八葉鏡の徒桜

エピソード8−8:彼女のうつろう紅色の御旗

 

 茶屋の店先に並んだ縁台は、この心地よい昼下がりに空席ばかりが目立っている。通りと通りが交わる好立地に構えられたこの店は、古鷹の茶屋の中でも広く大衆に愛される憩いの場であり、もうしばらくしたら夕餉を考え始める頃合いであったとしても随分と寂しい客入りだった。

 しかし、店を包む雰囲気は真逆もいいところ。人々のざわめきの波が穏やかなこの街に似合わないほどに広がっており、慌てた様子の行商人たちが方々へ走り回っている始末である。

 

「大丈夫、ですよね……」

 

 俯くホノカに、隣のユリナは答えなかった。脚の上に肘をついて、組んだ手には真剣に考えを巡らせる彼女の顔が乗っている。傍らに置かれたみたらし団子は、手つかずのまま餡が乾き始めていた。

 ユリナ越しに見るウツロからも反応はない。もう冷めてきた湯呑を手にして、無表情のままにじっと虚空を見つめている。

 もうこの流れも何度目か分からない。誰も答えを持っていないからこそ、じりじりと辛い時間に身を浸し続けることしかできなかった。

 

 そしてそれは、騒然とする民衆もまた同様だ。

 むしろ彼女たちを遠巻きに眺める彼らは、ホノカたちこそが何か知っていると期待する側であり、その存在自体にどうしても反応してしまう立場である。

 周囲に満ちる喧騒が嫌でも耳に入る。

 

「あっ、ユリナ様たちだ……。桜花拝のお偉方がぞろぞろ来たって本当だったんだ」

「でしょう? しかも、あのお三方と来られただけでも相当なのに、まだ他にもメガミ様がいらっしゃったみたいなの」

「どなただろう……」

「さあ……屋形の中でちらっとしか見えなかったけど、うちのミコト連中が口を揃えて見たことないって言っててね。爺様だけは信じられないって顔してたけど、結局よく分かんなくなっちゃったみたいで」

「そこで呆けられても……」

 

 町娘たちは噂話に花を咲かせる一方、街に根ざす商人たちの語り口は不穏だ。

 

「これ、もしかして例の大家会合で何かありましたかね?」

「じゃなきゃ臨時でやらんだろうよ。最近お屋敷が騒がしいとは思ったんだよな」

「納品取りやめの件ですか。急な話で驚きましたが、御用達のお仲間方も似たような対応をされていたようで」

「ちゃんと訳を話さねえもんだから内々で訊いたが、トコヨ様たちがどうも厄介事をこさえたって話らしい。そこにこれ、となると……」

「おぉ、ここが戦場とならなければよいのですが……」

 

 耳聡いのも考えものだ、とホノカは自分を恨んだ。しかし、人々が騒ぎ立てる話題にホノカ自身が思い煩っているからこそ、耳が勝手に声を拾ってしまうのだとも理解していた。

 気を落ち着けようと、茶を啜る。

 そのとき、ウツロが久しぶりに口を開いた。

 

「サイネたちが心配?」

 

 ユリナの腕に手を添えて、思い詰めているのではないかと慮っているよう。

 それにユリナは、頬杖をついたまま小さく頷くが、どこか苦々しげだ。

 

「キリコさん、なんで……」

「うん……」

 

 訊ねたウツロも同感を訴えるだけで、気休めの言葉も見つけられないでいる。

 やがてユリナは背中を起こし、目の前の通りの奥へと目を向けた。ここからでは茶屋の陰に隠れてしまっているが、彼女の視線の先に古鷹家の屋敷があることをホノカは知っている。

 そして現在、そこが事態の中心になっていることも。

 

「ヲウカさんたち、酷いことしなければいいけど……」

 

 ユリナの憂慮が、街の喧騒に紛れて消えていった。

 

 

 

 

 

「そのようなことを急に申されましても、何かの間違いだとしか言えませんな」

 

 普段なら飄々と言ってのけるのが似合うその言葉。しかし今、苦虫を噛み潰したような顔をしていては、苦し紛れの言い訳にしか聞こえなかった。

  仲小路艷麿 なかのこうじあでまろ 。古鷹家の抱える芸能集団であり、私兵団でもある叶世座の座長である。先代の古鷹家当主・京詞亡き後、若くして当主となった天詞のお目付け役となり、彼女が立派に成長した今でも側近として働き、隠居間近の老体に鞭を打っている。

 

 不在の天詞に代わり、彼が客間で対峙しているのは突然の来訪者たち。

 方や桜花拝の重鎮、 正村正吾 まさむらせいご

 そして、もう一方の人ならざる気配を持った少女に、百戦錬磨の仲小路とて焦りを禁じ得なかった。

 

「万が一それが事実だとしても、こちらとしては到底受け入れかねる話でございます」

「ほう……白を切ると」

 

 正村はいきなり強気で仲小路の反論を退ける。

 彼は同行者を示して、

 

「この方こそ、最古のメガミが一柱として帰還を遂げられたヲウカ様であり、そのヲウカ様から下された勅命を、此度は桜花拝宮司連合として正式に通達するものである。故に! 相手がたとえメガミ様であろうとも、最優先でご対応いただくのは当然というもの」

「ぐ……」

「加えて、桜花の忠実なる従者であるメガミ・キリコ様も、この危機に際してお目覚めになられ、御方から重大な証言をいただいた。これはいよいよ、我々の要求が正当であると断ずる他ないでしょう」

 

 我らに正義あり、と言わんばかりに悠々と理屈を並べ立てる。その正義の御旗とて、悪意によって都合よく振り回されれば凶器と変わりない。

 そして正村は、素直に応じない仲小路に再度突きつけてくる。

 理不尽と呼ばざるを得ない、その要請を。

 

「もう一度言う。偉大なる神座桜を蝕む邪悪な鏡のメガミ、及び、彼奴に侵され、神座桜へと悪逆を働き得る徒神――トコヨ、サイネ、ミズキの三名を引き渡していただこう!」

「っ……!」

 

 およそ、なんの先触れもなく、巨大な組織の権力者間で交わされる内容ではなかった。しかし、正村の強硬姿勢は両者の政治的な均衡を踏み潰すものであり、メガミのお墨付きというそれに足る論拠も携えている。

 もちろん、仲小路とて名指しされたメガミたちの変質については知っている。先日まで彼女たちの隠伏を支援していたのも彼だ。ただ、あまりに事が事なのか、詳細については天詞で話が止められているままである。故に、ヤツハなるメガミが、座員らへお触れを出すほどの重要人物だというくらいしか把握していない。

 

 しかし、確信を持って言い放つ正村は、妙な呼称を使っていることといい、事情を既に把握しているかもしれない口ぶりだった。目下の脅威は千洲波勢力と謎のメガミだと考えていた仲小路にとっては、青天の霹靂でありながらも心当たりがないとまでは言えなかった。

 だが、傍から見れば戯言としか思えない要求を、仲小路は当然おいそれと受け入れるわけにはいかない。ましてや彼は、悪逆の徒と名指しされたメガミを信奉するミコトである。この場に天詞が居たとしても、頑として首を縦に振らないだろう。

 語気を荒げ、仲小路は反駁する。

 

「くどいっ! 当方の返答は変わらず否だ! トコヨ様は、この都の文化と伝統を守る柱であらせられる。そのトコヨ様を悪し様に言うことは、古鷹への侮辱と等しい! 不確かな話に基づいた憶測なのであればなおさらだ。当然、ご友人の二柱についても同様!」

「…………」

「第一、ホノカ様がご健在だというのに、その者がヲウカ様であるなどという突飛な話、どうして信じられるというのか!」

 

 眼光鋭く、ヲウカを睨みつける。

 しかしそうは言ったものの、軽くあしらわれるだろうと仲小路は内心歯噛みしていた。これほど早々に吠えたのは、これがまともな会談の場ではないと悟っていたからだ。

 

 蟹河から東西に遥々横断してまで、下らない喧嘩を売りにやってくるほど桜花拝という組織は馬鹿ではない。メガミを連れている段階で、メガミと事を構える準備もできていると言わんばかりだ。

 そしてその際たるが、この動きを忍が一切警告してこなかったこと。

 喉元に刃を突きつけられた者に許されるのは、簡単には屈しないという意思表示をすることだけ。それも、彼の抗議をどこ吹く風と受け流す正村を前にしては、負け犬の遠吠えでしかなかった。

 

「おやおや、叶世座の座長ともあろうお方が、言うに事欠いてそのような世迷い言を。こちらのヲウカ様が偽物であると、そうおっしゃっている? 歳は取りたくないものですなあ」

 

 正村は余裕たっぷりに、一回り老いた仲小路をあざ笑う。争いの口実すら抜け目なく懐にしまい込む正村に、本気を感じ取ってしまう。

 しかし、初めてまともに口を開いたヲウカは、淡々とそれを嗜めた。

 

「正村、古鷹の方々がそう思われるのは無理もない話です。私はまだまだこの地においては異邦人なのですから」

「あぁ、なんと寛大なお言葉……」

 

 感じ入るなり、正村はいきなり手をついて頭を下げた。

 けれど、仲小路に向けられた顔は、慇懃の衣の下でほくそ笑むようなわざとらしい謝意が張り付いていた。

 

「これは大変失礼した。不幸にも古鷹家当主であられる天詞殿が、先日の臨時大家会合に折り悪くご出席が叶わなかったこと、失念しておりました。ならば、そのような誤解も確かにやむを得ないでしょう。然らば、ヲウカ様のご帰還について説明させていただければと存じます」

 

 仲小路はそこで、件の大家会合の案内のことを思い出させられた。『桜降る代の外より三柱のメガミ来たる』とだけ伝えられたその会合の内容は、忍に調査を依頼していたものの、結果はまだ手元に届いていない。

 

「まずは破滅に至った向こう側の悲劇、そして鏡のメガミが成そうとしている邪悪についてからお話しせねばなりませんな」

「鏡のメガミ……」

 

 繰り返し現れたその呼称を、仲小路が呟いたときだった。

 突如ヲウカが、険しい表情になって顔を上げた。

 

「……!」

 

 危機に感づいたような反応ではあったが、部屋の周りに気配が増えた感覚はない。仲小路も、正村だってミコトとしてそれなりの実力を持っているが、ヲウカだけが何処からか何かを汲み取っているようだった。

 まだ彼女のことを信じられていない仲小路は、よもやヲウカを名乗る存在が下らない悪戯を企てまい、と念の為訊ねる。

 

「何か、気になるこ――」

「伏せてッ!」

 

 言葉を遮っての鋭い指示に、正村が慌てて従った。仲小路も、声に宿る危機感だけは認めて、渋々背中を丸めた。

 時間にして、およそ三秒後。

 

「っ……!」

 

 庭に面した障子戸が一面に輝きを孕む。直後、遠くで雷を束にして落としたような音が響いた。

 そして、間髪入れずにやってきたのは、身体の揺れ。

 地震だ。

 

「……っと」

 

 弱った体幹では転げてしまいそうになり、思わず手をつく。

 揺れの大きさ自体は大したことはなく、時折遭遇する程度のものだ。湯呑が倒れないか心配する頃にはもう収まっていた。街での被害も、皿が割れるくらいなものだろう。

 しかし、ヲウカの警告といい、これがただの地震でも雷でもないことは明らかだ

 

「失礼」

 

 立ち上がって障子戸を開ける。そこには、いつもの変わりない庭が、そろそろ傾き始めてきた日差しを浴びていた。もちろん、場違いに行灯を持った女中がいるということもない。

 照らされ方からして、光の大元はこの庭の遥か向こうにあると思われた。だが、その先に広がっているのは家屋もまばらな古鷹の郊外であり、もっと進めば葦原との間の山々へ差し掛かってしまう。当然、花火の予定なんてありはしない。

 

 ならば今のは何だったのか。

 心当たりをヲウカに問おうとして、しかし彼女たちは行き着いた可能性に声を漏らしていた。

 

「まさか……」

 

 呟く正村を見て、仲小路も遅れて気づく。

 極光の轟いた先に、何があるのかを。

 年寄りには危険だからと近づかせてもらえなかった次の隠れ家が、どこにあるのかを。

 来訪者の尋ね人たちに降り注いだであろう暁光に、仲小路から血の気が失せる。

 よろけて戸にすがりついた彼は、その名を叫んでいた。

 

「トコヨ様ぁっ!」

 

 

 

 

 

 鞍橋から古鷹へと至る街道からやや外れ、西寄りから都の玄関口を眺められる位置。

 南から広がり続けてきた平野の果てで、オボロは冷たい風に吹かれていた。

 

「報告です。ようやく当たりを引けたみたいで、碩星楼の屋敷に向かわせた隊が対象を発見、その場でカムヰ様を呼んだようです」

 

 傍らまで歩み寄ってきた忍が、疲れを訴えるように首を鳴らしながら告げてくる。

 オボロはそれに、顔色一つ変えずに応じた。

 

「お主にしては遅かったな、千鳥」

「あはは、手厳しいなあ。見つけただけ褒めてくれてもいいんですよ? 古鷹本邸にいないと思ったら、あんなところに隠れてたんですから」

 

 鬱陶しげに外した面頬のその下では、あまり似合っていない髭が、皺の刻まれ始めた童顔を無理に飾っていた。

  闇昏千鳥 やみくらちどり 。メガミ・チカゲ――闇昏千影の弟にして、忍の里の頭領を務める忍である。飄々とした態度や、立場を思わせないお調子者ゆえに里の中でも愛される存在だが、その実力は折り紙付きだ。異国まで名が伝わった逸話から、ニンジャマスターという通り名を持つ。

 彼はオボロが戯言を受け流したと見てか、

 

「いやー、ですけど、逆に運がよかったというか。あの辺は人もあまり住んでなくて避難誘導も要らなかったし、被害は最小限でしょう。都のど真ん中でカムヰ様を抑えながら、なんて無茶やらずに済んでほんとよかったですよ」

「……そうだな」

 

 オボロは瞳を閉じて、静かに肯定する。

 小さく手を掲げて千鳥を下がらせると、彼女は思い直すように首を振った。

 

「いや……トコヨたちの善意を利用したようで、嫌になるな」

 

 自嘲した彼女は、じっくりと瞼の裏に映った己に問いかける。

 答えはもう、既に出している。

 ならば後は、実行に移すだけ。

 

「そう、これは望外の好機だ」

 

 そのための覚悟を呼び起こし、確認するように独りごちる。

 そして彼女は振り返り、南天を下った太陽を肩に浴びて、淡々と歩んでいく。

 

「だからこそ……」

 

 呟くオボロが向かう先では、幾重もの人影が時を待っていた。

 血色の外套の中に狂気を秘める千洲波の民も。

 己を鼓舞するように肌に文様を刻んだ稲鳴の戦士も。

 影の英雄たらんとする機会を与えられた忍も。

 大地を穿った光条を目の当たりにし、勇壮を示す瞬間が迫っているのだと誰もが理解させられている。

 

 その中で例外はただ一人――いや、一柱。

 稲鳴の民を率いる位置にありながら、未だ逡巡を抱え目を伏せるライラに、オボロはあえて今声をかけるつもりはなかった。迷いは太刀筋を鈍らせるとはいえ、一握りであろうとも稲鳴から戦力を得られた功労者の背中を、無理に押すことはできなかった。

 

「そう、だからこそ――」

 

 

 自分に言い聞かせるように繰り返し、この平野に集った者たちの前に立つ。

 そこに広がるのは、オボロの取り組みが結実した甘美なる光景。

 

 千洲波の民が、赤き刃を携え。

 稲鳴の戦士も、忍もまた、数多握るは紅の剣。

 かつて、この地への侵略者が振るったかのメガミの武器は今、奮起せる者らの手中に収められていた。

 その切っ先は、古鷹に潜んでいた脅威へと向けられる。

 剣の主が下した裁定を、現のものとするために。

 

「だからこそ、その力への誓約は、もはや書き換えられた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして彼女がうつろう中で、開戦の狼煙は上げられた。

 もはや抗う術はなし。

 この先に待つのは戦慄の戦線、それだけさ。

 だってそうだろう?

 彼女は偉大なる最古の三柱。

 旧き誓約にて禁じられし力の化身。

 この物語を揺るがし彩るには十分すぎる。

 あとは彼女の決意だけ。

 今はただその時のために――、

 紅き灯を掲げよう。