミは己が弾けそうな感覚に苛まれ続けているはず。

 震えが止まらないほどに酷い状態ではなくなったとしても、零れそうな力を秘めていることには変わりない。事実、メグミの表情に余裕の色が浮かぶことはなく、荒い呼吸も過去の自分を想起させる。

 

 それは即ち、メグミの内側で渦巻く力が、それだけ膨大だということ。

 メグミは未熟ながら、一柱のメガミ相応には強い。そんな器がこうなるだけの力なのだ、彼女に滲む苦悶は、好機とは対極にあるものに違いなかった。

 

「…………」

 

 息を呑み、残された味方を探して油断なく戦場に目を配る。

 合戦の終局に生まれたのは、二対二の構図。

 谷を迂回してきたユリナが、ヤツハとは離れた位置で肩を並べる。彼女が正眼に構えた刃の切っ先は、相応の間合いを経て相対するメグミとレンリに向けられている。急激に大地が抉られたためか、僅かに傾いだ地面に、二柱をやや見上げる形となっていた。

 

 静謐さを取り戻した月夜が、決着を求めている。

 ここまでの道のりを思い、だからこそ、ヤツハは静かに前を見据える。そうありたいと願った自分を最後まで貫き通すために、彼女に咲いた数多の花弁が在りし日の装いを象って、想いを守る美しき戦装束と化す。

 

 桜散らす怪物ではなく、メガミ・ヤツハとして、彼女はここに立っている。

 その態度がレンリをあからさまなまでに不機嫌にさせる。ずれた道化の仮面から、宣戦布告したときのような冷たい眼差しが覗く。

 けれど一方で、メグミは違った。

 敵意はある。溢れんばかりの力の矛先も、こちらに向いている。

 なのに、あの夕暮れの林で浴びせられた肌を刺すほどの感情が、そこにはなかった。

 

「……そう。そう、だよね。でも――」

 

 

 そう続けたメグミに、けれど迷いはない。

 止まりはしない。止まれはしない。

 英雄たる少女が刃を納めることはない。

 振り下ろす得物が、決裂を告げる。

 

「負けるわけにはいかないんだっ!」

 

 唐竿を打ち付けられた地面が鳴動する。新緑の聖域が、彼女の周囲に広がっていく。

 瞬く間に育まれた植物たちは、先の戦いでも見たメグミの戦場である。だが、月下に芽生える植生がヤツハの知るそれとは少しずつ異なるのだとすぐに知れる。

 それを最も象徴するのが、彼女の得物。這い上がった蔦が異様な瘤を渦巻かせ、奇怪にうねった紫紺の花弁が花開く。

 

 夢の中でしか見られないような理外の植物に覆われ、その唐竿とていよいよもってまじないの源たらんとする杖と呼ぶ他ない様相を呈していく。

 紫紺の花が睨むのは、紛うことなきヤツハの方角。

 花から吐き出された風の奔流が、開戦の合図となった。

 

「っ……!」

 

 冷たい暴風が、ヤツハの頬を撫でる。砕けた結晶が弄ばれていく中、冷えた感覚がヤツハの記憶を呼び覚ます。

 始まりの日、凍える洞穴から抜け出た先で、ヤツハが浴びた絡繰の猛吹雪。

 あの頃ここは、見知らぬ世界だった。まだ、桜降る代という名すら知らなかった、目覚めの時。そしてそれは、出立の時でもあった。

 

 昔日のように、一歩を確かに、前へと踏み出す。

 今や誰かに手を引いてもらうのではなく、想いを背負い、自らの足で進んでいく。

 

「このッ!」

 

 メグミの緑の聖域が、一層生い茂っていく。育まれた生命が彼女の力となるのを痛感していても、ヤツハが怯むことはない。

 杖に宿る紫紺の花が、二度三度と風の弾丸を解き放つ。小粒な牽制であろうとも、その一発一発は重く、うまく結晶をあてがわなければ脚を止めてしまいかねない。一度でも体勢を崩してしまえば、すかさず本命の一撃を叩き込んでくることだろう。

 

 だが、ヤツハの意思は折れず、嵐の中を突き進む。

 背にした鏡が並走するヤツハの幻影を生み、的を絞らせない。メグミとて一度見た技だ、驚きはしなかったものの、どうしても狙いが一拍遅れてしまう。萎れた紫紺の花も、迎撃の困難さを物語っている。

 その一瞬が、鏡像から怪物の大顎を顕現を叶える。

 上から喰らいつこうとする大口へ、メグミが歯噛みしながら厚めに結晶を差し出す。

 

「く……」

 

 獰猛な顎が、壁にぶつかったように弾き上げられる。周囲の茨が口元から縛り上げ、それ以上の侵攻を許さない。

 しかしそれらの対応は、本体のヤツハにとって好都合だ。

 右腕に走った罅から飛び出す大爪が、メグミの左肩を斬り裂く。

 だが、予想に反して、桜を散らすメグミの体勢が全く崩れない。

 

「……!?」

 

 確固たる瞳が、近距離に踏み込むヤツハを見つめ返してくる。

 メグミの体躯が、自らの茨によってその場に固定されている。衝撃を自身の動きで受け流せない以上、傷を深めてしまう賭けにはなるが、素早く応手を繰り出すには上等な策だ。

 それは本来、重い攻撃による密度の高い連打を武器とするヤツハにとって、ヤツハのほうが押し勝てるのだと自ら望むところですらあるはずだった。

 

 けれど、目の前の存在は、荒ぶる力を少女の身体に押し込めた英雄だ。

 メグミの神域に、深紅の鳳仙花が咲き誇る。手にしていた杖へさらに蔦が絡みつき、新緑よりもさらに濃密な黄緑はまるで金色となって、英雄を讃えるが如く輝きを放つ。

 再び瑞々しさを取り戻した紫紺の花が、ヤツハを凝視した。

 花という花が、攻め手を繰り出した後のヤツハに狙いを定める。退避するだけの余裕など、あるはずがなかった。

 

「っ――!」

「喰らえぇッ!」

 

 無慈悲な一斉掃射が、ヤツハの願いを打ち砕かんと襲いかかる。

 

 

 

 

 

 メグミの放った開戦の合図に、ユリナはいち早く斬り込もうと駆け出していた。この期に及んで迷いは雑音、捉えきれない委細を切り捨て、大地を踏み鳴らす。

 だが、そこへゆらりと忍び寄る影に、ユリナは目を剥いた。

 蝶のように、鷹のように、飛来するそれは扇。

 

「……!?」

 

 ユリナは反射的に結晶を構え、切り払えるように刀もまた下段に構える。

 扇は彼女の予想に反して、一片の結晶が正面から受け止めた。しかし、砕かれた結晶を前に舞い落ちる扇は影も形もなく、そもそもユリナが想起したメガミによる動きではなかった。相手の守りを流麗に避ける投射なら、華麗に結晶を躱しているはずなのだから。

 

 幻を見たわけではない。一方で、盾は確かに破られた。

 奇怪な事態に、ユリナの脚が思わず止まる。

 行く手を塞ぐように躍り出てきたレンリが、にやにやと笑いかけてくる。

 

「あれあれぇ、どうしました? キレイな技に見惚れちゃいました?」

「…………」

 

 レンリが弄する言葉に、ユリナは取り合わない。そうしたところで相手の用意した深みに嵌まるだけなのだと、彼女のよく知る言葉の権能から学んでいる。

 その態度に揚げ足を取られるのもまた、分かっている。

 

「ぷぷっ、絶句するほどだったんですかぁ? ならなら、もっといいもの見せてあげますよ」

 

 そう言うとレンリは、悠々と間合いを詰めてきた。応手を甘く誘う、見方によっては無邪気ですらある隙だらけの動きだ。

 彼女の得物は布。正体を暴いた場では、変身の依代とした以外にも、手足のように操って移動にも使っていた。それを念頭に置いていたユリナは、レンリは遠い間合いを得手とするのかと仮定していたものの、それならば貴重な距離を自分から詰める理由はない。

 

 気味の悪さに、彼女に対する想定を白紙に戻し、警戒を呼び起こす。

 躊躇なく刀の間合いに立ち入ってきたレンリに対し、様子見の意味も込めた素直な一太刀を浴びせる。

 だが、

 

「お、っと」

「……!」

 

 抵抗が、一切なかった。しかも、レンリは肉を斬らせて骨を断つつもりでもなかった。成立してしまった一撃が胸元を斬り裂いても、いっそそのまますれ違って行きそうな危機感のなさで、歩みを止めなかったのだ。

 狙いが読めず、警戒心が大きく揺さぶられる。

 そしてレンリは、無警戒に間合いを侵略しながら、

 

「《このままでいいのぉ?》」

 

 攻撃はない。微かに響く声で、こちらには危機感を煽るようにただ嘯くだけだ。

 ユリナとしてはこのまま距離を無とされるわけにはいかない。懐に入られた返しに、痛烈な居合斬りを食らわせることも想定して重心を動かしている。

 故に、右脇に刀を構えたまま、このまま潜られることを嫌って左足を下げた。

 しかしその瞬間、ぐい、と右足が前に引っ張られる。

 

「あっ――」

 

 死角から絡みついていた見えない糸のような何かに、前足を吊り出されていた。前後に脚を開きすぎたユリナの上体が、前につんのめる形となる。

 急な出来事に焦燥感がつのる。これそのものが痛撃でないことも拍車をかける。

 結果として完全に肉薄を叶えたレンリは、それでもなおにたにたとユリナを見下ろしてくるばかり。あまりに近すぎて、刀を振りづらいことも含めて不用意に動けないのだと、はっきりと理解しているようだった。

 

「だから教えてあげたのにー」

 

 憤怒を煽り立ててくるレンリの狙いを、ユリナは未だ捉えきれずにいる。

 彼女は最初にシンラを想起したものの、その実まるで違う。シンラは言葉の権能による搦め手を得手としていたが、勝利に向かう面では実直でもあった。手段に依らず、彼女はそうと決めた目標に対しては真っ直ぐだった。

 しかし一方で、レンリはといえばまるで理解できない。勝ちに向かう手を打っているのかすらも曖昧で、一直線に勝利を目指してきたユリナには理外の立ち回りであり、これまで戦ったことのない手合いである。

 

 この局面で対峙するには、心理的に負担の大きい相手だ。焦げ付くような焦りや湧き上がる苛立ちが、太刀筋を鈍らせる情動を駆り立ててくる。

 これこそがレンリの権能であると言われても不思議ではない。しかも、この程度は一端に過ぎないといった不気味さもある。対人に特化した権能を初見で捌き切るのは難しい。

 だが、これしきで崩れるようでは武神に非ず。

 目的を見据え、己を律することが武の基本なのだから。

 

「《足元注意でーす♪》」

 

 レンリが含み笑いで警告する中、ユリナは広く取った視界に閃くものを認めた。確かに足元からゆらりと立ち上った薄い帯のような刃が、喉を串刺しにするように迫っていた。

 揺れるこの感情は、勝利に塗られる泥であってはならない。

 ならば、と刹那の思考の終わりに、ユリナは結論する。

 

 翻弄するだけでなく、この不可解な動きを勝ちに結びつけようとしているのならば。

 凶刃の到来に対し、瞬時に下した判断はユリナ自身も信じがたいものだった。

 彼女は、この一撃を無視したのだ。

 

「ほー」

 

 間の抜けた感心の声と、刃が幻のように喉をすり抜けたのは同時だった。結晶の盾を失うどころか、ユリナには傷一つついていない。

 そのまま柄頭でレンリの腹を殴りつけ、体勢を崩したところで糸を絡められていた右足を強く引き戻す。糸のちぎれる感覚に確信を得て、近すぎる間合いから引き剥がした体躯を強靭な体幹で支えながら、下段から逆袈裟に鋭く斬り上げる。

 

 その剣閃は、左腕に巻き付いた糸によって余計な勢いを得て、レンリの細い右腕をほんの僅かに掠るだけに終わる。

 しかし、成立しなかった応手にユリナは動揺しない。妥協して然るべき状況に、無理に深追いもしない。こちらから引き出したレンリの手は、武技にせよ権能にせよ、この戦いを勝ち抜くための資産となるのだから、収穫はきちんと存在している。

 

「《もう一回っ!》」

 

 ユリナの意図を持った動きに対し、それでもレンリはお道化た態度を崩さない。彼女のわざとらしい宣言が、ユリナの胸元を串刺しにせんと目指す薄刃の存在を認識させる。

 虚実入り混じる攻撃。単純な法則性があるなどという甘い考えはユリナにはない。

 だから彼女は、この反撃の一手を実存の攻撃と読んだ。結晶を盾とし、不用意な間合いでふらふらと立ち回るレンリを咎める道筋とする。

 

 しかし、刀を振り上ろさんとしたときだった。

 桜花結晶に阻まれるはずだった刃が、ぐにゃり、とユリナの決断を嘲笑うように軌道を変えた。

 

「な――」

 

 直線的だった軌道は、茶番劇じみた戯曲のようにぐねぐねと蠢く。それはすかさず、まるで子供の描いた戯画めいた影の茨と化し、結晶を迂回してユリナに迫った。

 舌を出して嘲るレンリに、己の失策を悟る。

 

「が、ッ……!」

 

 貫かれた胸の痛みを噛み殺し、どっしりと地に根を張る。

 上段から斬り落とそうとしていた刀身は桜へと還り、無手はほんの僅かに早く腰に佩いた斬華一閃を確実に掴む。

 糸で引く応手はそう連続して使えないという読みが、全霊の反撃を形作る。

 鞘を助走した刃が、隼の如き剣閃を生み出した。

 

「おぉぉッッ!」

「ぁ、はぁッ……!」

 

 剣先はレンリの細い胴の向こうであっても、渾身の居合が直撃する。余裕を浮かべていたレンリにも、隠しきれない苦痛の色が滲む。

 桜舞い照らす戦場で、交錯する二柱の眼差しが火花を散らす。

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……ぁぐぅっ……」

 

 痛烈な弾幕が、次から次へとヤツハの守りを貫き、その身を削っていく。眼前に広がる生命の緑とは違う、冷めた黄緑の輝きが飛沫を上げる。

 桜を蝕む権能は飢えた守りをメグミに求めるものの、奪った結晶をも総動員しても到底防ぎきれる手数ではなかった。

 

 全身を叩く衝撃に、腕をも盾にしてどうにか踏みとどまる。下手に踏み出せば、最悪転がされてしまうことだってありえる。

けれど、花々を従えるメグミに容赦する道理はない。

 燃え盛る巨大な種が、風の弾丸が、さらに身体を抉っていく。

 

「ぎ、っ……」

 

 噛みしめる鈍痛が、相対する者の想いの強さを思い知らせる。

 桜もない。宣誓もない。それでも、互いが想いを賭けるというただ一点において、この戦いはまさしく桜花決闘に他ならない。

 勝ちたい。この勝負は、絶対に勝ちたい。

 自らの存在を賭した真なる戦いだというのに、不思議な感覚だった。身を焦がす渇望は、そう――初めて決闘に臨んだあのときのように。

 

 クルルがいて、ハツミがいて、力を貸してくれたミズキがいた。相手は夕羅という名のミコトの少女で、彼女を選んだのはコダマだった。

 脳裏に浮かぶ光景は、実に華やかだ。

 あの時の旅するヤツハにとって、この地は色づく世界だった。

 彼女の想いは今、その色彩に手を伸ばそうとしている。

 メグミがどんな想いを抱いていたって、失意の沼に落とされ続けるわけにはいかないのだ。

 

「……! 逃がすかッ!」

 

 決意が、地を蹴らせた。メグミの周囲を巡るようにして、射線上から退避する。追い縋った風弾が肩を打つが、歯を食いしばって耐える。

 まるで砦のような植物の迎撃網を前に、ヤツハには間合いを詰めることしか対応の手段を持っていない。焦点となる領域は必然、メグミの聖域だ。ヤツハが遠距離戦に不得手な以上、そこに踏み留まり、厄介な花を散らし続けるか、一気にメグミ本人を叩くか、どちらかを迫られている。安全を買うためにも、再び攻め上がるしかないのだ。

 

 しかし、生い茂った草花に守られたメグミにこれから肉薄するのは容易ではない。手痛いというには険しすぎる反撃を受けて、攻め込むための守りが残っているはずもなかった。

 己の脚で円を描くように駆け回り、稼いだ僅かな余裕で態勢を立て直す。

 この地への憧憬を思い返すほどに、乱れた力が整っていく。想いを燃え上がらせても、決して焦ってはならないのだと、この目で見て、この手で味わった戦いが諭してくれる。

 

「絶対に、踏み荒らさせないッ!」

 

 業を煮やしたのか、メグミが杖を周囲めがけて振るった直後だ。

 生まれた風が通り抜けたところから、黄金色の葦が一斉に顔を出す。月下にあっという間に生まれた一面の葦原は、時を選べば風流かもしれないが、今この戦場においては俊敏な動きを咎める戒めでしかなかった。

 

 迅速に懐まで潜り込むどころか、花の弾幕を満足に躱すことすら叶わない。

 葦原の中心に構えられた緑の聖域が、メグミに呼応するかのように光を帯びる。ともすれば神秘的な光景も、領域を汚す怪物を討ち果たさんとする者たちが、メグミに鼓舞され、互いに輝ける手を取り合う様でしかなかった。

 

 そのメグミが、足の鈍ったヤツハへ自ら踏み込む。ヤツハを戒めていた葦が、メグミの道を作るようにひとりでに掻き分けられていく。

 背後で花々が放つ弾幕と同時、振りかぶった杖は唐竿の本懐を忘れてはいなかった。

 

「はあぁぁぁぁッ!」

 

 遠心力を極限まで注ぎ込まれた棍が、宿った力に煌々と輝く。

 伸び切った強烈な打擲が、ヤツハの脇腹を強かに打ち据えた。

 

「か、ぁっ――」

 

 身体がくの字に曲がる。あまりの衝撃に、胴が真っ二つになっていないのが不思議なくらいだった。

 吹き飛ばされ、二度跳ね、勢いを殺しながら気力を頼りに身体を起こす。葦が多少は衝撃を吸ってくれたようだが、その程度がなんだと言うように、追撃の砲撃が咄嗟に差し出した結晶を奪い去っていく。

 

 強烈な逆風を浴びて思う。こんな意思で戦うのが、随分久しぶりなように感じる、と。

 絶対に叶えたい願いに向けて、決意を示すために戦う自分。

 脳裏を過るのは、北限での試練だ。この苦境は、コルヌの差し向けた極寒の猛吹雪に喘いでいたときを想起させる。

 ならば――と、内なる自分が声を上げる。

 ココロが、答えるように震えている。

 

「ふーっ……」

 

 無理にでも息を整え、意識を傾ける。自らの内側に燃えるそれに、呼びかける。

 相手は、ただがむしゃらに力を振り回していた徒寄花ではない。

 あの頃の自分が触れたものへ。

 この想いのよすがたるものへ。

 きっと、魂と呼ぶべきものへ。

 

 

「えっ!?」

 

 追撃を仕掛けようとしていたメグミの周囲で、数多の桜花結晶がねじ曲がり、粉々に砕け散った。その瞬きは風もないのにヤツハのいる一帯まで流れ込み、彼女の魂こそが寄る辺なのだと渦巻いていく。

 

 帰り着いた北の果て、狙われた自分の命。カムヰの襲撃を受け、初めて砕いたこの身体。

 あのときと違い、今のヤツハには自我があり、決意がある。

 ただ悲鳴と抵抗を吐き出していた自分とはもう違う。

 だから、自分の意思で掴み取るのだ。

 

「未来をっ!」

 

 ヤツハの背中に、徒寄花が乱れ咲く。狭間の星空から、輝きを喰らって肥大した怪物の大口が現れる。

 どれほど恐ろしい見目であろうとも、この怪物が果たすのは討たれるべき敵役ではない。

 ヤツハが自ら道を切り開くために、凶星を喰らう星界の獣。

 頼りにしていた守りを奪われたメグミに、それは猛然と襲いかかった。

 

「くおぉっ……!」

 

 広がる葦ごと噛みつかれたメグミは、杖を盾にして怪物を受け止める。だが、押し込みながら身を捻る怪物に杖は外れ、人の腕ほどもある牙が彼女の胴を食いちぎる。

 相当な激痛だろうに、彼女の意地は顎を蹴り飛ばし、深淵なる怪物の腹の中に呑まれることを拒絶した。

 杖を支えに着地の勢いを殺し、力に輝く杖先が次の植物を求めていた。

 しかし、

 

「ぁぐっ……!」

 

 苦悶の声を漏らし、身体を震わせる。ただでさえ膨大すぎる力に喘いでいるのに、間断なき権能の行使はメグミに甚大な負荷を与えているのだろう。

 彼我の間に辛うじて顔を出した鳳仙花の花が、巨大な種子を吐き出してくることはなかった。花弁が咲き切ることはなく、実だけが既に膨らんでいる。

 そしてそれはヤツハの足止めをするように、パァン、とすぐさま身を爆ぜさせ、小粒の種の散弾を撒き散らす。

 

 鳴り響いた快音に、ヤツハの意識が削がれる。

 けれどこれは、明確な好機だった。炸裂した種そのものに威力はなく、態勢を立て直す時間を稼ぐための張り子の虎でしかない。経験が、決定打に繋がると告げている。

 意識を切り替え、メグミの下へと飛び出した。なぎ倒された葦が、力を失い、蛍の群れのように光に解けていく。ヤツハの進撃を阻むものはもうありはしない。

 

「これでッ!」

「っ……!」

 

 右腕から飛び出した星空の巨腕。ヤツハの第二の右腕であるかのように動くそれが、守りの姿勢に入ったメグミへと鋭利な爪先を向けた。

 振りかぶり、繰り出さんとする一撃が目指すは正中線。

 受けの態勢を取った相手に、確信を持ってヤツハは腕に力を籠める。

 

 しかし、腕を突き出したヤツハの意識に、違和感が混ざり込む。

 視界の中で動くものが、メグミの他にあとひとつ。

 横合いから、何かがこちらに迫っている。

 もうこの戦場では限られた人影。

 小さなその体躯。

 

「……!」

 

 圧縮された時間の中で、ヤツハの焦点はレンリに奪われた。

 今までどうしていたのか、ユリナと戦っていたのではなかったのか、その位置から何か攻撃されることはあるのか――メグミに集中しすぎていたためか、ヤツハの脳裏に数多の考えが瞬時に駆け巡る。

 そしてレンリの意図を理解しようと、注目してしまうその顔。

 どうしてか惹きつけられる彼女の唇が、声なき声を形作った。

 

「《――オシエテアゲル――》」

 

 

 言葉の意味を理解した瞬間、レンリの顔が見えなくなった。否、ヤツハの視界が、墨でもぶちまけられたかのように黒に染まっている。傍らの結晶が砕け散り、大量の黒ずんだ灰に化けて視界が塞がれてしまったのだ。

 無論、狙い定めていたメグミも黒塗りの向こう側。

 会心となるはずだった一撃が、見失った敵を前にぶれていく。

 

「ぬあぁぁッ!」

「ぅ……」

 

 根性を絞り出したメグミの叫びが、不完全な爪撃を受け止められたのだと悟らせる。

 さらに、散りゆく灰が変化する戦況を突きつける。援護を成したレンリが、ヤツハに目掛けて扇のような形の飛び道具を既に放っている。

 守りの結晶を思わず差し出したヤツハは、しかし後を追うように到来した全く同じ二枚目の扇に喉元を切り裂かれる。

 

「い、っ……!」

 

 堪らず巨腕を振り回し、双方からの肉薄を拒絶するヤツハ。ほんの少しでも、前のめりなレンリを躊躇させられればそれでよかった。

 レンリの強引な割り込みを咎めるのは、刀刃閃かせるユリナだ。

 追い縋ったユリナの強烈な一太刀が、レンリを背後から強襲する。

 

「ぎゃー、ははっ!」

 

 噴き出す塵は明確な傷の証だ。にもかかわらず、武神の強襲が連撃に繋がってなお、レンリは心の籠もっていない悲鳴を上げて馬鹿にするような態度を崩さない。

 そして、ふらふらと斬撃を受けるレンリの眼差しが、ユリナの瞳を射抜く。

 

「《――アナタヲミテイタ――》」

「……!?」

 

 声なき声が響けば、二柱の間で宙に閃くのは新たな刃。

 肉厚な刀身を持つ、武神の愛刀・斬華一閃。ユリナが手に持つそれとは別の、鏡写しにされたかのような質実剛健な得物。

 目を見張ったユリナが、命を吹き込まれたかのようにひとりでに斬りつけてくる自分の愛刀と切り結ぶ。意表を突いた一手でも彼女がそう簡単に通すはずもない。だが、晒したレンリの背中が遠ざかったのは事実だ。

 

 その隙にレンリは、ヤツハとユリナ双方から、一息つくメグミへの経路を塞ぐような位置取りを選ぶ。自分の身でメグミを庇う形だ。

 しかし飄々としたレンリから、そうするに至った覚悟めいたものは見受けられず、絶対に後ろへは通さないという意思も感じられない。それどころか彼女は、ゆらり、ふらり、と構えはまるで隙だらけで、ヤツハたちから視線をはっきり外すときさえある。

 けれど、一見しての好機に思わず一歩踏み出せば、レンリもまたさりげなく一歩下がる。

 

「来ないんですかぁ?」

「くっ……」

 

 攻め入る起点となる瞬間が、巧妙にずらされる。レンリとてこの状況で攻め返す余裕はないだろうが、ヤツハたちが今まで持っていた勢いは散らされ、無為な時間が一呼吸のにらみ合いを生み出す。

 だが、この時間を積み重ねたところで、レンリたちに先はない。

 ならば、とユリナは冷静に圧を感じるほどに気迫を凝縮させ、相手へ確実な破局をもたらす備えとする。ヤツハもまた、肌のすぐ内側で蠢く怪物の気配に、踏み込む機運を高めていく。

 

 元より、突破力を見込まれて最前線に送り出されたうちの二柱だ。どれだけ惑わそうとも、レンリ一柱で受けきれる道理はない。

 しかし、それでも彼女は、綱渡りじみた大立ち回りを選び続ける。

 傷だらけなのに、お道化た態度を崩すことなく。

 何かあるかもしれないというか細い可能性だけで、今にも壊れそうな均衡を保ち続ける。

 

 再び静けさが舞い降りた戦場で、ヤツハはただ時を待つ。

 そこにふと、

 

「――せめて、英雄に」

 

 儚い声だった。誰かの、小さな祈りだった。ヤツハの知る誰のものでもない願いが、何処からか夜陰に溶ける。

 そして、何者かに答えるように風が吹く。

 攻めに転じようとしていたユリナが、不意に出鼻をくじかれる。

 

「うん」

 

 ゆっくりと、人影が体勢を直し、健在だと言うように背筋を伸ばす。

 メグミの瞳に宿る桜色が、この暗い戦場を照らすほどに確固たる輝きを帯びている。彼女の身体から、桜の光が溢れ出すように煌めいている。

 けれど、膨大な光輝に圧倒されてなお、その眼差しへと吸い寄せられる。

 ヤツハに向けられた、桜の輝きよりなお燦然と輝く意思の眼差しを。

 

「命運だけじゃ、ない……。あなたたちの想いも……感じてる」

「ならっ……!」

 

 メグミの意思に、ヤツハから反駁が飛び出す。けれどそれは無意味な問いかけなのだと、肌身で理解させられていた。

 ただ討滅の対象として刃を向けられていたところから、想いをぶつけ合うような戦いに移り変わったとて、メグミが譲ることはなかった。抱いた想いを認めてくれたとしても、敵意が失われることはなかった。

 

 手を結んで終われるのなら、どうして彼女はこれほど刺々しい光を受け入れているのか。

 彼女の意思は、その光と重ねられている。桜色の害意もまた、彼女は認めている。

 徒寄花の世界で見たような、あの光を。

 駆逐を希っていた、あの光を。

 想いを背負うヤツハの背中には、滅亡の未来もまた、未だのしかかっているのだから。

 

「だけど、あたしたちは見てきたから。ここに立ってるのが、あたしだからっ……!」

 

 メグミの叫びを皮切りに、彼女の肌が罅割れていく。桜に満たされた肉体を土壌に、数多の桜花結晶が咲き誇る。

 それはまるで、ヤツハが花を咲かせるように。

 自らの礎となる力を、引き出すように。

 

 満開となった胸元の罅へメグミは自ら右手を突き入れ、その身を砕く。

 眩い光をその手に掴み、鞘から解き放つように抜き払う。

 それは刀でも唐竿でもなく、どのような武器のようでいて、そのどれでもない光の結実。

 英雄に託された、想いの結晶。

 

「だから、あたしとして、果たすんだ……!」

 

 

 そして左手に掲げた杖から、感化されたように金色の枝が紡ぎ出される。

 メグミを中心に、一陣のよそ風が吹き通る。

 ぶわ、と一面に広がるは緑の絨毯。そして再び築かれていく、緑の聖域。

 想いを結び、繋いできた彼女の権能が、もう一度呼び起こされる。

 

 後押しされたメグミが、乗り越えるべき敵へと飛び出した。

 そう、討つべき敵・ヤツハにではない。

 敗北の歴史が、ここに至ってなお、英雄を確実に歩ませる。

 

「おぉぉぉぉッッ!」

「っ……!?」

 

 狙われたことに驚きを浮かべるユリナが、それでも反射的に動き出す。しかし、それでも十分な防御姿勢には程遠く、予め定められていたかのように間に合わない。

 かつての英雄も、この戦いでは英雄に非ず。彼女の命運はここになし。

 

 メグミの振るった光の刃が英雄の一撃となって、激しい光条の如くユリナを襲う。

 半端な結晶が砕け、盾にしようとしていた斬華一閃が、肘から先ごと吹き飛ばされる。自ら倒れ込んで衝撃を散らすが、それでも相当な距離を転がされる。

 

「ユリナさんっ!」

「おおっとぉ」

 

 援護に走ったヤツハの前を、にやにやとレンリが塞ぐ。鎌首をもたげるメグミの花々が、たった一手煩わされるだけで間に合わないのだと物語る。

 苦渋に満ちたユリナが、膝立ちのまま鋭く息を吐き、叫んだ。

 

「吹き荒れよ、嵐の如くッ!」

 

 溜め込んでいた気が一気に放たれ、思わず後退るほどの風圧を生む。

 けれど、圧縮された風が、燃え盛る巨大な種が、その全てを潰えさせることはなかった。繰り出された数多の弾幕は気迫の壁を食い破り、勢いの残った弾丸がユリナを次々と穿つ。

 

「が――あぁッ……」

 

 折れる脚。貫かれる胴。顕現体が、崩れていく。

 それでも諦めることを知らないユリナが、衝撃の連打を堪えて緑の絨毯に身を投げる。草に塗れてもなお這って射線から逃れ、頭の上を最後の種が通り過ぎていく。

 

 今すぐの崩壊は、確かに避けられたかもしれない。

 けれど、その手から離れた斬華一閃さえ、光に還っていく。

 

「くっ……」

 

 ユリナから崩れ落ちた塵が、空を舞った。