
晴れ、ときどき歓声。
今日も蒼天の下に神座桜は輝き、剣戟が鳴り響く。
やがてひときわ大きな喝采が、大地を揺らした。
「第二試合勝者、風間村の田助ェ!」
宮司が決着を告げる声が、観衆の叫びを押しのけるように広がる。勝敗の分かれたミコトたちを囲むのは、日に焼けていくらもくたびれ始めた木造りの大客席。満員とまではいかぬものの、空席もまばらな大入りである。
随所の壁には、『第百二十八回 天音月例大会』と記された張り紙。
人々は研鑽を積むために、あるいは興奮を求めて、この名高い決闘場へと集っていた。
「続いて第三試合! 西方、七ヶ崎の船十郎ォ!」
荒れた地面の整備が終わるやいなや、宮司の呼び出しに応じて現れたのは、顔の下半分を伸びた髭に覆われた男だ。
彼は竹筒から水を口に含むと、空になったそれを背後の入場口へと放り投げた。締まった筋肉質の身体の鈍りを取るように首を鳴らし、四方八方から投げかけられる観客の声に、鼻を鳴らして右の拳を静かに掲げた。
果たして、この強者の気迫漂わせる彼の相手は、と観衆が東方に視線を移したときだった。
「え、はぁ?」
呆れの混ざった間の抜けた声は、進行の宮司からだった。眉を寄せて組み合わせが記されていると思しき紙を凝視している。
宮司は衆目を変に集めてしまったことに気づいて咳払いすると、対戦相手の名を呼んだ。
「東方、皆大好きメガミマンレディー!」
狼を模した覆面。
白髪と共に背中になびく黒き外套。
動きやすいように下を切り詰めた、舶来のドレスのような華美な水色の服。
露わになった目元と口元に自信を漲らせた女は、決闘の間合いまで歩み寄るなり、相手と同様に拳を突き上げた。
会場の沈黙が、決壊した。
「だーっはっはっは! なんか出てきたぞ!」
「おいおい、仮装大会は天龍の十八番じゃなかったのか?」
「いいぞー、姉ちゃん! 一回くらいは勝てー!」
儀式としての決闘ならいざしらず、今日はただ腕試しをするだけの場。怒声を投げつけるのは真面目に決闘の学びを得ようとしていた者くらいなもので、ほとんどはさらなる面白さへの期待で占められていた。
何より一番面白がっているのは、向かい合ったミコトの男だろう。
「ふははっ、勘弁してくれ。芸人と、しかも女とやるのは初めてだ」
「ふふん! しぃ――じゃなくて、メガミマンレディを舐めてかかると痛い目見るわよ! でしょ、メガミマンガール!」
彼女が振り返った入場口の脇――見届人用に設けられた簡素な椅子に、同じく奇抜な衣装に身を包んだ小柄な少女が、姿勢正しく座っていた。こちらの覆面は猫だった。
剥き出しになった目に虚無を漂わせ、少女は相方に応えた。
「ハイ、そうですね」
絡繰仕掛けのような色のない返事だったが、相手の男にとっては、妙な人間がもう一人居た事実より勝るものではなかった。
「くくく、こんな巫山戯た奴がまだ居たとはな。まさかお前も出場してるのか?」
「イエイエ、自分は出てませんよ」
手を力なく右へ左へ。メガミマンガールに気づいた観客が無意味な声援を飛ばすたび、彼女の顔から感情がますます失われていく。
それから、宮司が気を取り直して進行が再開し、一度観客も歓声を堪える。
そして、
『桜降る代に決闘を!』
宣誓の後、二人の決闘者は互いを喰らい合うように前に出た。
巨大な鋸を手にするメガミマンレディに対し、男は鉄拳を両手に嵌めての超接近戦志向か。髭に埋もれた口元がにやりと笑い、重量感のある身体に似合わぬ速度で距離を詰めていく。
だが、距離の半分が消えようかという瞬間、男は追加で顕現させた櫂を地面に突き立て急停止。両者の間の虚空少し上に、人ひとり呑み込めそうな水球が生まれる。メガミマンレディがこのまま走り続ければ、降りてきた水球と男の鉄拳との挟み撃ちが待っている。
それでも、彼女が外套を翻し前を望み続けた。
地面に映った影が歪み、両者の間を影の茨が走る。
一瞬、影と化したメガミマンレディが、落ちてくる水球を避けつつ懐へ潜り込んだ。
「どこだッ、――!?」
驚愕に見開かれる男めがけ、地面の影から再び現れたレディの鋸が、男の腹を両断する軌跡で薙ぎ払われる。
構えていた分、男の鉄拳が咄嗟に鋸を逸らすが、凄まじい膂力に軽々とその腕が弾かれた。
にやりと、覆面から笑い返される。
「正解っ!」
乱れ咲く斬撃。千千と砕ける桜花結晶。
肩代わりしきれない衝撃が、男の不動の構えを許さない。
辛うじてひねり出した結晶の盾が役目を果たす前に砕け、彼の瞳に絶望が宿った。
もはや、反撃など望めるわけもなかった。
「ごあぁッ……!?」
鋸の峰で思い切り強打され、ボロくずのようになった男が地面を転がった。彼の身体から桜花結晶がにゅっと出てきて、力なくこてんと転がると、砂のように風に流されていった。
あまりにも呆気ない決着。
宮司が勝敗を告げる前に、観衆の大合唱が天音に轟いた。
「メガミマンレディ強えぇぇぇーーー!?」
そして、夕焼けの下。
決闘場の中心で衆目を集めるように両腕を掲げる者が一人。
その隣では、彼女の相方が空笑いを漏らしていた。
「メガミマンレディ、優勝ォーーーー!!」
「もうっ、何してるんですか!」
頬をぷっくり膨らませ、腕を組み詰問するホノカ。正座した二人の下手人を見下ろす姿は、容姿も相まって迫力に欠けている。苦笑いするユリナと無表情で茶を啜るウツロも隣に揃っているとあれば、あまり深刻な空気にならないのも無理はない。
表彰式からそのまま連行されてきた下手人たちは、覆面を脱いだだけの姿だ。
きょとんとホノカを見上げるシスイ。
心を殺して説教を聞いているレンリ。
世を忍ぶ仮の名を取り上げられた二人に、ホノカは上気しながらさらに言い募る。

「街じゃもう、正体が誰かだのメガミマンの復活だの大騒ぎになってますっ! うちに問い合わせが来たらどう答えろと!? 大体なんですか、『皆大好き』メガミマンレディって! 姓の欄は大喜利するところじゃありませんっ!」
「だって桑畑とも桜とも書くわけにいかないし、それでもいいよって言われたもの」
「後で受付担当に言い聞かせておきますっ!」
身内の不手際に唇を噛み締めるホノカ。
ユリナはそこへ差し込むように、
「まあまあ。名前は――さておき、そもそもメガミが出ちゃいけないなんて規則はなかったわけだし」
「う……それは、そうですが……にしても、もっとやり方がですねっ!? ただ決闘したいだけなら、奉納大会あたりの名目で別に開催するほうが穏当でしょう! その奇天烈な衣装のお披露目に、ミコトの皆さんを巻き込まないでください……」
名状しがたいものを見る目のホノカではあるが、一応上から下までシスイとレンリを改めて眺めている。
シスイはその目をどう解釈したのか、膝立ちになって両腕を広げると、
「どう? カッコよくないかしら?」
「……正気ですか?」
「自分はやめようって言ったんですよ……」
隣で項垂れるレンリ。共犯者の台詞にしては言い逃れの常套句ではあるが、たとえ嘘のメガミの言だとしても、この萎れ方は信用するしかなかった。
しかし、朴訥とシスイの肩を持つ者が一人だけ。
「悪くない、かも……?」
「ウツロちゃん!?」
愕然とするホノカと、得意げなシスイ。実際に製作させられたであろうレンリは、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなくなったようで、中身のない微笑みをひとまず顔に貼り付けていた。
淡々としたウツロにお茶のおかわりを注がれ、ホノカが渋々腰を落ち着ける。むくれながらそれに口をつけて、思っていたより熱かったのか、慌てて口を離してはシスイたちに恨めしげな視線を送った。
シスイは立膝で座り直すと、不敵な笑みを浮かべた。
冷めきった湯呑みをホノカに向けて掲げて、シスイは言う。
「そんなカリカリして、随分と余裕がなさそうじゃない」
「なっ――」
厚かましい物言いに目くじらを立てるホノカだが、シスイは反論が来る前に鋭く二の矢を差し込んだ。
「何か焦ってる?」
「そ、そんなことはっ……!」
「そんなことは?」
催促されても、ホノカは言葉に詰まったままだった。どう説明すればいいのか分からないという以前に、目の前のメガミに話す内容でもないという逡巡が伺える。否定を押し通せなかった時点で、図星なことを白状したようなものだった。
流石に見ていられなかったのか、ユリナが代わりに答えてやった。
「そのー、ちょっと身内で色々あったんで、最近忙しいんですよ。そろそろまた蟹河に顔出さなきゃいけませんし」
やんわりと、これ以上の詮索を遠慮する言葉選びだった。
いまいちピンときていないシスイに、レンリが耳打ちする。
「きっと、前に言ったヲウカ後継問題ですよ。ヲウカさんの帰還が近いというのは本当だったみたいです。繊細な話題ですからあまり立ち入らないほうが……」
「ふーん?」
納得したような納得していないような反応だったが、無理に深入りするつもりまではなかったようで、ふてくされているホノカを一瞥して茶を啜った。
その隙に、ユリナが別の話題を振る。
「そうだ。シスイさんは、大家会合の後もまた色々と見て回ってたんですか?」
「ん? ええ。最近はバレると騒ぎになるから、恋ちゃんに変装してもらいながらね。今回のはとっておきだったんだから!」
メガミマンレディの覆面を自慢げに広げるシスイ。もはやホノカは追及するのも馬鹿らしくなってきたようだった。
「こっちの歴史も面白いわ。しぃたちとは全然違うもの。櫻力技術がなくて不便そうではあるけど、人同士の喧嘩に使われてないだけ気分もいいし。まあ、領地を気にせず旅するのもこれが初めてだし、全部が新鮮に見えちゃってるのかもしれないけどね」
「あの……会合でも言ってましたけど、本当にいいんですか? 戻らなくて」
あまりにシスイが憂いなく話すせいか、話題を振っておきながら、ユリナは思わず訊ねてしまった。
シスイは、彼方の枝のメガミだ。
桜降る代の人々が徒寄花との戦いに奮戦する中、歴史を渡ってまで助力してもらった手前、感謝こそすれ誰も追い出そうなどとは考えていない。
また、こちらの歴史に同じシスイが居ない以上、ハガネのような問題も起きないし、名誉回復にも興味がないと大家の前で宣言している。
しかし、あの戦いから二年。彼女は未だ桜降る代で自由を満喫している。
それはすなわち、彼方の枝から一柱のメガミが消えたということ。桜降る代でそんなことが起きたら大騒ぎになる上、シスイは彼方における最後のメガミでもあり、桜花炉の心臓として人々を支えていたはずだ。
そんな彼女ではあるが、ユリナの問いに胸を張った。
もはや顧みる必要はないのだと言うように、きっぱりと答えた。
「向こうはもう、しぃがいなくても大丈夫。しぃも、人として十分に生きたもの」
「…………」
真っ直ぐで眩しい答えに、ユリナは静かにはにかむことしかできなかった。仮に古妙たちが異なる実情を口にしたところで、その眩しさは変わらないのだろうと誰もが思った。
もちろん、付随する疑問は各々抱えていたものの、それが声になることはない。
一瞬流れた沈黙を、自分の話を続けていい合図だとシスイが受け取ったからだ。
「そんなことより、桜花決闘よ! お互い傷つけずにあんな真剣勝負ができるなんて、しぃの時代じゃ考えられなかったわ! 素晴らしい文化だと思うの!」
「ですよねっ!」
一転して、ユリナが目を輝かせて身を乗り出す。両脇のホノカとウツロは何かを察したように、湯呑み抱えて少しばかり距離を取った。
元々、謎の選手から直接話を聞きたいと言い出したのはユリナだ。
本題に、花が咲かないわけがない。
「今日までにも、何度か大会に参加したんですか?」
「大会はそれほどだけど、強そうな人を見かけたら手合わせしてもらってたから、決闘自体はもう数え切れないほどね。傷を負わないこと前提の動きが当たり前になってて、全然怯んでくれないから慣れるまで大変だったわ!」
「そうなんですよ、上達に必要だってよく言われることの一つですね! 肉を斬らせて骨を断つにも普段と動きが変わりますから、立ち合った皆さんは強者揃いだったんだと思います!」
あっという間に鼻息を荒くするユリナ。その大きな身振りを見たレンリが、納得したように身体を横に傾けると、頭が元あった部分をシスイの手が通り過ぎていった。
「あんなの、戦場でもなかなか会えるもんじゃなかったわ! 命を張らなきゃ意地が薄れるはずだけど、それを克服したからこそ常に前のめりなのよね。お家のためでも命のためでもない戦いが当たり前、って時点ですごいことだわ!」
「武の比べ合いはもちろんありますけど、やっぱり想いのぶつかり合いですから!」
「想い……そうね、ここのみんなの刃が、道理で鋭いわけだわ。己を貫き通すだけの意思を、人が磨くための砥石になっているのかもね」
微笑むシスイの眼差しが、遠くを見つめる。
「さぞ、喜んでたでしょうね。斬舞乱武祭を思い出すわ。まさか、誰もが血なくして意思を捧げる日常が来るなんて。あなたも後継としてご満悦じゃない?」
「だから、みんなの道に花を添えることで、わたしも応えたいなって」
真摯に、けれど気負った様子もなくユリナは告げた。ある種の達観じみた態度は、在りし日のがむしゃらだった天音揺波とも、新たに桜花決闘の象徴になったばかりのユリナとも全く違っていた。
そしてユリナは、シスイの反応を目で促した。
かの武神に認められた同輩は、いくらか反芻した後に口を開いた。
「花……。うん、それが心の花になるんなら、それもいいかもね」
納得したように口端に笑みを浮かべて見せる。それは桜花決闘への盛り上がりからすれば、一本線を引いたような語気だった。しかし、それでも否定の色はなく、まるで心に根ざした斬華一閃の閃きを称えたかのようだった。
訪れた無言の間に、二人は満足げに茶を啜る。
そこにふと、ホノカが声を漏らした。
「花を咲かせる……それは、標」

誰に聞かせるでもない、口から溢れたのだと分かる独り言だった。
皆の注目を集める中、手元の湯呑みに視線を落としたホノカは、自身の言葉にはっとしたように目を見開いて、
「花が結実の、ただ標なら……」
「どうしたの?」
「え――あっ、いえっ!」
ユリナの呼びかけでようやく思索の世界から帰ってきたホノカは、先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、隠しきれない喜びが頬を持ち上げていた。
嬉しさや楽しさよりも、それはわくわくとした興奮に近い。
そこに不敵さが滲むとあれば、ユリナはまた訊ね直さなければならなかった。
「な、何かあった?」
「うふふー、後でご相談がありますっ!」
「はぁ」
隣でウツロが不安げにしているが、一方でホノカを煽っていたシスイは黙って愉快そうに見守っていた。
それを話の区切りと見たか、レンリがおずおずと手を挙げて、
「あのー、そういえば裏切りも――いえ、アキナさんはどうしたんですか? 最近は天音神社に居ると聞いていたんですが」
対し、答えたのはウツロだった。
「瀧口に向かった。サリヤと話あるって」
「なるほど……」
ちらり、とレンリが窺うのは、同じく僅かに真剣味を帯びたシスイだ。
貿易港として名を馳せる地と異邦人のメガミの名が挙がれば、用向きに推測を立てるのはそう難しいことではない。
危機を乗り越え、再び前に歩む桜降る代に、仲間は多いに越したことはない。
だが、前に歩むことはただ尊ばれるだけでなく、一歩間違えば誰かを置き去りにする行為なのだと、とある歴史は物語っていた。

羽織袴を着せた、凸凹とした中年男二人組。
馬子にも衣装と言わんばかりに外面をこれでもかと整えられた彼らは、向かい合った豪華なソファに体重をすっかり預けている。
瀧口と言えど、港からやや外れた閑静なこの一角では、窓から入ってくる喧騒も遠い。午睡を誘うような穏やかな昼下がりだった。
「そいや楢橋よぉ、てめぇなんか最近羽振りが良いじゃねえか」
「あっ、わっかるー? いやー、最近臨時収入があってさ。オレの美的感覚も捨てたもんじゃないってことかなー」
「あ? 何言ってんだ。前もトコヨ様にガン無視されてた癖によ」
「かーっ! 山ちゃんは分かんなかっただろうなー。あの冷ややかな目に宿った、オレっちへの熱い想いを!」
「分かりたくもねえよ」
大男のほうが、華美なティーカップを持ち手を窮屈そうに摘んで、琥珀色の茶を口にする。
すると、二人の居る小ぢんまりとした部屋のドアが、突如として開け放たれた。
現れた太った老人が、声を抑えながら怒鳴った。
「こら、貴様らまだくつろぎおって! すぐ戻るから支度しとけと言っただろ!」
「でも、こんなお茶菓子もう二度と食べられないかもしれないしー」
「つべこべ言わずに行くぞ! ちゃんと手土産は持ったか!? 食べ滓まみれの口を拭け! この会談が、桜降る代の今後を左右するかもしれんのだぞ!」
その黒紋付に収まらない腹を揺らして、老人は背後に控えていた案内人の女性にぺこぺこと頭を下げる。
三人の滑稽な男たちが案内されるのは、白桜色の煉瓦で組み上げられた真新しい館。大洋を東に越えた国の様式がふんだんに盛り込まれつつ、随所に桜の意匠が刻まれた、両国の架け橋となるべく作られた空間である。
やがて彼らが案内されたのは、館の最奥に設けられた大扉。
その中から滲み出す緊張感に、扉の両脇に立つ衛兵すら顔を固くしていた。
「い、いいか? 貴様らは絶対黙っておれよ」
「やっぱ、さっきの控室で待ってちゃダメ?」
「と、途中で便所行くのはアリだろ?」
ひそひそと弱音を吐く男たちに構わず、案内人が扉を押し開けた。
希望ある未来という橋へ繋がる、白亜の扉を。