はじめましてもなければ、名乗ることすらない。
何故と問うこともなければ、背中を向けることもない。
語り合うには長すぎ、悟るには容易い互いの因縁を、少女の瞳に燃える意思が物語る。
その因果の果て、眼前に立つのは己の敵。
しかし、これから行われるのは桜花決闘ではない。
一歩。
唐棹を強く握りしめた相手のメガミが、間合いを探るように踏み出した。少しずつ高まりゆく力が、後戻りなんてするつもりはないと告げている。
決闘の宣誓は、必要ない。
相手にとってこれは、桜降る代に平和をもたらすための戦いだ。
存在を許されない怪物を前にした誓いは、全霊を賭けて討滅することに限られるのだから。
「ふーっ……」
対し、ヤツハには冷や汗が一筋頬を流れ落ちる。
自分には相手の意思に釣り合うような覚悟の持ち合わせはない。その自覚が吹かせる臆病風を捨て去って、傍らに鏡を浮かべた。
唯一の救いはといえば、現れた二柱それぞれがひどくヤツハを警戒していること。前に出てきたのは唐棹を携えた少女だけで、もう一柱は援護に徹するつもりなのか、積極的に距離を詰めようとする意思が窺えない。
数に任せて押し潰されたほうが厄介だっただろう。それこそ、桜の光に呑み込まれそうになっていたあの徒寄花の世界のように。
抗わなければ、生きることは許されない。
けれど、徒寄花も、ヤツハも、そのための術は持っている。皮肉にもそれは、相手が守ろうとしている桜降る代を巡ることで磨かれたものだ。
共にある存在だと認めた黄緑色の花が、ぺき、ぱき、とヤツハの腕で声を上げる。
気づいたときには、無意識に引き出されていた力が、応戦の始まりを告げるように場に揺らいでいた。
「……!」
相手が身の内に宿していた力が、ひとひらの結晶の形を取ってまろび出た。警戒していてなお先手を取られた驚きが、抑えきれずに浮かんでいた。
桜の力そのものに揺らぎを与える徒寄花の力。
それは超常を成す源として、同等でありながら異質と評するべきだろう。
大地を蝕む存在との盟約を交わしたかのように、零れた結晶が、ヤツハを守るように周囲へと浮かんだ。
「ッ……!」
歯噛みした少女が、慎重さを振り払うように一気に踏み込んできた。
手にした唐棹の柄の先を思い切り地面に突き立てたその動きは、決して前への推進力を得るためではない。
「巡れッ!」
彼女の中の力が、柄を通じて大地へと打ち込まれる。それが地を覆う緑に作用する権能であると暗示するように、柄に巻き付いていた木蔦が余波を受けて、ひときわ若く艷やかな葉が一枚顔を出した。
直後、もぞもぞと身じろぎした地面から、間合いを詰めてくる少女を追い越すように木の根が猛然と伸びてくる。いっそヤツハのことを刺し貫かんとするほどの勢いであり、主の気性を受け継いでいるかのようだ。
しかし、ヤツハにとってこの攻勢は好都合だ。
直感が告げている。少女は、不慣れであると。
相手の権能は片鱗が見えた程度だし、その立派な身体にはちきれんばかりに漲らせた力はそうやすやすと跳ね除けられるものではない。けれど、自ら早々に手の内を晒した上に、強引に攻め込んだことで、相手のほうからヤツハの間合いに飛び込んできてくれた。
1対1の戦いならば、自分のほうがより多くを積み重ねている。
「なら――」
奪った桜色の盾で、脚を狙っていた木の根を弾く。
そして追撃の姿勢に移ろうとしていた少女に対し、自らを鏡に映して幻影を生み出した。
ヤツハもまた、選ぶのは前。
今までいた場所に幻影を置き去りにし、まだ距離があると思いこんでいた相手と互いに間合いを詰めるような形で、ヤツハは十八番の奇襲に打って出る。
「んな――」
驚愕を露わにしたメガミへ、鏡から飛び出した怪物が容赦なく爪を突き立てる。
彼女は攻撃へ思考を割きすぎていたのか、突撃の勢いを殺しきれず、桜花結晶が慌てたように飛び出してくる。
そこで生まれた結晶の塵ごと喰らうように、二の矢たる怪物の大顎が既に口を閉じようとしていた。
「ぁぐっ……!」
左肩を大きく噛みちぎられた少女から、視界を奪うほどの桜吹雪が舞い散った。自ら飛び退いて衝撃を減らそうとしたようだが、熟れた枯れ葉に膝をつく姿は、決して目論見が叶ったそれとは言い難い。
意図通りの展開は、ヤツハに自身の成長をも実感させ得るものだ。
けれど、ヤツハの手に残ったのはただ事実を告げるような手応えだけ。不思議と、それに感動することも、高揚することすらもなかった。
「このッ……!」
膝のばねも使って、再び向い来る少女の唐棹が、唸りを上げてヤツハを打ち据えんと迫る。
けれど、悪い態勢から繰り出した攻撃は、メガミの一撃というには力が乗り切っていなかった。後先考えずに動いた結果、自分に今できそうなことを愚直に実行に移すしかなくなってしまったような、そんな浅慮すら透けて見える。
圧の感じられない反撃に、ヤツハは淡々と黄緑色の花弁をあてがった。
「…………」
頭を狙っていた唐棹の先が、壁にぶつかったように暴れた。ただの棍棒であればいざしらず、本来唐棹は先につけた棒を回しながら穀物に叩きつけ、脱穀するための道具だ。痛打とするにはひと手間要るだけに、満足な威力での連打は望めないだろう。
踏ん張って姿勢を保ち続ける少女の瞳は、ますます燃え上がっている。
その熱い眼差しを受け止める裏で、ヤツハは次の一手のために考えを巡らせていた。
だが、
「それじゃダメ、めぐめぐ!」
「っ……!」
新たな声が、戦場に降り注いだ。上だ。
後ろに控えていたもう一柱のメガミが、己の体躯の何倍も大きな鉄鎚を携えて飛び込んでくるところだった。
振り下ろされる鈍器は、どう見ても正面から受け止めていい類のものではない。
咄嗟に一歩離れようとした瞬間、落ちてくる鉄鎚がヤツハを狙うのを諦めたように、急激に下へと加速した。
その先にあるのは、地面だ。
ヤツハが足をつける戦場を、大質量が打ち付けた。
「うっ……」
大地を通じて襲ってくる衝撃が、脚の感覚を鈍らせた。余波だけで、身体に咲いた儚い徒寄花がいくらか散ってしまったほどだ。もちろん、鉄鎚に隠された唐棹のメガミを追うことなんてできやしない。
しかし、割り込まれてそのまま引き下がる選択肢を取ることはない。
ヤツハにとってこの鉄鎚のメガミもまた、返り討つべき敵だ。
直ちに思考を切り替え、矛先を変える。大質量を扱った直後で、至近距離にもかかわらず隙だらけだ。
ヤツハの腕に走っていた罅を、咲いた花ごと咄嗟に元に戻す。その代わりに新たに胸元を罅割れさせると、押し込められた本質が零れ出してしまうように、瞬く間に黄緑色の花が咲き乱れる。
そして力を解き放てば、花園から生まれでた結晶の蔦が鉄鎚のメガミへ巻き付いた。
「ぅあぁっ!?」
巨大な鉄鎚の持ち手にぶら下がっていた彼女が、おぞましい感覚に怯えるように悲鳴を上げた。
ぽつぽつと、蔦が花をつけていく様は侵食の証。
桜を蝕む者として、落とし子たるメガミの存在の本質へと魔手を伸ばす。
それはきっと、ヤツハがカムヰに侵されたときのように、筆舌に尽くしがたい嫌悪感を生むのだろう。壊すのと喰らうのとで意味は違えど、欠落という結果は変わらないのだから。
この反撃に至る一挙手一投足は、ヤツハの意識が叶えたものであり、その裏で、無意識が突き動かしていた。意図的に選び取った行動でもあり、それでいて直感がどこまでも後押ししてくれていた。
噛み合った精神の果てに生まれた行動の優美なる様をこそ、洗練と評す。
自覚させられた怪物たる在り方と共に、とても手に馴染んでしまう力だった。
「う、くッ……!」
絡め取られた相手は、ちら、と背後に目をやってから、鉄鎚から手を離して宙で身を捩る。その程度では到底逃れられないと悟ったか、着地際によろけそうになりながら、僅かに地面から足を浮かせて、篭手をヤツハから伸びた蔦に向けた。
すると、蔦が見えない衝撃に砕かれたと同時、それを成した当のメガミは反動を受けたように鋭く後ろへ下がる。繋がりを失った戒めが、きらきらと散らばっていく。
ヤツハはそれに、追撃を選んだ。まさに今奪ったばかりの力を注ぎ、ぺきり、と彼女の右手に罅が入る。溢れ出した星空が鉤爪のついた怪物の大きな手を象り、これこそヤツハの本質なのだと言わんばかりに、右手の先に伸びていく。
その怪腕の見目は今までよりも洗練され、荒々しく暴虐的な印象は薄らいでいる。あるべき形を見定めたように整ってきた様は強靭さを想起させ、絶対的な力の顕現とすら言えるものと化している。
「はぁッ!」
「ぁ――」
間合いから逃れようとする相手を追い、突き出した鋭利な爪が脇腹を貫いた。さらに侵食を強め、奪った力が腕を通して流れ込んでくる。
もはや武器を顕現させておく力も惜しいのか、大地を打ったままの巨大な鉄鎚が桜の光へ解けていく。
態勢を整えられる前に、さらなる一撃を。
止めと言わんばかりの追撃を敢行しようとしたヤツハであったが、その視界の端に、夕暮れの林には鮮やかすぎる緑が映る。
掻き消えた鉄鎚の向こう側で、狙いを定めるように両手を差し出す少女。
気づいたときにはもう、強烈な衝撃波が桜の霞を切り裂いたところだった。
「っ……!」
盾として浮かべていた結晶が、片っ端から砕け散っていく。たまらず攻撃の手を止め、鉤爪で己を庇いながらの後退を望む。
「ゴメンねハガねぇ。ありがとう……」
ほうほうの体で後退していく相棒へ、少女は礼を述べる。その間も、意思の燃える瞳はヤツハを捉えて離さない。そこでヤツハは、目にした緑が唐棹のメガミの装いだけではないことを改めて理解する。
最初にヤツハを襲った根は、数多の茨となって少女に庇護を与えるように周囲を覆っている。その緑の園の周りでは、茨によって育まれた草花が早い春の訪れを告げるように生い茂っており、強い生命の鼓動が伝わってくるようだ。
そして草花に抱かれた少女の表情は、最序盤のそれとは違う。
ヤツハを打倒せんとする意思はさらに強く、それでいて憤怒の奔流に流されてしまうような危うさは消えていた。
味方の献身を糧とし、胸に抱いた想いを腐らせることなく萌芽させ、確固たる根を地に張った者の姿がそこにある。
彼女を照らす茜色の日差しが、まるで沈みゆく誰かがその背中に想いを託しているかのようだった。
「あたしは一人じゃない。あたしの力は、みんなとの繋がりを大事にするものなんだッ!」
発した威勢と同時、彼女の唐棹に巻き付いた蔦から、瑞々しい新芽が二つ、生命の礎となるように光となって溶けていった。
直後、ひときわ大きく咲き誇った鳳仙花の花が、付け根を破裂寸前まで膨らませた。
次の瞬間、炎を纏った巨大種子が、大輪の花から弾丸のように打ち出される。
「あ、がッ……」
美しい見た目からは想像もつかないほど、繰り出された砲撃は的確で速い。盾にする結晶を1からまた練り上げているところだったヤツハは、威力を減衰させることもままならずに太腿に直撃をもらった。
今までであれば、そこで相手からのさらなる追撃があるところだったが、草木の化身たる少女は動こうとしなかった。否、動く必要がないのだと、ヤツハは理解していた。
あのお化けのような鳳仙花には、まだ力が蓄えられている。間合いを保ち、守りも固められる中で攻め手がまだ残っているのなら、強引に追撃をする必要などない。ヤツハが近めの間合いを得手とすると明かした今、それは懸命な判断だと言える。
だが、ヤツハにとっては一転、厄介な立ち回りだ。勝つためには、このまま甘んじて蜂の巣にされるわけにはいかない。強引にでも、緑の祝福満ちる聖域を荒らさなければならない。
当然それは、固められた守りをこじ開ける選択に等しい。少女を周囲を守り、草花を輝かせる桜花結晶もまた、彼女に幸あれと踊っているように感じられる。そんな神座桜の祝福を、乗り越えなければならないのだ。
きっと、それこそが唐棹のメガミの権能の拠り所なのだろう。仇敵を滅する気迫を印象付けられてしまったが、これが彼女元来の気質に違いなかった。
想いを背負い、多くに想われる者と、ヤツハは今対峙しているのである。
「そんなのっ……!」
唇を噛み締め、前進を選ぶ。左半身に縦の罅が走り、ヤツハの内側から這い出してきたのはヤツハ自身の鏡像だ。
鏡像と共に左右に展開し、一気に距離を詰める。けれどこれは、普段は間合いを狂わせる仕掛けでしかない幻とは違う。数歩刻んだところで、ヤツハであってヤツハではない幻影は、本体とは異なり右腕の鉤爪を掲げた。
「うそ――」
先程までの仕掛けとは異なる現象に、相手が焦りを浮かべて守りの結晶を差し出した。そしてそれは当然のように鉤爪に砕かれ、真実実体を伴っていると知れる。
幾ばくかの願いを込めた視線が、本体のヤツハに注がれる。
翻弄されたメガミめがけ、飛び込んだヤツハが呼び出すのは、怪物の大口。
黄緑の輝きにほどけていく幻影をよそに、無論実体でしかない牙が襲いかかる。
「あがッ!?」
腹から食い破るように突っ込んだ大顎は、翻弄された少女の左肩もろとも、鮮やかな緋色の花を食い荒らした。
無理を押してでも脅威を排除できた今、ゆっくりと流れる時間の中で、衝撃でやや打ち上げられた形となった少女が錐揉みのように落下していく。強引さゆえに守りを切り捨て気味にはなっていたが、相手とて攻守共にすぐ次の策が出てくる状態ではないだろう。
予想外の砲撃による痛打こそ受けたが、きちんとやり返せている。最低限痛み分けさえ持ち込めればそれでいい。
ならば、とヤツハの思考は次の攻防へと移る。
焦点となるのは相手の着地前後。こちらの姿勢はどうにか整うだろう。
連撃を成すか、一度引くか――その思考に、しかし亀裂が入った。
「え――」
天と地を繰り返し拝んでいた少女が、宙で身を起こした。そのまま少し山なりに吹き飛ばされるはずだったのに、思った以上に手前に着地する軌道だ。
彼女の意思ではない。偶然にも、緑の園の柵となっていた茨が服の端に引っかかり、角度をずらしたのだ。結果的に、少女は前後を代わる代わる見続ける方向への回転を身にまとっていた。
驚く少女の顔が、眼下のヤツハを捉えて引き締まる。
その変化は、相手が着地しやすくなっただけに留まらない。
いわば切り払ったようなものなのに、互いにまだ間合いにいる。
だが、攻撃を繰り出した直後のヤツハに追撃の権利はなく、長い得物を持つ相手であれば、うまく遠心力を味方につければ痛打を為せるだろう。
刹那の思考が、突如生まれた危機を訴える。だが、空中で姿勢を保ちながら、得物を振るうのは極めて困難だ。後のことを考えなければまだ、といったところだが、正しく制御できなければ見苦しい悪あがきにしかならない。
普通なら、この攻防は終わったと諦め、次を考えるだろう。背中から着地するはめにならずに済んでよかったと、幸運に感謝するところだ。
なのに、
「おぉ――」
その瞳に、一片の曇りなし。
自ら回転を勢いづけようとする少女の姿に、諦めという言葉は似合わない。
巧みに唐棹の柄の底を握り直し、ヤツハとの距離を正確に把握したように長さを調節する。唐棹の先の棒が、暴風に吹かれた旗のようになびいでいた。
錯綜したヤツハの脳裏を、漲る少女の強い意思が洗い流す。
相手にとってこれは、絶好の機。
痛み分けをさらに越えて突き刺す、一点突破の決定打。
偶然の綾か、あるいは天運か、それとも祝福なのか。
否、その全て。
敢えて言うならば、それらを余さず携えてこそが、想い背負いし者。
膝をついてなお、世界に愛されながら未来を切り開く存在。
人はそれを、英雄、と呼ぶ――
「おぉぉぉッ!!!」
「ご、ッ――」
激しくしなった唐棹が、ヤツハの横っ面を打ち付けた。強烈な打擲に一瞬思考が白に埋め尽くされ、意識が戻ったときには地面から足が離れていた。
無理を通し返した相手も一緒に、双方地を転がり、片膝を立てる。
土埃と共に舞った枯れ葉が、はらはらとあるべき場所へ戻っていく。桜色と黄緑色の輝きが、力の霧散していく緑の園に降り注いだ。
「はぁっ、はぁっ……」
間合いから外れ、ヤツハは荒い息を整える。こちらから強引に展開を作ったがために、体内の力の流れは荒れる一方だ。様々な形で徒寄花の力を発露させ続ける身体を労り、次なる一手のためにところどころ高ぶり過ぎた力を宥めていく。
相手の手の内が分からない以上、常に予想外との戦いになるのは覚悟していた。しかし、それにしたところで今の一撃は理性の外からやってきた上に、痛烈甚だしい。初対面のユリナは定石の染み付いていないヤツハの偶然に頼った攻め手も完璧に捌いていたが、その異常さが嫌でも分からされた気分だった。
けれど、痛手を受けたのは相手も同様だ。肩で大きく息をしながら、それでもヤツハから決して目を外そうとしない。序盤に圧倒した分を彼女に取り返されたような形ではあるが、だからといって相手が余裕を得たわけではない。
次に失着しようものなら、致命打が待っている。
それが意味するものは、本当の終わりの到来だ。
どちらもその現実を理解しているが故に、永遠にも思える睨み合いが続く。
その重苦しい空気の中、先に変化を見せたのはヤツハだ。
退けたメガミがいつ戦線復帰してくるとも限らない今、時間は有限だ。
深く染み入らせるように息を吐くヤツハの身体に、さらなる罅が刻まれていく。
「はぁーっ……」

もはやその身の至るところで、元の艷やかな肌は見る影もなくなっていた。
内なる力に訴えかけるほどに罅は広がり、冷めた緑の輝きが薄暗くなってきた林をさらに妖しく照らしていく。
そして、今まではただ罅の周りで垂れるだけだった結晶の花弁が、鎌首をもたげた。
もしも花弁たちに目があるのなら、それはきっと相手のメガミを向いているのだろう。
輝きがぼんやりと正面を照らし出し、その中に、戦慄する少女が浮かび上がっていた。
「っ……!」
直感が、彼女に地を蹴らせたのだろう。
仕掛けられる前に叩かなければ――その判断は実に正しい。回避と接近を両立させ、反撃から終局に向けた攻勢をするつもりだったのだろう。
けれどそれは正しくて、しかし遅かった。
ぞわ、と。
間近でなくとも、少女が鳥肌を立てたのが見て取れた。見開いた目が驚愕を示している。
ヤツハに向かい来る少女の存在感が、どこかに欠片を落としてしまったかのように、少しだけ小さくなっていた。
だが、塵に還った桜はどこにもありはしない。
顕現体を形作る力を、循環の理からをも零落させる魔性の光。
当然、なけなしの余力でさえも、容赦なく無に還す。
「っァあぁぁッ!」
声を絞り出し、力を振り絞り、ヤツハは相手に残された最後の灯火を刈り取るために、遮二無二権能を解放する。
瞬間的な発露に煽られ、広げた両腕から袖が千切れ飛ぶ。
制御から外れた力が大きな結晶となって、ヤツハを中心に咲き誇っていく。
乱れる彼女の長髪が、いずことも知れぬ果てなき夜天を映し出す。
保身を望めば望むほど、勝利を望めば望むほど、その姿は近づいていく。
己を産み落とした、怪物に。
桜を蝕む、怪物に。
人であることも、メガミであることも諦めた末に、滅亡に至る権能の妖しい光が全身から溢れかえる。
本当の怪物が、夜陰で模った五指を握り込んだ。
だが、怪物の前に立ちはだかるのは、いつだって勇気ある英雄だ。
どれだけヤツハが異形に変貌しようとも、いや、徒寄花の力に身をやつすほどに、少女の瞳は覚悟で満たされていく。
「みんなのこと……失わせない」
ぐ、と足に力を込め、さらに前へ。
喪失させられた力に宿っていた想いを偲び、義憤が身体を突き動かすように。
「今度こそ、負けない――」
命の息吹を枯らす冷たい緑の光に照らされながら、さらに前へ。
一度は怪物に潰された希望の種に、芽吹く未来を与えるように。
「だからあたしに、力を貸してッ!」
「……!?」
願いが、光となった。
少女の身体から溢れ出すのは、眩いほどの新緑の光。ヤツハと同じ緑であっても、どうしてか心が休まってしまうような温かみのある、生命の光。
その希望が、少女の背中に己を託した者たちの想いの輝きなのだとしたら……少女が希望に未来を与えようとするように、希望もまた、彼女に未来を願った、その結果だった。
「うぅぁッ!」
ヤツハの身体から放たれた結晶の蔦が、少女の五体を貫いた。
彼女の相棒同様、それで力は潰えるはずだった。奪った力が、実感を伴ってヤツハの中に流れ込んでくる。
だが、
「く、ぉぉぉッ!」
だが、それでも少女は倒れない。
震えそうになる脚に強靭な意思で言うことを聞かせ、歯を食いしばって立ち続ける。もはや一介のミコトと比べてどうかというほどに、力を奪ってきたはずなのに、顕現体に瑕疵が現れる気配は微塵もない。
その意気に呼応するように、戦場に桜吹雪が舞う。
新緑の輝きが辺りを覆い尽くし、降りてくる夕闇を跳ね除ける。ヤツハから零れた光の妖しさは払拭され、ここは春の陽気に包まれたようだった。
躍る桜は、この地にもたらされた新たな芽生えを、歓喜と共に歓迎するよう。この周辺には神座桜はないはずなのに、それでも彼方から祝福をしにわざわざ足を運んできたように思えてならなかった。

少女の想いと、背負った数多の願いに答えるために。
今このとき、桜降る代が彼女たちを受け入れたのだ。
ならば、メガミである少女が、こうして神秘的な歓迎を受けるのはなぜか。
「あぁ……」
思わずそれを見届けてしまったヤツハは、理解してしまった。
少女の言うみんなとは、誰なのか。
今度こそと唱えるなら、前回とは何なのか。
彼女が、どこから来たのか。
向こう側の英雄――そう呼ばれるに相応しい、その来歴を。
互いが互いの物語の果て、古鷹の地で相まみえた。
ここに生まれる決着は、一つの物語の結末。
それもまた、ヤツハは理解してしまった。
理解して……決意がすとんと、胸の底に落ちて収まってしまった。
命運を受け入れる覚悟が、冷えた意思となって全身の罅に走っていった。
「はぁぁッッ!!!」
咆哮が、英雄の反撃を告げる。力強い足取りと共に身をひねった彼女は、そのまま回転しながら唐棹を振るう。戒めは、その打撃を阻むには役者が不足していた。
奪った力もかき集め、ヤツハは結晶の盾をいくつも充てがって反撃を防ぐ。
だが、これは生存のための守りではない。
少女が真に英雄だとするならば、怪物たるヤツハの役割は決まっている。
故に、この一撃ではまだ力尽きるわけにはいかない。
まだ戦いに拙く、泥臭く鍛錬を積んでいたときでも、こんなことはしなかった。
せめて美しい結末をと、抵抗したヤツハを前に、英雄は止まらない。
「これでッ――」
結晶に弾かれた勢いを殺さず、さらに旋回を生む。
舞い踊る唐棹の金具が、熱を帯びたかのように煌々と輝き、誰かの想いを伝えていた。遠く、ぐったりと樹にもたれかかっていたメガミが、なけなしの力で握りこぶしを掲げていた。
熱い想いがあっても、出会いがなければ伝わらない。
人々やメガミたちとの繋がりが、英雄に想いを託す。託した想いが、力となる。英雄の願いに答えるように、今その全てが得物に注ぎ込まれている。
それは、英雄が皆を愛し、そして皆に愛されている絆の結晶。
故に―ー最高で、最後の一撃が、ここに成る。

英雄の一撃。
ヤツハには、それを捌くだけの手はなかった。
そして、逃れるための意思さえも。
「…………」
静かに、瞳を閉じた。瞼越しに、新緑の光がまだ差し込んでいる。
思ったよりも温かな時なのだと、身体から力を抜いた。
最期を、受け入れるために。
うっすら入り込んでくる明るさが、陰りを見せていた。
けれどそれは、ヤツハの意識が闇に落とされたわけではなかった。痛みもなければ、少女の光の温かさもまだ肌をくすぐっている。
未だ、最期は訪れない。
不思議に思うヤツハは、僅かに逡巡した後、少しずつ目を開けた。
そこに広がる光景は、終わったはずの物語の続き。
「え――」
「こんな結末……」
ヤツハの盾となるよう、英雄に立ちはだかった影。
深い深い海の底から少女の形となって地上に降り立った、大いなる海の化身。
「認めて、たまる、かぁぁっ……!」

その姿を変容させたハツミが、重い重い英雄の一撃を櫂で受け止めていた。
意識を手放そうとしていたヤツハは、あまりの出来事に思考がうまくまとまらない。どこか考えることをやめたいと思う自分さえいる。
ばき、ばき、とハツミの櫂に亀裂が入っていく。唐棹の勢いは未だ衰えず、このままではハツミごと叩き潰されてしまいかねない。
だが、
「はつみんっ!」

櫂と唐棹の間に、割り込むようにして光の壁が生まれた。その防壁もまた容易く罅割れていくものの、時間稼ぎはできている。
英雄の少女は声のした方向をどうにか確認しようとしたところで、
「こっちですぅ!」
「めぐめぐ、危ないっ!」
二柱目の乱入者の持つ絡繰から、少女に向かって光の槍が放たれる。
相方からの警告も手伝ってか、その攻撃は一瞬前まで少女の右肩があった位置を、背中側から貫いていった。全力を注いだ攻撃の最中だというのに、体勢を変えるだけで実に見事な回避だった。
しかし、それは体勢を崩したことを意味し、唐棹の打点がずれていく。
そして光の盾と櫂が砕けた瞬間、終わりを告げるはずだった一撃は、大地を深々と穿った。
ハツミに手を引かれ、ヤツハは導かれるように距離を取る。そうでもしてもらわないと、起きた出来事を正面から受け止められずにいるあまり、そのまま惚けてしまいそうだった。
信じられないといった面持ちで、偽らざる現実の光景を眺める。
もう二度と、口にすることはないと思っていた名が、口からこぼれ落ちた。
「ハツミ……さん? くるるん……さん……?」
こんな気持ち、ハジメテですから。
だから絶対、諦めません。

ヤツハのこと、信じてるんです。
だから絶対、認めてやりません……!
