八葉鏡の徒桜

エピソード1−4:鞍橋でるんるんお買い物

 

 桜降る代における物の流れは、概ね咲ヶ原を中心として輪を描くように形成されている。東で言えばそれは、龍ノ宮から南北にそれぞれ滝口や瑞泉、蟹河と繋がり、さらに北や西へと運ばれていく流れに現れている。その商流を西に辿っていった際に避けて通れないのが、西部三都として古鷹と名を連ねる鞍橋という街であった。

 

 

「さァ、買ってった買ってった! 今日は山淵の柿が美味しいよォ! こんな採れたて他じゃ買えないよ!」

「あいよ、鰊ね! ひぃ、ふぅ、みぃ――あぁー、ちんまい子供が着いてっちゃって、しの、ごの、ろくはこれもうおまけッ!」

「お姉さん、味見だけでもしてってや! 燻した羊やねんけどめっちゃうまいんよ」

 

 商人が作り出す喧騒が場を満たす。道の両側に構えられた店が前のめりになるように軒先まで品物を並べているため、密度の高くなった雑踏では行き交う人々と肩がぶつからないようにするだけでいっぱいいっぱいとなる。

 肉屋の誘いを会釈で断ったヤツハは、一瞬目を離した隙に人ごみに紛れそうになった一行に慌ててついていく。

 

「す、すごい活気ですね――あっ、ごめんなさい……!」

「人除けがいてもこれですからね」

 

 彼女たちの先頭では、大きな背嚢を背負ったクルルが人をかき分けるようにして商店街を突き進んでいた。時折、その大荷物ではなくクルル本人を認めたらしい客が、そそくさと端に避けていく光景ももうヤツハには慣れたものだった。

 古鷹の都を後にしたヤツハたちは、そのまま南下すること三日、商いの街であるここ鞍橋を訪れていた。

 西の物流を支える鞍橋の都は、人々が商っているというより、巨大な商店街に人が住んでいる、と言ったほうが修辞として似つかわしい。昔は街道沿いに商家が連なっているだけだったものが、我も我もと店を構えるうちに街となり、今では誰も全容を把握できないほどの広がりを見せている。それを取りまとめているのが、家としての鞍橋であり、彼らを中心とした大商会・鞍橋商店会である。

 

 扱う品々は多種多様。ヤツハたちの寄った芦原の海鮮物を始めとした食材から、古鷹の工芸品や瑞泉・煙家の絡繰、果ては鉱石、材木などの資材まで、この地で生み出されるあらゆる物が集まる。その幅広い品揃えに誰が言い出したか、『メガミ様とのご縁も用意してもらえる』なんて不埒な冗談も出てくる始末である。

 

「いつもこんな感じなんですか……?」

 

 軽く背嚢を摘みながらついていくヤツハ。様々な品物に興味を惹かれているようで、忙しなく首を動かしている。

それにクルルは振り返ることなく、

 

「だいたいいつもわちゃわちゃしてますねぇ。場所にもよりますが」

「食べ物扱ってるこの一帯は特にそうだと思いますよ。ここまで集まってくる分、足の速いものはすぐに捌かないといけないんで、売る側も必死ですし買う側もおちおちしてられませんから。まあ、魚はどうしても無理なんで干し物か塩漬けですけど」

 

 説明を継いだハツミもまた、安全なクルルの背後を確保するようにそれとなく位置取りする。

 それから彼女はさらに続けて、

 

「こんな目抜き通りとはまた違って、古鷹みたいな上品な通りもありますけどね」

「木の置物とか、扇とかを扱ってるんですか?」

「それもありますけど、鞍橋の老舗が集まってるってわけです。お高い商品を扱ってたり、ものによっては家の名前じゃないと買わせてくれないお店もあるらしいですよ。正直どこになんの店があるのか全然覚えてないんですけど、いつの間にかそういう雰囲気のガラッと変わった場所に出るので、たまに来てみると結構楽しいんですよね」

 

 その意見にはクルルが同調したようで、彼女は周囲の迷惑など考えずに背嚢を振り回してハツミへと振り向いた。

 

「そうなんですよぅ! ふらっとしてたらびびっ、とくるのもまた探検の醍醐味ってやつですぅ! ここがそれだけのかおすを抱えてるってことですなぁ!」

「あー、はいはい分かりましたから、危ないんで前向いてください」

 

 それから一行は食材の通りを抜けると、少し開けた場所へと出た。広場、というにはまだまだ雑多ではあるが、今までの通りよりは断然見晴らしがいい。それは建物が存在しないことに起因しており、ただ茣蓙が敷かれていたり、屋台が立ち並んでいたりする空間だった。

 ただ、変わることのない活気の質に、ヤツハが問う。

 

「ここもみんなお店なんですか?」

「露天商ですね。しっかりと構えられたお店がある一方で、こんなさっぱりこぢんまりとしたお店もあるんですよ。何扱ってるのか分かんないですけど、掘り出し物が見つかったりもするんで、通がよく来るとか」

 

 先程までは一人の店主が多数の客を相手にしていたが、程々の人通りに落ち着いたこの一角では、一人の客を捕まえて熱心に商品の良さを説いている光景が散見される。

 店先に並べられる品々も実に種類に富んでおり、瑞々しい野菜から、独特の模様で彩られた手作りの玩具、市井の人が身につけているような衣類をそれぞれ持ち寄っており、出汁の香り漂わせる立ち食いの蕎麦屋まで存在する。

 

 ゆったりと、進むヤツハたちの歩みはやや遅いものとなっていた。この好奇心を刺激される混沌とした場所では、人もメガミもふとしたきっかけで足を止めてしまう。整然とした場にはない魅力に、ヤツハの瞳が輝いていた。

 そうして三柱で並んで露店街を見物していたが、

 

「およっ? 虹が見える眼鏡とな……?」

 

 何か目に留まったのか、クルルが考えを全て口から漏らしながらふらふらと道端に導かれていく。向かう先の茣蓙の上では、店主が筒を覗き込んでくるくる回す様を、客に実演して見せていた。

 ハツミは、一言も断ることなく離れていったクルルに苦笑いする。

 

「子供じゃあないんですから……ねえ、ヤツハ?」

「そうですね……」

 

 しかし、返ってきたのは生返事。どういうことかとヤツハを見やれば、既に謎の筒に夢中になっているクルルとは別に、それとは反対方向の何かをちらちらと気にして見ているようだった。その視線の先では、豪奢ではないものの可憐な刺繍のあしらわれた衣服が並んでいた。

 隠しきれない本心に、今度はハツミはため息をつく。

 

「あたしも色々見たいものがありますし、ここは一つ、別行動といきましょうよ。次の鐘が鳴ったらここにまた集合で。どーでしょ?」

 

 妙な体勢で、両手の人差し指をヤツハに向ける。

 それが心遣いだと理解した彼女の顔に、微笑みが咲いた。

 

「ありがとうございます、ハツミさん! 私、ちょっと見てきますね!」

「あいあい、いってらっしゃいな。――クルル、聞いてましたか!?」

「んー? 別にいいですよー。……ほうほうこうなると。こうぱたーんが揃ってるってことはぁ」

 

 ヤツハを見送ったハツミは、はしゃぐクルルを置いて自身もまた雑踏へと紛れていった。

 

 

 

 

「そちらの首飾り、大変よくお似合いですねえ」

「え、あっ、ありがとうございます。向こうでおすすめされたもの、なんですけど」

「それはそれは! 選んだ店主もよい感性をお持ちだ……そのお召し物に映える、いい色合いですね」

 

 きらり、とヤツハの胸元に、鮮やかさと深みをそれぞれ持った緑の泳ぐ硝子玉が連なる。両手に抱えた衣類を持ち直す動きに合わせ、その彩りが揺れる。

 屋台のあちらこちらに装飾品をぶら下げている店の主は、そのふくよかな顔をやや伏せた。

 

「ですが、少し残念なことに、そのお持ちになられているお召し物……おそらく今しがた買われたものかと思いますが、その首飾りだと一寸合わないかと」

「そう、なんですか」

「そうお気を落とさないでください。うちにある品の中からは……そうですねえ、この手飾りなどはいかがでしょう。お客さんはただでさえお美しいわけですから、ごちゃごちゃしたものよりも、さり気なく一点の彩りを添えてあげるだけで十分かと」

「えっ、ええっ……!? そそ、そんな、綺麗だなんて……」

 

 差し出された赤い石を通した紐の飾りのように、ヤツハの顔がほんのり紅潮していく。手を振って否定を示したくても、折り重なった衣服たちが邪魔をする。

 

「ささ、試着はしてくださって結構ですので。手を通すだけですから」

「じ、じゃあ――」

 

 勧められるままに受け取ろうとしたヤツハだったが、差し出そうとした手が何を握っていたのかを思い出して止めた。その財布の中に入っている路銀だって有限なのだ。

 

「うぅーん、ごめんなさいっ! また今度にしますね……!」

 

 どうにか理性で店主の魔の手から逃れたヤツハは、貼り付けた笑顔のまま気が変わってしまわないうちに店の前から立ち去った。よろよろとおぼつかない足取りで再開した行程は、まだまだ序盤も序盤である。

 どうにか理性を呼び戻しながら眺める露天は、やはり彼女にとってはどれも新鮮に映る。草をすり潰している店主はどうやら薬を扱っているようだし、木彫りのお面が所狭しの並ぶ屋台には圧倒される。刺激的な香りのする屋台の看板には、何故か火を噴く見知ったメガミが描かれているし、算盤を持った眼鏡の少女が座った姿の金色の像というあまり理解できない品もある。

 

 と、そうやって露店街を流していたときだ。

 つらつらと視線を遊ばせていたヤツハが、ふと足を止めた。

 

「あ……」

 

 傍らの茣蓙の上で大事そうに並べられたソレに、意識が注がれる。

 それは、手のひら大の鏡の欠片だった。土埃を被ったままなのか、金属光沢で眩いばかりの鏡面は鈍い色を返すのみ。縁は青銅といった色合いで、直線的な模様が走っているが、一部しか見えないためか、その意匠の意図をうまく汲み取ることはできない。

 

 その店には他に古めかしい壺や皿が並べられており、干し草の敷かれた木箱に収められてはいるものの、鏡はその中でも見た目にみすぼらしいものであった。けれど何故か、ヤツハはそれが目に留まって、立ち止まってしまったのである。

 理由は判然としない。だが、全く出どころの分からない親近感を、その鏡に覚えていた。自分の姿が映った、というのであればまだしも、どれだけ見つめようと鏡が応えることはない。長い間見つめ合っているような気がしていても、周囲の景色は瞬き一つろくに進んでいなかった。

 

 そうしていると、追いつき始めた時の中で、その店の主がヤツハの様子に気がついた。

 

「そこの姉ちゃん、さあどうだい! 気になるんだったらもっと近くで見てっておくれ!」

「え、あの……」

 

 言葉に詰まる。求めていたわけでも興味をそそられたわけでもないヤツハには、商機を見いだされたらしい店主に応えられることはない。しかし、依然として彼女の目は鏡の欠片に向いたままだった。

 それを肯定的に捉えたのか、もみあげまで続く整えられた髭が特徴的な店主は、咳払い一つしてから商品の説明を始める。

 

「この鏡、ただのガラクタじゃあないんだ。なんと、あの危険極まりない北限へと、勇敢にも挑んだ探検家たちが持ち帰った不思議な鏡――その一欠片なのさ」

「…………」

「その不思議、ってのがこれまだ不思議なもんで。ミコトたちが言うには、この鏡を使えば正体の知れない強力なメガミ様の力を宿すことができるって話なんだよ」

 

 ぞぉ、と。

 まるで図星を指されたような動揺に、考えるより先にさぶいぼが全身を駆け巡った。

 立ち尽くすヤツハは、思わず店主に訊ねる。

 

「どんなメガミか、分からないのに……宿すことって、できるんですか」

「それはミコト連中も思ったさ。現に、そのメガミ様を拝んだ奴もいなけりゃ、口を利いてもらった奴もいねえ。代わりに、なんだか夢で会ったような……なんて曖昧なことを皆言ってるらしいが、宿すときの感覚は他のメガミ様に請願するのと変わらねえ、ときたもんだ。馬鹿げた話だろう? 宿した連中のほうが理屈を知りたがってんだから」

 

 だが、と店主は胡座のまま、上半身だけ乗り出した。

 口に手を添えて、わざとらしく声を潜めて告げる内容は、夢幻のような鏡の由来を補強するものだった。

 

「そのメガミ様の力が強えってのは本当さ。ついこの間、達人ばかりを招待して開かれた特別な大会に、その妙な力を使ってたミコトがいたんだよ。決闘に勝つために手をのばす奴がいるって噂は聞いていたんだが、眉唾だろうと思ってた同業も皆目を覚まして、今こいつを必死に仕入れようとしてるところだ」

 

 よく観察しようとヤツハが丸めた背中に、服が張り付いた。さほど暑くもないのに、気づけばあちこちから汗が流れていた。

 店主の言葉が耳から入ってくるたび、胸の奥で予感とでもいうべき胎動が加速していった。自分のことを直接言われているわけではないのに、否が応でも連想してしまう北限での始まりが、どうしても自己との繋がりと見出してしまう。

 

「ってなわけで、どうよ! 今一番の目玉商品、ここで逃すと後はないぜ?」

 

 店主の宣伝文句に反応することなく、物が地面に惹かれるように、ヤツハは膝を折ってまじまじとその鏡を見つめた。

 己の手の中にないことが不思議に思える。

 元の一枚鏡を全体像を知っている気がしてならない。

 今は曇ったその輝きの向こうに、煌めく夜空を幻視してしまった。

 

「…………」

 

 断りも入れず、ヤツハのその右の手が鏡へと伸ばされていく。恐る恐るでもなく、嬉々としてでもなく、ただただ己の身体の一部に触れるかのような自然さであった。

 そして、その細指が触れようとした――そのときだ。

 

「待った」

「っ……!?」

 

 伸ばしたヤツハの腕が、力強く掴まれた。

 鏡に吸い込まれていた意識が突然表層に引き上げられ、身体の中身がひっくり返ってしまうほどの驚きに言葉すら出なかった。大きく身体を震わせた挙げ句に体勢を崩し、掴まれていない左手で倒れそうになる身体を支える。買ったばかりの服が、地面に投げ出された。

 息も詰まらせたまま、何事かとこわごわと顔を上げるヤツハ。

 

「ごめん、そこまで驚かすつもりじゃなかったんだけど」

 

 その目に映ったのは、一人の見知らぬ少女だった。ヤツハの予想外の反応に目を丸くしながらも、これ以上倒れないように掴んだ腕を持ち上げていた。

 それから少女は、自分の行いの結果にばつの悪さを覚えたように苦笑いしながら、宙に視線を彷徨わせた。口から漏れる声にならない音に、どう言葉を続けたものか迷っているようだとヤツハは身構えてしまう。

 やがて、

 

「でも、その鏡には触んないほうがいいよ」

 

 空いた手で頬をかきながら、それでもはっきりとした言葉を選んで、少女は訳を告げたのだった。

 

 

 

 

 手を借りながら立ち上がってみれば、少女はヤツハとほとんど同じか僅かに低いくらいの身の丈だった。顕になった肢体はしなやかで生命力を感じさせるものであり、その夕焼け色の髪はあまり整えられておらず、横合いで一筋編み込まれている程度。瞳に宿る意思は強く、野を駆ける肉食獣のような野生を感じさせてならない。

 彼女の手には結晶が見て取れ、肩にかけた荷と共に、無骨な金属板のついた手袋がぶら下がっていた。

 

 そんな少女に対し、落としてしまった服を拾い上げてから、ヤツハは自身にとって意外な制止への疑問を呈する。

 

「どうして……でしょうか」

 

 しかし少女はその問いに、まるで当然のことを改めて訊かれたかのように困惑の色を浮かべた。ヤツハとしては己の知識のなさを露呈してしまったのか、と不安が過る。

 一呼吸置いた少女からは、もうヤツハを驚かせたことへの申し訳無さは消え失せていた。出鼻をくじかれたとばかりに態度を入れ替え、はっきりと物を言う姿勢で本題に臨む。

 

「それ、何なのか聞いた?」

「……はい」

「なら、もっと気をつけたほうがいいよ。これまでの桜降る代に、こんな形で請願を求めるメガミなんていやしなかった。いくらそのメガミの力が強くって、でも昔話の武神みたく危険だって話がないとしても、裏に何があるか分かったもんじゃない。それに――」

 

 そこで少女は、一旦言葉を区切った。何を伝えればいいか分かっていつつも、どう言語化すればいいのか言葉を選んでいるようだった。

 やがて、彼女は迷いながら言葉を紡ぎ出した。

「……うーん、どう言ったものかな……。そうだな、うん。その鏡は……、普通じゃない、かな」

「普通じゃない、って……」

 

 額面だけ捉えれば、今までの話からすればなんの補足にもなっていない。それが答えに窮した言い訳のように聞こえてしまい、ヤツハの中にじわりと反感が滲み出す。

 

「起こってることが普通じゃない、ってだけじゃない。感覚的な話なんだけど、もっと根っこのところで異質に感じる……そう、気味が悪い、って言えばいいのかな」

「…………」

「だから、ボクはこれに手を出すのはやめたほうがいいと思う」

 

 それが、少女の揺るぎない結論のようだった。砂上に立つ楼閣のようにあやふやな理屈であっても、決して取り下げることはしない固い意思を漲らせている。

 しかし、ヤツハはその曖昧さなんて気にしてはいなかった。それよりも、鏡に向けられた少女の意見がどんなものかを知るにつれ、今まで存在することすら知らなかったような澱んだ感情が心の奥底から染み出してくるのを感じていた。

 

 普通じゃない、異質だ、気味が悪い――それらが鏡に向けられた言葉であると理解はできるのに、どうしてかヤツハにはそれが自分に向けられているような気がしてならなかった。今は曇ったその鏡に映る自分の像に、心無い否定を投げつけられたかのようだった。

 そんなことはないと思う彼女もいる。けれど、罅の入った鏡と痛みを分かつように、ただ親近感というには大きすぎる感情の余波に揺さぶられる。この世界を歩き始めたばかりのヤツハは、どこかその世界に否定されたかのように胸をざわつかせていた。

 

 理性はもちろん、少女が善意で忠告しているのだと判断している。だが、善意だからこそ刺さる言葉もあるのだとヤツハは学ぶことになった。

 胸の中で生じた摩擦は、彼女が得た傷を撫でていく。痛みはやがて少女の言動への理解も見失うほどに胎動し、不可解な想いを抱くに至った不可解な忠告への憤りが生み出されていく。

 そして臨界を越えたそれは、反発となって溢れだした。

 

「どうして……そんな……!」

 

 

 無意識に口にした悲憤に、戸惑った少女の視線が刺さる。それに、はっとしたように己を省みたヤツハは、表した憤りも忘れたように動きを止めた。叩きつけた言葉に申し訳無さを覚えるわけでもなく、自分の心の動きと行いに思考が追いついていないようだった。

 少女は、突然のヤツハの反発に口を結んだままだった。依然として真っ直ぐな瞳は変わらないものの、僅かにひそめた眉に不審が浮かんでいるようだった。

 その様子がもう見ていられなくなったのか、今まで様子を窺っていた店主が割って入る。

 

「頼むぜ、嬢ちゃんたち。お話したいんならよそでやってくんな。店の前でそんなピリピリされちゃあ敵わねえよ」

「おわっと、ごめんなさい」

 

 たった今店主の存在に気づいたように謝罪を口にした少女は、

 

「なら、ボクがその鏡を買うよ。それなら構わないよね?」

「まあ、それなら……」

 

 大柄だった店主は、申し訳無さそうに身体を縮こませて、ヤツハのほうを窺った。

 

「お客さん、いいのかい? あんたを優先するが」

「いえ……構いません……」

 

 絞り出した返答が、街のざわめきに溶けていく。彼女はまだ、自分の知らなかった感情が爆発した衝撃から立ち直れていなかった。

 けれど、燻り続ける少女への小さな反感は、鏡がその手に渡ることへの不信を訴えていた。

 口にはしづらいが、伏せられていた目は少女を窺い見る。

 

「でも……」

 

 それに少女は困ったように頭をかくと、

 

「ええとね、実は北の友人に、この鏡を回収するよう頼まれてるんだ。これが北で見つかったのは聞いたよね?」

「…………」

「だから、ボクが使うわけじゃない。人助けだと思って譲ってくれないかな」

 

 ヤツハにとっての論点はそこではなかったが、もうヤツハに反論する気力はなかった。立ち尽くし、胸中で渦巻く複雑な感情を持て余していた。一つ一つ理性で解きほぐすことも難しい、難解な絡繰を唐突に与えられたようだった。

 だから、ヤツハにはもう少女のことを気にする余裕はなかった。むしろ衝動をぶり返してしまわないように、今だけは視界に入れないようにすらしていた。

 

「へい、毎度」

「……あんがと」

 

 代金を払う少女の注意は、受け取った鏡ではなく、ヤツハに向けられていた。

 そのほんの束の間の出来事すら知ることなく、やがてヤツハは一人、露店街の中にぽつんと取り残されたのであった。

 この街で鳴らされる鐘は、昔から人々に時を知らせているのだと、鞍橋に入ったときにハツミから教えられた。けれどクルルは、鐘と鐘の間隔が長すぎると時計の話を持ち出していた。これなら、いつでも正確に時間が計れるのだ、と。

 そのときはせっかちだな、とヤツハは思ったものの、鐘が鳴って久しい今、一人で過ごす時間の長さにクルルの時計が恋しくなっていた。暗い気持ちを友とするには、ただ目安もなく待つ時間は辛いものがある。

 

 露店街の一角に佇み、一帯を眺めることもなくただ俯くヤツハ。人様のものかと思うと、店舗の壁も積み上げられた木箱も、背を預ける気にはならなかったようで、少し土を被った服を抱きかかえて立ち尽くしている。

 と、

 

「ヤツハー、おまたせぇー!」

「あ……」

 

 呼ばれた名に顔を上げれば、露店街の奥からハツミがクルルの手を引いて駆けてきたところだった。こころなしか、別れる前よりもクルルの背嚢が膨れているようだった。

 

「いやー、こいつやっぱり話聞いてなかったみたいで、鐘が鳴っても絡繰売ってた店の人を質問攻めにして困らせてたんですよ。待たせちゃってたらすいませんね」

「はつみんだけ先戻ってて、って言ったじゃないですかぁ」

「そしたらまたどっか行っちゃうでしょうよ!」

 

 言い争いをしながらヤツハの下へと戻ってくる二柱。その姿を認めて、ヤツハは僅かに口元を緩めた。

 その様子を目にしたハツミとクルルは、足を止めてお互いに顔を見合わせる。

 そして、先に口を開いたのはクルルのほうだ。

 

「やつはん、どーしたんですかぁ?」

「え、っと……」

 

 配慮など何もなく、事実を確認するような口ぶりで彼女は訊ねた。あまりに直接的な問いに、ヤツハは少女との出来事を想起してしまい、言い淀む。

 そこへハツミは、生まれかけた雰囲気を無理やり払拭するように、

 

「あれ、その持ってるの、もしかして買った服ですか? ちょっと見せてくださいよ!」

「え……? ど、どうぞ。落としてしまったので、少し汚れてますけど……」

 

 戸惑いながらも、抱いていた服を差し出し、あるいは腕に乗せるようにしてハツミたちが見えるようにする。

 

「おー、いいですね! これなんかとっても似合いそうで――あれ、その首飾りも買ったやつですか? 可愛さマシマシじゃないですかー、いい買い物しましたね! クルルもそう思いません?」

「くるるんは細かいとこはからっきしちゃんですけどねぇ。でもかわいいとは思いますよぉ」

 

 クルルの興味も、方向性こそ違えど、ヤツハの戦果へと向けられる。何か訊ねようとしたことなどあっという間に忘れたようで、商店街の一角で即席の品評会が催される流れとなる。

 共に旅をしてくれている皆とのそんな時間が、ヤツハを再び笑顔にさせた。

 

「ありがとうございます……! ……お金、たくさん使っちゃいましたけど」

 

 はにかんで軽く頭を下げる彼女に、軽快な笑いが三輪、咲いた。

 

 

 

 

「やっぱあの子、普通じゃない、よなぁ……」

 

 商店の物陰からその様子を眺める夕焼け色の髪の少女が、ぽつりとこぼす。

 人間がメガミと直接関わることは、そのメガミが土地に根ざしていない限りはよほど稀だ。それが二柱ともなれば尚更であり、ミコトでもなければ事情に想像を巡らせるのが正しい反応である。

 ただ、それはあくまでその人間が秀でた者かどうか、という観点であり、少女にとって今は当てはまらなかった。

 

 今は名も知らぬ黒髪の女――ヤツハには何かがある。

 直感を裏付けるように、あまつさえクルルなんてメガミと行動を共にしている瞬間を目の当たりにしてしまえば、想像の翼が羽ばたいてしまうのを抑えられなくなるというものだ。

 

「うーん、コダマ様に相談してみようか。ここからなら、菰珠も山城も遠くないし」

 

 思ったより大事になってしまったとでも言いたげなぼやきが宙に消える。

 彼女の傍ら、地面に置かれた荷の麻袋の口からは、きらきらと、鏡の欠片たちが鈍く光を照り返していた。