八葉鏡の徒桜

エピソード8−4:彼女のうつろう秘色の邂逅

 

 思えば、ヤツハが一人で初対面のメガミと話すのは、コルヌ以来のことだった。

 旅の道中、隣にはいつだってクルルとハツミがいた。彼女たちが巡り合わせてくれた縁もあれば、偶然引き合わされた縁やあちらから飛び込んできた縁もある。その中には、はっきりとヤツハに問いを持ってきた者もいたけれど、嵐のように去ってしまったものだから、きちんと話したとは言い難い。

 

 そして今、多くの人で賑わう茶屋の座敷の端で、向かい合っているキリコに不安を禁じ得ずにいる。

 桜花の従者と名乗った彼女が、つい最近目覚めたという事実。それが、まさしく己を罰するべく遣わされたように思えてならず、正体を知られるわけにはいかないという恐れが拭えない。

 コルヌのときも、ヤツハが知らないことがあったにせよ、結局は似たような構図だった。だから知らないメガミと一人で会うこと自体、いい思い出はなく、今回はさらに心に膿として残るのだろう、と諦め気味に覚悟をしていた。

 しかし、

 

「いやはや、今の桜花決闘のような一対一ならいざしらず、たくさんの兵がメガミの力を使ってぶつかり合ってたわけなんだから、そりゃあ血で血を洗う争いになるに決まってる。そういう意味じゃ、起きて実にほっとしたよ。なにせ決闘の野次馬が団子片手に野次を飛ばしてたんだもの、呆れて笑うしかなかったよね」

 

 おどけたように肩を竦めて見せるキリコ。ヤツハとしても、野良の決闘で似たような光景を目にしたことがあるが、あまりの自由さに呆気にとられた覚えがある。

 くすり、とヤツハが笑う。不安が消えたわけではないけれど、キリコの前でそれだけの余裕が持てているという証左でもあった。

 

 あの畔から今に至るまで、キリコは実に紳士的で、優しく接してくれていた。

 明らかに落ち込んでいるヤツハに対し、麓へ下るまで見聞きしたものを、おかしなほど大仰に語って見せていた。最初は妙な人に絡まれたものだと思っていたが、それがキリコなりの気遣いであると分かるのにそう時間はかからなかった。

 それに、キリコは確かにメガミとしては先達であるが、同類でもあるとキリコは言った。

 今のこの地に明るくないという意味では、キリコはヤツハと同じなのだ。

 

「この時代に生まれてよかったかもしれません。戦国の世で生きていける気が……」

「別にメガミ同士はそんなに争ってたわけじゃあないけどね。とはいえ、とにかく戦に勝つことが目的にあったわけだから、それはそれはおっかない出来事も珍しくはなかった。桑畑はその代名詞というわけさ」

 

 茶屋に腰を落ち着けた二人は、ヤツハが北緑地方には行ったことがないという話から、流れ流れて戦国時代についての話にまで行き着いていた。当然、何も知らないヤツハがキリコに語ってもらうという形だ。

 キリコの話はどれも面白く、つい惹き込まれてしまう。旅の頃の好奇心がまた顔を出し始めているのは否めない。

 

 だが、ヤツハが彼女と同道したのは、あくまで例の噂について聞くためだ。

 こうして半分作った笑顔を表に出しているその裏では、目的を果たさなければならないという義務感がヤツハを急かしている。けれど、その義務感を押し込めるように、様々な感情が胸の奥でひしめき合っていた。

 

 決定的な情報を耳にしてしまうかもしれないという恐れや、滲み出してくるのを止められない罪悪感、自分は今こんなことをしていていいのかという迷いも、それに答えを出せない己への焦燥感も。

 キリコに乗せられるようにして、人と話すだけの気力は戻ってきても、渦巻く感情を宥めることはできていない。そんなヤツハが、往時のような心地よい話が生む幻想と別れを告げるなんて、酷な話だろう。

 

 しかし、今に甘んじていることをヤツハ自身理解している。

 だからこそ、本題に入るべく話の流れを断ち切ろうとして、

 

「あの――」

「はい、おまちどう! ゆりなもちだんごと、はがねもちだんごね」

 

 容赦なく割って入った店員のおばさんが、ヤツハたちの間に皿を置いた。

 もちもちとした顔が二つ、皿の上で頬を寄せ合っている。

 

「お茶、おかわり欲しかったらまた呼んでねえ。じゃ、ごゆっくりー!」

 

 供されたそれに釘付けになるあまり、ヤツハは店員のおばさんに何も反応できなかった。

 注文した餅団子の見た目が、知人に似ているだなんてそうあることではない。

 しかもそれは、かの武神を象っていた。

 

「えーっと、これは……」

「ははっ、まさか本当にメガミの頭が出てくるだなんて思わないよね」

 

 ヤツハと同じように苦笑いを浮かべたキリコは、そう言って茶を一口啜る。

 

「なんでも、さる英雄とメガミが旅の道中にここへ立ち寄ったらしくてね。その後もたびたび来てもらえたものだから、名物として作ったんだってさ。わざわざ古鷹にまで修行しに行ったと言うだけあって、よくできてるよね」

「はぁ、なるほど……」

 

 ヤツハは遠慮がちに、爪楊枝でユリナを模した餅団子を突いた。もっちりとした白いお餅の顔の上に、髪を模した黒い生地が続いている。胡麻の目がつぶらで愛らしく、本人はこんな人畜無害そうな顔をするのだろうか、と以前の決闘を思い出してやまない。

 

「可愛らしいとはいえ、ミコトたちに不敬だって怒られそうなものだけど、いいのかな」

「あの、これご本人たちはご存知なんでしょうか……」

「許可は一応取ってるらしいんだよねえ。まあ、ハガネはそういうのあんまり気にしないだろうから、分からないでもないかな。許可がある、っていうのに名前に『様』付けされてないあたりがそれらしい」

 

 やはり、ともう片方の餅団子が、名前を聞いたことがあるだけのメガミを模しているのだと知ってなんとも言えない表情になった。ユリナよりも一回りほど小さい、橙色の生地を乗せたそれを頼りに、いずれ本人に会うことになるのかもしれない。

 どちらにも手を付けづらくて湯呑に手を伸ばしたヤツハへ、キリコは問う。

 

「ただ、ハガネはさておき、ユリナとやらは今やメガミとなって武神として崇められてるらしいけど……現代の武神は、こんなふわふわしたやつなのかい?」

「え……。あっ……、ユリナさんは二十年くらい前にメガミに成られた方なので、キリコさんはお会いしたことがないんですね」

 

 あぁ、とキリコが頷く。

 ヤツハは、自分が教える側に回るとは、と不思議な気持ちになりながら、他人事をただ述べるだけの口がどれだけ軽快に回るのか実感していた。

 

「私も一度お会いしただけですが、決闘のときはそれはもうすごい迫力でした。人間だった頃には百戦無敗って呼ばれていたらしくて、英雄譚の活躍の中でメガミになられたとか。あんまり詳しいことは知らないんですけど、今は桜花決闘を取り仕切っているらしいです」

「へぇ、そうなんだ。それなら彼女は、まさに正しく後輩というわけだね」

 

 朗らかに笑うキリコだったが、それと同時、彼女の爪楊枝はユリナの顔を一刀両断してしまっていた。取り分けるためとはいえ、間の悪い出来事にヤツハの口元が若干ひきつる。

 キリコは特段気にしていないようで、それを口に運ぶと共にヤツハへと勧めた。倣って食べると、なめらかなあんこの優しい甘みの中に、豊かな果実の酸味が加わって、擦れた心に幸福感が寄り添った。品書きに、コケモモが入っていると書かれていたことを思い出す。

 

「うーん、旅人に人気なのも分かるよねえ。歩いた後の甘味は身体に染み渡る」

 

 頬に手を添え、わざとらしいまでに舌鼓を打つキリコ。確かに、この茶屋が繁盛しているのが、三つの街道の交わる好立地にあるというだけではないのだと納得できる味だった。

 それから茶を一口啜った彼女は、

 

「『正しく後輩』って言うのはさ、実は私も元人間のメガミなんだよ。それも、桜花決闘とは縁のある、ね」

「……!」

 

 あっけらかんと告げられた内容に、小さな驚きがヤツハの顔に出る。

 その反応にキリコは軽く微笑んで、

 

「私は戦国の世の真っ只中に生まれてね。名を 御劔桐子 みつるぎきりこ と言った」

「…………」

「さっきも言ったように、桜花決闘のない群雄割拠の時代だ。人々は日々争い、終わらない戦いを続けていた。桑畑の惨劇のような、とびきりに愚かな事件が起きたとて、刃を納める者はいなかったのさ」

 

 キリコの微笑みに、儚さが滲んだ。

 

「偉大な主神であるヲウカ様も、それを悲しんでお隠れになられた。多くの神座桜も、ヲウカ様のお気持ちに寄り添うように花を散らしてしまい、暗い世界が訪れたんだ」

「桜が……」

「あぁ、あまりに辛い光景だったよ。私たちはそれを儚んで、ヲウカ様がお隠れになられた洞の前で舞い踊った。その中で私が舞ったのは剣舞であり、演武を披露していた者たちと交わるうちに、そこに血の流れない剣戟が生まれ……やがて新しい戦いの形となった」

 

 手刀を凛と前に出す。それをひらひらと手元に収めたときには、彼女は表情を砕いていた。

 

「その剣舞がヲウカ様に認められてね。お出でになられたきっかけになり、後に成立した桜花決闘の源流となったわけさ。その功でメガミに成ったものだから、奉納を象徴しているし、桜花の従者を名乗っている」

 

 だけど、とキリコは一転して、くたびれたとばかりに両手を後ろにつく。舞のフリをしたときの整った顔つきとの落差に、人間臭さを感じてしまう。

 

「メガミ様と崇められるのも面倒でねえ。何も、メガミに成りたくて頑張ったわけじゃあないから」

「あはは……」

「だから、それきり桜の奥でずっと眠ってたんだよね。なのに最近、急に起こされたものだから、ヲウカ様がまたお隠れになったのかと慌てちゃってさ。だから咲ヶ原まで来たんだけど、そんな様子もなくて安心するやら不安になるやらで」

 

 その困惑を丁寧に押し流すように、キリコはゆったりと茶を口にした。

 彼女の昔話のあらましは語られ終えたようだったが、ヤツハにはそこからさらに深堀りをするつもりはなかった。キリコが最後に告げた、危機の予兆……そこから胡乱な噂へと繋がっていったからこそ、二人はここで顔を突き合わせているのだから。

 

 ぬるま湯に浸かり、遠回りこそしたが、今度こそ。

 そう決意したヤツハは、キリコが湯呑を置くまで待ってから、本題へ入ろうと喉の奥に言葉を用意し始めた。

 しかし、そんなヤツハの耳に、意識を引っ張る声が――

 

「御冬からの帰りによぉ、化けもんに出くわしたっつっとってな」

「……っ」

 

 関心が、嫌でも情報を拾ってしまう。

 どこの誰かも分からない遠く話し声が、まるで隣にいるかのように聞こえてしまう。

 店内の広々とした座敷には、それでも所狭しと客がくつろいでいる。足早な商人は一息ついただけですぐに出ていってしまうが、先を急がない旅人は腰が重く、座敷は埋まっていく一方だ。必然、混沌とした会話の海が店内には常に揺蕩っていた。

 

 一度引き上げてしまったそれを、無視することはできなかった。

 目的も忘れて耳を逸らそうとしたヤツハの意識に、某かの会話が次々と滑り込んでくる。

 

「なー、それ俺も聞いたわ。寝言は寝て言え、って最初突っ返したけど、こりゃ本当か」

「猪だったら食っちまうまでよ。その化けもん、夢にまで出てきそうな、見たこともねえ姿だってさ。なんでも、でっけぇ鏡から出てきたんだってよ。おっかなくて荷さほっぽりだして逃げちまったって」

「勘弁してくれよぉ、これから行くって時によぉ」

「どいつもこいつも北でばっかり見とる言うから、今頃御冬はとんでもねえ騒ぎになってるかもしれねえな」

「……コルヌ様がご機嫌斜めだろうから、途中で毛皮でも仕入れておくかねえ」

 

 誰が話しているのか、ヤツハは確かめる気にならなかった。そんなどうでもいいことよりも、下手にきょろきょろと見渡して目立つことのほうが嫌だった。

 俯いた彼女の視線の先で、包み込むように抱えていた湯呑の中が、波を打っていた。

 そしてその視界の中で、切られた餅団子がひと欠片、楊枝に刺されて運ばれていた。

 

「あっ……」

 

 上目遣いにキリコのことを窺うと、彼女はきょとんとこちらのことを見返していた。噂話に対して、妙な反応を見せていやしなかっただろうかと不安になる。

 小さな震えを抑えて、話の流れを掴むために慌てて用意していた質問を投げかける。

 

「あの、そういえば例の噂というのは……」

「あぁ! ごめんごめん、色々話してたら楽しくて忘れるところだった」

 

 笑いながら、キリコは明後日の方向を見ていた。それが、おおよそ噂話が聞こえてきた方向であると理解して、表情が強張った。

 キリコはそれを追認するように、

 

「さっきの話、聞いてたみたいだね。化け物だなんて、おぉ、怖い怖い」

 

 大仰に震えて怖がってみせた彼女に、ヤツハは無理やり作った愛想笑いを見せた。

 

「そう、ですね……。あれが例の噂、ですか?」

「だね。目覚めたばかりで聞くには実に胡乱な話だ」

 

 こくり、と頷いて同意しておく。

 北限で紅のメガミを撃退した際に振るった力は、目覚めたときのような暴走している感覚とは異なっていた。しかし、生き残るために無我夢中であったため、全てを理解して動いていた自信はない。大きな力が残すひずみなんて気にしている余裕があろうはずもない。

 

 だが、いくら自制したところで解決にはならないのだと、ヤツハは知っている。

 自分の立場を理解させられてしまったから。

 故に、キリコの口から語られる噂を前に、ヤツハが耳を塞ぐことはなかった。

 

「北に怪物が現れた、というのはどうやら本当みたいだ。幸いなことに、そう何度も目撃されているわけじゃあないみたいで、大きな被害が出たともまだ聞いてない」

「…………」

「『鏡から出てきた』というのは、目撃談のお約束さ。ある話によると、凄腕のミコトたちが怪物が人里に降りてくるのを堰き止めて、鏡を壊して事態を収めたんだそうだ。他は逃げた話ばかりだから、今のところこれが一番顛末がはっきりしていそうだ」

 

 体験談がそれなりに広まり始めているということは、それを最初に口にした当事者がきちんと生還しているという事実を示す。小さな救いだったが、一方その裏で語る口をひっそりと奪われた者がいないなどと誰も断言はできない。

 

「現れる場所も、北以外の共通点は見えていないし、周りに特別なものがあったという話も聞かない。もちろん、鏡を用意してる誰かさんが目撃されたということもないんだけど……」

「……?」

「その誰かさんは、存在がまことしやかに囁かれてる鏡のメガミなんじゃないかとも言われてるのさ」

 

 キリコの言葉に、ヤツハは努めて淡々と、

 

「そう、なんですね」

 

 とだけ答えた。

 キリコはさらに、

 

「目撃者がそう考えているだけだったらまだ分かるよ? 明らかに人間にできることじゃあないし、メガミのせいにしたくなるのもまあ分かる。でも、南は龍ノ宮あたりからも鏡のメガミについての噂が届いてるから、存在をでっち上げてるわけでもないみたいなんだよね。君、知ってる?」

「……まだ、知り合いが少ないので」

 

 そうかぁ、とキリコは大げさに残念がる。

 

「私も寡聞にして知らないんだけど、鏡の力を決闘で使うミコトの話も聞くし、妙に信憑性があって判断に困ってるんだ。とはいえ、知らないメガミって言っても、そりゃあお仲間は疑いたくないから、まさかぁ〜、とは思ってるけど。……気を悪くないでおくれよ?」

「え? え、えぇ……」

 

 曖昧に微笑んで、大丈夫だと言外に返す。

 自分の権能についてキリコに伏せていたからよかったものの、言葉とは裏腹に実際に疑いの目を向けられていたかもしれないと考えると、冷や汗が止まらない。実際、正体を隠していると疑われたら最後まで隠し通せる気がしなかった。

 

「ただ……」

 そこでキリコは一度、うーん、と少し悩んでから、こう前置きした。

「これは我々メガミがむしろ危ないから、という注意喚起なのだけど」

「危ない……?」

 

 あぁ、と応じてから、キリコはやや声を潜めながら続ける。

 

「初めて怪物が現れたのは、メガミたちの前らしくてね。そのときにどうも……、遭遇したメガミたちの姿が変貌してしまったようなんだ。つまり、鏡か怪物か……何かしらが、メガミに影響を及ぼしているという話さ」

「それは……」

 

 辛うじて、ヤツハは言葉の先を抑えることができた。絶句していると思われたのか、キリコは深刻そうな顔で頷いている。その間に、脳裏に浮かんだコダマの姿をそっと掻き消した。

 

「この話もあって、同じメガミがそんなことまでできるのか懐疑的でね。なんにせよ、これが本当だったら前代未聞の出来事だ。件のメガミたちが桜に帰らず、古鷹に留まってるというのもあながち間違ってないのかもしれない」

「…………」

 

 キリコが一息つき、喉を潤していた。

 ヤツハにとって、今もたらされた噂はほとんどが初めて耳にするものだ。唯一心当たりがあるといえば、鏡の力を宿すミコトの話くらいなものだった。

 けれど、ヤツハの心が新しい情報に躍ることはない。

 今、彼女を満たしていたのは、深い諦観の念だった。

 

 ヤツハは強い意志を持って、キリコからもたらされる現実を受け止めたのではない。どれもこれも、そうなるだろう、という暗い予測の下に咀嚼していただけ。ここに来る前にはもう何度も考えていたことへ、客観的な視点が与えられたに過ぎなかった。

 予感なら、まだ裏切ってもらえたかもしれない。けれど、ヤツハに深く根ざした予測は、投げ上げた物が下に落ちるほどに当たり前の未来だった。現実が、当然の成り行きで顔を見せてきたのにわざわざ驚くこともない。

 

 ヤツハの焦燥は、こうして容赦なくやってくる現実をどうすれば拒絶できるか、方針すら立っていないことにある。

 ただ、少なくともその途上においては、今この場から果てなく続く綱渡りを演じ切らなければならないことは確かだった。

 もしも、暗い未来予想図の根底にあるものを知られてしまったのなら。

 ぷっつりと、キリコとの間にあった仮初の仲間意識も、断ち切られてしまうことだろう。

 そこから先のことは、いまさら想像したくもなかった。

 

「……あの」

 

 しかし、どうせ綱渡りをしているのなら、見返りを求めなくてはならない。

 目的としていた情報の一端を、ヤツハは震えながら掴み取る。

 

「メガミが変貌した、というのはまさか、怪物になったわけじゃ……ない、ですよね?」

 

 半分は、恐れから出た問い。

 そしてもう半分は、奇妙な変質の末に紅のメガミに狙われたという、コダマとの関連から生まれた推測だった。

 

 もしもその変貌が、コダマと同じものだとしたら。

 変貌することで、紅のメガミから殺意を向けられるのだとしたら。

 か細く、それでいて血生臭くても、そのメガミたちとヤツハは共通項を得ることになる。その変貌の理由が分からなくても、可能性が芽生えたことははっきり理解できる。

 自分はひとりぼっちではないかもしれない、という可能性が。

 

「ふふっ、流石にそこまで大変なことになってるとは聞いてないね。今まで見たことのないような容姿に変わっていた、というのが主な噂さ」

 

 キリコは、その問いを半ば冗談だと受け取ったのか、小さな笑みを浮かべながら答える。

 しかし、次には真剣な顔つきになって、

 

「ただ、やはり噂されるだけあって、その姿は不穏さを感じさせるものらしくてね。怪物を思わせるような意匠が見られたのだそうだ。彼女たちは怪物に与してるだなんて、根も葉もない悪意ある噂もあるんだけど、もしかしたら姿を見て不安になったのかもしれない」

「…………」

「これが、最近メガミの間で衣替えが流行ってる、だなんて他愛もない理由だったら笑い事で済むんだけど、まさかそんなわけないもんねぇ。……だよね?」

「……ないと思います」

 

 気の利いた返しなんて思いつかず、適当に応じる。

 

「ま、そんなことで、彼女たちのいる古鷹に近づきたくない、なんて言い出す連中が増えても困るだろうからね」

「騒ぎになってる、というわけではないんですよね……?」

「ん? うん、今のところはそうだね。あの街で怪物騒ぎにまでなってたら、きっとここにいる商人たちがもっと慌ててるさ」

 

 確かに、と納得の声を出す代わりに、苦笑いしながら頷いた。

 少なくとも今、件のメガミたちはまだ紅のメガミには襲われていないようだ。だが、容姿に関しては、ハツミから聞いたコダマのそれと比べたところで、大きな共通点はないけれど、積極的に同一視を否定する材料も見つかっていない。

 ほんの僅かな希望の芽が、土を押し上げようとしていた。

 

 それからキリコは、こほん、と間を取って、

 

「そういうわけで、君が恐れるのも分かるくらいには不可解な話だ。もちろん、こんな現象は寡聞にして知らないし、昨今よくある話というわけでもないときた。だから、色々な事が起こっているけど、このメガミの変貌こそ重要な鍵なんじゃないかと思ってる次第さ。もしかしたら、私が目覚めたのはこれを調べるためなのかもね」

 

 で、と彼女が継ぐと同時、ぽん、と両手を合わせた。

 その右手が、どうぞ、とばかりにヤツハへ向けられる。

 

「これで私の話は終わりだ。次は君の話を聞かせてもらおうかな」

「……!」

 

 じわじわと気配を漂わせていた高揚が、一切消えた。湖畔で約束したことを、今の今まですっかり失念していたのだ。

 キリコから話を聞いたばかりのヤツハの頭の中は、先行きの見えない今後に一点だけ差した光のことでいっぱいになっていた。どこをどう切っても、決して話してはならない真実に向かってしまう内容しか出てこないのは明らかだった。

 

「…………」

 

 だからヤツハは、まずは沈黙を選んだ。湯呑を手に取り、時間を稼ぐ。

 しかし、キリコは残ったユリナの餅団子を口に収めてしまうと、それでも答えが返ってこないことで何かに気づいてはっとしたようだった。

 

「おっと、ごめんよ。君は、あの怪物について何か知ってるかい?」

 

 親切心で問い直した言葉が、むしろさらに深く突き刺さる。

 これはもう、考えている、という言い訳もできない、是か非かの質問だ。答えを引き伸ばすことのほうが、ヤツハの寿命を縮めることになるやもしれない。

 

「知りません……」

 

 必死で絞り出した声は、小さな震えを孕んでいた。答えた後に、俯いたままであることに気づいて恐る恐る顔を上げた。

 けれど、キリコの反応はあっけらかんとしたものだった。

 

「そう、それは残念。まあ、もし今後何か分かったら教えてよ。怪物があまりにもやばいようだったら、そのときも改めて協力をお願いするかもしれない。……生まれたばかりで、この地の危機だなんて言われても、ピンとこないかもしれないけど」

「そう、かもしれません……」

「誰彼も別に義務感を持ってるわけじゃないけど、最後にこの地を守れるのがメガミだってことは事実だからさ。我々はいざとなったら怪物退治に繰り出すかもしれない。私はまあ……桜が根ざしてるからこそ、この地を大事にしたいわけなんだけど」

 

 そこでキリコは、ふと思いついたように、

 

「生まれたての後輩君にはいい質問があったな。いくらか各地を回ったんだろう?」

 

 こくり、と頷いた。茶屋に来るまでに軽く触れた話だ。あの畔にいたのも、その道中ということにしてある。

 キリコは、大仰に両手を広げ、こう訊ねた。

 

「君は、この桜降る代を見てどう思った?」

「ぇ……」

 

 同じだ。文脈こそ違えど、一つの旅の終わりの地で問われたことと同じだった。

 あのとき、青雲になんと答えたかが蘇ってくる。思い出を一つ一つ愛でて、温かい気持ちになったことも忘れてはいない。

 そして何より、桜降る代を語るとき、思わず笑みが溢れていたことも。

 

「とても素敵だと思います……、けど――」

 

 しかし、ここに明るい笑顔が咲くことはない。

 同じ内容をその場しのぎの回答にしてしまおうとも考えたが、心が許してくれなかった。

 

 代わりにひっそりと咲いたのは、儚い笑み。

 真意を訊ねられないようにだなんて、打算を働かせることもなく。

 味方には成りえない相手であっても、呑み込んでしまうこともなく。

 あるいはきっと、ひと欠片の言葉であっても、味わった絶望を誰にでもいいから吐露してしまいたかったのかもしれなかった。

 

「だから、残酷ですね……」

 

 

 強すぎる日差しに今にも萎れてしまいそうな、紫紺の花が一輪、俯いていた。

 重々しい答えに、飄々と訊ねていたキリコも沈黙を選び、固まっている。

 こうして吐き出してみたところで、気分が晴れるなんてことはなかった。むしろ、瑞泉から北限に向けた帰路の果てに得たものがはっきりしてしまったようだ。それでも、一度口にしてしまった言葉をなかったことにはできないように、突きつけられた現実から逃れることは叶わない。

 

 全てを忘れられたらどれだけよかったか。

 けれど、その術があったところで、色褪せた景色は焼き付いて消えないだろう。

 ヤツハはこれ以上本心がこぼれてしまわないように、そっと、目をつむる。

 泣きそうになるくらい色鮮やかだった桜降る代を、脳裏から追いやりながら。

 

 

 

 

 

 昼時をゆうに過ぎ、次の宿場までのことを考えたらゆっくりもしていられない時分。商人は元より、旅人たちも重い腰を上げて方々へ散っていく。手にした笹の包みには土産の団子が詰まっているのだと、客の誰もが知っていた。

 

「なんか悪かったね、途中、変なこと訊いちゃったみたいでさ」

 

 各地へ向かう人の流れを前にして、キリコはぽりぽりと頬を掻いていた。

 

「いえ、お気になさらず……」

「困ったことがあったらこの先輩にどんどん頼ってくれてもいいんだからね。君は立派なメガミの仲間なんだから」

「ありがとうございます」

 

 胸の痛みを意識から外しながら、ヤツハは簡潔に礼を述べる。

 笠を被ったキリコは、東へと身体を向けた。

 

「私はこれから蟹河を目指すけど……」

「では、ここでお別れですね」

「おぉ、そうか。それは実に残念」

 

 最後まで、キリコの反応は大げさだった。彼女の場合は剣舞だが、舞踏家のような表現者は得てしてこういうものだろうか、と確認する気にもならなかった気づきを胸に留めた。

 そうして深く一礼をしているうち、去っていくキリコの姿は遠ざかり、手前にたくさんの荷を馬に牽かせた商人が割り込んできたところで見えなくなってしまった。

 

 そうしてまた、一人になる。

 いくら人の流れがあったとて、溶け込めない輪を誰か喜ぶというのか。

 

「……行こう」

 

 ヤツハの足は、キリコとは反対へ踏み出し、やがて沈みゆく太陽を追っていく。ここからしばらく行けば、一度通ったことのある大きな街道に入れるはずだった。

 目指すは西の都、古鷹。そこには、同類かもしれないメガミたちが集まっているという。

 絶望を分かち合える仲間を求め、ヤツハは再び旅路を歩みだした。