八葉鏡の徒桜

エピソード9−3:古都大決戦・第二幕

 

 畳敷きの広間が、大胆に陽光を浴びていた。先程まで存在していた天井は跡形も残っておらず、この一角だけそれは大きな天窓が設えられているかのようだった。

 その天窓にて内と外とを隔てているのは、光で編まれた城郭。

 天守を食い破られながら、けれど庇護下の一切に傷はない。ただ、大地に逃した衝撃のせいで、畳が浮き上がったり、戸棚が中身を吐き出していたりと、惨憺たる有様であった。

 

「…………」

 

 その中で凛として立つミズキは、髪をかきあげ、五体に装具を纏う。

 彼女の背後では、トコヨが扇を、サイネが薙刀を、それぞれ得物を手中に収めていく。

 

 何故ならば、天窓の彼方にて雲を背に浮かぶのは、紅き剣を携えた幼き姿。

 暁の光でミズキたちを問答無用で焼き払わんとしたメガミ・カムヰの殺気が、距離を隔ててもなお、ひしと伝わってくる。その血の通った黒衣と二つに結われた長い黒髪が、死にゆく獲物を狙う鴉のようで不吉であった。

 しかし、地上から見上げるメガミの誰もが、それに臆することはない。

 皆、待っていたのだ。

 いつかまた訪れる、この無慈悲な夜明けを。

 

「行くわよ」

 

 トコヨの呟きを皮切りに、風通しのよくなった縁側から外へと踏み出す。

 我々は陽の下でも歩けるのだと、雄弁するように。

 

 

 

 

 遠眼鏡越しに、駆道は屋敷から出てきた三つの人の形を捉えた。その中に、先行した協力者たちは見受けられない。

 

「やはり一筋縄では行かないようだ」

 

 そう呟くと、後ろの忍に遠眼鏡を放って返し、あぜ道に刺していた紅の剣を抜き去った。その動きに、控えていた千洲波の民たちの目がぎらぎらと血の気を帯びて輝き出す。

 駆道がこの前線に連れてきた彼らは皆、使命に殉じることを厭わない選り抜きの剣たちだ。長き歴史に名を刻む誉れにすら興味を持たず、ひたすらに裁定の結果を刃にて告げる狂戦士が顔を揃えている。

 

「カムヰ様に加勢する。目標の三体が一同に介している今、この好機を逃すわけにはいかん。討つぞ、この命に代えても」

「応ッ! 応ッ!」

「彼の者に裁定を!」

 

 めいめいに気合を叫ぶ討滅軍。うら寂しい郊外の田園地帯で、危うい熱気が高まっていく。

 だが、そこに冷水が浴びせられた。

 駆道の行く手を遮るように、肉厚な大振りの刀の峰が差し出された。

 

「……何の真似だ」

 

 彼が幾ばくかの殺気を向けたのは、カムヰを宿すことを選ばなかった忍の一人だった。

 その忍が顎で指し示した方角を目で追うと、遠く彼方、都の方面から戦場となる例の屋敷に向かって急ぐ者たちの姿があった。うち何名かはこちらに気づいたようで、連絡役と思しき人物が急反転したあたり、組織だった動きのようだった。

 

「おそらくあれは古鷹の兵団、叶世座だ。その実力は俺が保証しよう。我々が動けば、連中もまた動かざるを得なくなる。当然、戦いになれば血は避けられない。旧き戦国の、人同士が殺し合う戦いを繰り返すのは御免だ」

「知ったことか。むしろ、露払いこそ俺たちの役割と言える。邪魔をするならそいつも敵だ」

「要は、カムヰ様の邪魔をさせなければいいのだろう? ならば、俺たちが直接戦う必要はない。そうだろう、稲鳴の戦士よ」

 

 忍がそう言うと、軍団の前に悠然とやってきた男が、どかりと道の真ん中で腰を下ろした。

 肌身に文様を描き込んだ彼もまた、紅の剣ではなく、大きな鉄槌を肩に背負っている。

 

「我らは楔である。メガミ様の窮地は大ごとであるが、街の守りもおろそかにできぬ。ここにいるだけで、古鷹の兵が我らを意識するのは必定。しからば、我々が直接加勢できなくとも、古鷹の兵が敵に加勢する余力もなくなるだろう」

「だから、そいつらも倒せば済むはな――」

 

 駆道は言葉を打ち切った。

 突きつけられた大槌も、刃を向けられた刀も、対応を間違えれば即座に目の前に敵が現れる事実を示していた。

 忍は、勘違いをされないようにはっきりと告げる。

 

「戦わずして、ライラ様にも、オボロ様にも、そしてカムヰ様にもお力になれると言っているんだ。それでも、どうしても動くというのなら……俺たちが相手になろう。この命に代えても、必ず止めてやる」

「貴様らァ……!」

 

 当てつけのように宣戦布告してきた彼に、駆道は持っていた剣を再び地面に深々と突き刺した。そうでもしなければ、オボロたちが先行した理由すら邪推してしまうほどだった。

 裏切り者がどれだけいるか分からない以上、利は確かに不戦の選択にある。ここで確実な選択肢を捨て、同士討ちという不確実な選択をすれば、カムヰの足を引っ張りかねない。蛮勇たるカムヰの剣たちとて、そう突きつけられては刃は振るえなかった。

 

 憤怒を浮かべ、駆動は遠くなってしまった戦場を睨みつける。

 降臨した裁定者が大地の脅威と相対した、裁きの場を。

 

 

 

 

 

 互いに、言葉はなかった。

 林を背にして降り立つや否や、いきなり切り込んで来たカムヰ。

 対し、前線を作るように前に飛び出したのはサイネだ。

 

「やぁッ!」

 

 一合目から容赦なく繰り出す連撃は、刃の嵐を眼前としてなお恐れを知らずに淀みない。八相の構えから、強烈な踏み込みと共に小さな体躯の胸元へ突き込む。

 カムヰを守る大剣はそれをまず1本目の腹で受け止めようとするが、鈎のついた歪な薙刀の刃は直前で軌道を変え、上から差し出した大剣をそのまま地面へと誘導する。それを成したサイネは身体を沈ませた勢いで逆袈裟の二太刀目を狙うものの、2本目が脇を守る柱のように突き立った。

 

 小気味よい剣戟の音も早々に、サイネはさらに円弧を描くように身を翻しながら、剣の盾のない左手側から脚を狙う。しかしそれは読まれていたのか、意趣返しのように3本目の剣が打ち合わされ、浮いたカムヰの足の下を薙刀が通過させられる。

 一瞬の間に展開される打ち合いの末、隙を曝したのはサイネである。得物を下に向けられた彼女の足元を狙うように、4本目の刃が迫っていく。

 

 石突を盾にして凌ぐところではあるが、間に合わない。守りへの意識を削ぎ落とした彼女には、咄嗟に結晶をあてがうことも叶わない。

 けれど、強大な力を振るう相手に、サイネが綱渡りをしているわけではない。

 彼女には、信頼に足る援軍がついている。

 

「盾兵、前へッ!」

 

 飛び込んできた甲冑姿が、大盾と共にその身を巨大な剣閃に差し出した。

 生まれた僅かな猶予でもってサイネは身を引き、ミズキの兵を両断しながら振るわれた刃を鼻先でかわす。

 

「槍兵、前へッ!」

 

 そうして離脱したサイネに替わり、攻撃を引き継ぐのは槍を携えた勇猛な兵たちである。

 だが、大剣の間を縫って穂先を突き入れようとしていた彼らを横目に、初撃を受けた剣が既に鎌首をもたげている。

 宙空でひとりでに振りかぶっていた大剣は、殺到せんとしていた槍兵たちをまとめて薙ぎ払う。彼らとて過去に戦場で腕を鳴らした強者たちではあるが、その刃がカムヰに届くことはなく、一騎当千の猛将にやすやすと退けられる雑兵が如き扱いであった。

 

 無論、前線に出る兵がいれば、後方から首を狙う者もいる。

 なぎ倒された兵の陰に隠れるようにして飛来するのは青ざめた扇。それは血色の剣の狭間を掻い潜る猛禽となって襲いかからんとする。

 カムヰはそれにも顔色一つ変えることなく、地面に刺した剣を引き抜くと同時、迫る脅威を淡々と切り払ってみせた。

 

「ハカミチ」

 

 

 そのまま冷酷に言い渡すと、カムヰの足元から血色の刃が無数に現れ、目にも留まらぬ速さで戦場へと広がっていく。

 

「く……」

 

 間近で体勢を整えていたサイネは元より、一回り後ろに陣取っていたトコヨたちの守りも無慈悲に砕かれる。

 そしてカムヰは、早くも終わりの時を告げるように、二振りの剣を絡み合わせて螺旋の刃を形作る。稲鳴の地でコダマを穿った、殺意の権化たる凶刃である。

 その切っ先は迷うことなくサイネに向けられ、躊躇なく放たれる。

 

「させませんのッ!」

 

 大きな鎧兜を従えたミズキが、棘だらけの戦場を駆け、今度は自ら割って入る。彼女の力によって編まれた防壁は、兵の構えた盾よりもなお強靭であり、正面から受け止めきるのではなく横に逸らすことによって無傷で退ける。

 けれど、凶刃はただでは済まさない。弾かれた刀身が砕け散り、生々しい血飛沫のように内に宿した力をばらまいた。

 その一滴一滴が新たな刃と化し、四方八方からミズキの肉体を抉っていく。

 

「っ、う……!」

 

 サイネの無事を確認してから、ミズキは咄嗟に外装を引き寄せて耐え凌ぐ。

 圧倒的な力と、人数差を物ともしない手数、そして豊富な技の選択肢。

 たったこれだけの打ち合いですら、カムヰの能力が他のメガミと一線を画しているのだと思い知らされる。それを表情一つ変えずに振るう彼女が、最強の字を冠することにどうして異論があろうというのか。

 

「…………」

 

 だが、トコヨはそのカムヰの戦いぶりを冷厳なる審美眼でもって見据えていた。

 口元を扇で隠したトコヨは、まるで壁に掛けられた絵画をもっと間近で見るようなさりげない動きで、地面に乱れ咲いた血の刃の中へと踏み入った。それはやがて、すすきの野を駆け回る小狐を思わせる身軽さに変わり、舞うようにカムヰへ近づいていく。

 

 死角など全く考えていない接近に、カムヰは当然のように大剣を放つ。トコヨの細い首をへし折るような、冷酷な横薙ぎだ。

トコヨは迫る剣の下の面に、閉じた扇をあてがう。そのまま開いた両腕をくるりと回すと、跳ね上げられた剣は天を裂き、生じた間隙に彼女が身体を躍らせる。

 さらに前を望むトコヨの視線が、間合いの詰まったカムヰの瞳を射抜いた。

 万象を表現せる権能が、解き放たれる。

 

 

 トコヨの眼差しが孕んだ色、それは己の命運から胸に抱きし破滅の恐怖。畏れを呼び起こさせるこの戦いの流れは、向こう側における一幕の再現のよう。

 当然の如く、トコヨはその結果を知っている。

 感情の欠落したようなカムヰが、微かに瞠目した。

 

「っ……!」

 

 望まずに与えられた恐怖を消し飛ばそうとするように、剣から眩い光が迸る。

 向こう側においてそれは、死をもたらす螺旋の剣から徒神たるトコヨが逃れるため、あえて自らの顕現体を消し飛ばさせる苦肉の策の結果であった。

 しかし、ここは桜降る代。

 メガミがまだメガミであろうと望む、今この戦いにおいて、その輝きは過剰な消耗を示す悪手の象徴であり――

 

「守りませッ!」

 

 ドッ、と。

 衝撃が、周囲の林をかき乱す。

 再び立ちはだかった守護の化身が、大兜から生み出した分厚い防壁で、鮮烈な光を放つ四振りの刃を受け止めていた。

 カムヰの刃はもはや光を孕みすぎて光条と化し、対するミズキの防壁もまた負けじと燦然たる輝きを宿している。光と光が溶け合うほどにぶつかり合い、夕暮れも間近だというのに、歪な太陽が新たに顔を出したかのようだった。

 

 

 稲鳴の戦いの再現のようでありながら、互いに全霊を尽くしていないことは分かっている。あのときミズキは、疲弊した仲間たちを、そしてかけがえのない戦友を守るため、ただ刃をくい止めることだけを必死で考えていた。

だが、今は違う。敗北を避けるためだけの守りは必要ない。

 彼女の隣には、勝利を求める仲間がいる。

 

「おぉッ!」

 

 カムヰの背後に回り込んだサイネが、大上段からの一撃を叩き込む。攻撃に集中させられていたカムヰは大剣でそれを受け止めることも叶わず、慌てたように飛び出してきた桜花結晶によって辛うじて刃先を逸した。

 しかし、カムヰの隙は一太刀だけでは収まらない。過剰に注ぎ込まれた力によって得物をすぐさま引き戻すこともできず、かといって正面から受け止めているミズキを突破することもまた不可能だ。

 

 今や、武神の太刀筋を妨げる者なし。

 身動ぎして直接かわすことも許されないカムヰに、サイネの流麗にして鋭利な斬撃が乱れ飛ぶ。続いた二太刀によって咄嗟の守りは全て粉と砕け、急いで盾にした1本の大剣の軌道も読み切って、さらなる三連撃が小さな巨人の四肢を瞬く間に切り刻む。

 

 

 桜吹雪の中、サイネの心眼は揺らぐカムヰをはっきりと見据えている。

 かの立ち振舞も、強み、弱みも、果ては癖すらも。彼方の戦いは桜を滅ぼすための戦いであり、まさに唾棄すべき記憶ではあるものの、武への真摯さはその忌まわしき虚構の経験からであっても多くを学び取っていた。

 

「……っと」

 

 たまりかねたのか、カムヰがようやく自由にできた全ての大剣を用いて自身の周囲に刃の大輪を咲かせた。懐にまで潜り込んでいたサイネたちは、深追いはせずに距離を取る。

 前門にはトコヨとミズキ、そして後門にはサイネ。

 相応の痛打をその身に受けたカムヰに対し、三柱のメガミたちは臆したり、ましてや血気盛んになっているわけでもなく、今の仕掛けの結果を平然と受け止めているようだった。

 

「存在の差は、確かに大きいようですが……」

 

 静かに薙刀を構え直すサイネに、気負いはない。切り結んだ感触に納得したかのように、カムヰへ再び刃先を向けた。

 ミズキは大鎧の中で、悠然と塵を払う。

 

「わたくしたち、背負っているものがございますの」

「そうね……。それに――」

 

 言葉を引き継いだトコヨは、パチン、と扇を閉じる。

 そしてそれを、たおやかに突きつける。

 

「あんたの相手、もう慣れたわ」

「っ……」

 

 カムヰが、片唇を噛んだ。それだけで、鉄面皮が色を持ったように見えた。

 けれどそれは、トコヨの宣言に対して怒りを露わにしたわけではないようだった。殺意の質は変わりなく、ましてや激情にかられて彼女に襲いかかるということもない。

 余計な言葉を発しないカムヰの心中は察する他ないが、少なくとも、絡繰仕掛けのように刃を振い続ける彼女にも、きちんと感情があることだけははっきりしている

 

 その僅かな発露も鳴りを潜め、結んだ唇の向こうへと隠されていく。

 抵抗されたところで、カムヰの意思は変わらないようだった。

 

「コトワリ」

 

 

 まだ戦いは続いていると言わんばかりに、周囲に飛び散っていた血飛沫がカムヰへと集まっていく。ばらまかれた断片とはすなわち、力の残滓だ。それを取り込むカムヰの威圧感がいっそう高まり、剣を象った彼女の両の髪飾りが長髪と共に震える。

 これを看過できないサイネは、三柱のうちで最も近かった間合いを詰め、牽制を成そうとするものの、

 

「カタシロ」

「くっ……」

 

 

 人の形を模した赤い霧が現れ、これ以上の踏み込みを阻止するように霧の刃で斬りつけてくる。形なきモノの迎撃に、聴覚に頼るサイネは反応が若干遅れ、袖の端が切り裂かれる。

 力を取り込み終えたカムヰの大剣は、歓喜を叫ぶかのようにさらに動きを機敏なものとしていく。彼女が守りの手を打ったと見たサイネたちが攻め込む中、彼我の空間をまるごと断ち切るが如き鋭利さで刃の牙城を築き上げていく。

 

「ふッ……」

 

 しかし、霧の衛兵を打ち払ったサイネは、さらなる迎撃の大剣の刃に爪の先ほどもない尖った石突のただ一点を合わせて弾き、あらぬ虚空を両断させる。

 トコヨもまた振り下ろされる血の刃を地面へと送り、突き刺さったそれと引き合わせるようにして迫るもう一本の大剣を受け流した。勢いづいた両の刃は嫌な音をたててぶつかり合い、血を垂らして刃こぼれしたことを訴えていた。

 

 残りの一本をミズキが受け止めて釘付けにしている間に、トコヨは絡み合う大剣たちへ別れを告げるように後ろへと跳ねる。

投じられた扇は、手の塞がっている大剣を尻目に優雅に飛び、カムヰの首筋に一つ傷跡を残していった。血飛沫と桜吹雪が混ざり合い、凄絶な果し合いを想起させる。

 

 次々と対応されていく攻め手を前に、カムヰが選んだのは強力な一撃だった。

 トコヨに退けられた二本の剣が、螺旋の刃と化して復讐を果たすかのようにトコヨへと襲いかかる。

 だが、それもまた、撃ち落とされる。

 桜色で編まれた、力強き拳に。

 力の象徴たる、鉄拳に。

 

「あら、おはよう」

 

 悪戯めいて微笑むトコヨに、その人影はカムヰを見据えたまま頷く。

 上背の高い、鍛え上げられた女の形。襟で一本に絞った長い髪が風もなく棚引き、まるで桜色の炎が意思を得たかのような姿が見る者を威迫する。往時の顕現体と比べてしまえば見る影もない姿ではあるものの、それでもその存在感はミズキの兵たちとは一線を画す。

 軽くつま先だけ地面につけながら、戦場に浮かぶ者の名はコダマ。

 まさしくカムヰに殺されかけ、ミズキの持つ幽世にて傷の癒える時を待つメガミ。

 おそらく桜降る代最初の徒神である彼女は、拳を下げる独特の構えで戦意を告げる。

 巡ってきた再戦の機会を逃さないために。

 カムヰの目的を否定する存在として、立ちはだかるために。

 その身でカムヰの力を知る者が、四柱目として降り立った。

 

「もう、振るわせませんの。その――メガミを殺す権能は」

 

 言い放つミズキに、カムヰがまた唇を噛む。彼女の権能は、もはや見破られている。

 どんなに強大な力であっても、絶対はない。致死の妙技であろうと、相手にとってそれが綱渡りだろうが退ける余地が僅かにでもあれば活路となる。考えるだけで目の前の敵が死ぬようなでたらめな力でなければ、それは対処可能な技でしかない。

 応手を潰し合い、決着に至る技を通すことを戦いと呼ぶ。

 戦いであれば、いくらだって手を考えられる。ここには、戦術から戦略まで、剛力から技巧まで、戦いに至る極地を見た者たちがいるのだから。

 

 底は、見えた。剣戟の末、得られた確信がそれぞれの手に力を生んだ。

 一方的な処刑はもはや実現することはなく、とうの昔に戦いの場にカムヰは引きずり落とされている。ミズキの防壁も、コダマの拳も、メガミ殺しの権能の顕現に触れたところで、やはり瑕疵は見受けられなかった。

 ならば決着は近い。

 たった一人の処刑人の殺意は、拒絶されようとしている。

 

「私たちは、桜と共にある者なのですから……!」

 

 さらに刃を重ねんと、サイネは一歩を踏み出していった。

 

 

 

 

 

「あ……、あぁ……」

 

 くたびれた納屋の上から見通す戦いの趨勢は、あっという間に移り変わっていった。

 ライラは既に左の手に金色の爪を備え、豊かな栗毛が時折小さく暴れるほどに力を宿し、臨戦態勢になっている。けれど、受け入れがたい現実を目の当たりにしたように、頭を抱えて苦悩する彼女に覇気はとんと感じられない。それは伏兵となるため、だなんて言い訳にしかならなかった。

 

 カムヰが圧倒していたのは最初だけで、対応してきたミズキたちに追い詰められている。

 このままでは、カムヰが打ち倒されるのは時間の問題だろう。その限りある時間を、悩めるライラはじりじりと焼き焦がしてきた。

 本能は、訴えている。自然の法則を享受し、受容し、従う本能が叫んでいる。

 これは、自然の敗北であると。その先に、暗い未来が待っているのだと。

 

 迷うだけの者の前に、結末が顔を見せ始めている。

 空に向けて口を開けて待っていても、生きられるだけの恵みは得られない。

 だから、自らあるべき姿を掴み取らなければならないのに。

 

「カムヰ……うぅ、ミズキ、だめっ……」

 

 脳裏によぎる友の顔が、ライラの意思をかき乱す。このままでは頭が真っ二つに割れてしまいそうだった。

 ならば考える前に、本能のままに、動かなければならない。

 それが自分の在り方であると無理やり言い聞かせて、無我夢中で力を解き放つ。

 雑念を振り払うように、絞り出した叫びを上げて。

 

「がーーァァァァッッ!!!!」

 

 

 唸る風が、荒ぶる雷が、ライラを激しく包み込む。足場にしていた納屋が悲鳴を上げ、突然目の前に生まれた大嵐に身ぐるみを剥がされていく。

 其は大いなる自然であり、之はその意思を代行せる者。

 大地に抱かれた者たちにその一端の拝謁を許すかのように、ライラを核とした風雷が千変万化する生き物の形を作り出す。

 

 天理天道覆載圏。

 自然の理そのものを体現する、彼女の本質を解き放つ嘶き。

 大いなる摂理の獣と化した彼女は、四肢を屋根につけて力を溜める。

 

「ぐ……ぉぅッ!」

 

 直後、納屋が消し飛んだ。

 暴力的なまでの速力を行使したライラの姿は、真実、瞬きの間に彼我の距離を無とする。

 すなわち、振りかぶった爪は、自然の理を害する者の前へ。

 八相の構えから斬撃を繰り出すサイネへ、強襲は成る。

 

「な……!」

 

 突然の乱入に、サイネが反応を見せただけでも奇跡だった。武神はさらにその奇跡を上塗りし、既に勢いを載せていた薙刀の柄を、ライラが狙った胴の前へ盾とした。無理を押して膝から捻ることによって、正面からの激突を避けようという魂胆が見えていた。

 刹那の判断と対応としては最上に値するものだったが、ライラはほんの僅かに手首に捻りを入れることによって、サイネの肉体に斬撃を届かせる。

 

「が、ぁッ……」

 

 抉り取られた桜が、衝撃に吹き飛ぶサイネから飛び散った。ライラの手に残る感触は致命の一撃と呼べるものではなかったものの、理想の動きをしたならばサイネはきちんと弾いただろう。吹き荒ぶ風雷の鳴き声が、ライラの動きを少しでも隠している。

 受け身を取って構え直すサイネに、ならば、とライラの身体は追撃を選んでいた。

 

「ライラッ!?」

 

 ミズキの悲痛な叫びが、風の渦に呑まれていく。

 戦場に降り積もっていた桜の塵と血飛沫のような残滓が、雷を棚引いて繰り出されるライラの爪撃によって巻き上げられる。

 三叉の爪は今度こそ薙刀の柄に絡め取られるが、体勢の整いきっていないサイネにはそれを起点にライラの勢いを削ぐことは叶わない。むしろ噛み合わされた刃を起点に身体を起こし、鋭い蹴撃を放つ。

 

 柄を盾にされ直撃は防がれたが、ライラの纏う鋭い風がサイネの胸元を容赦なく切り裂いていく。それを嫌って振り払われるも、雷と化したライラは反動を無視するように即座に着地、脚のばねを解放して空いたサイネの横腹を切り裂く。

 さらにライラは身を翻すように足払いを繰り出すも、結晶によって勢いを殺されているうちに後ろへと退避を許してしまう。だが、肉を切り裂く旋風は依然サイネの身を削り、左足一本でしゃがんだ状態から前へ跳躍、立て直す暇を与えない。

 そこに、ミズキの兵が盾を携えての突貫を仕掛けてくるが、

 

「邪魔!」

 

 突撃される直前、右手で盾の縁を掴み取り、兵の側面に回る。そのまま兵を凄まじい勢いでサイネの逃れた方向へ蹴り飛ばし、ライラもその肉の矢に追随する。

 しかし、その献身が生んだ一瞬によって、サイネは周囲に数多の水晶を浮かべていた。

 まるごと吹き飛ばすべく暴風を呼び起こすものの、身体を躍らせて紙一重で兵を避けていたサイネは水晶を的確にあてがい、生けるものを引き裂く風を丁寧に鎮めていく。そして苦々しい顔で前のめりになった彼女に、ライラが振り下ろした爪が弾かれた。

 

 不意打ちによって始まったライラの猛攻は、二柱の連携により凌がれた。

 だが、それは伏兵への対応に人数を割かれたということ。

 数の有利が築かれていた戦場で、その意味はあまりにも重い。

 

「っ……!」

 

 妖しい血の輝きを増した大剣が、トコヨの横髪を一房断ち切った。

 辛うじて身を逸らすように避けていた彼女に、鈍器が振るわれたかのような鈍い風切り音と共に、腰めがけて次の刃が迫る。

 トコヨは閉じた扇に全神経を集中させ、刃に触れさせた瞬間、自ら地面から足を離した。すると、扇を起点として少女の身体が風に吹かれる花びらのように刃に押し出され、そのまま両断されることなく運ばれていく。

 

 着地までの隙をカムヰは見逃さなかったが、送り込まれた三の矢を援護に入ったコダマもまた見咎めていた。ただ、飛び上がっての迎撃を課された彼女は、不利な体勢も相まって勢い増した大剣と拮抗させられる。

 だが、それではカムヰという存在と対等ではいられない。

 無慈悲にも、さらなる剣がトコヨを襲う。

 

「あ、ッ……!」

 

 回避の叶わない刃が、トコヨの左肩をばっさりと切り裂いた。悲鳴を噛み殺した意思が、欠いてはならぬと腕をどうにか繋ぎ止めているようだった。

 なぜなら、禍々しき次なる切っ先が、既に狙いを定めていたから。

 ふらつき、扇すら取り落しそうなトコヨに、凶刃が真っ直ぐに飛び込んでくる。

 

「久遠ッ!」

 

 遮二無二、軌道の上に身を差し出すサイネ。

 当然、ライラはただでそれを良しとするはずもなく、猛き雷が残った水晶を全て塵へと還していた。

 後、彼女が身を守れるものは、自らの力で生み出した得物だけ。

 傷だらけになったその柄が刃を受け止め――

 そして、折れた。

 

「が――」

「細音ぇッ!」

 

 取り込んでいた空気が、サイネから追い出された。下腹に生えた刃は、血を吸ったかのようだった。

 僅かに遅れて殺到した盾兵たちが、彼女たちの離脱まで耐え凌ぐ。先に地に足の着いたトコヨがサイネに肩を化し、二柱は気力を振り絞ってカムヰの間合いから飛び退いた。両者ともうまく着地できず、地に塗れながらどうにか立ち上がる。

 

「これは……」

 

 薙刀を直したサイネが、苦しげに呟く。

 どちらも、武器を再度構え直せる程度には、致命傷は避けられている。しかし、一歩間違えれば顕現体の破壊にまで至っていたであろう痛打は、確実に戦場の勢力図を書き換えている。余力もなく、綱渡りをし続けることはできないのだ。

 

 流れは、カムヰへと傾いた。

 ライラがかくあれかしと望んだままに。

 そうあることが道理だと、突きつけられたかのように。

 

「くっ……盾兵、前へ前へェ!」

 

 苦境に落とされ、それでも行動をやめないミズキは、苦し紛れの時間稼ぎにしか見えない増兵によって守りを固めるつもりのようだった。けれど、この期に及んでは有象無象に過ぎず、ただ煩わしいだけの障害物でしかない。

 ライラは前線に浸透してきた盾の群れを片っ端から一蹴していく。

 だが、直後に響いた声が、増兵の狙いを告げていた。

 

「騎兵、後ろへ!」

「……!?」

 

 目の前に広がった盾兵の海の向こうを、騎馬兵が颯爽と駆けていく。兵はあっという間に傷だらけのトコヨを抱え上げ、戦場に背を向けた。

 彼の向かう先は、今までミズキたちが隠れ潜んでいた屋敷。

 一瞬の逡巡の後、後を追ったサイネが答えそのものだ。

 彼女たちは、不利を悟って籠城するつもりなのだ。

 

「どけッ!」

 

 気迫を込め、自身に殺到してくる兵士を吹き飛ばす。

 屋敷はカムヰの初撃によって既に死に体であり、そう長くは持つまい。これからずっと耐え忍ぶにしては随分と心もとない。しかし、今すぐに崩落するわけではないし、そうなったところで結果生まれる瓦礫の山もミズキたちに利するのである。

 

 カムヰとライラの勝利とは、カムヰのメガミ殺しの権能をミズキたちに叩き込むこと。彼女たちもそれが分かっていて、これまで的確に避けてきた。

 だが、この無駄に広い屋敷に逃げ込まれれば、探し出すという手間が増える。分散していれば誰かを逃がすかもしれないし、崩落すれば無数の死角が彼女たちをさらに覆い隠す。得物の大きいカムヰはそもそも閉所というだけで骨を折ることだろう。そうして時間を浪費させられている間に援軍が間に合ってしまえば目も当てられない。

 

 泥沼に、身を隠す。追ってきた敵も、引きずり込む。

 ミズキは、戦況の決定的な変化を前にして、迅速に逃げの決断を下し、息つく間もなく行動に移したのだ。

 自分を、殿に据えて。

 

「逃さないッ!」

 

 脚にしがみつこうとしてきた兵の頭を足場に跳躍し、獣の如くミズキへと飛びかかる。

 覚悟を宿した彼女の瞳と、目が合った。自分が犠牲になるつもりなど毛頭なく、むしろライラのことを食い破ってでも後退を為そうという気概に満ちていた。

 ライラは身にやつした獣性に己を焦がし、視界にはただ、討つべき敵を映した。

 無我夢中で振り下ろした爪が、ミズキに襲いかかる。

 だが、

 

「今のあなたに、邪魔はさせませんわ……!」

「っ……」

 

 巨大な夢幻の城郭が、強かにライラの追撃を受け止める。怒声にも似たミズキの叫びが、少しだけくぐもって聞こえてきた。

 生まれた拮抗めがけ、視界の端で大剣が風を切る。しかし、ミズキの結界を両断しようとしていた刃が、それを叶えることはなかった。ライラから得た衝撃をミズキは受け流しきってしまうのではなく、むしろ身を任せるようにして後方への推進力に利用したのだ。

 

 途中で手応えを失ったことに不満を訴えるように、紅の剣が地面を穿った。強固な防壁には主には決して届かない爪痕が残されるのみだった。

 その裏でトコヨとサイネに屋敷の中へ駆け込まれたものの、ミズキの守りを越えてでは今更追走は間に合わない。

 ミズキも機と見たのか、崩落した屋敷の部屋を隠すように防壁を据えると、殿が仲間の後を追っていった。

 

「待ーー」

 

 どうにかミズキだけでも。諦めずに再び宙を蹴ったライラの目の前で、ミズキの光の城郭ががらがらと音すら聞こえてきそうな有様で崩れ落ちてきた。すぐに塵に還らないあたり、明らかな足止めであった。

 咄嗟に後ろに下がれば、大きな鎧兜の背中はどこにもない。

 

「ミズキ……」

 

 えぐり取られた屋敷が夕焼けに照らされて、廊下が妖しく口を開けている。

 戦いは、相手の狙い通り長期戦へ。

 泥沼の様相を呈してきた次なる戦場に、ライラはカムヰと共に踏み込んでいった。