数多折り重なる重圧が、只人の立ち入れぬ戦場を月下に顕現させる。
もはやこの場に問答は無用。
ヤツハの突きつけた宣言を皮切りに、人の形をした処断の刃たちが再戦へ踏み出していく。
最たる標的のヤツハは、束ねた意思の所在を確かめるよう、胸へ強く手を押し当てる。
前へ。力強く、前へ。
この戦いに打ち勝ち、生き残るために、前へ。
決意と願いを噛み締め、一歩を刻む。
そんな彼女の背中を押す、鋭い声。
「ヤツハ、ユリナ、サイネ、前へッ!」

それがミズキの声だと気づいたときには、既に駆け出した後だった。矢継ぎ早に飛ぶ他のメガミたちへの指示を背後に、ヤツハは自らの役割に専心する。
皆で目的を一つとした今、戦略こそが窮状を打破する鍵だ。それぞれのメガミが人の一軍たるこの戦いは合戦に他ならず、ミズキの最も得意とするところである。故に、全員が最善を求める今、彼女の号令に異を唱える者など居ようはずがない。
数で劣るヤツハたちの狙いは、必然、短期決戦。
どう取り繕ったところで、戦力差の要因たる新生メガミたちを全て撃破する余裕などない。ならば、速攻を至上とし、元を断つのみだ。
彼女らを生み出したカムヰか、彼女たちの素となったように見える衣の担い手であるレンリか、あるいはその両方。ミズキが鬨の声を上げずとも、目標はその二柱に定まっていた。
そのための戦況は、ミズキが形作ってくれる。
ヤツハの役割は、まさにその目標を穿つための強力な攻め手だ。
「お、ぉぉッ!」
夜陰に輝く彼女の腕が、障害を砕く力強き怪物のそれへと変貌する。背後の気配が、希望を掴めと後押しする。
これは、ヤツハの戦い。ヤツハが願いを叶えるための戦い。
だからこそ、ヤツハ自身が決着をつけねばならない。
ならばこそ、メガミ・ヤツハの神話を成し遂げねばならない。
故にヤツハは、拳を握りしめ、先陣を切る。
彼女の眼差しが、迷いなく、ただ前を向く。
十を超える厚いメガミの壁を前に、正面突破は愚の骨頂だ。鋭利な矛とて、横合いから断ち切られれば二度と振るえなくなってしまう。真っ先に動き出したヤツハたち三柱の衝撃力をもってしても、切っ先は目標に決して届かないだろう。
だから、道は搦手によって切り開かれる。
「トコヨ、シンラ、陽動を!」
その号令を予見していたかの如く、怜悧なる二柱は既に右翼後方にて動き始めている。
戦場に誂えられしは、恐怖を喚起せる舞台。その舞い手はトコヨ。
この苛烈な戦場にあって、優美な舞で表現するのは、まさしくレンリたちが阻止せんとする徒寄花による破滅の未来。見る者に冷たく肌が粟立つような喪失への恐れを想起させ、演目の終わりに終焉の到来を予感させてやまない。
破滅と向き合うことを強いられた相手のメガミたちは、目に見えて顔を青ざめさせていた。突きつけられた恐れを振り払い、悪夢を現実に呼び起こすかもしれないトコヨを討ち滅ぼさなければならないという衝動が、多くの矛先を惑わせる。
そして、迷う切っ先を集めるのは扇動者・シンラだ。
「『あなたたちは、何のために生まれたのでしょうね』」
その要因となった存在は何なのか、と。これを、看過してよいのか、と。
嘲笑うかのように訴えかけるその声が、メガミたちの思考の間隙に巧妙に入り込む。他の徒神との間で彷徨っていた双眸が、追い立てられるように破滅の演じ手へと固定される。
この地をーー神座桜を守るためという存在意義があったからこその煽動。
ずらされる盤面の焦点に、レンリが慌てて軌道修正を試みるが、
「《だから、元凶たるヤツハをーー》」
パァン! と、彼女の幼い声を遮るように、銃声が鳴り響いた。
耐えかねたように放たれた炎弾が、トコヨの扇に弾かれる。その直後、追随するようにして飛来した空色の矢が、トコヨの細い首筋を掠めていった。
それを皮切りに、地面が鳴動する。雪崩のように、使命に癒着した感情が殺到する。
煽り立てられた何柱ものメガミが、ヤツハたちの迎撃を放棄して駆け出し始めた。
「上々ね」
誘うように距離を取りながら、トコヨは迫りくるメガミたちを冷淡に眺める。口火を切った銃と弓矢のメガミがしっかりと向かって来る姿を確と捉える。
大勢の敵を引き受けて、いつまでも耐えられるわけではない。煽動だって、どれほど持つかも分からない。どれだけ全力を出したとしても、不利をこの一翼で背負いきれる道理はどこにもありはしないだろう。
だが、相手の戦力を僅かな間でも大将から引き剥がす意味は大きい。この煽動が生んだ時間が、そのまま攻勢が許される猶予の一端となる。
その結果、トコヨたちがどうなるかなんて、誰もが分かっている。
彼女たちが下した決断とは、傷を負い、泥に塗れ、それでもなお前へ歩み続けることなのだから。
「精々付き合ってもらうわよ」
彼我の空間を貫いた矢を躱し、彼女の呟きに呼応した光の防壁が炎を受け止める。
肩を並べるのは、忙しなく絡繰を組み立てていくクルルと、広げた書を周囲に纏うシンラ。
押し寄せるメガミたちを前にして、彼女たちの目に曇りはない。
「この一時が緊要ですから」
「どぅざべー、でっすよぉ!」

「ハツミ、射撃にて道を!」
「……!?」
采配を受けたハツミは一瞬、ミズキの意図を掴み損ねていた。しかし、ミズキが掲げた軍配の先に待ち受けるものを認め、唇を噛んだ。
戦力分断に動き出したトコヨたちであろうとも、引き剥がせない絶対防壁がそこにある。
大将の前にて不動を貫く、兜のメガミ。
速攻に打って出たハツミたちにとって、今最も厄介な籠城の化身。
カナヱの空間に招かれる前にも、兜のメガミは唯一、攻勢に出ることなく後衛に控え続けていた。それは必然、要となる敵将が何者なのかをありありと告げており、唯一堅守をこそ使命としているのは明白だった。
遮二無二伸ばした剣先をこの盾に弾かれれば、後にはがら空きになった胴が残る。
この場で致命傷足りうる権能を誰よりも理解しているのは、同じ権能を持ち、最後の盾攻略の号令を発したミズキ自身に違いなかった。
「合点ッ!」
ハツミが気合を込めるのと、銃声が響いたのは同時だった。接敵の合図に突き動かされるように、生み出したありったけの水を弾丸として放つ。
力を注いだその水弾たるや、一発一発が岩をも容易く穿つほどの破壊力。
けれど、雨あられと過剰なまでに放ったところで、相手は鉄壁の守りを誇る兜のメガミだ。遠い間合いで減衰していることを含め、一見してそれは愚策と思われても仕方のない一手である。
実際、警戒を厳としていた相手は即座に桜色の城壁を築き上げ、水弾の尽くが防がれる。おまけとばかりに、宙空にいるレンリたちへの射角まで遮る徹底ぶりだ。
カムヰの作り上げた器は確かに万全であり、その堅牢さまでもがミズキと瓜二つ。生まれたてでありながら、権能へしっかりと順応していると知らしめられる。
しかし、その中身はどうなのかと、先程シンラは問うていた。
ミズキ本人との九十年もの経験の差は、あまりに埋めがたい。
「まだまだぁッ!」
ハツミの強引な掃射に、防壁が抉れ、端から崩れていく。しかし、決定的な射線は未だに小動もしておらず、桜花結晶という盾も十全に構えられたままで、有効打の気配はまるでない。
砕かれた守りが塵と化し、兜のメガミの背後へと棚引いていく。
水が成しているとは思えない破砕音が続く中、右翼後方からは大地を割り砕いたような轟音が響く。シンラの言霊がその破壊と交錯し、突破にかけられる猶予が秒読みを迎える。
このまま正面から攻めたところで、あの城砦は落とせまい。もうすぐ前線のヤツハたちも足止めを食らってしまう。
だが、道を、とミズキは言った。壁を破れとは言わなかった。
ハツミはただ、忠実に指示を守っていただけ。
彼女が渡したのは、壁を吹き散らす者のための水路。そこには樋すら必要ない。
彼我に影舞い散るとき、『彼女』は距離を越えて現れる。
「ここ……!」

ずる、と兜のメガミの背後に影が生える。
その虚空ーー否、舞った塵が象っていくウツロの姿は、眼前に据えた敵を両の手のひらで握りつぶすかのような所作を取る。
全霊を込めた崩壊の発現が、強襲によって成る。
「なーー」
兜のメガミの顔が驚愕に彩られる。ハツミの過剰な弾幕に意識を割いていた彼女に、咄嗟の対応は叶わなかった。
堅牢な砦の化身は、目を見開いたまま鈍い輝きとなって崩れ落ちていく。築かれた厚い城壁が光へと還り、桜と灰の世界でウツロは一人、危うげに地に足を着けるところだった。最終防衛線の崩壊を悟ったのか、レンリたちは高度を落としながらも距離を取り始める。
最大の障壁は打ち砕かれた。そう何度も通じない手であろうとも、この戦いを乗り越えられるのなら上策に他ならない。
しかし、この攻め筋が生むのは、守護神の撃破だけではない。ハツミも、そして間違いなくミズキも、それを理解している。
影を渡る技は、奇襲を為すと同時、孤立を生む。
メガミを丸ごと塵に還すほどの力を発揮した直後で、再び影を渡るほどの余力は、ない。
「ウツロっ!」
ハツミの警鐘も、水弾での援護も、空を切った。
漂う霞を駆け抜けた風の刃が、ウツロを深々と斬り裂いた。チカゲを屠った、メグミのあの一撃だ。
軽い身体が威力に負け、小さく打ち上げられる。
その顔に苦痛が滲み、けれど驚きはない。
「ぁ……」
しかし、体勢を崩す中、ウツロが目を見張った。
その瞳に映し出されるのは、振り下ろされる鋸。トコヨたちに釣り出されていたところで引き返してきた、新生せしメガミの一柱が獰猛に飛び込んでくる。
自身を鈍く写し返す凶刃に、一拍遅れ、影の防壁が形を成そうとする。
連なる刃が通り過ぎた、その後で。
「しまっーー」
か細い声を残し、ウツロの体躯が袈裟に両断される。灰色に染まった桜の光が、前線にもう一度広がっていった。
絶対防壁を砕いたその顕現体が、塵に還っていく。
黒曜の如く輝いて見える、希望への道を遺して。
願いをその身に、戦場を駆け抜ける。
想いをその背に、戦線を駆け上がる。
ヤツハは脇目も振らずに走り続け、ユリナ、サイネと並んで前線を押し上げていく。彼方で散った少女の形に、その脚が止まることはない。
ヤツハ自身が、暴虐的な権能という最大の攻め手を持ち、この命運の中枢に位置する。
だからこそ、彼女の望みの下に集った仲間たちの献身が道を切り開く。そして、それを痛いほどに、泣きそうになるほどに分かっているからこそ、ヤツハは前だけを見据え続ける。
彼女の向かう先は、目標たる二柱、カムヰとレンリ。
ヤツハの未来を断ち切る者と、ヤツハの終わりを騙った者が、ようやく再び、夜陰の先に浮かび上がった。
だが、彼女たちを守る者とて兜のメガミだけではない。
そして、守る方法もまた、壁にて阻むだけではなかった。
「落ちろぉぉッ!」
左翼前方から、やや距離のあるハガネの叫びが耳に届いた。
直後、ヤツハの目線が急に下がり、伸ばした脚が戸惑う。それが瞬く間に悪寒へと変わり、直感は彼女に大きく前へと踏み切らせた。
その予兆から刹那の後、何重にも圧縮した轟音が足元で鳴り響いた。
次の一歩が、宙を踏む。
「……!?」
目の前にあったのは、あるはずもない切り立った崖。
戦場に、彼我の陣営を分かつかのような、底の知れぬ巨大な壕が一直線に走っていた。ひと目見て、落ちたら助からないと悟ってしまう暗闇が、ヤツハたちを呑み込んでしまおうと大口を開けているのだ。
さっと顔から血の気が引いていく。
果てしない谷底が想起させる死よりも、この脚を止めてしまうことのほうが、今のヤツハにはよっぽど恐ろしかった。
「とど、けっ……!」
落下し始める感覚を浴びて、咄嗟に己の脇腹の罅から怪物の巨腕を呼び出す。伸びた腕がぎりぎりのところで淵に爪を突き刺し、巨腕を根本側から勢いよく身体に戻すことで、放り投げられるような崖上への推進力を得る。
眼下で、支点とした土壁が脆く崩れ、大地から剥がれ落ちていった。直感を信じて踏み切っていなければ、そうなっていたのはヤツハのほうだった。
辛うじて地面の感触を得る彼女の脳裏に、併走していた二柱の安否がよぎる。
しかし、ヤツハが脱したのは前方ーー戦場に引かれた線の、向こう側。
それは目的に近づいたことと、そして同時に、敵により近づいたこともまた意味する。
パリッ、と空間が爆ぜる小さな音に、思わず鉤爪を盾とした。
「っ……!」
襲う衝撃。交錯するのは、自分のものではない金色の爪。ヤツハの瞳は、荒ぶる風雷の化身を確かに捉える。
背後の崖を意識するヤツハは、引っ込めかけていた怪物の巨腕を、肉薄してきたライラめがけて解き放つ。ライラはそれに、奇襲が生んだ接近に拘泥することなく、機敏なる動きで飛び退き、己が立場を示すように立ちはだかった。
けれど、裂けた大地をも飛び越えたヤツハに、それは立ち止まる理由にはならない。
まだ、ヤツハは止まるわけにはいかないのだ。
「退いて、くださいっ!」
再び駆け出した彼女の作る鏡像が、彼我の間合いを幻惑していく。呼び出した怪物の大口が、次なる障壁を噛み砕かんと暴れ狂う。
対し、喉で一つ唸ったライラは、そちらも弾かれたように飛び込んでくる。一瞬の後に迫る爪先は、的確にヤツハ本人を狙い定めている。
その切っ先を食い止めるのは、鏡像から首を伸ばした怪物だ。
だが、真っ直ぐに伸ばした腕に噛みつかれてなお、ライラの意思は揺るがない。
「らい、どかない……!」

強引に怪物を地面に叩きつけた彼女は、その勢いを利用してヤツハの鉤爪による斬撃を宙で身をひねることで回避、猛々しい風に運ばれた蹴撃が間断なき反撃となる。
一片の結晶で応手を防いだヤツハは、忸怩たる思いで一歩を下がった。ユリナとサイネの気配も、先程より遠くなっている。
どうしても越えなければならない壁が、ついに現れた。
この先にあるのは、叶えたい願いの通過点でしかないのに。
「ならッ!」
身体を砕き、力をさらに解き放つ。溢れた想いが、結晶の花弁となって咲き乱れる。
もはや迷いなどあるはずがない。
全霊を込めるヤツハは、行く手を塞ぐライラへ力強き一歩を刻む。
前にーーその先に、進み続けるために。