八葉鏡の徒桜

エピソード8−6:彼女のうつろう涅色の隧道

 

 久しぶりに訪れた古鷹の都は、その街並みも、道行く人々も、かつて来たときから何も変わっていないように見えた。けれど、どうしてか、通りの賑わいは不穏に騒がしく聞こえ、穏やかに流れる時間の中は薄ら寒く思えてならなかった。

変わったのはこの街なのか、それとも自分なのか。

 

 伏せがちになったヤツハの視界には、か細い糸を恐る恐る手繰り寄せるように頼りなく交互する、自分のつま先だけが見えていた。

 

「あっ……、ごめんなさい」

 

 ぶつかりそうになった町人を見送って、目の前の路地へ当て推量で入っていった。

 キリコと別れてからおよそ一週間。ヤツハは自分と境遇を共にしてくれるかもしれないメガミたちに会うべく、古鷹に足を踏み入れていた。急げばもう少し早く着いたものを、底の見えてきた路銀を使ってまで都度宿場に留まっていたのは、期待を押し潰すほどの恐れがあったからかもしれなかった。

 

 それでも辿り着いたこの街であったが、ヤツハのあてはここで終わっている。件のメガミたちが街のどこにいるのか、キリコは知らなかったし、名前も分からずじまいだ。詳しくもないこの大きな都で、本当にいるかも分からない人物を探し当てなければならない。

 さらに、ヤツハがこの街で知っている場所と言えば、クルルに案内された絡繰仕掛けの初之條舞台だけである。技師の五条や古鷹家当主の天詞と出会った場所だ。あのとき、訪ねた翌日に厚意で見せてもらった稽古の様子は胸の高鳴るもので、思い出すだけで当時の高揚感が蘇ってくる。

 

「…………」

 

 だが、仄かに色づいた表情を、心は白く塗りたくる。

 今は思い出に浸っている場合ではない、と。あるいは、自分にはそんな資格はないと、咎められていた。

 しかし、そんな感傷を呼ぶ場所であろうとも、唯一自力で訪ねられそうな場所であることには変わりない。メガミの所在を人々に訊いて回るほどの気力は、ヤツハには残されていなかった。

 

 そうして閑静になった区画を行くことしばし、目指していた舞台は無人のまま、神座桜の前に鎮座していた。公演の日でもなければ、稽古も行われていないのは救いだった。

 記憶を頼りに、おっかなびっくり裏手の母屋へ向かう。あのとき案内してくれたクルルはいない上、古鷹で名乗っていた身分はミコトという偽りのもの。今の立場を横に置いても、目的を果たせるかは怪しいところだった。

 

 実際、門の傍まで来たところで、知らない顔の門番の視線が痛かった。きょろきょろと屋敷に目を配りながら、縮こまっている見慣れない女は不審者以外の何者でもない。ここからどうするか、結局決めきれないまま着いてしまっていた。

 ああでもないこうでもないと、取り次ぎを求める言葉を考えるヤツハ。

 怪しまれないように一度出直すべきか、と今更に過ぎることに思い至ったときのことだ。

 

「や、やや、ヤツハ殿――」

「……!」

 

 いきなり呼ばれた名前に、飛び上がりそうになりながら振り返る。

 そこには、何故か眼鏡がずり落ちそうになるほど驚いている五条の姿があった。似たような装いの者たちを引き連れており、突然立ち止まったせいか後ろからぶつかられていた。

 何はともあれ、ヤツハにとっては僥倖である。あれこれ考えていた言い訳が全て吹き飛んでいった。

 

「お、お久しぶ――」

「い、いやぁ、またお会いしましたなあ同志! 今日はクルル様とはご一緒ではないようですが、あれから実験はどうなったかわたくし気になるあまり、夜も眠れなかったのですよ!」

 

 こちらからの挨拶を遮った五条は、肌寒い天気にもかかわらず汗を垂れ流しながら、まくしたててきた。

実に答えづらい話題に、ヤツハは口ごもるが、

 

「それは……」

「ささ、こんなところで立ち話もなんですから、どうぞ寄っていっていただきたい。そう遠慮なさらずに! あぁ、昼餉がまだのようでしたら、ご一緒に清月堂の五色弁当でもいかがでしょう。美味ですぞぉ」

「えっ……五条さん、あの……」

 

 一方的に話を進める五条の手が、ヤツハの背中を押す。歓待されるのは悪いことではないけれど、まるであれほど遠かった門に追い立てられているかのようだ。

 あえて断る理由もないと、ヤツハはそのまま舞台の母屋に吸い込まれていく。

 その道中、五条が買い出しを任せた部下に渡した覚え書きの内容を、ヤツハが目にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 そして今、ヤツハたちの姿は再び古鷹の街の中にあった。

 目的は一つ。天詞に会いに行くためである。

 

「わざわざすみません」

「いえ、この程度お安い御用です」

 

 先導してくれている五条は、振り返ることなくそう言った。

 彼が招いてくれたことは幸運ではあったが、あまり腰を据えて話す気分ではない相手であることも確かだった。五条との主な話題は、以前からクルルのことばかりだ。思い返しただけで心が痛む人物について語らうのは、今のヤツハに到底できることではない。

 

 だから、彼女が早々に求めたのは、天詞への面会だった。

 胡乱な噂と言えど、メガミが関わるものであれば当主の耳に入っていることは想像に難くないし、精査された情報への期待も高い。何より、前回訪ねた際の晩餐で一番親しく話せた古鷹の人間でもある。

 もちろん、急な話で恐縮するしかなかったが、出した遣いの口から良い返事が聞けたからこそ、天詞がいるという屋敷への途上に着いている。

 

「しかし、運に恵まれましたな。昨今の情勢もあってか、この頃天詞殿はご多忙のようでしたから」

 

 五条の言葉に、また縮こまってしまう。

 

「貴重なお休みの日だっていうのに、私のために……」

「個人的な客人と語らうのもまた、良い休養になるでしょう。次からは先触れでも出しておけば、予め時間を作ってくださるかと」

「はい……」

 

 やんわりと釘を刺されて、素直に反省するしかない。取り次いでもらったときの用件には、あくまで私的な内容を並べ立てていたが、それらは言い訳で当主としての天詞に会いたいのだと見抜かれているようだった。

 しかし、自分に類が及ばないのであれば、この程度の無理は通して進まないといけない。仲間を探すための道のりにすら、茨が敷き詰められている。

 

 そこまで考えたところで、ふとヤツハは、奇妙な違和感を覚えた。

 緊張を帯びた歩みの中、足元が不確かになってしまったような感覚だ。

 

「あれ……」

 

 その呟きは、誰の耳にも留まらない。そして、立ち止まることもできない。

 先導の五条の他に、ヤツハたちの後をついてくるようにして、同行者が三人いる。

 案内だけならば五条一人で十分ではないのか。部下を連れるにしても、何故ここまで必要なのか。

 舞台の裏手で会ったときに、ぞろぞろと連れていたものだから、天詞の屋敷へ発ったときも特に疑問には思わなかった。けれど、舞台の技師の風体をしているが、彼らも天詞に用があるのだろうか。

 

 何かを見落としていないだろうか。そんな小さな焦燥感が、思考を炙る。

 一度気になってしまうと、どこまでも違和感が目についてしまう。ちら、と窺う同行者たちの身のこなしが、整いすぎていることにも。

 もちろん、ユリナどころか青雲にも遠く及ばないが、同じ技師の五条よりは明らかに上。全員ミコトだからかもしれないが、凡夫と呼ぶのはあまりに憚られる。

 

 違和感はそれだけではない。

 歩み続けたヤツハたちは、古鷹の中心街どころか舞台のある閑静な区画も抜け、建物もまばらになった、もはや郊外と言うべき一帯を進んでいた。

 見えてきた屋敷は、大きくはあっても地味に過ぎるもの。ひと目見て、上品さを尊ぶ古鷹の芸風ではないと悟れてしまう。存在感のなさから実際より小さく見えてしまい、背後に広がる林のほうが目につく始末だ。

 

「…………」

 

 果たしてこれが古鷹家当主の屋敷なのか、疑問を口に出す勇気はなかった。

 最初は小さく響いていた警鐘が、大きな鼓動となって胸を打つ。

 しかし、様々な可能性が脳裏によぎったところで、ヤツハは他に縋れるものがない。か細い希望へ繋がっているかもしれない細い細い糸が、たとえ蜘蛛の糸だったとしても、それを見逃さないように必死に手繰ることしかできないのだ。

 

「どうぞ、お上がりください」

 

 屋敷に通されたヤツハは、促されるままに先へと進む。出迎えはなかった。

 そのまま奥にある一室に案内され、五条は部屋の主の返事も待たずに襖を開く。

 

「――あぁ……」

 

 現れた光景を前に、ヤツハに去来したのは納得だった。

 彼女が求めていた天詞は、そこにはいなかった。

 代わりに座して待っていたのは、三つの人の形。

 うち一つは、山城で出会い、時に文字通り力を貸してくれたミズキのものだ。

 

 

 そして他に、見知らぬメガミが二柱。

 一方は小柄で、霜に覆われた桜のような色に身を包んだ少女。もう一方は、氷塊から削り出された刃のように凛とした印象の女。

 彼女たちの装いには、ヤツハの袖に刻まれた文様と似た意匠があしらわれている。

 この二柱が件の変容したメガミなのだと、直感が告げていた。跳ねた鼓動が期待を訴える。

 だが、それは一瞬の気の迷いのようなものでしかなかった。

 

「っ……」

 

 二柱のメガミから向けられた意思に、ヤツハは言葉を失った。

 刺すようなそれは、敵意か、それとも害意か。

 否、そのどちらでもない――それを理解してしまったとき、ヤツハにもたらされたのは失望だった。

 

 何故なら、尋ね人たちが向けていたのは、強い警戒の意思。

 津波のような隔意が、ヤツハの希望を押し流していた。

 

 

 

 

 

「それでは、わたくしどもは失礼致します」

 

 役目を終えたとばかりに、五条たちがそそくさとこの場を辞する。率直に言って彼はヤツハを罠に嵌めたわけだが、失望から変わりゆく諦観の最中にある彼女には、もうどうでもいいことだった。

 ヤツハが今相対すべきは、自身を見据える三柱のメガミ。

 背後の障害が消えたからと言って、彼女たちが逃走を許すはずがない。故にヤツハは、敷居という彼我の境界を越えて、自ら彼女たちの下へ向かう定めを負っている。救いがあるとすれば、武器の類がまだ構えられていないことくらいだろうか。

 

 下座にぽつんと置かれた座布団が、歓迎の質を物語っていた。

 どんよりとした覚悟と共に、部屋へと踏み入る。一歩、二歩と進むたび、縮んだ距離以上にメガミたちの隔意を間近に受けているような気がした。諦観はもはや焦りをも横に置き捨てていて、今まで何度も心の中で繰り返してきた問答を、まだ声も聞いたことのないメガミたちと次々行う光景が、惰性のように脳裏によぎっていく。

 

 ……だから、ヤツハの注意は三柱のメガミ以外に払われていなかった。

 誰もいなくなったはずの背後から、気配が滲み出る。

 それが廊下ではなく、己の頭上からだと気づいたときには遅かった。

 

「っ……!」

 

 首筋に小さな痛みが走る。反射的に患部に手をのばすと、細い金属のような感触があり、触れた勢いで肉から抜け落ちていった。

 ヤツハは一拍遅れて振り返ろうとするが、どうしてか首が上手く回らない。

 身体ごと振り向こうとしたところで、遅れて理解する。痺れて満足に動けないのだ。

 

「……!?」

 

 搦め手の奇襲を受けてしまった失策を悟り、挽回を図るべくヤツハは鏡を呼び出そうと力を込めた。

 しかし、

 

「『あなたの知らない力は、果たしてあなたの力と呼べるのでしょうか』」

 

 不思議な響きを持った声が、ヤツハの意識に染み渡っていく。すると、現れかけていた鏡が怪物を呼び出す暇もなく宙に解けて消えていった。どうしてか、あれほど研鑽を積んで我が物としていた権能を使う感覚が、分からなくなってしまっていたのである。

 目だけを動かすと、捕捉していなかった何者かの姿が部屋の手前側の隅にあった。廊下からは死角となる位置だ。

 

 身体の痺れと権能の束縛。成した気配はどちらもメガミのもの。

 瞬く間に戦闘能力を奪われたヤツハは、立っていることも辛くなって膝をついた。この期に及んで抵抗できるとは思えなかった。三柱が相手である時点で逃走を諦めていたのに、さらにもう二柱伏兵が潜んでいたとなれば、生殺与奪権を握られたも同然だった。

 ここに至る道中で気づいて行動していなかった時点で、ヤツハは負けていたのだ。ただ、これほどまでの体制で待ち受けられていたことに、特段驚きはなかった。

 

「これ以上危害を加えようってつもりは、今のところはないわ」

 

 畳へ這う姿勢となったヤツハに、最も上座に位置する小柄なメガミが、扇を弄びながら告げた。必然、彼女から見下される形となっており、勝利宣言をするにはこれ以上ない構図だ。

 もちろん、その言葉に保証なんてどこにもなかったけれど、依然としてそのメガミたちからは殺意の類は感じられない。必要だから無力化したのだ、と言わんばかりで、彼女の態度はその選択への後悔のなさと、幾ばくかの誠意すら示しているようですらあった。

 全くの嘘でたらめではない――そう少しでも思ってもらおうとしている意思は、ヤツハにはやや予想外なものだった。

 

 では他のメガミは、とぎこちない動きで見回すと、隣の氷刃のような気配のメガミや、不思議な声をかけてきたメガミは、やはり警戒心と共にヤツハを見定めようとする態度を見せており、害意は収められている。

 一方、過度な警戒心を眼差しに宿しているのは、襤褸の外套を羽織ったメガミである。彼女はヤツハから距離を取った位置で柱にもたれかかっており、その手は先程投擲したであろう細く長い針を弄んでいた。放つ敵意が見せかけのものではないと理解させられる。

 

 そして最後、この中で唯一知己であるミズキは、倒れ伏すヤツハを慮る感情を微かに顔に浮かべていた。彼女がヤツハの知るミズキであると分かっただけでも、冷えた心が少しでも温まるようだ。

 ただ、どう話が運ぶか分からない以上、ミズキを頼れるかは不明だった。もしかしたら彼女の立場を悪くしてしまう可能性だってある。

 

「悪いけど、こっちも余裕はないの」

 

 儚い希望を見出そうとしていたヤツハを、上座のメガミが言い咎める。元々、孤独の中で仲間を求めて来た身だ、ひとりぼっちで抗うことは当然だった。

 しかし、『今のところ』と相手は言った。

 既に死地と言って差し支えないこの場に、墓標が立つかもしれない。

 その墓標をいつか立ててくれるかもしれなかった存在と、相対してしまっているこの虚しさは、筆舌に尽くしがたい。

 

「あんたの話、聞かせてもらうわよ。『鏡のメガミ』さん」

 

 変容せしメガミの扇が、ヤツハに突きつけられた。