八葉鏡の徒桜

エピソード9−8:古都大決戦・終幕

 

 

 生み出された混沌とした状況の中でも、時は無情に流れていく。

 大地の興廃を賭けた戦いの最中、虚空へ媚びるように語りかける童女という光景は、まるで悪い夢でも見ているかのようだった。彼女が、警戒心を露わにした大勢のメガミたちに囲まれていることが、その奇妙さに拍車をかけていた。

 しかしそれは、人知を超えた存在たちを、今までレンリが手玉に取っていたという証拠。

 踊らされていた者たちは、混沌に呑まれぬよう潮目への注視を余儀なくされる。

 

 メガミたちの視線が注がれる先は二つ。

 すなわち、混沌の根源たるレンリ。

 そして彼女の欺瞞を暴き、騙り部と呼んだシンラだ。

 

「……改めて問いますが」

 

 肩をすくめるシンラは、お道化た調子を崩さないレンリへそう投げかけた。道化の一挙手一投足にいちいち注目するのは、それこそ愚か者のすることだ。

 一つの議論が終わっても、答えの出ていない疑問がまだ残っている。

 不在証明の核の一つとなったそれを、シンラは口にする。

 

「結局のところ、貴方は何がしたいのですか?」

 

 レンリはそれに、虚空を仰ぎ見る姿勢から、瞳だけを一瞬シンラへと向けた。

 それからくるりと、歯の高い下駄にもかかわらず器用にその場で回ってみせる。先程の変化の印象が残っているのか、纏う衣のおかげで舞のようにも見えるが、その実、自身を周囲に見せびらかして注目を集めたいだけの所作でしかないようだった。

 胸元に腕を掻き抱いたレンリは、

 

「そんなの当たり前じゃあないですか。いい子のレンリちゃんがこれまで頑張ってきたのは、わるーい徒寄花を倒すためなんですから。さあさあ、ここに集った英雄のみんなで今こそ打倒徒寄花! ……ですからー、横槍とかやめてほしいんですけど」

 

 掲げた拳をしなしなと下げ、わざとらしく頬を膨らませたレンリに、シンラは少しばかり眉根を寄せた。

 

「確かに、こちらにそれを否定する根拠はありません。それでも、先程も言及したように、貴方の振る舞いが些か理に適っていないこともまた確かです」

「えぇー、どうでもいいじゃないですか。目の前にこわーい人食い熊がいるのに、悠長にお話しするんですか?」

「槍を構えながらでも、一言告げるくらいはできるでしょう? それに、あなたが踊らせた熊たちもまた、真相が気になっている様子ですし」

 

 話を逸して煙に巻こうとするレンリの意図を遮るように、彼女の真意へと論点を繋ぎ止め続ける。飄々とした態度を装っているが、考えるだけの時間をレンリが欲しがっていることは明らかだった。

 だからレンリの次の一手も、ある程度シンラの予想の範囲内だった。

 レンリは、頬に指を添えながら小首を傾げる。

 

「なんだかなぁ、あなただけ結論ありきで話してません? レンリちゃんのこと、騙り部なんて変な呼び方しちゃって……」

 

 もしかして、とレンリは口元を隠して、わざとらしく潜めた声で問う。

 ちらちらと気にする素振りを見せるその先には、カムヰが戦場に選んだ屋敷がある。

 

「あなた、何か企んでるんじゃないですか? ひょっとしたら……他の徒神にいいように操られちゃってたりして」

「…………」

「もしそうだったら、弁舌を権能にしてるだなんて恥ずかしいにも程がありますよねえ。ただただお人形として弄ばれてるだなんて滑稽ですよ?」

 

 メガミの信用の毀損。それは、この地において徒神が徒神という名を与えられるより前から危惧されていたことだ。そして敵方の目的がはっきりした今、間者の烙印を押すことで容易にメガミを貶めることができる。

 姿や力の変質が認められないと反論したところで、誤魔化していると言われておしまいだ。無論、大半のメガミからの信用は揺らがないが、水掛け論に持ち込むにはうってつけの言説である。

 

 実際、この場のメガミたちにも、レンリの指摘を鵜呑みにしないまでも、シンラを見る目に小さな疑念をよぎらせる者は少なくなかった。傍らのウツロが、このままでは話が進まなそうだと言うように、シンラに首を振ってみせた。

 シンラは溜息一つ、懐から新たな書を取り出す。

 相手に真意を問う以上、こちらには真意を告げる用意はある。自らもまた、闇を晴らしてから臨まなければならない。

 

「でしたら、私も自らの立場を明らかにするとしましょう」

 

 親指で書の留め紐を解き、宙に広げる。天を向いた書面は漂うがままに光を放ち、途端に現れた力の気配にレンリのみならぬメガミたちが目を見張った。

 書はやがてその身全てを光と変え、瞬いた光が一つの形を成していく。

 それは褪せた亜麻色の長髪を揺らし、白亜と基調とした装いを纏う少女の姿をしていた。袖口に縫い付けられた土器のような腕輪には、古の空気が香る文様が刻まれている。腕輪と似た印象の石版じみた仮面は今、はっきりと顔が見えるよう上を向いている。

 

 ふわり、と彼女の素足が宙を踏みしめる。背筋の伸びるような厳かな気配の出現に、林の空気が硬く引き締まるよう。

 ゆっくりと周囲を確かめた彼女は、疲れたような苦笑いをレンリへと向けた。

 

「やあ、騙り部さん、はじめまして。自己紹介は必要かな?」

「……要りませんよ、語り部さん」

 

 少し間を置いて、レンリは不敵に笑い返して見せる。

 歴史と伝承を司るメガミ・カナヱ。この桜降る代を記憶し続ける語り部。ヲウカ、カムヰに並ぶ最古の三柱が一柱。

 その登場に、彼女を知る者たちが目を剥いた。

 

「ち、ちょっと! ど、どどどうしてカナヱがこんなところまで来てるんですか!?」

「あたしもびっくり、なん、だけど……」

 

 ハツミの驚愕に同調するハガネは、しかし途中で何かに思い立ったように、言葉尻をすぼめて眉を顰めた。ハガネと立ち並ぶメグミもまた、名を聞いてから同様に不審感を募らせているようである。

 これまで歴史の表舞台に姿を現さず、努めて観測者として在り続けたカナヱが、この動乱の渦中に自らを晒したことの意味はあまりに大きい。捉えようによっては、役目のために今般ようやく目覚めたカムヰよりも重大な転換点とすら言える。

 

 今まで舞台袖から役者を見守り続けてきたカナヱが、舞台に立った。

 しかしそれは、当然カナヱ自身が積極的に望んだことではないのだと、彼女を連れてきたシンラが説明を受け持った。

 

「ご覧の通り、私の動機はカナヱによる依頼です」

「……!」

 

 あんぐりとするハツミを他所に、多くの視線は疑問を物語っていた。最古のメガミが助力を請うほどの困り事とは一体何か、と。

 シンラは続けて、

 

「曰く、カナヱの眼が欺瞞の霧に覆われたと。万里の物語を見通す瞳が失われては、我々にしてみれば目隠しされたようなもの。特に、古鷹や蟹河、北部地域は何も見えない状況に陥っていたと言うではありませんか」

 

 欺瞞の霧という名付けに、嘘のメガミを意識する者が現れる。この邪な脚本家は、嘘偽りによって皆を踊らせていたと公言したばかりだ。

 だが、最古と謳われるメガミの権能が曇ることがあるのだろうか。

 そう考えた者たちの視線を受けて、カナヱが肩をすくめてみせた。

 

「注力すべき事柄があったとはいえ、油断したよ。相性による綾がこうまでなるとはね。物語情緒に訴えかける権能は、それ故に嘘に惑わされ、盲目になってしまったわけだ」

 

 しかし、とカナヱが袖に隠れたままの手でシンラを指して、

 

「論理の力は蒙を啓く。だからカナヱは、慌てて調査と対応を依頼したというわけさ」

「ぷぷっ。長く生き過ぎて、目が霞んできただけじゃないんですか?」

「ふぅん……それならカナヱの同輩たるカムヰが、斬るべき相手を間違えることもあるかもね?」

 

 レンリは自分が挟んだ茶々に、屁理屈ながらも自らの目的に水を差すような反論を受けてしまい、唇を尖らせて不満を示した。

 ただ、カナヱはレンリを手で示しながら、

 

「まあ、君への恨みつらみがないわけではないけど、それを吐き出すのはまた今度だ」

「うん?」

「霧を晴らしたかったのは、目的を最後まで果たすための障害を取り除くほうが主だよ。今は何よりも語るべきことがあるのさ」

 

 そう告げたカナヱは、レンリからあっさりと視線を外そうとした。

 カナヱの瞳が次に捉えようとした相手へ、淀みなく向けられていく。

 

 それを見てかどうか、レンリの口元が微かに動いた。

 

「――――」

 

 誰にも聞こえない囁き。

 その直後だ。

 ドォォッ! という轟音が、陽の没した方角から全身を叩いた。

 

「……!?」

 

 数多のメガミの意識が、破壊の気配に引き寄せられる。

 もう一つの戦場であったはずの、屋敷へと。

 

 

 

 

 

 このとき、一瞬であまりに多くのことが起き、一方で何も成せなかった者たちがいた。慣れない狭く不明瞭な知覚に苛まれていたカナヱもそのうちの一柱だった。

 

 林の中の議場からまず目に入ったのは、徒神たちが隠れ潜んでいた屋敷が、音を立てて崩れていく様だった。人には広大なその建造物であったモノは、まるで腹の中から胴を突き破られたかのように、ぐずぐずと亡骸を大地に横たえようとしていた。

 その最中、火の粉を散らして崩壊する屋敷から、空を経由して脱出する人影が一つ。他方、生き埋めにされまいと、方々の庭へ飛び出す人影もまた四つ存在した。宵の暗がりで顔までは見えないものの、あの場で争っていたメガミたちであることを疑う余地はない。

 

 レンリを取り囲んでいたメガミたちは、まずはこのように事態を呑み込もうとしていた。

 だが、突然降って湧いた戦況の変化は意識の間隙を生む。あの場で生死を賭けた戦いが繰り広げられていると理解していた者ほど、この推移に考えを巡らせてしまう。

 故に生じたのは、抜け穴だった。

 手癖の悪い嘘つきの身体と、手頃な樹が帯で結ばれる。そうして己の身を手繰り寄せたレンリの背中に広がるのは、衣が変化した四枚の黒き翅。初速に乗って羽ばたく彼女が目指すのは崩落する屋敷、それもカムヰが離脱した方向だ。

 

 迅速にして絶妙、注意の隙間を縫うように包囲網を脱しようとする彼女に、反応し、その上で咄嗟に阻止に動けたのはたった二柱。

 すなわち、レンリへと最大限の注意を払っていたシンラと、そもそも屋敷の崩落に興味を向けていなかったクルルである。

 

「っ……! まだ議論は終わっていません……!」

 

 けれど、さしものシンラも奪われていた意識が大きすぎたのか、うまく権能の乗らない言霊を咄嗟に叫んでしまう。

 一方のクルルは、手にしていた絡繰銃の引き金を引いていた。放たれた光は瞬く間にレンリに追いすがり、その肢体を貫いた。

 

「あッ――っとぉ!」

 

 しかし、左脚から桜色の霞を棚引かせるだけで、その逃走を止めるには至らない。食いしばり、林の宙空を疾く駆けるレンリにクルルの次弾は当たらず、誰もの間合いの外へと逃げおおせてしまう。

 シンラの声に意識を引き戻された者たちが、徐々に事態を呑み込んでいく。ただ、彼女らが地面を蹴ったときにはもう、レンリの姿は屋敷の崩落で巻き上げられた土煙の壁を引き裂いていた。

 

 追跡を決断したカナヱの判断は早い方だったが、視界の隅でユリナとウツロが追い抜いていく。メガミたちの間で意思が統一されていたわけでもなく、ばらばらとしたまとまりのない足音が林の中に鳴り響く。

 レンリを追ったのは、未だ語られぬ真相を聞き出すためだけではない。

 ただ逃げるのみならず、彼女の動きは明確に目的を持ったそれだ。その向かう先が、古鷹の地に舞い降りた紅き劇物ともなれば、さらなる混沌の到来を予期しないわけがない。

 

 しかしレンリは、置き去りにしたメガミたちをあざ笑うかのように、屋敷前の道に降り立ったカムヰの下へと辿り着く。当然のように、カムヰはレンリに刃を向けることはなかった。

 

「――――」

 

 自分のことを見向きもしないカムヰへ、レンリは何事かを囁きかけているようだった。

 その最中、はら、はら、と。レンリから淡い輝きを纏う羽衣が、薄皮を一枚一枚を剥がしていくかのように次々と生まれ出る。

 カナヱは、そこにはっきりと見てしまった。

 数多の衣に刻まれた、それぞれが異なる奇妙な文様の存在を。

 それは、レンリがただ一つだけ持っているはずのものなのに。

 

「なぜだ……!」

 

 こんな事象は、長い時を記憶し続けてきたカナヱにとっても理外であった。

 そして同時に、事の重大さに気づけるのもまたカナヱだけ。

 彼女の驚愕の声に、レンリの口が波打つ三日月のように歪んだ。満月のように見開かれた双眸は、後手に回ったカナヱを嘲笑っていた。

 感情の見えないカムヰの瞳が、レンリを捉えている。

 

「あなたなら、これで分かりますよね。自分がこうなった意味を。そしてそして――一番の手間は、もう終わっていることを」

「だめだ、カムヰっ!」

 

 わざとらしくカナヱに聞こえるよう、カムヰに告げたのは、破滅への誘いだった。

 遮二無二、カナヱはレンリを引き剥がすべく力を行使しようとするも、仮面から放たれる光は途中で霧散してしまう。この舞台はまだレンリという騙り手が作り出した物語から脱しきれておらず、残り続ける欺瞞の霧が筋書きの書き換えを許さない。

 

 林を抜けつつあるメガミたちも、レンリに手を届かせることは叶わない。隣のカムヰを巻き込んではならない、という無意識の枷もまた時間を浪費させる。カナヱの警句は皆に相応の警戒心を抱かせるに十分ではあったが、手段を選ばず実行に移せるほどのメガミは現れなかった。

 言葉を武器とするシンラも、レンリの源泉を掴みあぐねている以上、蛮行を止めさせるだけの論理を見いだせていない。

 

 左肩からしなだれかかるように、レンリはカムヰを抱きしめる。小さな唇が、耳元で囁きかける。

 そしてカムヰは目を見開き、周囲に揺蕩っていた四振りの剣が舞い踊り始める。

 刀身は寄り添い、重ね合い、二つを一つへ。

 その重ねた二振りを捻じり、撚り合わせ、四つを一つへ。

 描き出すのは二重の螺旋。

 

「っ……!」

 

 徒神を屠らんとした、破壊の螺旋。

 メガミに死をもたらす、処刑人の一槍。

 だが、今まさにこの地上に顕現した刃が孕むのは、終わりを与える権能ではない。

 そこに宿るは、人々にとって、そして数多のメガミにとって未知の力。

 カムヰの、もう一つの権能。

 

 

 

 

 

 一手を打ったレンリの口元が、現れる変化を目前にして吊り上がる。

 ……『彼女』は、それを待っていた。

 敵を迎え撃てるという確信を得たその横顔を。

 脅威から隠し通せたと思い込んでいるその背中を。

 螺旋の剣が、くるりと切っ先を地面に向けようとしたそのときだ。

 

「……!?」

 

 宵闇と衣が放つ淡い光だけで彩られていたレンリの周囲を、赤と青が侵食し始めた。

 立ち上る不吉な靄が、二柱を覆うように渦巻いていく。

 

「なに、これ――」

 

 レンリは靄を振り払おうと腕を動かしたが、その所作はどこかぎこちない。彼女自身もそれに気づいたのか、顔が強張っていた。

 姿勢を変えようとしていた剣の動きも緩慢で、カムヰは起きた異常を無感動に眺めている。

 

 これは、今に至る二十年余り、この地の人々との絆を不器用なりに培ってきた『彼女』の新たな力。

 メガミにとっては短くも、人にとっては長く、そして人であった者にとっては必然として長い時間は、彼女を少しずつ医薬の象徴へと押し上げんとしていた。

 それでこそ彼女は、縁を重ねて新たな形のそれを創り出した。

 自分の力で、自分を守るために。そして、大事なものを手のひらから零さないように。

 

「は――」

 

 レンリが余裕のない顔で背後に振り返ったときには、既に距離を詰め終えた後だった。

 横合いの林から鋭く飛び出した一つの影。

 燕のように低い姿勢で急接近した、形ある宵闇。

 紫紺の雫を滴らせる刃を構え、強襲を叶えたのは毒のメガミ。名をチカゲ。

 

「お前ですね」

 

 

 最後の足を踏み切ったチカゲの眼差しからは、澱んだ怒りとその源泉たる歪な愛情が溢れ出していた。

 その感情は、もう息と共に潜める必要はない。レンリ自身が行ったのと同様に、意識の外から潜り込んだチカゲに対し、毒を吸ったレンリが取りうる対応は皆無に等しい。カムヰの目もチカゲを捉えていたが、すぐに迎撃する様子はなかった。

 

 濃縮された死を前に、レンリの瞳に恐怖が湧き出した。

 致死の刃が、真っ直ぐに細い首へ吸い込まれる。

 演者の望まぬ舞台を誂えた無粋な黒子を、これでようやくつまみ出せる。

 

 ……その、はずだった。

 

「がッ――」

 

 切っ先が、虚空を切り裂いた。

 あと五寸ほどで、レンリの肌まで届いたはずだった。

 

 遅れて感じ取れたのは、鈍く膨大な衝撃の残滓。

 チカゲの身体が、左の脇腹に姿なき巨大な弾丸を放たれたように、宙でくの字に曲がっていた。刃を振るっていた右腕は、レンリの背後側へ身体が押し出されたことで、レンリの顎先一寸の距離を掠めていた。

 

 そこまで理解したところで、遅れてやってきた混乱と苦痛がチカゲの頭を埋め尽くす。

 そして、ろくな思考の許されない暴力が全身を縦横無尽に駆け巡る。強すぎる衝撃は、チカゲの細身の身体を容易く吹き飛ばしていた。幾度も地面を跳ね、受け身を取ることすらままならずに土に、そして自身であった桜の輝きに塗れた。

 

 ようやく動きが止まり、星の見え始めた天を仰ぐ。立ち上がろうとしたところで、チカゲはもはやそれが叶わぬものと悟った。

 奇襲をまともに喰らった左の腰のあたりと左腕は、とうに光に解けていた。

 レンリの傍からこちら、雄大なまでに広がった桜色の川が、傷の深さを物語る。

 

「な、ぁッ……?」

 

 チカゲの本能も思考も、あの瞬間が最善であり、必殺であると確信していた。

 それは、まさに凶刃を浴びようとしていたレンリが、ぽかんとチカゲの有様を眺めていることからも明らかだった。レンリとしても予想外の出来事だったのだ。隣のカムヰも人形のように動きはない。

 

 歯を食いしばり、己の行く道を妨げた者を探す。

 霞みゆく視界の中、それでもその下手人ははっきりと目で捉えられた。カムヰと、彼女に倣ったレンリたちと同じように、ただ前を見るだけで彼女は見つけられた。

 

「はぁ……はぁ――っ、あぁっ……」

 

 肩で荒く息をする、新緑を纏った大柄な少女。

 メグミと呼ばれたそのメガミは、言い訳のしようもなく、彼女の得物をチカゲのいた空間へと構えていた。

 だが……メグミの得物であった唐竿は、あれほどまでに奇妙な姿だっただろうか。

 枝という枝が螺旋を描くように幹に巻き付き、不可思議な形のこぶを成したようなそれは、呪い師が持っているような神秘的な杖のよう。決定的な違いがあるとすれば、それが生み出すのは気休めのような厳かさではなく、メガミの肉体を穿つほどの力であることだろうか。

 

「なんで……」

 

 レンリから、疑問の呟きが零れて落ちていた。チカゲの位置からでは、少しだけ震える口元しか認められなかったが、その動揺と驚きは少なくとも本物のように思えた。

 メグミの行動は、誰にとっても計算外。

 チカゲもまた、メグミのことをまかり間違っても自分をここまで妨害できる存在だと考えていなかった。圧縮した風はチカゲまで届かないか威力が足りないと切って捨てていた。

 

 消耗していたはずのメグミに、何か変化が起きている。

 その、何者かの意思が刻みつけられたような唐竿も。

 瞳の奥に微かに宿る、桜色の光も。

 けれど、闇に呑まれた始めたチカゲの意識の底から、思考が無に漏れ出していく。

 

「めぐめぐ、どうして……!?」

 

 遠く、酷く遠くのほうから、ハガネの声がする。

 わらわらと、視界の果てが騒がしい。

 

「分かんない……分かんない、けどっ……!」

 

 

 杖と化した得物を構えたまま、メグミが叫んでいる。

 手放したくても手放せないのだと、訴えている。

 それはまるで、顕現武器に振り回される新米ミコトのよう。

 己の意思を武器に通しきれぬかのよう。

 

 そんなメグミを他所に、視界の端で蠢く大きな影は、カムヰの生み出した螺旋の刃。

 彼女を急かすようにレンリは強く抱きつき、首元に顔を埋める。

 それが最後の合図であるかのように、切っ先は大地に向かい――彼女たちの足元で幾重にも重なっていた、レンリの羽衣を貫いた。

 

 極光が、世界に溢れかえる。

 

「ぅ……」

 

 打ち付ける衝撃。

 塗りつぶされる視界。

 その鮮烈さにチカゲの意識は溶け、彼女の顕現体も桜と散っていった。

 

 

 

 

 

 必死に駆け出していた者がいた。

 状況の観察に努めた者がいた。

 届かぬと知って、力を解き放とうとした者がいた。

 チカゲの強襲が生み出した猶予の中で、遠ざかっていたレンリの背中を捉えたメガミたち。彼女らの行動はまちまちであり、時間が使い果たされたと悟ってなお食いつこうとした者もいれば、守りの姿勢を取る者もいた。

 

 結局、誰一人として阻止は叶わなかった。

 何が起きるかは分からない。けれど、最悪の邂逅ということだけは理解している。

 それを証明するかのように解き放たれた光の奔流に目を焼かれ、迸る圧力に正面から押しつぶされそうになり、辛うじて地に足をつけていた。

 

 ヤツハもまた、その一柱だった。

 燻る願いと逃れ得ぬ迷いの中で、命運を分かつ戦いをただ眺める他なかった彼女は、己の身から飛び出した鉤爪に地面を掴ませ、輝ける濁流が過ぎるのを必死で耐えた。

 

「あぁ……なんてことを……」

 

 閃光と衝撃が収まったとき、最初に聞こえたのはそんな悲嘆だった。

 声の主はカナヱ。

 彼女はヤツハと並ぶようにして、空を見上げていた。

 しかし、その態度はまるでそこに何かがあることを初めから理解していたようで、その声色もまた、最悪の予想が当たっていたことを嘆くようだった。

 

 誰よりも焦っていたカナヱだけは、知っていたのだ。

 光の中で生まれる、絶望を。

 そして、彼女の視線を追ったヤツハたちは目の当たりにした。

 目の前に広がった、荒唐無稽な光景を。

 

「うそ……」

 

 上背の高い少女の形があった。

 人形遊びが似合いそうな小さな童女の形があった。

 しなやかに鍛えられた肉体美を誇る女の形があった。

 皆それぞれに姿形を違えつつも一見して麗しく、けれどその顔は面の如く感情が欠落しているかのよう。それがずらりと並ぶ様は背筋に否応なく寒気が走る。

 

 そして何よりも、その圧。

 光と共に放たれていたものが何であるかを理解させられる、圧倒的な気配。

 そう、それは人の理を超える存在。

 近くに神座桜もない古鷹郊外の空に、無数のメガミたちが現れていた。

 

「これ……」

 

 愕然といった様子で、ユリナが呟いた。

 誰もが、この情景を信じがたいと顔に表していた。メガミとして感得できるからこそ、目に映る景色を否定することができなかった。互いに否定してほしくて、皆が沈黙を選んだ。あのクルルですら、好奇心に驚愕がせめぎ合って言葉を失っている。

 確信を持って異論を投げ入れたシンラすら、例外ではなかった。一本線が繋がったような眼差しではあったものの、理不尽ですらある現象を前にして暗黙の疑問に答えることはない。

 

 ヤツハは、共に居たメガミたちの様子を見て、非情な結論に至ってしまった。

 初めは、自分が一番若輩者だからだと思っていた。徒寄花に桜降る代へ産み落とされて、様々な出会いこそしてきたが、それも限られたものだから、と思いたかった。

 

 ヤツハの知らないメガミたちが、そこにいる。けれど、誰もが彼女たちの名を呼ぶことはなかった。

 ヤツハの知っているメガミたちも、そこにいる。けれど、彼女たちの貌は人形のようだっただろうか。

 互いに、誰も知らない。知っていても、別人にしか見えない。

 つまりそれは、

 

「あぁ、そうだよ。これこそが、君たちがメガミを殺す者として恐れるカムヰの、もう一つの権能――」

 

 その意味を唯一知っているカナヱが、回答の任を請け負った。

 こんな状況で明かすことになるとは、とでも言いたげな苦笑いを含んで。

 

「名を刻む剣の力……メガミを、創る権能さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナヱの言葉に、もはや驚きはなかった。ただ、麻痺した思考が整理されただけでしかなかった。現実は、説明付けられたからと言って変わることはない。

 本来なら祝福と共にあるはずの力が、今は敵意でもって振るわれている。

 問答無用で徒神を屠らんとするために。

 ヤツハの、敵として。

 

 レンリは、カムヰに抱きついたまま、生まれたばかりのメガミたちに空で囲まれていた。

 彼女は静かにカムヰから身を離し、宙を舞う。

 地上を見下ろすその面差しは、先程正体を暴かれたときのように空っぽだった。

 煮詰まりきって蒸発してしまった感情が、宣告に変わる。

 

「お前の物語は認めない」

 

 自分への挑発だと捉えたのか、カナヱの眼光がひときわ鋭くなる。

 しかし、ヤツハにとっては別の意味しか聞こえなかった。

 レンリの瞳が、はっきりと自らを――ヤツハを射抜いていた。