人々とメガミたちが新たな道を歩み始め、それから二つ季節は巡ろうかという頃。
ヤツハは旅へと一区切りをつけ、極北の地へと舞い戻っていた。
だけどそれは無邪気な帰郷でも、次の旅に向けた小休止でもなかった。
胸で燻ぶる微かな予感に、居ても立ってもいられなかったのさ。
そして――
かつ、と踵が硬質な大地を打ち鳴らす。その音は広漠な星空に散っていくようでいて、限りある空間の中で微かに反響する。やがて、扉となった青白い輝きと共にそれは消えていく。
徒寄花の世界。ヤツハにはもう見慣れた光景である。
かつてあった刺々しい光も行軍する怪物の姿ももはやなく、往時の絶望を忘れたかのような落ち着きがあった。金属質の大地も、元は蔦のような七色が剥き出しになっていたが、傷が癒えるように徐々に青白い表面に覆われていき、今やそれが見渡す限り広がっている。
失意の始まりとなった光景も、少しずつ変わり、今がある。ヤツハにとっての日常の象徴にさえなりつつある。
けれど、こうして立ち入ったヤツハの表情は、晴れやかなものではなかった。
決して深い絶望に苛まれているわけではない。目にした日常に安堵した様子さえある。
それでも、杞憂であることを願うような、得体の知れない恐れを胸に抱えたような、粘ついた懸念は拭い去れていない。
胸の前で握りしめた両の手が、覚悟を形作る。
「……よし」
気を引き締め、ヤツハは一人常夜を行く。
しかし、少しばかり歩んだところで彼女の足は止まった。
背後で、青白い光が迸っていた。
「……っ!?」
誰かがこの地へと踏み入った。
一瞬、先日旅の道中で別れた友の姿が脳裏をよぎったが、後で追いつくと言っていたクルルにしては早すぎる。たまに様子見に来る他のメガミたちは、ヤツハと一緒でなければここに入ってくることはない。
懸念を胸に赴いた直後の出来事に驚きを禁じえず、恐れが滲み出す。
それでも、ヤツハに怯えはなかった。警戒心が、彼女を振り向かせる。
だが、
「えっ――」
抱いた覚悟は、あっという間に霧散した。
ヤツハが想定していたあらゆる相手とは違う姿が、そこに浮かんでいた。
託されたものの重さとは裏腹に、短すぎる邂逅が今でも心残りな彼女。ヤツハの背中を押してくれたことへの感謝や事後報告はおろか、名前で呼んだことすらなかった。
最後に待ち望んでいた再会は、突然やってくる。
こみ上げる想いが、その名を呼んだ。
「カナヱ、さんっ……!」
「やぁ、久しぶり」
微笑みが、星空の中で眩いほどに白く咲く。あの動乱の渦中で、身を呈してくれたときと同じ優しい眼差しに、安堵が広がった。
カナヱはそれから、少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら、
「顔を見せられなくてごめんよ。カナヱたち最古の三柱は、どうにも顕現体を作るのが難しいみたいでね。ずっと視てはいたんだけど、会いに来るのが遅くなってしまった」
「いえ、そんな! こうしてまた会えただけでも、とっても嬉しいです!」
「ふふ、そう言ってもらえるとカナヱも嬉しいな」
それが社交辞令の類ではないことなんて、誰が見ても明らかだった。
カナヱが抱いてくれている深い愛情が、声の端々から感じられる。幾年月もの間を共にした力を託してくれた信頼は、決着を見た今でも変わっていなかった。その事実が、ヤツハの胸の奥にじんと染み渡っていく。
これからいくらでも語り合える。足りなかった時間はこの先にずっと続いている。
だが、眼差しに真剣さを帯びたカナヱを見て、ヤツハもまた先刻まで持っていた緊張感を取り戻した。
カナヱがわざわざ今訪れたのは、決して近況報告のためではないはずだ。
その旨を、ふわりと寄ってくるカナヱ自身が告げる。
「残念ながら、茶飲み話は後でにしよう。今は――」
「もしかして、カナヱさんも……」
「そうだね。きっと、似たような予感なんだろう」
カナヱの言葉に、ヤツハの胸の奥で何かがどろりと蠢く。
この共鳴は、偶然ではない。
目の前で、カナヱが袖に覆われた手を小さく掲げた。ヤツハはその求めを、当然のように受け入れる。
そして、
「鏡を」
ヤツハが解放した権能が鏡を象っていく。その大きな鏡面は、今代と先代の鏡の担い手が並んだ姿を映し出していた。
伸ばした手が、鏡面を挟んで触れ合う。
その手に、一回り小さな手が重ねられた。
静かな光が、星空の下で輝きを増していった。
