八葉鏡の徒桜

エピソード5−4:時を君は憶う

 

 新緑というには冷めた光が、坑道を詳らかに照らしている。

 あれだけ脅威だった怪物の体躯も、宙に溶けていく大鏡につられるように、黄緑色の花弁となって解けていた。

 

「ふむ……」

 

 花吹雪に呑まれながら、オボロは忍刀を構える手をだらりと下ろした。それでも警戒心を捨て去ってはいないのか、刃は散りゆく光を照り返すままだった。

 やがてそれらの花弁も千千となり、メガミたちを襲った存在は、あれほどの乱戦を生み出していたのが嘘だったかのように、跡形もなく消えてしまった。抉れた大地だけが、この場で起きた出来事を物語るばかりだ。

 

 しん、と衝音晶が生む元の静寂が戻ってくる。整えきれていない息の音だけが、時折それを邪魔していた。

 吐息の主たるサイネは、未だ力強く薙刀を握りしめていた。終わりというに相応しい光景が見えていないがためか、警戒の色が抜けておらず、四方の隅々まで敵の行方を探るべく、意識を研ぎ澄ませているかのようだった。

 それを窘めたのは、近くにいたチカゲの安堵である。

 

「はぁー……。なんとか、なったみたいですね……」

 

 指先に引っ掛けていた苦無が、ふっ、と桜へ還る。そこでようやく、サイネも柄を立てて肩の力を抜いた。

 

 未知の脅威は、去った。

 誰も保証こそできないが、少なくともあの気味の悪い害意は感じられなかった。間違いなく言えるのは、一柱もその暴力の贄にならずに済んだという結果があるということ。

 そして、変化もまたある。

 

「あの……すみません、でした……」

 

 少し気恥ずかしそうに謝罪を述べるのはサイネだ。

 元はと言えば関わりを拒絶する彼女を取りなそうとしていた場であったが、決闘を経て、本物の戦場で背中を預け合った今、サイネに最初の頃の棘はなかった。

 

「私のために色々と、ご迷惑をおかけしました。チカゲ、まずはあなたに……」

「ひひ、この状況でまず律儀に謝るの、実にあなたらしくて安心しました」

「それはその……。それに、久遠――あなたも」

 

 顔を僅かに彷徨わせるサイネに対し、トコヨが小さく一歩を刻む。青ざめた色合いとなった下駄は、普段のものよりも底は狭く、なお厚くなっていた。そのせいか、サイネが目の見えないままに向けた眼差しは、トコヨの目からほんの少しだけ下を捉えていた。

 

「あのときのように、また手を煩わせてしまって……。ご心配おかけしました」

 

 下げられた頭を前に、開かれていた扇がぱちりと閉じる。

 恐る恐る顔を上げるサイネであったが、彼女の耳が捉えたのは、決闘をふっかけたときのような険のある声ではなかった。

 

「いいのいいの、分かってくれればそれで!」

「え……」

「久々に細音の技を間近で見られてよかったわぁ。引きこもってぐーたらしてたような太刀筋だったら、ひっぱたいてやろうかと思ってたけど、杞憂だったみたいね!」

 

 ぱあっと咲いた笑顔。その露骨なまでの豹変ぶりに、チカゲが顔をひきつらせたように苦笑いをしていた。

 対して、向けられた心配に反論しようとするサイネであったが、

 

「研鑽を欠かしたことなど――」

「でも」

 

 一言、継いだ声に息を呑む。

 落着と相成った喜びは一瞬だけで、トコヨの声色はもう真剣味を帯びていた。たったそれだけで、今扱わなければならない本題へ移ろうとしているのだと理解させられる。

 すなわち、ここに至るまでの――そして、ここで今起きた、変化について。

 

「あんたの刃は、憂いと怯えの上にほんの少しぶれてたわ。それが生んだ拒絶は、無理もないことだったのかもしれないわね……」

「久遠……やはり」

 

 ええ、と頷くトコヨは、春風に遊ぶ花びらのようだった以前とは姿を違えている。差し込めた青が、一足飛びに訪れた冬の厳しさを物語っているようだ。

 

「あたしもまだ信じられないけど……本当に、恐ろしい話だわ。細音もこんなふうに?」

「そう、ですね。あまりのことに、前後も定かではなかったのですが……。むしろ、よくそんなすぐに平静でいられますね」

「そうでもないわ。まだ頭の中はしっちゃかめっちゃかだもの。頭痛もひどいわ。ここは……年季の差、かしらね」

 

 こめかみを押さえる所作一つとっても可憐かつ繊細なままであったが、彼女から滲み出る恐れが絶対的な変化を示してならなかった。

 そんな二柱の会話に、チカゲが小さく手を挙げる。

 

「あの……結局、何が起きたんですか? お二人は、色々分かってるみたいですけど……」

「おっと。そうね、ごめんなさい。置いてけぼりになっちゃってたわね」

 

 少しはにかんだように謝罪を口にするトコヨ。

 と、そこへ、

 

「拙者としても委細を知りたい。場所を改めて話さないか?」

 

 今まで沈黙を保っていたオボロは、いよいよこの事態の核心へと話が移ったのを見て、トコヨたちに提案を投げかけた。本来邪魔の入るはずがないこの坑道も、戦闘で荒れた以上に怪物の像がちらついてならない。腰を落ち着ける意味でも、一度御冬の里に下りるのは合理的であろう。

 だが、

 

「…………」

 

 耳に痛い沈黙が、坑道に満ちた。

 オボロの言葉が聞こえていないわけではない。トコヨも、サイネも、チカゲも、確かに意識をその提案に向けていた。大鏡のあった位置から動いておらず、どこか孤立する形となっていたオボロのことを、誰もが認めていた。

 

 けれど、オボロに返されたのは、冷えたトコヨの視線。

 彼女は、告げる。

 

「お断りよ」

 

 声を荒げるでもなく、努めて冷静に。

 

「あんた、自分が今どんな顔してるか分かってんの?」

「…………」

 

 

 その指摘に、オボロもまた沈黙を返す。否定とも、肯定とも取れるような玉虫色の態度を、彼女がその口で明らかにすることはなかった。

 言葉にされない本意が、水面下で鍔迫合う緊張感が瞬く間に広がっていく。

 

 その間隙の中、オボロの表情を窺っていたチカゲが息を呑んだ。ちら、と近くで口を固く結んでいるサイネのことを見、次いで再び己の師へと目を合わせる。

 そして両者を見比べていたチカゲが、ぽつりと漏らした。

 

「すいません、オボロ様」

「む……」

 

 彼女の手が閃いた直後、地面のあちらこちらから爆発したかのように白煙が湧き出した。それはあっという間に坑道に行き渡り、北限の雪景色よりも酷く、オボロの視界を白に染め上げる。

 袖で口元を押さえた彼女は、しゅうしゅうと煙が吐き出されていく音の中に、外に向かっていく三つの足音を認めた。坑道の奥側、風下に立っていたためか、途中で厚い下駄の音が消え、微かだった草履の足音が少し重くなったことまでよく分かる。

 

 そのままオボロが立ち尽くしていると、やがて吹き込んできた外気に押し出されるように、煙幕が暗闇の向こうに流れていった。怪物との戦いで傷ついた岩肌が再び露わになる。

 オボロはそこに、一人ぽつんと取り残されていた。

 

「ふむ」

 

 そう小さく唸ってから、思考を彷徨わせるように天を仰ぐ。白衣の隠しに手を差し入れて、がらんとした洞窟で孤独に佇むその姿は、どこか自省しているようでいて、自らを認め直し、受け入れているようであった。

 

「拙者もあやつのことを笑えんな」

 

 独り言ちながら、自嘲するオボロ。

 吹き込んできた風が、慰めるかのように彼女を撫でていく。

 翻った白衣の陰には、依然として紅い輝きが懐を鈍く照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………、

 …………………………。

 

 ……なるほど、ね。そうか……。

 ああ、ごめんごめん。君が聴いているにもかかわらず、カナヱらしくないな。

 話を、続けよう。

 

 事態の起こりから拒絶を続けてきたサイネは、トコヨとチカゲの尽力を経て和解へと至った。そしてそれ以上に、彼女たちの手元には大きな大きな、真実の欠片が残ることになった。

 そうだね。このまま彼女たちを見守り、その手にある何かを覗き見たいというのは当然の欲求さ。

 

 だが、だけれどもだ。慌ててはいけない。

 時を同じくして。そう。彼女らが和解したこの瞬間と時を同じくして、この事態をも超える一大事が起こっていることをカナヱは見逃していないんだよ。

 

 そして何よりも、彼女だ。

 事態は急変している。それに答えるように、凪いでいた海が波打ち始めた。旅路を終えた先には、平穏な時間が待っていたとも。だが、それがいつまでも続くなんて誰も思っちゃいないだろう?

 だからカナヱたちは先に、彼女を見届けないといけない。

 

 さあ、少しばかり時を戻して、そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぷっくりと膨らんだ頬は、怒りの中で愛嬌を思わせてくれる。

 しかし、道の両脇から遠巻きに眺めてくる人々の様子は、さながら歩いてくる爆弾の導火線に火がつかないことを祈っているようだった。

 

「ぷぅーっ! 翁玄桜だったら前のでーたが使えたじゃないですかぁ!」

 

 人目を憚ることなく、往来のど真ん中で憤るのはクルルである。足取りも乱暴で、ぱんぱんに荷物の詰め込まれた背嚢から今にも中身がこぼれ落ちてしまいそうだ。

 それに、隣を歩くヤツハが苦笑いを浮かべながら、

 

「まあまあ。無理にお願いするわけにもいかないですし……」

「この実験の意義がぜんっぜん分かってないんですよぉ! 世紀の大発見間違いなしの実験なんだから、大歓迎されて当然ですぅ! 話の通じる人間がだーれもいないし、そもそも出張版くるるんらぼも解体されてるし……!」

「お城に入れてもらえなかったのは残念ですけど、部品はちゃんと取っておいてもらえたわけですし、なんとかなりますよ、きっと!」

 

 諌めたり励ましたり忙しいが、ヤツハとしてもクルルに爆発されるわけにはいかないのでやや必死である。自分のための実験を巡って悲劇が起きるようでは、己について知るどころではなくなってしまう。

 煙家までの道中では、クルルが暴走しそうになったときはなんだかんだとハツミが抑えてくれていたものの、今ここに頼れる海神の姿はない。

 

「そ、それにしても、瑞泉にはそんな大きな絡繰の研究所があるなんて凄いですね! 私、ちょっと楽しみです!」

 

 半ば無理やり話題の方向性を変えようと試みるヤツハの顔に、ぎこちない笑みが浮かんだ。

 

 桜降る代の南部に、こぢんまりとした奉土ながらも確かな存在感を示す家がある。それが、東西を繋ぐ要所たるこの街を司る瑞泉だ。

 

 海の幸が集まる大柄湾へ寄り添うように構えられた街であるが、その顔は漁師町としてのものだけではなく、交易や物流の拠点としてのそれも色濃い。東の港側には迷路のような蔵町が広がっており、海路を含めた商流に乗せられるのを待つ品で溢れかえっている。その中には舶来品や南部生まれの新商品なども含まれ、新しきを求める商人や職人を惹き付ける。街に垣間見えるのは、そんな彼らのぎらつくほどの冷徹な情熱だ。

 

 実験用の装置を求め、北の果てから遠路はるばるここまでやってきたヤツハたちであるが、今は街の最奥に位置する瑞泉城から街へ下りてきたところだった。過去の実験場として真っ先に向かった苦労も虚しく、文字通りの門前払いを食らったのである。

 山城で騒ぎになったとき以上に揉めた中、ヤツハの必死の説得と交渉によって、どうにか争いにならずに場は収められた。城内での実験は実現できなかったものの、装置の部品が保管されているという研究所へと向かっている最中であった。

 

「そんな場所があるってことは、ここでもやっぱりくるるんさんが――」

 

 信仰されているのか。そう続けようとしたヤツハだったが、先程味わった苦労が言葉を呑み込ませる。

 煙家同様に受け入れられているというには、瑞泉城の者たちが示した抵抗感は大きすぎた。不機嫌を露わにしているからといって、この道行きでもクルルの姿に顔を強張らせる者の多さは目についてしまう。旅が始まって以来、ここまで露骨なのは初めてであった。

 

「信仰、されているんでしょうか……? それにしてはちょっと、その……皆さん怖がっているというか……」

「ふむーん、からくりすとは確かに多いですけど、そですねー……」

 

 自信なさげに訊ねたヤツハへ、クルルが小さく頭を揺らし、宙へ視線を彷徨わせながら答えた。

 

「むかーし、ここで色々やってからですかねえ、くるるんの研究をよく思ってない人間が増えたの。今から取りに行く神渉装置を作ったときの話ですぅ」

「大きな事故を起こした、とかですか……?」

「いえいえん、万事快調でしたよん。でも、みんなして止めに来て、壊されてですねえ。あれもメガミの謎に迫る大実験だったのに……ほんとみんな、知りたい、って思わないんですかねえ……」

 

 そう漏らすような呟きは、不理解への怒りではなく、純粋な疑問の色を帯びていた。

 と、振り返った過去に意識を向けていたらしいクルルが、口を開けっ放しにしたまま立ち止まった。何かに思い至ったようで、「あー」と声を垂れ流しながら考えを手繰っているようだった。

 不思議そうに見つめるヤツハを前に、クルルは下りてきた考えを口にする。

 

「信仰されてるって言うなら、くるるんじゃあないかもしれません」

「他の方が?」

 

 はいー、と肯定しながら、クルルは指先をあちらこちらへと向け、どこか道を思い出しているかのよう。

 

「あー、そいえばこの辺りでしたねえ。ちょうどそのあたり詳しい知り合いがいたはずなんで、ちょっと寄っていきましょか。方向だいたい一緒ですし」

「え……あっ、はい」

 

 そう言うとクルルはヤツハの手を掴み、ずんずんと速度を上げて歩き始めた。思い描いた最短経路に意識が集められているようで、荷馬車の進路上であろうともお構いなしに横切っていこうとする。

 ヤツハは困惑しながらも、強引な牽引に慌てて歩調を合わせる。研究所行きが唐突に後回しになったが、あえてそれを問うことはなかった。思いつきの行動を改めることはないだろう、と確信していたからでもあったが、他にも理由はあった。

 

 ここはもう、旅の最終到達地点。

 こうしてあちこちを案内されることも、最後になるだろう。

 自分に向き合う前の僅かな猶予を噛みしめるように、ヤツハは掴まれた手を握り返していた。