八葉鏡の徒桜

エピローグ2:未来

 

 人々とメガミたちが新たな道を歩み始め、それから二つ季節は巡ろうかという頃。

 ヤツハは旅へと一区切りをつけ、極北の地へと舞い戻っていた。

 だけどそれは無邪気な帰郷でも、次の旅に向けた小休止でもなかった。

 胸で燻ぶる微かな予感に、居ても立ってもいられなかったのさ。

 そして――

 

 

 

 

 

 かつ、と踵が硬質な大地を打ち鳴らす。その音は広漠な星空に散っていくようでいて、限りある空間の中で微かに反響する。やがて、扉となった青白い輝きと共にそれは消えていく。

 徒寄花の世界。ヤツハにはもう見慣れた光景である。

 かつてあった刺々しい光も行軍する怪物の姿ももはやなく、往時の絶望を忘れたかのような落ち着きがあった。金属質の大地も、元は蔦のような七色が剥き出しになっていたが、傷が癒えるように徐々に青白い表面に覆われていき、今やそれが見渡す限り広がっている。

 

 失意の始まりとなった光景も、少しずつ変わり、今がある。ヤツハにとっての日常の象徴にさえなりつつある。

 けれど、こうして立ち入ったヤツハの表情は、晴れやかなものではなかった。

 決して深い絶望に苛まれているわけではない。目にした日常に安堵した様子さえある。

 それでも、杞憂であることを願うような、得体の知れない恐れを胸に抱えたような、粘ついた懸念は拭い去れていない。

 胸の前で握りしめた両の手が、覚悟を形作る。

 

「……よし」

 

 気を引き締め、ヤツハは一人常夜を行く。

 しかし、少しばかり歩んだところで彼女の足は止まった。

 背後で、青白い光が迸っていた。

 

「……っ!?」

 

 誰かがこの地へと踏み入った。

 一瞬、先日旅の道中で別れた友の姿が脳裏をよぎったが、後で追いつくと言っていたクルルにしては早すぎる。たまに様子見に来る他のメガミたちは、ヤツハと一緒でなければここに入ってくることはない。

 懸念を胸に赴いた直後の出来事に驚きを禁じえず、恐れが滲み出す。

 それでも、ヤツハに怯えはなかった。警戒心が、彼女を振り向かせる。

 だが、

 

「えっ――」

 

 抱いた覚悟は、あっという間に霧散した。

 ヤツハが想定していたあらゆる相手とは違う姿が、そこに浮かんでいた。

 託されたものの重さとは裏腹に、短すぎる邂逅が今でも心残りな彼女。ヤツハの背中を押してくれたことへの感謝や事後報告はおろか、名前で呼んだことすらなかった。

 

 最後に待ち望んでいた再会は、突然やってくる。

 こみ上げる想いが、その名を呼んだ。

 

「カナヱ、さんっ……!」

「やぁ、久しぶり」

 

 微笑みが、星空の中で眩いほどに白く咲く。あの動乱の渦中で、身を呈してくれたときと同じ優しい眼差しに、安堵が広がった。

 カナヱはそれから、少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら、

 

「顔を見せられなくてごめんよ。カナヱたち最古の三柱は、どうにも顕現体を作るのが難しいみたいでね。ずっと視てはいたんだけど、会いに来るのが遅くなってしまった」

「いえ、そんな! こうしてまた会えただけでも、とっても嬉しいです!」

「ふふ、そう言ってもらえるとカナヱも嬉しいな」

 

 それが社交辞令の類ではないことなんて、誰が見ても明らかだった。

 カナヱが抱いてくれている深い愛情が、声の端々から感じられる。幾年月もの間を共にした力を託してくれた信頼は、決着を見た今でも変わっていなかった。その事実が、ヤツハの胸の奥にじんと染み渡っていく。

 

 これからいくらでも語り合える。足りなかった時間はこの先にずっと続いている。

 だが、眼差しに真剣さを帯びたカナヱを見て、ヤツハもまた先刻まで持っていた緊張感を取り戻した。

 カナヱがわざわざ今訪れたのは、決して近況報告のためではないはずだ。

 その旨を、ふわりと寄ってくるカナヱ自身が告げる。

 

「残念ながら、茶飲み話は後でにしよう。今は――」

「もしかして、カナヱさんも……」

「そうだね。きっと、似たような予感なんだろう」

 

 カナヱの言葉に、ヤツハの胸の奥で何かがどろりと蠢く。

 この共鳴は、偶然ではない。

 目の前で、カナヱが袖に覆われた手を小さく掲げた。ヤツハはその求めを、当然のように受け入れる。

 そして、

 

「鏡を」

 

 ヤツハが解放した権能が鏡を象っていく。その大きな鏡面は、今代と先代の鏡の担い手が並んだ姿を映し出していた。

 伸ばした手が、鏡面を挟んで触れ合う。

 その手に、一回り小さな手が重ねられた。

 

 静かな光が、星空の下で輝きを増していった。