八葉鏡の徒桜

プロローグ-5-1:破

 

 銀世界に、火花が散る。

 噛み合わされた二振りの刃に、ほんの束の間、少女たちが荒い息を漏らす。

 

 一方は、肉厚な刃から繰り出す重厚な一撃によって、骨を断たんとする。

 他方は、鎌首をもたげた歪な刃でもって、肉を喰らわんとする。

 二人きりの雪原で、何合とも打ち合ってきた彼女たちを見守る影はない。暗雲の狭間から覗いた大きな月だけが、細雪の中で粛然と結果を見届ける観客である。

 

 

「てぇァッ!」

 

 互いに機を窺っていた中、先に閃いたのは重圧溢れる切っ先であった。

 歪な刃先を地面へ誘導し、生まれた間隙へと踏み出しての斬撃。迷いのないその動きを生む意思を支えるのは、最善を求めた先にある熱い勝負への羨望だ。

 

「……っ!」

 

 刃は、相手の右腕を確かに捉える。

 しかし、雪原が血に染まることはなかった。傷が生じるはずだった腕からは、仄かに光る桜色の塵が、役目を終えたかのように噴き出す。白んだ月のような色合いの袖に生じた切り口の奥では、何事もなかったかのように腕が力を漲らせていた。

 

「ふッ……!」

 

 返す刀で、真紅を帯びた歪んだ刃先が、前を踏んだ相手の喉笛を掻き切らんと突き出される。それは呼応して繰り出されたというよりは、自身の持てる鋭利さを望むがままに表した、流麗ながらも冷酷な一撃である。

 

 切っ先は、肉厚の刃を振り切った少女の喉元へ吸い込まれていく。

 ただ、その身を守るかのように、宙に浮いた二個の桜色の結晶が反撃への盾となる。

 

「……!」

 硬質に煌めく刃が結晶に触れた瞬間、それは相手の身体を捉えることなく逸らされた。指先程度の大きさの結晶は、衝撃に耐えきれなかったかのように砕け散る。

 成されなかった排撃に、雄々しい刃が再び前を志向する。

 けれど、向けた切っ先のその奥では、あらぬ方向に逸らされたはずの異様な刀身が踊っていた。

 

 くるりくるり、刃が使えぬのであれば、と相手の腹めがけて突き出されるのは、地を抉り穿つような刺々しい石突だ。不意な対応ではなく、まるで初めから演目に組み込まれていたかのような容赦のなさは、至近を拒絶する隔意の表れである。

 

「が、ぁッ……!」

 

 咄嗟に結晶を盾としてあてがうも、込めていた力が失われ、突き放された身で描いた軌跡では揺蕩う裾の一条を掠めただけだった。さらに追い出すように切りつけられれば、身の丈を超えようかという得物を前にして詰めた間合いだろうと捨てる他ない。

 

 仕切り直し。

 誰が言うまでもなく、両者が声を上げるまでもなく、互いの間合いの外でにらみ合う。粉雪は舞い降り、塵は舞い上がり、月夜の底に微かな桜色がわだかまっていく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 幾度も吐き出される白い息。その陰からでさえ、相手を窺う意思が迸る。

 そこには、敵意も、殺意もなく、澱んだ感情の一切はなく。

 あるのはただ、互いの想いだけ。握りしめた柄に意思を込めて、相手が桜を散らし切るその瞬間を求め、無言で向かい合う。

 

 決するための闘いに、言葉は要らない。

 打ち合うその得物こそ、何より雄弁に物語る。

 故に、己の意思を示すために、少女たちは刃を掲げ、前へ進む。

 

「やあぁぁぁぁぁッ!」

「はあぁぁぁぁぁッ!」

 

 気迫を纏って繰り出された二つの刃が打ち合わされる……はずだった。

 力強く左から振り下ろされる重厚な刃は、本来相手に受け止めさせ、なお押し通らんとする勝利への決断を宿す一手だ。終局の幕開けと呼ぶにふさわしいほどに重く鋭く、剣戟に応じざるを得ないような一撃であった。

 鋼の刃は、確かにあの水晶でできた歪な刃に触れた。

 けれど、

 

「……!」

 

 突き出された刃が正面から意図に応じることはなく、幅の広い刀身の横っ腹へ外側から滑るようにあてがい、長い柄も使いながら軌道を逸らしていく。互いの微細な力加減一つで容易に弾かれるというのに、絶えず変化する不可視の轍をなぞるが如き精緻さが実現を叶えている。

 手を護るために鍔で受け止めようにも、それを嘲笑うかのようにひと押しされれば、振り落とした勢いは止まらない。刃先を外に向けていた歪な刃は、その間でくるりと回転し、返しの切っ先を落とすように腕を斬りつける。しかし、手中で正確に得物を取り回す所作からは一手上回った熱は感じられず、氷柱のように鋭利な冷ややかさを纏ったままであった。

 

「ぐ――」

 

 いなされた少女の目は、刹那崩れ行く体勢の中で見開かれる。

 幾千、幾万の打ち合いの果てであってもなお舌を巻くような超絶技巧。

 そして、それを繰り出す礎になった、人間離れした冷淡さ。

 驚嘆に奮い、戦慄に震えながらも、予想を裏切られた代価を払うべく、再び瞳に意志の炎を灯そうとする。

 だが、太刀筋を信頼できるほどの好敵手を相手に、その間がいかに僅かであろうとも、隙が許されるはずはない。

 

「はぁッッ!」

 

 飛び込んだ勢いのまま、前のめりになった少女の眼下、切っ先が上を向く。

 氷のような刀身の先に設けられた、紅の返し。切り落としたことによって立てられた得物を梃子の要領でかちあげれば、刀身が背を預けていた雪の大地から解き放たれたその先で、無防備となった少女の腹へ牙を突き立てんとする。

 

 ……その牙は、どんなに刃が歪に見えようとも、こう呼ぶべきだろう。

 すなわち、薙刀、と。

 

「ご、ぉ――」

 

 堰を切ったように身体から溢れ出す、数多の桜の光。勢いもあって深々と食い込んだ薙刀の刀身は、その半分以上が少女の腹に呑まれていた。その中でただ異様な切っ先だけが、突き抜けた背の向こうで透き通るような紅を晒していた。

 貫かれた少女の身体は震え、手からこぼれ落ちていった得物が踏み固められた雪の上に放り出される。どうにか刃を抜こうとしたようだが、力の入らない腕はろくに上がらなかった。

 そして薙刀は、何も語らぬ少女によって勢いよく抜き払らわれる。

 

「が、ぁっ……」

 

 膝も笑っていたというのに、立つことなどできるはずもなかった。膝から崩れ落ちるようにして、冷たい大地に顔を打ち付ける。もがくように指が何かを求めていたが、その動きもやがて失われた。静を取り戻した雪原で、桜色の欠片がまろぶ傷口にしんしんと雪が積もり始めていく。

 

「はぁ……は、ぁっ……」

 

 勝敗は、明らか過ぎるほどに決した。

 最後まで立ち続けた少女は、その事実を確かめるように光の映らない瞳の奥から伏した少女の様子を窺っていたようだったが、結局手を差し伸べるどころか声をかけることすらせず、敗者へ背を向けた。

 戦いの余韻に肩を上下させる彼女は、淡々と決闘の舞台から歩き出し、夜闇に向かって立ち去ろうとする。

 ただ、一瞬だけ脚を止めた彼女は、瞼を落としたまま軽く天を仰ぎ見た。

 

「ふーっ……」

 

 一つ、息を吐く。けれど、白く棚引く吐息が消える頃には、何事もなかったかのように歩みを再開していた。

 後には、決着を待っていたかのように強まる雪が吹雪となって、二人を隔てる白亜となる。

 それでも少女は、歩みを止めない。

 淡々と。独り、先を求めるように。