八葉鏡の徒桜

エピソード9−4:古都大決戦・第三幕

 

 野次馬の染み出してきた通りを、キリコは先頭を切ってひた走る。都の中心部を抜け、事態の中心に近づくほどに、道行く人々の動揺は大きくなっていく。ただならぬ気配を纏って駆ける彼女たちの姿が、その騒がしさにますます火をつけていく。

 

「このまま突っ切ろう」

 

 郊外まで出たところで、一行の行く手を阻んだ雑木林を前に、メグミもハガネも異を唱えなかった。道を探して迂回だなんて悠長な選択は許されないのだと、己にきつく言い含めているかのようである。

 実際、権能の助けも借りて、獣道もろくにない林を進む二柱は、足取りの軽やかさとは裏腹に肩に力が入っているように見えてならなかった。枝葉をどけてくれる草木も、酷く荒れた地面を均してくれる大地も、神秘的に見えるだろうその光景は、戦場に赴く兵と緊張を共にしながら出立を厳かに見送る民衆のようであった。

 

 そして樹々の合間を抜け、開けた視界の中で目にしたのは、向かいの林を背負うように立つ、野暮ったいほどに大きな色気のない屋敷だ。

 その左手側、屋根が一角食い破られたようになったその庭先で対峙するのは四つの影。

 何人たりとも見紛うことのない、四振りの大剣を纏う幼き少女の形は、三名を相手取りながらも堂々と攻め手を捌いているところであった。

 

「どうも始まったばかりと見えるけど……おぉ、流石はカムヰ様だ、ヲウカ様と並ぶだけはある。あの人数差でも全く負けちゃいないね」

「とことこにさいにゃん……あの見た目の感じは――」

「徒神……」

 

 

 歯噛みしながら、同じように状況を俯瞰していたメグミが忌々しく口にした。

 

「やっと……やっとはじめましてができると思ってたのに、こっちでもこうなるなんて。ねぇ、ハガねぇ……あれが本当にトコヨさんとサイネさんなの?」

「あれは、徒神だよ。同じ武器を持ってるだけの、敵だよ」

「っ……」

 

 非情に断じられたメグミは、しかし僅かに足元に目を落としただけで、再びしっかりと現実を示す戦いを見据えていた。それが、若くして凄まじいまでの重荷を背負った英雄の義務だとでも言うように。

 

「みずきち、敵に回ると厄介だね……――あれ? 三人しかいない……?」

 

 戦場を観察し続けていたハガネが、途端に険しい表情になった。

 この古鷹の地に潜伏しているとして挙げられた名前は四つだ。

 そのうち、最も核心に近いと思われる者――鏡のメガミ・ヤツハの姿が、カムヰの眼前たる戦場には存在していなかった。

 そのヤツハが実際に古鷹に向かっていることは、蟹河からの道中、キリコが直々に人相書きを書いたおかげもあって目撃情報として掴めている。

 

「気づいたかい? 暁で消し飛んだのなら万々歳だけど、楽観はできないよね」

「屋敷の中にまだ隠れてるなら話は早いんだけど」

「まさか。彼女、気弱そうに見えるけど、きっと部屋の隅っこで震えるようなタマじゃあないよ。私の前で仮面を被ってたのなら尚のことさ」

 

 もしもそういった一癖ある人物の姿が、戦場で見えないとなったら。

 そもそもこの場にいなかったと祈るよりも前に、やらねばならないことがある。

 それが破滅の運び手であるのなら、なおさらだった。

 

「メグミ君とハガネで、ヤツハを探し出してもらえるかな。もし裏口から裏手の林まで逃げ込まれてたら、君たちのほうが得意な場所だろう? カムヰ様に助力したくなるところではあるけど、今すぐに負けるようなことにはならないだろうし、伏兵が何か企んでるほうが危ないからね」

「なるほど……じゃあキリコさんは?」

 

 メグミは、力の拠り所とする唐棹の感触を確かめながら訊ねてくる。

 それにキリコは今来た林を親指で示して、

 

「ユリナたちも別で動いているだろうから、私のほうで連携を図ろうかとね。合流できたらカムヰ様か、君たちに加勢しよう。それまで無茶はしないで――」

 

 いや、とそこでキリコは言葉を切った。

 メグミたちに、因縁はある。けれど、それは向こう側での話であって、彼女たちに苦汁をなめさせた敵と全く同じ存在ではない。

 だから、あくまでこの危機はこの地のもの。

 息をつく暇もなく戦いに身を投じさせているのは、桜降る代の者たちなのだ。

 

「無茶をするな、なんてどの口が言うか、という話だったね。異なる歴史からのお客人を巻き込んで、実に申し訳ない。だけど……この地を救うため、どうか力を貸して欲しい」

 

 こくり、と。

 改めて筋を通すキリコに、メグミとハガネは黙ってじっくりと頷いた。面差しに表れた意思は固く、いくつもの死線を越えてここにいることの意味を、胸に深く刻んでいるようだ。徒寄花との再会は絶望とすら言えるものだろうに、その瞳から光が失われることはなかった。

 

「絶対に、守るから」

 

 メグミがそう言い残すと、二柱は戦場となっている屋敷へと向かっていった。朱色が滲み始めた日差しが、彼女たちの背中を押していた。

 キリコは微笑みを浮かべながらそれを見送り、

 

「さて……慌ただしいけど、ここが分水嶺。もうひと頑張り、急がないと」

 

 誰ともなしに呟いて、都方面へと身を翻す。

 メガミの通った道なき林道に、一陣の風が吹き荒れた。

 

 

 

 

「おわっ!? ちょっ、お姉さんいきなりなんだい!?」

「少々、お邪魔するよ」

 

 林を抜け、ちらほら家が立ち並ぶようになってきたところで、キリコは火の見櫓にひょいと駆け上った。先程の大揺れと衝撃に、先客の男は有事を警戒し続けていたようだった。狭い櫓の上ですれ違い、半鐘に頭をぶつけそうになる。

 荒く息する胸を宥めながら、彼女が見渡すのは都の方角だ。入ってくる光景と音に集中すれば、まだ距離のある街中の状況も掴み取れる。

 

 街はそろそろ地震への動揺が収まってきたようで、危険視した一部の人々が屋敷方面へ向かい始めているのみであり、大々的な動きは見受けられない。手練と思しきミコトが数名、林を迂回する街道を既に急いでいたが、すぐに援軍を呼びに戻ることになるだろう。

 しかしその街中で、特に騒がしい気配のする一角がある。それも、都の西側から最短で現場へと駆けつけようとする動きを伴っている。

 

「ふーっ……」

「えっ!? ちょっ、飛び降りちゃ危な――」

 

 束の間の休息を終え、当たりをつけた場所へ、息を殺しながらキリコは急ぐ。あの経路であれば、郊外に抜けるのに都合のいい通りは一つに決まっている。整備された街並みはこういうときに便利だ。

 駆けつけた先で、手頃な民家の陰に身を隠す。

 十数える前に、人気の少ない街道を駆けていくのはユリナだ。先頭を行く彼女の後には、ウツロ、ホノカと続いていく。

 

「ふぅん……」

 

 予想通りの三柱が揃っていることを確認し、唇を舐めて湿らせる。

 皆まだ武器こそ手にしていないものの、このあと戦いは避けられないと考えているのか、メガミとしての力が滲み出している。

 ただ、その中でも最後尾のホノカは、やはりどうも本調子ではなさそうだ。転生したことで大きく力を失ってそもそもこうなのか、あるいは現れた向こう側のヲウカに影響されたのか。いずれにせよ、蟹河からこちら、共に過ごしてきた中での推測は正しいようだった。

 

 ならば、想定通りに動けばいい。

 思い描いていた流れを、遵守すればいい。

 

「…………」

 

 密かに、それでいて素早く。

 自らの武器たる長巻をその手に顕現させ、キリコは物陰から踏み出した。

 一行の完全な死角になるよう、彼女は背後からその背中を狙う。

 

 確実に、それでいて、致命には至らせず。

 反撃を封じながら、悲鳴を上げるだけの猶予は与えるように。

 その刃を――小さな身体めがけ、振るう。

 

「ぃ、ぎゃっ……!?」

 

 曖昧で不思議な手応えが、ホノカの顕現体を深々と断ち切った確信をもたらした。

 盛大に舞い上がる桜吹雪の中、悲鳴を上げてくれた彼女は、辛うじて膝立ちで耐えようとしたところで、それも叶わず倒れゆく。いかにメガミとはいえ、何の覚悟もなく受けられる痛みではなかったはずだ。

 

「ぽわぽわちゃん!?」

 

 対し、ユリナとウツロの反応は早かった。ホノカが崩れ落ちるまでにはもう、速度を殺して反転、瞬く間に得物を手にしている。

 特にユリナの判断は迅速で、振り返ったウツロが僅かに動揺を見せている間に、彼女を抜かしてキリコとの距離を消し飛ばすように間合いを詰めてきた。

 そして、キリコに振るった一太刀もまた容赦ない。顔に驚愕を浮かべながらも、まずは鍔迫り合いに持ち込むべしと、胴めがけて押し付けるように横薙ぎを繰り出した。

 

「なんでッ……!」

「おぉ、怖い」

 

 それにキリコは長巻の刃で素直に受け止める。だが、打ち合った衝撃によってか、ずるりと柄の半分が鞘のように抜け、顕になった隠し刃が空いたユリナの脇を鈍く映していた。

 身を引くように刀を引き寄せながら、旋回して反撃とする。

 

「っ……!」

 

 予想外の得物だったのか、ユリナは自ら切り払って間合いを外す。

 その間、キリコが一歩前に出ると、ユリナが再び踏み込んでくることはなかった。何気なく手にした両刃の長巻の刃先が、倒れ伏すホノカに向いている。どれだけユリナが速かろうと、少し踏み込むだけでホノカを害せるキリコに分がある。深手を負ったホノカ自身も同様で、意識の定かでない瞳で見上げてくるものの、無謀な行動に出るつもりはないようだった。

 

 強襲してきた相手に、初撃を捌くだけの技量がある。

 その事実は、負傷者が相手の支配圏にいる位置取りと共に、ユリナたちを硬直させるには十分な状況だった。

 そのダメ押しが、下手人はここまで同道してきたキリコであるという現実。

 短い仲だし、当然信用とは程遠い関係だったが、まさかここまでの凶行に及ぶとは、とユリナの顔にはっきりと書いてあった。一瞬たりとも目を離すまいとする彼女たちの姿勢に、キリコの口元が歪んでいく。

 

「キリコさん何のつもりですか」

 

 少し早口気味に問うユリナから、焦りを感じる。

 キリコはその前のめりな気持ちを宥めてやるように、ゆっくり時間をかけて肩を竦めてみせた。

 

「そうだな……この混乱に乗じて、偉大なるヲウカ様の名を騙る偽物を始末しようとした――なんてどうかな?」

「キリコさん……!」

 

 もはやユリナは苛立ちを隠そうともしなかった。冗談にしては度が過ぎているし、キリコは実際今まで彼女たちにそんなそぶりを見せてこなかった。けれど、それが宮司たちの過激な思想の延長線上にあることも確かで、だからこそユリナたちは切って捨てることもできない。

 そんなたちの悪い答えを告げたキリコに、真意を吐き出させようとしてユリナは立派な刀と、積もり積もった疑念を向けてくる。

 

「そもそもヲウカさんたちと急いでここに来たのだって、あなたの証言からでしたけど、あれって本当なんですか?」

 

 鏡のメガミ・ヤツハが邪悪なる意思を持ち、それに感化されたメガミたちが結集し、この地に害を成そうとしている――それが、キリコが桜花拝に持ち込んだ証言だ。昨今の情勢や向こう側の情報も相まって、この徒神討伐隊が編成され、急遽遠征することとなった。

 

 ユリナは最初からこの流れに納得していないようだったが、一つの終焉を受けては流石に強引には咎められなかったようで、止められないまま同行するに至っている。

 別に疑問を持たれていても構わない。完全に信頼されるには急場に過ぎる。

 けれど、それで盤面をひっくり返されては困るのだ。

 

「確かに、向こう側では徒寄花のせいで悲劇があったと思います。ヲウカさんたちが心配になるのも分かります。でも、ヤツハさんが邪悪だ、というのはやっぱり想像できません。桜降る代を滅ぼすなんてなおさらです」

「ほうほう。それなら、ヤツハは化けの皮を被るのがよっぽど上手かったんじゃあないかな。他のメガミを誑かしていることだしね」

 

 それに、と左の手のひらを上にしたまま、ユリナを指差した。

 

「話を聞くに、一度会って決闘したっきりなんだろう? 私だって一度顔を合わせて、調べてみたら企みに行き着いただけ――ほら、君も私と似たようなものだ。然るに……君はヤツハの邪悪を真に否定できるほど、彼女を知り尽くしたとでもいうのかい?」

「……桜花決闘でヤツハさんから感じたのは、境遇を乗り越えようとするひたむきさと、桜降る代を愛そうという意思でした。だからわたしは、彼女が破滅を望むような人じゃないって思ったんです!」

 

 吠えるユリナは、自分の物差しにかなりの自信を持っているようだった。相手の全てを知っているかという誰もが口を噤んでしまう問いを前に、迷いは見受けられない。

 しかし、キリコは呆れ顔を返すばかりだ。

 

「おいおい、言うに事欠いて何を君は……流石にそんな判断材料でこの地の存亡を賭けられちゃあ困るよ。悪党だって、武神と決闘せざるを得ないともなれば、いい子にもなるさ」

「それはッ……!」

 

 反論に、ユリナは叫びを噛み殺した。本当ならキリコの意見に噛みついてやりたいところを、思いが溢れるあまりにどう反駁すべきか、そもそも続けたところで自分の物差しを受け入れてくれるのか、考えあぐねているようだった。

 にやにやと次の言葉を待っていると、それはまだまだ冷静なウツロからだった。

 

「なら、今日着いて、その日にカムヰが来た……これは偶然?」

 

 あまり表情に動きがないと思っていたウツロだが、影で編まれた大鎌を手に、今や眉をひそめてキリコへと明確な警戒心を向けている。

 切り口を変えた疑問に、キリコは思わず口端を歪めた。

 顎に人差し指をあて、感情を悪戯めいた笑みに変えながら、

 

「ふふ、偶然と必然の綾、あるいは努力の結果といったところじゃあないかな」

「……そう」

 

 そんな迂遠な答えであっても十分だと思ったのか、じり、とウツロはつま先一つ分間合いを詰める。

 しかし、対するキリコはもっと大胆な一歩を刻むことができる。

 長巻の刃が、意識の飛びそうになっているホノカの首元にひたりと寄り添った。

 

「少し、警告をしておこうか。お忘れかもしれないけど、私は旧きメガミ様方の従者だ。だから、偉大なる紅き剣からもそのお力を借りている……かもしれないし、そうじゃあないかもしれない。いずれにせよ、あまりその身で確かめたくはないだろう?」

「だから……結局、あなたは何がしたいんですかッ!」

 

 激昂したユリナが、肌身で直接感じられるほどのでたらめな気を放った。思わずキリコが少したじろいだほどのそれは、辺りの草木までをも揺らしている。もしこの場を覗き見ていた人間がいたら、ひとり残らず立てなくなったことだろう。

 しかし、その程度の牽制で彼女は飛び込んでこない。武神の名は伊達ではないようだった。翻弄される中で事態が進行している現状への怒りをぶつけてきたといったところだが、その裏でキリコがどれほどの覚悟で凶行に及んでいるか、値踏みしたようでもある。

 

 もちろん、威圧された程度で収めるような矛をキリコは持っていない。

 ユリナたちには理解しきれないであろうこの状況も、酔狂で作り出されたものではない。

 少しでも企図が挫かれる可能性を減らすなら、また飄々とはぐらかせばいい。

 けれど、生まれた静寂の中で零した声は、朗々としながら、軽薄さはなく。

 

「君たちにとっては、きっと取るに足らないことさ」

「え……」

 

 遠く、遠く、彼方を見つめる視線の先には、戦場となった隠れ屋敷がある。

 林に遮られたそれを映そうとするキリコの瞳は、誰かの背中に刃を振り下ろした者とは思えないくらい不思議なほど……そして不気味なほど、澄み渡っていた。

 今までにない態度で語るキリコに、ユリナもウツロも、釘付けになっていた。

 

「私にこの地を害するつもりはない。どちらかと言えば助けようとしている。お話はいつだって、めでたしめでたしで終わるほうがいいからね」

「…………」

「だから苦心して、最善を尽くした。幸運にも恵まれた。これはその末の――いわば、自己満足ってやつさ」

 

 整った顔ではにかんだ。歪なまでに純粋な眼差しと合わせて、無垢なまでに何かを信じる子供のようで、大人びた端正な顔立ちに滲む色にしては浮きすぎていた。

 目の前には、せっかくの自己満足の成就を阻みかねない者がいる。

 その障害のほうから都合よくおとなしくしてくれると思うほど、キリコは子供ではない。

 

 故に彼女は、焦点をユリナたちに戻す。当然ながら、キリコに感化されたわけもない。むしろキリコを恐れるように、得物を握る手に力が籠められていた。最悪、ホノカを無視してでも突っ込んできかねない気迫だ。

 それにため息をつきながら、キリコは前を警戒したまま屈む。

 そして彼女は、呻くホノカの耳元に顔を寄せながら、こう告げた。

 

「そういうわけだから、せめて少しだけ……私と踊ってはくれないかな」

 

 

 

 

 屋敷の裏口は、表玄関と遜色がない程度には立派な玄関口になっていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 一瞬、ヤツハは間違えていつの間にか表の方へ回ってしまったのかと焦るが、戸を開けた先には、鬱蒼と枝葉を茂らせた背の高い樹々がきちんと出迎えてくれた。北東にある山々から延々と広がっている山林だ。

 もう日暮も近づいたこの時間、決して視界がいいとは言えなかった。ずっと先で蟠っている闇が、大樹の影によるものなのか、はたまた見通せぬほど行き止まりが遠いからなのか、それも判然としない。

 

 しかし、ここが裏手だと理解してなお、違和感は拭えなかった。

 ここにあるはずの喧騒が、どこにもない。

 騒ぎで生き物は逃げたのか、か細く啼くのは風の声だけで、剣戟の音は聞こえない。

 もしかしたら林の奥へと戦場を移したのかもしれないが、視界の限られる中、ここから行方を追うことはできなかった。

 

「ぅ……」

 

 そわそわと這い回る違和感に、さぶいぼが立つ。戦場に駆けつけるための善意という名の張りぼてが、意思から削ぎ落とされていく。

 言葉にしきれないその感覚は、どこか背筋を凍らせるような悪しき流れを感じ取ってしまうには十分過ぎるものだった。

 

 だが、今のヤツハに他に進むべき道はなかった。元よりふらふらと流されるように足を動かしていた上に、戻ったところでヤツハを送り出してくれた者たちの戦場がある。

 だから、躊躇はあっても、歩みは止められなかった。

 じっとりと湿気を含んだ土へ、ヤツハは踏み出した。

 

「…………」

 

 一歩また一歩と、自ら樹々の作り出す暗がりに身を投じるように、林を進んでいく。人の手が入っているのか、視界の高さまでに道を塞ぐような枝葉は生えていなかった。その代わり、ふかふかと落ち葉の積もった土は、ヤツハの靴では少しばかり歩きにくい。

 一方、そんな人の歩みの分かりやすい地面には、彼女以外の足跡はなかった。激しい戦いが行われた痕跡なんて、どこにもありはしなかった。

 

 ひょっとして、戦いはもう終わっているのではないか。

 あるいは、息を潜めて機を窺うような戦いの渦中にいるのではないか。

 気づかぬ内に戦場に立ち入ってしまわないように、神経を尖らせ、気配を探りながら一歩ずつ慎重に進んでいった。

 ……故に、現れたその気配に、すぐにでも気づくことができた。

 

「っ……」

 

 軽く歯噛みしながら、背中に向けられた鮮烈な意思が、相手も既にこちらに気づいているのだと教えてくれた。

 むしろそれは、力強い使命の下にヤツハを呼び止めたかのよう。

 相手は後ろにいるはずなのに、それがどうしてか眩しく思えてならなかった。

 

 息を呑み、相手からの視線に肩を引っ張られるように振り向く。

 沈み始めた夕日を背に、歩み寄ってくるのは二つの影。

 どちらも会ったことのない女であり、そしてメガミであった。片や新緑を身に纏ったような装いの背の高いメガミであり、片や翡翠色の厳つい篭手をはめた左腕側の着物をはだけさせた少女のメガミだ。

 

 前を行くのは、長身のメガミ。その足取りは淀みなく、さりとて慌てるでもない。しかし、力強さが彼女の心境を示しているよう。

 ヤツハは、そんな彼女と目があってしまった。

 夕焼けの逆光よりも眩しい、感情の火が煌々と灯る彼女の目と。

 

「あぁ……」

 

 そのとき、ヤツハは腑に落ちた。腑に落ちてしまった。

 そのメガミから発せられるのは、明瞭なる敵意。感情と信念を伴った、確固たる意思を伴う敵意。

 彼女と見つめ合ってしまった今、これまで感じてきた敵意は、ちっぽけなまがい物でしかないことを思い知らされた。

 コルヌも、トコヨたちも、屋敷の中で襲ってきたメガミも。

 果てはあのカムヰですらも、処断の刃という役割に添えられたものでしかなかったと、理解できてしまった。

 

 自分がこの地の敵だというのなら、この結末は自然と納得できた。

 ただの雑草に特別向ける感情はない。

 何かに、誰かに仇なす花は、必然、何者かと因縁を結んでいる。

 その結実がきっと、このメガミなのだろう――辿り着いた帰結と連動するように、ヤツハの力が無意識的に引き出される。ぴき、ぴきり、と身体に入った罅から、冷めた緑色に輝く花が次々と顔を出した。

 

 それを見た相手は、目を細め、立ち止まる。

 そしてさらに堅い意思を込めて、初めて声を作った。

 

「あんたは……あたしのことは、知らないかもしれないけど」

 

 彼女が前に出した手の中に顕現したのは、青々しい蔓の巻き付いた唐棹。

 実りを取り入れるための道具が、武器として向けられる。

 ヤツハという災禍を討ち果たし、新たな命を芽吹かせんとするように。

 

「やっと会えたね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……、これでいい。