「わぁ……このお菓子すごい! きらきらしてて宝石みたいです!」
供された皿の上を見て、ユリナの瞳もまた輝いていた。
配膳する高野は最後に取り分け用のやや大きめの皿を四柱の間に置き、部屋の隅に置かれた長火鉢の様子を確かめてから、深々と頭を下げてこの客間を辞した。
ユリナたちに対面するシンラは、菓子切で一口大に切ってから菓子を口に運ぶ。小さく顔を綻ばせる彼女の視線に促され、ユリナもまたそれに倣えば、しっとりとした生地の中に散りばめられた果物の食感と、ふわりと行き渡る甘みに隠れた芳しさが至福へと誘う。
「砂糖漬けした果実を混ぜ込んで、酒と共に寝かせたケーキです。甘みと酒のおかげで保存が利くので、土産として何本かいただいたのですよ」
「ああ、それかなあ。ほんのり樽っぽい匂いがします」
「あちらで嗜まれている果実酒ですね。十年単位で熟成させるのだとか。とっても良い香りでしょう?」
こくこく、と頷くユリナの隣で、ホノカも観念したように菓子に手を伸ばしていた。
そこにウツロが、
「何しに行ってたの」
ぽつり、皿に視線を落としたまま、呟くように訊ねる。ちびちびと、菓子をさらに細切れにして口にする様は小動物のようだ。
「サリヤの国」
「美食を求めに行っていたわけではありませんよ?」
シンラはそれに菓子切を置き、間をとるように茶を啜った。
「ファラ・ファルードの文化を見聞する、という意味では間違ってはいないのかもしれませんが、それは今、ユキヒが堪能しているところでしょう。私の興味は、彼の地の政や神についてなのですから」
「あれ、向こうにはメガミは居ないって」
「伝承すら見当たらないのですから、確かに不在と言ってよさそうです」
ただ、とシンラは継いだ。
何かを見定めるように僅かに眇めた目が、等しくユリナたちを捉えていた。
「神座桜の実在はこの目で確認しています。とても小ぶりで、結晶がほとんど咲いていませんでしたが」
対し、ユリナの胸に去来するのは、やはり、という想いだった。サリヤから度々聞いていたことではあったが、シンラの追認があったところで、桜のない地のことなんてユリナには想像しきれないことには変わらなかった。
両脇を見やれば、ウツロはいつも通りの無表情だし、ホノカは依然口をすぼめて不機嫌さを露わにしたままだった。桜降る代ですらまだ知らないことがあるのに、海の外を気にかけているだけの余裕はユリナたちにはないのだった。
「そうですかー」
「……だったのですが」
シンラは短くため息をつくと、わざとらしく肩をすくめて前言を翻し始める。
「なんとも奇妙なことに、今まで枯れ木のようであったあちらの桜が、この地のものかと見紛うほどに急成長したのですよ」
「えっ!?」
「あちらでは桜花結晶は貴重な資源ですから、これを巡って一波乱ありまして……。サリヤたちの立場も危うくなったところを、ユキヒと共に収めてきたわけです。それが落ち着いたので、こうして帰ってきたという次第なのですよ」
目の届かないところで起きた知人の危機に、不安と安堵が交互にユリナに湧き上がる。
一方で、ホノカは声に棘を含ませながら、
「それを話しに、わざわざ来たんですか?」
顔の高さまで持ち上げた皿の上で、菓子に含まれている果実を調べながら、じろり、とシンラを睨めつけた。
普段ならばシンラが当てこすり、もう一言二言皮肉の応酬があるところだが、続いた言葉は意外にも不興を無視するものだった。
「それもありますが、正確には情報交換をしに参りました」
「……?」
ホノカもそれには不機嫌さを少しばかり潜め、目で先を促した。
「稲鳴のことですよ。不在の間に起きたあの事件について、耳にしたときは私も驚きを禁じえませんでした。無関心ではいられない一大事なのは間違いない、けれど情報が不足している……だからこそ、あなた方を頼ったわけです」
その言い分に、ユリナは確認を挟む。
「碩星楼でも、詳細は分かっていないんですか?」
「明らかにしたいのは起きた事象ではなく、その理由です。あれを詳らかにするだけの知識の蓄えが、残念ながら我々にはありません。ですから、より大きく、そして旧き組織たる桜花拝宮司連合ならば、この場の誰もが知らない情報を有しているのではないかと」
シンラはさらに続けて、
「最も有力なのは彼らの蔵書です。永きヲウカの時代から続く宮司連合だからこそ、抱え込んでいる文献もあるでしょう。無論それは都合のいいように編纂されてこそいるでしょうが、知性を働かせて読めば、嘘の裏に真実が透けて見えることもあるものです」
「なるほど……」
告げられた理由に、ユリナは思わず眉尻を下げた。思うところはホノカも同じようで、おずおずと窺うようにユリナのことを見ていた。
不穏な態度にシンラが問いを作る。
「何か支障でも?」
「いえ、それが……書庫は蟹河にあって、それはまだいいんですけど……」
「管理してるのが、その、正村さんなので……」
ホノカが気後れしながら口に出したその名前に、欠けた言葉を察したらしいシンラは、呆れと同情をないまぜにしたように苦笑いした。
「あの糞婆は、いなくなっても厄介ですね」
「正村、怖い。苦手……」
縮こまるウツロに、ユリナもシンラに倣って苦笑いするしかなかった。
シンラは両手に収めた湯呑に視線を落とし、ぽつぽつと意を口にしていく。
「組織を持つ者として、桜花拝宮司連合がその巨体と歴史を持つに至った点は、称賛すべきところでは正しく評価しているつもりです。しかし、その陰に覆われてしまえば、やはり恐ろしい組織だと再認識せざるを得ません」
「いい人も多いんですけどね……」
ユリナは曖昧に返すだけに留めた。
生まれた会話の間隙に、茶を啜る音が広い客間に染み渡る。持ち上げたケーキから支えを失った胡桃がこぼれ落ち、皿で鈍く跳ねた。爆ぜる炭に、温もりが届き始めていることに思い至る。
その妙な間を破ったのはウツロだった。
「書庫、行くの?」
その問いは、シンラにもユリナにも向けられていた。ユリナはそれに、自らもシンラに伺いを立てるよう、目を向ける。
居住まいを正した彼女は、菓子の追加を一切れ、自分の皿によそうことで答えを示した。
「ご紹介いただけるとありがたいですが、まずはお互い話を続けましょう。歴史の断片を探すのは、それからでも遅くはありませんから」
障子越しに差し込めた日差しが、メガミの茶会に昼を告げていた。
それから半刻ほどもすれば、交わすべき情報も異国の菓子も底を尽き始めていた。ファラ・ファルードの事件に関してはともかく、稲鳴の事件に関しては互いに一歩踏み込んだ情報が足りていない状態だと再認識するしかなかった。
シンラは、もう色の薄くなった茶で喉を労ると、
「こんなところでしょうか。そちら側で何か他に気になることは?」
形式的な質問で、会の終了を提言する。
それにホノカは、急須の中身を確かめながら応じる。もちろん上機嫌とまではいかないが、シンラが現れたときよりも随分と険は取れていた。
「いえ……サリヤさんたちが本当に無事なのか、心配なくらい……」
「正直に褒め称えてくれてもよいのですよ?」
「ううっ、協力してくれたことには感謝してますよっ!」
ぷっくり膨らませた頬で睨む瞳はやや力ない。
微笑み一つで受け流したシンラは、忘れないように、と自らの主題への結論を再確認する。
「では、蟹河の書庫へはご紹介いただけるということでよろしいでしょうか。都合がよければこのまま向かおうと思っていましたが」
「…………」
けれど、訊ねた先のユリナはぼうっと何やら考えていたらしく、ウツロとホノカの視線を集めたところで、はっと我に返った。話の途中からユリナは言葉少なであったが、異邦の複雑な政争に頭の容量が限界を迎えているわけではないようだった。
「あっ、ご、ごめんなさい、大丈夫ですよ。すぐ準備しますね」
「では、案内よろしくお願いします」
立ち上がるシンラに併せて、何重にも広がった衣が衣擦れを奏でる。ユリナたちも腰を上げれば、後には空になった皿と湯呑が取り残される。
装いを整える中、シンラはユリナから疑問を投げかけられた。

「これから、どうするつもりなんですか?」
迷いを孕んだそれに、シンラは逆に問いかける。
「むしろあなたこそ、どうするつもりなのですか?」
「わたし、は……」
普段の明快さが雲に隠れたように答えに詰まる。
逡巡の後に返答したユリナは、まるで彼女自身が発した問いの意味を白状するようだった。
「その……よく分からなくて。色々なことが起こりすぎて、メガミの皆さんもあんまり動いてないみたいだし、どうしようかな、って……」
畳に視線を落とす。苦悩しているというより、掴みどころがない岐路に立たされて、単に困惑しているといった様子だった。
シンラから、短い嘆息が漏れる。
「あなたも、メガミが板についてきたようですね。悪い意味で」
「え……っと、それは……」
思っても見なかった反応に動揺するユリナ。ホノカとウツロの眉が、僅かに顰められた。
ただ、シンラはやんわりと手で制止を示すと、真意を明らかにする。
「そこまで重く捉えるほど非難するつもりはありません。ですが、そこで私や他のメガミが第一に出てくるのがその証拠ではないでしょうか」
「…………」
「それを踏まえた上で質問に答えるのであれば、私は私らしくするだけです。あなたもあなたらしくしては?」
どうぞ、とばかりに手を差し向ける。それ以上、シンラは言葉を尽くすことはなかった。
移ってきた回答の順番に、ユリナは袖を弄びながら考えているようだった。ゆらゆらと微かに揺れる長い袂が、その心情を映している。
ややあって、ユリナから迷いが消えることはなかった。しかし、シンラに返された問いの答えを、恐る恐る言葉にしていく。
「わたしは……色んなところに行って、色んな人の話を聞きたい。大丈夫そうなら、千洲波の人たちからも。みんなを、知りたい。それから、自分にできることを……見つけて、やりたい……です」
「そうですか」
具体的な未来の見えていない、ふわふわとした回答。けれど同時に、霧の立ち込めた岸壁の頂上を見据えながら、その手は確かに岩肌を掴んだようでもあった。
だからこそ、シンラは己の胸に手を当てて、さらなる回答を告げた。
「なら、少し気が変わりました。私もそれに協力すべく、同行するとしましょう」
「……!?」
ユリナたち三柱の顔に、驚愕が浮かぶ。ウツロでさえ、見て分かるほどに目を見開いていた。
さらにウツロは、己をユリナの盾にするように一歩前に出た。警戒心を滲ませてシンラを見上げているが、一方で動いてしまった身体にここからどうするべきか決めあぐねているようでもある。
「……誘導、してない?」
やがてウツロが静かに提示したのは疑念だった。ユリナはそれに困惑した様子で待ったをかけようとしたようだが、ホノカに袖を小さく掴まれて、その手を宙で止めていた。
あまり表立って動かないシンラが自ら出向くと聞けば、彼女を知る者なら警戒するのは無理もない話である。特にユリナたちは過去、シンラ自身の行動によって大局をひっくり返されそうにすらなったのだから。
疑いの目を向けられたシンラだが、それに呆れたようにため息をついた。
「信頼関係が崩れても困るのできちんとお答えしておきますが、してますよ、誘導。私にとっても都合がいいので」
「なら――」
「ですが」
ホノカが食って掛かる前に言葉を継ぐ。けれど、彼女が浮かべていた表情は、企みを指摘された不機嫌さでも、利用しようとしていた相手に対する不敵さでもない。
そのどこか悪戯めいた微笑みのまま、シンラは告げた。
「このほうが、ユリナらしいと思いますけどね」
反論が、三柱から出ることはなかった。
ひりつきそうになっていた空気が、徐々に和らいでいく。正論を盾にうやむやにされたのだと、ホノカはあからさまに物言いたげな目をしていたが、ウツロはもう半ば諦めたように肩の力を抜いていた。
そして困ったようにはにかんでいた当のユリナを、シンラは急かすように部屋の外へと促し始める。
「さあさあ、早く書庫へ参りますよ。動くと決めたのなら、迅速に事を済ませましょう」
「わ、分かりましたって。玄関で待っててください」
「もーっ、調子がいいんですからっ!」
このまま受け入れてよいものか、ユリナたちに残った警戒心が足を僅かに鈍らせているようだったが、意思を翻すこともなく廊下へと消えていく。入り込んできた空気が、衣から飛び出たつま先を冷やしていった。
やがて姦しい気配も感じなくなり、シンラは客間にぽつんと取り残される。
彼女は一息ついてから、漫然と上を見上げた。そこには天音神社の天井板が、社にしてはまだまだ若い肌を晒しているだけだった。
だから、ぽつぽつと零した言葉がどれだけ長く、はっきりしようとも、それは独り言に違いなかった。

「この多発的な出来事が、偶然とはどうにも思えません。何か……そう、大きな一本の線に連なっているような予感がします」
曖昧な焦点は、何も見てはいない。
見ているのだという態度だけを示せばいいとでも言うように。
「それを見定められるのは、もしかしたら私たちではないのかもしれません」
故にそれは、独り言でありながら、確かに誰かへと向けられていた。
彼女には誰かも分からない、誰か。
これを伝える者が相応しいと思うだけの誰か。
「もし、この独白が語り伝えられているのならば、心しなさい。これは私たちの物語ではありません」
そんな奇妙でしかない前提を疑うことなく、シンラは言葉を紡ぐ。
ユリナにそうしたように、誰かに手を差し出して。
「私たちと、あなたの物語です」

……………………。
……ああ、すまない。
少し、呆然としていたよ。少しばかり彼女を見くびって……いや違うか。彼女は昔から、君たちのことをよく見ていたのかもしれないね。
……カナヱから語ることは、あまりないかな。
うん、ユリナは己の道を改めて踏み固めた。そして信頼する友と、道を認め合う宿敵と共に動乱へと足を踏み入れた。彼女の居場所はまだ、事態の外側。この一歩は事態を動かす、欠かせない一歩なのかもしれないね。
舞台を、移そうか。
彼女たちの道中にも興味は尽きないが、凪の時間は終わったみたいだ。事態は、動き続けている。
……カナヱはここではただの舞台回し。ならばせめて、その役割を全うさせてもらうよ。
肌を凍りつかせるような寒さが、吹き上げてくる風に乗って運ばれてくる。荒涼とした山道は鈍色の雲に覆われており、空が今にも泣き出しそうだった。
けれど、ろくに人の手の入っていない道を往く二つの影は、荒天の予兆になど目もくれていなかった。それは決して無謀などではなく、障害とすら認識していないように、淡々と一定の速さで歩み続けていた。
「や、やっぱり信じられません……大丈夫、なんですか?」
うつむきがちに心配を吐露する、襤褸の外套を纏った少女。その瞳はきょろきょろと忙しなく動かされ、生命の息吹をとんと感じないここでさえ、何かを警戒しているようだ。ただ逆に、濃い目元のくまや澱んだ気配は、どこか近寄りがたい不吉さを醸し出している。
メガミ・チカゲ。毒を始めとした薬学を象徴する彼女の言葉に、並んで歩くもう一つの小さな影が答えた。
「そう案ずるな。むしろ、杞憂だったと確かめるつもりでいればいい」
首元に巻いた襟巻きと、二箇所で留められた髪をなびかせる白衣姿の少女。腰には一抱えも二抱えもある巨大な巻物を括り付けているが、不安定な道であろうと歩みが揺らぐことはない。眼鏡の向こうの瞳は、横目ながらチカゲの弱った顔を捉えていた。
メガミ・オボロ。生物学を象徴する存在にして、忍の起源。人間時代より忍であったチカゲの師でもある。
彼女はチカゲの不安を払うべく、努めて気軽に訊ねた。
「それに、あやつはお主の盟友だろう?」
「そ、そんな高尚なものじゃあ……友人、くらいで」
「十分だろう。友に関する胡乱な噂を払拭しにいく、そんな心づもりでいればよかろう」
「それは、そうですけど……」
それができたら苦労はしない、とチカゲの顔に書いてあるようだった。
やがて二柱は、いっそう強まる風に顔を顰めた。山頂に程近く、山の反対側へと降りていく道が、麓に漂う霧に呑まれていた。
開けた視界に映る山々は、その大半が幽邃渓谷に名を連ねるもの。桜降る代北部を東西に分かつ山系が、振り返った先にひしめき合っていた。そこに人の営みは数少なく、だからこそ彼女たちは人気のないこの山道を往く。
そして、二柱が向かう先。
北限へと迫るにつれてより濃く雪化粧をする山並みが、視界の奥で待っていた。
「吹雪かなければ有り難いが」
オボロの懸念に応えるように、冷たい山風が二柱の間を吹き抜け、白衣をはためかせる。
山の狭間から抜けた夕陽が、ふと、その懐を鈍く輝かせた。
今にも鼓動しそうな、紅の結晶を。
