八葉鏡の徒桜

エピソード6−4:龍ノ宮でちょっと急ぎ足

 

 これまで、旅を急ぐことはなかった。

 目指すべき終着点こそあったものの、行く先々で見聞を広めるためにしばしば立ち止まっていた。空っぽだった自分に、見渡す限りのはじめてを大事に詰め込んで、この地で歩み行くための礎をゆっくりと築いていた。

 

 けれど今、旅を再開したヤツハの足取りは、ほんのちょっぴりだけ速い。

 行き路ではずっと追い駆け続けてきたクルルの背嚢も、今度は隣で揺れている。

 

「…………」

 

 見知らぬ街への好奇心に瞳を輝かせることもなく、明確な目的地を見据えるヤツハは、活気に満ち満ちた目抜き通りを淡々と歩んでいた。

 

 己の正体の手がかりを求め、瑞泉を出立したヤツハ。クルルとハツミという旅の仲間と共に北限を目指す彼女は、ハツミの勧めもあって桜降る代のへそを東から迂回するような旅路の途中にあった。そして現在足を踏み入れているのは、東部に名だたる都・龍ノ宮である。

 

 

 樹海と山々が広がる咲ヶ原のほど近くにあることから、南北を結ぶ商流の要としての地位を築いており、先日まで居た瑞泉で扱われていた品々は龍ノ宮を経てさらに北へ運ばれていく。ただ、西の鞍橋ほど商い一色に染まっているわけではなく、この街のより根底にあるのは、何者にも妨げられぬ開拓精神だ。

 

 元々荒れ地であったこの赤東地方を拓いた末に生まれた街であり、今は亡き豪放磊落な創始者の気っ風が人々に行き渡っている。市中の至るところで出会う、騒々しいとすら言える賑やかさは、民が日々を自分らしく愉快に過ごしている証に他ならない。

 ヤツハたちが歩いてきたこの目抜き通りでも、時間惜しさに屋台で蕎麦をかきこむ者や、店頭に黒山の人だかりから怒号に近い注文の声が飛び交う問屋があったかと思えば、ミコトらしき者たちが荷台に乗り合わせた馬車が、通行人を蹴散らすようにどこかへ駆けていた。

 そんな賑やかさも、街の中心から外れていくほどに薄れていく。寄り道せず真っ直ぐ街を抜けようとしているヤツハには、短すぎる観光であった。

 

「落ち着いたら、ここもよく見てみたいですね……」

 

 ぽつりと零すヤツハ。後ろ髪引かれる想いを誤魔化すように、小さく苦笑いを浮かべる。

 この龍ノ宮という街は、今まで旅をしてきた中でも、いっとう明るく、人々の生命力を浴びているかと思うほど活気に溢れていた。そんな楽しそうな街並みに身を投じたり、心躍るような素敵な出会いをしたときのことを思えば、この急ぐ道中、複雑な声音になるのも道理である。

 

 それに、北へ向かう意思を固めはしたところで、ヤツハ自身の立場はふらついたままだ。

 心の底から新たな地を堪能できるほど、彼女の内側に生まれた空虚は小さくなかった。

 右に並ぶハツミは、ヤツハの顔色を窺いながら、

 

「まあまあ、街は逃げませんから、また来ることにしましょう。この辺は一昔前だとだだっ広いただの荒野って感じだったんですが、今は決闘の街としても有名なんですよ」

「決闘……」

 

 頷くハツミは、記憶を探りながら適当な方角を指差す。

 

「あっちのほうに、おっきい決闘場があるんです。天龍決闘場、でしたかね。そこでやる桜花決闘をたくさんのお客さんが見に来て、興行として成り立たせてるんですよ。もちろん見ごたえのある決闘じゃないといけませんから、各地から腕利きが集まってくるんです」

「へぇ……」

「できたのは最近で、これもユリナの作った新しい桜花決闘の流れの一つですね。何回か見物に行ったんですけど、すごいですよ。奈落から迫り上がってきたミコトが、火柱の中からド派手に入場するんです。……あれ、そういえばあれって絡繰仕掛けっぽかったですけど、クルルが関わってたんです?」

 

 ヤツハ越しにクルルへ問う。

 手持ち無沙汰になっていたのか、手元で部品をいじっていたクルルは首をがくりと横に傾けた。

 

「んー、そいえばそんな話もありましたねえ。でも、あれはくるるんじゃあなくて、じゅりあん設計ですよぉ。でもでも、火柱なんかありましたかねえ……?」

「後で追加されたんですかね……誰の趣味なのか分かりませんが、よくよく考えると恐れ知らずな……。まあ、龍ノ宮らしいといえばらしいのかもしれませんけど。あくまで風流な古鷹とは反対もいいところですね」

 

 ただ、とハツミは継いだ。

 

「そんな毎日がお祭り騒ぎみたいな活気に溢れてるのが、この街の良さというものです。いるだけでなんだか元気がもらえるような気がします。月イチのお祭りのときはもっと盛り上がったはずですが、あいにく数日先のようですね」

 

 そう言うと彼女は、背中で手を結びながら、ヤツハの視界に入るように僅かに屈む。

 そして、優しく微笑みながら、寄り添うように告げる。

 

「だから、落ち着いたらまた来ましょうね、ヤツハ」

「はい……」

 

 けれど、静かに答えたヤツハは、心ここにあらずといった様子であった。ハツミの説明を聞いてはいても、行き路のように好奇心で瞳を輝かせるようなことはなかった。

 

 それから三柱は黙々と足を動かし、気づけば目抜き通りも抜けてしまっていた。道行く人もまばらで、山程の荷を牽いた牛が三柱を追い抜いていく。向かいから、疲れを身に纏わせた旅人がちらほらと姿を見せる。

 旅の目的に忠実に、一行はこのまま龍ノ宮の都を出ようとしていた。この真っ昼間に、ここで宿を取ろうと言い出す者はいなかった。

 

 遠くに関所が見えてきた頃合い、出立前の旅人向けに飯を出す茶屋の前も淡々と通り過ぎていく。

 だが、

 

「おいおい、アタシには興味がないのか?」

 

 三柱の背中に、残念そうに呼び止める声がかけられた。

 ヤツハは一瞬、それが自分たちに向けられていると気づかなかった。しかし、足を止めたクルルとハツミにつられるよう、声の主を探した。

 振り返り、視線を彷徨わせる。すると、日差しの中でも燦然と燃え輝く女が、ヤツハの目を焼いた。

 

「アタシはあんたに興味があるんだけどな」

 

 

 茶屋の屋根の上に腰掛けた一人の女。

 比喩でなく燃え上がる髪を蓄えたその姿は、メガミ以外の何者でもなかった。

 

 

 

 

 

「ったく、ホントにこのまま行っちまうつもりだったのかよ――っと」

 

 その女は、瓦屋根の上で軽く踏み切ると、綺麗に宙で一回転してからヤツハたちの前に立ちはだかるように降り立った。火の粉が生み出す軌跡が陽の明かりの中でも煌めいていて、燃え盛る天の炎からその化身が産み落とされたかのようだった。

 

「色んなメガミについて聞いて回ってるってのに、このヒミカ様について聞かないなんてモグリもいいとこだぜ」

 

 ヒミカと名乗ったメガミは、右の親指で自分自身を、左の人差し指でヤツハを指しながら、至って残念そうに非難した。とはいえ、その態度は重苦しいくも刺々しくもなく、いっそ大げさに肩をすくめながら口にするのが似合う、そんな甘噛のような文句である。

 しかしヤツハは、そのような軽い気持ちで受け止めることはできなかった。間の悪い来訪に、ちくりと胸が痛む。

 

 メガミが向こうからやってきたというだけで、ヤツハにはあまりいい思い出がない。コルヌとの邂逅しかり、平和に過ぎたものの先日はユリナに目をつけられた。

 そして今、己はメガミ――即ち彼女らと同じ存在ではないと断じられたばかりだ。半ば冗談のような文句であっても、この来訪が自分のことを本当に非難しているような、責め立てられているような感覚を禁じ得なかったのだった。

 

「えっ、と……」

 

 どう反応していいものか迷いながら、一歩後ずさった足は感情に素直だ。

 そこでふと、ヒミカという相手の名前を思い浮かべたときに、以前の旅の記憶が呼び起こされた。

 

「あっ、確か煙家の……」

「そういえば教えましたね」

 

 呟きにハツミが反応する。彼女は気遣わしげにヤツハのことを窺い、再び並び立つように詰めてくる。

 

「鍛冶や彫金が盛んな煙家でもヒミカへの信仰は篤いですが、一番大きいのはここ龍ノ宮でしょう。何故なら、こいつはこの街の名前になった英雄・龍ノ宮一志が宿していたメガミで、彼の情熱と彼への憧憬とが、今でも街に息づいているからなんです」

 

 その補足に、ヒミカは鼻を鳴らして得意げだ。

 沈んだ気持ちのまま浮かばないヤツハも、無理やりにでも表層に引き上げられたせいか、ハツミの言葉に対して小さな興味が湧いてくるのを感じていた。

 

「龍ノ宮さんって、確か二十年前に亡くなったすごい方ですよね」

「なんだ、知ってんのか?」

「はい……簡単にですが、青雲さんから聞いて」

 

 ヒミカにそう答えると、何故か彼女は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。答え方を間違えたかとヤツハがひやりとするが、一拍置いた後にはヒミカは既に自慢げな顔に戻っていた。

 ヒミカはこの広い大地を示すように両手を広げ、

 

「一志はなあ、昔は荒れ地だったこの赤東を仲間と一緒に開拓して、一代でここまで繁栄させたんだ。からっからだった土地に、あんな立派な水路も渡して、今じゃそこら中田んぼと畑ばっかりだ! 人間はここまでできるんだ、ってアタシは感心したよ」

「…………」

「そんなすげぇ奴が死んじまったのは、本当に残念だった。アイツといると、全然退屈しなかったんだけどなあ……」

 

 昔日を思い出したのか、ヒミカの瞳に寂しさが宿る。感情が直に表に出る人だとヤツハは思う。対面している自分にすら、彼女の抱く感情が滲み出てしまうようですらある。

 ヒミカの心情にあてられ、空気が少ししんみりとする。かちゃかちゃと、クルルが相変わらず絡繰を弄る音が、嫌に大きく聞こえてくる。ヒミカの姿に色めき立つ街の住人の視線にもようやく気づいた。

 

 再び、言葉を見つけられないでいたヤツハであったが、そのうちヒミカ自身があっと声を上げた。

 

「違う違う、こんな話をしたかったんじゃない。アタシはヒミカ。アンタに興味があって来たんだ」

「あ……ヤツハ、です」

 

 目線での求めに応じ、物怖じしながらも名乗り返す。

 ヒミカは続けて、

 

「アンタが色んなところでメガミのことを聞きながら旅してるって、そんな噂を聞いたんだ。アタシたちのことに殊更興味があるなんて、一体どんな奴だとここに来るのを楽しみにしてたんだよ。クルルの連れだって言うから、コイツだろうな、って追ってきたんだ」

「はあ……」

 

 曖昧に相槌を打つヤツハの隣で、ハツミが白い目でクルルのことを見ていた。

 そこでヒミカは腰に手を当てて、ずい、と顔を突き出してくる。

 彼女は問う。

 

「なあ、アンタ何者なんだ? メガミについて聞いて、どうしたいんだ?」

「……っ」

 

 真っ直ぐな、純然たる興味がヤツハに向けられる。びくり、と肩を小さく震わせて、また一歩下がった。

 この絶望的なまでの間の悪さは、もはや天を呪うしかなかった。ヤツハ自身がその答えを探しに行く道中にあるといっても、当のメガミ相手に正直に告げるには、出立のために奮い起こした希望はあまりにもか細い。

 

 メガミらしくあるためにメガミを知る、という前提は崩れた。

 ヒミカの問いは、それが純真過ぎるが故に、メガミでない者がどうしてそんなことをしているのだ、という非難の声に聞こえてならなかった。

 もちろんヒミカがそんな事情を知るはずもなかったが、頭では分かっていたところで恐れは紙に水を垂らしたように広がっていく。視線を避けるように俯いたところで、震えを収めるために握りあった両の手が、まだ揺れていることにますます動揺する。

 

 と、そんなヤツハの背中に、重みがのしかかった。

 後ろから抱きついてきたクルルの顔が、肩の上から飛び出してきた。

 

「ちっちっち、ひみかんは分かってませんねえ。やつはんはすぺしゃるなとれじゃーなのですから、それは未だ謎に包まれているのですぅ。くるるんが解き明かしてる最中なんで、答えが分かっても言っちゃだめですよぉ」

「なんだそれ」

 

 疑問を顔に書いたようなヒミカが首を傾げる。

 さらにハツミが半身をヤツハの盾にするように位置取りを変えた。ヒミカとは違い、ハツミの眼差しには明らかに非難の色が混じっていた。

 

「ヤツハのことを気にするより、もっとメガミとして気にしたほうがいいことがあるんじゃないですか?」

 

 実感を伴った、苦労の滲むような問いかけだった。

 ヒミカには言外に指しているものが伝わったらしいが、対して返答する彼女はハツミの非難などどこ吹く風といった様子だった。

 

「アタシはそんなことどうでもいい。それよりもこいつ――ヤツハの方が気になっただけだ」

「そんな……!」

 

 あっけらかんと跳ね除けられたことに、珍しくハツミが憤りを露わにしかけた。

 ただ、彼女が言葉を費やして反駁するよりも前に、ヒミカは己の胸に拳を当てながら、続けて言い放った。

 

「アタシは、アタシのココロに従っただけさ」

 

 堂々としすぎていて、開き直るなと謗ることさえ憚られるような態度に、ハツミも二の句が継げないようだった。

 クルルとハツミに庇われたヤツハも、あるはずもない答えを探しながら、言い訳じみたヒミカのその言葉を耳にしていた。

 だからなのか、それとも別の理由があるからなのか。

 

「あ……」

 

 ヤツハの口から、音が漏れる。

 ヒミカの言葉が、ヤツハの意識に触れていた。当然、今までの積もり積もった不安をかき消すほどではなかったけれど、ヒミカの頭上で燃え盛る炎の温度が、凍てついた思考の海の中でふと届いたように、意識を割かれていた。

 

 何故反応したのか、何に反応したのか、理屈を放り捨てたようなその発言と同じように、ヤツハにはうまく説明できない。

 ただ、おずおずとではあるが、声の主を目にするために、顔を上げることくらいはできた。

 その様子にヒミカは、ヤツハの情動を見定めるように瞳を覗き込んでくる。

 やがて何かに満足したのか、にやり、と彼女は笑った。

 

「なーんだ、アタシら思ったより気が合いそうだな!」

「えっ……、えぇ……?」

 

 あらゆる過程を飛ばした身勝手な結論に、ヤツハはただただ困惑する。声色も明らかに友好的になっており、ハツミも肩透かしを食らったようによろけている。

 そのままずかずかと距離を詰めてきたヒミカに、思わずハツミは道を譲ってしまう。いっそこのまま肩を組んで語らい合おうとしてもおかしくないほどの機嫌で、ヤツハはまた別の意味で身を縮めてしまう。

 ヒミカが実際にそうすることはなく、ヤツハの隣をただ通り抜けていったが、

 

「なんだかしらねーけど、頑張りな!」

「ひゃぅ……!」

 

 すれ違いざま、強く叩かれた背中に驚いて妙な声を漏らしてしまう。

 何から何までヒミカの調子に振り回され、震えていたことすら遠い過去のことのようだ。問いに答えなくてよくなったことだけが、ヤツハに安堵をもたらしていた。

 

「ちょっとヒミカ! 怯えさせといてそんな勝手な……!」

「そーですよぅ! はつみんみたいにはーとに毛が生えてるわけじゃないんですよぉ!」

「はーと、って……あの、クルル待ってください? あたしが何言われてもへっちゃらみたいに言わないでもらえます!?」

 

 保護者の二柱がやいのやいのと文句を垂れる中、ヒミカ本人はにししと笑いながら後ろ歩きで遠ざかっていく。

 

「急いでるんだろ? ビビらせちまって悪かったな。じゃあな!」

「あっ……」

 

 手短に詫びた彼女は、軽く跳躍すると、地面との間で生じた爆発を糧にさらに上空へ飛び上がっていった。そして足の裏から猛烈な炎が噴き出し始め、それが彼女が空を駆ける推進力となって、一行が止める間もなく屋根の向こう側へ消えてしまった。

 決闘以外で超常的な現象を見る機会が少ないヤツハは、その光景にまた驚いてしまう。けれど、密かにヒミカに声をかけようと窺っていたらしい周囲の人々は、それが日常であるかのように残念そうに三々五々散っていく。

 

 関所前の通りにぽつんと残された三柱。

 嵐のような出会いを経て、気疲れを代弁するかのようにハツミが嘆息する。

 

「ああいうやつなんですから、あまり気にしないでください。さ、お馬鹿のことなんか忘れて進みましょう」

「は、はい……」

 

 止めてしまった足を、また北へと向けて。

 うまく消化しきれない感覚を呑み込んだまま、ヤツハは問いの答えを求める旅路を急いだ。