一歩、立ち入ると、桜舞う風が頬を撫でた。
桜霞の漂うここは、小高い山だろうか。無骨に切り出された石造りの大階段が、山肌を真っ直ぐ貫くように駆け上がっていて、頂には朱色の大鳥居が待ち受けている。手つかずのままの巌がその参道を囲んでいて、一段一段踏むごとに厳かさを纏わされるようだ。
「よもや、私がこのようなところに足を踏み入れるとは」
その神秘さを帯びた空気を肌で感じて、彼の口角が自然と上がる。
鳥居の傍らの石碑に刻まれた数々の名を一瞥してから、至った境内に広がる光景を前に、彼は感嘆の吐息を漏らした。
大神楽舞台。
壁を廃した、清々しい見通しの広大な板間がそこにあった。重厚な大屋根に対して支える柱も最低限で、側面に回り込んでも外から舞台上がよく見える。
造りや装飾だけ見れば質素ではあるが、真新しい質感とは裏腹に、得も言われぬ神さびた気配を伴っている。格式だけで言えばかの白金舞台のほうが上ではあろうが、人の理を超越したこの雰囲気はかつてないと彼に思わせた。

歩みを進め、脇から奥へと抜けると、その先の崖には高台が組まれており、せり出す形で舞台が幾許か続いていた。
そこから遥か遠方に聳えるは、信じがたいほどに巨大な神座桜。境内の四方にも咲いている桜も立派だが、もはやどんな桜とも比べること自体がおこがましいほどの威容で、あまりの大きさに頂が霞の向こうに消えてしまっていた。
しばし未知なる情景に心奪われていた彼だったが、剣戟の音が意識を引き戻す。
主役たちは既に舞台の上で舞っている。
桜花決闘の真っ只中のようだ。
「
控えめな声で名を呼ぶのはヤツハだ。
手招きする彼女の周りには、見届人たちが固まっていた。決闘と怪しげな絡繰をせわしなく見比べているクルルと、忍たちなのか、三人ほど従えているオボロである。
ただ、忍のうちの一人の顔は、こういった場に出て来うる者のどれとも一致しない。オボロに倣ったように白衣姿なのはさておき、その下は忍装束とはかけ離れた派手な色使いの装いで、決闘を目新しげに観察していた。
「すみません、遅くなりました」
「いえ、間に合ってよかったです。ちょうど始まったところですよ」
「そのようで。しかし、試すと言っても……こんな組み合わせでよかったのですか?」
苦笑いする佐伯に、ヤツハは微笑んで、
「オボロさんが、同門対決もよいだろう、って」
「なるほど……」
納得したようなしていないような、複雑な顔になって舞台に再び目を移す。
交錯する二つの影は、確かに同じ師の教えを体現する者たちであり、片手に宿すメガミも同様のようだ。
しかし、同門と言えど、決定的に違えていることを佐伯は知っている。
この対峙そのものが不可能であったことも。
今日、その不可能が可能になったことも。
「あーもう、じれったい!」
叫ぶ若い女の手から、青白い幻影の苦無が三本放たれる。彼女の黄金色をした太いお下げ髪が、駆け回る彼女に置いていかれまいと棚引いている。
その切先が向かう先に待つは、童顔にようやく皺の入り始めた壮年の男だ。
「その罠、危なっかしいんだから仕方ないだろ!」
彼は扇状に広がる苦無の間に身体を差し入れ、危なげなく幻影を見送る。そして何もないかに見えた宙空を掴むと、互いの間に細くきらめく無数の鋼の糸が張り巡らされた。
彼がその鋼糸を蹴って間合いを離す一方、女の右腕が糸に巻き上げられ、驚く間もなく桜花結晶が身体の中から散っていった。
方や伝統的で着古した忍び装束、方や亜麻色の派手で真新しい忍び装束。
姿や体捌きからして実力差の伺える相対ではあったが、歴戦ぶりを思わせる達人の所作を見せつけているにもかかわらず、やや情けなく叫び返す男は威厳に乏しかった。
見方によっては、彼方の枝と桜降る代それぞれでの、オボロの愛弟子同士。
だが、本来交わることのない両者が、歴史を越え、桜花決闘に興じていた。
「そらよっ!」
千鳥は古妙の体勢が崩れたと見るや、顕現させた番傘を相手めがけて振るう。柄に仕込まれた鎖によって、打撃が彼我の間合いを飛び越える。
古妙は結晶の盾を構えるが、直後、足元から忍び寄っていた蔓がそのうちの一つに巻き付いた。あっという間に守りを一つ攫われてしまった彼女は、別の手を用意することも叶わず、腕で腹への直撃だけを防いだ。
結晶に肩代わりさせてなお、見た目以上に重い衝撃に怯まされる。
それも束の間、ちり、と火が点く音が。
傘の頭が、爆ぜる。
「くぅっ!」
くぐもった悲鳴を他所に、反動で開かれた傘がくるりと舞い、一連の攻撃で散った結晶の塵を巻き取っていく。
千鳥の手元に傘が戻り、得意げな顔で奪った塵を結晶に還元し、守りの列に加えた。
「またそれ……!」
流れるような型に翻弄され、歯噛みする古妙。
傘を追うようにして踏み込むが、彼女に先行するようにして、一枚の薄い羽衣がなびいた。引き戻された傘が起こした風の流れに乗るように、それは千鳥へと向かう。
一見してそれは、ただ偶然に弄ばれただけの布。
ふわりと舞うだけの衣に、しかし千鳥は警戒を見せつつ……無視を選んだ。
直前で不自然に千鳥に吸い寄せられていた衣が、何も起こさずに千鳥をすり抜ける。
「今度は……偽物、っと!」
「なんでぇ!?」
起点となる動きを看破され、古妙が肉薄に二の足を踏んだ。
練達は、その半端な動きを許さない。
獰猛に笑った千鳥は、冷徹に蔦と傘の波状攻撃を繰り返した。
「だからぁっ!」
三度じわじわと消耗させられた古妙は、憤りも露わに爆煙から飛び出して前へ。瞬間、交錯する視線の思惑はそれぞれ明らかで、距離を保ちたい千鳥と、懐に飛び込んであの連携を阻止したい古妙とではっきりとしている。
傘を引き戻した千鳥の脚は、当然の如く後ろを向いている。
しかし、彼の動きはそこで一瞬止まっていた。
古妙が突如として浮かべた、蠱惑的な微笑み。
彼女の爛漫さやここまでの戦いでの必死な顔からは全く想像できない表情に、千鳥の視線が奪われていた。
無論、その隙とて時間にして一秒あるかという刹那ではある。
だが、決闘における一秒はあまりに長い。
動きの止まったその右脚に、衣が絡みつく。
「《釣ーれた!》」
「おま――ぁあああああっ!?」
慌てた千鳥が無視して踏み出そうとした瞬間、本物の衣であったそれを古妙が手繰り、体勢を崩した彼が情けない声と共に床を引きずられる。
苦無で断ち切ったところで、古妙が肉薄するには十二分。
怒りに満ちた笑みと共に、彼女は数多の衣の槍を嘘つき扱いした愚か者へと繰り出した。
「ゆーるーさーなーいー!」
「待て待て待て待て!」
千鳥は、尻もちをついたまま後ずさったり苦無で弾いたりするも、執拗な刺突の嵐を捌き切ることはできず、ついには盾とした結晶ごと腹を貫かれる。
畳み掛ける古妙は、眼前に出現させた青白い幻影の板へ手のひらを押し付けた。
直後、千鳥を取り囲むようにして地面から現れる、三体の幻影の巨熊。
「ギーガー介ー!」
目を剥く千鳥に、巨熊は続々と襲いかかる。
しかし、間抜けにも縄張りに踏み込んでしまったかのように絶句する彼だが、その目だけは冷静さが消えていなかった。
対処が間に合わないと見て、先陣を切った一体目の掬い上げるような重い爪撃をわざと身体に受けた千鳥は、反動で体勢を整えながら、次の熊めがけて傘を向ける。
バッ、と勢い良く開かれた傘が熊の拳を反らし、浮き上がった結晶の盾と共に、三体目の進路を妨げるようにいなす。
そして開かれた傘がふわりと宙に舞ったかと思えば、その下に既に千鳥はいない。
熊と古妙の視線を欺いた彼は、熊包囲網唯一の穴である古妙めがけて滑り込み、彼女の股の下をくぐって反対側へと抜けた。
「ちょっ――」
「これで、終わりだ!」
振り返ることなく言い放った瞬間、古妙の足元で膨張した黒い菱の棘が、彼女を貫いた。
標的を見失った熊の幻影が消えていく。
決着を寿ぐように、千々となった桜花結晶が、二人に降り注いだ。
「いやー、おつかれおつか――」
「おい、なんだ最後のは」
汗を拭って爽やかそうにしている千鳥に、冷ややかな声が浴びせられた。
舞台に上がってきた一同の先頭にいる佐伯のもので、目線は大して変わらないのに、遥か上から見下しているかのような眼差しだった。
「別に、あの連撃を全て受けるだけの余力はあっただろう。気障りな回避といい、弁えるということを知らんのか」
その苦言に、忍たちも気まずい顔で、
「初めて桜花決闘する相手にあの戦い方……」
「あれなら確かに、せめて最後は顔面で受けて相手に花を持たせたほうが……」
「えっ、みんな何!? 普通に決闘していいって話だったじゃん!」
千鳥が一同を見渡すと、古妙は決着から立ち上がったきり伏し目がちで表情が分からず、師たるオボロはため息一つ。クルルはそもそも無関心だし、同情してくれそうな唯一の希望だったヤツハも苦笑いで目を逸らしている。
状況を理解したらしい千鳥を、佐伯は鼻で笑って、
「身を落ち着けたら心も落ち着くというのは、万人には当てはまらないようだ。配下の諸君の気苦労が知れる」
「そんなことないよ! そんなことないよな!?」
必死な千鳥に威厳の欠片もなく、忍たちはにやにやと笑う。
「いやぁ、若い子に格好いいとこ見せたかったんじゃないですか?」
「いや、むしろ色気に惑わされてなかったか?」
「奥方様にお伝えせねばか……」
「里と古鷹の問題になると面倒だな」
「うおーい! 火のないところに煙を立てないで! あれで結構根に持つタチなんだから!」
そうやって千鳥が騒いでいると、古妙がようやく顔を上げた。そこには、敗北で落ち込んだ様子などまるでなく、むしろ目をきらきらと輝かせていた。
千鳥に駆け寄ってきた古妙は、千鳥の手を掴んでぶんぶんと振り回す。
「めっっっっちゃ楽しかった! んで、めっちゃ悔しかったぁ! またやりたい!」
「お、おう……それは良かった」
顔を赤らめる千鳥を、大きな咳払いで揶揄する佐伯は、改まって笑みを湛え、
「初の実践でこの動き、忍としての基礎がある以上の才を感じます。腐っても里長たるコレが相手であることを鑑みれば、素晴らしい戦いだったと言えるでしょう」
「ホント!? やー、戦闘訓練つまんなかったし、こっちにも決闘あったらなあ、って思っちゃう。あっ、年次の戦闘研修置き換えてもらおっかな。やっぱ楽しいほうがいいっしょ!」
にかっと笑う古妙に、同郷の忍がうんうんと頷いた。
その光景に、ヤツハは破顔する。
「桜花決闘を楽しんでくれる人が増えて嬉しいです! 上手くいってよかった……」
「んあ? でーたもちゃんと取れてるはずなので良かったですぅ」
適当に追従するクルルの言葉を皮切りに、場に温かい拍手が満ちる。
しかし、乾いた音がぽつぽつと消えていき、困惑したように皆の視線が一つ所に集まった。真剣な表情で考え込んでいるオボロだった。
彼女のその剣呑な雰囲気に一同が息を呑む。
やがて、衆目が集まったことに気づいたオボロは、愛弟子である千鳥を指差しながら、古妙へ神妙に告げた。
「すまないが、これと交換しないか?」
「オボロさまぁーーーーっ!?」
膝から崩れ落ちる千鳥に、爆笑が湧いた。
と、その瞬間だった。
大地が揺れ、舞台が軋む。気づけば彼方に聳えていた巨大神座桜が、ぐにゃりと陽炎のように捻じ曲がり、景色の端が桜霞にどんどんと呑まれていく。
誰もが身構えたとき、どこともない天から声が降り注ぐ。
『そろそろ限界だから、みんな出て!』
快活そうな声に、微かな疲労が滲んでいた。
忠告と同時、境内の入口である鳥居の向こう側で、ぽっかりと口が開いた。空間を円形に切り取っていて、どことなくメガミが桜に還るときの光を、さらに広げて門に仕立て上げたような印象だった。
和気あいあいとした空気も霧散し、慌てて駆け込む一同。
無邪気に手を振る古妙が、先に消えていった。
「またねー!」
肌が、寒暖の差に震える。
門から続々と飛び出してきた人々は、溢れる機材で雑然とした場所から己が出発したのだということを思い出させられた。北限の一角と思えない足の踏み場のなさに、皆おっかなびっくり所在を探している。
そんな彼らの帰還を出迎えるように、若草で編んだような長裾が揺らめいた。
最奥の絡繰の脇に陣取る、一人の少女。深い集中に沈む彼女の手には、儀礼に用いるような厳めしい様相と化した、唐竿が確と握られている。絡みついた蔦は、神座桜と徒寄花に取り付けられた絡繰の中へと伸びており、様子を知らせるように一端は計器に巻き付いていた。
開拓の象徴、メガミ・メグミ。
しかし、彼女が今従えているのは、慣れ親しんだ草木だけではない。
彼女の周囲に浮かぶ、板状に引き伸ばされた新緑の光。そこには無数の文字や図表が刻まれていて、今この時もひとりでに書き換わっている。彼方の枝にて、古妙が機器への干渉を行う際に現れていたものと似ているが、あれは彼方のオボロの権能由来の代物だ。
メグミ自身の権能を派生させた、新たな力の側面。
ミコトはこれを、異相と呼び表すだろう。

「ふー……」
全員が戻ってきたのを確認してから、メグミはようやく肩の力を抜いた。光の扉が閉ざされるのと同時、光板がいくつか宙に溶けて消えていった。
それから、太陽のような笑顔が浮かぶ。
「みんなお疲れ様! 大成功だよ、本当ありがとう! みんなが力を貸してくれなきゃ、こんな夢みたいなこと、実現できなかった!」
感謝を告げるメグミだが、それに真っ先に応えたのは人ではなかった。
ある機材の上に乗った、人の唇を模した絡繰が、ぱくぱくと上下して男の声を発する。
『こちら「サイハテ」実験場。全員の帰還は確認済みだ、ピンピンしてる。こいつは偉業ってもんだぜ』
「うん、そっちこそメガミいなくて大変だったはずなのに、すごいや!」
『ほとんど古妙のおかげみてえだが、特別開発班一同、本当によく走りきった。今夜の祝い酒をお前らと飲めないのがざんね――って、機材の周りで胴上げするんじゃねえ! まだ炉から外してねえんだろ!?』
絡繰は、彼方の枝にいるはずの銭金の怒声と共に、賑やかな声を届けてくる。その中には古妙のものと思しき歓声が含まれていて、先ほどの舞台にいた彼女と同行した忍一人――彼方の人物たちの姿は当然のようにこの洞窟の中にはない。
頬を掻くメグミは、自身の唐棹を見つめながら言った。
「次は、あたし個人に頼らないやり方を探さないとだねー。できれば、この権能でなくてもあの場所を確立できれば一番いいんだけど」
『そんな都合良く――どわっ!』
『ねえねえ! 中って結局、メガミから見てどんな感じだった? やっぱ似てる?』
古妙の声で問いが送られてくると、ヤツハがそれに答える。
「そうですね、メガミの世界の雰囲気と近かったです。見た目も、あの桜色の霞に覆われている感じとか特に」
「やはり、六英雄の見出した真理は正しかったと見える」
ヤツハに追従したのはオボロだ。
そのオボロが口にした単語に、眉間に皺を寄せるのは佐伯。彼は眼鏡の位置を直しながら、その意を問う。
「確か、三つの層に関する理論でしたか? 聞き及んではいるのですが、何分遠大なお話でしたので……」
同様に飲み込みきれていない人間の忍たちも、メガミたちに説明を求める眼差しを送る。
対し、メグミは説明を引き受けると示すように、唐棹で軽く地面を叩いた。
「三つっていうのは、可能性の大樹、メガミの世界、あたしたちが今いるこの世界だね。ざっくりとした説明になるんだけど――」
二本の細い木が並ぶように生えてきて、やがて彼女の顔のあたりで成長をやめた。
「この二本がそれぞれ、桜降る代と彼方の枝の歴史だとする。可能性の大樹は、この枝に対する幹みたいな位置づけになるのかな。それで、六英雄の真理によれば、メガミの世界は歴史と大樹の間にあるみたいなんだ。こんな風に」
メグミが両腕を使って大きな幹を示すと、ぽん、ぽんと黄色くて可愛らしい簡易な花の幻影が、細い木とメグミの間の宙に咲いていく。
「だとしたら、こんなことができる……かも、ってなった」
幹の身振りを続けたままでいると、二本の細い木のちょうど真ん中辺りに、光が生まれた。
手のひらに乗る程度の、幹を模した幻影だ。
「とっても小さい可能性の大樹……仮想的な歴史とでも言えばいいのかな。あたしの権能と、歴史を結んでるこの装置を使って、仮初の幹を二つの歴史の真ん中に作る」
そうすると今度は、幹の幻影と二本の細い木の間に、より小さい赤の花々が咲いていった。
「比べ物にならないほど小さくても、可能性の大樹と同じようなものだから、それがそこにあるのなら……真理通りに、メガミの世界にあたる場所ができる。すると――」
幻影の幹のごく近くで、揺蕩った黄色い花と赤い花が一対、花弁同士を重ね合った。互いに幻影であるためか、それらは混ざり合うことはなく、それぞれの色が独立して見える不思議な状態になっている。
そして、もう一つの黄色い花が、反対側から赤い花に重なった。赤い花が二つの黄色い花の架け橋となるように繋がり、主張するように光を強めた。
「両方の歴史が重なった場所も、この仮初の幹の傍にはある。そこでなら、二つの歴史から同じ場所に辿って、お互いの歴史の人同士が会える。今やったみたいに、桜花決闘もできる」
メグミがそう言ってから一息すると、重なり合った花が、決闘で盾となった桜花結晶のようにぱっと散った。
彼女は苦笑いしながら、
「まだ、繋ぎっぱってわけにはいかないけどね」
残りの花々や幹の幻影も消え去り、彼女が手で触れると二本の細い木もするすると縮んで、足元へ消えていく。
説明を終え、反応を窺うメグミ。
佐伯たちが難しい顔ながら咀嚼に励んでいると、通信装置から古妙の声が漏れた。
『この方法なら、そのうちきっと、可能性の大樹にも……』
「まだあやつを探しているのか。可能性は薄いと思うが……」
『うん……』
生返事は、しかし芯に残った決意を感じさせ、オボロを始め、真意を理解している者たちもそれ以上何も言わなかった。
本題に戻るべく、ヤツハは佐伯に水を向ける。
「それで、如何でしたか? 視察としては」
「それは……」
言葉に詰まるのは、今や公に要人として認知されて久しい賢人らしからぬ反応だった。その渋面からは、この場に水を差すのを躊躇っている以上の葛藤が見受けられる。
「私の立場では、どうしても否定的な言葉が出てしまいます。戦争という革新の代償を、生の声で聞き及んでいるわけですから……」
「悲観的に考えすぎなんだよ、あんたはよ」
あっけらかんと言って見せる千鳥。じろりと佐伯に睨まれるが、力強い勝ち気な笑みで見返す様は、決して適当に口を挟んだわけではないことの証だった。
眼差しに促され、千鳥はその胸にあるものを告げた。
「だって、皆を幸せにするためにやってることなんだから。そうだろ? お向こうさんたち」
呼びかけられ、がたがたと通信装置の音が乱れる。
より近くなった声が、千鳥に応えた。
『もち! 便利に楽しく暮らせたらサイコーじゃんね!』
『交わった以上、いつかは至る産業の道なんだ。これを受けてどうするか、だろ? 悪ぃがこっちが外交しくじった分も、上手いことやってくれや』
『もっと枢式も学ばせてください!』
『装備課は楽しくないんです!』
『開発やめるなんて言いませんよね!?』
『お前ら近い! 近い!』
古妙や銭金の他にも、彼方の人々がここぞとばかりに語りかけてくる。
彼らは、メガミの導きを不要と判じた者たち。大きな破局に抗わんがため、人の足で歩み続け、人の手で未来を切り拓き続けてきた歴史の住人。どれだけ背中を押されても、最後は人の意思で道を紡ぎ続けてきた。
酸いも甘いも知るこの盟友は、教師であり、反面教師でもある。
しかし、その教師を盲信するだけではやがて行き詰まってしまうし、板挟みに遭って立ち止まり、腐ってしまうことこそ、誰も幸せにならない結末だ。
そんなもの、絶望を呑み込んだ今の桜降る代には、似合わない。
「分かった、分かった! 誰も止めろなんて言ってないだろう!」
「じゃあ、なんて報告するつもりなんだよ」
「課題は山程あるだろう。だが、考えるべきは利用法や制限、理解への道のりなどではない」
佐伯は、一呼吸を置いた。
その先を告げるのに、今一度確認をするように。
けれど、彼は確かに告げた。
「我々人間が、以てどう生きていくか、だ」
それは、懸念ではなく、宣言だった。
一人の人間として発した決意に、同じ人間たちが堅く頷く。静かになった通信装置越しに、古妙たちの拳を握るような熱が届くようだった。
それを見守るメガミたちの中、一際眼差しに熱を帯びるはメグミ。
彼女は唐棹を握る手に力を込め、ひとりごちた。
「うん。この開拓は、大丈夫だよ」
そうして微笑みと共に、じっくりと目を閉じた。
広がりゆくこれからを夢想して。
人は、糾える時代を受け入れた。
それゆえに、縁起は続き、進みゆく。
人として、桜降る代で生き続けるために。
ミコトとして、己が道を見出すために。
だからこそ、再演の時を迎えよう。
進みゆく時代を、接ぐために。
その、ひとりであるために。
かつて、閉ざされようとしたふたつの歴史にて
伸ばされた掌は、こうして結ばれたのだから
