八葉鏡の徒桜

エピソード8−2:彼女にとっての失楽と飛翔(後篇)

 

 そこに、問答はなかった。

 あるのはただ、盲目的なまでの殺意の顕現だけであった。

 

「……ッ!」

 

 紅の大剣が、ヤツハの右頬の一寸隣を瞬く間に駆け抜けた。

 ほんの僅か、予感に従って首を倒しただけ。それも辛うじて間に合ったのだと、一筋の痛みが教えてくれる。

 あまりに躊躇のない初撃にぞっとする。躱せたのは奇跡かもしれない。けれど、何も知らなかった頃の彼女では、その奇跡を起こせずに物言わぬ身体になっていただろう。

 

 襲撃者の周りで、獲物が健在であると理解した獣のように、残りの刃が鎌首をもたげる。

 制止を求めるどころか、切り裂かれた頬を労る猶予すらない。

 主が発露する殺意に応えんがために、人の身には余りある剣たちが、その切っ先をヤツハへと向けた。

 雪原に、刃の花が咲き乱れる。

 

「くっ……!」

 

 背後へと抜けた一本目を横目で見やりながら、次々と描かれる致死の剣閃の陰へと潜り込んでいく。

 持ち手のいない武器の軌道の予測には常に不安がつきまとい、やや直線的な動きであることが唯一の救いであった。しかしそれでも、掠めた刃が鳴らす分厚い風切り音が、一度でも当たれば十分だという相手の意思を感じさせてやまなかった。

 

 胸のあたりを横薙ぎにしてきた剣を屈んで避け、膝に溜めた力を解き放って後方へ跳躍。突き立った別の切っ先が、押し固められて氷のようになった地面を砕く。

 そのまま距離を取ろうと駆け出すヤツハの背めがけ、串刺しにせんと凶刃が迫る。しかし、ヤツハはすぐさま直角に折れ、虚空を貫いていくであろう刃を見送った。

 だが、真横を通り過ぎようとしていた刃が、突如宙空で無理やり水平に回転した。

 

「――!」

 

 圧倒的な刃渡りを持つ大剣は、その身をただぐるりと回すだけで、周囲の存在を上下に断ち切ってしまう。勢いこそ明後日の方向を向いているが、剣先で引っ掛けられるだけでも致命傷になりかねない。

 でたらめな追撃に、ヤツハは思わず前へと飛び込み、粉雪に塗れた。

 けれど、態勢を崩した彼女を地面に縫い付けるかのように、次なる一撃が繰り出されていた。

 

「ぐ、うッ!」

 

 避けきれなかった切っ先に、ひねり出した桜色の結晶たちを遮二無二あてがう。それは斬撃というより押し潰すかのようで、あまりの重みに正中から逸らすだけで精一杯。ヤツハはギリギリのところで刃と別れを告げたが、彼女の長い髪が数条、断ち切られた。

 深々と突き刺さった刃が、氷霧と共に雪煙を巻き上げる。滞留すれば視界が奪われていたところだが、幸いなことに横殴りの吹雪がそれをすぐさま押し流してくれた。

 

「はぁ……っ、ぐ……」

 

 刹那に生まれた間隙に、濃密な機動で上がった息を一つ整える。

 乱れ咲いた斬撃の嵐の中、しかしそれを避けるヤツハの動きに迷いはなかった。雪上という厳しい状況下であっても、何かに導かれるような体捌きで不意打ちをどうにかいなしていた。

 彼女の脳裏は、未だに数多の感情で埋め尽くされている。突如現れた襲撃者への懐疑も、憤りも、そしてどことなく感じる納得も、その中で錯綜していた。

 しかし、そうして飽和しきった思考だからこそ、自覚なき意思が彼女の身体を突き動かしていた。

 

 戦うしかない。

 自分には、それができる。その力がある。

 数多の桜花決闘を通じ、自らの在り方を探し続けた結果として磨かれたヤツハの精神が、無意識での抗戦を叶えていた。

 そして、己の力の象徴として現れた大鏡が、反攻の意思宿るヤツハの面差しを映し出す。

 暴力的な力の発露が、押し付けられた命運を拒絶する。

 

「行ってッ!」

 

 ずるり、と鏡像を破って這い出してきた怪物の大爪が、主と共に敵の下へと飛び込んでいく。紅の大剣を捌いてもらうなどという、生半な選択肢には目もくれない。

 振るう力が拮抗し、そこから互いに天秤を傾がせようとするからこそ戦いが生まれる。

 相手をただの殺生から、戦いという意思を以て対話とする場へ立たせるために、ヤツハは脅威を示さんとしていた。

 

「…………」

 

 対し、紅のメガミに意に介す様子はない。じろ、と鋭利な爪が横合いから迫ってきている事実だけを確認するように、一度その平たい目を動かした。

 ただ、それに対応しておくべきと判断してはくれたのか、ヤツハにだけ向けられていた四本の大剣のうち、一本が迎撃に充てられる。

 

 攻撃の手が、僅かに緩む。生じた隙の中、鏡が煌めいた。

 剣戟の射線上に居たヤツハの身体が、数歩後ろに幻影となって現れる。意思を宿したその写身は、元居た場所に三振りの刀身が叩きつけられようとしているのを認めながら、相手へと意識の焦点を合わせた。

 

 決闘で何度も成した流れを、無意識に最適解として選び取る。

 身体も、内に秘めた力も、攻守共に手が塞がった相手を怪物に噛み砕かせるために自然と動いていた。

 生み出された大きな顎が、幼いとすら言える敵を呑み込まんと開かれる。

 

「あぁッ……!」

 

 ふつりと湧き上がった衝動が、繰り出した一撃に意思となって込められる。

 凶暴なまでに喰らいつくソレが、襲撃者の体躯に牙を突き立て――

 

「ぁ……」

 

 音が、ヤツハの喉の奥から漏れた。

 怪物の大口が、閉じられることはなかった。

 喉元を下から上へとばっさり断ち切られた顎は、飛び出した勢いのままに、上顎と下顎に分かれて吹き飛んでいき、そのまま星屑のような塵となって掻き消えていった。

 

 雪に白濁する天を指し示すのは、血のように紅い一本の大剣。

 ヤツハを捉え損ない、地を穿ったはずの刃は、そのまま強引に氷の大地を切り裂いて、地面から守勢の刃となって怪物を切り裂いていた。当然のように、刃の主は無傷だった。

 だが、本来ならそれで終わるはずはなかった。それはまだ、痛撃への途上のはずだった。

 

 本当なら、首を断たれようとも、放った怪物は捉えた獲物へ喰らいつくはずなのに。

 狙った相手が生半可に足掻いたところで、必ず傷をもたらしてくれるはずなのに。

 最期まで怪物を怪物足らしめる何かが抜け落ちてしまったように、反攻の狼煙は散らされてしまっていた。

 あまりに、あっけなく。

 

「…………」

 

 眼前に迫ったメガミは、相変わらず眉一つ動かしていない。大胆な攻防の後だというのに、その眼差しは眠たげにすら見えてくる。ヤツハが選び取った攻めの手も、彼女にとっては僅かたりとも脅威になっていなかった。

 否、それは、ヤツハ自身が形ばかりの脅威にしてしまっていた。

 

 空虚な手応えが、これは己の責だと突きつけてくる。あっさりと捌いた相手の様子が、その事実から目を逸らすことを咎めているようだった。

 力を、結果を引き出すだけの想いは確かに乗せていた。

 けれど、無我夢中で生み出された意思が、本当に怪物の背を押していたのか。

 空回りしたような感覚がずっと、後悔をとめどなく引き連れてきていた。

 

「は――」

 

 無論、間近で攻撃をいなされた者が、悔恨に浸るなど許されない。

 生まれてしまった莫大な隙が見過ごされるはずもなく、虚像から実像へと引き戻されたヤツハの姿は、構えられていく凶刃たちの矛先にあった。

 

 紅の大剣が二本、糸を撚り合わせるように絡み合い、螺旋が形作られていく。

 織り上げられるその姿は、人が振るうためにあるわけでもなく、相手の刃と打ち合わされるためにあるわけでもなく、ただ相手を穿つためにあるように見えた。

 切っ先が捉えるのは、存在そのもの。

 ヤツハには、それが捉えた敵を悉く処断してしまう必滅の刃のように感じられてならなかった。

 

「あぁ……」

 

 去来した感覚に導かれ、脳裏に過ぎったのは納得だった。

 一言も喋らない執行者が、何故自分を襲ってきたのか、その理由がすとんと胸に落ちてきたようだった。

 そして、

 

「か、ぁ――」

 

 気づいたときには、その納得感ごと、ヤツハの胸は貫かれていた。

 やや上向いた刃が彼女の身体を僅かに持ち上げ、浮いた踵が地面を求めて彷徨っている。衝撃に寸断されていた意識は、身体の中心からバラバラになってしまいそうな痛みを他人事のように受け取っていて、明らかな致命傷を受けたという実感が湧いてこなかった。

 

 しかし、肉体的な破壊とは別の、二の矢がヤツハを凍りつかせた。

 持ち上げられて苦しくもあるのに、その刃を掴む気になれない。

 その忌避感の源泉が、刃から感じる不吉さであると気づいた直後、ぞわぞわと自分のものではない力が流れ込んできた。

 直感が、それこそが襲撃者の権能に違いないと訴えている。

 

「ぃ、ぁ……」

 

 満足に悲鳴すら上げられず、未知の感覚に対抗する術もない。相手の権能そのものが、人の身体を巡る血のように駆け回り、ヤツハの中にある何かを探し回っている。自身という存在を土足で踏み荒らされているようで、動かせない身体が悪寒に震え上がった。

 それがもし、単に侮辱的なものであったり、盗人のような欲によるものであれば、ここまで怯えることはなかっただろう。

 

 しかし、処断する者が抱くのは、純粋な殺意だ。

 そんな主の意思に導かれた権能が、ただ自身を害するべく中で這い回っている。

 それはむしろ焼き討ちのように、一切合切を滅却せんと結果を追い求める無慈悲な動きであり、思っていたよりも殺意が鋭利なものだと嫌でも突きつけられていた。

 それを、一騎当千と噂されるメガミが向けているという事実。

 ヤツハという、一個人に対してまでも。

 

「ゃ――」

 

 びくり、と力ない身体が一度大きく震えた。

 自分の奥底にしまわれていた大切な何かを、乱暴に触られた。

 見慣れぬ敵地に迷うようにヤツハを探り続けていた害意が、ついに刎ねるべき首を見つけ出したのだ。

 

 そして、間断なく処断は始まる。

 決して欠けてはならないはずのそれが、ぼろりとひと欠片、削り落とされた。

 

「――――」

 

 凄絶なおぞましさが、ヤツハの意識を埋め尽くす。

 今まで感じたこともないような、この先に確実な終わりが待っているという終焉の気配に、泥のような恐怖が思考を染めていく。

 権能が一度手を振り下ろすごとに、失われていく自分。その感覚に猛烈な嫌悪感が反発したところで、自分で自分の盾になることなんてできやしない。伸ばそうとした手すらも、彼らは使命に従って砕いてしまうのだから。

 だが、

 

「っ……!」

 

 ヤツハは決して、諦観に支配されることはなかった。螺旋の刃が織り上げられていく光景へ納得していたときとは相反するように、心の奥底から拒絶を訴え続ける感情が迸る。

 それがただの生存本能の叫びかと問われれば、はっきりと否であった。それはもう、波打つ恐怖が代弁してくれているのだから。けれど一方で、恐れとは違うその情動が何物で、何を由来としているのか、彼女自身全く分かっていなかった。

 

 ただ、これだけは分かっている。

 今のこのときは、溢れ出る想いに従わなければならないのだと。

 心が、そう望んでいる。

 心が、そう訴えている。

 心が、悲痛な声を上げて、叫んでいる――

 

「あ、あぁッ……!」

「……!」

 

 それは、断末魔のようで、産声でもあった。

 ヤツハの想いが声を吐き出させた直後、螺旋の刃が貫いた胸元から、ひび割れ剥がれ落ちるようにヤツハの身体が崩れていく。

 

 その傷痕から零れたのは、黄緑色の光。

 自らが崩壊していく感覚の中、その欠落に力が止めどなく流れ込んでくる感触が、爆発する感情に導かれるように広がっていった。

 暖かい色合いのはずなのに、どこか冷めたその光が、宵闇の迫る雪原を照らし出す。

 ヤツハの視界が、眩い輝きで満たされていった。

 

 

 

 

 

 単なる変化ではなく、異常。

 消失の間際に異質な反応を見せ始めたヤツハも十分に不可解であったが、それ以上に、誰の理解をも超える現象が生まれていた。

 

 ヤツハを貫いていた螺旋の刃に、結晶質の蔦のようなものが這っている。

 それはまるで、食い込んだ蔓がやがて樹を枯らしていくように、刃を徐々にひび割れさせていった。

 メガミ自ら編んだ、絶対的な破壊力を持つ大剣たちが、こんな砂岩を割るような気軽さで損なわれることなどありえるはずがなかった。

 

「っ……!」

 

 未知なる一手に、紅のメガミがその眠たげな眼を見開いた。炯眼も露わに、背後へと飛び退って距離を取る。

 直後、螺旋を成していた刃がヤツハから引き抜かれ、瞬く間に元の二本の大剣の姿を取り戻す。これまでの悠然と力を叩きつけるような太刀筋とは打って変わって、身の丈に似合わない機敏な動きで、剣たちは残った蔦を切り砕いた。

 そうして得物の離脱が叶ったと同時、色のない呟きが紅のメガミの小さな唇から零れる。

 

「ハカミチ」

 

 唱えた瞬間、ヤツハのいる一帯の地面から、赤黒い棘が一斉に噴き出した。

 生まれた針地獄に、ヤツハの身体が氷の大地へと縫い付けられる。五体を串刺しにされた彼女は、無慈悲なまでに身動きを許されておらず、とうに生を諦めてもいいような悲惨な様相を呈していた。

 

 しかし、執行者はそこで満足しない。

 彼女は一切の容赦なく、再び一対の大剣をヤツハへ向け、融合させていく。

 その眼差しは険しく、目の前の異常を油断なく見下ろしたままだ。

 だが一方で、すぐさま処断の刃を振り下ろすことはなかった。

 異常が、さらなる異常へと変貌していく。

 

「…………」

 

 その瞳に映るのは、もはや傷ついたメガミの様子とは程遠かった。

 全身を貫かれ、ますます罅が広がっていくヤツハの身体は、本来メガミであれば血潮の代わりに顕現体を構成する桜の光を零すはずだった。それが黄緑色の奇妙な光を発し始めた時点で常識の外ではあったが、今はもっと根本的な異様を示している。

 

 赤でも、桜でもなく、輝ける星空。

 元々そのような生物であったと主張するかの如く、天に揺蕩う星の海が、奇怪な発光を押しのけて数多の傷口からどろどろと溢れ出していた。

 その奇怪な血潮から、ヤツハの鏡より現れる怪物のような鉤爪が次々と浮かび上がる。

 ぱきり、ばきり、とそれらは柔軟な筋肉のようにうねっては、血色の棘に巻き付いて砕いていく。体液の一滴にすらも意思が宿っているかのような動きであったが、それらがヤツハのものなのか、知る者は一人としていなかった。

 

「か、ぁ……」

 

 時折、声にならない呻きが漏れ聞こえる。けれど、それは意識ある悲鳴というより、変化に身体が音を立てていると言ったほうが似つかわしかった。

 溢れ出る星空の勢いは止まらず、明らかにその身に収まらないであろう量が飛び出してきてもまだ、氷雪の大地を輝ける黒に染めるのをやめなかった。

 やがてそれは、零れるだけでは飽き足らず、あるべき場所を目指すように噴き上がる。

 すなわち、空へと。

 

「……!」

 

 ヤツハの身体の内側から、天目掛けて己の本質をくまなくさらけ出すように、眩い漆黒が大空目掛けて広がっていった。

吹雪く曇天は夜の時間を一足先に迎えたように、闇に呑まれていく。

 想定外の現象に見舞われ、紅のメガミが四方へ鋭く目を配る最中、北限では滅多に見ることのできない星空に、雪原が覆われていく。

 

 その偽りの星空は、天を塗り替えるだけでは終わらない。

 世界を夜に落としたその果てに、夜の空が落ちてくる。

 とっぷり、とっぷり、滴るように降り注ぐのは、鏡の向こう側に宿っていた怪物たち。

 氷床を噛み砕くように降り立った彼らの意識が、一斉に、紅のメガミを向いた。

 

 これは、北限での旅立ちの再現であり、それでいて、どうしようもなく暴虐的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身も凍るような吹雪の中を、ハツミはひたすら走っていた。

 視界の狭すぎる雪原で尋ね人を探し回る愚は理解している。姿を見ることはもちろん、足跡だってやはり雪に覆われていた。

それでもあの洞窟から飛び出した彼女の足取りに迷いはない。

 もうしばらく雲の向こうで粘っているはずの太陽が、突然そこにだけ生まれた闇に遮られたのだ。

 

「っ……はぁ、はぁっ……」

 

 規模は違えど、あれはきっと友の力に他ならない。

 近づいていくほどに、その闇が空を一部塗りつぶす奇妙な星空であると分かってくる。確信が、雪に埋もれそうな足を前に動かしてくれる。

 悲痛な顔で自分たちの下から去っていった後に、ヤツハが権能を振るうことになっている理由は想像もつかない。決闘なんてしている場合ではないだろうし、人もいなければ神座桜だってここからでは遠すぎる。コルヌが早々に考えを曲げるなんてなお考えづらい。

 だが、何が起こっていようとも、ヤツハがそこにいるという事実があれば十分だった。

 

 そうやって憂慮を湛えながら駆けていると、突如として放たれた曙光が目を焼いた。

 行く手の上空を揺蕩っていた星空を、さらに払暁の輝きが上塗りしていた。

 直後、一瞬遅れて雪原に衝撃が吹き荒れる。

 

「う、くぁっ……!」

 

 莫大な力の余波が、降り積もっていた雪を雪崩のごとく押しやってくる。

 ハツミは歯を食いしばり、水の障壁を生み出して受け止める。凄まじい暴風雪となったそれは防壁を瞬く間に凍りつかせていくが、完全に氷となってしまう前に扉を奥へ押し開くように動かし、傘を前に構えるようにそれごと権能で操りながら無理やり歩み続けた。

 

 眼前の視界は雪に白く濁り、向こう側の様子は全く伺えない。けれど、これが直接の攻撃ではなく、単なる余波であると悟っていたからこそ、ハツミは押しのけられそうになりながらも氷の剥いた大地を一歩一歩踏みしめていく。

 そしていつしか嵐は過ぎ去り、膨大な力の余韻は消えた。壁は大量の雪を呑み込んで途方も無いほど厚く重くなっており、強引に操った反動で肩で息をする有様になっていた。

 

「っ……。このっ、こんちくしょう……!」

 

 無用となった氷壁を捨て、残された力で必死に走る。

 しかし、ハツミがその先で見つけたのは、中心が土まで露出した破壊の爪痕だけであった。

 空は曇天へと戻っており、星空も、曙光も、そこにはなかった。

 人影もまた、どこにも見当たらない。

 

「ヤツハ……、ヤツハぁっ……!」

 

 戦いの痕跡が、何事もなかったかのように降り始めた雪に覆われていく。余波によって生まれた束の間の凪にあっても、尋ね人の姿を見つけることはできなかった。どれだけその名を呼んでも、答えが返ってくることもなかった。

 やがて、緩やかに戻り始めてきた吹雪の中、雪の粒ではない何かがハツミの手に滑り込んできた。

 

 きら、と輝くそれは、ひとひらの花弁。

 桜花結晶のようでいて違う、異質な欠片。

 黄緑色に煌めく奇妙な花びらが、吹き戻してきた風に転がった。

 

「ヤツ、ハ……?」

 

 友の名に、疑惑の色が乗る。

 掠れ始めた声が、雪原でこれ以上闇雲に響くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やあやあ、相変わらずのご観覧に感謝感激。

 

 ご覧の通り、こうして彼女は失楽し、飛翔した。

 そしてここからが、彼女があるべき本****当の物語。

 そう、これは英雄の物語に非ず。これは――、