こつ、こつ。歩を進めるたび、靴底が心地よい音を鳴らす。どんなに踏み固められた土の道であろうとも真似できない、綺麗に敷かれた石畳ならではの足音だ。
「なんだか少し、楽しくなってしまいますね」
そう微笑むヤツハは、前を行くクルルを追いながらも、時折思いついたように歩幅を変えて音色を奏でる。
「こんなに綺麗な道に足跡をつけてしまって、申し訳ない気持ちにもなりますけど」
「あははっ、そんな誰も気にしませんって。山城じゃこんな道いくらでもあるんですから、記念に堪能しちゃっていいんですよ」
杞憂を笑い飛ばしてわざとらしく足踏みするハツミに、ヤツハはくすくすと笑った。
鞍橋を出立してから二日後。古鷹、鞍橋と南下を続ける一行が立ち寄ったのは、残る西部三都が一つ、山城である。
石の街として有名な山城は、近隣の山々から取れる優れた石材資源を活かした独特の街並みで知られている。ヤツハたちの歩む石畳然り、屋敷を囲む塀や、その屋敷そのものが石を積み重ねて築き上げられていたりと、石が文字通り人々の暮らしの礎になっている。無論、それらの石材も丁寧に切り出し、磨き上げ、一定の法則に従って組んだものであり、風情は異なりながらも美しい景観を成している。

彼女たちは今、そんな山城の都の中心街を通り抜け、さらに南下を続けていた。ここまで来ると石造りの建物もちらほらと数を増やしていき、中にはあくせくと荷運びに勤しむ者たちが吸い込まれていく商会の蔵と思しきものまであった。
通りすがりに、その蔵の入り口に飾られた鳥の石像がヤツハの目に留まる。
「あれ……あの形、古鷹の街でも見た気がします」
それにハツミは少し頭を悩ませながら、
「あー、たぶん古鷹と懇意な商人なんじゃないですかね。これまで通ってきた街って、鞍橋を中心にして売り買いの流れが作られてるんですよ。だから古鷹の文化もこっちに入ってきてるし、山城の石細工も向こうに流れてってるわけです」
「もしかして、ちょっと街の造りが似ているなあ、と思ってたんですが、それもですか?」
「だと思います。ちょっと前……って言っても百年くらい前ですけど、古鷹がああいう街にしたのを取り入れてるんじゃないですかね」
知らされた歴史にヤツハは感心の声を漏らす。街と街の関係を念頭に置いてみれば、木造りの家々が立ち並ぶ閑静なこの一帯は古鷹で見た景観にとてもよく似ていた。違うのは石畳や家屋の土台がしっかりと石組みされていることなどで、双方の文化の融合を思わせる。
今は火の灯っていない石灯籠の曲線の美しさに惹かれながら、ヤツハは相変わらず街並みにさほど興味のなさそうなクルルへと問いかける。
「また古鷹のときみたいに、街の外れに向かってるみたいですけど、今回はどちらに行かれるんですか?」
「お城ですよぉ。それはもうびっぐなやつです。ほら、あっちに見えるのがそーですね」
彼女の指差した先では、遠くに聳えているであろう白と黒が混ざりあった巨影の頭が、家の屋根から突き出ていた。
ヤツハはそれに、好奇心を声色に滲ませながら、
「あれも建物、なんでしょうか。石でできている……?」
「土台は石だったと思いますねえ。とっても高い石の壁があったはずですよぉ。そのお城には、山城に縁のふかーいメガミが住んでるわけなんですぅ」
「メガミ……! その方も、ハツミさんのように立派な方なんでしょうか」
ちら、とヤツハの視線がハツミに向けられるが、当のハツミは街並みに見とれて聞いていなかったとばかりに振り向いて、小首を傾げた。
答えるクルルは少々得意げに鼻を鳴らして、
「ふふふん、やつはんならそこに食いつくと思いましたよぉ。くるるんには分かりませんけど、人気者みたいですねぇ。ですよね、はつみん」
「ええ。ここの人達に尊敬されてるって聞きますし」
「そうなんですか……! お会いしてみたいですが、会えるのでしょうか……」
呟くヤツハ。だが、その懸念をクルルはあっけらかんと笑い飛ばした。
「知りませんけど、会いに行っちゃえばいいんですよぉ」
「え、ええっ? 大丈夫なんですか……?」
自分を導く船頭が全くの無策であると知れば、いくら彼女との旅に慣れてきたヤツハとて困惑するというものだ。
急に不安になってきたヤツハを、四つ辻の犬の石像が静かに見守っていた。
短い少女の嘆息が、部屋に溶けていった。かき上げた薄い黄蘗の長髪が指先からこぼれ落ちる。
「大体の話は分かりましたわ」
部屋の最奥の上段の間で脇息にもたれかかる彼女は、その背格好こそ人形遊びでもして遊んでいるのが似合いそうな可憐なものである。だが、者共の前で座するその重厚な風格は、敵の軍勢を前にしても毅然と振る舞う一国の主にすら相応しい。装いの各所にあしらわれた鎧を思わせる意匠が、彼女が断じて護られるだけの姫君ではないと訴えかけてくる。
山城の都の外れに構えられた、壮大な城塞。その天守の頂にヤツハ一行は足を踏み入れることを許されていた。配下の者を全員外に追いやったあたり、城主の対応としては普通ならば破格にも程があるだろう。
「色々苦労してるようですし、わたくしでよければお話しますわ」
「おぉ、さっすがみずきん! 話の分かる同志を持てて、くるるんはなんと幸せ者なんでしょう!」
部屋の主の言葉に安堵の空気が流れる中、一人、クルルだけが違った調子で彼女なりの感謝を表現する。
その様子に少女はもの言いたげな目で睨みつけると、
「冗談でもよくそんなことが言えますわね。あの時の恨み、忘れたわけではありませんわよ」
低い声で威圧されたクルルだが、何も分かっていないような笑みを浮かべて首を傾げる。
随分とわざとらしい態度にそれ以上追求するつもりはないのか、少女は自ら咳払いを一つしてから、膝を折るヤツハへと向き直る。
そして、
「改めまして……わたくしはミズキ。この山城の地を護る、守護と祖霊を象徴するメガミですの。よろしくお願いしますわ」
少女――ミズキは、薄く笑みを浮かべながらメガミとしての名乗りを上げた。
顕現した彼女の居城を訪れていたヤツハたちは、クルルの存在に多少嫌な顔をされながらも謁見が叶い、ここに至るまでの経緯を説明して今に至る。メガミ同士である以上、ミズキは話を聞く前にヤツハのことに気づいたため、ミコトだという虚飾は完全に取り払っている。
ミズキは言葉遣いこそやや高飛車だが、決して不遜な態度で臨んでいるわけではないことはヤツハにもすぐに理解できた。それでも、人々に尊敬される素晴らしいメガミだという認識が彼女を畏まらせたままでいさせる。
「ヤツハ、と申します。くるるんさんたちに紹介して頂いた通り、メガミ……らしいんですけど、記憶もなければ権能も分からずで……。なので今は、くるるんさんに協力するミコトとして旅をしています」
「まあ! こいつの相手は大変でしょうけど、頑張りなさいませ」
自己紹介を返されたミズキは、呆れたように鼻で笑いながら顎で当の相手を指す。
続けて彼女は、さらに皮肉を込めて、
「それにしても、こいつに人助けをするような甲斐性があったなんて、夢にも思いませんでしたの」
「やつはんは、くるるんの実験に喜んで協力してくれますしぃ。こんなことは初めてですぅ!」
だが、意図を解していないどころか、さらに上を越えていくような返しに、ミズキとハツミのため息が重なった。
と、そこでミズキと目が合ったハツミは、機が巡ってきたと軽く頭を下げる。
「なんか急にすいません。押しかけた形になっちゃって」
それが社交辞令だけのものではない理由も、ミズキの耳には入っている。クルルの突然の来訪に、対応にあたった兵が混乱して騒ぎになりかけたのである。クルルはそれでも構うことなく敷地に入ろうとしていたので、あと一歩連絡が遅ければ本当の騒ぎになっていたかもしれない。
ミズキは緩く頭を振ってから、淡白に答える。
「構いませんわ。正直なところ、少し怪しいのは確かですけど――」
その言葉の狭間で、鋭い眼光がヤツハを射抜いた。
しかしそれも一瞬で、特に言及することなく、
「それでも、こいつの観察眼と、あなたの善性は信頼できますもの。本当に記憶を失った……そう、わたくしは信じますわ」
「あ、あははー! そ、それはよかった……!」
人々の尊敬されるメガミ同士、信頼で結ばれているのだと、ヤツハは言葉に出さず熱い想いが湧き上がってくるのを感じる。どことなくハツミの返答が棒読みである理由には、ついぞヤツハは思い至らなかった。
「さて――聞きたいことがあるということでしたけど、わたくしについて何を聞きたいとおっしゃりますの?」
区切りをつけてから、ミズキは手を差し出す仕草をヤツハに向けた。
対し、ヤツハは芦原で抱いたものそのままを、繰り返すように口にする。
「私は、メガミとは何なのかということすら覚えていませんから――ミズキさんはこの山城でどういった存在なのか、その上で、ミズキさんがメガミとしてどうあるのか……それを教えてもらいたいんです」
「ふむ、なるほど」
ミズキは視線を彷徨わせて考えを巡らせていたようだったが、元々答えを用意してあったかのような速さで再びヤツハに意識を戻す。
「まあ……そういうことでしたら、昔話を語るのが一番ですわね」
「ここの人たちを救ったお話とかでしょうか」
「概ねそんなところですの。わたくしがまだ人間だった頃に、この山城を護るために戦ったお話ですわ」
「えっ……!?」
驚きの声が思ったよりも響いてしまい、注目を集めてしまったのを知るや、ヤツハに冷静さが少しずつ戻ってくる。
今まで誰からも聞かされていなかった事実に、それでも疑問が口をついて出る。
「め、メガミって、人間からなるものなんですか……?」
「そですよぉ。かなーりれあな現象ですけど、二十年前に四人もメガミ成りしちゃったんで、今の人間にとっては稀によくあることかもですねぇ」
ミズキはそれに顔を顰めると、
「よくあっては堪りませんの。あれはあんな大騒動だったから起きたことでしょうに」
「そうすると、ミズキさんもその二十年前の一人ということですか?」
「いえいえ。その折にはこいつに迷惑かけられただけですわ。わたくしがメガミの座へと至ったのは今からざっと九十年ほど昔のことになりますの」
さらに彼女は、語りの枕とするように補足を続けた。
「人がメガミになるには、何かを極めることが条件と目されていますの。それは武勇であったり、メガミとの深い絆、中には悪逆的な行いも含まれます。誰の基準でどなた様がどうやっているのかは分かっておりませんけど、わたくしのきっかけを一言で言うのなら、英雄的な行いを為した、となりますの」
「英雄……」
ヤツハから漏れた音に、ミズキは満足そうに頷いた。
そして、永き時を辿るようにじっくりと目を閉じ、その小さな口は朗々と争いの歴史を紡ぎ始めた。
狭間の時代を経て、活気ある平和を手にした桜降る代ではあるが、その昔にまさしく戦乱の世と呼ぶべき時代を経験していた。その多くは約百五十年前の桜花暦の始まりと共に、ゆっくりと矛を収めていったものの、依然として諍いの残る地域は存在していた。
「それがこの山城と、隣の菰珠ですの。桜と土地を巡って、延々争ってまして」
それは桜花の時代が始まっておよそ五十年以上経っても依然として続いていた。はるか昔についた火を、誰も消すことができないまま関係は悪化の一途を辿っていたのである。
きっかけは数百年前、山城の民が当時その地に住んでいた稲鳴平野の部族を、文明の差で追い立てていったことに端を発する。その恨みは何世代も受け継がれ、菰珠という名を名乗ってからも絶えることはなかったのだ。
菰珠の源流は、厳しい環境の稲鳴平野で自然と共に生きる遊牧民である。今でこそ大家となった菰珠ではあるが、百年以上前の彼らは今よりもずっと獰猛で、家と呼ぶべきか部族と呼ぶべきか、非常に難しい存在であった。それには、先の怨恨から山城の地へと繰り返していた侵略行為も当然起因となっている。
その頃は、ちょうど桜花決闘がはっきりとした決着の場として全土に広まった時勢であったため、もちろん解決案として俎上に載せられた。
だが、
「だめだったんですか?」
「ご存じないかもしれませんが、菰珠の連中は個の力に秀でてまして。一対一の戦いは、こちらのほうが不利でしたの」
故に山城は、直接戦わないという選択をした。人々は菰珠との境界に防壁を築き、彼らを避けることにしたのだ。
いかに菰珠の民が野生の力を尊ぶ強者揃いであっても、対面を拒絶されては決闘どころではない。決着を避ける山城に菰珠はさらに怒り、侵略は苛烈を極め、争いは破局を免れ得ぬほどに深まり続けていった。
ミズキは――いや、山城水津城は、そんな争乱の渦中に山城家当主の娘として生を享けた。情勢は幼い彼女に自由であることを許さなかったが、周囲が求めるよりも鍛錬を重ね、そしてそれ以上に学んでいった。
自身が一騎当千の強者になるのではなく、人々と共に侵略者から土地を護る術を。
個々は敵方より劣る兵を、軍として効果的に用いる技を。
猛る相手を受け止め、いなすだけの守りの策を。
「ここは、山城を護るための要所でしてね。来る戦いに備えて、この城を築かせたんですの」
そして、その時は来た。
燻る火種は燃え上がり、菰珠の民は山城への大規模な侵略に打って出たのである。蹂躙か、決闘か、いずれにしても山城にとっては破滅を避け得ない選択肢を、掲げた拳と共に突きつけてきたのだ。
戦の指揮に対する才覚を発揮していた水津城は、火蓋が切って落とされたその時にこそ、前線となったこの城にて兵を動かし続けた。学んだ技を最大限に活かし、必要な犠牲を受け入れ、そしてこのために拵えた城を十全に使い、ついには一人たりとも菰珠の民を通さなかったのである。
結局、その大侵攻は水津城による軍の戦いによって退けられた。その頃から、彼女を称え、あるいは畏怖を込めて、城塞姫と呼ばれるようになる。
その武勇は広がりを見せ、当時の楽師が物語る定番とまでなっていた。
そして大侵攻で負った傷も癒えぬうち、一柱のメガミが水津城の下へと訪れることになる。城の下から大地が割れるほどの大声で水津城を呼び出したそのメガミは、水津城の軍と己一人が相対する、変則的なメガミへの『挑戦』を提案した。
「流石にわたくしも、あのときは肝が冷えましたわ。そのメガミというのが――」
と、ミズキがここまで話したところだった。
「なんだ、オレの話か?」
「……!?」
ヤツハたちの背後から、いきなり誰のものでもない声がかかる。びくりと肩を震わせたヤツハとハツミは、足を崩しながら闖入者へと振り向いた。
引き締まった肉体を晒す女が、断りもなくこの城主の間に足を踏み入れる。一歩一歩歩くたび、焼けた肌の下では隠しきれない筋肉がその存在を主張してやまない。襟足から絞るようにして一本に結われた髪が、腰まで伸びて左右に揺れていた。
何事か、とヤツハはミズキを見やるが、部屋の主は焦ることもなく、むしろ呆れを顕にしていた。
断たれていた言葉を、ミズキは継ぐ。
「それで、このメガミ・コダマと戦うことになったんですの」
「やっぱりあのときの話か」
ですの、とおざなりに肯定を返すミズキ。
ヤツハは再び、現れたコダマを視界に収める。己が座っているためか、ひどく背の高い印象を受けるが、実体以上に大きく見えるのは、一度注視してしまえば目が離せない存在感によるものだ。まるで見えない力に引っ張られているようだ、とヤツハは思う。
「コダマ、さん……?」
また新たなメガミに出会えた多少の現実感のなさに、確かめるようにしてその名を呼ぶ。
それにコダマは短く頷くと、
「ああ。オレはコダマ、力を象徴するメガミだ」
そう簡潔に名乗った彼女は、腹の底から響かせる低い声で、途中になってしまったミズキの語りを勝手に引き継ぎ始める。
「『挑戦』は成った。だが、ミズキが軍略を尽くし、人を活かし、その護りの技でオレを打ち破った。オレの力を受け切られたのは、あれが初めてだった。それも、人間に、だ」
「あの戦いに勝利した刹那、わたくしの意識は途切れ――気づいたときには、メガミの座に至っていましたの」
言葉を添えるミズキに、ふ、とコダマは不敵に笑う。
ミズキはそれから、
「山城に破れたコダマは、自分を崇める菰珠の民に負けを認めさせましたの。永きに亘って続いた争いは、この戦いの勝利と、わたくしというメガミの誕生によって幕を下ろしましたわ――ですが」
嘆息し、伺うように言葉を切ったミズキ。もちろん、それを受けるのはコダマだ。
「そう、メガミになったからには、オレとオマエの戦いは続けられる。……例えば今、この時もな」
拳を突き出し、獰猛に笑う彼女の矛先は、間違いなくミズキに向けられている。けれどヤツハは、熱にあてられたような錯覚を得て、息を呑んでいた。
一触即発か、と冷や汗を流すヤツハであったが、対するミズキは余裕そうに苦笑いを浮かべている。
しかし、その余裕もまた、自らが上にいるのだと確信する者の態度だ。
「そう、そんなわけで、悪質な好敵手ができてしまったわけですわ」
迷惑がるその口ぶりとは裏腹に、意思を宿した瞳は満更でもないと告げていた。
この場で戦いが始まろうと、ヤツハ自身に止める術はない。そもそも動機からして止めるべきかも分からない。クルルは昔話の途中から船を漕いだままだし、どちらを止めるべきか悩んでいるのか、険しい顔つきで両者を見比べるハツミだけが唯一の頼りだった。
張り詰めた空気の中、相対するミズキとコダマ。
じり、とコダマの足が畳を噛み、ミズキの顔が悠然と笑みを深める。
「で、コダマ。あなたのお誘いですが――」
口火を切ったのは、ミズキだった。
しかし彼女は、いきなりすとんと肩の力を抜いて、醸し出していた覇気を引っ込めた。
真に告げたのは、辞退の意であった。
「今日はお断りしますわ」
「……何故だ」
特に怒る様子もなく、コダマが心底不思議そうに問う。どんな形であれ争いが起こらなかったことに安堵しているのか、ハツミが温かい笑みを静かに浮かべていた。
ミズキはそう訊ねられること自体が疑問だというように、
「あなた、つい三日前も同じ調子で来たではありませんか。最近は異常ですわよ。わたくしはあなたほど戦いに狂ってはおりませんの」
「そう、か……そうだったな」
事実を突きつけられて、困惑したようにコダマは頭を掻く。漲っていた闘志も鞘に収められていき、幾ばくか息がしやすくなったとヤツハは人心地つく。
「どうにも最近、気が高ぶって仕方ないんだ」
「自覚しているのでしたら改めてくださいませ。わたくしはまだしも、お客人の前ですし」
「それは悪かった」
軽く頭を下げるコダマ。
それに乗じ、ミズキはヤツハたちへと意識を向け直した。
「話が反れてしまってごめんなさい。彼女はコダマ、お聞かせした通り昔は敵同士でしたけど、今はこうしてちょくちょく顔を出しに来る間柄ですの。まあ、そのほとんどが戦いをふっかけに来てるわけなのですけれど」
「コダマだ。オマエは?」
紹介を受けて改めて名乗るコダマに、ヤツハも名乗り返して簡潔に今までの経緯を説明した。その際のコダマは、先程の闘気が嘘のようにただ静かに耳を傾けるだけで、是も非も示さずにヤツハの境遇を受け入れたようだった。
それからコダマは腕を組み、うーんと唸り始める。
「ミズキとやり合えないのは残念だが……」
意識の先は、ヤツハたち三柱だ。表面上は引き下がったようでも、まだ闘志がくすぶっているらしい。
ヤツハは自己紹介の過程で権能のことを聞いていたため、すぐに品定めの対象から外れる。クルルに至ってはほぼ素通りだった。
そして残るは、
「……ん」
コダマとハツミの目が合った。その様を目撃してしまったヤツハは、内心、偉大なメガミであるハツミが戦うとすごいのだろうか、などと遠慮がちに考えていた。
ただ、当のハツミは焦りも顕に、正座をしたまま器用に後じさった。
「はわわわっ……!?」
「そうか、ハツミか……」
そのつぶやきを拾ってハツミがミズキを見やるが、むしろ納得したように感心を浮かべていた。
けれど、やはりハツミは無駄な争いを好まないようだ。見せてしまった動揺を収めていきながら、双方を見据えて言葉を紡いでいく。事実、彼女が自らの権能をむやみに戦いに使いたがらないのは知られた話であり、この場のメガミたちも捉えていた。その裏で冷や汗をかきながら、ただ単純に痛い目に遭いたくないと考えていると気づいたものはいなかった。
「そ、それじゃあ意味が、な、なくないですか? コダマはミズキとの戦いを望んで、ここまで来たんでしょう?」
「その通りだが……決断したミズキは梃子でも動かんからな」
「いやいや……――えーと……あ! そ、そうです。本人が戦わなくても、メガミの力の比べ合いだったらやりようがありますよ。代理戦争なんて……どうでしょう?」
まだコダマはしっくり来ていないのか、首を傾げる。
その様子にハツミは、浮かんだ考えを妙案だと信じているのか、どこか熱を持って説明を続ける。言いようによっては、必死そうに、と形容すべきなのかもしれないが。
「自分たちを宿しているミコト同士を戦わせるっていうのも、たまにはいいと思いません? ここからならちょうどお隣同士で、山城も菰珠も、腕の立つミコトを連れてこれるんじゃあないですかね?」
ぱちり、と。そこまで聞いたところで、コダマは目を大きく瞬かせた。そしてにやりと笑い、抑えられていた戦意が漏れ始める。
「なるほどな……気に入った。決闘は菰珠の望むところだ。幸い、あてもいる」
「そ、それはよかった……で、ミズキは……?」
いつの間にか間を取り持つ立場に収められてしまったハツミが伺うと、ミズキは唇に指をあてて考えているところだった。それもややあってから、何か面白いことを思いついたように不敵な笑みを浮かべ始める。
「わたくしとしても、折よく心当たりがありますの」
悪戯めいているようで、その眼光は鋭い。送り出すのが一人であろうとも采配とは軍師の本領であり、コダマとは正反対の、受け身の闘志とでも言うような気配が立ち上る。
ミズキの視線はコダマ、ハツミと移り、それはやがて第三者として成り行きを見守ろうとしていたヤツハで止まる。
そして、どきり、とするヤツハをよそに、差し出されたミズキの手が采配を告げた。
「わたくしの代理として……この『旅のミコト』ヤツハを指名しますわ」
「えっ――ええっ……!?」
全く予想だにしていなかった言葉の意味を一拍遅れて理解したヤツハは、その荒唐無稽さに目を点にした。コダマもまた予想外だったようだが、説明を待つまでもなく口角を上げて期待を示す様は、ひとえにミズキへの信頼からであろう。ひっそりと驚愕のまま凍りついているハツミとは対照的だった。
「わ、私、桜花決闘をしたことなんてありませんよ……ミコトというのもあくまで方便ですし、ミズキさんのお力を使えるわけでもないですから……」
「だからこそ、ですの。この決闘の間だけ、わたくしの力を貸して差し上げましてよ」
「貸す、って……」
さも当然のように言われたところで、まだヤツハは腑に落ちてこない。
そんな彼女を見て、ミズキは一寸笑みを消し、真剣な面持ちとなる。そして、さらに面食らった形となったヤツハをじっと見つめた。
「これはあなたには必要な経験だと思いますのよ。この地を知るためにも、メガミがなんたるかを知るためにも、桜花決闘は避けては通れませんわ。……無論、わたくしの興味本位という側面は否定しませんけれど」
「そう、言われましても……」
その説明であれば理解もできるし納得もできる。けれどヤツハが困惑を眼差しを畳に落とすのは、未知の経験への足踏みと、一人で舞台に立たなければならない心細さからだった。
だが、そんな彼女を知らない場所へと連れて行く存在が、一人いる。
「なぁーいすあいでぁ!」
「あ、起きた」
もはや頭が畳につきそうになっていたクルルが、突如うたた寝からがばりと飛び起きた。
彼女は傍に置いていた背嚢へ手と頭を突っ込むと、荷を掘り進めながら興奮のままに叫びを上げる。
「なんで思いつかなかったんでしょう! 桜花決闘として宣誓すれば、ミコトの立場としてやつはんが自身のちからを引っ張り出せるかもしれないじゃないですか! ないすあいであですよぉ、みずきん!」
「……ですってよ、ヤツハ」
意外な助け舟が来たとミズキは半ば呆れる。
自分の背中を押す二人を交互に見つめて、ヤツハは彼女たちの意図が本当に自分に向けられているのだと悟る。何も知らないヤツハを、面白いからと戦いの場に放り出す者たちではないとは分かっていたものの、一歩を踏み出すためには必要なことだった。
そしてその一歩は、一瞬の逡巡の後、頷きとなって現れる。
前へ。自分が自分のためにできる好機へ。
「分かりました。やらせてください」

袖の中で握りしめた拳に、じとり、汗が滲んだ。