ゆさゆさと揺れるクルルの背嚢から、芳しい海の香りが漂う。藁縄で括られた何尾もの魚の干物が、ぷらぷらと歩調に合わせて宙を泳いでいた。荷が溢れた行商人にしても乱暴な扱いをされているが、それらは全て芦原の民から餞別とばかりに贈られたものだ。
「結構、長居してしまいましたね」
それを苦笑いしながら眺めるヤツハは、遠ざかっていく町並みと潮騒に後ろ髪を引かれているようだった。
対してクルルはそっけなく、
「人間たちも飽きないものですねぇ。裸になって騒いでただけじゃあないですか、みんなおんなじむきむき達磨さんでしたし」
「そんなことありませんでしたよ? 人や格好によって、同じ箇所でも全然違いました。身体って奥深いんですね、ずっと時間をかけて鍛錬してこられただけあります」
「改造すれば早いのに、無駄ですねぇ」
理解できない、といった様子で振り子のように首を振るクルル。平衡感覚が乱れそうなものだが、その足取りはきちんと街道の南へと向いている。
と、そんなクルルの言葉に小さく反論する者がいた。
ハツミだ。
「ちょっとちょっと、やめてくださいよ。芦原に帰ったら、みんながびっくりどっきり絡繰人間になってたら流石にやですよ」
わざとらしく渋い顔を作ってみせた彼女の言葉に、ヤツハはくすりと笑った。
海の漢祭も三日見たところでヤツハたちは旅の目的を思い出し、芦原に入ってから四日目のこの朝に名残惜しくも出立となった。その際にハツミが同道するということで、筋肉軍団に盛大に見送られたばかりであり、大量の貢物のごく一部だけを頂戴して今に至る。
だが、とヤツハは聞きそびれていたことを訊ねる。
「でもよかったんですか? お祭りもまだまだ続くでしょうに、私たちについてきてくださっても」
「えっ」
ヤツハがハツミの同行を知ったのは、ちょうど宿を辞すときである。それからハツミにぐいぐい背中を押されるように先を急がされたものだから、その目的をまだハツミ自身の口から聞いていなかった。追いついてきた漁師たちに揉みくちゃにされかけたのだから尚更である。
ハツミは虚を突かれたようだったが、あれこれ手を彷徨わせてから、こう答えた。
「ふふ、何言ってるんですか。記憶がなくなったあなたを、同じメガミとして放っておけるわけないじゃないですか。あたしに何ができるか分かりませんが、微力ながらお手伝いさせてもらいますよ!」
「……!」
その宣言に、ヤツハは感激のあまりに一瞬声を失った。
人々を導く素晴らしいメガミは、自分のような境遇の者にも心を尽くしてくれるのだ、と。
そしてハツミの手を取り、瞳を輝かせながら、
「ありがとうございます、ハツミさん! 守るべき芦原の人たちもいるのに、祭を抜け出してまで私のために……」
「も、もちろんお祭りも大切ですけど、半年に一度はあるんですから、また……く、来ればいいわけですからね。は、ははっ!」
眩しい視線がきらきらとハツミへと注がれる。
ただ、その純朴さを直視できないハツミはばつが悪そうに目を逸らしていた。彼女の脳裏に浮かぶのは、ヤツハたちが明朝経つことを耳にした昨晩のことである。
『ええっ、旅立たれる!? 明日は上腕二頭筋祭の予定だったのですが……』
月の浮かぶ海を背景にとても残念そうにつぶやく筋肉の姿を、ハツミが口にして伝えることはない。
「やっつはーん、はっつみーん、早く行きましょうよぅ」
「あっ、ごめんなさい!」
そんなこととはつゆとも知らぬヤツハは、先行していたクルルへと慌てて駆け寄る。同じく並んだハツミは、頭の中から嫌なものを追い出すように頭を振っていた。
芦原から南へと続く街道は、右手にしばらく海岸線を眺め、正面から左手にかけて小高い山が聳えている。この山を起点として東に行くか西に行くかで大きく道が分かれていたが、彼女たちは今、海沿いを南西に向かって歩き始めたところであった。
「次の町も、芦原みたいな海沿いの町なんでしょうか。何という町ですか?」
そう訊ねるヤツハに、クルルは率直に答えた。
「古鷹です。海海って感じじゃないですねぇ」
「西のほうでいっちばん有名な、文化と芸術の都ですよ。漁師連中みたいなむさ――雄々しい人たちじゃなくて、歌を詠んだり音楽を奏でたり……優雅って言えばいいんですかね、そんなところです。芦原よりずっと大きいですよ」
説明を引き継いだハツミに、ヤツハが感心の声を漏らす。
ただ、ハツミは古鷹行きをクルルの口から直接聞いて、少し意外そうな顔を作った。
「しかしクルルは、随分とヤツハに甘いですね。ばっちり観光の旅じゃないですか。あたしとしては別にいいんですけど」
それにクルルは、心外な、と言わんばかりに反論する。
「何を言いますから。やつはんはくるるんの実験に協力してくれた、初めてのメガミなのですよ。これをとれじゃーと呼ばずして何と呼びましょう!」
「……うーん? あー、なるほど……」
クルルなりの言葉に少々意図を掴みかねていたようだが、何かを思い浮かべるように宙空を見上げると、やがてよくない結論に達したようでげんなりとし始めた。
そしてそれは憂慮となり、ヤツハへと向けられる。
「あー、こうなると……、ちょいちょいヤツハ? ちょっと気をつけたほうがいいかもしれませんよ?」
「……え? どういうことでしょうか?」
その懸念は、ヤツハにもクルルにも、等しく向けられているようだった。それが不穏を感じさせ、今まで談笑していたヤツハの顔が僅かに翳る。
ハツミは少し迷ってから、隠すだけ無駄だと思ったのか、さほど声を潜めることもなく忠告する。
「クルルはこれまで色々とやらかしてきて、普通の人間にとっては危ないメガミだとも思われてます。今回も危険だっていうつもりはないですけど、あちらさんが心配しちゃわないように、波風立てないようにしといたほうがいいかもしれません」
「……?」
「ヤツハはメガミとして人々に知られているわけでなく、権能もはっきりしてません。そもそも記憶喪失のメガミなんて聞いたこともありませんからね。そのような存在がクルルと一緒に突然現れると人々は混乱しますし、悪ければ火種だと思われます。だから今はメガミとは明かさずに、あくまでクルルを手伝ってるミコトだ、ってくらいにしておいたほうが無難だと思います」
まあ、とクルルを見やってから、
「ミコトの手を借りてクルルが何かしてる、っていうのも警戒されるかもしれませんけどね。それでもまだ、真面目に名乗るよりは随分マシだと思いますよ?」
「そう、ですね……」
訴えかけられたヤツハもまた、クルルに視線を向けた。力、ないしは存在が危険だと見做されたのはヤツハの旅の始まりでもある。クルルはそれでも呑んで手を差し伸べてくれたが、それが少数派であることを、ハツミの言葉で改めて認識することとなった。
滲む不安を隠すように、垂れた袖を握りしめる。
ただ、そんなヤツハを慮る言葉がクルルから発されることはなかった。
「めんどーなことにならないのなら、それでもいいんじゃないですかね」
単に是非を伺われたから答えたのだという、味気のない返事。きっと、本当にどちらでも構わないと考えているのだろう、とヤツハは僅かに目を伏せ、思う。
様々な発見に満ちたこの旅も確かに楽しいが、それが異様な好奇心によって支えられていることを、こうしてふとしたきっかけで思い出す。その度に、ヤツハはお互いの最大の目的を再確認するのである。
「はい……では、そうさせていただきます」
儚げに笑みを浮かべたヤツハは、視線を目指す先へと向け直した。
芸術の栄える都・古鷹。人々の織りなす多様な芸術のみならず、家々の佇まいからして美しいと称賛されるそこは、どの通りを行っても整然と揃えられた建物が居並ぶ碁盤目状の景観が特徴的である。
人々の様子は、芦原とうって変わって落ち着きを感じさせる佇まいであり、装いもまた華やかながらも主張の強すぎない上品さを醸し出している。緩やかに流れている時間の中でも、彼らが扱う工芸品を始めとした品々を眺めるだけであっという間に過ぎてしまうため、旅人の多くは見きれない街並みに涙を呑んで次の目的地へと向かうのだという。

「うわぁ……! あのお着物、とっても綺麗……。あっ、隣のは兎柄でしょうか。あんな可愛らしいものもあるのですね……!」
賑わう通りの中、呉服屋を通り過ぎるヤツハは何度目かも分からない感嘆の声を上げた。
出立から三日後、険しい山道を歩き通した一行は正午を跨いだかという頃合いでここ古鷹へと辿り着いていた。クルルは特に何か案内するわけでもなかったが、どんどん進んでいく彼女についていくだけでも通り沿いに様子を眺めることはできる。目に映るもの全てが未知であるヤツハにとっては、むしろ密度の濃い街並みにすぐ満腹になってしまわないよう、このくらいが適当だったようだ。
「素敵なものがたくさんあって、目が回ってしまいそうです。一つ一つじっくり見て回ったら、どれだけ時間があっても足りなさそう……街全体がこんな感じだなんて、いいところですね」
「ですよねえ。上品で落ち着けますし、あたしもここは好きですよ」
並んで道を行くハツミが、うんうん、と深く頷く。
先頭に立つクルルは、肩越しに振り返ってヤツハの喜ぶ姿を見ながら、
「そんなに気に入るとはくるるんも思いませんでした。岩切から行ってもよかったですが、こっちにしといて正解でしたかねぇ」
そう言うなり、再び前を向いてずんずんと進んでいく。彼女の足取りはただの散策のものではなく、明らかに目的地がある足取りだ。
今まで街に気を取られていたヤツハは、少し期待も籠めながら問う。
「ところで、どちらに行かれるんですか?」
「ちょいと知り合いがいてですね、ちょーどいいので寄ってこうかと。それが中々面白いところなんですよぉ」
それから歩くことしばし。
すれ違う人が減っていき、辺りが随分と閑静になってきた頃、ヤツハはどうやら都の中心地から離れていっているらしいと悟った。それでも寂れているという印象は一切なく、塗り込められた漆のように味わい深い景観が続いていく。
と、いきなり開けた視界の中、輝ける桜に加え、悠然と構えられた建物がヤツハたちを出迎えた。
「着きましたぁ、ここですよぉ」
中背といった大きさの神座桜に見守られるのは、正方に区切られた演者の神域たる舞台である。床も屋根も厚く、むしろ背後に続いている大きな建物の一部が切り出されて舞台が出来上がっているようであり、その図体の為せることが舞台上に濃縮される印象を受ける。
今は舞台上には誰もおらず、客席として並べられた縁台にも人影はない。ただ、はらはらと散る桜の花びら越しに、演目が始まるその時を静かに待っていた。
「これは……?」
「初ノ條舞台っていいます。ここで歌ったり踊ったり、えー、楽器を弾いたりするわけです」
「そのために、こんなに大きな場所を用意するんですね……すごい情熱を感じます。芦原みたいなお祭りですか?」
「そーゆーやつじゃないです。少なくとも、服は着てると思います」
いっそう深く感心していたヤツハだったが、具体的に想像ができていないようだった。
それを汲み取ってか、ハツミが横から補足する。
「もっとこの街らしい、優雅な踊りですよ。舞、って言ったほうがいいですかね。いろんなものがありますけど、昔話なんかを音楽に合わせて再現するわけです。決闘のお話は激しいけど、基本はゆったりお上品に演じるらしいです。結構定期的にやってるみたいですね」
「なるほど、並んでる物が綺麗なだけじゃなくて、人の振る舞いの美しさを楽しめるのもまた古鷹の特徴ということでしょうか」
自分なりに噛み砕いたヤツハの様子に、ハツミが歯を見せて笑った。
しかし、そこで新たに生まれた疑問をヤツハは口にする。
「あれ……でも、ここにはお知り合いに会いに来た、ということでしたよね? ここで待ち合わせをされているんですか? この後舞を観る……とか」
それにクルルは、にんまりと笑顔を浮かべて首を横に振った。
「いえいえん、むしろどちらかと言えば演じる側ですな」
「……?」
「ここには色んなところにたっくさんの絡繰が仕掛けられていてですね。あの手この手で公演を盛り上げてくれるわけなんですな。火や水を単に出すだけじゃなくて、例えばおっきな絡繰の猛獣を火だるまにして暴れさせたり、そーゆーことをできるようにしてるわけです」
へぇ、と感嘆するヤツハに、クルルは続ける。
「とゆわけで、その絡繰組んでる人間がここに住み込んで働いてるのですよぅ。いやぁ、人間たちも面白いことを考えてくるものですなぁ、はっはっは」
腰に両手をあてて笑うクルルは、この街に入ってから――いや、旅が始まってから数えても上位に入るくらい愉快そうだった。ご満悦といったその様子に、クルルの絡繰に対する嗜好の強さをヤツハは改めて感じ入る。
「ささ、たぶん母屋のほうにいるので行きましょか」
心なしか弾む足取りのクルルを先頭に、彼女たちは舞台の裏手へと回っていった。
「これでは勢いが殺されすぎてしまうように思えてなりませんね……表出までをより早めることは不可能でしょうか」
か細く、けれど不思議と響く声。畳敷きの広間で膝を折った女が、眼下に広げた資料を閉じた扇の先端で示しながら、内容に言及する。
対する眼鏡をかけた初老の男は、髭のない顎をさすりながら、
「それは構いませんが、足元に気を配る必要が出てくるかと」
「無駄に広がらなければよいのです。定められた位置につくのは当然のことですから」
「なる、ほど……そういうことでしたら、全体で四拍ほど早められるように尽力するといたしましょう」
彼らの言葉を、その両脇にずらりと並んだ者たちが静かに受け止める。さらさらと発言を書き留める筆の音が、かち、こち、と何処で刻まれる音と混じり合っていく。
「その代わりとしてですが、こちらの演出時点で主役の位置を――」
議論を続けていこうとした男だったが、そこでふと、その耳を異音がそばだてた。
どたどた、と。
障子の向こうから、まるで落ち着きのない足音が響いてくる。知的な議論には似つかわしくない、廊下で駆け回る子供がすぐそこにいるかのようだった。
この部屋に近づいてくるその足音に、男は我慢ならなかったのか、「失礼」と言い置いて立ち上がる。
そして、なるべく荒らげないように、けれど多少威圧的な声で、外の無礼者へと呼びかける。
「誰だ、今は打ち合わせの真っ最中だぞ。事と次第によっては機関室当番にさせるからな!」
頭の後ろを掻きながら、いかにも集中を欠かされたといったように。
すると、
「ごじょぉーーーーーーーんっ!」
「な……!」
スパァン! と快音と共に開け放たれた障子の向こうから現れたのはクルルであった。荷物を背負っているのに器用にも廊下を滑りながら開けたのか、両手両足を開いた姿勢を残身としていた。
逆に呼びかけられた男――五条は、目をまんまるに見開いて驚きを顕にする。
「く、クルル様ぁ!?」
「ここにいましたか、お邪魔してますよぅ」
「お、お邪魔というか、いえ、お越しいただけるのは大変光栄なのですが、い、今は舞台の打ち合わせ中でして……」

先程の言葉を飲み込むように、慌てて取り繕う五条。そんなことなどお構いなしにずかずかと室内に足を踏み入れるクルルの姿を、廊下から申し訳なさそうにヤツハとハツミが眺めていた。
メガミの来訪に会議の参加者がざわつき始め、静寂で満たされていた空間が徐々に崩壊を迎える。
そこへ鶴の一声を上げたのは、五条に相対していた女だ。
「構いません。もういい時間ですしね」
「よ、よろしいのですか天詞殿」
「中々煮詰まってきてはいますからね、続きは明日朝にでもするとしましょう。皆様も、今日は解散してください」
線の細い印象の彼女――天詞だが、意思のぶれないその決定に、彼女よりも一回りも二回りも歳を重ねているだろう参加者たちは諾々と従う。彼は皆、天詞のほうに、そしてクルルたちのほうへ一礼してから、反対側の障子の向こうに消えていった。
クルルは切り上げさせたことに悪びれもせず、天詞の前に広げられた紙に惹かれて小走りに駆け寄っていった。じっと座り続ける天詞の傍で、今にも背嚢の中身が落ちそうなほど、様々な図に文字が書き入れられたそれを注視している。食べ切れていない干物が、ぷらん、と背嚢の口から垂れ下がっていた。
ヤツハとハツミはそれに置いていかれた形となったが、そのうち五条と目が合った。
「これは申し訳ない。お連れ様も、どうぞお入りください」
「し、失礼しまーす……」
そろり、と足を踏み入れるハツミの後を、小さく頭を下げながらヤツハが続く。五条は勝手にあれやこれやを察したのか、彼女には彼の目が慈愛に満ちている気がしてならなかった。
天詞の前へ導かれる最中、彼がヤツハたちへ畏まったように名乗る。
「そちらはハツミ様であらせられますかな? お会いできて光栄です。そちらの貴女はお初にお目にかかるでしょうか。わたくし、五条綴と申しまして、この初ノ條舞台の管理者を務めさせていただいております」
「というと、あなたがくるるんさんの言ってたお知り合いさんですね。私も、お会いできて光栄です」
そこでヤツハは、くいくい、と袖を引かれる感覚に隣のハツミを見た。目線で何かを訴えかける彼女に、芦原を出立したときの忠告がヤツハの中で思い起こされる。
彼女は少しばかり、胸の中で言葉を選んでから、
「ヤツハ、とお呼びください。少し事情がありまして、くるるんさんの実験に協力させていただいてます。ここへは、その道中で立ち寄らせていただきました」
「おぉ、クルル様を信奉する同志でしたか! わたくしもその昔、クルル様に直接お仕えしていたことがありました……色々苦労はされていると思いますが、技術の明るい未来を信じて是非頑張っていただきたい……!」
「は、はぁ……ありがとう、ございます」
勢いにやや面食らったヤツハが視線を彷徨わせる。
と、その辿り着いた先で、黙する天詞がす、と目を細めて表情を落としていた。やがて彼女はヤツハの視線に応じるように首を動かし、目礼と共に己も名乗りを上げる。
「古鷹家当主を務めさせていただいております、古鷹天詞と申します。どうぞお見知り置きを」
天詞の言葉は、身体を冷やす夜の風のように涼やかであった。刺々しいというわけではなく、突然のメガミたちの来訪に小揺るぎもせず、泰然たる態度を保っているのだろう。
天詞の勧めもあって、彼女に対面するようにヤツハたちはそれぞれ座布団に腰を落とす。五条はやや迷ってから、天詞の傍らに控えるように座した。
ただ、もう落ち着こうというその空気の中で一人だけ唸っていたクルルは、その果てにいきなり叫び声を上げる。
「くるるーん☆ ひらめきましたぁ! これとこれ、同じ機構でももーっとド派手にできそうですよぉ! びりびりするにも、なんでこんな遠慮した設計にしたんですかね?」
ずっと眺めていた舞台の進行表と設計図から視線を外し、ぐるん、と五条に顔を向ける。純粋な疑問なのだろうが、彼女を信仰する五条にとってしてみれば詰問という他ない。
ただ、それを嗜めたのは天詞だった。
「クルル様。貴女の発想を頂戴できるのは大変光栄ですが、古鷹の伝統美から逸脱しすぎる試みは、どうかご遠慮くださいませ」
「えぇー……まーたそゆこと言うー」
「それだけ貴女の試みが先を行っている、ということですよ。我々人間がゆるりと受け入れられるようになるまで、今しばらくお待ち下さい」
物怖じしないその言い分に、クルルは頬を膨らませながら背嚢を放り出した。それから五条に差し出された座布団など見えなかったかのように、直に畳に座って背嚢に背中を預けた。
天詞はそれを見届けるなり、わざとらしくはっとしたように、
「そういえば。その大荷物、北からずっと下ってきたのですか?」
「およ? どうして北限に行ったの知ってるんですか?」
正直な返答に天詞はくすりと笑って、
「もう少しご自身の影響力というものをお考えください。後追いした者たちがおりまして、お噂はかねがね」
「むーん、なるほどなるほど。こるぬんぷんぷんしてなければいいですけど」
「なるほど、それは恐ろしいですね。では――」
そこで天詞は、微笑を湛えながら、瞳だけを動かしてクルルとヤツハを順に見た。
そして、切った言葉の先を、伺うように続ける。
「サイネ様も頭を痛めてらしたのではないですか?」
表面上は、共通の知人の様子を知ろうとするもの。
けれどその問いを発する声は、ほんの少しだけ、涼やかというよりも冷ややかだった。気のせいで受け流してしまえるほど些細な変化ではあったが、目立たないように静かにしていたハツミが、ぴくり、と鼻を動かした。
だが、訊ねられた二柱にとっては意図の掴めぬ問いだった。ヤツハにとっては聞き慣れない名前なのだから尚更である。
お互いきょとんとしたように見つめ合い、それから改めて天詞へと直る。
「さいねん、ですか? 最近会ってないですねえ」
「そうですか。いえ、私もしばらくお会いしておりませんので、ご様子をお伺いできたらよいと思ったのですが。メガミ様相手に憂慮かとは思いますが、できれば、健やかなほうで」
軽く口端を上げるような、静かな笑みが天詞に戻る。しかし、同じく微笑みを作っていたハツミの顔は固く凍りついていた。言外の問いの気配を察知した彼女だけが、当事者を差し置いてこの場で唯一冷や汗をかいていた。
だが、全く含むところのないヤツハの興味は、新たに耳にした名の響きに向けられる。
「あの……そのサイネさんって、ここ――古鷹の都の人達から尊敬されてるメガミ、なんですか?」
実際のところ、今までヤツハが出会った、あるいは認識したメガミは極々限られる。さらに民から見たメガミ像というものも、ハツミに対してのものが大半を占めている。
故にヤツハは、当主と名乗る天詞の口から出たその名を、地域に根付いた敬愛なのかどうか確認するところから入ったのだった。その質問は単に彼女の知識欲を満たすためでもあったし、話題についていけないと困りそう、という判断から出たものである。
けれど、
「それは、どういう意味でおっしゃっていますか……?」
「えっ……」
途端に隠すことなく怪訝な顔つきになる天詞。ヤツハのその問いは、この地に生きる者であればあまりに物を知らないと笑われても仕方のないものであり、仮にもクルルに助力するほどの立場であればありえないものである。サイネが北の地で祀られていることは、少なくともメガミに関わる者であれば常識と言える。
もちろん、その前提も知らないヤツハはただただ困惑するのみ。
それに慌てたハツミが割って入る。
「あー、えーっとですね。実験に協力してるというか……、むしろその実験に頼ってるんですよこの子」
「というと?」
「それがどうにも記憶を失くしちゃったみたいで、クルルが元に戻してあげようと色々試してるところなんですよねー。どーやら人の記憶に興味を持ったみたいで……、ですよね!?」
力強い眼力で目配せするハツミに、ヤツハもそれが尻拭いだと悟ったらしく、弱々しく天詞に頷いてみせた。一方クルルはその隣で困惑の表情を浮かべていたが、ハツミの言葉も真実ではあるためか、それを口にすることはなかった。
無論、咄嗟に出てきた『理由』に天詞は納得を示しておらず、さらに目を細めるばかり。それこそサイネを思わせる薄氷のような視線に、メガミたちのほうが気圧される始末。
「ま、まあ、そういうことなんで、頓珍漢なこと言っても許してあげてください」
「…………」
返答は、視線の刃を瞼の裏に一度収めることだった。ヤツハはついほっとしそうになるが、それもよくないと思い直して居住まいを正した。
それから天詞は、疑念を改めてしまい込むように俯いてから、
「それは配慮に欠けておりました……さぞ苦しい思いをされていることでしょう。私にできることは限られておりますが、全て思い出せる日が来るよう、願うことにしましょう」
形式的に心を砕く彼女は、それから続けて、
「先ほどのご質問……古鷹の地に根付くのはサイネ様ではありません。最も影響が強く、そしてこの私も幼少の頃よりお世話になっているのは、芸術のメガミであるトコヨ様です」
「トコヨ、さん……」
「あとは、個人的にはシンラ様にも手をかけていただいていますね。そのお二方を宿しております」
袖に隠れていた手を掲げれば、そこには埋め込まれた桜花結晶が輝いている。あまり間近で見る機会のなかったヤツハの瞳もまた、同じように好奇心に輝いていた。
それに天詞は小さく困ったように嘆息した。
「気になるのであれば、トコヨ様とシンラ様についてはお話しましょうか?」
「えっ……いいんですか? こんな押しかけた形になった上に……」
「ええ。今日為すべきことはもうありませんし」
にっこりと、端正な顔立ちに柔和な笑みが浮かぶ。ヤツハは内心、厳しそうな人だと示していた天詞の評価の天秤を、反対側へと少し傾けた。
「ではわたくしめは、その間にクルル様に舞台装置の記録をお見せすることにしましょう」
「おおっ! ごじょーん分かってますねえ、色々気になりまりんぐだったのですよぅ。資料あるなら、今晩どこかお部屋貸してもらえれば全部読みますよぉ」
途端に元気よく立ち上がったクルルを、五条は部屋の外へと案内していく。去っていくクルルがにんまり笑顔で手を振ってきたので、ヤツハも小さく振り返した。ハツミは保護者役を押し付けられたためか、裏切られたような顔で見送っていた。
「時間はありそうですので、ゆっくりお話しましょう。せっかくの機会ですから」
天詞の笑顔に、ヤツハも笑顔を咲かせる。それが対比になっているだろうということに胃を痛めるのは、言い出した手前引っ込みのつかないハツミだけ。
話を聞けるのではなく、話を聞かれる。
その認識をまるで持たないヤツハを、共に囲んだ夕食の席が終わるまで、ハツミははらはらしながら見守ることしかできないのであった。