八葉鏡の徒桜

エピソード10−6:命運を接ぐ剣

 

 怪物の大爪が、四本に分裂した分銅つきの鎖をまとめて地面に縫い止めた。

 鎖鎌を手放す判断が遅れた相手へ、大爪から鎖を這うようにして黄緑に輝く蔦が伸びる。

 脱力を生む戒めが、決定打への道標となる。

 

「お願いっ……!」

 

 ヤツハの祈りは、鎖鎌のメガミを頭から喰らいつく怪物に向けてか、あるいはこの険しい戦況に向けてか。

 噛みちぎるかのように怪物が首を振れば、後に残されたのは大輪の桜。

 だが、一柱撃破したというのに、ヤツハの表情は明るくはならなかった。

 

 入れ替わり立ち替わりで混沌とする最前線。遅参した敵のメガミはこの鎖鎌だけでどうにか収まっており、局所的な戦力差の広がりは食い止められたままである。

 見た目の頭数だけで言えば、ミズキの呼び出した兵が圧倒的だ。

 彼女の幽世から参陣した数多の鎧武者たちは、身を呈して敵メガミの余力を削っていった。いかに各々が一騎当千の力を有していたとて、元よりメガミに押し勝った山城の兵なのだ、そう簡単に打ち払えるものではない。

 

 その兵力を最も浴びたのは、ウツロを屠った鋸のメガミ。

 見渡した戦場の中、鎧武者の戦列によって中心から引き剥がされていた彼女に、槍が突き刺さる。一点に対する破壊力に特化したその権能では、物量差を捌き切ることは叶わなかったようで、膝をついた女の身体が幾多の矛先に貫かれる。

 

 崩れ始める顕現体を認め、ヤツハは焦りと共に振り返った。

 そこで目にした光景に、驚くことはない。

 快進撃など、夢でしかないのだから。

 

「ミズキ、さんっ……」

 

 湧き上がってきた苦渋を噛みしめるように、その名が口に出る。

 はらはらと、彼女の象徴たる大鎧が桜に還っていく。

 懐に潜り込まれ、その腹を金色の爪で貫かれたミズキもまた、限界を迎えていた。

 

 全ては、ヤツハを無事に送り出すため。

 幽世の兵だって、時間稼ぎのためにトコヨたちの陣に割いていたことも知っている。あらん限りの力で出陣させ、それでいてなお、この場で最も苛烈なライラの攻め手を過度なまでに引き受けていたのだ。

 

 そのライラは、起きてしまった結果に耐えるように、貫いた姿勢のまま歯を食いしばっていた。その爪を抜いてしまえば、覆しようのない事実になってしまうとでも言うように。

 なのに、ミズキだけが、滲む達成感に微笑んでいる。

 貫いた者と、貫かれた者。

 結果ははっきりしているはずなのに、これではまるで、勝敗が逆にしか見えなかった。

 

「ミズキぃ……、コダマぁっ……!」

 

 絞り出すように、問うように、振り払うように、ライラは吠える。

 共にライラと戦っていたコダマが、その桜の焔で編まれた幻体を揺らし、足元から掻き消えていく。周囲の兵たちも、時の到来を悟ったように武具を掲げている。ミズキが己の役割を果たし終え、幽世に帰る時が来たのだと。

 

 ミズキは、自身を貫いたままのライラに体重を預け、途切れ途切れ言葉を紡ぐ。

 煮え滾る葛藤に苛まれるライラに、暖かな眼差しを向けながら、

 

「わたくし、たちは……その役割、に、従う……あなたを、否定、しませんわ……」

「でも、それなら……!」

 

 思わず吠えるように反駁するライラ。彼女の目線が、ヤツハに向いた意識を物語る。

 定められた在り方を受容する。その在り方こそが、ライラの信ずるところだという。

 ならば確かに、今のヤツハはライラの根幹を否定していると言っても過言ではない。神座桜に仇なす徒寄花の尖兵という、与えられた在り方を拒絶しているのだから。

 

 敵だから、というだけではない、自分が納得できない存在――ライラの視線は、ヤツハをどう見ているかありありと告げている。

 この戦場においてライラは、戦意こそあれど、悪意は向けてこなかった。しかし今、悲痛なライラの叫びには、微かな怒りが滲んでいた。ヤツハが諦めたままだったら、ここまで大きく争うことはなかったのだから。

 けれど、ミズキは憤るライラを静かに見返し、それでも語りかける。

 

「役割、は、移り変わる……もの……。怨敵が、好敵手と、なり、人が……メガミと、なるように」

「……!」

 

 揺れていたライラの瞳が、一つ所に定まった。

 真っ直ぐに、その微笑みが儚くなっていくミズキと目を合わせる。

 メガミ・ライラとしての存在全てを、ここに収斂するように。

 

「……桜、は」

 

 絞り出した言葉は、彼女がミズキを手に掛けた理由。

 ライラの在り方を語る上で、避けて通れない存在。

 だが、ミズキはその大きすぎる相手を前に、決して揺るがない。

 自信に満ちたその眼差しが、はっきりとライラを射抜いた。

 

「想いは、それを、超えられる……。あなたは……今、でも、わたくしの、友……です、も、の……」

 

 その言葉を最後に、ミズキの顕現体は光に還っていった。命運を共にしたコダマも、顔の形も定かではないのに、最後の一瞬に微笑んだような気がした。

 預けられていた体重が消え、貫いていた肉体が消え、けれどライラの左手は、力を失うことなく胸に当てられる。

 

 そして、友の最後を見届けたライラは、ヤツハに視線を移す。

 ヤツハもまた、怯むことなくライラを見返す。

 双方の眼差しに、もはや曇りも揺らぎもない。自然体に構えたライラは、ヤツハの想いを正面から受け止めるように、向き合ってくれた。

 

「らい、とめない。でも――」

 

 告げた言葉が真実なのだと、怒りと敵意の感じられないその気配が示している。

 しかし、瞬く間に膨れ上がった力の気配に、ヤツハは思わず身構えた。

 大自然への呼び声が夜天に木霊する。

 ライラの慟哭が、桜降る代を揺るがす――

 

「ォ、オォォォォォォォッッッ!!」

「っ……!」

 

 

 獣の群れが唸りを上げたような暴風が、身体に叩きつけられる。

 大地を引き裂くような雷が、戦場に舞った塵を焼き焦がしていく。

 ライラを中心に、爆発的に発露した風雷。だが、これらに攻撃の意思がないことも、それどころか余波に過ぎないのだとヤツハは理解させられていた。

 

 その神髄は、ライラの内側から絞り出されようとしている。

 その慟哭は、風を通し、雷を通し、より深き何処かへと響かせようとしている。

 延々と、淡々と、粛々と、叫んでいるはずなのに粗暴さの欠片もなく、どこか敬虔に捧げ続ける祈りのようですらある。荒れ狂う大気を前に、いっそ時が止まったかのように粛静で、背後で打ち鳴らされていた戦の音が止んでいたことに今更気づいたほどだった。

 やがて雷が収まり、風が空へ帰っていくと、ライラは力尽きたように膝をついた。

 

「ライラさ――」

 

 ヤツハの呼びかけに、ライラは鋭い視線で応えた。自分の出した答えは、きっとそこにあるのだと、ヤツハにすぐにでも見届けさせようと訴えるかのようだった。

 ライラが示したのは、戦場の最奥。

 すぐそこまで迫っていた、二柱の大将。

 その一柱であるカムヰが、眠りより目覚め、瞼を開けた。

 

「…………」

 

 ヤツハが固唾を呑んで見守る中、ふわりと浮いたカムヰに、四本の大剣が付き従う。

 その断罪の刃でヤツハを断ち切るのか。否。

 再び編み合わされていくのは、メガミたちを創造した際に用いた、大きな螺旋の刃だ。丹念に、瑕疵の一つもないように自ら丁寧に絡み合っていく刀身が、月下に艶かしく輝いている。

 

 そんなカムヰに、歩み寄ろうとする影が一つ。

 メグミだ。

 瞳に宿していた桜色の輝きは、慟哭に呼応したかのように強まっている。彼女の足取りは確かで、強すぎる力に狼狽していたのが嘘のよう。

 彼女と対峙していたユリナも、唐突に離れていったメグミに意表を突かれたようで、警戒を露わに注視している。

 

 数歩メグミが近寄ったところで、螺旋の刃が蠢いた。

 カムヰの口が、儀式を告げる巫女の如く、開かれる。

 

「接ぎ木に、命運を」

 

 

 宣言を皮切りに、刃が放たれる。

 メグミの胸が、カムヰの剣に貫かれた。

 

「え……」

 

 絶句するヤツハ。ユリナも、そしてカムヰの傍にいたレンリも、言葉を失っていた。

 けれど、不条理な死がもたらされたのではないと、メグミが倒れることはなかった。

 螺旋の剣が、役目を終えたというように引き抜かれる。

 瞳の輝きが、燃え盛る炎のように溢れかえる。

 剣を通して、授けられたかのように。

 

「あ……あは、あははっ……」

 

 その様子に、レンリが抑えきれない笑みを漏らす。

 挑むようにヤツハを一瞥するその顔に、壊れたような笑顔が咲いた。

 

 

 

 

 

 振りかぶられた大斧が、シンラを断ち割ることはなかった。

 創られたメガミたちが、一斉に動きを止めていた。

 

「お、や……」

 

 

 満身創痍の身体に嘘はつけず、回避した破滅を前に膝をつく。

 傍で顕現体を散らせるトコヨは、もう表情も動かせていない。最悪の事態に対する最後の切り札として、シンラを残すために庇った結果だった。クルルとハツミは既に崩れ去り、巨大絡繰人形も、仮初の海も、もう跡形もなく消えていた。

 

 新生せしメガミたちは、目の前の大斧を含めて三柱まで数を減らしていた。その誰もが、目的を失ったかのようにただぼうっと立ち尽くして、戦場に漂うだけになってしまった。

 前線のほうではハガネとライラが姿を保っているが、戦意は窺えない。どちらも気配が希薄になっており、戦闘の継続はそもそも困難だろう。シンラとてそれは同じで、もう権能を込めた言葉の一つも紡げない有様となっていた。

 

 そして最前線。

 振るった刃を引き戻す暇もなく、カムヰがどさりと地面に転がった。螺旋から解けた大剣は後を追うことなく虚空に消え、主が深い眠りについたのだと告げている。

 

「……なる、ほど」

 

 数多のメガミ入り乱れたこの戦い、その最後の盤面。

 そこに立っていたのは四柱のメガミ。

 メグミ、レンリ、ユリナ……そして、ヤツハだけだった。