桜降る代の神語り 再演

第1話:究

「どうか、聞いてください!」

 

 響き渡る声。仰ぎ見れば、溢れんばかりの光輝が目を焼いた。

 声の主を光で塗りつぶすのは、彼女の背後に聳える大神座桜かむくらざくら。丸くくり抜かれた遥か遠くの天蓋は、真昼の日差しを呼び込んでいるが、その陽光すらもただの背景と化している。

 大桜をぐるりと囲むように厳めしい屋舎が居並び、途切れたその一角には、身の丈の倍以上はあろうかという巨大な石碑が屹立している。声の主は、逆光を受けたその石碑の濃密すぎる影に覆い被されていた。

 手をかざし、目を凝らそうとしたところで、再び声が届いた。

 訴えかけるように。あるいは、想いを馳せるように。

 

「私は、振り返らなければいけないと考えます。メガミ・ユリナが、かつて人間・天音揺波あまねゆりなだった頃の話を」

 

 異はない。場の空気が、先を望む。

 故に、彼女は告げた。

 今この時、再び演者に光を当てるための語り手として。

 

「そのためにはまず、彼女の最大の好敵手・氷雨細音ひさめさいねとの因縁と、二つの旅を語らなければならないでしょう」

 

 天音揺波の物語、その再演を告げるために。

 

「では、始めます。時は桜花歴百三十二年、その起こりから――」

 

 

 しんしんと、雪が降りしきる。

 薄雲が朝の日差しを穏やかに隠し、純白に覆われた大地は静寂に包まれていた。麓で遠慮がちに広がる林や人家の色彩は、この小高い丘を銀世界の中で浮き彫りにしていて、まるで俗世から切り離された孤島のようであった。

 

 そこに溶け合う、桜色の彩。

 雪景色の中で堂々と咲き誇る桜から、はらはらと花弁が舞う。

 

 桜には、煌めきがあった。

 反射する雪の白にも負けないその輝きは、決して神々しさといった印象だけではない。一つ一つの花弁が実際に淡く輝き、よく見れば薄い結晶質の何かでできていて、それが散り、あるいは集い、乱反射することでひときわ目を惹きつける異質な光輝を放っていた。

 

 その尋常ならざる桜の前で、二つの刃が距離を取って相向かう。

 一方は古びた刀、一方は使い込まれた薙刀。

 真剣を構え合うのは、二人の少女だ。

 

 刀を手にする少女は、質素な道着に身を包んでおり、切り揃えられた黒の前髪の下から淡々と相手を見据えている。五尺に満たないやや小柄な体格だが、堂に入った構えが纏う圧が彼女を大きく見せている。

 対し、薙刀を手にする少女は、頭一つ分近く上背の高い、すらりとした体躯だ。平静さを見せる顔には僅かにあどけなさこそ残るものの、長柄を微動だにせず構える様は練達を思わせ、氷色の長髪だけが雪風に揺れていた。

 

 互いに、両手の甲には花弁と似た結晶が静かに輝く。

 見合ったまま、両者の口が開いた。

 唱えられるのは、祝詞だ。

 

「天音揺波、我らがヲウカに決闘を」

「氷雨細音、我らがヲウカに決闘を」

 

 その宣言を契機として、辺りに舞っていた桜の花弁たちが二人へと向かっていく。彼女たちの身体にぶつかるかと思いきや、服や肌を無視して身体の中へと収まっていった。

 さらに遅れて舞った三枚の花弁が、少女に従うように宙に浮かぶ。

 それを待っていたかのように、少女たちが得物を構え直し、手に埋まった結晶が光を孕む。その輝きを、薙刀を得物とする細音は両に宿す一方、刀を得物とする揺波は右手だけに、けれども濃密に宿していた。

 

「…………」

 

 向き合う両者の間合いは、およそ四間。

 切り結ぶには遠くに過ぎ、背中を晒すには近くに過ぎる距離。

 刀は前のめりな正眼に、薙刀は切っ先をいつでも振り下ろせる八相に、それぞれの構えが雄弁に企図を語り、代わりに静寂が降りる。

 

 凍てついた時間に、息を呑む音さえ聞こえてくるよう。

 その均衡を破ったのは、何を合図にしたわけでもなく、両者同時に雪を蹴る音だった。

 

「……っ!」

 

 示し合わせたように前に出れば、距離は一瞬のうちに縮まっていく。

 一歩、ないしは二歩分の距離。それが、刀と薙刀の間合いの差である。

 手を伸ばせばすぐに縮まるであろうその距離は、刃ひしめき合う決闘の舞台においては絶対的なものとなる。

 

「はッ!」

 

 懐へ入ろうとする揺波の動きに、薙刀が振り下ろされる。

 予めそこに置いてあったかのように放たれた斬撃に、揺波の前進は拒絶される。思わず足踏みをしてしまい、そこを狙う次の一撃を察知して、一歩だけ下がる。

 

 少しだけ、揺波の眉がひそめられた。

 美しく迷いのない太刀筋が生み出した迎撃の正確さに反して、細音の瞼は閉ざされている。

 ならば、と揺波の胴に隠れた後ろ足が雪を噛む。

 だが、右から回り込もうとしたその動きを、既に薙刀は迎え撃っていた。

 

「……!?」 「てやぁッ!」

 

 横薙ぎに振るわれた長柄を、揺波は辛うじて刀で受け止める。

 間合いの差は絶対でありこそすれ、常にその有利を活かすのならば常に機先を制する必要がある。闇雲に長い武器を振るったところで容易く掻い潜られてしまい、挙げ句の果てには打ち払われて体勢を崩してしまうのだから。

 

 たった二合の打ち合いで、細音が間合いの内側に立ち入らせない事実が聳え立つ。

 さりとて間合いの外で躊躇うことに意味はない。

 勝利を求め、揺波は前へ出た。

 

「ふッ!」

 

 差し向けられた薙刀に刀を合わせ、軌道を無理やり明後日の方向へと逸らす。そうして僅かに空いた間隙へ揺波が身を躍らせ、小さく刀を振り上げる。

 細音もそれは想定の範囲内だったようで、急速に引き戻された刃が揺波の肩を捉えた。

 

 そこにあるのは、揺波に付き従ってきた桜色の結晶。

 図ったように身を盾にした結晶が、薙刀の刃に砕かれる。しかし、その結晶の薄い見た目に反して、岩を打ったかのように刃は弾かれ、揺波の白い道着を撫でるように逸れていった。

 塵と砕け、輝きを鈍らせる結晶を見送った揺波の斬撃が、細音の胴に迫る。

 

「おぉッ!」

 

 しかし、その刃の先にあるのもまた、結晶だった。

 揺波に手を貸したように、身を挺して細音の盾となる。真正面から結晶を打ち砕き、腕に力を漲らせてなお、指先ほどのそれに追い返される。

 後手となった揺波に訪れるのは、隙だ。

 

「やッ、はぁッ!」

 

 下がりながら、それでいて鋭い細音の連撃が、打ち合わせようとした刀を尽く掻い潜り、揺波の身体に吸い込まれていく。

 彼女から散るのは血の赤ではなく、桜飛沫。

 傷が生じるはずだった身体からは、盾となった結晶のように砕け散った桜色の輝きが、身代わりとなったかのように噴き出していた。道着に生じた切り口の奥では、何事もなかったかのような肌に汗が滲んでいる。

 

 揺波の顔が、ほんの僅かに歪む。

 これが細音の支配圏に踏み込んだ代償。この不可視の領域においては、彼女が捉えたものは全て断ち切られ、追い出されるのが定め。

 何より、細音の眼差しは明後日を向いており、元より瞳に光はなかった。

 それでなおあの斬撃の精緻さたるや、一太刀ごとに彼女が極限の集中をさらに積み重ねているようだ。

 

 この技巧と冴えわたる知覚が、圧となる。

 力任せの相手であれば、結晶の盾を頼りに突貫し、至近にて撹乱することもできただろう。しかし、相手の出方を受けて迅速かつ臨機応変に斬撃を繰り出す細音を前にしては、今のように払う犠牲が多くなりすぎる。

 

 妙なる技に裏打ちされた後の先。

 この壁の如き圧の前に、数多の相手が膝をついたに違いない。迷いなく、いっそ冷徹に立ち回る細音の姿に、知る由もない武勇が重なる。

 だからこそ、

 

「……!?」

 

 それでもなお強引に飛び込んでいく揺波に、細音の顔に動揺の色が浮かんだ。

 揺波は、当然の如く降り注ぐ斬撃の雨に怯むことなく、その身体から桜の輝きを吹き散らしながら、見えない壁を突き破る。

 そして、噛みつくように刀が振り抜かれる。

 

「あぁッ!」

「っ……」

 

 横一閃された細音の胸元から、桜吹雪が溢れる。しかし、揺波の払った代償に比べればまだ小さい。

 そのまま揺波は、細音が満足に力を込められない至近距離を維持し、鍔迫り合いを演じながらぐいぐいと彼女を押していく。

 

 一瞬、互いの息遣いだけが場に響く。

 揺波が無感情に睨め上げる細音の瞳は、やはり揺波を映すことはない。けれど、意思は確かに交差しているのだと、微かに吊り上がった口端が示していた。

 

「ぐぅっ……!」

 

 膠着状態を破ったのは揺波だ。薙刀を払い除け、大上段に刀を振り上げる。

 しかし、刀を震える位置というのは、薙刀を振り落とせる位置ということでもある。短く持ったそれを盾に使っても構わない。揺波が望んで組み合ったにもかかわらず、離れるときには一方的に不利であった。

 

 細音が選んだのは、揺波の頭に刃を叩き込むこと。

 一拍にも満たない間に下される両者の決断。

 分は、揺波にあった。

 

「なっ――」

 

 彼女は刀を振り上げたまま、鼻先一寸足らずの距離で細音の刃をやり過ごした。

 相打ちする覚悟などではなかった。細音がきちんと隙に合わせて打ち込んでくると、この短さで至った揺波の戦術眼が、刀を一度止めさせたのである。

 

「やあぁッ!」

 

 肩口からの、大胆な袈裟斬り。

 結晶の盾が手元にない細音は、まともにそれを受ける。

 続いての二撃目は、引き戻した薙刀の柄で防がれてしまうものの、さらに手首を返しての細かな一刀が細音の腕を傷つけた。

 

「ぐぅ……!」

 

 たまらず薙ぎ払われる薙刀。

 しかし、揺波の姿がない。否、這う勢いで地に伏せた揺波の頭上すれすれで、長い柄が風を切った。

 凄まじい足首の柔軟さで体勢を維持する揺波は、あろうことかそこから腕を伸ばし、刀の切っ先が細音の脛を切り裂いた。

 

「なッ――」

 

 反撃を予想できてなお、追撃を実現する体捌きの妙。

 だが、巧者に見える貪欲さはその手を必要としていることの裏返しだ。

 転がって的を絞らせないように離脱する揺波を、薙刀の刃は逃さなかった。

 

「はッ!」

 

 振り抜いた勢いを転換し、掬い上げるような斬撃がまず結晶の盾にて躱される。けれど、跳ね上げらた切っ先は自然と八相の位置に収まり、正確に型をなぞるかのような太刀筋で、揺波を地面へ縫い留めるが如く貫いた。

 

「がぁッ……」

 

 悲鳴を噛み殺す揺波。彼女は異様なまでの冷静さで、己の脇腹を貫いた薙刀を握り、跳ね起きる支えとする。

 桜の輝きを零しながら切り払い、すかさず刀を盾に体勢を立て直す。その揺るぎない眼差しの先で、必要以上の深追いを避けた細音がじりじりと距離を離す。

 

 間合いの差を考えれば、揺波の刃は十分以上に相手に届いている。同じだけの有効打を着実に積み重ねることができれば、天秤は揺波へと傾くだろう。

 だが、そのための犠牲は大きい。

 一気呵成に勝負を決めるために、果たしてどれだけの結晶を失うことになるのか。必要経費を払うにも、元手は――その身に宿した輝ける桜花は有限だ。攻め手があっても先に討たれては意味がなく、刀と薙刀の間合いの差という現実が何度も立ちはだかる。

 

 故に、二度目はなかった。一転して様子を伺う揺波は、いっとき見せた獰猛さを潜め、抜き身の刃の如き鋭利な視線を戦場に向ける。

 息を整える彼女の周囲で、鈍い光となった結晶の塵が寄り集まり、輝きを取り戻した。

 再び手にされる盾。だが、それでは猛烈な反撃を捌ききれない。

 

「さあ、どうしますか?」

 

 細音の声が、上がった息のように弾む。

 勝敗をかけた相手の次の手に期待を隠しきれない笑みを浮かべるが、ぴたりと八相に構え直したその姿勢に狂いはない。

 

 すぅー、と。

 細音を見据えたまま、長く細く息を吐く揺波。

 迷いが、白い吐息となって銀世界に消えていくかのよう。

 

 温もりの白が、両者の狭間で溶ける。

 その直後だ。

 揺波は、前に一歩踏み出すと同時、空いた右手を袂に突っ込んだ。

 

「何を――」

 

 捉えきれていないのか、細音は判然としない様子で疑念を口にする。

 彼女が耳にしたのは、雪と土を踏みしめる音、刃に断たれる風、少女の衣擦れ。

 そして、ぱらぱら、と。

 土で澱んだ雪面に、指先大ほどの黒くて丸い何かがばら撒かれた。

 

 そこに、特別な力の発露がないことは誰にもはっきりとしていた。さりとて、攻め入るのは揺波のほうである以上、撒き菱の類もありえない。

 ……故に、細音は正しく身構えることができなかった。

 八相のまま迎撃態勢を維持した細音に対し、揺波は自分で撒いたものが広がる領域に、刀を下段に構えたまま躊躇なく踏み込んだ。

 

 そして、彼女の足が、それを踏み潰した。

 パァン! と。

 雪原に、一瞬の閃光と共に痛烈な破裂音が鳴り響いた。

 

「あ、が……」

 

 光を映さない細音の目が、苦痛に見開かれる。

 常人にとっては、ただ驚くだけの大きな音。しかし、鋭敏な聴覚を持つ者にしてみれば、耳から頭蓋を貫かれたようなものだ。

 それが、踏みしめられるたびに打ち鳴らされる。

 揺波の一挙手一投足を音で『見て』いた細音に、それは毒そのものだった。

 

 癇癪玉。

 およそ刀と薙刀の真剣勝負には相応しくない破裂音が、揺波の奥の手であった。

 細音は、思わず耳を押さえてしまった手を、どうにか薙刀に戻す。裏切られたような顔で、度々響く破裂音に耐え忍ぶように歯噛みする。

 

 平然と間合いを駆け抜けてきた揺波の刃が、下から細音の胴を狙う。

 押さえつけようと振り下ろされた薙刀の刃が、空を切った。

 

「……!」

 

 頭をかき乱された細音に、精緻な反撃は叶わない。

 正中に沿って溢れ出す桜飛沫を顔に浴びながら、揺波は刀を握る手にさらなる力を籠めた。

 

「たあぁぁぁ――」

 

 咄嗟に差し出される結晶も、一つだけでは非力。

 乱れ撃つ斬撃の嵐の尽くが細音の痩身に叩き込まれる。

 

「やあッ!」

 

 真一文字に斬り払い、身代わりとなった桜花の輝きが霞となって飛び出してくる。

 揺波の残身の前で、細音が薙刀を杖にして膝をつき、やがて両の手を地につけた。

 反撃はない。その意思もない。

 授けられた最後の結晶の成れの果てが、風に吹かれて消えていった。

 

「勝者、天音揺波!」

 

 戦場に訪れた静を破ったのは、男の声だ。

 輝ける桜の幹の陰に控えていた彼は、この積もる雪の中では身動きに苦労するであろう、儀礼めいた上等な装いに身を包んでいる。

 宮司然とした男は、決着の対価を告げた。

 

「本桜花決闘の約定により、東寒州連合四家が守護せし七本の神座桜について、新たに天音揺波を守護に任じ、奉土ほうどを天音家の所轄とする!」

 

 

 告げられた宣言に、辺りがざわめいた。

 離れた場所から見届けていた者たちが、愕然とした顔を何個も並べていた。目の前の光景を理解する苦しみを、ぽつぽつと隣人に零し始めたところだった。喜色を抑えきれないのは、天音家の従者ただ二人だけ。

 

 揺波は刀を鞘に納めると、伏した細音を置いて、宮司の下へすたすたと歩き出す。まるで、この後の段取りを、何度も繰り返してきたかのような平然さだ。戦いの中の鋭利さは鳴りを潜め、年相応の朴訥とした顔つきに戻っている。

 遠ざかる足音に、細音の拳が力を帯びた。

 

「何故ですかッ!」

 

 細音が吠えた。

 片膝で起き上がった彼女は、はっきりと揺波のほうを睨みつけていた。相手を光で捉えておらずとも、感情の矛先として揺波に突きつけていた。

 だが、揺波はそれに、きょとんと小首を傾げた。

 

「何故、って……?」

 

 その反応に細音は息を咄嗟に大きく吸ったが、必死で噛み殺し、もどかしさに張り裂けそうないっそ悲壮な様子で言葉を重ねた。

 

「何故あのような手段を使ったのですか? あれほどの武を極めたあなたなら、武の道のために生きているはずです! 道に背くような、あんな……っ」

「……? 勝つためには、当然じゃないですか」

 

 揺波の眼差しは、心底不思議そうだった。

 彼女は屈むと、足元に落ちていた癇癪玉を一粒拾い上げる。

 そして、無邪気な笑みと共に、その『手段』を右手で摘んで、佩いた刀の柄を左手で軽く小突いて見せた。

 

「これも、これも、全部勝つためにあるんですから」

 

 そこに悪意などなかった。信じるということすら必要のない、己の中の当たり前をただ口にしただけだった。

 今度こそ、細音の激昂は止まらなかった。

 

「それは違うッ!」

 

 その細身からは想像し難い絶叫が、銀世界に響き渡る。

 

「武の道を極めるために、私たちは武を磨き上げているのではないのですか!? 果てしない道の先、只々そこに至るための研鑽なのではないのですか!?」

「えーっと……」

 

 しかし、揺波は困ったように頬を掻くだけ。

 響かない言葉が虚空に消えていこうとしている中、輝ける桜の下から呼びかける宮司の声が、ついには揺波の意識を完全に細音から逸らさせた。従者共々、戦果を求めて小走りに駆け寄っていく。

 

 荒れた戦場に一人、細音が残される。

 観衆の追及の目が彼女に注がれる。けれど、囁かれる恨み言は今、彼女の耳を尽く素通りしていく。

 

「武を……ただ勝利のためになどと……っ!」

 

 その皮の厚い手が、汚れた雪を握りしめた。