シンラの真剣な眼差しは、彼女の前に跪く一人の男に注がれていた。今朝から続いた静寂な思索の時間に立ち入ったのは、この拠点を統括する碩星楼の幹部が一人だ。
隠匿されし最奥の間に、彼の声が響く。
「先日の動乱につきまして、古鷹家、桜花拝、忍の里及び稲鳴連合からの返答が出揃いました。今後も細部の調整を続ける必要はあるものの、概ね会談通りの方針で情報統制に合意するとのことです」
大きな文机の上には、彼に渡された文が数枚広げられていた。花押はどれも碩星楼構成員のものであり、各勢力からの正式な書状ではない。文面も前置きを省いた上で短い情報の羅列に留められており、急報の趣を感じさせる。
報告に来たこの男とて、老境に入ってなお若々しかったはずの顔に、大きなくまを拵えて一回り老けたかのようだった。
それもそのはず、彼は各地から寄せられた情報の精査と対応に追われる中、鞍橋との折衝も並行して担っていたはずだ。
あの未曾有の戦いから一週間。
たったそれだけの時間で各地で成果を上げたとなれば、激務も報われることだろう。
「龍ノ宮方面と瑞泉からの第一報は、おそらく明日明後日で届くかと。ユキヒ様、サリヤ様のご協力もあり、両者とも悪い返事にはならないというのが大方の予想ではあります」
「ええ、どちらも追従せざるを得ませんからね」
「はい。いずれの勢力も、少なくともユリナ様方が北限より戻られるまでに、大きな動きを見せる可能性は薄いと思われます。芦原にてご一行の到着を無事に確認したとの報もあり、辛うじて露払いは間に合わせられたと考えております」
ただ、と彼はやや困惑気味に続けた。
「どうも芦原入りの前に、ヒミカ様に接触されたらしいとの情報が入っております。対象と何か話した後、何事もなく去っていったとのことですが……詳細は不明です」
「そうですか」
一見意外な動向に、しかしシンラは威厳ある態度を崩さなかった。
その行動の意味は深読みするだけ無駄だと彼女は分かっていた。メガミを神聖視し過ぎるきらいのある人々は背景を色々想像してしまうだろうけれど、ことヒミカに関しては結果が全てだ。
理屈だけではなかなかに御しきれない人々の心情。
ヒミカの態度は、その行く末に対する試金石なのかもしれなかった。
「報告ありがとう。初動でこれほどの結果をもたらしてくれたこと、感謝に堪えません」
本心から礼を述べるシンラ。
もちろん彼女とて、見届けた者の義務というだけで動いたわけではない。勝算があると踏んだからこそ、こうして碩星楼を総動員してまで後始末を請け負っている。
だが、いくら結果を予見していたとしても、これが大仕事であったことには変わりない。
この隠れ屋敷に構えて以来、硬くなりがちだった顔に、思わず安堵が滲み出る。幹部の男も、静かな達成感を感じさせるように頬を緩ませた。
「あなたもご苦労様でした。遠征の結果が出るまでゆっくりするといいでしょう」
「御高配、痛み入ります」
彼の言葉を聞きながら、シンラは厳かに腰を上げる。
配下の者たちが身を粉にして結果を出した今、果報を待つ時間はようやく終わった。
ならば次は、シンラ自身が結果を出す時だ。
「私は、もう一つの仕事を済ませるとします」
表情を引き締め直した幹部を尻目に、彼女は微笑みの鎧兜を被り直した。

床板を外し、現れた階段を降った先には、仄暗い闇が広がっている。手にした灯りに照らされる景色はそれこそ降りてくる前とほとんど同じだったが、壁や床板の向こうが土なのだと示すように空気はひんやりとしていた。
廊下に灯りを灯しながら進むと、襖の隙間から仄かに光が漏れ出ている一室の前でシンラは立ち止まった。
彼女は懐に隠した書の所在を確かめると、淀みなく襖を開けた。
「大人しくしていただいたようで重畳です」
何もない部屋の中、畳の上に転がっていたのは数多の布が絡まった幼い少女の身体だ。
動乱の黒幕、糸を繰る騙り部、嘘のメガミ。その名はレンリ。
無気力に横たわるその顔はどこか魂が抜け落ちたかのようで、ヤツハたちを破滅に導かんとした扇動者としての苛烈さを戦場に置き忘れてきたかのかもしれなかった。
瀕死の状態で戦場に残っていた彼女は、以来シンラの手によってこの屋敷の地下に軟禁されている。
無論、この環境がメガミに対して十分な戒めになっているとはシンラも思っていない。ある程度力を取り戻されている今となっては、全力で脱出を図られたらあっという間に逃げられてしまうだろう。
だが、それでもレンリは脱走を選ばなかった。
「おややや、大変なお仕事ホントにお疲れ様でーす」
レンリは訪問者の顔を認めるなり、虚しさに溢れていた表情を捨て去って、にやにやとシンラを見上げた。
それにシンラは笑みを絶やさないまま、
「急ぎの用件も一段落しましたので、改めてお話を伺えればとお願いに上がりました」
「えぇーっ、お願いー? どうしよっかなー、レンリちゃんずっとこんな場所に一人ぼっちだったから、うまくお話しできるかわかんなーい」
「訊かれたことに、はいかいいえで答えるだけでも構いませんよ」
「はい、ここで問題です。レンリちゃんは果たしてちゃんと答えてくれるでしょうか? はいはーい、正解はいいえでーす。いぇーい、くふふふふふ、ふ、ふ……」
おちょくるレンリは、自暴自棄な含み笑いにもやがて疲れたかのようにため息をついた。
「はぁーあ、自分が話すわけないでしょ。はいはい、終わり終わり。見ての通り、レンリちゃんはお蚕ごっこに忙しいんです」
ごろごろと衣を纏った姿で畳に転がって見せる彼女は、容姿のあどけなさも相まって子供が悪戯をしているようにしか見えなかった。
捕らえた直後は流石に細々と口で煙に巻くだけだったが、真相を頑なに語ろうとしない姿勢はずっと変わらない。だから、無抵抗に不気味さを覚えながらも、シンラはこの首謀者への本格的な対応を後回しにしていたのである。
けれど、シンラは今日ここに一定の解決を得に来ている。
吉報を待つまでの時間は、彼女に論理の矢を番えさせるには十分な時間だった。
「■■■■■」
ぼそり、と。
シンラの呟きが、二人だけの空間に零された。
身体を揺らし続けるレンリが、それに目立った反応を見せることはなかった。しかし、直後に生まれ落ちた僅かな間は、巧妙な仮面の裏に生じた素顔との間隙であった。
それに勘付いたからこそシンラは反応を待った。
それに勘付いているだろうからこそ、レンリは動きを止めて、訊き返すしかなかった。
「何か言いましたぁ?」
今までの会話からは一拍遅く、取り繕っているかのように、それはそっけなかった。
シンラは改めて、聞き逃すことのないよう、はっきりと告げる。
その衣の下に隠された、本当の名前を。
「ええ、あなたをお呼びしたのですよ。向こう側の古鷹天詞さん」
この場には存在しないはずの、古鷹家現当主。
この歴史には存在しないはずの、向こう側の人間。
幾多の断絶を越えてなおシンラが発したその名前に、やはりかレンリの口元は三日月のように歪んでいた。
「あは、わっけが分かりません。もしかして、見えちゃいけないものが見えちゃってる感じですか?」
「根拠は二つあります」
しらばっくれるレンリに対し、シンラは全く怯むことなく論理を展開する旨を告げた。欺瞞で覆い隠されようとした先程の間隙に、間断なく刃を差し込んでいく。
無視されて口を尖らせるレンリに見せるよう、シンラは一本目の指を立てた。
「第一に、メグミへの執着です。あの日指摘させていただいた通り、徒寄花の打倒を唱えるには、あなたの行動には一見して不合理なものがありました。しかしそれは、ただ一つの目的を着地点とすれば筋が通ることに気づいたのです」
すぐに露見するような同士討ちをしてまで、今すぐにでもレンリが叶えたかったこと。
それは、
「徒寄花を滅ぼし、世界を救った英雄という座へ、メグミを着かせること」
「…………」
顔色に変化はなかった。取り立てて遮るつもりもないらしく、勝手に喋ってろとでも言わんばかりだ。
しかし、相手の出方がどうだろうと、シンラは拵えた論理を紡ぐだけだ。
「つまりあなたには、メグミに徒寄花撃破の功労者になってもらう必要があった。そのためには、敵はメグミが倒せるだけの戦力でなくてはならず、功績を目減りさせる味方の存在もまた邪魔だった……これこそが、ユリナたちを足止めしたという、不合理への解答だったのです」
トコヨたち他の徒神はカムヰらと刃を交え、メグミはハガネに支えられながら、首魁と目されたヤツハと対峙していた。
これがもしお膳立てされた戦局なのであれば、盤面の指し手は変化を拒むだろう。
結果としてユリナたちはヤツハ側についたが、彼女たちが誰に刃を向けるのかなんて関係がなかった。助力だろうが敵対だろうが、参戦して欲しくなかったからこそ、問答無用で凶行に走ったのだ。
「実際はクルル・ハツミという援軍があり、欺瞞の霧も晴れたことで、戦いは個から軍へと移行することとなりました。それをよしとしたのは、英雄たちの一翼という座で妥協した結果だと私は推測しています」
しかし、自身を危険に曝してまで討滅を続けるには、他にも原動力が必要だろう。
だから彼女が叫んでいたという怨嗟は、偽りなどではなかったのだ。
「徒寄花への憎悪や殺意を真に持つ者という時点で、桜降る代の存在とは考えにくい。そしてメグミと特に親しかった人物を挙げてもらったところ、古鷹天詞を筆頭にいくつかの候補が浮かび上がりました。もちろん全員、向こう側の人物です」
「それ、屁理屈にしかなってないと思うんですけどー」
「そうですね。いくつか疑問の余地が残りますが、それは一旦置いておくとしましょう」
シンラとて、二つの歴史に跨った蛮行という壮大な仮説を前に、何度も検討を重ねた身だ。もう再現のできない行為に確たる物証を突きつけられない以上、小さな小さな説得力を積み重ねていくしかない。たとえそれが、推測で築かれた楼閣になろうとも、だ。
「では第二に、協力者は誰か、という問題について」
二本目の指を立てて、シンラは論説を続ける。
「あなたがキリコという皮を被って桜花拝に介入できたのは、成功に近づく大きな一歩だったことでしょう。ですが、欺瞞の霧という権能を最大限に活用し、物語を捻じ曲げた点を加味しても、実際に盤面を動かす手が足りないはずなのです」
「ほーら、お手々は二本しかありませんよー」
「その身体だけでは、でしょう?」
べろべろばあの格好でおどけるレンリに、隙なく指摘していく。
自分自身を駒にするような指し手が、他の駒を盤上に配していないわけがない。自由に動かせるほど、その動きが強いほどに計略は加速していくのだ。
シンラは既に立ててあった二本の指を振って、その駒の数を示す。
「協力者は、闇昏千鳥。そして……古鷹天詞。もちろん、こちら側の、です」
つまり、向こう側の古鷹天詞が、こちら側の古鷹天詞を利用した。
一見荒唐無稽で、シンラ自身その印象が未だ拭い切れない。けれど、向こう側からの来訪者が実在している時点で、可能性を自ら狭めてはならないのだ。
「戦いの経過を踏まえて推測したものですが、当人たちにも確認を取りました。天詞はどうもある時期からずっと意識が朦朧としていて、その間の記憶が曖昧になっているらしいのです。それはちょうど、メグミたちが姿を見せた大家会合の日取りと一致します」
「…………」
「そしてその大家会合ですが、人々を扇動するのになんと都合のいい場でしょうか。現在、当時の参加者を洗わせているところです。姿を偽り、大胆にも発言なさったであろう嘘つきさんの列席は、いずれ裏付けが取れることでしょう」
さらに、とシンラは継ぐ。
「闇昏千鳥の証言はより決定的です。曰く、天詞の身体を借りて話す何者かに、天詞自身を人質に協力を強要されたとのこと。まさか、それぞれが大勢力の長であるこの二人が、大事にあって狂言を演じたとは言いませんよね?」
これらのことから導かれた仮説はこうだ。
レンリの権能には、他人を操るという側面がある。それによって天詞を意のままに動かし、ヤツハ討伐のための黒子として利用した。
しかしこれは、メガミだから可能、でおいそれと済ませられるものではない。
古鷹と龍ノ宮という、桜降る代の東西に跨って行われた意識の掌握。
応対の自然さやヤツハへの認知の早さから推測される、記憶の読み取り。
同じく意識への干渉が可能なシンラとて、ここまでは流石に不可能だ。当時の天詞の言動は、条件に反応して特定の行動を取らせるような暗示によるものとは考えにくい。多くの山と街を越え、その場その場で相手を動かしていなければ説明がつかないものばかりなのだ。
「果たして、このようなことが可能なのでしょうか。もし可能だとしても、そこには何かしらの制約があると考えるほうが自然です」
誰彼構わずここまでの規模で操れるとしたら、極論、全ての人間が彼女の目となり手足となり得る。脅迫なんてまずする必要がないのだ。
例えば、一人までしか操れない。
例えば、操れる人間は限られている。
例えば、
「相手とよほどの縁がなければならなかったとか。それこそ、根を等しくするほどの」
そして話は、レンリの呼び名へと戻る。
畳に転がるレンリは、推論を聞かされて慌てるかというと全くそんなことはなく、相変わらずぐったりとしたままだった。暖簾に腕押しという言葉がシンラの脳裏によぎるものの、手応えが一切ないという様子でもない。
「ふぅん……勝手な妄想、ご苦労さまです」
レンリはそう言うと、上体を起こして気怠げにあぐら座になった。
覇気のない瞳でシンラを見上げ、鼻で笑う。
「で、その妄想、どうするつもりなんですか?」
「ご心配なく。流布するつもりはありませんよ」
シンラは不敵に笑って見せて、
「大家の当主としての天詞に懸念が伴うのは、私にとっても、この社会にとっても望ましい話ではありません。あなたが存在する限り、天詞が人質であるという構図は残り続けますしね。それとも……メグミにこの『風説』をお伝えしたほうがよろしかったですか?」
「それ、自分に訊く必要ありますぅ?」
くつくつと力なく笑いながら、レンリは問い返す。
飄々とした彼女の態度は、観念や反省といったものとは程遠い。そもそも嘘のメガミを降参させたところで、それを信じる愚者はどこにもいない。たとえある種自暴自棄になっているのだとしても、隙を見せれば嘘の刃が喉元を容易く掻き切るだろう。
その喉元がシンラ自身のものだけであればまだよかった。
大きすぎる憂慮を胸に、シンラは刮目し、深く静かに響く声で言い放つ。
全身全霊を込めて。
「私の可愛い門下生に害為すようならば、『その存在の一切を認めません』」
ガタガタと、膨大な力の発露に襖が鳴いた。
常人であれば、この時点で精神が粉々に打ち砕かれるほどの恫喝。良くても一生涯に亘って耳から離れない言霊は、己の存在理由を延々と自問させ続け、答えに窮すればその者は自刃をも選ぶだろう。
だが、その余韻も消えたところで、レンリの仮面には罅一つ入っていなかった。
彼女は単に大声をうるさがっていただけのように、シンラをはっきりと見返した。
「そうですか」
レンリなら、そっぽを向いたままでもいられただろう。
だから、シンラはひとまずその態度に満足することにした。にっこりと微笑むと、レンリは嫌そうな顔をしてくれた。
シンラは、対話に応じてくれる賢い者が好きだ。
「ここまでの論説を永久に秘する代わりに、私は真実を望みます。如何に持論に矛盾がなくとも、そこに至るまでの経緯は、それこそ妄想の域を出ないのですから」
物的証拠を突きつけられないことばかりとはいえ、状況証拠すら手に入らない謎がたった一つだけ存在する。
シンラはやんわりと手でレンリを示した。
正確には、彼女が纏う衣を。
「数多の名が刻まれしその衣――カムヰがメガミを生み出す礎となったそれが、あなたの権能の源泉であるとお見受けします。旧き文様そのものを扱う権能は即ちカムヰに由来するものであり、向こう側で消耗したカムヰの力を受け継いだ……そう推測することはできますね」
メガミの力の継承が起こること自体は、ユリナやチカゲの例が既に示されている。あるいはメガミ同士だった場合を考えるなら、ユキヒの事例がこれに近しいだろう。
シンラは続けて、
「加えて、徒寄花を憎み、向こう側の英雄の結実を望むその様は、あなたの意思に向こう側の神座桜が重なるような印象を覚えます。あなたの英雄が、こちらの神座桜に認められたのと同じように。しかし……」
ここでシンラは、珍しく言い淀んだ。
いくら敵対者とはいえ、その先の言葉はある意味侮辱に等しい。頭に血が昇って喋ってくれるなら喜んで口にするだろうが、真実を唯一知っているであろうレンリはどちらかと言えば永遠に秘匿する類と思われた。
しかし、そうして言葉を選んでいると、レンリは膝を抱えて座り直した。
そしてぽつりと、代わりに自らそれを口にする。
「器じゃない」
そう言いたいのだろう、とでも言いたげに、少しだけ不機嫌な眼差しが投げかけられた。ただ、それは自分で納得しているような、ごまかしのない理性も感じさせるものだった。
人がメガミへと至るためには、それに相応しい存在でなくてはならない。
最古の力を受け入れ、桜に認められたのであれば、なおさらに。
レンリのある種の肯定に、言葉を濁すのは無粋だった。
「はい。私が接してきた限りにおいては」
歴史を継ぎ、次へと繋ぐ面では間違いなく優秀な当主であり、しかし零から一事を興し、大事と成す面ではまるで向いていない。それはまさに、命運に嫌われているかのように。
それこそが、シンラが桜降る代において十数年に亘り接してきた『彼女』の印象だった。
「…………」
見つめ合う両者。探り合うような沈黙が狭い部屋の中に降りていく。
そんなときだった。
この地下に新たに立ち入った者の気配を、シンラは捉えた。
「おや、来客のようですね」
「……誰が相手でも一緒ですけど?」
今までの流れで第三者が同席することになるとは思っていなかったのか、レンリの声には疑問の色が強く滲んでいた。舌の根も乾かないうちに他人に真相を話すのかと思えば、その猜疑も仕方のないことだった。
口を閉ざされても敵わないと、シンラは誤解を解こうと試みる。
「いえいえ、これまでのお話とはまた別ですよ?」
「さあ、どうだか……」
「実は、あなたのお噂を耳にして、面談を熱望された方がいらっしゃいまして。あなたも随分顔が広いものだと感心したのですよ」
「はぁ」
彼女の疑念はますます深まるばかりだった。
しかし、シンラも顔には出さないながらも、レンリのこの反応にはやや違和感があった。
桜降る代においてレンリという存在を知っている者は、今まで皆無だったはずだ。だから、わざわざ会いに来る者と聞けば心当たりがありそうなものだが、レンリにそういった素振りはなかった。
だからこそ何かがあると、シンラの勘が囁いている。
何故なら来客は、レンリという名前に惹かれていたのだから。
そして、来訪者の姿が露わになるや否や、シンラはこの出会いがもたらすものの大なるを確信した。
レンリの顔に浮かんでいた疑問が、瞬く間に霧散する。
不敵な笑いを浮かべたレンリは、久しぶりに再会する知人の大成を祝うかのように、甘い声で告げる。
そして対する『彼女』は、久しぶりに再会する知人の堕落を呪うように毒づくのだった。
「あは、ご高名は拝読しましたよ。天秤さん」
「どこほっつき歩いとったんや、あほんだら」

……顕現体を失い、うつろう意識の中でカナヱは追想していた。
あぁ、ああ。なぜカナヱは今の今まで……。
そうか。それもまた欺瞞の霧の――
箱を閉じたあの時から――
きっと、彼女の来訪は秘されし箱を紐解くのだろう。
旧き天秤、その担い手として。

……燻る予感が、この身を焦がしている。
願わくは、どうかカナヱが間に合うことを。
そして、終わるのだろう。
はじまりの物語が。
そして、始まるのだろう。
終わりの物語が。
